第322号 2005/12/14 四季の斎日の水曜日
アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
こんにちは!お元気ですか。
◎ 日本での聖伝のミサの時に、兄弟姉妹の皆様からプレゼントをいただきました。今回その一部をご紹介します。
◆ 『九評共産党』(大紀元新聞グループ編集部著 博大株式会社発行 2005年)
これは、中国にいる13億の人々のために、中国共産党がどれほど不幸をもたらしたかを知る、そして共産主義について知る、とてもよい本だと思います。お薦めします。この本については、後ほど、改めて詳しく紹介したいと思います。
◆ 『グレゴリオ聖歌の歌唱法』(E. カルディーヌ著 水島良雄・高橋正道訳 音楽之友社 2002年)現代聖歌学に基づくグレゴリオ聖歌の歌唱法
この本は日本人のために分かりやすい日本語で書かれている、とても良い本だと思います。これから私の座右の書の一つとなることでしょう。
◆ DVD『わが命つきるとも』(アカデミー賞SP)
わが命つきるとも〈SUPERBIT〉
聖トマス・モアを描いた映画。ヘンリー8世という一人の男が、イギリスとその国民と歴史を根底から大改革してしまうなんて! ヘンリー8世の持つ権力にへつらって付き従う大多数の人々、そしてそれに対してあくまでもカトリック信仰を貫き通す聖トマス・モア。これを鑑賞していて、聖トマス・モアとルフェーブル大司教様のお姿とが、そしてヘンリー8世と第2バチカン公会議とが重なって映り出されました。
兄弟姉妹の皆様は日々お忙しく映画どころではないことだと思います。もしも万が一、何年か後の将来、クリスマスだからとか映画を見るような時間ができたとしたら、この映画をお薦めいたします。
◆ DVD『聖処女』
聖ベルナデッタを描いた映画です。この映画では聖ベルナデッタがルルドの聖母の目撃証人として、終わりまで証言し通したことと、ルルドの奇跡とを交えて描き出しています。
ルルドに巡礼にいくとやはりベルナデッタのフランス映画のDVDがあります。上巻は「ベルナデッタ Bernadette」で下巻は「ベルナデッタの受難 La Passion de Bernadette」という題です。こちらは特に下巻が、修道女としての聖女ベルナデッタの苦しみを描きだして感動的です。
ルルドの修道院で働いておられた聖ピオ十世会の神父様によると、昔は「愛するだけで充分 Il suffit d'aimer」というやはり聖ベルナデッタを主題にしたフランス映画があったそうです。それの方が名作だ、とのことです。
◇映画「THE EXORCISM OF EMILY ROSE」
映画の話題にちなんで。私はこの映画を見たわけではないのですが、フィリピンではこの映画のことが話題になっています。大体の「エクソシスト」系の映画は、カトリックの儀式や本当に何をするのを知らない人が作っているようで、内容的には好い加減で、恐ろしいだけ、というのが定評です。
ところが、今回の "The Exorcism of Emily Rose" は、これを鑑賞したハリソン神父(Fr. Brian W. Harrison, O.S.)のシアトル・カトリック紙の記事(Seattle Catholic: A Journal of Catholic News and Views/ 21 Sep 2005)によると、そうではなさそうです。ハリソン神父自身も、エクソシストで有名なガブリエル・アモルト神父とローマで悪魔払いの本物をしたことがあり、その神父様がこの映画は本物だ、というのですから間違いがないでしょう。
これは、1970年代にドイツで起きた実話に基づいて作られた映画だそうです。映画では、カナダでのことになっています。極めて保守的なカトリックの家庭に生まれたカナダ人の19才の少女は、悪魔に取り憑かれ、悪魔払いが成功せずに亡くなってしまいます。教区の司祭であるリチャード・ムーア神父(Fr. Richard Moore)が悪魔払いを試みたのですが、彼女を死に至らしめたと言うことで、法廷で裁かれます。といっても、家族は精神科医やその他の医学的・薬学的処方を全て尽くして、全く効き目がなく、神父はついにこの手段を試みたのです。
キリストを公式に否定する法廷では、ジレンマに陥ります。全ては自然科学で説明しなければならないという政治司法のドグマに対して、ムーア神父の弁護士(彼女自身は天主の存在を知り得ないと言う不可知論者)が弁明します。優しく誠実な正統カトリック司祭であるムーア神父の陰で、近代主義者で悪魔など信じていない大司教区当局の聖職者たちがムーア神父を貶めようとします。(第2バチカン公会議以後の世界では、よくありそうな話しです。)
ムーア神父は常に司祭服を着用し、祈り、模範的な聖なる司祭で、悪魔がラテン語で神父を罵ると、ラテン語で返事を仕返すことができる司祭。典型的な古いタイプの誠実なやり方で、自分を犠牲にし、法廷で屈辱をなめながらも、救霊のためにカトリックの愛徳と熱心を現すのです。
この映画には冒涜的な言葉遣いや不潔な話しも裸もなく、ローズの家族が持っている正統なカトリック信仰の確信を尊重して描き出しています。ハリソン神父は "The Exorcism of Emily Rose" を傑作だと言っています。「私の人生の内に見た映画の中で最もよくできた最も感動的な映画の一つ、まさしく、(メル・ギプソンの)『パッション』と同伴するに値する映画」と称賛しています。
■ では、今回は幾つかのニュースをお送りします。
【ローマ】
◎ カストゥリヨン・ホヨス枢機卿が雑誌「30 Giorni」で、聖ピオ十世会について本当の離教ではないとインタビューに答えていますが( 「マニラの eそよ風」319号 あるいは http://www.unavoce-ve.it/11-05-91.htm を参照)、今度は、11月13日に放送された、イタリアのチャンネル5(Canale 5)のインタビューでも、聖ピオ十世会は「離教であるとは言えない」"non si puo dire che ci sia uno scisma" と発表しました。
また聖ピオ十世会について「私たちは異端を前にしているのではありません。正しい、正確な、厳密な意味で離教があるとは言うことは出来ません。教皇の許し無く司教聖別をすることの中には、離教的な態度があります。しかし彼らは教会の内部にいます。・・・」
私たちは、聖ピオ十世会がカトリック教会の内部にしっかりと存在していることはよく知っていました。それどもリベラル・センチメンタルで大部分が占められてしまっている現在において、「聖ピオ十世会はカトリック教会の中にいる」と言ってくれて感謝します。
詳しくは次のサイトをどうぞ。
http://www.unavoce-ve.it/11-05-93.htm
◎ イタリアの新聞パノラマ紙12月8日号(Panorama, 8 dicembre 2005)よると、カストゥリヨン・ホヨス枢機卿は、聖ピオ十世会総長のフェレー司教とイタリア管区長マルク・ネリー神父を食事に招待したとのことです。フェレー司教様たちは、午前11時に枢機卿様の住居に到着し、午後4時まで共に話し合って時を過ごしたそうです。報道によると、フェレー司教は、イタリア語に翻訳されて印刷されたばかりのルフェーブル大司教様の伝記(730ページ)をプレゼントした、とのことです。パノラマ紙の記事のイタリア語原文は次のサイトに掲載されています。
http://www.unavoce-ve.it/panorama08-12-05.htm
この記事の英語の翻訳は次で読むことができます。
http://www.remnantnewspaper.com/Archives/archive-2005-1210-5hours.htm
◎ 「グレゴリオ聖歌は、流刑の地から戻りつつあるようだ」
イタリアのジャーナリストである、サンドロ・マジステル(Sandro Magister)によると、
「教皇庁立聖歌学院(Pontifical Institute of Sacred Music)の学長、ヴァレンチーノ・ミセラク・グラウ(Valentino Miserachs Grau)は、グレゴリオ聖歌が復活しつつあると言い、ベネディクト16世教皇もそれを望んでいる。」とのことです。
グラウはこう言います。「グレゴリオ聖歌は、復興されうるのみならず、復興されなければならない。・・・ グレゴリオ聖歌なしには、教会は手足を切断されたようなものだ。グレゴリオ聖歌なしに教会音楽はありえない。・・・グレゴリオ聖歌とラテン語のミサを復興させるのに何故抵抗があるのだろうか?」
詳しくは次のサイトをどうぞ。
http://www.chiesa.espressonline.it/dettaglio.jsp?id=43246&eng=y
このアドレスに、グラウのスピーチ「グレゴリオ聖歌:復活の可能性と条件(Gregorian Chant: The Possibilities and Conditions for a Revival)」の全文も掲載されています。
【日本】
◎ 「鹿児島教区と仙台教区に新司教任命」
教皇ベネディクト十六世は、パウロ郡山健次郎神父(鹿児島教区司祭)を鹿児島司教に、またマルチノ平賀徹夫神父(仙台教区司祭)を仙台司教に任命すると発表しました。
私たちは、パウロ郡山健次郎 被選司教様のため、マルチノ平賀徹夫 被選司教様のために心よりお祈り申し上げます。2004年の統計によると、鹿児島教区の信者数は9524人、小教区数は29、巡回教会は41、また仙台教区の信者数は11、152人、小教区56、巡回教会10だそうです。
◎ 大阪教区の松浦悟郎司教様は、残念ながら「無防備宣言都市」の呼びかけ人をしているそうです。
私もこのような発想は「底抜けに愚か」(曽野綾子)か、歴史をあまりにも知らないか、だと思います。
何故なら、ジュネーブ条約はそしてその他の国際条約は、戦争時に本当に守られるのか?守られてきたのか?非常に疑問だからです。例えば、ジュネーブ条約によれば、そもそも「非軍事都市」は攻撃してはならないのではないでしょうか?
しかし、ドイツの「非軍事都市」であったドレスデンは一体どうなったのでしょうか?
イタリアの「非軍事都市」モンテ・カッシーノの修道院は一体どうなったのでしょうか?
日本の「非軍事都市」であった広島や長崎はどうなったのでしょうか?
日ソ不可侵条約も日本のポツダム宣言受諾の通知も無視してソ連は日本を侵略続けたではないでしょうか? 今でも北海道に日本人が住むことができるのは、北海道には8月15日以降も武器を持って侵略するソ連軍と戦ってくれた日本人たちがいてくれたからです。
フランスの軍事的敗北の確実さを知りフランス人の無駄な死を望まなかった第一次世界大戦の英雄ペタン将軍は、フランス国を作り平和と秩序を維持しようとしましたが、イギリスにうまく逃げたド・ゴールがレジスタンスをラジオで呼びかけて戦いを継続させ、結局は、戦後にペタン将軍は断罪されてしまったのではないでしょうか。
日本は真珠湾を戦争布告の30分前に攻撃したから国際法違反だと言われましたが、アメリカは戦争布告など一切せずにコソボを攻撃したではないでしょうか?
つまり、現実は「勝てば官軍、負ければ賊軍」なのではないでしょうか?
「無防備宣言都市」は、あるいは条約を無視して攻撃されるか(ドレスデン型)、あるいは敵が潜伏している、テロリストが隠れている、という口実で攻撃されるか(モンテ・カッシーノ型)、あるいは新しい兵器(化学兵器や生物兵器など)が開発されたので実験のために攻撃されるか(広島・長崎型)、ではないのでしょうか?
戦勝国になってしまえば、一体誰が条約違反について勝者を裁くのでしょうか?
詳しくは次のサイトをご覧下さい。
http://www.nomusan.com/~essay/jubilus2005/12/051202.html
聖母の汚れ無き御心よ、日本を守り給え!
無原罪の御宿りよ、我らを憐れみ給え!
無原罪の御宿りよ、我らのために祈り給え!
聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!
聖フランシスコ・ザベリオ、我らのために祈り給え!
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
【晩課のお知らせ】
待降節第四主日の第二晩課(羅和対訳)ファイルは、つぎをご覧下さい。
advent4_2vp.pdf