マニラのeそよ風

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第357号 2006/08/09 聖ラウレンチオの前日

St. Lawrence Receiving the Treasures of the Church from St. Sixtus
St. Lawrence Receiving the Treasures of the Church from St. Sixtus
Fra Angelico / 1447-1449 / Vaticano, Rome


アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、お元気ですか。

 昨日は、司祭の守護の聖人、証聖者聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネーの祝日でしたね。聖ピオ十世会の司祭たちが、アルスの聖なる主任司祭にならうものでありますように! そして私たちが受けた天主の恵みを常に感謝しますように!

 ガブリエル神父の書いた Intimita Divina という第二バチカン公会議以前に書かれた良書が日本語に訳されて今でも出版されています。以前の版では、『神との親しさ』シリーズの4『愛の実践と聖霊』の部分は、8月と9月の黙想にあてられていました。そこで私もこの『愛の実践と聖霊』を現在、黙想に使っています。とても良い本です! 

 「限りなく豊かに私たちに善を施される天主は、どれほど感謝を要求する権利がおありになることであろう。しかし・・・この感謝の義務が、しばしば善良な人、主から特に恵まれた人々からさえ、おろそかにされている。ライ病を患っている十人を癒したのに、そのうちの一人だけが感謝するために引き返してきた時、イエズスはお嘆きになった。・・・時として、イエズスのすぐそばで生活するように召し出され、特に恵まれた召命を授けられた人が、まさにいちばん感謝の心の薄い人であることがある。・・・忘恩の責めはいつも、忘恩なことをした人の上に落ちる。」(167-168ページ)

 「『恩を知らないことは霊魂の敵、功徳と徳の破壊、恵みの喪失である。信心の泉と、あわれみの露と恵みの奔流を涸らせる熱風である』と聖ベルナルドは言う。それに反して、感謝は新たな恵み、新たな賜物を引き寄せる。感謝は人の心を無限に恵み深い天主の方へ傾ける。しかしそれは、天主のあらゆる恵みに行き渡る真実なまごころからの感謝でなければならない。『天主の賜物は、その大小を問わず、すべて感謝しなければならない。もっとも小さな恵みをも忘れてはならない』(同)。こういう真実は感謝は、自己の貧しさを知り、天主の絶え間ない助け無しには、自分は何ものでもないし、何もできないと深く確信している謙遜な人の心にのみ、生まれ育っていく。」(169ページ)

 すこし間があいてしまいましたが、今回「マニラの eそよ風」340号の続き『見よ、彼らがどれ程愛し合っているかを』を黙想しましょう。

 感謝の心は、夫婦の愛が増せば増すほど増加します。互いに感謝すればするほど、愛が増加していきます。感謝は新たな愛を産み、新たな愛はより大きな感謝を生み出していくからです。愛する人の口からは、自然と感謝の言葉が口をついて出てきます。恩を知らないこと、感謝を拒否すること、それは愛の拒否であり、傲慢の印に他ならないからです。

 天主様の祝福が兄弟姉妹の皆様に豊かにありますように!

 聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!
 聖ピオ十世、我等のために祈り給え!
 聖フランシスコ・ザベリオ、我らのために祈り給え!

 トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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カトリック家族とその敵について

----- これから婚姻の秘蹟によって
結ばれようとする兄弟姉妹に -----

(28)『見よ、彼らがどれ程愛し合っているかを』:

(I) 夫婦の愛の感情(その4)

9. 相互の深い感謝の気持ち

 愛し合う夫婦は、愛し合うということは、感謝し合うことであるということを、極めて早く見いだす(あたかも本能的であるかのように感じる)。感謝は、愛の本質的な感情の一つである。感謝は、愛と同時に成長し増加する。

 愛し合う夫婦は全て、このことを体験する。思い返してみることが彼らにある度に、夫婦は感謝し合う動機がますます多くなっていることを発見するだろう。

 婚姻の数日後、数週間後、夫婦はすでにお互いに「ありがとう」と言い合わなければならないとしたら、数ヶ月、数年、一緒に生活している間に互いがうけた数え切れないほどの奉仕にたいして、夫婦はどれほどおおくの感謝をし合わなければならないことだろうか! 少し考えただけでも充分である。

 一致し愛し合っている全ての家庭において、全く自然な実践は、こころからの「ありがとう」を言わない日が一日たりともあってはならないということである。

 夫婦が相互に受け与える奉仕は極めて多く、多様にわたっている。人によっては、相手から受けた奉仕のうち、あのことについてはとても敏感であるが別のことは気が付かないということがあってもそれは不思議ではない。その他の奉仕について忘れることなく、受けたある特別のデリカシー(繊細な心遣い)や奉仕、愛にたいしてより強い感謝を表明することは許されている。

 六児の母である女性は自分の夫にこう言った。「だから私はあなたにとくにありがとうって言うのです。それは私たちの六人の子供達のためです。何故なら、この子供達を産み、愛する幸せの恩を受けたのは、天主の次に、あなたのおかげだから・・・。」

 またある夫は16年の婚姻生活のあとで妻にこう言った。 「私がおまえに感謝をするのは、とくにおまえが私のためにしてくれた全てのためだ。何故なら、私がいまの私であるのはおまえのおかげだから・・・。」

 愛するとは受けた奉仕について感謝することであると理解した夫婦は、何と幸せなことか! 彼らは互いにありがとうと言わずに床につくことはないだろうし、主に感謝することなく眠ることもないだろうから!

(つづく)