マニラのeそよ風

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第303号 2005/09/28 殉教者聖ウィンセスラオの祝日

聖ウィンセスラオ

アヴェ・マリア!

 兄弟姉妹の皆様、お元気ですか。

 天主に感謝! ただその一言に尽きます。

 天主に感謝! 天主から受けた御恵みにどうやってお礼をしたらよいのでしょうか。

 8月には私は日本に行けなかったので、2ヶ月ぶりに兄弟姉妹の皆様とお会いしてどれほど嬉しかったか!

 また、兄弟姉妹の皆様からの、多くの励ましのお言葉、激励の言葉、お祈り、ご質問、メールなどに心から感謝致します。いつも東京、あるいは大阪で聖ピオ十世会の聖伝のミサに与る兄弟姉妹の皆様に、様々な事情によって聖伝のミサに与りたくとも与ることが出来ないでいる極めて多くの兄弟姉妹の皆様に挨拶を申し上げます。

 さて今年2005年は、私たちにとって大きなお恵みの年でありました。2月にはシンガポールの修道院長である、イタリア人のパッリャラーニ神父様が来日し私たちのために聖伝のミサを立てて下さいました。7月には豪州からドイツ人のベッヒャー神父様、8月にはアジア管区長のカナダ人クチュール神父様の来日の恵みを得ました。なお、7月には私、トマス小野田神父はアメリカのカルメル会女子修道会を訪問し、カルメル会のシスターたちは私たちのために祈りを約束されました。

 そして来月10月は、私たち日本人のための天からのプレゼントとして聖ピオ十世会の総長であるフレー司教様が日本を訪問されることになりました。

 フレー司教様は、ご自分のお望みで今回日本を訪問されるたいことをクチュール神父様にお伝えになり、訪問の日時も私たちの都合に合わせて下さいました。フレー司教様の初めての来日に私たちは心より感謝し、誠心込めて歓迎申し上げます。私たちの思ってもいなかったこのお恵みに、感謝します。

 この特別な司教様のご訪問を歓迎するために、先日の聖伝のミサの時に既に申し上げましたが、私たちは霊的花束をお捧げすることを提案します。

 また私たちは、このように極めて貴重でまれな機会において、特に今まで聖伝のミサに与りたかったけれども与られたことのないような兄弟姉妹の皆様をご招待申し上げます。

 霊的花束は、兄弟姉妹の皆様が「フレー司教のご意向のため」あるいは「聖ピオ十世会のため」という意向でお祈りを捧げ(あるいは今からその数のお祈りをすると言う約束をして)、その数を私(小野田神父)に メール で、あるいは東京の信徒会長様に、または大阪の信徒会長様にお知らせ下さい。それらを集計して10月23日の主日、講話会の後に、フレー司教にお渡ししたいと考えています。

 霊的花束の「花」の中身としては、例えば次のようなものがあります。(これらはほんの一例です。)

 ロザリオの祈り  ~連
 十字架の道行き  ~回
 霊的聖体拝領   ~回
 司祭のための祈り ~回
 20分間の黙想   ~回
 霊的読書     ~分
 小さな犠牲    ~回
(例えばコーヒーの犠牲、おやつの犠牲、つらいことを喜んで耐える、など)
 テレビを見ない日 ~日
 家事のお手伝い  ~回
 宿題をきちんとする    ~回
 授業中におしゃべりしない ~日
 などなど

 では兄弟姉妹の皆様、どうぞ寛大な多くのお祈りをお願いいたします!


 今回はフレー司教の来日の準備の意味もかねて、フレー司教のインタビューの抜粋をお送りします。ご参考までにどうぞ。ベネディクト16世教皇との謁見の内容、その他詳しいことはフレー司教様が来日された時、司教様ご自身からお伺いすることにいたしましょう。

 聖母の汚れ無き御心よ、日本のために祈り給え!
 聖ヨゼフ、日本のために祈り給え!
 大天使聖ミカエル、我らのために祈り給え!
 聖ピオ10世、我らのために祈り給え!

 天主様の祝福が豊かにありますように!


トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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「天主はお変わりにならないから」
《 Parce que Dieu ne change pas 》

聖ピオ十世会総長のベルナール・フレー司教とのインタビュー
(2005年7月16日)より抜粋
--トマス小野田神父(聖ピオ十世会司祭)翻訳--


DICI : 教皇選出選挙後、3ヶ月経ちましたが、この希望のほのかな光はますます明るくなりましたか、それとも消えてしまいましたか?

フレー司教: それについて隠すべきではありません。はっきり言わなければなりません。教皇様の登位のその最初からこのほのかな光を消す恐れのある問題があります。つまりベネディクト16世が第2バチカン公会議に固執していることです。第2バチカン公会議は、自分の業績ですし、自分の子供だからです。ベネディクト16世は、将来メディナ枢機卿とよばれるころになる神学者とともに、第2バチカン公会議に最年少の神学顧問として参加しました。

 1985年、ラッツィンガー枢機卿は第2バチカン公会議についてこう認識しました。ラッツィンガー枢機卿によれば、第2バチカン公会議を間違った理解が悪い結果を生んでいるのです。私たちによれば、私たちの第2バチカン公会議に関する考えは、第2バチカン公会議それ自体の中に、誤謬や曖昧さがあり、それが更に悪い誤りへと導いている、第2バチカン公会議の中にはカトリック的ではない精神がある、ということです。

 そこでローマは、私たちにも「飲み込むことが出来る」言い回しを考え出そうと試みました。それは「第2バチカン公会議を聖伝の光に照らして見る」ということでした。しかしいったいどんな聖伝なのでしょうか? 1988年、ルフェーブル大司教は聖伝に関する不十分な概念、「過去」に固執した概念を持っているということで、非難を受けました。ローマによれば聖伝とは「今日作られる」ものです。この言い方は、これ以上曖昧にすることが出来ないほど曖昧です。

 しかし伝統的な格言に全てはうまくまとまって表現されています。つまり nihil novi, nisi quod traditum est 「伝えられたこと以外は、いかなる新しいことがあってはならない」です。

 ミサについても同じことが言えます。ローマは私たちに「もしも私たちの主イエズス・キリストのいけにえを執行するという意向を持って立てられるなら、新しいミサは有効である」ということを受け入れるようにと提案します。しかし新しいミサで一番問題になるのは、有効であるか否かということではありません。そうではなく、それがたとえ有効であったとしても、新しいミサは毒である、信仰に反する毒であるということです。つまり、新しいミサはミサの本質を省略しているがために、ミサが罪の償いのためのいけにえであることを省略し、御聖体における私たちの主イエズス・キリストの真の現存と司祭の特別な役割を省略しているがために、信仰に反する毒となっていることが問題なのです。

 そのためミサは、本来なら信仰を養うはずなのに、新しいミサはもはや信仰を養っていません。新しいミサは特に、省略と欠如のために、誤謬とプロテスタントの異端へと導いています。不幸にして、現在、あまりにも明白になっていきている様々な信仰の問題が山積みしているにもかかわらず、ローマ第2バチカン公会議と公会議後の改革を取り除こうとはしません。

 とりわけ、ベネディクト16世が教皇に登位してから、教皇様には一つの考え --- この考えがベネディクト16世の教皇職の中心概念になるだろうとおもわれる考え ---- しかないと思われます。それは正教との再一致です。これは「エキュメニズム」ということに収斂できるでしょう。確かに。しかし「分かれた兄弟たち」との一致の概念は、「吸収でも融合でもない」のです。ではローマ当局によれば一致の概念とは何でしょうか? キリスト者一致のための教皇庁立委員会委員長のカスパール枢機卿は言います。「それは諸教会の複合体ではないだろう」と。「吸収融合」と「複合体」とは互いに矛盾する概念ですから、これらの二つは同時には成立することは不可能です。

 ヨハネ・パウロ2世教皇様は全てのキリスト者らは同じ信仰を持っていると言っていました。そしてカスパール枢機卿は「同じ信仰を持つためには、同じ使徒信経を持つ必要はない」と断言します。ピラトの有名なキリストに対する質問「真理とは何か?」がもはや問われてはいません。「みんな美しい、みんな優しい」と言い合って生きています。現代人は、真理とか善とかについて頭を使うことなく生活しています。

ベネディクト16世は、カスパール枢機卿のような枢機卿らのまっただ中にいます。ベネディクト16世に何が出来るでしょうか? ベネディクト16世はいったい何をしたいのでしょうか? サンフランシスコの大司教であるレバダ大司教を教義聖省長官に任命したことは、将来の混乱を不吉に予告しています。

DICI : それにもかかわらず司教様、あなたは希望のほのかな光を保つのですか?

フレー司教: ラッツィンガー枢機卿の教皇職登位以前には、教会は何の支えもなく真っ逆さまに墜落していたということができるなら、ベネディクト16世はパラシュートを開くでしょう。そして何らかのブレーキがかかることでしょう。このブレーキが良く効くか効かないかはパラシュートの大きさによるでしょう。ただし落下し続けると言うことは同じです。ブレーキ以上のことを期待すべきでしょうか? 私たちの主イエズス・キリストの御約束はいつでも有効です。天主様は、ご自分の教会をお望みのままに発展させるために何でもお使いになります。

 ここで私の個人的な意見を言うのを許して下さい。もしベネディクト16世が、危機の状態において進歩主義者らの極めて暴力的な反動に直面し、あるいは政治的危機、迫害を前にして、瀬戸際に追いつめられ決断に迫られるなら、私は今までラッツィンガー枢機卿がどのように行動し反応したかをよく見てみると、その時には良い選択をするだろうと思います。

 いくつかの事実を挙げてみます。

- 1977年、ミュンヘン教区の司教として任命されたとき、その時まで彼は神学の教授に過ぎませんでした。彼は(学問の抽象世界を離れて)具体的な世界に入り、ミュンヘンの大学の神学を教えていた自分の同僚の一人に、教えることを禁止しなければならなくなりました。そのために自分の古き同僚や友人たちの反目を食らいました。

- 1983年、フランスで彼は公教要理とは、ローマ公教要理であること、つまりトリエント公会議の公教要理であることを繰り返しました。そこで彼はフランスの司教らの怒りを買いました。

- ラッツィンガー枢機卿は1986年のアシジの諸宗教の集いに反対して行かなかったことはよく知られています。2002年の2回目には、いつもながら反対していたのですが、どうしても行かざるを得なくなりました。そこで特にアシジについて、教皇との意見の不一致のため、ラッツィンガー枢機卿は信仰教義聖省長官の辞表を数回提出しました。

- 1989年のケルン憲章は、ローマの教導職に反対して500名が署名しました。ケルン憲章は当時のカトリック知性人の大多数を集めていました。彼らはオープンにローマと教導権に反対を明らかにしました。ラッツィンガー枢機卿はそこで新しい神学について論文を書きました。その極めて繊細で現実的な描写において、ラッツィンガー枢機卿はその重大さの広がりを示して見せました。不幸なことに、そこで提示された対処法は診断のほとんど及ばずほとんど意味がありませんでした。

 今、ラッツィンガー枢機卿は教皇となり、状況の重大さを前にして、ローマが昔の聖伝のミサを捨てようとしない人びと全てに眼差しを注ぐことが期待され得ます。2つの線が引かれます。一つは聖ピオ十世会を支持する線、もう一つは「エクレジア・デイ」を強化し聖ピオ十世会にウインクを送ることを考える線です。どうやらこの後者の線が今勝っているようです。2つのレベルでの行動があることでしょう。聖伝のミサを望む人びとを支持するより大きい重量が与えられるでしょう。同時にエクレジア・デイの諸グループの次元で強化があるでしょう。今までは結局は全ては聖ピオ十世会と聖伝の利益になったということを観察してきました。全てを考慮すると、天主様は聖ペトロ会を、聖ピオ十世会へ行くためのトランポリンとしてお使いのようです。この意味において、聖伝のミサに対するより好意的な開きは全て喜ばしいことです。

DICI : もしも教皇様と謁見が出来たら、教皇様に何をお求めになりますか?

フレー司教: 私は教皇様に、全ての人々のために全世界で聖伝のミサの自由を求めます。私たちの個人的な状況において、司教聖別のために言われた「破門」が誤りであったということをも意味します。これは、私たちが今後教義に関する話し合いをするときに切り離すことの出来ない、前提となるものです。全ては聖伝のミサの問題に限らないということをよく知っています。しかし、具体的なところから始めなければなりません。最初のことから始めなければなりません。これは進歩主義システムを壊す極めて深い効果的な突破口になるでしょう。これは徐々に、教会の中に、雰囲気と精神の変化をもたらすでしょう。

 ローマにいるある聖省の長官は、2000年の聖年の時に私たちの巡礼行列を見てこう叫びました。「やっぱり、彼らはカトリックだ。私たちは彼らのために何かしてやらなければならない」と。まだ教会にはカトリック信仰を保つ司教や枢機卿たちがいます。しかし悪はあまりにも力が強く、ローマはその悪を切り取る手術のメスを勇気を持って取ろうとしなくなってしまっています。

 教会は十字架につけられた私たちの主イエズス・キリストと同じ状態になるであろうと言うことを私たちはよく知っています。私はファチマの第3の秘密が教会の見かけ上の死に関することではないか、と自問しています。私たちが今生きているこの時代は、前代未聞の状況です。しかしよき天主様の聖寵は、まだ力強く働いています。私たちはキリスト者として生きることが出来ます。私たちは、カトリックの宗教はまだ存在していることを示すことが出来ます。そしてその信仰を生きることが出来ることを示すことが。この活ける聖伝の模範が、ローマと私たちとの関係において重要となります。

 何故なら、エコンはローマに反対していないからです。反対しているなどと言うのはマスコミです。私たちはベネディクト16世教皇様と、教会の劇的な状況についての認識を持っています。召命の失墜を見ながらこの認識においてどうして一致しないわけがあるでしょうか? 昨年、アイルランドの首都ダブリンでは、新入学神学生が一人もありませんでした! イエズス会では、1,2年前、全世界中のイエズス会において7名しか誓願を立てた人はいません! しかしローマは皆が認識しているこの結果の原因までさかのぼって見ようとはしません。何故ならそれは第2バチカン公会議を疑ってかかることを意味するからです。勿論、私たちが改心させるわけではありません。改心させるのは天主です。しかし、教会の復興のために私たちは自分の持っている小さな石を運ぶことが出来ます。私たちは自分の出来ることをしなければなりません。聖伝が考古学的な状態にあるのではないことを、今日でも、聖伝が教会の普通の状態であることを、ローマに理解させなければなりません。

 私たちは教会当局に、第2バチカン公会議に関する神学的研究の成果を提出することも出来ます。これには時間がかかるでしょう。その後、司教や司祭たちに対して極めて大きな仕事をすることが待っています。私たちが思っているよりも更に多くの信徒の方々は、聖伝をすぐに受け入れる準備が出来ています。司祭たちにとっては、これはもっと難しいでしょう。第2バチカン公会議の時代を生きた人たち、古いことを全て捨ててしまった人たち、そして第2バチカン公会議の冒険に身を委ねた人らは、もはや元戻りは出来かねるでしょう。しかし若い人々はもっと聖伝に対して開かれています。

From:
外国語サイト リンク http://www.dici.org/actualite_read.php?id=1007&loc=Fr
DICI: Parce que Dieu ne change pas
外国語サイト リンク http://www.dici.org/actualite_read.php?id=607&loc=US
DICI: Because God does not change