マニラのeそよ風

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第235号 2004/07/13


Sr Lucia

「あなたたちはかわいそうな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、天主はこの世に私の汚れ無き御心に対する信心を確立するように望んでいます。もし私があなたたちにこれから言うことを人が実行するなら多くの霊魂たちは救われ平和になるでしょう。」(ファチマの童貞聖マリ ア)

アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、
今日は、7月13日。ファチマの童貞聖マリアのご出現の日です。

 時は1917年7月13日金曜日、恐るべき地獄の光景を持ってファチマの秘密は開かれました。聖母は子供たちに地獄を見せつけ、「たとえ全世界を儲けても、魂を失ったら何の益になるだろうか?」、「体は殺せても霊魂を殺すことの出来ないものを恐れるな。ただ、おまえたちの霊魂を永遠のゲヘンナの火へ落とすことの出来るそのお方を恐れよ。」と私たちに教えています。

シスター・ルチアはこう語っています。

 「・・・これらの最後の言葉を聖母が話されると、以前2ヶ月の間なさったように、もう一度両手を開かれました。光線が大地を貫いたように見えました。そして私たちはあたかも火の海の様なものを見ました。

 この火の中に浸かり込んでいるのは悪魔たちと人間の形をした霊魂たちでした。霊魂たちは透き通った燃える炭火のようで、皆真っ黒か褐色のようでした。彼らは雲のような煙と共に自分自身からわき出る炎によって持ち上げられ、この大火事の中に漂っていました。彼らは、恐ろしくまた恐怖のあまり震いおののかせる苦悩と絶望の叫びとうめきのまっただ中で重さも平衡感覚もなく、大火災の火の粉のようにあちこちにまた下に落ちていました。(私が「キャ!」という叫びをあげたと私の周りの人が聞いたといいますが、それはこの光景を見たときのことに違いありません。)

 悪魔は燃えさかる黒い炭のように透き通ってはいましたが、汚らしい見たこともない動物の恐ろしい厭な形をしていたので地獄に落ちた霊魂たちとは区別されました。

 この光景は一瞬間しか続きませんでした。私達の天の良きお母様が、最初の御出現の時に私達を天国に連れていくと約束されたおかげです。もしそれがなかったら、おののきと恐れのために死んでいたことでしょう。」

 地獄!地獄は存在します。私達人間の全生涯の悲劇がそこにあるのです。

 7月13日、聖母は私達のほんのつかの間のこの世の儚い地上の生活が、どれほど悲劇的な取り返しのつかないことを引き起こすか、ということをまず示されようとされました。

 私達のいつかは死ななければならないこの人生には、取り返しのつかない永遠の命がかかっているのです。

 「呪われらものよ、私を離れて悪魔とのその使いたちのために備えられた永遠の火に入れ。」(マテオ25:41)

 天主から捨てられ、天主から永遠に呪われ、天主の現存を永遠に奪われた地獄の霊魂たちは、なんと不幸なことでしょうか! そして、地獄を畏れると言うことは何と救いの役に立つことでしょうか。地獄を畏れると言うことは何と深くカトリック的でしょうか!

 イエズスの全生涯は私たちを地獄の火から守るためにありました。天主は人々のために時において人となり、貧しさの中に生まれ、育ち、受難を受け十字架の上で大罪人であるかのように死に、葬られ、蘇りましたが、それは私たちを地獄の火から救おうと望まれたのです。もし私たちの救い主がかくも痛ましい死を遂げ給うたのは、それは本当に現実に地獄が存在するからです。そして人がそこに落ちることが出来るからです。イエズスは御自分の恐ろしいご受難を通して地獄の罰の恐ろしさを証明されたのです。

 ヤシンタの心遣いの大部分を占めた問題は、多くの霊魂を救うこと、地獄の火から救い出すこと、霊魂たちに地獄のことを教えること、となりました。ヤシンタは、霊魂たちに地獄の火に落ちないように知らせるために、どんな罪を犯すと地獄に行ってしまうのかを知りたがりました。病気のヤシンタが聖母に聞いた質問がそれでした。「霊魂たちはどんな罪を犯すので地獄に落ちるのですか?」と。聖母はこう答えました。「最も多くの霊魂たちを地獄に引き落とす罪は、肉の罪です。」(第三手記)1917年、まだビデオも、コンピューターゲームも、洪水のようなポルノ雑誌、映画、新聞の存在していなかった時代の話です!

 地獄! これこそ聖母マリアが何よりもまず私たちに思い起こさせようと望まれました。ルシアは、1957年フエンテス神父(P. Fuentes)と面会しそのことを断言しています。今から10年前ですが1994年10月には、紙に印刷した「マニラのそよ風」第8号が発行され、その中にシスター・ルチアのフエンテス神父への会話を書いたことがありますので、以下に引用します。お読み下さい。


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 ファチマの牧童の一人であるシスター・ルチアはアウグスチン・フエンテス神父にこう言っています。

 「神父様、聖母は、よい人も悪い人もだれもそのメッセージを重大視しないので悲しんでおられます。… 私の使命はもしこの世が祈り改悛しないなら確かに起こるであろう物理的な天罰をこの世に示すことではありません。いいえ。私の使命はすべての人々に、もし私たちが罪に留まるなら永遠に私たちの霊魂を失ってしまうという身に差し迫った危険を示すことにあります。神父様、ローマから教皇様から全世界のために改悛への呼びかけがくると期待しないようにしましょう。その呼びかけが司教区の司教様がたから、あるいは修道会からくると期待しないようにしましょう。今は私たち一人一人が自分で自分の霊的改革を始めなければなりません。一人一人は自分の霊魂を救わなければならないばかりか、その道に天主様が置かれ給うたすべての霊魂をも救わなければなりません。…既に今から私たちは天主様のものかあるいは悪魔のものかそのどちらかで中間はありません。…この世を救う手段は2つあります。祈りと犠牲です。そして聖なるロザリオもあります。神父様、ご覧ください。私達の生きるこの最後のときに当たって聖母はロザリオを唱えることに新しい効果を与えてくださいました。たとえそれがどんなに難しくとも、この世的なあるいは、特に霊的な問題、私たち一人一人の個人的な生活上の問題、家族の問題、この世のすべての家族の問題、修道会の問題、民族の問題、国家の問題などなど私たちがこの聖なるロザリオの祈りによって解決できない問題などありません。ロザリオを唱えることによって私たちは自分を救い、聖化し、我らの主を慰め、多くの霊魂の救いを勝ち取るのです。ですから私たちのいとも聖なる母、マリア様の汚れ無き聖心への信心をもたなければなりません。そして聖母を仁慈・善良さ・赦しの座であると考え、天国への確かな門であると考えなければなりません。」(1957年12月26日、フエンテス神父との会話の抜粋)

 シスター・ルチアのこの言葉は厳しいけれど本当です。私たちは祈り犠牲を捧げなければなりません。ローマから何かくると、司教様から何かくると、もはや期待しないようにしましょう。私たちは自分で祈り黙想し、あまりにも忘れられた主イエズスをお慰めしなければなりません。私たちにとっていつ天罰がくるとか、どんな天罰がくるとか、どうでもよいことなのです。私たちにとっての最大の関心事がいかにイエズスをお慰めするか、いかに主をお愛し申し上げるか、でありますように。この世で十分に主を愛した後、天国では永遠に主を愛することができますように!・・・

 寛大に祈りに犠牲に励むことに致しましょう! 特に日本からアジアから一人でも多くの聖伝を守る真の司祭の召命が出るように。聖なる司祭が日本からもっと多く生まれるように! たくさん祈りを捧げることに致しましょう。


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 ファチマでの童貞聖マリアの7月13日のご出現については、もし宜しければ、
日本語サイト リンク http://fsspxjapan.fc2web.com/maria/fatima_1.html や、
日本語サイト リンク http://fsspxjapan.fc2web.com/maria/fatima_2.html をもお読み下さい。

また、シスター・ルチアのフエンテス神父様へ会話については
日本語サイト リンク http://www.d-b.ne.jp/mikami/lasttime.htm をもご覧下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)