マニラのeそよ風

 トップ  >  「マニラのeそよ風」一覧

第282号 2005/06/13 パドゥアの聖アントニオの祝日

パドゥアの聖アントニオ
パドゥアの聖アントニオ

アヴェ・マリア!

 こちらフィリピンのニューマニラでは、サンパギタの花の甘い香りがそよ風に乗って教会にも立ちこめ、とても良いにおいです。兄弟姉妹の皆様、お元気ですか。

 ここフィリピンの勝利の聖母の教会では、付属幼稚園・保育園の新学年が今日から始まりました。小さな子供達が、聖伝のミサを通して聖母の御取り次ぎにより、御恵み祝福を豊かに受けてすくすくと育ちますように!

 兄弟姉妹の皆様からのメールや、ご質問にお答えするのが遅れていて、いつもながら失礼しております。兄弟の皆様の忍耐を深く感謝します。


◆ まず、良いニュースからお知らせします。

 ベネディクト16世は「今年の御聖体の祝日の荘厳祭は、特別の強調をもって祝われなければならない」と言われました。聖ピオ十世会では特別の事情がない限り、世界中で、フィリピンで、アメリカで、フランスで、この日は荘厳に御聖体を祝いました。パリでも、ナントでも、マルセイユでも。

 それでも、フランスにある聖ピオ十世会のトゥルーズの修道院では、パトリック・ド・ラ・ロック神父様の指導の下で、いつもとはもっともっと荘厳な御聖体行列が行われました。日本でも、真の天主、王の王、私たちの贖い主にして救い主である私たちの主イエズス・キリストの御聖体に対して、フランスに負けないほど、最高の賛美と礼拝と感謝と償いがささげられる日が一日も早く訪れますように!


 ところで、ド・ラ・ロック神父様については、私には思い出があります。何故なら、彼はエコンの神学校の2年先輩の同窓生であったからです(エコンでは、3年の周期で一つの神学の課程が修了するので、神学を勉強する神学生達は、3学年が同じ教室で学んでいました。彼は聖ピオ十世会経営による中高一貫の男子校を卒業後、エコンの神学校に入学していました)。彼は、ずば抜けて頭が良く、知性的で、明るく、思いやりがあり、典礼の式長総代表をしていました。そればかりか強靱な体力の持ち主で、兵役の義務の間は、フランス軍の特殊部隊に身を置いて特別訓練を受けていたそうです。エコンでは水曜日の午後は自由時間のリクリエーションなのですが、冬のある日、ド・ラ・ロック新学生らスポーツマンたちは、スイスアルプスの雪の山を登山に出かけ、あるアクシデントから遭難しかけました。その日の夕食の時も彼らが帰らず不在であり、皆が心配して祈ったのを覚えています。校長先生はさぞかし心配されたことだと察します。が、その日の夜の祈りの頃、彼らは神学校に到着しました。彼は、これら神学生を勇気づけ、励まし、いつも笑って、ゆとりを失わなかった、と聞きました。ド・ラ・ロック神父は、しばらくフランスのフラヴィニーというところにある聖ピオ十世会の神学校の教授をしていましたが、今では修道院長として活躍をしているとのニュースを読み、とても嬉しく思いました。

 学生の兄弟姉妹の皆様も、若いうちにどうぞ、たくさん祈り、よく勉強し、体を鍛練しておいて下さい。

 さて、次のサイトにその写真があります。どうぞご覧下さい。
http://www.laportelatine.org/lpl/communic/presse/2005/fdtoulou/page.php
http://www.laportelatine.org/lpl/communic/presse/2005/fdtoulou/toul2/page.php
http://www.laportelatine.org/lpl/communic/presse/2005/fdtoulou/toul3/page.php
http://www.laportelatine.org/lpl/communic/presse/2005/fdtoulou/toul4/page.php
http://www.laportelatine.org/lpl/communic/presse/2005/depeche/page.php


◇ 聖ピオ十世会では、全世界で御聖体がこのように大切にされ、敬われ、尊ばれ、礼拝され、私たちは天主に感謝します。新約の司祭職を担うカトリック司祭は、御聖体のいけにえと直接結ばれ、それを第一の直接の存在目的としています。私たちの主イエズス・キリストが制定した新約の司祭職は、何よりもまず、まずイエズス・キリストの御体と御血とを聖別するために定められました。

 トリエント公会議は、その第23総会で「叙階の秘跡について」こう荘厳に宣言しました(1563年7月15日)。

 「(第1章 新約の司祭職の制定) いけにえと司祭職とは天主の計画によって結ばれており、旧約と新約の両時代に常に存在した。新約において、カトリック教会は主の制定によって御聖体の可見的いけにえが与えられたのであるから、その教会に新しい可見的、外的司祭職があることを認めなければならない(第1条)。こうして旧約の司祭職はこの新しい司祭職に変ったのである(ヘブライ7・12以下参照)。この司祭職は私たちの救い主によって制定され(第3条)、使徒とその後継者に、この司祭職によって、その御体と御血とを聖別し、ささげそして授ける権能と、罪を赦しあるいはつなぐ権能を与えた。このことは聖書に示されており、カトリック教会の伝承も常にそのように教えている(第1条)。」

 カトリック教会によって、今から35年前の1970年11月1日に、認可された聖ピオ十世会の会憲はこう定めています。

 「聖ピオ十世会は、まったく特別に司祭たるイエズスの保護のもとにおかれる。イエズス・キリストの全存在は司祭的であったし、司祭的なものととどまり、イエズス・キリストにとって十字架のいけにえを捧げることこそが御托身の存在理由であった。・・・聖ピオ十世会の目的は・・・司祭の生活を司祭の本質的な存在理由であることへと方向付け実現させることである。すなわち司祭にとって本質的な存在理由とは、ミサの聖なるいけにえと、これが意味する全てのこと、ここから由来する全てのこと、これを完全にさせる全てのこと、である。」

 聖ピオ十世会の司祭たちは、その会憲によって、司祭職の本質的な存在理由であるミサ聖祭のために叙階され、ミサ聖祭に秩序付けられ、そのために存在していることが明らかであり、天主に感謝します!

 至聖なる御聖体の秘蹟にましまし給うイエズスは賛美せられさせ給え!
 至聖なる御聖体の秘蹟にましまし給うイエズスは賛美せられさせ給え!
 至聖なる御聖体の秘蹟にましまし給うイエズスは賛美せられさせ給え!


◆ フランスの「ラ・デペッシュ・ドュ・ミディ」紙に掲載されたパトリック・ド・ラ・ロック神父(37歳)のインタビューより
http://www.laportelatine.org/lpl/communic/presse/2005/depeche/depeche1/page.php

質問:あなたたちは誰ですか?

 私たちは、ローマ・カトリックで、そうであることを誇りに思っています。私たちは、カトリック教会の使徒信経を信じ、キリスト教的な価値観を擁護しています。現代の教区の教会の人たちと私たちを区別することは、常に教え続けられてきた公教要理を私たちがそのまま守ることを、そして教会によって数世紀にわたって常に実践されてきた通りの典礼を守ることを望んだことです。私たちのミサは、ラテン語でささげられ、それにフランス語での朗読があります。何故これを選んだかというその理由は、そうしたいという感傷的な愛着からではなく、司牧的観察からです。教会の高位聖職者達は、現代の世を満足させることを望んで、40年になりますが、典礼改革は実りのあるものではありませんでした。信仰が伝達されていないことが観察されます。一方で典礼が自分の持つ超越的聖性を失ったのですが、他方でかえって聖伝に基づく典礼が盛んになりました。キリスト信者たちから極めて強い要求があります。

質問:地方のレベルにおいて、トゥルーズの司教と紛争的関係があるそうですが・・・

 私は、フランスの様々な多くの司教たちと面会してきました。トゥルーズの大司教様から、初めて面会拒否を受けた、ということを告白します。大司教様は私たちが存在しなかった方がよいとお考えのようですね。

質問:あなた達の活動はどんなものがありますか?

 宗教的・教区的な活動です。私たちは都市を離れて郊外に住み沈黙と祈りの宗教生活を送っています。毎日の活動として、私たちはミサ聖祭をささげ、公教要理を教え、霊的講話、病者の訪問、などがあります。

質問:あなたたちのことを非妥協的カトリック主義だと罵るとき、どう反応しますか?

 私はこの呼び方が好きではありません。つよい感情がこもっている言葉だと思います。私は単なるカトリックで、人間の言葉よりも天主の御言葉のほうを信じるものです。私たちは社会の変革を拒否しません。そんなことは全く正気の沙汰ではありません。一方で社会の変化があり、これを分析することは大切なことですけれども、他方で触れることの出来ない機軸となるものが存在します。そしてその大切な機軸を保全しようと望むことを非妥協的カトリックであると呼ぶことは出来ません。

質問:極右という政治的なイメージをも苦しみますか?

 いいえ。そのようなことが一時的にあったかもしれませんが、私にとって極めて明確です。私たちの闘いは、政治的闘争ではなく宗教的なものです。政治的な観点からすると、超個人主義が、私たちの社会を築くと言うよりもむしろ社会的な絆を壊しています。この社会的絆を生き返らせなければなりません。


◆ 次は、フランスのヴェラック(ボルドーの近く)にあるオアシス修道会(聖ピオ十世会と友好的な修道会)での御聖体の荘厳祭の写真です。
http://www.laportelatine.org/lpl/district/prieure/gironde/verac/page.php


◆ さて、今度は残念なニュースですが、スイスで5日行われた国民投票で、「同性のカップル」に一定の権利を認める法案が58%の賛成多数で初めて可決されてしまったそうです。これは、社会保障や税制、年金制度などが認められるけれども、同じ姓は名乗れず、同性カップルによる養子縁組などは含まれないそうです。主よ、我らを憐れみ給え!


◆ 「東京教区ニュース」の「一致の瞬間 中国天主教事情」によると、「白柳誠一大司教を団長とする第3回中国天主教公式巡礼団(司祭7名、修道女2名、信徒17名)は、5月6日から16日にかけて中国東北部(北京、哈爾浜、長春、吉林、瀋陽、大連)の愛国協会の教会、修道院、神学校を訪問、各地で大歓迎をうけた」そうです。

 共産党の管轄と指導下にある愛国協会は、ローマとは断絶し全く離教状態ですが、この公式巡礼では「中国人司祭を加え8名の共同司式による、中国語、日本語交互のミサが始まり」、白柳枢機卿と愛国協会の司教は「これからの教会の姿を象徴」するように、二人で手をつなぎながら聖堂に入っていかれたそうです。

以下一部を引用します。

一致の瞬間 中国天主教事情

■ 進藤重光氏の報告

 白柳誠一大司教を団長とする第3回中国天主教公式巡礼団(司祭7名、修道女2名、信徒17名)は、5月6日から16日にかけて中国東北部(北京、哈爾浜、長春、吉林、瀋陽、大連)の愛国協会の教会、修道院、神学校を訪問、各地で大歓迎をうけました。そのハイライトをご紹介します。・・・

 3回日の中国訪問に、東北地方を選んだ私たちの巡礼団は、事前に中国側から、「絶対に満州という言要を使わないように」と注意を受け、日本人であることに多少の緊張感を漲らせていました。しかし、そんなこの地で、第1回、第2回と、中国各地を旅しながら、ついに一度も成し得なかった、「ペンテコステが一週間早く来たかのような」(藤岡師)初めての合同ミサをすることになります。

 ご存じのように、中国における公けの教会は共産党政府の管轄下、愛国協会に属しています。協会の目的は、ローマ教皇の指導ではない、共産党政府よりの指導者をつくることにあります。しかし当然ながら、この国の政治状況を考慮すれば、所属しないことのほうがより困難だということは言うまでもありません。1957年にカトリック愛国協会はバチカンとの関係を断絶した後、教皇の承認を得ずに協会内部での司教を叙階しました。そのため、教皇庁は、中国国内で教皇の同意なしに叙階された司教の有効性についての疑問を示唆。愛国協会に属さない 「地下教会」との問題もあり、長い間、ローマに属する教会と共同でのミサを避けてきたのです。・・・

 旧友に再会するかのように固い握手をする老司教、満面笑顔の若い主任司祭と老シスター、そして信徒たち。映画「ミッション」を彷彿とさせるような場面が繰り広げられます。

 こうして、中国人司祭を加え8名の共同司式による、中国語、日本語交互のミサが始まりました。力強く答えるシスターたち。初めて聞く、新典礼への応唱の声。私たちは、深く深く感動していました。かつて、教会でのミサが許されず、ホテルの狭い一室で声をひそめながら捧げた、あの寂しい2年前のことが嘘だったかのように。

 黄色い広大な大地と長い苦難の歴史の中に生きる中国教会。変えられるものを変える勇気を与えて下さい(ニーバー)、ジョン・トン神父の説教が静かに響き渡ります。さわやかなこの日、共に神を賛美したそのひと時は、形が変わっても、迫害と忍耐の中で信仰を保ってきた日本の教会との一致の瞬間でした。

 「日本にも、皆さんと同じように神様の道を歩もうと努力している若いシスターたちがおります。いつの日か、近い将来皆さんと日本のシスターとが交歓できることを楽しみにしております」(白柳大司教あいさつ)

 手をつなぎながら聖堂に入っていかれる2人の司教のお姿は、これからの教会の姿を象徴し、静かな歴史的瞬間として教会史に残ることでしょう。

日本語サイト リンク http://www.tokyo.catholic.jp/text/kyokunews/1991/kn84b.htm より


◇ 実は、これは今から14年前の東京教区ニュース1991年7月号で、これを読むと、私たちには、すでに選択が迫られていることが分かります。

 それは、カトリック教会のローマ教皇を無視して新しくパラレルに(平行線的に別個に)創られた「愛国協会」を離教教会として断罪したピオ12世の教えを取るか、それとも、白柳枢機卿などに象徴されるエキュメニカルな新しい「これからの教会の姿」を支持する人々の思想を取るか、の選択です。

 それは、叙階の式次第を変え新しい教会を創った英国の聖公会の叙階式は無効であると何度も繰り返してきた歴代のローマ教皇たち、そしてついには不可謬権を行使して絶対的に無効であると荘厳に警告したレオ13世教皇の教えを取るか、過去の歴代の教皇たちの教えを全く無視してあたかも有効な司祭であるかのように接し共同司式する教会の聖職者達の思想を取るか、の選択です。

 それは、聖書と天主の十戒と二千年の聖伝に従って、カトリック教会こそイエズス・キリストの建てた教会である、この教会の外に救いは無い、現代のエキュメニズム運動は間違っている、というレオ13世、ピオ11世などの教えを取るか、あるいは全ての諸宗教と交わり、エキュメニズム運動を推進し、どこに到達するかは知らないがエキュメニズムの道を走っている教会指導者たちの思想を取るか、の選択です。

 私たちは、天主の御助けと聖寵によって、聖伝の教えと歴代の諸教皇の不可謬の教えを選択したく思います。私たちは天主の聖寵に支えられて、カトリック教会の2000年の聖伝を維持しながら教会を助けたいと願います。私たちは、天主の聖寵に助けられて、教会の永遠の聖伝の教えに忠実にとどまろうと努めたく思います。まさに聖伝を信じるが故にこそ私たちが迫害や排斥を受けても、私たちは変わり得ない不可謬の聖伝の教えの道を、天主の御助けをもって歩み続けたいと祈ります。主よ、我らを助け給え! 我らを憐れみ給え!


◆ 一ヶ月ほど前の話になりますが、今年の5月に中国では「二億年前の靴の跡」の化石が話題になったそうです。何故なら、「ウルムチ市に在住している定年退職した教師が30年にわたり収集していた数百点の古生物化石はこのほど、中国科学院新疆生態及び地理研究所の標本館で展示され、展示品の中の一つが、二億年前の『靴の跡』化石」だったからです。これは、1997年にウルムチ市内にある紅山の上で発見されたもので、これには「一枚の岩石の上に、26センチほどの靴跡がはっきりとついている。この靴跡は、明らかに重ねている革靴の印であることを示している。しかも、この靴跡の後半部分には、一枚の13センチの古いタラの化石がある。 発見者の説明によると、化石裏面の受力状況によって、これが左足の踏んだ痕跡だと判断できる。古いタラは上部中生代二畳紀時期に生息していたので、この化石は二億年前のものと推定できる」とのことです。

 しかし「このような化石は初めて発見されたものではない。1968年、アマチュアの化石専門家のウィリアーム・J.ミスト氏は、アメリカ・ユタ州で6億年から2億年前までに生きていた三葉虫を踏んだ靴跡を発見した。1927年、アメリカのあるアマチュア地質学者は、アメリカ・ネバダ州のフィッシャー峡谷で、一枚の靴跡がついている化石を発見した。この化石の年代は、二億二千五百万年前の三畳紀石灰石時期に遡ることができる。科学者たちは最近顕微撮影装置でこの遺跡を再現する際、この靴の踵の革は、二重線で縫ったものだと初めて分かった。この二重線の間の距離は、1.1センチだが、このような靴を作る技術は、1927年まで存在しない。」とこのことです。
外国語サイト リンク http://dajiyuan.com/gb/5/5/4/n910806.htm


◇ 私たちはこの記事を読んで、こう思います。

 このような化石が存在するためには、2つの可能性があります。

(1) 化石は、短時間で形成される。中国では、革靴を履いた人間が左足で、生きていた古いタラの化石を踏んだ。そしてその足跡の付いた土が急速に化石化した。またユタ州では、1.1センチの距離の間隔を正確に保ったまま、ミシンのような機械で二重線で縫った踵の革を持つ靴を履く二十世紀の人間が、生きていた三葉虫を踏みつぶして靴の跡を残し、その土が急速に化石化した。

( [A] 土が急速に化石化することは、1980年代のアメリカのセント・ヘレナ火山の時観察されているから。また [2] アメリカのグランド・キャニオンのように数千平方キロの広域な範囲にわたって水平で均一な地層が形成されているが、もしも数百年もかけてゆっくりとできあがったものなら何故あのように完璧に均一で水平な地層があれほどの広大な土地に成立し得たのか説明しにくいから [3] 複数の地層を貫いて化石になって立っている木の化石なども発見されている(複数層化石 Polystrate-fossil と言われる)が、これは複数の地層が同時に急速に形成されたのでなければ説明がつかないからだ。従って「進化論」の言うところの長時間にわたる地層の形成理論は疑問視されなければならない。)

(2) 化石は何億年も長い年月をかけないとできない。古いタラは今から二億年前上部中生代二畳紀時期に相当する化石層から発見されるものなので、従って、中国では、二億年前に、靴を履いていた高度な文明を持っていた生命が存在していた。またユタ州では、この化石の年代は、二億二千五百万年前の三畳紀石灰石時期に遡る化石層から、ミシンで縫った20世紀の人類が履いているような靴の跡が発見されたので、アメリカには、およそ二億年前に、靴を履いていた高度な文明を持つ生命が存在していた。

(問題は、時間系列を二億年さかのぼって、元の木阿弥に戻る。もしもこの仮説が本当だとしたら、二億年前にどうしてそのような高度な技術を持った生命が存在し得たのか? その原因は何か? 進化論によれば、何億年もの時をかけて、何兆分の一のほとんど無に等しい確率によって人間のような知性をもった生物が現在偶然、誕生したことになっていたのではないか? それともその生命は、数万光年の彼方の他の惑星から来たのか? どうやって地球を見つけたのか? その確率は、無に等しいよりもほとんど無に無限に近いゼロにすぎない。)

 ただ単純で偏見もなく考えれば、(1)の可能性の方が (2)とは比較にならないほど大きく、信憑性があります。私たちは、地層の形成や化石の成立についての考えを見直さねばならないのではないでしょうか、そして天主が私たちを創造し給うたということを、素直に受け入れる時期にきているのではないでしょうか。

 名古屋の愛・地球博に展示されている氷付けのマンモスは、どうやって出来たのでしょうか? マンモスは瞬時に凍結しています。これは地球に過去、恐竜や大小の動植物を極めて短時間に化石化し、凍らせ、広域の範囲にわたる地層を形成させ、莫大な量の動植物を石油や石炭、天然ガスなどに変化させた、恐るべき天変地異があったと言うことを雄弁に物語っているのではないでしょうか。それは聖書のノエの箱舟を思い出させるではないでしょうか。


 至聖なるイエズスの聖心は、賛美せられさせ給え!
 イエズスの至聖なる聖心よ、我らを憐れみ給え!

 聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!
 聖母の汚れ無き御心よ、我らを憐れみ給え!

 パドゥアの聖アントニオ、我らのために祈り給え!
 聖フランシスコ・ザベリオ、我らのために祈り給え!
 アルスの聖司祭、我らのために祈り給え!

 日本の尊き殉教者たちよ、我らのために祈り給え!
 天のすべての天使、聖人達よ、我らのために祈り給え!

 主よ、我らを憐れみ給え!!!
 主よ、我らを憐れみ給え!!!
 主よ、我らを憐れみ給え!!!

 天主様の祝福が兄弟姉妹の皆様に豊かにありますように!

 文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)