第233号 2004/07/07 司教証聖者、聖チリロと聖メトディオ
獅子の声 (第1号)
アヴェ・マリア!
バプテスマの聖ヨハネ / カラバッジオ (1604)
天主の子イエズス・キリストの福音のはじめ。預言者イザヤの書の中に、「私はあなたの前に、道を準備する使いをおくる。“主の道を準備し、その小道を正しくせよ”と荒れ野で叫ぶ声がする」とあるように、洗者ヨハネは、荒れ野にあらわれて、罪のゆるしをえさせるくいあらための洗礼をのべ
つたえた。ユダヤ全国とイエルザレム中の人が、ヨハネのところにあつまって来て、罪を告白し、ヨルダン川でヨハネから洗礼をうけた。ヨハネは、らくだの皮ごろもを着て、腰に皮帯をしめ、いなごと野蜜とを常食としていた。そしてかれは、「私より勢力のある方が、あとでおいでになる。私はその方のくつひもをとくために身をかがめる値打ちもない。私は水で洗礼を与えているが、しかしその方は、聖霊による洗礼をおさずけになるだろう」とのべつたえた。(マルコによる聖福音 第1章)
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アヴェ・マリア!
兄弟姉妹の皆様、
「獅子の声」(第1号)?!
マニラの eそよ風 (第233号)は、特別に「獅子の声」(第1号)という名前を付けることにしました。何故ならこんなことを考えたからです。
兄弟姉妹の皆様の中にはヨーロッパのキリスト教美術に詳しい方がたくさんおられると思います。キリスト教絵画、教会建築、彫刻、ステンドグラスなどなど。
それらのキリスト教美術の中では、非常にしばしば4福音史家のそばに4匹の動物が描かれ、それぞれが誰かを象徴されています。聖マテオは人間、聖マルコは獅子、聖ルカは牛、聖ヨハネは鷲です。でも一体何故?
これは旧約のエゼキエルの預言に由来します。人間、獅子、牛、鷲のような4匹の動物をヴィジョンで見るのですが、これは教父たちによって、福音史家のことであると説明されました。何故なら、
聖マテオは、その聖福音が、アブラハムの子、ダヴィドの子、私たちの主イエズス・キリストの人間としての系図から始まっているから、
聖マルコは、聖福音の最初で、洗者ヨハネが獅子のように荒れ野にあらわれて、罪のゆるしをえさせるくいあらための洗礼を「荒れ野で叫ぶ声」としてのべつたえたことを書き記しているから、
聖ルカはザカリアが自分の組の順番になって天主のみ前に司祭のつとめをおこない、主の聖所にはいって香をたくといういけにえを捧げることを聖福音の最初に書き、旧約の最高のいけにえの動物として牛が想起されるから、
聖ヨハネは、その聖福音の最初に鷲のように、地上のことを離れ、天主の御言葉であるイエズス・キリストの天主性の高みまで観想に飛躍し、「はじめにみことばがあった。みことばは天主とともにあった。みことばは天主であった。かれは、はじめに天主とともにあり、万物はかれによってつくられた。つくられた物のうちに、一つとしてかれによらずにつくられたものはない。かれに生命があり、生命は人の光であった。光はやみに輝いたが、やみはかれを悟らなかった。」
と言うからです。
ところで、シンガポールは、マレーの言葉「シンガ・プーラ」に由来すると言われています。これは「獅子の町」という意味で、私は直ぐに聖マルコを連想してしまいました。聖マルコの描く、洗者聖ヨハネの獅子のような「“主の道を準備し、その小道を正しくせよ”と荒れ野で叫ぶ声」をです。
私たちの主イエズス・キリストが、私たちの天主であり王であると受け入れられるためには、準備が必要で、それが罪を忌み憎む悔悛であり、苦行であり、厳しい生活です。私たちが、真の天主、聖三位一体を信じ愛し礼拝するために、私たちはこの「主の道を準備し、その小道を正しくせよ」という「獅子の声」を聞かなければならないのではないでしょうか。
だから、私たちの主イエズス・キリストがより良く、愛され信じられ礼拝されるために、マニラの eそよ風 (第233号)を、獅子の町、シンガポールから発信するが故に、特別に「獅子の声」(第1号)という名前を付けることにしました。「獅子の声」の第2号がいつ発信されるか、分かりませんが、全ては天主の御摂理に任せて、第1号をお送り致します。よろしくお願いいたします!
赤道直下のシンガポールも暑いのですが、日本も真夏になり暑い季節となりました! 兄弟姉妹の皆様にお願いなのですが、どうぞ慎み深い服装をなさって下さい。これは洗者聖ヨハネに倣って、パドレ・ピオに倣って、獅子のような大きな声で叫びたいと思います。
ミサ聖祭に与るときは勿論ですが、男性も女性も、きちんとした身なりを普段から守って下さい!
女性は天主の御母聖マリア様に倣って、少なくとも膝が隠れるスカート(教皇様の教えによると椅子に座った時も膝が隠れなければなりません)、袖があり胸元を隠す服装を常時着用して下さい。
体の線を見せるようなぴったりとした服装や、体が透けて見える服、袖が無く肩や脇を顕わにする服、膝が隠れないミニスカート、大胆に切り込みが入って足を見せて歩くスカート、ズボンやパンタロン、へそ出しルックなど慎みのないものは避けましょう。お願い致します!
聖ピオ十世会のアジア管区は、8月に2名の新しい司祭が更に追加されるそうです。人手不足に悩むインドとシンガポールの修道院へ任命されるそうです。
ところで8月は、既にお知らせいたしましたようにウィリアムソン司教様が来日されます。ウィリアムソン司教様のご都合によって、大阪では8月は、残念ながら聖伝のミサをお休みさせて頂かなければなりなくなってしまいました。ご理解とご容赦をお願い申し上げます。
8月は21(土)と 22日(主)両日とも 東京で、午前10時半から御ミサの予定です。午後にはウィリアムソン司教様による霊的講話が予定されています。兄弟姉妹の皆様のおこしをお待ちしております。
さて今回は、2年前の復活祭に、まだ「マニラの eそよ風」が創刊される以前に、皆さんの幾人かの方々にはお送りしたことがあるのですが、今回、聖ピオ十世会だより「獅子の声」「マニラの eそよ風」という形で、多少手を加えて皆様の手にお届けしたいと思います。
シンガポールにて
トマス小野田圭志神父 (聖ピオ十世会司祭)
聖伝に従うローマの復活を願って
ローマの空には暗い闇が覆っているようです。つまり、バチカンで働いている高位聖職者の方々は、近代主義の異端に犯されているようです。何を証拠にこんなことを言っているのでしょうか?
このことは、次のような有名な例を見ると分かります。例えば、2001年12月14日には、ラマダンの終わりに合わせてイスラム教徒と共に断食をするかのように、バチカンはキリスト教信者に断食をするように招きました。これはイスラム教の断食が私たちの主イエズス・キリストにとって何か価値があるかのような印象を与えるスキャンダルでした。
また、2002年1月にはアシジの諸宗教祈祷集会が再び開かれました。
http://www.vatican.va/news_services/liturgy/documents/travels/assisi4.html
http://www.vatican.va/news_services/liturgy/documents/travels/assisi5.html
http://www.vatican.va/news_services/liturgy/documents/travels/assisi6.html
http://www.vatican.va/news_services/liturgy/documents/travels/assisi7.html
http://www.vatican.va/news_services/liturgy/documents/travels/assisi8.html
http://www.vatican.va/news_services/liturgy/documents/travels/assisi9.html
ファチマでは、2003年の10月10日から12日まで諸宗教の会議が行われ(「マニラの eそよ風」 214号参照)、カトリック教会によって三回も不可謬権を行使されて荘厳に教えられた「教会の外に救いなし」というドグマに対する軽蔑を全くあからさまに語られ、ポルトガルのほとんど全ての高位聖職者によって莫大な拍手と喜びのうちに受け入れました。ローマはこれに大して何の抗議もしませんでした。これについての詳細は次のサイトを参照して下さい。
http://www.d-b.ne.jp/mikami/outrage.htm
http://www.d-b.ne.jp/mikami/shrine.htm
http://www.d-b.ne.jp/mikami/shrin2.htm
http://www.d-b.ne.jp/mikami/abomi.htm
http://www.d-b.ne.jp/mikami/pressl.htm
http://www.d-b.ne.jp/mikami/desec.htm
http://www.d-b.ne.jp/mikami/clari.htm
http://www.d-b.ne.jp/mikami/newfat.htm
http://www.d-b.ne.jp/mikami/newfat2.htm
http://www.d-b.ne.jp/mikami/shrine2.htm
http://www.d-b.ne.jp/mikami/openlet.htm
「聖ピオ十世会総長の友人と恩人の皆様への手紙 第66号」でも言及がありましたが、今年の2004年5月5日には、ファチマにおける聖母マリアのご出現のチャペルで、ヒンドゥー教の司祭によってヒンドゥー教の祈りシャニティ・パ(平和のための祈り)が公式になされました。その模様の写真を次のサイトで見ることが出来ます。
http://www.oltyn.com/HindMay5.htm
これにたいしても、ローマからは何の抗議もありませんでした。
日本では、エキュメニズム運動に従ってこんなこともあったそうです。
日本聖公会北関東教区の新主教、松原栄主教の北関東教区主教按手、就任式が今年の3月27日(土)に立教学院聖パウロ礼拝堂にて行われ、それに日本カトリック司教団を代表してカトリックさいたま教区の谷司教が出席し、出席しただけにとどまらず、列席する聖公会主教と一緒に松原主教に按手を行ったそうです。
何故こうしたかというと、谷司教の叙階式には、前任の聖公会北関東教区主教が出席し、カトリック司教と共に谷司教に按手をしたので、その「お礼」なのだそうです。
私たちにとって、全く信じられないような出来事です!
(補足: 松原主教はその後、退職なさったそうです。2004年6月6日付、奈良キリスト教会の週報によると、「日本聖公会管区より公示があり、北関東教区主教松原栄師が退職されることになりました。」とのことです。)
http://www.nskk.org/kyoto/nara/syuho/04.06.06.html
話しをローマに戻すと、次のような事実は、あまりよく知られてはいないのですが、その内容はアシジの諸宗教祈祷集会と同じほど教会とその信仰を破壊するような性格のものだと言うことが出来ます。ここでは、それらのうちの中からいくつかを引用します。これらは全て、3年前の2001年にあったことです。私は、今、聖ピオ十世会の総長様の分析を利用してこれを書いています。
1 ロスミーニの件
(真理はそれぞれの人の哲学的見解によって変わる!?)
2001年7月1日、教理聖省はアントニオ・ロスミーニ・セルバティ神父の思索と著書に関して出された教義上の教令の価値を見直す覚え書きを発表しました。
「§7 教理聖省は19世紀に発表された2つの教義に関する教令を詳しく検討した結果、そして近年の歴史文献学と科学的・理論的研究の成果を考慮して、つぎのような結論に到達した。
アントニオ・ロスミーニの著作から取られた40の命題を排斥する、ロスミーニ神父死後に出された教令は、教義上の関心と困難という動機のため、及び、賢明策として発布されたのであり、この教令の発布の動機は現代では時代遅れである。このことは、同じ教令が理解し排斥した命題の意味がロスミーニの言わんとしていた正真正銘の教えの一部ではなく、彼の著作を読んでから得られることの出来る結論に帰されなければならないものであると言うことから来る。ロスミーニの体系がそれ自体として、称賛に値するものか否かという問題については、理論的議論上の領域にとどまり、純理論的な性格のものであり、この枠の中で表明された哲学的及び神学的理論あるいは仮説としてとどまる。同時に、死後に出された教令は、ロスミーニの思索の文脈の外においては、観念論的存在論的観点から見て、カトリック信仰と教義とは反対の意味を有しているものであり、排斥された諸命題のテキストとして、読む人がだれであっても客観的に有効である。」
或るアメリカ人は次のようなコメントをしました。バチカンが教義上の判断において歴史的批判の方法を使ったのはこれが始めてのことである、と。つまり今までの教会は、それが、誰が言い書いたものであろうと、ある命題の持つ客観的な意味を判断してきました。それを書いた人についての判断と、書かれた内容の客観的な意味の判断とは全く別のことだからです。それを書いた人が何を言わんとしていたか、何を意図していたか、と言うことではなく、その命題の文字が意味することに従って判断を下してきました。しかし、今回は、歴史上初めて、誰が書いたか、何を意図していたか、という全く主観的な見地に立って命題を理解しようとしているのです。
このアメリカ人はその他の命題についてもすぐに同じ原理を適用させました。例えば、フィレンツェの公会議の「教会の外に救いなし」とか、ウルバノ8世教皇の「ローマ教皇への従順なしに救いなし」などです。新しい神学と新しい神学の日々進化している理論は、この教令によって決定的な前進を遂げたといえます。つまり、「教会の外に救いなし」という教義も、「誰々にとっては」正しいがそうではい人には当てはまらない、とか、その当時は「教会」という言葉で何々を意味していたが今日ではそうではない、とか、命題の意味が客観的な固定した意味から、時と場所と対象によって意味が変わり、全ては変動的に解釈されるようになるからです。
現代の「神学者」たちは、これを多くのことにどう適用するかを知っています。過去に決定された教義は何一つ不変で安定したものとしては残らないでしょう。
このことは、ラッチンガー枢機卿がかつてルフェーブル大司教にピオ9世(写真)の『クヮンタ・クーラ』に関していったことと正に対応しています。
ラッチンガー枢機卿「しかし、大司教様、私たちはもはやクヮンタ・クーラの時代に生きているのではありません。」
これに対してルフェーブル大司教は「もしそうなら、私は明日になるのを待ちます。」(もし過去正しいとされていた教えが、今正しくないとされるのなら、つまり、もし時代が変わることによって「真理」が変わるのなら、もしかしたら将来になれば今の正しいとされていたことが誤りになり、今時代遅れだと言われていることが、正しいとされるかも知れないのですね、と言う皮肉)と答えざるを得ませんでした。
天主が永遠であるように、真理は永遠に変わることがあり得ません。
2 アッダイとマリのアナフォラの件
(秘蹟神学における進化!?)
2001年7月20日、キリスト教の一致促進のための教皇庁立委員会は、カルデア教会(これはカトリック)と東方アッシリア教会(これは離教会)とが相互に御聖体を拝領し合うための指針について覚え書きを発表しました。司牧上の理由は、双方共に司祭が不足していること、またエキュメニカルな相互接近のため、です。このこと自体が、つまづきを与えるものです。双方とも、アッダイとマリのアナフォラ(典文)という名で知られているもののうちで最古アナフォラの一つを使い、基本的には同じ典礼ですが、それぞれの教会によって大きな違いがあります。もっとも顕著な違いは、離教のアッシリアの方には「聖変化の言葉」が全く存在しなく、カトリックのカルデア教会の方には「聖変化の言葉」が存在することです。
このテキストは、相互の御聖体拝領について直接取り扱い、アッダイとマリのアナフォラに関する決定について言及しています。
「アッダイとマリのアナフォラは、非常に昔から、御聖体制定の言葉を唱えずに常に使われてきているので注目に値する。カトリック教会は御聖体制定の聖変化の言葉はアナフォラ、言い換えると、聖体祭儀の祈りの一部をなす構成要素であり、必ずなければならないものであると考えるが、(聖変化の言葉のない)アッダイとマリのアナフォラについて、歴史的・典礼的・神学的観点から、長い注意深い研究がなされ、その研究の果てに2001年1月17日教義聖省は、このアナフォラは有効であると考えられ得るという結論に達した。教皇ヨハネ・パウロ2世聖下もこの決定を承認した。」
この決定には多くの結果を伴っています。なぜなら、トレント公会議によって裁可された秘蹟神学を全てその頂点から底まで覆すものだからです。秘蹟が有効であるためには質料と形相と意向とがなければなりません。ところでこのアッダイとマリのアナフォラには形相が欠けています。しかしバチカンの公文書はこう言います。
「御聖体制定の言葉はアッダイとマリのアナフォラには存在しているが、連続した叙述的なやり方で文字通りad litteramではなく、むしろ分散された祈祷学的な(euchological)やり方においてである。つまり、感謝と賛美と取り次ぎの継続的な祈りの中に組み込まれてあるという意味である。」
ここでもまた、近代主義者たちは、聖変化の言葉といういわば「魔法の言葉」が存在するなどと言う中世の哲学に終わりを告げさせる絶好の機会に飛びついたのです。
ところで、何故このアナフォラには聖変化の言葉がないのでしょうか? これへの回答は非常に単純です。これは、古代存在していたアルカヌムの掟、言い換えると、神聖で崇高な玄義が世俗の目から隠されていなければならないとした聖なるものの秘密を守る掟のために生じたいろいろな結果の一つだったのです。典礼学者のブイェ師は、ドン・ボット師に基づいて、「聖変化の言葉は常に唱えられてきたということを私たちは絶対的な確信を持って言うことが出来るにもかかわらず、ガリア典礼の古代写本にも、モザラブ典礼の古代写本にも、聖変化の言葉が写本されていない」と1990年に発表しています。
カルデア語のミサ典書が1981年に出版されたとき、アルカヌムの掟のために、以前は聖別の言葉が記載されてはいなかったが、1599年になって漸く聖変化のフォルマがミサ典書に書かれるようになった、と説明されました。離教徒たちは過去の何時かは分からないのですが、聖変化の言葉を唱えなくなってしまっていました。
バチカンの発表した文書は、カトリックに、離教徒のしている聖変化の言葉がない儀式に、つまり無効な儀式に参与することを許可しているのです。確かに、離教徒の司祭たちはこの聖変化の言葉を付け加えるように強く勧められてはいるのですが、しかしそれも自分の属している離教教会のシノドスが許可するようにとのことです。しかし、教義聖省がこのそれ自体としては聖変化の言葉が無い典礼を、歴史的に明白な証拠によって明らかに無効であると分かっていながらも、有効であると認め、これにカトリックが与っても良いとしたと言うことは信じられないことです。
3 聖書委員会の文書
(聖書はカトリック教会だけが正統な解釈をする
ことが出来るということは、終わりを告げた!?)
教義聖省に所属している教皇庁立聖書委員会は、「キリスト教のバイブルにおけるユダヤ民族とその聖書」(Le peuple juif et ses saintes Ecritures dans la Bible chrétienne, les editions du Cerf, 2001) という題の文書を発表しました。これにはラッチンガー枢機卿が序文を付けています。
聖書委員会の文書は次のように要約することが出来るでしょう。«Christus non latet in vetero» すなわち、「キリストは旧約聖書において隠されていない」と言うことです。つまり、旧約の予言がキリストによって成就したので、キリストが約束のメシアであったという証明にあまりにも強調がおかれすぎていたこと、旧約聖書でキリストへの明確な言及があったということ、これを全て捨てなければならない、何故ならこのためにユダヤ人はこのキリストを認めなかったので、ユダヤ人を不信仰な、許され得ない民族だと考えていたからだ、と言うのです。
更に、「ユダヤ人がメシアを待望するのは虚しいことではない。・・・私たちキリスト者も彼らのように待望のうちに生きている。違いは、私たちにとっては、来られる方は既に来られ私たちにおいて現存し働いておられるこのイエズスの特徴を持っているだろうと言うことである(!)。」(p53)
これを読むと、誰が世の終わりにやってくるのかは、関心がないようです。それとも、世の終わりに来たり給う人は、イエズスであり同時にイエズスではない、とでも言うのでしょうか?
更に言えば、ユダヤ流の聖書の読みはカトリック的な聖書の読みと平行して発展し、今日ではそれを受け入れることが出来る、とも言っています(p55)。ですから、166-168ページでは、マテオによる聖福音23章に私たちの主が、律法学士やファリサイ人の聖書の読み方とその教えを非難していることについて言及し、これはキリスト者たちの共同体が後に付け加えた創作に過ぎないと平気で述べているのです。
カトリック教会は、現在大きな病に冒されているようです。バチカンにおられる全ての高位聖職者の方がそうであるわけではないでしょう。中にはカトリック教会の中の問題に気がついておられる方もあるようです。中には、聖ピオ十世会の堅固さに期待している方々もおられるそうです。しかし、彼らは声を挙げません。「危ない!」と叫ぶ声がないために、多くの人々は気がつかないままです。教会は十字架を担ってカルワリオへの道を歩んでいるようです。
天主の聖寵の助けによって、カトリック教会こそ真の天主の教会であり、真の救いの教会であることを終わりまで信じましょう。私たちは聖なるカトリック信仰を何も変えることがないようにしましょう。主の十字架のいけにえの再現である聖伝のミサを決して離れることのないようにいたしましょ
う。聖母と共に十字架の元にたたずみ、祈りを捧げましょう。そして、教会の栄光に満ちた復活を期待しましょう。カトリック教会のために、ローマが聖伝の信仰に立ち戻るように、祈りと犠牲を捧げましょう。
願わくは、聖母が私たちを導き保護し給いますように!
トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)