マニラのeそよ風

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第181号 2003/10/08 聖ビルジッタの祝日

聖ビルジッタ スウェーデン人で1303年ウプサラ近郊フインスタドに生まれた。聖女ビルジッタは、王家の出で、敬虔な教養をうけ、七才のときから十字架にかかったキリストの幻視を見た。1316年グドルマンソンと結婚し、四男四女をあげ(スウェーデンの聖女カタリナは、その娘)幸福な結婚生活であった。のち、その夫はアルヴァストラのシトー会修道院に隠退し、1344年没した。彼女は全く世事から遠ざかり、厳格な苦業に身をささげた。「聖なる救主の修道女会」(ビルジッタ会)を創立し、ローマに住んで、スウェーデンの学生と巡礼とのため宿泊所を設け、アヴィニョンにいる教皇のローマ帰還のため尽力し、多大の効果をおさめた。主イエズスから、多くの啓示をうけた。1373年7月23日、ローマで没した。1391年列聖。

アヴェ・マリア!

兄弟の皆様、
 今回もロザリオの祈りに関する教皇様たちの回勅をお読み下さい。


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Leo XIII  「天主の童貞母は、私たちに関することを他の誰よりもよく見ておられ、よくご存じでおられる。私たちが現在の生活において必要とする助け、私たちを脅かしている公の、また個人的な危険、私たちがその中に陥っている困難と悪、特に怒り狂う敵たちに対して私たちの霊魂を救うための戦いの激しさ、これら全ておよび、その他人生における試練について、童貞聖マリアは他の誰よりもましてご自分の愛する子らに、あらゆる種類の慰めと力と助けをもたらすことが出来、それを望んでおられる。それ故に、大胆に、そして熱烈に、童貞聖マリアに向かって祈り、イエズス・キリストと私たちとをかくも親密に結合する母としての絆によって懇願し、敬虔に、聖母ご自身がお望みになった祈り(=聖なるロザリオの祈り)、つまり聖母にとってかくも快い祈りによって聖母の援助を乞い求めよう。その時、私たちは全ての母のうちで最も善き母の保護のうちに、安全と心地よさを持って私たちは憩うことが出来るだろう。」

レオ13世 回勅『マニェ・デイ・マートリス』1892年9月7日


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 「聖なるロザリオの祈りの形式は、私たちの救いの神秘がこのロザリオにおいて、継続的に思い起こされるように聖ドミニコによって作られ、この黙想のしかたは天使祝詞と私たちの主イエズス・キリストの聖父なる天主への祈りと組み合わされたように混じり合っている。」

レオ13世 回勅『スプレーミ・アポストラートゥ』1883年9月1日


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Leo XIII  「まず、『喜び』の玄義が来る。天主の永遠の聖子は、人類へと身をかがめ、人となられた。しかしそれは聖母の同意を得てからであった。聖母は『聖霊によってイエズス・キリストを宿された』。次に洗者ヨハネは、特別の聖寵によって母の胎内にいるときから『聖化され』、『主の道を備えるために』選ばれた特別の賜によって恵まれた。しかしこれら全ては童貞聖マリアが天主の息吹を受けて親戚のエリザベトを訪問し、聖母があいさつをすることによってなされた。ついに『諸国の待ち望んでいた』キリストは聖母マリアからお生まれになった。信仰の初穂である羊飼いたちと東の博士たちは敬虔にその揺りかごに急いだ。彼らは『その母親マリアと共に幼子を見いだした』。キリストは公の儀式に従って、天主聖父にご自分をいけにえとして捧げるために、神殿に運ばれることを望まれた。しかし主が「神殿で主に捧げられた」のは聖母マリアの役務によってであった。同じ童貞女聖母マリアは天主なる幼子イエズス・キリストを神秘的にも見失い、心配のうちに主を探し、大きな喜びのうちに主を発見された。ゲッセマニの庭ではイエズス・キリストは恐れおののき、死なんばかりに憂い給うた。法廷では主はむち打たれ、茨の冠をかむせられ、十字架刑の判決を受け給うた。聖母マリアはこの時、おそらくそばにはおられなかったが、長い前からこれらのことについて知っており、考えておられた。何故なら、聖母マリアは天主の御母となるために天主のはしためとしてご自分を天主にお捧げになったとき、また聖母マリアが、その行為を持って、御子と共に神殿でご自分を天主に全く捧げ尽くしたとき、聖母は人類の罪の償いという困難な仕事における聖子の伴侶となったからである。そのため、聖母はご自分の霊魂のうちに、聖子の苦々しい苦しみ、苦悩、難儀の大きな部分をご自分のものとされたということは疑い得ない。天主のいけにえが完成されるべきは、童貞聖マリアの現存するその目の前でなければならなかった。聖母はこの犠牲のために、いけにえたるイエズス・キリストを寛大にも養って来られたのである。この玄義の最後において注目しなければならないことは、そして最も感動的なことは『イエズスの十字架のもとにその聖母、マリアがたたずんでおられた』ことである。聖母マリアは、私たちに対する計り知れない愛徳に駆られ、私たちをその子供として受け入れるために、聖子を自発的に喜んで天主の正義に捧げ、聖子と共に、苦しみの剣によって心は貫かれ、死なんばかりであられた。ついに、その次に来る栄えの玄義において、童貞聖マリアの憐れみの同じ役務が確認される。しかも、もっと溢れるばかりに確認される。聖母マリアは、沈黙のうちに、死に打ち勝ち凱旋する聖子の栄光を楽しむ。聖母マリアは聖子の後に従って、母の優しさを持っていと高き天国の住まいへと上る。しかし、天にふさわしい聖母は、生まれつつある教会にとって、これを最高に慰める者かつ最高の指導者として、地上に留まらなければならなかった。『聖母マリアは、私たちが信じることの出来ること全てを遙かに超えて、天主の智慧の計り知れない深みまで入り込んでおられた』。人類贖いの神聖な業は、キリストによって約束された聖霊が降臨しないまで完成されなかったので、私たちは最後の晩餐の高間において、使徒たちと共に、彼らのために、絵も言えないうめきによって祈り給う童貞聖マリアを観想する。聖母マリアは教会のために、キリストの最高の賜、聖霊の充満、いつの時代にも決して欠けることのない宝の到来を早める。聖母マリアはしかし、永遠の命へと移ることによって、私たちの弁護者としての役務を、もっと完全にそして永遠に続けなればならない。私たちは、この涙の谷(=地上)からエルサレムの聖なる町(=天国)へ天使たちの大軍に取り囲まれて挙げられるのを見る。私たちは、諸聖人の栄光のうちに高揚され、天主なる聖子によって星のちりばめられた王冠を与えられ、全宇宙の元后および教師として、聖子のそばに座し給うた天主の童貞母を敬おう。」

レオ13世 回勅『ユークンダ・センペル』1894年9月8日


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 「私が回勅の中で確認したとおり、これらの称号のうちで、聖なるロザリオは、特にキリスト教という名に対抗するさまざまな敵に対して、天主の御母の保護を懇願するために制定されたものとしてとりわけ素晴らしい称号である。この観点から、聖なるロザリオの祈りは教会を苦しめる悪を和らげるためにしばしば、そして良く使われたことを知らないものは誰もいない。」

レオ13世 使徒書簡『サルターリス・イッレ』1883年12月24日


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 「私がロザリオの祈りの力強い効果からより効果的な援助を求めているのは、特にキリスト教の御国が拡張するためである。」

レオ13世 回勅『アドュトリーチェン・ポプリ』1895年9月5日


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 善きロザリオの聖月をお過ごし下さい!


トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)