第292号 2005/08/07 聖霊降臨後第13主日
アヴェ・マリア!
兄弟姉妹の皆様、お元気ですか。
人類の真の安寧と福祉は、私たちが「我は主のつかい女なり、仰せのごとく我になれかし」という精神で生きるかどうかにかかっています。
しかし聖書にもあるように
「最後の時には、あざけりに満ちた嘲弄者が来て、自分の欲のままに生活するであろうことをあなたたちはまず心得よ」(2ペトロ3:3)
「時の末に、欲望に従い、天主に背いて生きるあざける者が立つであろう。」(ユダ18)とあります。
もし男が天主への反逆に生きれば、彼は野獣のように肉欲と貪欲と傲慢に溺れて腐り果てるでしょう。もし女が天主への反逆に生きれば、男を堕落させる淫婦のようになり朽ちていくでしょう。事実、聖ヨハネは黙示録の中で最後の時の状況において、天主に逆らう獣らと大淫婦について語っています。
愛する兄弟姉妹の皆様、そしてこれから婚姻の秘蹟によって結ばれようと準備をしている兄弟姉妹よ、天主にいつも従順であって下さい。「仰せのごとく我になれかし」! 順境の時も逆境の時も「仰せのごとく我になれかし」! ここにこそ私たちの真の宝が、お金では決して買うことの出来ない財宝が隠されています。
それでは「カトリック家族とその敵について」の続きです。
(4)婚姻の不解消性 をお届けします。ごゆっくりどうぞ。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
カトリック家族とその敵について
----- これから婚姻の秘蹟によって
結ばれようとする兄弟姉妹に -----
(4)婚姻の不解消性
婚姻からその聖なる性格が取り払われ、解消され得るものとなるとき、婚姻は悲劇へと、真の呪いへと変わる。離婚は男にとって呪いである。そして女にとって更に大きな呪いである。そしてこの婚姻から生まれた子供達にとって最も恐るべき呪いとなる。妻からは、妻としての尊厳が奪われ、子供からは自分たちの利益と福祉の保護が奪われる。人間の子供達には、両親が極めて長い期間にわたって必要である。それこそが婚姻が解消され得ないことのもっとも主要な理由である。「人は、天主があわせられたものを離してはならぬ。」(マテオ19:6)
ピオ12世はこう説明している。
「家族は聖なるものである。家族は子供達のゆりかごであるばかりか、民族のゆりかごである。・・・家族が、天主から受けた高い目的から疎外されたり、引き離されたりすることのないように。天主は夫と妻とが、相互へのそして家族への義務を忠実に果たし、家庭において次の世代にこの地上での生命のたいまつを伝え、そしてそれとともに霊的・道徳的生活、キリスト教生活を伝えることをお望みである。そして家族内において、その両親の世話の元で、正直な性格の品行の正しい人間が育ち、幸運にも不遇にも人間らしく、自分に命じる目上と天主とに従順である、価値のある汚れのない人類の一員となることをお望みである。これが創造主の御旨である。」(1942年5月13日全世界へのラジオメッセージ)
チェスタートンは、こうコメントをしている。
「かのガリラヤ人の教師(=キリストのこと)は、婚姻、そして自分のガリラヤの環境あるいはティベリウス皇帝の時代に条件付けられた自然な性の関係に関する概念が進んでいた、と思う人がいるかもしれない。しかしそうではなかった。キリストが進んでいたのは、全く別のことであった。その時よりも今の方がもっと容易なことにおいて進んでいた。・・・
私たちは、それは信じられない不可能な理想だと思うかもしれない。しかし私たちは、キリストの時代の人々が考えたほど、それは信じられない不可能なことと考えることは出来ない。言い換えると、真理とはそれが何であれ真理であり、反対意見がそれを変えてしまうということは真理でない。・・・
これは時を超えた理想である。ある時代には難しい、しかしいつの時代でも不可能なことはない理想である。」(「永遠の人間」)
この時を超える原理は、実際的な理由によって社会学者によってさえ受け入れられてきた。ピティリム・ソロキン(Pitirim A. Sorokin, 1889-1968)は、ロシア生まれのアメリカ人社会学者であるが、家族が極めて大切であることと夫婦と家族の絆を解くことの恐るべき代価を認めているばかりでなく、大胆に訴えた最後の社会学者になるかもしれない。彼はキリスト教信者ではなかったが、婚姻を「無限の豊かさのすべてを抱きかかえる一致であり、真に聖なるものであり不解消であり、そうでなければならない」と考えた。
ソロキンは家族だけが社会の秩序を保たせ個人のパーソナリティーを形成することが出来ると指摘した。そして、親切と常識を持った文盲の母親の方が、最も厳しい訓練を受けた学校の先生たちよりも、子供にとってよりよい道徳教師であると指摘している。
(続く)