マニラのeそよ風

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第267号 2004/01/08 聖母の土曜日

御降誕

アヴェ・マリア!

 あけましておめでとうございます!

 兄弟姉妹の皆様、お元気ですか。
 兄弟姉妹の皆様は、新しい気持ちで新2005年をお迎えしたことと存じます。私も新年を迎えて、時と時間と季節と年月、光陰と世代とを超越して支配し統率する私たちの主イエズス・キリストについて黙想をしておりました。

 イエズス・キリストは、永遠の天主の御言葉、すべての被造物の長子、昨日と今日、初めと終わり、アルファとオメガ、有りと有らゆるものの究極根源であり究極目的。すべては天主の御言葉であるイエズス・キリストによって創られたがゆえに、すべての被造物はイエズス・キリストに由来し、イエズス・キリストに帰っていかなければならなりません。

 すべてはイエズス・キリストのために存在する。時間も季節も、世代も世紀もイエズス・キリストのものです。代々にわって永遠に栄光も主権も支配権もすべてはイエズス・キリストに属します。私たちの主イエズス・キリストの力の及ばないものは何も存在しません。イエズス・キリストこそ全被造物の王であり、森羅万象は王であるイエズス・キリストの栄光のために秩序付けられています。そして王たるキリストを通して分かち得ない至聖三位一体の賛美へとつながるのです。

 永遠の御言葉は人となって童貞聖母マリアよりお生まれになり、私たちのうちに住まわれました。永遠の天主は、私たちの罪を償い、贖うために、2005年まえベトレヘムでお生まれになりました。天主なる罪なき幼子は、罪びとである私たちのために十字架に付けられて苦しみを受けるために、そして三日目に死者のうちから復活して私たちに永遠の命を与えるためにお生まれになったのです。

 Sic Deus dilexit mundum, ut Filium suum unigenitum daret.
 天主はその御一人子を与え給うほどこの世を愛された。

 「その御一人子を与え給うほど」とはどれほどの愛なのか、それを正確に把握することは私たちには決してできないでしょう。私たちに、しかも罪びとである私たちのために、無限の価値のある宝物を下さるとは! 天主の無限の愛を下さるとは! 失われた私たちを救われるために、御一人子は人となって十字架に付けられて死を受けるまで、私たちを愛されたとは!

 Benignitas et humanitas apparuit Salvatoris nostril Dei.
 私たちの救い主、天主の慈しみと人間性が現れた!

 In caritate perpetua dilexi te.
 「永遠の愛において私はお前を愛した。」

 Neque per sanuinem hircorum aut vitulorum, sed per proprium sanguinem introivit semel in sancta aeterna redemptione inventa.
 ヤギや雄牛の血ではなく、ご自分の御血を通して至聖所に一度入り永遠の贖いを見出された。

 天主なる私たちの主イエズス・キリストのいと尊き御血のみが、私たちの赦しと永遠の救いを得ることができました。私たちの主は、その贖いの値を払うために人となって私たちのために生まれ給うた。私たちが心をつくしてこの救い主なる幼子を愛したとしても、あまりにも少なすぎます。 私たちは主を愛する代わりに、かえって罪を犯し続けました。私たちの主の聖寵を蔑ろにしました。

 この世は、イエズス・キリストのために天のエルサレムの子らが、地獄の手先と闘う戦場となりました。この戦いは私たちの主イエズス・キリストの勝利に定められています。「信頼せよ、恐れるな。私はこの世に勝った。」(ヨハネ16:33) 「この世に勝つ勝利は私たちの信仰である。」(1ヨハネ5:4)

 しかしイエズス・キリストの弟子らが生ぬるなら天主は、暗黒の勢力が盛り返すのを許し給うのです。そして生ぬるい弟子らは、暗黒の中への引きずりこまれてしまいます。

 私たちの主イエズス・キリストは私たちを選ばれました。もしも私たちが生ぬるいならば、イエズス・キリストは私たちを口から吐き出してしまうでしょう(黙示録3:16)。だからこの新年にあたって、私たちから生ぬるさ、臆病、妥協を追放しましょう。

 私たちは男らしく立ち上がって戦う準備をしましょう。「つまり、兄弟たちよ、主において、力をうけ、その力によって自分を強めよ。悪魔の企てに刃向かうために、天主の武具をすべてつけよ。私たちが戦うのは血肉ではなく、権勢と能力、この世の闇の支配者、天にある悪霊だからである。だから天主の武具をすべてつけよ。悪の日に抵抗し、すべてをはたしてのち、なお立つためである。では、真理を帯にし、正義を胸当にして立て。平和の福音への熱を足にはき、また、信仰の楯をとれ。それによって、悪者の火矢をすべて消すことができるであろう。さらに、救いのかぶとと、天主のみことばである聖霊の剣をもとれ。すべての祈りと願いとをもって、心のうちでいつも祈れ。たえず目を覚して、忍耐強く、すべての聖徒のために祈れ。」(エフェゾ6:13-)

 この新年にあたり、私たちの全存在を天主に立ち返らせましょう。私たちの主イエズス・キリストへと回心しましょう。私たちには、王であるイエズス・キリストに忠実に謙遜に従うという以外には野望はありません。そしてすべてを王であるイエズス・キリストに従わせる、という以外には! 

 被造物はその創造主のもとに立ち戻ったとき完成し、天主を映し出すシンボルとなり、あふれるばかりの聖寵の担い手となります。家族も、仕事も、学問も、歴史も、芸術も、音楽も、文学も、政治も、経済も、すべてがそうだ。すべてが真理と光とに満ち、天主の聖性を映し出すでしょう。そして、私たちは、私たちの主、幼子イエズス・キリストに賛美の歌を捧げましょう。

Fair Child, how beautiful Thou art!
No greater can Thy sweetness be.
Thou hast possession of my heart;
It burns with love alone for Thee.

Thy littleness, O tender Child!
Is like a dart of love divine
That pierces with Thy sweetness mild,
Today, this hardened heart of mine.

My only Good! Thy tears I see,
And Thou art trembling now with cold,
My heart that has been charmed by Thee
Is sad as I Thy grief behold.

Oh, may my heart Thy home e’er be,
My Love, my Conqueror Thou art.
Oh take that food I offer Thee,
The food of love within my heart.
(St Alphonsus de Liguori)


 天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)