マニラのeそよ風

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第224号 2004/03/08 四旬節第2週の月曜日


Pius XI  カトリック教会の外にては誰も救われることが出来ないこと、そして反抗的にカトリック教会の権威と信仰定義に反抗するものたち、カトリック教会の一致からそしてペトロの後継者であるローマ教皇から頑固に離れとどまるものは永遠の救いを得ることが出来ないことは、完璧によく知られたカトリックの教えである。
(ピオ9世、1863年8月10日、イタリアの司教たちへ)

アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、
 聖ピオ十世会が枢機卿様たちに提出した、聖ピオ十世会『エキュメニズムから静かな背教へ -教皇在位の25年―』(メンツィンゲン2004年)の日本語訳をご紹介致します。今回はその第1部です。


聖ピオ十世会
エキュメニズムから静かな背教へ
-- 教皇在位の25年 --
メンツィンゲン2004年

1.ヨハネ・パウロ2世の教皇即位25周年は、教皇がご自分の教皇職に与えた最も基本的な方針について考察をする機会である。第2バチカン公会議に続いて、教皇はご自分の教皇職を一致のしるしのもとに置こうと望まれた。「全てのキリスト者たちの一致を回復することは第2バチカン公会議の主要な目的の一つであった(エキュメニズムに関する教令1番参照)そして私は教皇即位と同時に、その規定とその方針を実行に移すことに励んだ。それはそれこそが私の主要な義務であると考えたからである。」[1] ヨハネ・パウロ2世によればこの「キリスト者たちの一致の回復」は、更に大きな一致、つまり全人類家族の一致への一歩を記すことになった。「キリスト者たちの一致は更に大きな一致、全人類の一致へと開かれている。」[2]

2.この基本的選択のために

-ヨハネ・パウロ2世は「第2バチカン公会議のこの『マグナ・カルタ』である『教会憲章』を手に取る」[3]義務があると考えた。この「教会憲章」において、教会は「秘跡、すなわち神との親密な交わりと全人類一致のしるしであり道具」[4]であると定義されている。この文書を「手に取る」ことは「キリストにおいて全てキリストを信じキリストに希望する人々の生き生きとした交わりを常によりよく実現させるためであり、また同様に全人類家族のより幅広くより強い一致へと寄与するため」[5]であった。

-ヨハネ・パウロ2世は、この一致を追及することをご自分の教皇職の本質とし、諸宗教との出会い、謝罪、エキュメニカルな行動を数多く重ねた。これこそが教皇の多くの旅の主要な理由でもあった。「(教皇の訪問の)旅行は、よく知られているとおり、全ての大陸の部分教会に及び、また、さまざまな教派のキリスト者とのエキュメニカルな関係発展に配慮する定期的な出来事になった。」[6]

-ヨハネ・パウロ2世は、2000年の大聖年を特徴付けるものとしてエキュメニズムを与えた[7]。

従って、間違いなく「近年、地方教会とローマの使徒座のあらゆる活動はキリスト教一致の側面を帯びているといえる。」[8] こうして25年が過ぎ、大聖年が終わった。今やそれを総括する時が来た。

3.ヨハネ・パウロ2世は長い間ご自分の教皇職は「新しい待降節」[9]であり、「完全な一致を取り戻した教会に新しい千年期の夜明けが昇る」[10]ものであると信じていた。新しい千年期には教皇の「夢」が叶えられるだろうと考えられていた。つまり「世界中の旅する全ての民々、地上の様々な場所の民々が唯一の家族として天主のもとに集うこと」[11]である。しかし現実に起こったことはその反対であった。「私たちが今生きている時代は、多くの男女が方向性を見失っているように思える「道に迷う時代」であるように見える。」[12] 例えばヨーロッパには「実質的な不可知論と宗教無関心の一種」がはびこり「ヨーロッパ文化が『静かな背教』をしているという印象を与えている。」[13] エキュメニズムはこの状況に関与していないわけではない。ヨハネ・パウロ2世の思想を分析すると(第1部)、私たちは深い悲しみを禁じ得ないがエキュメニカルな実践はカトリックの教えとは関係ない思想から由来するものであること(第2部)が分かり、「静かな背教」へと導いていること(第3部)が分かる。


第1章 エキュメニズム思想の分析


人類の一致と諸宗教の対話


キリストは全ての人と一致している

4.教皇のエキュメニズム概念の基礎に「イエズス・キリストは『ある意味で自分自身をすべての人間と一致させた』(「現代世界憲章」22番)のであり、それはそのことを意識していない人々とも一致している」[14] ということがある。ヨハネ・パウロ2世は、キリストがもたらした贖いは、全人類のために有り余るほど充分であり各々一人一人に提示されていると言う意味で普遍的であるばかりか、特に事実上、贖いが全ての人々に適応されているが故に普遍的であると説明している。従って「キリストにおいて、宗教はもはや『手探りによる神の探究』(使徒行録17:27参照)ではなく、自らを明らかにした神に対する信仰の応答で・・・個々の人間はまた、キリストにおいて神に応答することが可能になった」と言う一方で、教皇は「すべての被造物もキリストをとおして神に答える」[15]と付け加えている。実に「誰でも贖いの秘義に含まれていて、キリストは、この秘義を通して、それぞれの人間と永久に結ばれている・・・これがイエズス・キリストにおいて受けることとなった秘義の豊かさの中にいる人間で、現在地球上に住む四十億の人間のひとりひとりは、母の胎に宿された瞬間から、この秘義に与るものとなる」[16]そのため「聖霊において、それぞれの人間およびそれぞれの民が、キリストの十字架と復活によって天主の子らとなり、天主の本性への参与者、永遠の命の世継ぎとなった」[17]のです。


アシジの集い

5.贖いをこのように普遍化する思想は、ヨハネ・パウロ2世がカトリック教会とその他の宗教とどのように関わるかというやり方の中にその直接の適応の例を見いだすことが出来る。上述の一致の秩序が「創造と贖いにまで遡るものであり、この意味においてこれが『天主よりのもの』であるなら、これらの【上に述べた】違いや多様性は、宗教の違いを含めて、むしろ『人間が作ったもの』であると言うべき」[18]であり、「創造において主要な座を占めている一致の壮大な計画を実現させる進歩において乗り越えていかなければならない」[19]ものである。そこから1986年10月27日にアシジで行われたような諸宗教の集いが催され、そこにおいて教皇は「この世のすべての人間たちの間に天主の御言葉が確立した、隠れてはいるが根本的な一致を目に見えるやり方で」[20]見いだすことを望んだ。このようなしぐさにより、教皇は「キリストは世界中の宗教が切望していることを成就するかたであり、唯一にして最終的な完成者」[21]であるということを教会に宣言することを欲した。


キリストの教会とエキュメニズム


キリストの唯一の教会

6.二つの次元がある。つまり、天主の建てた一致は破られることなく留まっていること、そして人間的なものにすぎない歴史的な分裂である。このような図式が、交わりとして考えられた教会に適応されている。ヨハネ・パウロ2世はそこで、天主的な現実としての「キリストの教会」と「人間による分裂」の結果としての様々な教会を区別している[22]。キリストの教会とはその境界線があまりはっきりしていないが、それはカトリック教会の目に見える範囲を超えるものであると言うことから来ている[23]。キリストの教会は内的な現実である[24]。教会は彼らのどのような教会に所属していようとも、少なくともキリスト者たち全てを集める[25]。全ては「キリストの弟子[26]」であり、「キリストに属しているという共通の条件」[27]を持っている。彼らが「一つであるのは、聖霊において彼らが御子との交わりのうちにあり、御子において御父との交わりのうちにあるからである。」[28] キリストの教会は諸聖人の交わりであり、分裂を越えるものである。「教会は諸聖人の交わりである[29]」。「キリスト者たちが信じ希望している交わりとは、その最も深い現実において、キリストによる聖霊における聖父とキリスト者たちとの一致である。聖霊降臨以来、この一致は教会、すなわち諸聖人の交わりに与えられ受け取られた。」[30]


教会の分裂

7.ヨハネ・パウロ2世によると、歴史において引き起こされた教会の分裂は、キリストの教会には影響を及ぼさなかった。言い換えると、歴史上の分裂にもかかわらずキリスト者たち同士の根本的な一致は犯されることなく無傷のままに残った。「神の恵みによって、キリストの教会の構造に属するものも、なお残る他の諸教会や教会的諸共同体とのあの交わりも、覆されはしなかった。」[31]これらの分裂は別の次元でのことであった。分裂は、諸聖人の交わりが現されることに関わるのであり、この交わりを目に見えるものにさせる、信仰宣言、秘跡、位階制度との交わりという伝統的な絆に関するものにすぎない。これらの絆を幾つか拒むことによって別れた諸教会は、部分的なやり方でのみカトリック教会との目に見える交わりを失いはしたが、その他は失っていない。このような交わりは、保存された絆の多少に応じて、いろいろな程度の幅がある交わりである。そこで離れた諸教会とカトリック教会との不完全な交わりという言い方や、無傷に残ったキリストの唯一の教会における全ての人々の交わりなどという言い方をするようになる[32]。「姉妹教会」[33]という言い方も頻繁に使用されるようになる。

8.この概念に従えば、キリスト教の諸教会を一致させるものはそれらを分離させるものよりも大きいことになる[34]。「霊的共通空間は、私たちをそれぞれ互いに分離させる信仰の違いの多くの障害物よりも上回っている。[35]」この霊的空間とはつまりキリストの教会である。キリストの教会はカトリック教会の中において「唯一の主体として[36]」「存在する[37]」だけなので、キリストの教会は、離れた教会的共同体においてもそこに存在する「聖化と真理の要素」[38]の故に少なくとも「能動的な現存」を保っている。これこそが諸教会共通の「殉教録」を発行することによってヨハネ・パウロ2世が確固たるものとしようと望んだ共通の霊的空間である。「キリスト教一致のもっとも説得力ある形は、おそらく聖人と殉教者によるエキュメニズムである。聖徒の交わりは、私たちを隔てているさまざまなことよりも雄弁に語る。」[39]


吸収なく融合なき相互授与

9.その時、「エキュメニズム運動の最終目的は、洗礼を受けたすべての人の完全な一致を、目に見える形で再建することである。」[40] このような一致は「帰正のエキュメニズム」によっては実現することが出来ないだろう[41]。「私たちは一致を追及する方法としてのそれを拒否する。・・・カトリック教会の司牧活動は、ラテン典礼教会も東方典礼教会も、一つの教会から別の教会へと信者を移行させようとすることをしない。[42]」このことは2つのことを忘れることである。

-第2バチカン公会議が愛徳の欠如として分析する[43]これらの分裂は、両者の責任であるとされている。「『エキュメニズムに関する教令』は、キリスト者たちの分裂を思い起こし、『双方に過失がなかったわけではない』(『エキュメニズムに関する教令』3番)ことを見逃していません。責任を『相手』にだけ帰することは出来ないことを認めています。[44]」

-エキュメニズムは諸教会の間の「たまものを交換しあうこと[45]」である。「互いに補い合うために、教会どうしでたまものを交換し合うことが、交わりを実り豊かなものとする。[46]」

従って、ヨハネ・パウロ2世が望んでいる一致とは、「吸収でもなく、融合でもない[47]」ものです。この原理をカトリック教会と正教会との関係に適応し、教皇はこう話を進めている。「東方と西方との二つの姉妹教会は、それぞれの教会を特徴付けている暗黙のうちに理解されている深い理由を相互に聞くこと無しには、またそれぞれの教会が持っている天才的な宝を相互に与えること無しには、キリストの教会は聖霊降臨の高間で教会が最初に受けた形の満ちた成熟を現すことが出来ないと今日では理解している。[48]」


目に見える一致の再構成

10.「家庭において時として不和が一致の再構成によって乗り越えられなければならないように、全キリスト者共同体という最も大きな家庭において同じ事をしなければならない。[49]」目に見える一致の再構成によって人類の不和を乗り越える、これが教皇のやり方である。このことを伝統的な3つの絆、すなわち信仰宣言、秘蹟、位階秩序との交わりに適応すべきことになる。何故なら、これらこそ一致を目に見えるものとする事柄だからである。


秘跡の一致

11.パウロ6世が秘蹟に関してこのやり方を使ったと言うことはよく知られている。第2バチカン公会議の教令を適応させた多くの典礼改革において、「教会は私たちの離れた兄弟たちのために一致の道を歩みやすくするために全てをする望みに動かされ、ほんの少しでも躓きや不快の危険の陰となりそうな石は全て取り除いた。[50]」

12.教義をあまりにもはっきり表明しているカトリック典礼という障害は、やはりこうして取り除かれた。離れた共同体らの典礼によっておかれた困難を乗り越えるだけとなった。改革は他の典礼の承認に場を譲った。アッシリア典礼のアッダイとマリの(ネストリウス派)アナフォラは、聖変化の言葉が含まれていないにもかかわらず、ヨハネ・パウロ2世によって承認された明確な文書を通して有効であると宣言された[51]。


信仰宣言における一致

13.信仰に関しては、ヨハネ・パウロ2世は非常にしばしば「反対の立場を取って言い争い、譲ろうとしなかったために、実際には、同じことを異なる2つの角度から探究した結果、違ったものになってしまったことがあった。今日では、真理の全体をとらえることによって、偏った読み方を越えて、誤った解釈を遠ざけることのできる定式を見つける必要がある。[52]」このことは、教会が今まで使ってきた教義の定式に関して緩やかな態度を取ることを要求する。そしてこれは、教義的定式を特定の時代に従属するものとさせるために歴史的相対主義に陥るだろう。「教会がその教義的定式によって真実に教えようとしている真理は、疑いなく特定の時代に固有の変化する概念とは区別されるものである。しかしこれらの真理がこのような時代に固有の概念の痕跡を残している用語によって、教導権によってさえも、時として定式付けられることがあり得る。[53]」

14.これらの原理を適応する2つの例がよく引用される。ネストリウスの異端の場合、ヨハネ・パウロ2世は「引き起こされた分裂は、その大部分が誤解によるものである[54]」と考えている。原理が「何よりも、教義の定式が自分の属する共同体で通常用いているのとは異なっていても、言葉はひそかに同じことを述べてはいないかとよく調べると良い[55]」と主張するなら、この適応が悪用されるのは全く明らかである。このようにして東方のアッシリア教会のキリスト論に関する信仰は、エフェゾの公会議の定式に従えば「聖母マリアは天主の御母である」がこの定式を信じるということが要求されることなく、正しいものと承認された。これはこれ以前の複数の排斥に挑戦することであり、それらが不可謬であると言う観点を無視することである[56]。これよりも更に特徴的なのは、世界ルター派連盟との共同宣言である。この関心事は信仰を表明し誤謬を避けると言うことではなかった。そうではなくただトリエント公会議の排斥をくぐり抜けることができるような形式を見つけ出すことだけであった。「この共同宣言は、この時まで議論された排斥や疑問が乗り越えられたことは分離と排斥が軽く考えられているとか、あるいは私たちの伝統のそれぞれの過去が否認されると言うことを意味しないという確信によってなされている。しかしながらこの宣言は私たちの教会の歴史において新しい望みが起きているという確信によってなされている。[57]」簡単な言葉でカスパール枢機卿はこの宣言を注解している。「私たちが最初は矛盾を見たところで、私たちは今では相互補完の立場を見ることができる。[58]」


位階制度との交わり

15.ペトロの職務に関しては、教皇の望みはよく知られている。つまり諸教会の牧者たちと神学者たちと手を携えて「双方が認める愛の業となっていく諸形式[59]」を見つけることである。その時、教会の必要(necessitas Ecclesiae)という基準[60]を導入することになり、この基準は今日、ペトロの職務を行使するに当たってエキュメニズムの障害となりうることを軽減するために、キリスト者たちの一致の実現として理解されている。

16.カスパール枢機卿によると、このようなやり方は充分ではない。さらに現在離れた共同体において存在する障害を乗り越えなければならない。例えば、聖公会の叙階が無効であると教令[61]が出たことである。カスパール枢機卿がこのために提案する道程は使徒継承とは何かをもう一度定義し直すことである。それは「或る一人の使徒にまで数世紀にもわたって遡る叙階の按手の歴史的鎖という意味において」ではなく「使徒継承の同じ信仰を分かち合うことによってまた同じ使徒宣教によって使徒たちにまで遡ることができる、一つの全体としての団体(collegium)が、団体として参与している[62]」という意味である。


***<注>********************************

[1] ヨハネ・パウロ2世 Allocution au secretariat pour l’unite des chretiens du 18/11/1978, La documentation catholique n° 1753 du 03/12/1978 p. 1017.

[2] ヨハネ・パウロ2世、1982年1月17日のアンジェルス La documentation catholique n° 1823 du 07/02/1982, p. 144.

[3] ヨハネ・パウロ2世、1978年10月17日の世界への最初のメッセージ La documentation catholique n° 1751 du 05/11/1978, p. 902-903.

[4] 第2バチカン公会議「教会憲章」1番

[5] ヨハネ・パウロ2世、1978年10月17日の世界への最初のメッセージ、La documentation catholique n° 1751 du 05/11/1978, p. 903.

[6] ヨハネ・パウロ2世、使徒的書簡『紀元2000年の到来Tertio Millennio adveniente』24番。またヨハネ・パウロ2世、回勅『キリスト者の一致 Ut unum sint』42番「こうした行事(=エキュメニカルな行事)は、わたしが世界の各地を使徒として旅行したときの、あるいはローマで行われたエキュメニカルな会見あるいは式典の時の、もっとも重要なイベントの一つであった」を参照。

[7] ヨハネ・パウロ2世、Homelie a l’ouverture de la Porte Sainte a Saint-Paul-hors-les-Murs du 18/01/2000, La documentation catholique no 2219 du 06/02/2000, p. 106 : « La Semaine de Priere pour l’unité des chrétiens commence aujourd’hui a Rome avec la celebration qui nous voit reunis. J’ai voulu qu’elle coincide avec l’ouverture de la Porte Sainte dans cette basilique consacree a l’Apotre des nations, pour souligner la dimension oecumenique qui doit caracteriser l’Annee jubilaire 2000. »

[8] ヨハネ・パウロ2世、使徒的書簡『紀元2000年の到来 Tertio Millennio adveniente 』34番。

[9] ヨハネ・パウロ2世、回勅『レデンプトル・オミニス-人間の贖い主-』1番。

[10] ヨハネ・パウロ2世、Homelie prononcee en presence du Patriarche Oecumenique de Constantinople Dimitrios 1er le 29/11/1979 a Istanbul, DC n° 1776 du 16/12/1979, p. 1056.

[11] ヨハネ・パウロ2世、Message pour la XV° Rencontre internationale de priere pour la paix, DC n° 2255 du 07/10/2001, p. 818.

[12] ヨハネ・パウロ2世、Ecclesia in Europa, n° 7, DC n° 2296 du 20/07/2003, p. 670-671.

[13] ヨハネ・パウロ2世、Ecclesia in Europa, nos 7 & 9, DC n° 2296 du 20/07/2003, p. 671-672.

[14] ヨハネ・パウロ2世、La situation du monde et l’esprit d’Assise, discours aux cardinaux et a la Curie du 22/12/1986, DC n° 1933 du 01/02/1987, p. 134.

[15] 使徒的書簡『紀元2000年の到来Tertio Millennio adveniente』6番。

[16] 回勅『レデンプトル・オミニス-人間の贖い主-』13番。

[17] ヨハネ・パウロ2世、1981年2月21日のアジアの民々へのメッセージ DC n° 1804 du 15/03/1981, p. 281.

[18] ヨハネ・パウロ2世、1986年12月22日の枢機卿とローマ・クリアに対してなされた講話「世界の状況とアシジの精神」DC n° 1933 du 01/02/1987, p. 134

[19] ヨハネ・パウロ2世、同上

[20] ヨハネ・パウロ2世、同上、133ページ

[21] 使徒的書簡『紀元2000年の到来Tertio Millennio adveniente』6番。

[22] 回勅『キリスト者の一致Ut unum sint』42番。「歴史の面、また教会法の面の隔たりはまだなくなってはいないのだが、・・・今日ではよりふさわしい言葉、聖霊がはぐくむ――洗礼のしるしによって結ばれた――交わりの深さを考えさせる言葉で置き換えられるべきとされている。」

[23] 第2バチカン公会議「エキュメニズムに関する教令」3番。「教会を建て、これに生命を与える諸要素、すなわち富の総体の中のあるもの、しかも多くのすぐれたものがカトリック教会の見える境界の外に存在できる。・・・これらすべてはキリストから来るもの、キリストに導くものであって、本来、キリストの唯一の教会に所属する。」そしてこれを理由として「教会憲章」8番は、キリストの教会がカトリック教会「のうちに存在する」と言い、キリストの教会はカトリック教会であるとは言わない。ラッチンガー枢機卿は2000年2月27日の講話で「教会憲章」を解説してこう言っている。「この表現によって第2バチカン公会議は、ピオ12世がその回勅『ミスティチ・コルポリス』の中で使った表現すなわち『キリスト教会はキリストの唯一の神秘体である(ラテン語でest)』とは別のことを言わんとしている。・・・「の中に存在するsubsistit in」と「であるest」との違いは教会 の分裂の惨事を内蔵している。教会は単一で唯一の主体にのみ存在するが、この主体の外に教会の現実、真の地方教会と様々な教会共同体らが存在している。」(L’ecclesiologie de la Constitution conciliaire Lumen Gentium, conference du 27/02/2000, DC no 2223 du 02/04/2000, p. 310 - 311 : « Par cette expression, le Concile se différencie de la formule de Pie XII qui avait dit dans son Encyclique Mystici Corporis : l’Eglise catholique "est" (est, en latin) cependant l’unique corps mystique du Christ. [...] La différence entre "subsistit" et "est" renferme le drame de la division ecclesiale. Bien que l’Eglise soit seulement une et subsiste en un unique sujet, des réalités ecclésiales existent en dehors de ce sujet : de véritables Eglises locales et diverses Communautés ecclésiales. »

[24] このことは「教会憲章」7,8番が教会を描写するやり方から直接に由来する。第2バチカン公会議までは教導職は聖パウロの類比を使っていた。それによれば教会はキリストの神秘体である。体ということは目に見えるものである。「教会は体であるので私たちの目に見えるものである」(レオ13世、回勅『サティス・コニトゥム』(DzH3300)しかし第2バチカン公会議はこの結びつきを拒否し、キリストの体としての教会(「教会憲章」7番)とカトリック教会の可視性(「教会憲章」8番)とを別々に取り扱っている。それは暗黙のうちにキリストの体としての教会(=キリストの教会)はそれ自体としては目に見えるものではない、ということを了解させている。確かに「教会憲章」8番ではキリストの教会と組織としての教会との一致の必要性を述べている。「聖職位階制度によって組織された社会(=カトリック教会)とキリストの神秘体(=キリストの教会)、見える集団(=カトリック教会)と霊的共同体(=キリストの教会)、地上の教会(=カトリック教会)と天上の善に飾られた教会(=キリストの教会)は、二つのものとして考えられるべきではなく、人的要素と神的要素によって形成される複雑な一つの実在である。」しかしこれは充分ではない。何故なら2つの区別されたこと(すなわちキリストの教会と組織上の教会)の一致は、教会に固有の一致を意味するわけではないからである。そうであるばかりか、キリストの教会が「カトリック教会の中に存在する」とき、この両者が同一のものではなく一つが他方の中にあるというとき、特にキリストの教会が、その完全な内容であるカトリック教会の外において能動的に存在しているということが肯定されるとき、教会に固有の一致は拒否されている。このことによりまた「教会憲章」15番の結果としてヨハネ・パウロ2世は頻繁に、洗礼を受けたものはその所属する教会団体がいかなるものであろうともキリストに一致しキリストの神秘体の一員であると言っている。この理論は、キリストの教会が内的なものであると言うことを主張するものであり、ラッチンガー枢機卿やカスパール枢機卿のように傾向が異なった枢機卿たちも同様に全く明らかなこととして主張している。「グァルディーニの言った『教会は霊魂たちの中で目覚める』という言葉は長い間熟考された。この言葉は教会が私たちの現前に一つの組織として存在するものではない何らかの内的なものとして、私たち自身において生きているものとして最終的には認められ生きている。その時まで教会は一つの構造・組織として考えられていたが、ついには私たち自分自身が教会であることを自覚した。教会は一組織以上のものだった。教会は聖霊の機構であり、私たちが全て親密な関係において把握する何らかの生命的なものであった。」 « "L’Eglise se réveille dans les âmes" : Cette phrase de Guardini avait été longuement murie. En effet, elle montra que l’Eglise était finalement reconnue et vecue comme quelque chose d’interieur, qui n’existe pas face a nous comme une institution quelconque mais qui vit en nous-memes. Si, jusqu’alors, l’;Eglise avait ete consideree tout d’abord comme une structure et une organisation, on prit finalement conscience que nous etions nous-memes l’Eglise. Elle etait beaucoup plus qu’une organisation : elle etait l’organisme de l’Esprit Saint, quelque chose de vital, qui nous saisit tous dans notre intimite. Cette nouvelle conscience de l’Eglise trouva son expression linguistique dans le concept de "corps mystique du Christ" » (ラッチンガー枢機卿、2001年9月15日、アヴェルサ教区の司牧会議開催に際してなした講話「第2バチカン公会議の教会論」より)

「教会の――キリストの体としての教会の――真の本性は、隠れており、信仰によってでしか把握され得ない。しかしこの信仰によってのみ把握されうる本性は目に見える様々な形で実現する。」 « La veritable nature de l’Eglise – l’Eglise en tant que Corps du Christ - est cachee, et elle n’est saisissable que par la foi. Mais cette nature saisissable uniquement par la foi, s’actualise sous des formes visibles. » (カスパール枢機卿、2002年3月23日フランスのプロテスタント連合の全体会議においてなした講話「カトリック教会のエキュメニカルな取り組み」Oecumenisme informations n° 325 (05/2002) et 326 (06/2002)より)

[25] ここでは「少なくとも」と書いた。何故なら、カロル・ワォイティワは枢機卿だったときバチカンで黙想会を指導しその時これよりも遙かに遠くまで話を進めたからである。「どこまでも尊厳な神。トラピストやカルトジオ会士は、沈黙の生活をつらぬいて、この神をあがめる。砂漠の遊牧民は、祈りの時間にこの神に祈る。仏教僧も、ニルバナ(涅槃)に心を向けて身を清める。しかしニルバナに向かうだけであろうか。・・・生ける神の教会は、まさに教会内に、人間精神の驚嘆すべく基本的なこの超越性にどのような方法である参与する人々を集める。」« Dieu de Majeste infinie ! le trappiste ou le chartreux confesse ce Dieu par toute une vie de silence. C’est vers lui que se tourne le bedouin peregrinant dans le desert quand vient l’heure de la priere. Et ce moine bouddhiste se concentre dans sa contemplation qui purifie son esprit en l’orientant vers le Nirvana : mais est-ce seulement du cote du Nirvana ? [...] L’Eglise du Dieu vivant reunit justement en elle ces gens qui de quelque maniere participent a cette transcendance a la fois admirable et fondamentale de l’esprit humain » (カロル・ワォイティワ『反対をうけるしるし』エンデルレ書店1980年25-26ページ)

[26] ヨハネ・パウロ2世、回勅『キリスト者の一致Ut unum sint』42番

[27] ヨハネ・パウロ2世、同上

[28] ヨハネ・パウロ2世、回勅『キリスト者の一致Ut unum sint』9番

[29] 教理聖省「交わりとして捉えられた教会の幾つかの側面に関する書簡」6番。Lettre sur certains aspects de l’Eglise comprise comme Communion, n° 6, La documentation catholique n° 2055 du 02/08/1992, p. 730.

[30] エキュメニズムに関する原理と規範の適応のための指針(ヨハネ・パウロ2世の1993年3月25日認可済み)13番。Directoire pour l’application des principes et des normes sur l’oecumenisme (approuve par Jean-Paul II le 25/03/1993), n° 13, La documentation catholique n° 2075 du 04/07/1993, p. 611.

[31] ヨハネ・パウロ2世、回勅『キリスト者の一致Ut unum sint』11番

[32] 第2バチカン公会議、『エキュメニズムに関する教令』3番。「キリストを信仰し、洗礼を正しく受けた人々は、たとえ完全ではなくても、カトリック教会とのある交わりの中に居る。言うまでもなく、教義において、ときには規律の面においても、あるいは教会の構造に関して、かれらとカトリック教会との間に存在する種々の相違のために、完全な教会的交わりを妨げる障害が少なからずあり、ときには重大なものがある。エキュメニカル運動はこれらの障害の克服を目ざしている。」以上が部分的に壊された目に見える交わりに関する部分である。しかし『エキュメニズムに関する教令』はその後で直ぐに言葉を続けて、目に見えない交わりはそのまま続いていることを語る。「それにもかかわらず、信仰によって洗礼において義とされた者は、キリストに合体され、それゆえに正当にキリスト信者の名を受けているのであり、カトリック教会の子らから主における兄弟として当然認められるのである。・・・キリスト教の聖なる行事も、われわれから分かれた兄弟のもとで少なからず行なわれている。それらはそれぞれの教会や教団の異なった状態による種々のしかたで、疑いもなく恩恵の生命を実際に生み出すことができ、救いの交わりへの戸を開くにふさわしいものと言うべきものである。」

[33] ヨハネ・パウロ2世、回勅『キリスト者の一致Ut unum sint』56,57,60番。Allocution dans la basilique Saint-Nicolas de Bari du 26/02/1984, DC n° 1872 du 15/04/1984, p. 414 ; Declaration christologique commune entre l’Eglise catholique et l’Eglise assyrienne d’Orient, DC n°2106 du 18/12/1994, p. 1070 ; Homelie prononcee en presence du Patriarche Oecumenique de Constantinople Dimitrios 1er le 29/11/1979 a Istanbul, DC n°1776 du 16/12/1979, p. 1056 : « Je vous invite a prier avec ferveur pour la pleine communion de nos Eglises. [...] Suppliez le Seigneur pour que nous-memes, pasteurs des Eglises-soeurs, nous soyons les meilleurs instruments en cette heure de l’Histoire, pour regir ces Eglises, c’est-a-dire pour les servir comme le veut le Seigneur, et servir ainsi l’;unique Eglise qui est son Corps. »

[34] ヨハネ・パウロ2世、使徒的書簡『紀元2000年の到来Tertio Millennio adveniente』16番

[35] ヨハネ・パウロ2世、1999年12月9日のルター派世界連盟の代表団に対する講話

[36] ラッチンガー枢機卿、2000年2月27日の講話「第2バチカン公会議憲章『教会憲章』の教会論」、DC no 2223 du 02/04/2000, p. 311.

[37] 第2バチカン公会議「教会憲章」8番、「エキュメニズムに関する教令」4番、「信教の自由に関する宣言」1番

[38] 第2バチカン公会議「教会憲章」8番。回勅『キリスト者の一致Ut unum sint』11番

[39] ヨハネ・パウロ2世、回勅『キリスト者の一致Ut unum sint』37番

[40] ヨハネ・パウロ2世、回勅『キリスト者の一致Ut unum sint』77番

[41] 「帰正のエキュメニズム」とは「カトリック教会への帰正を促すことによって教会一致を目指すエキュメニズム」であり、ピオ11世が回勅『モルタリウム・アニモス』の中で主張していたことである。 « pousser au retour des dissidents a la seule veritable Eglise du Christ, puisqu’ils ont eu jadis le malheur de s’en separer. Le retour a l’unique veritable Eglise, disons-Nous, bien visible a tous les regards. »

[42] 「カトリック教会と正教会との神学的対話のための国際共同委員会の宣言」(通常「バラマンド宣言」と言われている)2,22番。Declaration de la Commission mixte internationale pour le dialogue theologique entre l’Eglise catholique et l’Eglise orthodoxe du 23/06/1993, n° 2 et 22, DC n° 2077 du 01-15/08/1993, p. 713. カスパール枢機卿は更にこう言っている。「帰正のエキュメニズムという古い概念は今日では、共通の道程のエキュメニズムという概念によって置き換えられた。この新しい概念はキリスト者たちを、和解された多様性における一致として理解された教会的交わりの目的へと導いている。」 « Le vieux concept d’oecumenisme du retour a ete remplace aujourd’hui par celui d’itineraire commun, qui dirige les chretiens vers le but de la communion ecclesiale comprise comme unite dans la diversite reconciliee » (W. Kasper, La Declaration commune sur la doctrine de la justification : un motif d’esperance, DC no 2220 du 20/02/2000, p. 167)

[43] 第2バチカン公会議、『エキュメニズムに関する教令』3番。「ある分裂が起こり、・・・もっと重大な不一致が起こり、・・・ときには、双方の人々に過失がなかったわけではない。」

そこで『エキュメニズムに関する教令』7番によって要求されている回心の本性は、「真のエキュメニズムは、内的な回心なしにはありえない。事実、新しい心、自己放棄、豊かな惜しみない愛から一致への望みが生まれ、成熟する」ということである。

Cf. Cardinal Kasper, conference au Kirchentag Oecumenique de Berlin, DC no 2298 du 07-21/09/2003 : « "Convertissez-vous". Il n’est aucun rapprochement oecumenique sans conversion et sans renouvellement. Non la conversion d’une confession a l’autre. Il peut y en avoir dans des cas particuliers, et si c’est pour des raisons de conscience, cela merite respect et consideration. Mais il n’y a pas que les autres a devoir se convertir, la conversion commence par soi-meme. Tous doivent se convertir. Nous ne devons donc pas demander d’abord "Qu’est-ce qui ne va pas avec l’autre ?", mais "Qu’est-ce qui ne va pas chez nous ; par ou commencer, chez nous, le menage ?" »

[44] ヨハネ・パウロ2世、回勅『キリスト者の一致Ut unum sint』11番。同書34番も参照のこと。

[45] 第2バチカン公会議、「教会憲章」13番。ヨハネ・パウロ2世、回勅『キリスト者の一致Ut unum sint』28番。

[46] ヨハネ・パウロ2世、回勅『キリスト者の一致Ut unum sint』57番。

[47] ヨハネ・パウロ2世、1984年2月26日のバリの聖ニコラ大聖堂における講話。ミラの首都大主教、コンスタンチノープルの総大主教の前で述べられたもの。DC n° 1872 du 15/04/1984, p. 414

[48] « Les deux Eglises-soeurs d’Orient et d’Occident comprennent aujourd’hui que sans une ecoute reciproque des raisons profondes qui sous-tendent en chacune d’elles la comprehension de ce qui les caracterise, sans un don reciproque des tresors du genie dont chacune est porteuse, l’Eglise du Christ ne peut manifester la pleine maturite de cette forme qu’elle a recue au debut, dans le Cenacle. » 同上。

[49] « De meme que dans la famille les eventuelles dissensions doivent etre depassees par la recomposition de l’unite, c’est ainsi que l’on doit faire dans la famille plus vaste de la communaute chretienne tout entiere. » Jean-Paul II, Angelus du 17/01/1982, DC n° 1823 du 07/02/1982, p. 144.

[50] A.ブニニ『聖金曜日の荘厳祈祷の変更』A. Bugnini, Modifications aux oraisons solennelles du Vendredi Saint, DC n° 1445 du 04/03/1965, col. 603. Cf. G. Celier, La dimension oecumenique de la reforme liturgique, Editions Fideliter, 1987, p. 34.

[51] Cf. l’Osservatore Romano italien du 26/10/2001. Admission a l’Eucharistie entre l’Eglise chaldeenne et l’Eglise assyrienne d’Orient, Note et orientations du Conseil pontifical pour la promotion de l’unite des chretiens, DC n° 2265, du 03/03/2002, p. 214.

[52] ヨハネ・パウロ2世、回勅『キリスト者の一致Ut unum sint』38番

[53] « Les verites que l’Eglise entend reellement enseigner par ses formules dogmatiques sont sans doute distinctes des conceptions changeantes propres a une epoque determinee ; mais il n’est pas exclu qu’elles soient eventuellement formulees, meme par le Magistere, en des termes qui portent des traces de telles conceptions. » Jean-Paul II, citant dans Ut unum sint, n° 38 la Declaration Mysterium Ecclesia de la Congregation pour la Doctrine de la Foi (DC n° 1636 du 15/07/1973, p. 267).

[54] « les divisions qui se sont produites etaient dues dans une large mesure a des malentendus. » Declaration christologique commune entre l’Eglise catholique et l’Eglise assyrienne d’Orient, DC n° 2106 du 18/12/1994, p. 1069.

[55] ヨハネ・パウロ2世、回勅『キリスト者の一致Ut unum sint』38番

[56] DC n° 2106 du 18/12/1994, p. 1069. Cf. DzH, n° 251d et 252.

[57] « Cette declaration commune est portee par la conviction que le depassement des condamnations et des questions jusqu’alors controversees ne signifie pas que les separations et les condamnations soient prises a la legere ou que le passe de chacune de nos traditions ecclesiales soit desavoue. Elle est cependant portee par la conviction que de nouvelles appreciations adviennent dans l’histoire de nos Eglises. » Declaration commune de la Federation lutherienne mondiale et de l’Eglise catholique, n° 7 (cf. n° 5, 13, 40 a 42), DC n° 2168 du 19/10/1997, p. 875.

[58] « La ou nous avions vu au premier abord une contradiction, nous pouvons voir une position complementaire. » W. Kasper, La Declaration commune sur la doctrine de la justification : un motif d’esperance, DC n° 2220 du 20/02/2000, p. 172.

[59] ヨハネ・パウロ2世、回勅『キリスト者の一致Ut unum sint』95番

[60] La primaute du successeur de Pierre dans le mystere de l’Eglise, reflexions de la Congregation pour la Doctrine de la Foi, DC n° 2193 du 06/12/1998 p. 1018.

[61] レオ13世、1896年9月13日の使徒的書簡『アポストリカ・クラ』

[62] W. Kasper, May They All Be One? But how? A Vision of Christian Unity for the Next Generation, The Tablet du 24/05/2003.

(つづく)

翻訳:トマス小野田圭志神父 (聖ピオ十世会司祭)


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天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父 (聖ピオ十世会司祭)