第305号 2005/10/13 証聖者聖エドワルドの祝日 アヴェ・マリア! 兄弟姉妹の皆様、お元気ですか。 フェレー司教様に捧げる霊的花束を集計中ですので、祈りと犠牲の花束をお知らせ下さい。お早めにご連絡下されば幸いに思います。
ただ今、 などの「霊的花々」の他にも、その他の兄弟姉妹の方々によって
聖母マリアの小聖務日課 なども捧げられています。ぜひ、寛大なご参加をお願いいたします。 また次のような質問も受けました。
【質問】
【答え】 さて、今回はフェレー司教様の来日の準備のためにフェレー司教様のインタビュー「教会の中で聖伝の地位を認めさせる義務」をお届けします。これは、一ヶ月ほど前になされたものです。ごゆっくりどうぞ!
ロザリオの聖母よ、日本のために祈り給え! 天主様の祝福が豊かにありますように! トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) 教会の中で聖伝の地位を認めさせる義務聖ピオ十世会総長のベルナール・フレー司教とのインタビューより Le devoir de faire reconnaître la place de la Tradition dans l'EgliseDICI : 司教様、あなたは教皇ベネディクト16世に謁見を申請し、それが去る8月29日になされました。この行動の意味は何ですか? フェレー司教:私たちは教皇様と面会することを望みました。何故なら私たちはカトリックですし、またカトリックとして当然あるように、私たちはローマに結びついているからです。この謁見を申請して私たちはカトリックであるということを示そうとしました。ただそれだけです。 私たちが教皇様を教皇と認識していることは聖ピオ十世会の全ての司祭らがミサ聖祭の典文に置いて教皇様の名前を唱えることに限定されていません。私たちが、ローマ・カトリックとして教皇様に敬意を払うのは当然のことです。カトリックとは普遍的ということです。教会という神秘体は、私たちのいろいろな聖堂だけのことではありません。 また同時に私たちとしては、もう一度教皇様に聖伝が存在していることを思い出してもらおうという思いもあります。つまり聖伝とは教会であり、私たちは教会の聖伝を大変生き生きとしたやり方で体現しているということを思い出してもらうという配慮です。現代世界においてもしも教会が聖伝を維持するなら、教会はもっと力強くなることだろうということを示そうと望んでいます。ですから私たちは、聖伝の証をすることを願っています。もしも教会が現在その中にいる悲劇的な危機から脱出することを願うなら、聖伝こそがその答えであり、この危機に対する唯一の回答であるという証です。 DICI : この謁見はどのようになされましたか? フェレー司教 : 謁見は、カステルガンドルフォにある教皇様の避暑の別荘でありました。11時半の予定でしたが、実際には12時10分に教皇様の執務室でなされました。教皇様は通常、司教一人に15分ほどの謁見をなさいます。私たちの場合、35分続きました。バチカンの専門家らによると、このことはベネディクト16世がこの問題にたいして関心を抱いていることを見せようと望んだことを意味します。 私たちは4名でした。教皇様とカストゥリヨン・ホヨス枢機卿、シュミットバーガー神父と私です。会話はフランス語でなされました。これはドイツ語でなされるだろうという予告をした情報筋の通りではありませんでした。会話は好意的な雰囲気の中で教皇様が主導しました。私たちが謁見の少し前に教皇様にお渡ししておいた資料に、教皇様ご自身がお答えとして3つの困難な点を述べました。ベネディクト16世は、このことについて既に知っていたので、この資料の中で述べられた諸点にもう一度、言及する必要はありませんでした。 私たちはその資料の中で、ヨハネ・パウロ2世の「沈黙の背教」という言葉、ラッツィンガー枢機卿の「全ての所から水が入っている船」と「相対主義の専制」という言葉を引用しながら教会の現状を描写をし、様々なところでなされた、躓きを与えるようなミサのいろいろな写真を参考資料に付けました。 私たちは数字といろいろな達成記録などで聖ピオ十世会の紹介もしました。私たちは現代世界で聖ピオ十世会がなしている活動とその地にいる地方司教たちの信じられないような態度の2つの例を挙げました。一つは、アルゼンチンで避妊薬の販売が禁止になるように私たちが裁判で勝訴したこと、そしてそのために私たちはコルドバの司教館からテロリストと呼ばれたこと。もう一つは、スイスのルツェルヌで行われたゲイ・パレードを告発したこと。しかしこのパレードは締めくくりとしてカトリック教会の中でプロテスタントのサービス(祈りの儀式)がなされ、それに対しカトリック司教は全くの無関心を示したこと、です。 最後に私たちはいくつかのお願いをしました。聖伝に対して敵対する雰囲気を変えること、第2バチカン公会議後の教会内部で、聖伝のカトリック生活 --- これ以外にどんなカトリック生活があり得るでしょうか? --- を送ることをほとんど不可能にしているこの雰囲気を変えること、聖伝のミサに全くの自由を与え、いわゆる「破門」を埋葬し「離教」というラベル張りを黙らせること、聖伝を守っている諸修道会のために教会の一制度を作ること。 DICI : ベネディクト16世が述べた困難な点とは何か知ることが出来るのでしょうか? フェレー司教:私は教皇様がそれを述べたと言及することが出来るだけです。最初、教皇様は教皇様を実効的に認めることを強調し、この承認をルフェーブル大司教が司教聖別のために言及した、そして私たちのその後の活動のために言及された必要の状況と結びつけました。 次に、ベネディクト16世はカトリック教会の中にいるには一つのやり方しかないと明確に言いました。それは聖伝の光において解釈された第2バチカン公会議の精神を持つことであり、つまり公会議の教父達の意向においてそして公会議文書の文字に従ってのことである、と言われました。これは私たちを十分に恐れさせる見地です・・・。 最後に、教皇様は私たちのために、私たちが受け入れるべき第2バチカン公会議の精神から私たちを保護することなしに、天主の典礼様式と外的な宗教実践に相応しい構造が必要だろうと考えています。 DICI : 教皇謁見の後に出されたバチカンの報道発表には「段階と合理的な時間をかけて進める意志」があるとありますが、この表現は何を意味しているのでしょうか? フェレー司教:教皇様は諸問題について話そうと望みませんでした。ただ単にそれらの概略を示しただけです。ところで最初の段階では、聖伝のミサが持っている市民権の要求に応えなければならないでしょう。その次には公会議の諸誤謬について議論しなければなりません。何故なら私たちはそこにこそ現代の諸悪の原因を、つまり直接の原因をそして一部間接的原因を見ているからです。 もちろん、私たちは一歩一歩行くつもりです。第2バチカン公会議についてローマによってなされたのとは別の照らしをしなければならなりません。誤謬を告発しつつ、彼らの論理と現代の教会に起こっている悲惨な状況を示す必要があります。しかしならが議論の断絶を引き起こさせるような激怒を挑発しないようにします。そのために私たちは段階的に進める義務があります。 合理的な時間をかけて進めるとは、ローマではエクレジア・デイ委員会に属している諸修道会のために文書が準備されていると言われています。このようなことは以前は無かったことで、まだ発表されていません。私たちは「待って、見てみよう!」と言います。教皇様はこの状況を速やかに解決する意志を持っているのは明らかです。 正確を期するために、私は次のことを付け加えたいと思います。教皇様がおかれている状況をよく考慮しなければなりません。教皇様は進歩主義者らと私たちの間で動けなくなっています。私たちだけの要求によって聖伝のミサを解放するなら、近代主義者らは「教皇は聖伝主義者らに譲歩した」と言われるでしょう。私たちはリシャール司教(Mgr Richard)から次のことを知らされました。2000年にリシャール司教、リュスティジェ枢機卿、そしてリヨンの大司教とが急いでローマに駆けつけ聖ピオ十世会のためになされた前進が差し押さえられるように反乱が起こるだろうと教皇様を脅迫したことです。私たちはまたドイツの司教らが今年8月のケルン国際青年の日に同じ脅迫をしたと言うことも知っています。彼らは教皇様に対して「彼らか私たちかのどちらかだ」と言いました。これは何を意味していたかというと「もし彼ら(=聖ピオ十世会)を承認するなら、私たちは教会から出て行って離教する」という意味です。 その脅迫はあまりにも強く、教皇様は謁見の間、例えば今年の秋に聖伝のミサが解放されるという保証を口先だけでも私たちに与えることが出来ませんでした。教皇様がこの方向で聖ピオ十世会に対してする約束は全て、進歩主義者らのかける圧力に必ず教皇様をさらすことになるからです。もしそうなら、私たちは分裂・離教の心づもりが出来ている大多数の司教に反対する一人の教皇様の意見を受け取ることになります。それは現在の教会の瓦解壊滅状況において、たとえ何らかの復興の意志があったとしても、期待することは出来ません。私としては、聖伝のミサの制限付きの解放だけがひょっとしたら与えられるかもしれないと思っています。 DICI : マスメディアは聖ピオ十世会内部の分裂があると騒ぎ立てていますが、実際のところはどうなのでしょうか? フェレー司教:教皇様がこの謁見を許可したというニュースはマスメディアに全くの喧噪を引き起こしました。マスコミはかなり騒ぎ立て、4名の司教らの間に分裂があると示そうとしました。ジャーナリストらは、進歩主義者らが教皇様に対してなした脅迫を喧伝しました。「聖伝のミサを解放すること、それはパウロ6世と典礼改革が間違っていたと告白することである」と。 しかし、私は聖ピオ十世会の内部では、4名の司教たちはローマとの関係について全く同じ考えを持っていること、そしてその名前が挙げられたウィリアムソン司教は『教皇聖座空位論者』ではないと断言できます。マスメディアはそのことを少しも恐れる必要がありません。彼らにとっては残念なことに、それは主題にもなりません! DICI : フェレー司教様、今、司教様は何を希望しますか? フェレー司教:ローマの幾人かの枢機卿たちは聖伝が認められるとの希望があります。私たちも同様に希望します。私たちは特に聖伝のミサの完全な解放を希望します。ただしこれは明日に起こることはまずないでしょう。そこで私たちには、聖伝について人々がしている間違った解釈を避けさせるようにしながら、カトリック教会内で聖伝の地位を認めさせる義務があります。 私たちは第2バチカン公会議とエキュメニズムに関して、現在な実践されているような解釈に、厳格な制限無しに受け入れることは出来ないということをローマ当局に認めさせなければなりません。私たちが希望すること、それは根本的には、いつの日か、聖伝の存在理由を理解させることです。 (2005年9月17日)
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