マニラのeそよ風

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第294号 2005/08/09 殉教者聖ラウレンチオの前日

St Lawrence

アヴェ・マリア!

 兄弟姉妹の皆様、お元気ですか。

 子供は、私たちの「所有物」ではありません。私たちは天主から子供の世話を依託されただけです。いわば管理人であって、私たちに要求されていることは、本当の所有者である天主に、天主の意向に忠実である、ということです。

 子供は、だからといって「王さま」でも「お姫様」でもありません。いえ、それどころか、洗礼を受けたこの子供は、天主の子、イエズス・キリストの兄弟、聖霊の神殿です。この子が、利己主義でわがままで自己中心で甘やかされて育つことのないように、あたかも自分が「王さま」で世界の中心であるかのように錯覚することのないように、愛を込めて教育しなければなりません。天主からの与りものであるが故に、より貴重でより大切でより慎重に育てなければなりません。

 親は、常に子供達にとって、私たちの主イエズス・キリストの聖徳を反映しますように! その時、子供にとって、従順は何とたやすいものとなるでしょうか! 何故なら、子供は両親に、天主に従うかように、従順でなければならないからです。何故なら、天主の制定によって、子供にとって、両親が天主の代理者だからです。

 子供は、まず天主に属するものであって、親の所有物でも、国家に属するものでもありません。親と学校と国家は、天主から委ねられたこの貴重な子供に、真の天主への信仰と天主への愛を教え、養い、育みますように! 私たちが、天主の十戒を遵守することを子供達にうまく教えることが出来ますように! この子供達が、祈りを愛し、天主への信仰と愛のために、親を敬愛し、目上に従順であり、祖国を愛し、常に天主の御前に生きることを学びますように! 

 私たちの愛する子供達が、私たちが皆原罪を負って生まれてきたこと、危険な罪の機会から遠ざからなければならないこと、天主を試みてはならないこと、私たちの情欲は油断すると理性の支配を逸脱してしまう危険があること、などをよく知りますように! 幼い純粋な霊魂たちが、洗礼の清らかさを常に保ちますように! 私たちの子供達が、彼らを腐敗させようとする風俗、みだらな会話や絵画、貞潔に背く映像や文章から常に免れ守られますように!

 私たちに天主から委ねられたこの幼い霊魂たちが、誘惑に打ち勝つ克己心を養い、全ての罪と悪と嘘を忌み憎みますように! 私たちがいつもそのためにいのるこの子供達が、天主の祝福を豊かに受け、天主の御旨を果たし、聖なる一生を送り、更に多くの聖なる子孫に恵まれますように!

 愛する兄弟姉妹の皆様、そしてこれから婚姻の秘蹟によって結ばれようと準備をしている兄弟姉妹よ、いつも天主とともに、天主への従順のうちに生きて下さい。

それでは「カトリック家族とその敵について」の続きです。
(6)子供の教育 をお届けします。ごゆっくりどうぞ。

天主様の祝福が豊かにありますように!

 トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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カトリック家族とその敵について

----- これから婚姻の秘蹟によって
結ばれようとする兄弟姉妹に -----

(6)子供の教育

 ピオ11世教皇は、青少年の教育に関する回勅において、教育は、家族と教会と市民社会に比例的に属すると明確に述べている。何故なら、教育には宗教的・道徳的・肉体的・市民的教育が含まれるからである。しかし家族の役割が第一である。そして両親は自分たちの子供の教育権を持っている。この権利は国家がもつ権利よりも先である。

 ピオ11世はこう言う。

 「従って、家族は創造主から直接に子女の教育の使命を、従って、教育の権利を受けた。この権利はその厳格な義務と分かちがたく結ばれているが故に、譲渡できないものである。この権利は市民社会、あるいは国家が持ついかなる権利に先立つものである。国家は、キリスト教教育に関する教会と家族の生得権を尊重しなければならない。従って、キリスト教的良心の命じるところに反し、家族が国立の学校だけに子女を通わせなければならないように物理的にも精神的にも強制するような学校教育の独占は不正であり不法である。」(「ディヴィニ・イッリウス・マジストリ」1929年12月31日)

 世界人権宣言でさえもこのことを認めている。その第26条にはこうある。「両親は、自分たちの子供に与えられる教育の種類を選ぶ先立つ権利がある。」

(続く)