マニラのeそよ風

 トップ  >  「マニラのeそよ風」一覧

第306号 2005/10/18 福音史家聖ルカの祝日

聖ルカ

アヴェ・マリア!

 兄弟姉妹の皆様、お元気ですか。
 今回はフェレー司教様の来日の準備のために「友人と恩人の皆様への手紙 第68号 - 2005年9月 -」をお届け致します。
 ごゆっくりどうぞ!

 ロザリオの聖母よ、日本のために祈り給え!
 聖ヨゼフ、日本のために祈り給え!
 幼きイエズスの聖テレジア、我らのために祈り給え!
 聖ルカ、我らのために祈り給え!
 聖ピオ10世、我らのために祈り給え!

 天主様の祝福が豊かにありますように!

 トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


罫線


聖ピオ十世会総長の
友人と恩人の皆様への手紙 第 68号
-- 聖ミカエルの祝日にて、2005年9月29日 --

親愛なる友人と恩人の皆様、

 数週間後に、私たちの尊敬した創立者であるマルセル・ルフェーブル大司教様の生誕百周年を祝う大きな喜びを迎えます。

 この疲れ知ずの宣教師は、何と通常を遙かに超えた姿を示していることでしょうか! まずアフリカに福音をもたらすための宣教師、次にヨーロッパにおいて又全世界においてカトリック信仰が完璧に保存されるために働いた宣教師でした。

 私たちはここでルフェーブル大司教様のその素晴らしい偉大さ、ルフェーブル大司教の全生涯を貫いて大司教様を動かしていた深い聖徳を全て想起したいところです。しかし、8月の末に私たちが教皇ベネディクト16世と謁見したその文脈に置いて、私たちはルフェーブル大司教様の書いた次の文章を思い起こすことで満足したいと思います。このテキストは私たちの創立者の智恵と観点の深さのみならず、ルフェーブル大司教様を導いていた主導線(そして私たちもそれを全て自分たちのものとしている主導線)を良く照らし出しています。

 1966年、つまり第2バチカン公会議の一年後、ルフェーブル大司教様は検邪聖省長官、オッタヴィアーニ枢機卿が教会の状況について問うたいろいろな質問に次のように答えていました。


====引用開始====

 「・・・現代の悪は、私たちの信仰の真理の否定或いは疑問視よりももっと重大であるようだと私は敢えて言う。今日ではこの悪は、観念の極端な混乱により、また教会の諸制度、修道会、神学校、カトリック学校、とどのつまり教会の恒久的な支えであったものの風解によって示されている。しかしこれは最近数世紀の間教会を浸食している異端と誤謬の論理的継続に他ならない。特に19世紀の自由主義が教会と革命を引き起こしたイデオロギーとをいかなる代償を払っても和解させようと力を尽くしているが、それ以来の続きである。カトリック教会が健全な哲学と神学とにあらがうこれらのイデオロギーに反対していた間は、反対すればするほど教会は進歩していた。その反対にこれらの秩序を転覆させるイデオロギーと妥協しようとすると、その妥協は全て教会の特権を失わせ共通の権利に置いて画一化し、教会を世俗社会の奴隷となす危険を呼び起こした。

 カトリックのグループらがこれらの神話に引かれて流される度に、教皇たちは勇敢にも彼らを矯正し、照らし、もし必要ならば排斥した。カトリック自由主義はピオ9世によって排斥された。近代主義はレオ13世によって、シヨン主義は聖ピオ10世によって、共産主義はピオ11世によって、新近代主義はピオ12世によってそれぞれ排斥された。この素晴らしい警戒のおかげでカトリック教会は固められ、発展した。異教徒、プロテスタントらの回心は極めて多い。異端は完全に根こそぎにされ、諸国家はよりカトリック的な立法を受け入れた。

 しかしながら、これらの誤ったイデオロギーを満ちるまで受けた修道者のグループは、或る司教らの甘い態度と或るローマ聖省の黙認おかげで、カトリック・アクションや神学校においてこのイデオロギーを伝播することに成功した。しばらくすれば、これらの司祭らの中から将来の司教らが選ばれるだろう。

 ここでこそ、当時第2バチカン公会議を捉えなければならない。公会議はカトリック教会の中で長期にわたってこれらの誤謬をなくすために、準備委員会によって誤謬に対して真理を宣言する準備が出来ていた。そうしていたらプロテスタント主義の終焉であったし、教会にとって豊饒な新しい時代の始まりであった。

 ところが、この準備は極めて酷いやり方で放棄され、教会がかつて体験したこともないような最悪の悲劇に場所を譲った。私たちは教会とリベラルなイデオロギーとの結合を目の当たりにした。第2バチカン公会議は、誤謬を公に宣言していた人々、上記に言及された教皇たちによって排斥された傾向を持っていた人々をして、彼らの教えが今後は認められた教えであると合法的に信じさせることを許した、このことを勇気を持って断言しないことは、自明なことを否定することであり目をつぶることである。

[…]

 私たちは、ほぼ一般的に言って、第2バチカン公会議は教会の正真正銘の教導権によって、聖伝の宝に決定的に属するものとして教えられた真理の確実さを、改革した、土台から揺り動かしたと言うことが出来るし、不幸にしてそう言わなければならない。

 それは、司教らの裁治権の伝達についてそうであるし、啓示の二重の源泉について、聖書における聖霊の息吹(霊感)、義化のための聖寵の必要性、カトリック洗礼の必要性、異端者、離教者、異教徒に於ける聖寵の命、婚姻の諸目的、信教の自由、終末について、等々がそうである。これらの基礎的な点に関して、聖伝の教えは明らかで、カトリック大学などで一致して教え続けられてきた。ところが第2バチカン公会議の多くの文献ではこれらの真理に関してそれを疑うことを許している。

 その結果は、早くもカトリック教会の生活の中で導き出され、適応された。

--- 教会、秘蹟の必要性に関する疑いは、司祭召命をなくさせた。

--- 全ての霊魂が「回心」する必要性があること、またその「回心」の本性にかんする疑いは、修道生活への召命をなくさせ、修練期間における聖伝に従う霊性を崩壊させ、宣教を無用なものとさせた。

--- 人間の尊厳の高揚と良心の自律、自由の高揚によって、権威の正当性に関する疑いと従順の義務に関する疑いが引き起こされ、教会から始まって修道会、司教区、世俗社会、家庭といった全ての社会を揺るがしている。

 傲慢はその結果、当然のこととなり、また目の欲、生活のおごりもそうである。現代、どれ程まで道徳的廃退がカトリック出版物のほとんどに行き渡ってしまったかを見るのは、最も恐るべき状況確認の一つであるかもしれない。カトリック出版物において何らの慎みもなく、性について語り、あらゆる手段を使って産児制限すること、離婚の正当性、男女共学、男女交際、キリスト教教育の必要手段としてのダンス、司祭の独身制などについて話す。

 --- 救われるために聖寵が必要であることへの疑いは、洗礼を過小評価させ、洗礼を延ばし延ばしにし、悔悛の秘蹟をうち捨てさせている。これは他でもなく信徒らの態度ではなく、特に司祭らの態度のことである。御聖体に於ける現存についても同じである。あたかも現存を信じていないように行動するのは司祭らである。御聖体を隠したり、御聖体に対する尊敬の印を全て省略し、御聖体の名誉のための儀式を全くしないことによってである。

 --- エキュメニズムと信教の自由の宣言に由来する、救いの唯一の源泉としての教会の必要性に関する疑い、唯一の真の宗教としてのカトリック教会への疑いは、教会の教導権の権威を崩壊させた。実にローマはもはや唯一必要な " Magistra Veritatis (真理の教師) "ではない。

 従って、事実によって追いつめられ、第2バチカン公会議は考えることも出来ないようなやり方でリベラルな誤謬を伝播することを促したと結論付けなければならない。全ての教皇たちがかつて予言していた通り、信仰、道徳、教会の規律はその基礎から揺るがされた。 教会の崩壊は速い足取りで進んでいる。司教評議会に与えられた過大な権威によって、教皇は無力となった。(第2バチカン公会議後の)たった一年だけでも、何と多くの悲しい例を見たことであろうか! しかしペトロの後継者は、そして彼だけが、教会を救うことが出来る。」

====引用終了====

 以下は、ルフェーブル大司教が強く進めた解決策です。

====引用開始====

 「教皇様が、信仰の力強い擁護者たちによって取り囲まれるように。教皇様が重要な諸教区に信仰の擁護者を任命するように。教皇様は、反対を恐れず、離教を恐れず、第2バチカン公会議の司牧的配慮を問題視することを恐れず、重要な文書によって、真理を宣言し誤謬を訴追してくださるように。

 教皇様が、司教様らが、良き牧者に相応しいように、信仰と道徳を個人的に、そしてそれぞれの司教区において立て直すように彼らを勇気づけて下さるように。勇敢な司教らを支え、彼らをしてその神学校を改革するように、神学校において聖トマス・アクィナスに従った勉強を復興させるようにさせるように。修道会の総長を励まし、修練院と修道院とにおいてキリスト教修業の基本原理、特に従順を維持させるように励まして下さるように。カトリック学校、健全な教えの出版事業、キリスト教家庭からなる会の発展を励まして下さるように。最後に、誤謬を述べる者たちを叱責し彼らを黙らせて下さるように。毎週水曜日の訓話は、回勅や教書、司教らへの書簡の代わりにはなりえない。

 おそらく私はこのように発言し、無謀であるかもしれない! しかし私がこの文章を書いたのは、熱烈な愛による。天主の栄光を求める愛、イエズスへの愛、聖母マリアへの愛、主の教会への愛、ペトロの後継者でありローマの司教かつイエズス・キリストの代理者への愛によるものである。[...] 」

====引用終了====


 ここに全てが言われています。そして今日でもその歴史的文脈において捉えられた第2バチカン公会議の論理的結果について、当時予告されていた改革について、さらには教会を打った危機の深さに至るまでのこの素晴らしい分析に何も付け加えるべきことがないし、取り除くべきこともありません。教会は、第2バチカン公会議の原理の虜となってしまい、その原理でもって公会議と教皇たちは教会を鎖で縛ってしまったので、まだその危機から抜け出せないでいます。

 私たちは、聖ピオ十世会がローマに投げかけている問題に対する解決は、教会をおそう危機への解決と緊密に結びついていると率直に思います。教会当局がもう一度改めて、教会の過去とその聖伝とを好意的に希望を持って見直すその日、当局は第2バチカン公会議によって引き起こされた断絶を乗り越え、20世紀もの間教会を立て続けてきた永遠の原理と和解することが出来るでしょう。当局はそこから力を汲み、そこに危機に対する解決を見いだすでしょう。その時、もはや聖ピオ十世会の「問題」は無くなっていることでしょう・・・。

 私たちが聖座と話し合いをする理由がこれです。ここにこそ根元の問題があります。新しいミサや第2バチカン公会議は、教会という船を打った巨大な氷山の一角に過ぎません。第2バチカン公会議の精神は、自由主義、プロテスタント主義、さらには天主に対する反抗から由来するものです。そして天主に対する反抗は、人類史を時の終わりまで記しています。氷山によって傷つけられるままにさせるような(ローマとの)合意にはいったいどのような意味があるでしょうか?

 皆さんの寛大な祈りと犠牲に私たちは心から感謝します。これらは全て私たちにとてってとても貴重なものです。私たちがローマを訪問した時、そして私たちの全ての司牧活動において、私たちはこれらの祈りと犠牲とに寄りかかっています。そのお返しとして、神学生らが、祭壇の足下において私たち司祭らが、皆さんの絶え間ない寛大さに感謝して、皆さんのための祈りをしているという保証をお受け下さい。

願わくは私たちの主のいけにえが皆さんの毎日の支えとなりますように! 聖母の汚れ無き御心が皆さんと皆さんの家庭を保護する避難所となりますように。私の全ての感謝の念を込めて、私は皆さんを祝福します。

+ベルナール・フェレー

外国語サイト リンク  Lettres aux amis et bienfaiteurs n° 68
外国語サイト リンク  Letter to friends and benefactors n° 68
外国語サイト リンク  Superior general Letter # 68 to Friends and Benefactors


==============

 それから、フェレー司教様に捧げる霊的花束を集計中ですので、祈りと犠牲の花束をお知らせ下さい。お早めにご連絡下されば幸いに思います。感謝します! 

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)