第229号 2004/05/22 聖母の土曜日
アヴェ・マリア! 兄弟姉妹の皆様、お元気でいらっしゃいますか。 天主に感謝!天主に感謝! 先日は、日本で聖伝のミサのときに、兄弟姉妹の皆様のお元気そうなお姿を拝見し、本当に嬉しく思いました。 毎日天主によって生かされている、という感じが日ごとに強くなり、感謝でいっぱいです。いろいろな方々とお会いし、お話を伺い、多くの方のことを理解しようと努めれば努めるほど、天主の聖寵の働きに賛美と感謝を禁じ得ません。また、学ぶところに多く気づかされ、天主への礼拝と自ずと心が動かされる気がします。 聖伝のミサに与りにいらっしゃる兄弟姉妹の皆様が、容易にミサ聖祭に付いていくことが出来るように、ラテン語・英語・日本語の対訳版を毎回作ってコピーし準備して下さる方、ミサ聖祭で歌う聖歌の楽譜を準備してコピーして下さる方、ミサ聖祭が終わって会場をかたづけるときには、何も言われなくてもお掃除をして下さる方、多くの方の善意とご協力に、ただただ、感謝でいっぱいです。 さて、メル・ギブソンの映画パッションですが、これに関する日本語の新聞の記事を頂いたり、いろいろな感想を聞かせて頂いたりしました。5月1日に映画を見た関西地方の方からは、こんな内容のメールを戴きました。転載許可を戴きましたので、一部掲載します。 道頓堀の角座に行ってパッションを見てきました。すごい人!立ち見!昼前の回を見に行ったら、入れず、次の回まで待たされました。宗教映画でこの観客数は記録的なことではないでしょうか?しかもキリスト教国以外で。いゃ~~~参りました。5回の映画館から1回まで階段がずっと待っている人で一杯で、列の最後尾はそこから20メートルぐらい離れた金龍ラーメンまで続いているのですから。 映画の内容については、実際見てくれとしかいいようがないです。残酷ですか?ええ、もう残酷ですよ。イエズス様ボロボロですよ。むち打ちのシーンでは、すすり泣きの声が至る所から聞こえてきて、帰りの人たちはみな目がウサギさんになっていました。 あと印象的なのは、十字架の道行きのところで、十字架を担ってローマ兵にどつかれながら進むイエズス様の反対側をゲッセマニで最後の誘惑をしたサタンが進み、その反対側をマリア様が進んでおられるシーンですね。イエズス様挟んでマリア様とサタンとの間に見えない火花が散ってますねぇ。このシーンでアダムとエヴァを堕落させた悪魔と、女の末の戦いを効果的に演出してますねぇ。 それよりもプロテスタントの人たちの熱心なこと。教会単位で団体の予約席ができていて、牧師さんが信者を10~20人単位で引率してきていました。(おそらく、これが立ち見の原因かと。)それと、最寄の日本橋と難波の駅前では、プロテスタントの学生グループや救世軍が讃美歌歌いながらパッションのちらしと割引券を配布していました。また映画館の前では、並んでいる人たちに色々なプロテスタントの教会の青年会?と思われる人たちが小冊子やギデオン教会の聖書を無料で配布していました。 カトリックはあれですねぇ、こういう所でカテキズムの小冊子や不思議のメダイ配るっう発想ないんですかね?信者拡大のチャンスなのに。小野田神父様、こんど映画館の前でいっしょにメダイ配布しましょうか? 5月13日の毎日新聞の夕刊に掲載された野島孝一氏の「シニア映画歓」の記事も頂きましたが、大変面白く拝読しました。この映画を残酷だという方に野島氏は、日本人が徳川時代にキリシタンに対してこの映画以上に残酷な拷問を加え、大勢の信者をはりつけにしたことを述べたり、大司祭にあおられてキリストの死を要求する群衆について述べつつ「恐るべきは愚衆」と言及したりしていました。それにしても、野島氏は最後に疑問を投げかけています。「それにしても大衆は愛を説いたキリストをなぜ憎んだのだろうか」と。 ユダヤの大衆は、ユダヤ教の大司祭にあおられただけでした。キリストとバラバのどちらに投票するか、と問われ、大司祭の言うままにバラバに票を投じ、キリストを十字架につけるように叫んだのでした。群集心理が働き、「従順」の名前の下に、ユダヤ会堂からの「破門」を恐れ、大司祭の言うとおりにしただけでした。マスコミに踊らされる現代の大衆を見るようではないでしょうか。 私も日本では静岡で両親と共に拝見してきました。雨が降り、嵐のような天気でしたが、映画館はほぼ満員で危うく2時間以上待たされてしまうところでした。 日本語の字幕は英語の上に横に付いていましたが、韓国語では英語の字幕が無く韓国語だけで右に盾についていました。韓国語の場合は、プロテスタントの方が訳したそうで、訳がカトリックの用語とは離れているところもありました。それでも、mother の訳はオンマ(お母様、お母さん)となっており、聖母マリア様が十字架の重さに倒れるイエズス様のところに走って言われる I am here も、お母さんがここにいますよ、というぐあいに訳されていました。イエズス様がエロイ・エロイ・ラマ・サバクタンニと言われるときは、我が天主よ、というところがアボジ(お父さん)と訳されていたのは残念でした。 何故残念なのかというと、「我が天主よ」ということと「聖父よ」とは意味が違うからです。私たちの主イエズス・キリストは、天主のペルソナにおいて2つの本性(つまり天主の本性と人間の本性)を結合させています。ですから、イエズス・キリストはまことの天主であり同時にまことの人間なのです。そのイエズス・キリストが十字架の上で、エロイ・エロイ・ラマ・サバクタンニといわれたのは、人間としての言葉だったので、ここでは「わが天主よ」とそのまま直訳するのが正しいからです。 イエズス様が、聖父の聖子として「聖父よ、彼らを赦し給え!」といのる場合がありますが、この場合には「同じアボジということでもカトリックでしたらソンブ(聖父)と訳していたことでしょう。」 日本語に訳された方は大変苦労されたことだと思います。何故なら、日本の方々はあまり聖書やキリスト教になじみのない方が多いでしょうから、「専門用語」を使うともしかしたら、意味が通じにくくなってしまう、ということを配慮されたと思います。また字幕ということの制限から、いろいろな制約もあったことだと思います。それでも全体的には上手く訳されていたように思えました。 ただ、イエズス様という師の母親である聖母マリア様に向かって、弟子たちが mother というところを、マリアと呼び捨てにさせていたのは少し残念であったように思いました。おそらく、聖母よ、とか、お母様、などと訳していたら、映画作者の意向が正しく伝わったのではないかと思いました。 私もこの映画のおかげで、アラム語で「主」がアドナイ(アズナイと聞こえた?)、「飲め」がシュテー、「ペトロ」がケファ、「アメン」がアミン、「ナザレトのイエズス」がイェシュア・ミンザーレ、「止めさせて下さい」がアッズルホム、などと言うらしいと言うことを知ることが出来ました。 イエズス様とピラトが会話している時にそれまでアラム語を話されていたイエズス様がピラトにラテン語で話され始め、ピラトはイエズス様にラテン語で答えるシーンがありました。おまえは王なのか?という質問をピラトがまずアラム語で(アマル・カ?と聞こえた?)尋ね、その直後に Rex es tu? と尋ねます。すると、イエズス様がラテン語で答え始めるのです。 韓国のソウルでは2回映画を観ましたが、2回とも映画の最中に映画館中ですすり泣きが聞こえ、私も2回とも涙をこらえることが出来ずにおりました。しかし映画が終わるとさっさと席を立って直ぐに帰り始める人々が多く、制作者の名前のリストが流され終わるまで残る人は私たちの信者さんだけでした。 静岡では、やはりいろいろなところで、あちこちからすすり泣きが聞こえていましたが、映画館中というわけではなかったようです。しかし、かなり多くの方が最後の最後まで映画館の椅子に留まって、最後まで残っていました。 メル・ギブソン監督とこの映画に関わった全ての人々にも心から感謝と賛美を贈りたいと思います。21世紀のキリスト教を忘れ去ったような時代にこのような映画が上映されるというのは、本当に奇跡のような恵みであったと思います。 父は未信者ですが、この映画を大変興味深く見たようで、帰り道に車の中でこう言いました。「なぜキリストが、憎まれて死刑を受けたのか、素人には理解が難しかった」と。 ユダヤ教の存在理由が、この人こそ約束の救い主・キリストである、と告げることにありました。しかし、実体であるキリストが現れたとき、影であるユダヤ教の存在理由が失われ、ユダヤ教は実体に場所を譲り消滅しなければなりませんでした。ユダヤの大司祭はそれを恐れました。 父の疑問を聞いて、何か日本語でパッションに関わる記事を書きたいな、と思いました。いつの日か、それができる知恵とゆとりが与えられると、良いなと思っています。 イエズス・キリストの御受難と同時に天主の御母聖マリアが苦しみを受けました。これはメル・ギブソンの映画にもよく現れていました。特に聖母マリアさまが十字架から下ろされたイエズスを抱いて私たちを見つめている「ピエタ」は印象的でした。
バチカンの聖ペトロ大聖堂にはミケランジェロの有名なピエタがありますが、このピエタの写真展がバチカンで開かれているそうです。次のウェッブ・サイトをご参考に下さい。
Mense Junio in pulchra civitate Vasintonia fiet conventiculum rusticum latinum. Si sunt qui de hoc conventiculo certiores fieri cupiunt, adeant situm: さて、この前もお知らせ致しましたが、8月は、ウィリアムソン司教様がアジアにおこしになる予定で、特に8月21日(土)、22日(主日)は、東京でお過ごしのご予定です。ウィリアムソン司教様の来日のため、大阪の土曜日の聖伝のミサはキャンセルせざるを得なくなりそうですが、どうぞ寛大なご理解をお願い致します。 天主様の祝福が豊かにありますように! トマス小野田圭志神父 (聖ピオ十世会司祭) |