第402号 2008/02/29
アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、 「マニラの eそよ風」 400号 では、ロザリオの十字軍によるウィーンの共産主義からの解放のことをお伝えしました。私たちの関心はロザリオの祈りに向かっています。まず、ウィーンでのロザリオの勝利は度々ありました。 20世紀、ヨーロッパが共産主義の危機に瀕していたように、16世紀、ヨーロッパはイスラムの威嚇を受けて危機に瀕していました。イスラム軍はヨーロッパ侵略の野望により、1571年には海路から、1683年は陸によって侵略を試みました。1683年のウィーンの戦いは、全ヨーロッパがイスラム教徒の手に落ちるか否かの決定的な戦いでした。ウィーンが陥落しようとしたその時も、キリスト教諸国はロザリオの祈りをもって聖母の御助けを祈ったのです。 すると突然、ポーランド王ヨハネ・ソビエスキ(Jan Sobieski)が兵を率いてやって来て、奮戦健闘して敵軍を潰走させてくれたのでした! 戦いの終わりにソビエスキはこう言いました。"veni, vidi, Deus vicit" - "我来たり、我見たり、天主勝利し給いたり」と。 ソビエスキは戦いの前に、チェストホヴァの聖母マリアに自分の王国の保護を委ねていたので、教皇インノチェンテ十一世はこの勝利の記念に聖母マリアの皆の祝日を全世界で祝うように命じました。 余談ですが、この勝利のを祝うために、ヨーロッパではクロワッサンという美味しい菓子パンが作られました。また、この勝利の記念して、最初のバーゲル(bagel)がソビエスキ王への贈り物として作られたそうです。この戦いの後、トルコ軍が多くのコーヒー豆の袋を戦地に残して敗走しました。この豆を使ってヨーロッパで三番目のコーヒーショップ、ウィーンで最初のコーヒーショップが開かれました。そこで苦いコーヒーを甘くするためにミルクと蜜を入れて飲み、カプチーノ・コーヒー(cappuccino)が出来たそうです。従軍司祭のカプチン会司祭福者マルコ・ダヴィアノ(Marco d'Aviano)の茶色い修道服から、このカプチーノという名前が付けられたそうです。 ロザリオの祈りに関連するのが、ルルドの天主の御母聖マリア様です。ルルドにおける天主の御母聖マリアの御出現記念日である2月11日は、毎年重要な日付ですが、今年の、すなわち2008年の2月11日は、私たちにとってとても大事な日です。何故なら、無原罪の御宿り(インマクラータ)のルルドにおける御出現150周年であるからです。
ルルドは私的啓示の内でもカトリック教会において特別の地位を占めています。何故なら、教会の公認があるばかりではなく、典礼によって全教会において祝われているからです。 教会が公式に承認したように、確かに天主の童貞母は、聖シモン・ストックに現れカルメル山のスカプラリオをお与えになりました。 教会が公認するように、確かにイエズスの聖心は、聖マルガリタ・マリア・アラコックに現れ、聖心の無限の愛を、しかも無視されている愛をお示しになりました。 教会が公式に認可しているように、確かに天主の童貞母は、ラ・サレットにて現れて涙され、回心しなければ天罰が下るだろうと言うことをお教え下さいました。 教会が公認しているように、天主の御母はメキシコにおいて聖フアン・ディエゴに現れ、御自分を母親としてお示しになりました。 しかし全カトリック教会で典礼において、唯一、天主の御母聖マリアがマッサビエルの洞窟でベルナデッタ・スビルーに最初にお現れになったそのことを祝っているのです。 その当時、ベルナデッタ・スビルーは十五歳でした。祈りと言えばロザリオの祈りしか知りませんでした。現れた女性の飾りと言えば、ロザリオの数珠と、野生のバラの花(ローザ)だけでした。ベルナデッタは、最初の出会いで、ロザリオの祈りを唱えたのでした。この最初の御出現を含めて、計十八回の御出現があります。十八回とも天主の御母聖マリアは、ロザリオの数珠を持ってこられますし、ベルナデッタがロザリオの祈りを唱えて始めて現れるのでした。ちょうど、三回の「めでたし」が終わった後で、ロザリオの十五玄義を唱えるかのように、第三回目の御出現で、準備が終わったかのように、無原罪の御宿りはベルナデッタに続けて十五回来るように要請します。 ベルナデッタは、アントワネット・ペレ(Antoinette Peyret)にこう要求されます。
« Va demander à la dame ce qu'elle veut, et qu'elle le mette par écrit ». ベルナデッタが言われたままにそうすると、無原罪の御宿りはこう答えます。
« Ce que j'ai à vous dire, il n'est pas nécessaire que je le mette par écrit. Voulez-vous me faire la grâce de venir ici pendant quinze jours ? » (Ço queb' ay a disé, n'ey pas nécessari dé bonta per escrit. Boulét mé hé éro gracia dé bié penden quinzé dios ?) フランスのドミニコ会士であるミシェル・ガニエ神父(Michel Gasnier, O.P.)は、「ルルドの神曲」(La Divine Comedie de Lourdes)という書物の中で、天主の御母聖マリアの残りの十五の御出現がロザリオの十五玄義とどのように深い密接な関係があるかを説明しています。
それについては、聖ピオ十世会フランス管区のウェッブ・サイト Porte Latine の中の
英語に翻訳されたガニエ神父様の本は、ウェッブ・サイトでも読むことが出来ます。 聖ピオ十世会では、ルルドの御出現150周年を祝って十月に国際巡礼団を組織する予定です。ちょうど2000年の大聖年の時にローマに巡礼に行ったように、今年はルルドに巡礼をする予定です。愛する兄弟姉妹の皆様の多大なるご参加をお待ちします。
ルルドの天主の御母聖マリア、我らのために祈り給え! それでは、今回は、元仙台司教の浦川和三郎司教様の『祝祭日の説教集』の中に掲載されている「ロザリオ」のお説教をご紹介します。 (2008.05.01 本文一部修正) 祝祭日の説教集 浦川和三郎(1876~1955)著 (仙台教区司教、長崎神学校長 歴任) 十月七日、ロザリオ
(一) ロザリオの月 千八百九十三年十月五日、教皇レオ十三世は全教会に教書を与えて、十月をロザリオの月と定め、ミサ聖祭中か、聖体降福式中かに、コンタスと聖マリアの連祷と聖ヨゼフに祈る文とを誦(とな)えて、悩みに沈める聖会のため、聖母の御助けを祈る様、お勧めになりました。教皇が聖母の御助けを求めるのに、殊更ロザリオを誦えしめ給うたのは故ある事であります。 (1)- 先ず聖会が是(これ)までロザリオによって忝(かたじけな)うせし御恵(おんめぐみ)を考えて御覧なさい。十二世紀の終り頃から十三世紀にかけて、南フランスのアルビと云う町を中心として、一種の恐ろしい異端、信仰も構わぬ、道徳も措(お)いて問わない、婚姻や所有権を認めない、自殺を奨励するという様な、誠に以って恐るべき異端が蔓(はびこ)って、大いに聖会を騒がしました。 教皇インノセント三世は初め言論を以って彼等を改心せしめんものと、シトー会の修道士を遣わして勧諭(かんゆ)大いに務めしめ給うたが、一向その効果がないのみならず、トウルーズ伯ライモンド六世の如きは、異端者に加担して教皇使節を殺害した位で、教皇も今や百計尽きてトウルーズ伯を破門し、諸国に命じて十字軍を起し、異端者を討伐せしめられました。 交戦二十年の久しきに及び、互いに勝敗があったが、千二百十三年、十字軍はミユーレの戦いに最後の勝利を博し、トウルーズ伯をして復(また)起(た)つ能(あた)はざる迄に至らしめました。してこの勝利は特に聖ドミニコの祈祷、熱心にロザリオを誦(とな)えて、聖母の御助けを求められた結果によるものと一般に認められ、それだけロザリオに対する信心が盛んに人々の心に燃え立ってまいりました。 (2)- 十六世紀に及んで回教を奉(ほう)ぜるトルコ人が破竹の勢いを以ってヨーロッパへ攻め入り、コンスタンチノプルを陥れ、地中海の制海権を握り、進んで全ヨーロッパを馬蹄に蹴散らさんものと、非常な意気込みでひた押しに押しかけて来ました。 茲(ここ)に於いて、ヴェネチア、ジェノヴァ、スペインの三国は教皇ピオ五世のお勧めに応じ、戦艦二百隻、運送船百隻を合わせて連合艦隊を組織し、戦艦三百隻から成れるトルコの大艦隊と、レパント湾の沖合いで会戦しました。味方の総司令官ドン、ジュアンは、十字の旗を高くマストの上に掲げ、部下一同と跪(ひざまず)いて罪の赦しを請い、聖母の御助けを求め、然(しか)る後(のち)、砲門を開いて敵に応戦しました。 間もなく激戦となり、双方火花を散らして此処(ここ)を先途(せんど)と渡り合いましたが、敵は終(つい)に総崩れとなり、左翼の大将が四十隻を率いて逃げ延びたばかりで、残りの二百六十隻は沈没したり、焼け失せたりしてしまいました。死者三万を超え、捕虜一万五千、敵に囚われて軍艦の漕手(こぎて)に苦役(くえき)されていたキリスト信者七千人は救い取られました、味方は僅かに軍艦十五隻、士卒八千人を失ったに過ぎません。斯(か)くてトルコの海軍は全滅し、再び頭を擡(もた)げることが出来なくなりました。 今度の大勝利は全く聖母の御蔭に由るのでありました。教皇は初めから厚く聖母に信(より)頼(たの)み、毎日熱心にロザリオを誦(とな)え、人にも勧めて誦(とな)えさせ、各兵士にもコンタスを与えて祈らせなさいました。しかも戦いの日は千五百七十一年十月七日、ロザリオの祝日でありました。でヴェネチアの元老院は聯合諸国に今度の戦勝を報告するに当って、
「我等にこの大勝利を与えしは将師にあらず、 と書き送りました。次の教皇グレゴリオ十三世は、この著しき聖母の御保護を永く記念せんが為め、ロザリオの祝日を十月の第一主日と定め、聖マリアの連祷(れんとう)には「キリスト信者の扶助(たすけ)」の一句を加えることゝ致されました。 (3)- トルコも海軍では一敗地に塗(まみ)れたが、陸軍の勢力は猶(なお)、侮(あなど)り難(かた)きものがあり、連(しきり)に兵を進めてハンガリアを略し、一六八三年には進んでオーストリアの首府ウィーンを十重二十重(とえはたえ)に包囲しました。流石(さすが)の堅城(けんじょう)も今に陥落せんばかりとなったので、キリスト教諸国は声を合わせて聖母の御助けを祈って居ると、偶々(たまたま)ポーランド王ヨハネ・ソビエスキが一隊の兵を率いて来たり救い、奮戦健闘して敵軍を潰走(かいそう)せしめました。 それから一七一六年にもハンガリアのベルグラードでトルコの大軍を散々に打ち破ったのは、ロザリオ会員がローマで公にロザリオを誦(とな)えて、聖母の御助けを求めた八月五日、聖母マリアの雪の聖堂奉献の祝日でありました。 (4)- 斯(か)くの如く聖会はロザリオの聖母によって敵の勢力を挫(くじ)き、危急存亡の中から救われたことが一再(いっさい)に止まらないのでありました。今日(こんにち)でも聖会を攻撃する敵は指を屈するに遑(いとま)ない程で、各種の異端者、異教徒、無神・無霊魂主義者に至るまで、絶えず我々に向って攻撃の矢を射向けて居ります。否、政府当局者の中にすら、彼等の傀儡(かいらい)となって教皇に反対し、聖会を迫害するのを一種の誇りとするものすら少なくありません。 然し力を落すには及びません。望みを失う必要もありません。我々はロザリオの元后を天に戴いて居ります。何時(いつ)も又(また)如何(いか)なる場合にも、その有力な御保護に縋(すが)ることが出来ます。レオ十三世教皇が態々(わざわざ)ロザリオの月を定め、全世界の信者に心を合わせ、声を揃えてロザリオを誦(とな)え、聖母の御助けを求める様にお命じになりましたのは、実に之(これ)が為(ため)であります。 だから我々はこの月の間、熱心にロザリオを誦(とな)え、出来れば毎日ミサ聖祭に与(あずか)って、ロザリオの月の勤(つと)めを果たし、先ず全教会の為、次に日本帝国、殊に日本カトリック教会の為、終(つい)に自分の為、人の為にロザリオの元后の御保護を祈ることを忘れない様に致しましょう。 (二) ロザリオは優れた祈りである (1)- ロザリオとは薔薇の花園(はなぞの)とか、薔薇の花冠(はなかんむり)とか云う意味であります。薔薇は色から香りから何とも知れぬ床しさを持った花で、我国でこそ桜を花の王と誉(ほ)め称(たた)えて居りますが、欧米諸国では、花と云う花の中でも特にこの薔薇を尊び、昔はその白い、紅い花を束ねて花冠を作り、之(これ)を頭上に戴くと云う習慣さえあったものであります。 さればロザリオは、我々が聖母に捧げる薔薇の花冠を意味し、その名を耳にしたばかりでも、如何に優れて美しい、聖母の御心(みこころ)に適(かな)える祈りであるかは、略(ほぼ)、想像がつかぬものでもありますまい。 (2)- 今このロザリオに用いる祈りは何かと申しますと、それこそ祈りの中にも特に勝れた主祷文、天使祝詞、栄誦(えいしょう)の三つであります。 主祷文は主の自ら授け給うた此の上もなく慶(めでた)い祈りで、天使祝詞はガブリエル大天使の讃辞(ほめことば)と、聖霊の黙示を蒙(こうむ)れるエリザベトの挨拶と、主の淨配(じうはい)なる聖会の嘆願とより成り、栄誦は聖三位に対する、それはそれは麗(うるわ)しい賛美歌なのであります。 (3)- この見事な花を貫く絲(いと)は所謂(いわゆる)ロザリオの玄義で、白い薔薇を通したのが喜びの玄義、紅い薔薇を通したのが苦しみの玄義、黄(きいろ)な薔薇を貫いたのが栄えの玄義であります。 (4)- しかもその玄義は、我々に極めて尊い教(おしえ)を垂れ、痛切な戒めを与え、注意を促して止みません。考えて見ると、当代人の通弊(つうへい)として、命令を受け、之に服従するのを面白く思わぬ、親であろうと、教会であろうと、政府であろうと、苟(いやし)くも上に立つものには好んで反対し、抗弁(こうべん)し、不平を鳴らしたがるものであります。それからして骨の折れる仕事を厭がり、なるべく筋肉を使わないで、美味を嘗(な)め、美衣(びい)を着けて、気楽に世を渡れる様な職を求めようとします。随(したが)って田舎に燻(くすぶ)って居るよりは都会に出掛けたい、親の家に引籠って窮屈な目を見るよりは、外へ飛び出して我儘(わがまま)気儘(きまま)に世を渡ろうと云うあられぬ考えを起しまして、危険の中に跳り込み、斯くて信仰を失い、行いを乱し、身を誤り、終(つい)には何とて手の附け様もない、やくざものになってしまうのであります。 この通弊(つうへい)を救う為の薬は喜びの玄義にある、御托身、御訪問、御降誕、御奉献、ナザレトの家庭を思い、その謙遜、その従順、その清貧、その家庭生活の安静(やすらぎ)さ等の如何に美しく感ずべきであったかを黙想して見ますと、世に時めきたいの、気楽に一生を送りたいの、都の空に憧れて家を飛び出したいのと云う様な考えは、夢にも起されないでありましょう。 (5)- しきりに苦痛を厭がり恐れ、その反対に面白く可笑しく世を渡りたいと云うのも当世の通弊であります。それだけ大(だい)小斉(しょうさい)を守るのが苦になる、ミサに与(あずか)り、祈祷(いのり)をなし、悔悛(かいしゅん)、聖体の秘蹟などを拝領するのも堪らないほど苦になる、病気や災難に見舞はれても、それを罪の償いだと思って堪え忍ぶだけの勇気を持ちません、やたらに神を怨み、人を咎(とが)め、不平の百万遍を繰り返して居ます。 然るに苦しみの玄義を篤(とく)と黙想して御覧なさい。主が自分の罪を悲しんで血の汗を絞り、鞭打たれ、茨を冠(かむら)され、十字架を担ぎ、その十字架上に無慙(むざん)な御死去を遂げさせ給うたことを思い出しますと、自分ばかりじっとして居られない、主は罪なくしてただ私の罪故にあれ程まで苦しみ給うた、然らば私も罪の為に苦しむのは当然(あたりまえ)だ・・・否、主は私を愛してあんな豪(えら)い目を見給うたのだから、私も主を愛して聊(いささ)かなりとも主の為に苦しみ、以(も)って私の偽りなき愛を証明したいものだ、と云う気になって来るはずであります。 (6)- 当世の人々はお金を神様として、之(これ)に全く心を奪われて居ます。天を仰ぎ、主のことを思い、救霊(たすかり)の為に備えるなんて夢にも考えて居ません。 然しロザリオを爪繰(つまぐ)りながら、心静かに栄の玄義を黙想して御覧なさい。主が光り輝いて御復活になり、白雲(しらくも)に乗って天に昇り給うたこと、聖霊の賜を蒙(こうむ)って使徒等(たち)の心が一変したこと、聖母がめでたく昇天せられ、天使と人類の元后に立てられ、栄福の冠を戴かれたこと等を思いますと、何時しか浮世の寶(たから)や楽しみを忘れて、専ら天国に憧れ、天国の為に働きたい、骨を惜しまず、労(つかれ)を厭(いと)わず、未来の福楽(さいわい)の種子(たね)を蒔いて置きたいと云う気になって来るものであります。 (7)- 終(つい)にいくら勝(すぐ)れた祈祷(いのり)でも、口先だけで誦(とな)えては、それこそ死んだ祈祷(いのり)であります。何にもなりません、口と心で誦(とな)えてこそ、始めて活きた祈祷(いのり)、花も実もある祈祷(いのり)となります。でもそれはなかなか六(むつ)ケ(か)敷(し)い、口の誦える所に心を合わせて行くと云うは容易からぬことであります。然るにロザリオは口に主祷文や天使祝詞を誦えながら、心ではその玄義を黙想する様に仕組んであります。しかもその玄儀はイエズスとマリアの御一生涯に起った著しい出来事で、信者として誰しも知らないものはなく、之を黙想するにも別段、頭をひねる必要はないのであります。 要するに我々がロザリオを誦(とな)える時は、聖母の最も喜び給う祈祷(いのり)を繰り返す訳であります。之(これ)を誦える間にも教えられる所、戒(いまし)められる所、奨め励まされる所が少なくはありません。口先ばかりで之を誦え、死んだ祈祷をする憂いさえありません。 嘗(かつ)てシャルトルーズ会に一人の修道士が居て、毎日熱心にロザリオを爪繰(つまぐ)るのでありました。その功徳によりて天国へ携え行かれ、玄妙(げんみょう)不可思議なことを種々(いろいろ)と見もし聞きもしました。中にも天国の聖人等(たち)がロザリオの玄義に関して喜びの情を抑え得ず、熱心面(おもて)に溢れてイエズスとマリアに祝賀を述べ、イエズス、マリアの御名の響くや、殊更ら尊敬を表し、自分等(たち)と心を合わせてロザリオを誦える人の為、主に嘆願して居るのを見ました。ロザリオ一串(いっかん)毎(ごと)に、目も眩(くら)まん許(ばか)りに光り輝ける冠(かんむり)が、是等(これら)の人々の為にとて天国に備え置かれるのも見ました。聖母のお願いにより、ロザリオ一串(いっかん)毎(ごと)に、現世では全き罪の赦しと、勝れた聖寵と祝福と、後世(のちのよ)では極まりなき福楽(さいわい)をば主が御約束になり、御約束通りに必ず授け給うのを見たと云う話であります。是を以っても、ロザリオが如何に優れて尊く、聖母の喜ばせ給う祈祷であるかが察せられるでございましょう。で我々は平生も怠らずにロザリオを誦えなければならぬが、特にこの十月中は、聖堂に於いてなり、自宅でなり、毎日ロザリオの務めを果たし、大いに聖母を讃(ほ)め、尊び、我が身の上に、日本帝国の上に、全教会の上にも豊かな祝福を蒙(こうむ)る様、務めたいものであります。 |