マニラのeそよ風

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第280号 2005/06/03 私たちの主イエズス・キリストの至聖なる聖心の祝日


イエズスの聖心

アヴェ・マリア!

 兄弟姉妹の皆様、お元気ですか。

 6月は、私たちの主イエズス・キリストの至聖なる聖心の聖月、今日はその祝日です。
 至聖なるイエズスの聖心は賛美せられさせ給え!

 まずとても良いニュースから。

 今年の5月22日の主日にはスペインの司教たちは祖国スペインを聖母の汚れ無き御心への奉献を更新した、とのことです! 天主に感謝! スペインのほとんど全ての司教たち(教皇大使のモンテイロ・デ・カストロ大司教も参列)が、サラゴサにあるピラールの聖母マリアの大聖堂(バジリカ)に集い、12万の巡礼者の前で、聖母の汚れ無き御心への奉献をしたとのことです。これは聖母マリアの無原罪の御宿りのドグマ150周年の一環としてなされました。日本でも司教様たちが聖母の汚れ無き御心への奉献を全員一致で更新したら、日本に多くの恩寵が雨と注がれることだろうと思います。

 さて「マニラの eそよ風」もこれで、3年が経ちました。3年、というといつも聖ルカによる聖福音第3章のあの話を思い出します。

聖書 また、こんなたとえをお話しになった。「ある人が、自分のぶどう畑に、いちじくの木を植えていた。そこに実をさがしにいったが、なかったので、ぶどう畑の小作人に、"私はもう3年も、このいちじくの実をさがしにきているが、ならない。切りたおしなさい。なぜ土地を無駄にとっているのか"といった。すると小作人は、"ご主人さま、今年もかんべんしてやってください。私が、まわりを掘ってこやしをやります。そうすればいつか実をつけるかもしれません・・・。もしつけないなら切りたおしてください"と答えた」。

 もちろん、このたとえの中で私たちの主イエズス・キリストの言う「いちじくの木」はユダヤ人たちのこと、「ぶどう畑の小作人」はイエズス・キリストのことです。イエズス・キリストが一生懸命に御言葉を述べてユダヤ人たちを教えるのですが、そしてもう3年になろうとするのですが、彼らは改心の実をつけない、しかしイエズスは聖父に憐れみをこいねがいます。それと同時に「いちじくの木」は「マニラの eそよ風」であって私たちの主イエズス・キリストの望まれる実りをつけるべく聖父が望んでおられるのではないでしょうか。ぶどう畑の小作人である私たちの主は、御父にこう憐れみを乞うて下さっているようです。

 "ご主人さま、今年もかんべんしてやってください。私が、まわりを掘ってこやしをやります。そうすればいつか実をつけるかもしれません・・・。もしつけないなら切りたおしてください"

 そのことを思うと、今こうして生かされていることを天主に感謝します。この口と舌が自由に動いて御聖体を拝領できることを感謝します。とても頑丈につくられて素晴らしいデザインをもっているいる歯で食べることができることを感謝します。飛行機に乗って気圧の変化が激しくても壊れない鼓膜がついて、音を聞き分けることのできる耳でグレゴリオ聖歌や天主に関する話を聞くことができることを感謝します。御聖体と兄弟姉妹の皆様の笑顔を見ることができる目をもっていること、聖伝のミサを捧げることができる手足、こうして天主のために生きることができていることを心から感謝します。

 5月の日本での聖伝のミサの時にいらした新しい方々、新しい小さな可愛いお友達、御ミサの後ですぐお帰りになってしまったためにご挨拶できなかった方々に挨拶申し上げます。また聖歌隊皆様、侍者のメンバーの皆様、そしていつもの兄弟姉妹の皆様に改めて感謝します! それから、ご病気で苦しむ愛するご家族の方のために、またご自分がご病気のために、その他の様々な事情で与りたくても霊的にしか聖伝のミサに与ることができなかった方々に、天主様の祝福が豊かにありますように! ご回復のため、問題解決のため、心からお祈り申し上げます。韓国におられる「マニラの eそよ風」の愛読者の方々、台湾とハワイ、カナダとアメリカ、ニュージーランドとオーストラリア、そしてシンガポールににおられる愛読者の兄弟姉妹の皆様、感謝します。また「マニラの eそよ風」をお読みになって下さっている私のまだ存じ上げない兄弟姉妹の皆様と神父様がたに挨拶を申し上げます。まだカトリックの洗礼を受けてはおられないけれども、関心を持って応援して下さる兄弟姉妹の皆様に感謝します。

 先日、ふとフランス管区のウェブサイトを見る機会がありましたが、フランス中にある修道院の修道院長神父様たちの顔写真も掲載されていました。エコンの神学校で席を同じくし、一緒に生活した、同級生、同窓生の顔を懐かしく見ました。「みんな活躍しているなぁ、でも年を取ったなぁ」などと思いつつ。このような司祭の霊魂たちと知ることができ、天主に深く感謝します。聖ピオ十世会のアジア管区と世界中にいる同僚の452名の司祭たち、特にマニラで一緒に修道生活を営む兄弟の司祭たちに感謝します。私たちに良き長上、管区長、総長を与えて下さっている天主に感謝します。去年から、2ヶ月に1度ほど実家に数日休暇で帰省するようになりましたが、私がこうして生きていけるのも陰で支えていてくれる年を取った父母がいてくれるからだ、と感謝します。本当に心から天主に感謝します。

 今の時代に生き、ここでこうして兄弟姉妹の皆様と知り合うことができ天主に感謝します。この地球上に私たちが今生きているのも、私たちと共に生息する様々なデザインの数万の種の動物や植物があるからで、これらを素晴らしい智恵を込めて創造して下さった天主に感謝します。海を泳ぐ魚たち、空を飛ぶ鳥たち、ジャングルに潜む野獣たち、それらは何と素晴らしく智恵深く創られていることか!

 「汝、父と母を敬え」という掟を下さり、私たちの両親と私たちの祖国を愛する美しい義務をはっきりと定めて下さった天主に感謝します。私たちに聖伝の光を知らせて下さった天主に感謝します。おやおや、今回は自分のことばかり書き連ねてしまいました。ご容赦下さい。

 ところで7月は、今オーストラリアのメルボルンの聖ピオ十世会の修道院で働いておられるドイツ司祭、私の親友でもあるライナー・ベッヒャー神父様(Father Rainer Becher)も来日して下さいます。7月には3年前に結婚した私たちの兄弟姉妹の初めての赤ちゃんが生まれる予定です。安全な出産のために、兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願いいたします。8月にはアジア管区長のクチュール神父様も来日される予定です。天主に感謝!

 さて聖アルフォンソ・リグオリは、ピオ6世教皇の選出の前にもし教皇が「教皇としての自分の唯一の目的として天主の栄光を求めないなら、主は彼をあまり助け給わないだろう。そして状況は今の悪い状態から更に悪くなるだろう」と言っていました。

 私たちの関心は私たちの母なる聖なるカトリック教会に向けられます。ベネディクト16世は、聖伝を復興させる教皇でしょうか? それとも新神学に基づく第2バチカン公会議の教皇でしょうか? ラッツィンガー枢機卿は、自分は司祭時代から何も変わっていない、と何度も言っています。ラッツィンガー枢機卿は、第2バチカン公会議後の現代のカトリック教会の恐るべき危機を何度も何度も指摘してきました。しかし枢機卿によればその解決は、いつも第2バチカン公会議の本当の教えを発見すること、であり決して聖伝に立ち返ることでも、ピオ9世のシラブスや、聖ピオ10世の近代主義に反対する宣誓に戻るのでもありませんでした。

 ベネディクト16世は、教皇としての最初の説教でこう言っています。「したがって、ペトロの後継者に固有の任務を始めるにあたり、わたしは、わたしの先任者の教皇たちの足跡に従い、また、教会の2000年の伝統を忠実に引き継ぎながら、わたしが第2バチカン公会議の実現に向けて取り組み続けるつもりであることを、はっきりと宣言したいと思います。」
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/newpope/bene_message1.htm

 そしてベネディクト16世は以前からもっていた確信に従って、教会を変えていくのでしょうか? 

「今日の危機から、明日、多くを失った一つの教会が出てくるだろう。この教会は小さく最初から始めなければならないだろう。この教会はもう過去の素晴らしい時代に創った多くの建物を人々で満たすことができないだろう。教会の信奉者の数が少ないので、教会は社会的な特権を多く失うだろう。今まで起こったこととは反対に、教会は志願者達の共同体として現れるだろう。・・・ 政治的に右翼でも左翼でもない内的化した教会が存在するだろう。結晶化と明確化の課程は多くの努力を要するので、苦労してこれが得られるだろう。このために教会は貧しくなり、小さき民の教会となる。・・・これらすべてには時間が必要だ。課程はゆっくりで痛みを伴う。・・・天主が彼らにとって全く消え失せてしまったように見えるとき、彼らは完全で恐るべき貧しさを体験するだろう。そして全く新しくなった信仰者の小さな共同体を発見するだろう。教会の現実の危機は始まったばかりである。私たちはより大きい嵐を超えていかなければならないだろう。・・・確かに教会はもう過去つい最近までもっていたような社会に支配的な力を持つことはないだろう。」(Glaube und Zukunft (1970) by Fr Joseph Ratzinger ヨゼフ・ラッツィンガー神父 『信仰と将来』1970年 より)

 ベネディクト16世は、聖伝(正)と第2バチカン公会議(反)との間から生まれる新しいジンテーゼ(合)を生み出そうとするのかもしれません。ヨハネ・パウロ2世の自由奔放な遺産を改めるかもしれません。第2バチカン公会議後、40年間の弛緩した指導をもう少し固くするかもしれません。道徳的な点については強くでるかもしれません。しかし第2バチカン公会議(エキュメニズム運動や新しい教皇職)に抵抗するカトリック信徒たちにはいつものように厳しい態度を取るかもしれません。

 5月13日、ベネディクト16世が最初に自分自身でしたバチカン高官の任命、つまり信仰教義聖省長官にサン・フランシスコのレヴァダ大司教を任命したことは、またそれと同時にヨハネ・パウロ2世の列福調査を5年間の待ち時間を特別免除して開始させたことと併せて、ベネディクト16世がこれからやりたいことを雄弁に物語っているようです。つまり、ヨハネ・パウロ2世の第2バチカン公会議政策を続ける、ということです。私たちは、ベネディクト16世の教皇統治が、本質的なところでヨハネ・パウロ2世とたいして変わらないだろう、と推測することができます。私たちは幻想を抱く必要はないと思います。

 レヴァダ大司教とその人となりについては、ジョン・ヴェナリ氏の「エキュメニカルなレヴァダ大司教は信仰教義聖省長官と任命される」( 外国語サイト リンク Ecumenical Archbishop Levada to Head Sacred Congregation for the Doctrine of the Faith. )を是非ご覧下さい。また「外国語サイト リンク ベネディクト16世教皇(Pope Benedict XVI)」もご覧下さい。

 ところで、聖伝主義者ではない、教会の観察者はベネディクト16世について何を見るでしょうか? 「マニラの eそよ風」280号は、ベネディクト16世が選ばれてそのすぐ翌日に発表された、イタリア人サンドロ・マジステルの書いた「ベネディクト16世:教皇とそのアジェンダ(行動予定)」を参考資料としてご紹介します。

 至聖なるイエズスの聖心は、賛美せられさせ給え!
 至聖なる御聖体の秘蹟にましまし給うイエズスは賛美せられさせ給え!
 イエズスの至聖なる聖心よ、我らを憐れみ給え!
 主よ、我らを憐れみ給え!

 聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!
 聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!
 聖母マリアよ、我らを憐れみ給え!

 聖フランシスコ・ザベリオ、我らのために祈り給え!
 アルスの聖司祭、我らのために祈り給え!
 聖ヨハネ・ボスコ、我らのために祈り給え!

 日本の尊き殉教者たちよ、我らのために祈り給え!
 聖なるコルベ神父よ、我らのために祈り給え!
 日本で働いておられた聖なる宣教司祭たちよ、我らのために祈り給え!
 天のすべての天使、聖人達よ、我らのために祈り給え!

 主よ、我らを憐れみ給え!!!
 主よ、我らを憐れみ給え!!!
 主よ、我らを憐れみ給え!!!

 天主様の祝福が兄弟姉妹の皆様に豊かにありますように!

 文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



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ベネディクト16世:教皇とそのアジェンダ(行動予定)

サンドロ・マジステル(Sandro Magister)著
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)訳

 ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿は、コンクラーベ直前の最後の説教の中で次期教皇のアジェンダ(行動予定)をこう提案していた。「信仰における成人」であり「教義のいろいろな風にあちこちと流され波に翻弄されている、保護者を必要とする子供」ではないこと。

 ローマにて、2005年4月20日- 人は彼のことを保守主義者だと呼んだ。しかしヨゼフ・ラッツィンガーはコンクラーベでさえも革命化させ、そのコンクラーベで自分は4月19日に「主のブドウ畑の謙遜な労働者」ベネディクト16世となった。

 かつて教皇が誰になるかと言うことに関してこれほど明確で鋭い言葉が言われたことがなかった。真理の時が近づくに従ってそれはますます力強く訴えるものになってきた。ラッツィンガーが故ヨハネ・パウロ2世教皇最期の日に講義した、世界の状態についての彼の講話まで、そしてもっと重要なことは、コンクラーベが始まろうとする数時間前の「教皇選出のためのミサ」で聖ペトロの広場で彼がした最後の説教まで、そうであった。

 枢機卿として、ラッツィンガーは教皇に選ばれようと自分を「売る」ことは決してしなかった。ただ彼のところに、次々と、時が経つにつれて、選挙ごとに、票と同意が集まり、それらは彼のダイアモンドのように固いアジェンダ(行動予定)に引き寄せられてきたのだ。聖ペトロ大聖堂での最後のミサで使徒パウロの言葉をもってこれを再提案した。つまり目標は「信仰における成人」であり「教義のいろいろな風にあちこちと流され波に翻弄されている、保護者を必要とする子供」ではないことである。

 現代は、まさにこれへと向かっているが故に、彼は「相対主義の独裁制」に対して警告した。相対主義とは「何も決定的なものを認めず、自分自身の個性と欲望を究極の基準としてのみ残す」のである。この「人間を騙すもの」に反対して、ラッツィンガーは「私たちはその代わりに別の基準をもっている、つまり天主の聖子、真なる人間である」と言う。天主の聖子なる真の人間は、「真の人間主義の基準」でもあり「真理と誤謬、欺瞞と真理を見分けるよすが・判断基準」である。

 結論は明白だ。「私たちは大人の信仰の成熟を育て上げなければならない。私たちはキリストの群れをこの信仰へと導かなければならない。」たとえ「教会の使徒信経(クレド)に従った明らかな信仰を持つことが、頻繁に原理主義というラベルを貼られている」としてもそれは構わない。

 数年に亘って、原理主義だという告発が今は教皇となったこのドイツの神学者に反対してつけられてきた。 1960年代の間、若きラッツィンガーは、第2バチカン公会議にケルンの枢機卿ヨゼフ・フリンクスのための神学顧問として参加した。彼は検邪聖省に反対して「時代にそぐわず危害と躓きの原因」であると最初の攻撃の投げ矢を投げた。そして数年後にはまさにそれの長官になったのだが。そして第2バチカン公会議の直後、ラッツィンガーは公会議の結果を告発し始めた。第2バチカン公会議の結果は、期待されていたものとは「露骨に異なっていた」と。

 ラッツィンガーが取った道のりは当時の二人の一級の神学者たちでありラッツィンガーの友人であったアンリ・ド・リュバックとハンス・ウルス・バルタザールと平行していた。この二人とも枢機卿となり、二人とも進歩主義から保守主義に変節したと告発された。ラッツィンガーはそのようなレッテル張りを気にしたことは一度もなかった。彼はこういう。「私が変わったのではない。変わったのは彼らの方だ」と。

 ともかく、ラッツィンガーのは奇妙な保守主義だった。その保守主義は教会に平和を与えると言うよりはむしろかき乱す性格のものだった。ラッツィンガーのお気に入りの模範は、ミラノの大司教、聖カルロ・ボロメオである。聖カルロはトリエント公会議の後「特にミラノ周辺の地域でもほぼ完全に破壊されていたカトリック教会を再建した、しかも中世に戻ることなしにそうした、いやそれどころか、教会の近代的な形を作り出した」が、まさにそれ以外の何ものでもなかった。

 現代、文明の変化はラッツィンガーの目にはそれと同様に画期的なものと映っている。ヨーロッパに確立した文明は「考えられる最もラディカルな矛盾をはらんでいる。キリスト教世界の矛盾のみならず、人類の宗教的伝統の矛盾である」。ラッツィンガーは4月1日、イタリアのスビヤコで、ヨハネ・パウロ2世の統治下、最後の講演でこう言った。従って、教会は勇気を持ってこれに反対しなければならない。教会が時代に妥協することなく、この世の前に跪いて世を礼拝することなく、「聖なる驚きと共に、すべてに信仰の賜を、キリストとの友情の賜をもたらす」ようにしなければならない。

 ベネディクト16世は、明日の教会のために諸民族がこぞって改心することを夢見ているのではない。多くの地域にとってはキリスト教が少数派となることを予想している。しかし彼はこれが「創造的」であることを望んでいる。彼は信じない人々や他の信仰を持っている人々との臆病な対話よりも宣教的な衝動を好む。 悲観主義と不安は彼の中に場所を持たない。ここにおいても彼は今つけられているレッテルを破っている。彼は聖ペトロ大聖堂で、4月18日に、自分の「説教・マニフェスト(政策宣言)」で、「涙の谷から天主の花園に変わった」世界という言葉を引き出して締めくくった。

 彼は子供の頃からこうだった。「私が育ったバヴァリア地方のカトリックの教えは喜びに満ち、カラフルで、人間的だった。私は純粋主義の感覚が懐かしい。それはおそらく私の幼年時代から私はバロックの空気を吸っていたからだろう。」 彼は「芸術、詩、音楽、自然を愛さない」神学者たちを疑う。何故なら「彼らは危険であり得る」からだ。彼は山の中を散策するのがすきだ。彼はピアノを弾き、モーツアルトが好きだ。彼の兄であるゲオルグは司祭であるが、宗教合唱曲とグレゴリオ聖歌の大伝統を守る抵抗の最後の砦の一つであるラチスボンというドイツの都市の聖歌隊隊長である。

 これは数年に亘って彼が公会議後の教会における革新と衝突したいろいろな点の一つである。彼はミサと典礼が「天才的な監督と才能豊かな俳優たちが必要な演劇」へと変わったことに対して厳しい言葉を使った。彼は聖なる音楽が崩壊することについても同様なことを言ったことがある。「私たちはどれほど多く、彼を考慮に入れることなく、自分たちだけを祝ってきたことだろうか。」彼は聖金曜日の十字架の道行きでこう黙想のコメントをした。ここで「彼」とはイエズス・キリストのことをさしており、会食の集いに変わってしまった典礼によって忘れ去られたその方のことを言及している。

 ベネディクト16世は、自分の前任者であるヨハネ・パウロ2世の行ったミサの典礼についても自分の疑念を隠したことはなかった。ヨハネ・パウロ2世の下のローマの諸聖省で、彼以上に自由に、批判的に発言したものは誰もいない。そしてカルロ・ウォイチワはこの理由のためにも彼を非常に尊敬した。「私の信頼できる友」これが、「立ち上がって進み続けよう」という自叙伝の中でカルロ・ウォイチワがラッツィンガーを定義して言った言葉である。この本の中で、彼は他の自分の側近たちに決して賞賛を与えていないにもかかわらず。

 信仰教義聖省の長官としてラッツィンガーはヨハネ・パウロ2世をいろいろの点で批判した。しかもヨハネ・パウロ2世の教皇職の最も特徴的な点を。

 ラッツィンガーは1986年のアシジの諸宗教の最初の集いには行きさえもしなかった。彼はこの集会においてキリスト教のアイデンティティーの曇りを見た。キリスト教は他の「信仰」に還元させられ得ないのだ。数年後の2000年、曖昧さを取り払うための文書が出た。それが「ドミヌス・イエズス」という宣言であり、これは彼の署名をもって発表された。この文書は論争の嵐を引き起こした。しかし教皇はこれを擁護した。そして2002年には、ラッツィンガーは修正された形のアシジの集いに参加した。

 新しい教皇がヨハネ・パウロ2世と同意しなかった別の点は、教会が過去の罪の赦しを求めたことである。その他の多くの枢機卿たちもこれについてヨハネ・パウロ2世に同意していなかった。しかし彼らは、ボローニュの大司教であるジャコモ・ビッフィを唯一の例外として、皆口を閉じて公には何も言わなかった。ビッフィー大司教は自分の司教区の信徒たちに司牧書簡の形でこれに反対する意見を白黒極めてはっきりする形で書いた。ラッツィンガーは別のやり方で自分の批判の声を上げた。つまり彼は上げられた反対意見に、一つ一つ答える神学的文書という形で、だ。ただしその中で、反対意見はすべて精緻に展開されており、他方でそれに対する答えは弱々しく不安定なもののようであった。

 ベネディクト16世は枢機卿として、ウォイチワ教皇が祭壇の名誉まで高めた聖人や福者たちの終わりを知らない連続をも批判した。多くの場合、これらは「或る特定のグループの人々にきっと何らかのメッセージを伝える人々だったかもしれない、しかし巨大な数の信徒たちには多くを語ることはない」と彼は言った。その代替案として彼は「その他の多くの人々にもまして、教会の聖性に関するかくも多くの疑惑の中で、私たちに聖なる教会を見せてくれる人々だけを、キリスト教世界の注目を引くようにさせる」ことを提案した。 彼は「政治的正しい言い方(politically correct language)」をいつも無視してきた。1984年、マルクス主義の根がある解放の神学に反対した文書では、彼は共産主義帝国に「現代の恥」とか「人間の恥ずべき隷属化」などとラベルを貼って致命傷的な打撃を与えた。時を同じくしてアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンは「悪の帝国」に対して発言をしていた。バチカンの国務長官でありモスクワとの良い関係を続ける政策をとっていた張本人のアゴスト・カザロリ枢機卿が教義聖省長官と距離を置くために辞任すると脅迫したというニュースが広がったほどだった。事実はそうではなかったが、何はともあれ、5年後ベルリンの壁は崩壊した。

 ラッツィンガーは、管理者ではなく、偉大なヴィジョンを持つ男として、常に際だっていた。彼は官僚機構の用語としてより簡素な教会を見たいと思っている。彼は教会の中央及び周辺機構―――つまりバチカン諸聖省、教区行政部、司教評議会など―――が、「若きダヴィドが歩くことを妨げたサウルの鎧のよう」になることを望まない。

 部分的にはこの理由で、2000年に別の大司教で神学者、つまり彼の友人であり同胞のドイツ人ウォールター・カスパールがラッツィンガーのことを、普遍教会を教皇とローマ聖省のことだと同一視したがっている、ローマ中央集権主義を復興したがっていると非難したとき、ラッツィンガーは強く反応した。ラッツィンガーはカスパールの節を論破して答えた。カスパールはもう一度発言し、ラッツィンガーからの公の答えをもう一度挑発した。

 難しい神学論争のうちに戦われたこの論争の中心に、普遍教会と地方の諸教会との関係という問題があった。進歩主義者らは、この同じ時にもっと組織上のそして政治上のことで教会の民主化、司教団にもっと大きな権力を与えて教皇の首位権とバランスを取ることを促進していたが、まさにその同じ問題であった。 教会における権力のバランスに関する論争は、ベネディクト16世を選出したコンクラーベにおいても巻き込まれた。そして司教団に大きな役割を与えることを拒否する、ということは彼の主張であるとされていた。この拒否は正教会、プロテスタント諸教会との対話の障害を作り上げるかもしれない。

 しかし現実は違っている。カスパールのエキュメニズム運動促進という動機は疑う余地がないが、まさにこのカスパール自身が、離れたキリスト者たちとの関係に関する現教皇の唱える理論に「ラッツィンガー形式」と名付け、この形式こそが「エキュメニカルな対話のための基礎である」と呼んだのである。この理論の書かれた形は「教皇の首位権に関しては、ローマは諸正教会に、最初の千年期の間に確立され実践されたこと以上何も求めるべきではない」と主張する。

 最初の千年期の間、司教団はもっと大きな重みを持っていた。もしかしたらこの改革のための道を切り開くのは、ベネディクト16世のような保守的な教皇なのかもしれない。


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新しい教皇のアジェンダ(行動予定)

 教皇選挙から生まれたばかりのベネディクト16世教皇にとってコンクラーベはもう過去のものだ。彼を拘束するものは何もない。彼に票を入れた人々が新教皇に自分たちの望む決定や彼らの好みの人事などを強要することは、法によって禁止されている。私たちが彼の全世界に広がる教会の頭として最初の動きを極めて注意深く観察するのは、このためでもある。突然、巨大な限度を知らない行動予定表が新しい教皇の前に開いている。これはヨハネ・パウロ2世が遺産として彼に遺した行動予定表である。これがそのリストだ。
【訳註:以下にこのリストの要約のみを載せることにする。括弧の中にコメントを付け加えた。】

<アシジ>: これはカルロ・ウォイチワの教皇職の忘れることのできないシンボルだ。これは教会を極めて不安定にさせるシンボルの一つでもある。もしもすべての宗教が救いへの道であるなら、カトリック教会が存在する理由はなくなる。この結論を訂正するのが2000年に発表された「ドミヌス・イエズス」である。イエズスは全世界に福音を述べ伝えるように命じられた。ダライ・ラマとイスラム教徒たちにも福音を伝えなければならない。
【コメント:アシジはヨハネ・パウロ2世の全く個人的な発明だ。新旧約聖書と天主の十戒、またカトリック教会法典と歴代の教皇たちの教え、及び教会の聖伝に全く反している。アシジはまさに「新しい民主教」のシンボルであり、天主教とは関係のないものである。もうこれ以上このような集会をしてはならない。カトリック教会をこれ以上貶めてはならない。】

<司教>: カトリック教会は教皇と司教たちによって統治されているが、地方諸国の司教評議会は近年ヨハネ・パウロ2世の下で、数多くの委員会・文書を作り出し(そしてほとんどが無意味の)、極めて巨大な官僚機械となってしまった。

<中国>: ローマの教会にとって中国は二重の意味で脅威である。数百万人の中国人キリスト者にとってキリスト教を信ずる自由が奪われている。バチカンが現在に至るまで、北京政府に対してあたかも暗黒時代のソビエト帝国に対するかのような対応をとり続けている。ソビエト帝国と異なる点は、中国が超大国としてのし上がり、イスラム教がそうしている以上にキリスト教信仰に挑戦するだろうと言うことである。
【共産党に牛耳られている中華人民共和国は、暴力と脅迫、嘘に満ちた告発で成り立っている。嘘をついて告発しなければ、嘘をついて自白しなければ、証拠もないのに、いや証拠があっても投獄され処罰されるのだ。集団不正を強制させられ更に残虐行為へと巻き込まれる。この嘘の帝国のイデオロギーである共産主義から中国の人々を解放することができるのは真理のカトリック教会だけである。】

<ローマ聖省>: ヨハネ・パウロ2世はこれにほとんど注意を払わなかった。そのために教会の通常統治は極めて多くの損害を受けた。ヨハネ・パウロ2世の後継者は組織の階段をもっと手にとって管理するのが自然だろう。最初の機械的な再任命の後である本当の任命が、ベネディクト16世がどうやって新しい統治のチームを作るかという試験紙になるだろう。
【コメント:信仰教義聖省長官にサンフランシスコの大司教であったレヴァダ大司教が選ばれた。彼は、妥協とエキュメニズム運動に献身する男である。第2バチカン公会議支持の路線を行く Catholic World News の編集長フィリップ・ローラー(Philip Lawler)でさえも、そのひどい任命に「ショックを受けた」と言っている。】

<民主主義>: 教会内部では民主主義は「団体主義 collegiality」と言われる。ヨハネ・パウロ2世は、毎年のように全世界の司教らのシノドスを開催したが、自分自身の決定を下した。しかし教皇と司教たちの別の形の均衡(もっと司教たちに決定権を与えるような)は、カトリック教会とプロテスタント教会と正教会とをもっと近づけるだろう。

<ヨーロッパ>: ヨーロッパは、欧州連合のための新憲法の前書きでユダヤ・キリスト教の根を持つことを認めない。旧大陸ではカトリック教会自身も健康が優れない。スペインやポーランドでもカトリック人口は激減している。この流れに逆らっているのはイタリアだけだ。

<破門>: ヨハネ・パウロ2世の教皇職は、この点から見るとかつてなかったほど弛緩していた。スリランカの無名な神学者ティサ・バラスリヤが聖母マリアの童貞性を否定しまたイエズスの天主性を疑い、一時的な破門刑を受けた。しかし彼はすぐに赦された。ウォイチワ教皇の唯一の大きな破門はルフェーブル大司教らだ。新教皇はこれに対して必ず何とかするだろう。
【コメント:ルフェーブル大司教のいわゆる「破門」は、カトリック教会法典1323条の適応される緊急必要状態に迫られてのことであり無効である。私たちは天主の聖寵に支えられて、カトリック教会の2000年の聖伝を維持しながら教会を助けたいと願っている。私たちは、天主の聖寵に助けられて、教会の永遠の聖伝の教えに忠実にとどまろうと努めたい。そのために私たちが迫害や排斥を受けても、である。私たちはベネディクト16世の私たちに対する意図を知り得ないが、私たちは変わり得ない不可謬の聖伝の教えの道を、天主の御助けをもって歩み続けたい。】

<フマネ・ヴィテ>: パウロ6世のこの回勅は、人工的否認を禁止したが、信徒たちはそれに従っていない。今日では教会の焦点はピルやコンドームよりも生命の擁護に移った。コティエ枢機卿という教皇の公式神学者もこの焦点の変化の印をヨハネ・パウロ2世の死の一ヶ月前に与えていた。この枢機卿はエイズ予防のために特別な条件下でコンドームも使うことができるとした。新教皇はこの同じ方向に進むのか。

<インド>: この巨大な国では、キリスト者が頻繁にヒンズー過激派の犠牲になっている。多くの地域で教会の宣教活動が禁止されている。また、インドは大国になるかもしれない。更にインドのカトリック教会では司教たちも含めて、キリスト教とヒンズー教徒を同じレベルにおいて対話を進めている。ヒンズー教徒にとってヒンズーだけで既に十分なので、新しい洗礼を受けるということは意味を失う。

<イスラム>: ローマの主要な目標は、イスラム諸国でのキリスト者少数派を保護することである。そのためにイスラム教徒の友好的な対話を推し進めている。しかしこのやり方は残念な結果を生んできており、ますます疑問視されている。

<ユダヤ教>: ヨハネ・パウロ2世はユダヤ教徒の和解という異常なジェスチャーをして見せた。しかし問題を複雑にさせているのは、政治的存在としてのイスラエルという国である。
【コメント:ベネディクト16世は、その就任式の時、聖ペトロの聖遺物のあるところに行き、私はヨハネ・パウロ2世の後継者ではなく、ペトロよ、あなたの後継者です、と言ったと伝えられる。ヨハネ・パウロ2世のように嘆きの壁に行ってユダヤ人のように祈るのではなく、聖ペトロが聖霊降臨の日に言ったのようにユダヤ人たちに「悔い改めなさい、おのおの罪の赦しを受けるために、イエズス・キリストの聖名によって洗礼を受けなさい」と言い「救いは主以外のものによっては得られません。この世において我々の救われる名はそのほかにはないからです」と言わなければならない。】

<生命>: 生命問題、これは神学、哲学、政治、法学、信仰、習慣、すべてが関わってくる。生命科学がきわめて発展した現代、これは教会にとっての世紀の挑戦であり、新教皇はそれを知っている。 【コメント:カトリック教会はまず超自然の生命を与える母だ。超自然の命のために私たちはこの自然の命を良く生きようとしている。そして永遠の死であえる地獄も存在する。天主を忘れたこの世に、超自然の命、永遠の生命、天国と地獄が存在することをもう一度思い出させなければならない。】

<典礼>: 新しい教皇は、ヨハネ・パウロ2世が好きだった巨大な行事を繰り返すことができない。ミサをどのように執行するかも別の問題点だ。多くの人々は、第2バチカン公会議後に導入された革新が逸脱した形を取ってしまい信仰の文脈と実践に悪い影響を与えていると判断している。10月にはミサの形を取り戻すためにシノドスが開かれる予定だが、近い将来の教会の顔を決める決定的なものとなるだろう。聖なる音楽と美術もそこに含まれる。
【コメント:1986年、9名の枢機卿たちから成る特別委員会は、全員一致でいかなる司教も聖伝のミサを禁止することができないという報告をヨハネ・パウロ2世にしたが、その委員会の一人にラッツィンガー枢機卿その人もいた。ベネディクト16世は、当然その事実を知っているはずである。またラッツィンガー枢機卿自身も、近年では聖伝のミサを何度か捧げていた。いかなるカトリック司祭でも司教の特別な許可なしに聖伝のミサを捧げる義務と権利がある、という聖伝のミサに関する真理が、もう一度再確認されるようになるのは、私たちの望みであり願いである。カトリック教会と霊魂の救いのため、全世界の平和のために何よりも必要なことである。】

<教会の過去謝罪>: ヨハネ・パウロ2世は教会の過去を謝罪したが、必ずしも教会指導層が全面的にこれを支持したわけではない。新教皇はこの点で前任者とは距離を置くだろう。ベネディクト16世はむしろキリスト教世界の現在の過ちに注意を向けるのではないか、という憶測もある。この違いは大きい。過去は汚名となっても変えることはできない。しかし現在は変えられる。しかし実際的な改革が伴わないなら謝罪の言葉も空しいだろう。

<平和>: 多くの人々の意見とは正反対に、ヨハネ・パウロ2世は平和主義者では決してなかった。彼は教会の古典的な戦争論に沿っていた。彼の後継者がこの線から離れることは考えられない。

<ロシア>: ポーランドはモスクワの歴史的敵であったから、新教皇がポーランド人ではないことは障害が無くなったことだ。ほとんど粗野な言い方でモスクワの正教会総大主教アレクセイ2世は、ウォイチワ教皇の死後10日後に、ローマ教会の司教と司祭たちが信徒たちを正教会から取り去ろうとしていると非難した。モスクワはウクライナの東方典礼カトリック教会を、正教会の歴史的縄張りを征服しようとするライバルと見なしている。ベネディクト16世はウクライナ問題でモスクワ総大主教に手こずるだろう。教皇は、モスクワとウクライナの間に挟まれている。

<列聖>: 新教皇の最初の決定は自分の前任者についてである。ヨハネ・パウロ2世の列福調査を早めるか否かである。さらにヨハネ・パウロ2世はたった一人で、過去の教皇たちが4世紀かけて列聖・列福したよりも更に多くの人々を、聖人・福者であると宣言した。新教皇はこの逆上したようなスピードにブレーキをかけるか否か、もしそうするならどうやってするか、を決めなければならないだろう。 【コメント:5月13日、死後5年間の待機期間なしにヨハネ・パウロ2世の列福調査開始がすぐに始まることが決定された。】

<女性>: ヨハネ・パウロ2世は女性司祭を全面禁止した。これは将来の教皇にも有効である。彼は不可謬権を行使した聖座宣言(ex cathedra)でこれを発表した。しかし叙階の秘蹟以外では教会の中には女性の場所が広く空いている。新教皇はこの非常に要求の強い世論によって裁かれるだろう。

<青年>: 世界青年の日は今年の8月にケルンで予定されている。それ以前の集いはヨハネ・パウロ2世の極めて個人的な発案であった。この種の集いからヨハネ・パウロ2世の人柄に結ばれた「パパボーイ」と呼ばれる青年の集団が生まれた。ベネディクト16世は、この点で前任者のまねをするか否かを決める必要がある。特に、既に非キリスト教化した文化的環境で、次の世代にどうやってキリスト教信仰を伝えるかを確かにしなければならない。

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