第308号 2005/11/07
アヴェ・マリア!
兄弟姉妹の皆様、お久しぶりです。お元気ですか。
まず、改めて、先日のフェレー司教様来日のお恵みを天主に感謝します。そして信徒会長様、侍者の方々、兄弟姉妹の皆様のいろいろなご協力、お祈り、いろいろとどうもありがとうございました。
フェレー司教様の来日を機会に、多くの兄弟姉妹の皆様が聖伝のミサのお恵みを受けることが出来ました。天主に感謝! 聖母マリアに感謝!
日本の聖ピオ十世会にとって、フェレー司教様の来日は、歴史的な日として、幸福な記念と希望の光を私たちの心に残していきました。
聖母の汚れ無き御心、聖ヨゼフ、聖ピオ十世、天国の諸聖人に感謝します。
◎ 霊的花束のための多くの「霊的花々」ですが、大阪では時間の関係で、大阪の信徒会長様から直接フェレー司教様(とクチュール神父様)に渡され、総計を知らされていないのですが、フェレー司教様のために大阪だけで少なくとも9000連は軽くあったようです。
私の知らされた主として関東方面の信徒の方々からの霊的花束は、
ロザリオの祈り(連) 2950
射祷 1000
霊的聖体拝領 461
テレビを見ない日 385
小さな犠牲 260
司祭のための祈り 152
聖マリアの連祷 130
聖ヨゼフの連祷 112
聖血の連祷(回) 103
20分間の黙想 100
愛徳唱 100
イエズスの聖心の連祷 100
イエズスの聖名の連祷 100
信徳唱 100
望徳唱 100
家事のお手伝い 100
霊的読書(時間) 65
聖会の保護者なる聖ヨゼフに向かう祈り 53
聖母の七つの御悲しみのロザリオ(環) 37
聖母マリアの小聖務日課(日) 30
十字架の道行き 22
忍耐 8
ゴミ拾い 6
黙想の助けとして聖歌を歌う 6
聖伝のミサ 4
聖体訪問 1
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とのことでした。もちろんこれらの数には見えない多くの犠牲と祈りが多く含まれているのを私たちは知っています。兄弟姉妹の皆様の寛大な愛情あふれる祈りに感謝します。
◎ 今回の聖伝のミサで、今まで私たちと4年にわたって一緒だったフレデリックは、筑波大学での研究期間が終わり、スイスの大学で物理の研究を続けることになりました。フレデリック、模範的な規則正しさ、聖歌、オルガンの演奏、そしていつもの笑顔をありがとう。スイスに行っても、お元気で! 私たちもフレデリックのために続けてお祈り致します。フレデリックも日本の私たちのためにいつもお祈りをお願いいたします。天主の御旨が、さようなら!
◎ さて、韓国では10月の最終主日、王たるキリストの祝日に恒例の聖体行列をしました。また、韓国のチェ・ドミニコ君とチェ・フランシスコ君は王たるキリストの祝日に初聖体を受ける恵みを受けました。天主に感謝! 韓国のこの子供達のためにもお祈りをお願いいたします。
◎ このごろのニュースで、埼玉県北埼玉郡の特別養護老人ホームで、認知症で寝たきりの女性(88)が猫に右足の指を食いちぎられたとされる事件があったそうです。足を食いちぎられたこの女性は大変不幸なことだったと思います。
しかし、お母さんのお腹という最も赤ちゃんにとって安全な場所が、墓場と化すようなことをし、一年に何十万もの罪のない胎児が無惨に切り刻まれて亡くなっている、という報道されていない事実を思い出すと、この寝たきりの女性(88)が猫に右足の指を食いちぎられたとされる事件よりも、もっと大きく関心を抱くべきではないか、子供達を守るように動くべきではないか、と思います。法律は命を守るためにあるのであって、法を順守したがために人が死んだではそれは法の精神に反しているからです。
◎ これは一年ほど前のニュースですが、東京の石原知事『命がけで憲法破る』と言ったことがあったそうです。
東京都の石原慎太郎知事は昨年12月8日の都議会本会議で、東京で細菌テロが起きた場合、現行法では有効な感染拡大防止策が取れないとして「(現行法は)全部憲法にひっかかってくる。多くの生命を守るために憲法を無視してやる」と述べたそうです。反対意見については「私の場合は命がけでやるんだ。命がけで憲法を破るんだ。当たり前のことじゃないか」と答弁したそうです。
石原都知事の言いたいことは、次のことではないでしょうか。「法律は人間の命を守るためにある。人間の作った人定法は、ありとあらゆる全ての状況におけることを想定しきれるものではない。そのために人定法の文字道理に動いた場合、人間の命が奪われる場合などの、緊急時(非常時=必要の状態)には例外がある。細菌テロなど通常を超えた状況下においては、現行法を文字通り適応することによって、多くの人命が失われる恐れがある。多くの生命を守るために、憲法の文字は無視して人命を救うことこそ、本当の憲法の精神を遵守することである。私の場合は、緊急時のために命を守るためにやるんだ。命を守るためには、仕方がないが憲法の文字を破ることになってしまうんだ。しかしこれこそが本当の憲法遵守精神だ。当たり前のことじゃないか。」
このニュースは、私たちに今年11月29日に生誕百周年を迎えるルフェーブル大司教様のことを思い出させます。
カトリック教会法典の最高の法は、霊魂の救いです。カトリック教会法典の最高の遵法精神は、霊魂の救いのために全てを見ることです。霊魂の救いのためにこそ、カトリック教会法典は存在しているからです。そして第2バチカン公会議以後の信仰の喪失、正統信仰の混乱、異端の繁殖などのまっただ中、あえて立ち上がって私たちカトリック信者の救霊のために、自分の名声、役職、全てを犠牲にした男。最近、ラヴェンナ(イタリア)の司教様が、御聖体の祝日の時、多くの信徒たちの前でこう公然と宣言したそうです。
「いまでも私たちがミサをいけにえであると言うことが出来るのは、ルフェーブル大司教のおかげである。」
◎ では、愛する兄弟姉妹の皆様、そしてこれから婚姻の秘蹟によって結ばれようと準備をしている兄弟姉妹よ、すこし間があいてしまったのですが、私たちは、「カトリック家族とその敵について」の続きを黙想しましょう。
今回は(14)カトリック家族の敵: 貞潔に背く罪 をお届けします。ごゆっくりどうぞ。
聖母の汚れ無き御心よ、日本のために祈り給え!
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
カトリック家族とその敵について
----- これから婚姻の秘蹟によって
結ばれようとする兄弟姉妹に -----
(14)カトリック家族の敵: 貞潔に背く罪 (その1)
◆あなたたちの体は聖霊の生ける神殿である。
聖パウロは言う。「あなたたちの体は聖霊の生ける神殿である。」
教会を冒辱し聖別されたカリスやチボリウムを犯すのは忌まわしい罪である。しかしキリスト者が不潔の罪によって霊魂と体を汚すのは更に大きな罪である。
もしも天主のために建てられた物質的な神殿を汚すことが涜聖であり、天主のために使われる器を俗用に使うのが大きな罪であるなら、天主の生ける神殿である私たちの肉体を汚すのはどれ程大きな罪であろうか。
御聖体によって天主と親しく一致し、洗礼によって天主に聖別された霊魂と肉体を不潔の罪によって汚すのはどれ程恐るべき罪であるか!
◆天主の血潮が私たちの血管に流れている
洗礼を受けた私たちの尊厳を思い出してみよう。私たちの霊魂は創造の時天主の姿に従って創られ、洗礼を受けた時その似姿を受けた。不潔の罪は霊魂を、特に獣のように貶める。
「あなたたちの体は、キリスト者の体の肢体である」と聖パウロは言う。私たちの体は洗礼時にイエズス・キリストと親しく一致し、特に聖体拝領によって特に一致する。特に御聖体拝領の後、私たちはこう言うことができる。天主の血潮が私たちの血管に流れている、と。何という名誉であろうか!
人は自分の祖先を誇りに思う。自分たちは貴族の子孫である、英雄の子孫である、自分には天皇家の血が流れている、と。キリスト者の名誉とは何と気高いものであることか!何故なら、キリスト者の血管には王の王、天主の血潮が流れているのであるから!
しかしキリスト者が、その体と霊魂を、汚らわしい不潔の罪によって貶めたとするなら、何と恥ずべきことであるか! なんと恐るべき冒涜であるか! 不潔の罪を犯すことによって、キリスト者はイエズス・キリストを辱める。純潔の天主を、自分の罪のために使うことになるからだ。「あなたたちの体はキリストの肢体であることを知らないのか。それなのに、私はキリストの肢休をとって、娼婦の肢体にしてよかろうか?決してそうはしない!」(1コリント6:15) この不潔の罪については、聖パウロは、私たちキリスト者の間では口にもするな、と言った。その罪の名前を口にさえしてはいけないとすれば、それを犯すとはいったいどれ程のことか! 「思い誤るな。淫行する者も、偶像崇拝者も、姦通する者も、男娼も、男色する者も、泥棒も、食欲な人も、酒飲みも、讒言する人も、略奪する人も、天主の国を嗣がない。」(1コリント6:9)
◆不潔の罪ほどの罪は他にはない。
聖イシドロはこう言った。「どのような罪でも、挙げてみよ。不潔の罪ほどの罪は他にはない。」
聖イェロニモはこう言う。「肉に自分の体を征服させるがままにさせる罪よりも賤しく品位を貶める罪はない。」
古代の教会の教父らの伝記によると、或る隠遁者は天主の特別の恩寵によって天使と親しく話をすることが出来た。ある日、この隠遁士が道を行くと悪臭を放つ犬の死体と出くわした。天使はこの犬の悪臭に何の反応も見せなかった。道を行くと、次に最新の流行を追った服を着て香水を体に付けた若者と出会った。天使は彼を見てすぐに鼻を押さえた。隠遁士が理由を聞くと、この若者が不潔の罪に身を委ねているために耐えられない悪臭を放っているからだ、と答えた。
◆不潔の罪によって人は盲目となり、他のどのような罪よりも頻繁に犯すようになる
聖トマス・アクィナスはこう言う。「貞潔に反する罪ほど悪魔を喜ばせる罪はない」(神学大全2a 2ae, q. 73, a.3)。何故なら、貞潔に反する罪を犯すのを常習とする人は、それから抜け出すのが容易ではないから。何故なら、不潔の罪によって人は盲目となり、他のどのような罪よりも頻繁に犯すから、である。冒涜の言葉を吐く人は、怒りにまかせて或いは酔いに任せて冒涜する。殺人者は、一生のうちに殺人する数が限られている。しかし不潔なものは、数限りない不潔の罪を激流のように、思考と言葉と眼差しと手触りとその他多くをもって犯し続ける。不潔なものは、告解の時にその正確な数を思い出すことさえ出来ない。起きている時も眠っている時も、不潔な想像と映像に彼らは喜ぶ。こうして彼らは悪魔の奴隷と成り下がる。
聖トマス・アクィナスは言う。「肉欲の罪に身を沈める人よりも天主を冒辱する準備が出来ている人はない」と。その他の罪の場合、例えば冒涜、殺人、偽証などの場合、人はそれを頻繁に犯すというわけではない。しかし不潔の罪の場合、容易に習慣となりやすい。不潔の罪の結果、捨て子、堕胎、嬰児殺しなどの罪が犯される。純潔な心で祭壇の前で婚姻を挙げる夫婦は何と少ないことか! 何と多くの不潔の家、不潔な映画館、酒屋が都市ごとに数多くあることか!
街角で、料理店で、劇場で、テレビ、新聞、インターネットで、車と電車の中で、飛行機の中で最も頻繁な話題は何だろうか? 恥ずかしい悪徳と不潔の話ではないだろうか? 小説、雑誌、書店の最もよく知られた関心は、何だろうか? 官能的な愛の話と不潔の話ではないだろうか? どんなダンスが、一番人気があるのか? 猥褻な不潔なダンスではないだろうか? どんな写真が雑誌の中で一番人気があるのか? どんなポスターがよく貼られているのか? 慎みを欠くものではないだろうか?
◆不潔の罪は、その他の多くの罪の原因となる
人間が不潔の罪を犯すのを見て、悪魔が喜ぶ第2の理由は、不潔の罪がその他の多くの罪の原因となるからである。不潔な男は、或る意味で、偶像崇拝者である。つまり天主にのみ捧げるべき愛と名誉を被造物に与えている。
◇偶像崇拝
不潔な男は、自分の情欲という被造物に、自分の健康、名誉、天国の希望、天主ご自身さえも犠牲にしていとわない。彼は天主よりも被造物を愛する。これが偶像崇拝である。
◇偽証罪
不潔な男は、偽証罪を犯す。不潔の罪を犯すために、どれ程多くの青少年が嘘をつき、親を騙していることか! 虚栄を追う女性は、自分の夫に悪い人は自分の家に来ていませんと何度も何度も保証する。不潔な男は、不幸な犠牲者の女性に自分は決しておまえを裏切ったりしないと何度も約束する。しかし不潔な男の情欲が起こるとすぐに彼は自分の約束を破る。
◇涜聖
不潔は、涜聖へとつながっている。涜聖の告解をする人々はどのような人々であろうか? 自分の犯した罪を隠して告白し、そのまま涜聖の聖体拝領をするのはどのような人々であろうか? ほとんどの場合、不潔の罪を犯した人々である。彼らは自分の犯罪を告白するのが恥ずかしい。彼らは自分の恥ずべき考え、恥ずべき望みを告白しようとしない。たとえ告白しても全てを告白しない。何と多くの霊魂らが涜聖の告白で永遠に失われてしまったことか! 彼らは自分の心を誠実に開く勇気がなかった。聴罪師に誠実に全てを告げる勇気がなかった。
◇盗み
不潔は盗みにつながる。若い男は悪魔のすみかのような家で一夜を過ごすことが出来るように、盗む。若い女性は目と耳元と肌がもっと魅惑的であるようにお金を使いたいと思う。不道徳な女性と罪を犯す家庭の夫、或いは父親は、罪の女性のために金を使い果たし、家を滅ぼしてしまう。
或る妻は、そのような女性が夫にいることを知っている。ある男はそのような女を家に連れ込んでいる。しかし妻はさらなる悪を避けるためにその屈辱を忍耐強く堪え忍んでいる。ある日女中が目に涙を浮かべて女主人の所に来た。良い女主人は聞いた。「どうしたの? 何を泣いているの?」
女中 「あなたのご主人様が、あなたの手から家の鍵を受け取りに私を送りました。ご主人様は、私にこれからはこの若い女性がこの家の主人だと言いました。」
若い女主人は青ざめた。心臓が痛む。最後の侮辱に気が狂いそうになった。そして「新しい女主人」にすぐに家を出るように命じた。これを夫が聞くと、妻に言った。夫は、もし妻が愛人に謝らないなら、子供を連れて家をすぐに出て行けと言った。妻は夫に従うしかなかった。
◇残酷
不潔は人間を残酷にする。
オーストリアの首都ウィーンに若い寡婦が住んでいた。彼女には六歳になる一人の娘がいた。名前をレナと言った。(ヘレナという名前の愛称であろう。) 夫が死亡すると、若い寡婦は近所の男性の訪問を頻繁に受けるようになった。交際が頻繁になると、陰で二人の間は恥ずべき交際で終わるようになるだろうと噂されるようになった。寡婦はこのような交際を止めたいと思ったが、彼女は情欲に盲目になってしまっていた。
彼女はある日、男性に言った。このような交際ではなくきちんとした結婚をして名誉を回復してほしい、と。しかし男は答えた。「私は子供のいる女性とは結婚できません」と。女性は、男との交際を望むあまり恐ろしいことを思いついた。邪魔な子供を処理して男との結婚する計画を立てた。その家には深い地下室があった。ある日この不幸な女性は、自分の娘の手を取って暗い地下室へと降りていった。
「さあ、レナちゃん、お母さんが戻ってくるまでここにいなさいね。」
罪のない子供は、一人残され泣き始めた。しかし母親は急いで外に出て扉を閉めてしまった。二日が過ぎた。母親は、子供がもう死んだと思った。夜の間、女は地下室にそっと降りていってドアをそっと開けて確かめた。
「レナちゃん、そこにいる?」
すると子供の声が微かに聞こえてきた。
「あ、ママ! ママ! パンを頂戴。」
しかしこの母親は、子供の願いを聞き入れなかった。同情の心は彼女にはなかった。貞潔に反した心には同情がなかった。彼女は、むしろ犯罪が見つかるのを恐れた。子供がまだ死ななかったのを知って怒った。
彼女は子供が死ぬのを更に数日待った。母親が地下室に戻ってみると、ようやく子供は死んでいた! 彼女は自分の子の亡骸を自分の部屋に持ち運び葬式のために子供の服を着替えた。次の日、朝早くから隣人たちは彼女の周りに来て声を挙げて泣き悲しんだ。隣人らは、彼女の部屋に来ると母親が子供の傍らで泣いているのを見つけた。子供は冷たく鉛のような色をしていた。子供には花柄模様の入った白い服が着せられていた。誰も母親を疑わなかった。
翌日、子供は埋葬された。レナの同級生の子供達が行列を作って墓地まで来た。子供の入った棺桶は掘られた墓場に埋められようと下におろされた。司祭は周りにいた信者らと共に跪いて祈りを捧げた。皆は感動して涙を流していた。ただ母親の心だけが冷たいままだった。彼女はこれで自由となった! もうこれで自由にあの男と交際が出来る! これで全ては終わったかのようだった。ところが天主の正義が待っていた。
司祭が「天にまします」の祈りを唱えだした時だった。「我らの日用の糧を今日我らに与え給え」という言葉を祈る時、子供の泣き声が母親の耳元でこだました。「あ、ママ! ママ! パンを頂戴。」
その時、恐ろしさと良心の呵責が母親を捉えた。彼女は自覚を失って倒れてしまった。しばらく後、彼女は自覚を取り戻したが、正気を失っていた。気が狂ったような高笑いと共に彼女は周りにいた人々に自分のした犯罪を語り出した。
◇嫉妬、殺人、自殺
不潔は嫉妬、殺人、自殺につながる。
ジョージ・ボーマンは、ニューヨーク、ウィリアムスバークの或る公立校校長だった。彼はカトリック信者であり、やはりカトリック信者のアニー・マクナマラという女性と出会った。彼らはニューヨークのエリザベト・ストリートのと或る家で9ヶ月間の間密会を繰り返した。最後にはその密会の家でボーマンはアニーを撃ち殺し、自分も銃で自殺した。彼らの遺体は近くにあったベルビュー病院の慰霊室に移され、棺桶に入れられ、隣り合わせにおかれた。男の顔は恐るべき苦悩のうちに死んだことを示していた。
また別の次の実話がある。約4年前、カサリーン・レナンという器量の良い気高い少女はアイルランドのコークにあった家を出てアメリカに渡ってきた。アメリカでカサリーンは住み込み女中としての仕事を見つけた。彼女の最後の仕事場は、マサチューセッツ州のブルックリン郊外のロングウッドと言うところであった。
カサリーンは注意深く勤勉な女性だったので、彼女を雇った主人たちは彼女が非常に気に入った。彼女の近くには、アイルランド時代の知り合いがほとんどいなかった。アメリカに親戚が一人住んでいたが、極めて遠いところに住んでいた。カサリーンはアメリカで、自然に新しい知人や友人たちを作っていった。すぐに彼女は自分の働いている家から歩いて自分の友人の所にいって時を過ごしたり、アイルランドの同郷人が経営している酒屋に毎夕のように出向いたりした。そうこうするうちにその酒屋で幾人かの若い青年達と知り合いになった。10月24日火曜日の夜、カサリーンが酒屋に行く途中、彼女は極めて乱暴に犯され殺害された。今もって犯人は解明されていない。
◆不潔の罪は、つまずきの悪を引き起こす
人間が特に不潔の罪を犯すのを見て、悪魔が喜ぶ第3の理由は、この罪がつまずきの悪を引き起こすからである。
その他の罪は、冒涜であれ、偽証であれ、殺人であれ、それを目撃する人々を恐怖におののかせるだけである。しかし貞潔に背く罪は、他の人々がその罪を犯すように駆り立て引き寄せる。そうでなくともこの罪は、恐怖を抱かせずに容易に犯される。この悪を知らないことは、汚れないことの一部であり、徳を守る防御である。この悪を見たことのない人々は、それを見たいとも思わない。貞潔に反する罪が他人によって犯されるのを見内限り、人はこの罪について恐れを抱いている。しかし、人間は弱く、往々にして悪しき人々の中にいては、人は善徳を実践するのを照れくさい、恥ずかしいと思う。罪に染まった人々の中にいると、汚れていないことを恥ずかしいと思うようになる。残念なことに、どれ程多くの無辜の子供、青少年達が、不潔の最初のレッスンを、あるいは最初の貞潔に反する罪を、他の大人から学んだことだろうか! あの人、あのお兄さん、あのお姉さんと過ごした一時がなかったなら、あの手ほどきがなかったなら、今でもあの子はこの主の罪と関係なくとどまっただろうに! 同室の友達がちょっと年上であると、この危険は増大する。貞潔を損なった男の子や女の子は、安全な機会を見つけると、ほとんど必ず自分よりも年下の子供達を汚す。年端もいかない子供達は、自分よりも少し年上のませた子供らによって犠牲者となっていく。
◆不潔の罪は、つまずきの悪を引き起こす
人間が貞潔に反する罪を犯すのを見て、悪魔が喜ぶ第4の理由は、この罪が人間を盲目にし、この罪がどれほど天主を冒辱するか、また自分がどれ程みじめな状態に陥っているかを分からなくさせるからである。「ブタが泥の中を転げ回る」ように、不潔な人間は自分の汚らわしさの中にどっぷりとつかり込んでいる。そのために彼らには自分の行為の悪に気が付かないほどである。彼らには自分の放つ不潔の汚臭に気が付かない。周りにいる貞潔な人々には、この汚臭が耐えられないほどのものであるにもかかわらず。
この貞潔に反する罪によって、彼らは天主の光を失う。天主の光は全ての天主の子供達の心で燦然と輝き、天主の子らが天国へと通じる狭い道からそれて道を迷うことの内容に照らす。しかし、不潔の罪によってこの天主の光は突然消されてしまう。貞潔を損なった霊魂は暗やみに残される。彼らの罪は、その他のいかなる罪よりもまして、彼らを堕落させ、理解力を鈍らせ、愚鈍にさせる。彼らには目があるが、見ることはない。彼らには耳がついているが、聞くことはない。彼らは頭をもっているが理解することはない。
不貞な人間が光を奪われ、自分のする悪を理解できなくなると、どうして彼らが自分の行為を嫌悪し自分の生活を改めるようになるだろうか? 予言者は言う。自分の泥によって盲目とされた人々は、天主に立ち戻ることを考えることさえしなくなる、と。
「彼らの行いは、天主に立ち返ることをはばむ。淫行の心が彼らを動かし、主を知ろうとしないからだ。」(ホゼア5:4)
そうだ。この罪は、頻繁に犯されれば犯されるほど習慣となり、繰り返された罪によって、この習慣は霊魂の中にますます堅固に深く根付き、犯さなければならない必要となり、ついには本当に悪魔的な悪のレベルにまで達してしまう。
このレベルにまで罪が達してしまうと、彼はどのような人であれ、罪を犯すという頑固な妥協を知らない決断にとらわれる。そうなると、警告も脅迫も、罪の脅しも、報酬も何も彼を罪から逸らすことが出来なくなってしまう。濃い暗やみに取り囲まれ、天主と人とを嘲るこの人に対して、天主の光はこの心を照らすことが出来ない。彼の良心の傷は、かさぶたとなり、彼はもはや何の良心の呵責も感じることがない。彼は悪の深みに到達し、これ以上良くなることも、悪くなることすら出来ない。
貞潔に反する肉欲によって、悪魔は人間全体に勝利する。悪魔は人間の肉体と霊魂の両方を征服する。悪魔は、思考を不潔な考えで満たし、それに喜び同意するようにさせて、記憶を征服する。人間に貞潔に反する罪を犯す機会を望ませることによって、知性を征服する。悪魔は、人間に不潔を、自分の最終の目的、究極の善と望ませる(あたかも天主であるかのように!)ことによって、意志を征服する。
その時、地獄はこの人間を支配する。地獄はこの人間に住む。彼はもはや既に、永遠の地獄の火へと自らを定めた者、悪魔の手先、地獄の奴隷である。イエズス・キリストがイスカリオトのユダに対して言ったことは、この人間にたいして当てはまる。「あなたたちのうちの一人は悪魔である。彼にとって生まれてこなかった方がむしろ良かった。」
(つづく)