マニラのeそよ風

 トップ  >  「マニラのeそよ風」一覧

第234号 2004/07/07 司教証聖者、聖チリロと聖メトディ

獅子の声 (第2号)


聖チリロと聖メトディオは兄弟で、スラヴ人の使徒として崇敬されている。チリロは826年ごろ、メトディオは815年、ともにギリシァのテサロニケで生まれた。863年からモラヴィアで布教し、868年、アドリアノ二世によって司教に叙階され、聖チリロは、869年2月14日ローマで没したが、聖メトディオは、モラヴィア、パンノニアなどで宣教をつづけ、885年4月6日没した。この二人は古代スラヴ語アルファベット(グラゴリサ文字)を創案して、聖書をスラヴ語に訳し、布教地の国語で典礼を行った。

アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、

 私たちの主イエズス・キリストが、私たちの天主であり王であると受け入れられるためには、準備が必要で、それが罪を忌み憎む悔悛であり、苦行であり、厳しい生活です。私たちが、真の天主、聖三位一体を信じ愛し礼拝するために、私たちはこの「主の道を準備し、その小道を正しくせよ」という「獅子の声」を聞かなければならないのではないでしょうか。

 ダニエル・マレ神父は、聖ピオ十世会のリスボンの小修道院の修道院長で、DICIにファチマの状況をこう書いてよこしました。まさしくシスター・ルチアが伝えるファチマのメッセージは、現代の偽りのエキュメニズムに反対する荒れ野に叫ぶ「獅子の声」のようです。今回はダニエル・マレ神父の手紙をお読み下さい。

シンガポールにて
トマス小野田圭志神父 (聖ピオ十世会司祭)


罫線


 ファチマの最新ニュースは? それは戦いそしてまた戦いです。ここに今ある2つの勢力は、一方で近代主義者の聖職者らであり、他方でファチマとそのメッセージとシスター・ルチアが書いた最新版「ファチマのメッセージの呼びかけ」です。

 近代主義者の聖職者らが飲み込ませようとさせているメッセージは、ファチマは過去のものに属し、その固有の使命は第2バチカン公会議と教皇様狙撃事件以降、時代遅れになった、ということです。聖地の責任者神父は想像力を働かせ、聖母マリアと天使のメッセージを博学な、と言うか複雑に入り組んだ再解釈で読み直して新しい使命を発見しようとしています。この新しい使命とは、お分かりの通り、いつもの通りのエキュメニズムという古くからあるフリーメーソンの考えです。

 サタンの太陽の下で一体どんな新しいことがありうるだろうか?と私は自問自答します。 子供たちがカリスから聖体を拝領したことは、正教会の離教が正統であったことを認めることであると解釈され、ファチマという名前はイスラム教に対して開かれていること、等々となっています。2003年10月の悲しいかな悪名高い集会が、その道を行きました。天主の新しい顔を追求することはますます対話を要求するのです。それはついに全ての宗教が一つに融合するためです。

 最近、2004年5月の初旬にヒンドゥー教徒らがファチマのご出現の小聖堂(カペリナ)で彼らの神に祈りをささげるように招かれました。これは明らかに、ダライ・ラマがファチマを公式訪問した際にした「この地は肯定的な波長を持っている」という批評によるものでした。そこで偽りの諸宗教の全ての代表者たちがファチマに来るように、そして彼らが主任神父によって公式に受け入れられるようにと、出だしの音が鳴ったのです。彼らの回心のため? 全くそうではありません。そのようなことはエキュメニズムに相応しくないからです。その反対に、この肯定的な波長の中に潜り込んで新しい宗教経験をする、まさにこれが熱く勧められていることです。特に、想像力を欠いている近代主義者の聖職者らが、ついに天主の未来の顔を発見するようにその考えを新しくするのに役立つからです。ファチマは、少なくともポルトガルにとって「水先案内人の形」を取らなければなりません。そこで最も狂ったような経験が試されるのです。2003年10月のエキュメニカルなイベントに倣って、すでに多くの町で、若いカトリック信者らによって祈りの集会とエキュメニカルな礼拝のイベントが組織されてきました。

 躓きを与える昨年の集会の後、多くの抗議(300以上の手紙)がありましたが、エキュメニズムをますます巧妙にしかも大胆に推進させるという反動しか効果がありませんでした。まだカトリック世界からの抗議の答えとして、聖地の主任神父の筆になる公式発表は、エキュメニズムの賛同者とそれへの抵抗という両者の争いに言及するに留まっていました。そしてエキュメニズムの賛同者を正当化し、それに抵抗する人々をもっと容易に排斥することが出来るように彼らを笑いの種にしました。これら全てを正当化するスローガンは、勿論こうでした。
 「私たちはローマと一致している。彼らは教皇様に反対している。」

 ファチマの公式のスポークスマンは、別のことで忙しく立ち回っています。今では、フリーメーソン式の建築様式にあった建物の建築が始まりました・・・。言い換えると、電話線はいつも話し中です。ファチマの声はかげり、聖母マリアの要求はまだ達成されないまま残っています。現代世界の状況が、戦争、キリスト者への迫害、地震、災害、童貞聖マリアがすでに予言されたようになっているのを見て何も驚くべきではありません。ロシアはまだ回心しなければなりません。しかし、東方帰一教会のキリスト者とキリスト教西洋にとってはますます危険な状況になっています。

 しかしファチマの肯定的なニュースに目を向けましょう。シスター・ルチアの新しい本が出版され、これは「呼びかけ」と言われています。何故なら、シスター・ルチアは賢明にもファチマのメッセージを思い出す役割だけに専念したからです。シスター・ルチアは、不誠実な人々を説得しようとはしませんでした。これについて残念に思った人もいます。しかしこの本を通して私たちはシスター・ルチアのアプローチを善く理解することができます。何故ならメッセージはもう一度上手く語られる時、それだけで教会に広がる恐るべき危機を解決させるための光を当てるに十分だからです。

 注意深い目をもってこの本を開いてみましょう。すると直ぐに、第2バチカン公会議とそのエキュメニズムが全く明らかに反ファチマであると言うことが明らかになります。そのなかでミサ聖祭に関する聖伝の公教要理が力強く思い起こされています。天主を礼拝することの重要さが強調されています。それと同時に聖像破壊主義が排斥されていること、カトリック教会は、イエズス・キリストの唯一の群れとして歴史の中心に戻され、回心の義務、悔悛と償いの義務がもう一度強調されていること、権威の自分勝手な行使が排斥され、不従順の精神も排斥されていること、誤謬はキリストの神秘体から私たちを切り離し、地獄はまだ未信者と罪人たちを脅していること、愛は犠牲や努力無しには真にありえないこと、一言で言うと、私たちを天国へと導く真の宗教の狭い険しい道に私たちを戻しています。罪が存在すること、原罪はその結果を持って私たちに存在するので、慎みのないファッションは慎みがないこと、そして、聖伝に従って教えられているとおり、それらに対して罪の放棄、不当で危険なこと—つまり罪の機会の放棄をとおして闘わなければならないこと、救いのために貞潔が必要であること、教会は祈りをするだけであるべきこと、が語られます。祈りは必ずしなければなりません。また同時に罪人たちの回心のための償いもそうです。

 要約すると、これを読むと、ピオ12世の時代に戻ったかのようです、あるいは、「信じる宗教が何であれ、自動的に誰でも皆は既に救われている」という説を排斥し、償いの犠牲を弁護するルフェーブル大司教の本を読んでいるかのようです。これこそ毎晩、良心的に、寝る前に読むべき本です。全てのことが単純にしかし正確に述べられています。教会当局の一部が、そのエキュメニズム運動のために盲目となってしまったが故に何と言おうとも、この本こそ、現代のために書かれたと言わなければならないと思います。そして正にこのエキュメニズム運動こそが、最近教皇ヨハネ・パウロ2世によって排斥された例の「沈黙の背教」へと彼らを導いているのです。

From DICI No 97
http://www.dici.org/actualite_read.php?id=770&loc=FR


罫線


天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)