マニラのeそよ風

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第175号 2003/09/29 大天使聖ミカエルの祝日(日本の第2の守護者)


アヴェ・マリア!

兄弟の皆様、さて、今回も、「列聖」について
Nouvelles de Chrétienté Nº 77 – Septembre/octobre 2002
外国語サイト リンク http://www.dici.org/dl/nouvelles/Nouvelle_77.pdf
よりの抜粋(その5 最終)をお届けします。


列聖 第3部 結論


旧教会法による列聖の仕組み

 以下は Ortolan が書いた Dictionnaire de théologie catholique の中の canonisation(列聖)の項を参考にしました。

 ベネディクト14世が定めた旧カトリック教会法典による列聖手続きによると、もし天主の人が聖性の薫り高く亡くなったとしても、教会は列聖調査を直ぐにするわけではありません。この人の徳と罪の償いの生活の厳格さがひときわ高いものだったとしても、天主が彼に奇跡に次ぐ奇跡を与えたとしても、脱魂、預言、人の心の秘密を読むなど、目を見張るばかりの奇跡を行ったとしても、彼の墓において治癒の奇跡や不思議な業が繰り返されても、教会は沈黙を守ります。

 何故なら、もし彼の聖性の噂が人からのものであれば、時が経つにつれてなくなるでしょうが、天主からのものであれば、ますます増加するでしょうから。教会は公式に調査を開始するまで、数年の時を待ちます。ただ目撃証人や証言などを集めることを許します。これは後にもしかしたら、有益であるかもしれないが、そのような証人がいなくなってしまうことを恐れるためです(ベネディクト14世 de Servorum Dei beatificatione et de Beatorum canonizatione L. II, c. IV)

 ローマは、地方の教会の教区長から資料を受け取って10年(現在では5年)以上経たなければ、列聖調査を開始しません。資料が全てローマの「聖人列聖聖省 la Sacrée congrégation des rites (現在では la Sacree Congrégation pour la cause des saints)」に委ねられた瞬間から、この聖省は、その天主の僕の徳に関して、教会における別の司教らあるいはその他の考慮に値する証言を書類で受け取るのを待ちます。そして、この天主の僕の取り次ぎによって多くの奇跡が起こり、その聖徳の噂がますます広がり、カトリック信者はこの列聖を望むということを待ちます。それは、これが天主からのものか、たんなる人からのものかをはっきりと区別するためです。そして、教会が天主からのものであるとはっきりしたとき、列福調査を開始します。


◎まず問題になるのは、天主の僕の教義的な正統性です。

 その書いたものの中に、少しでも正統教義と外れるものがあれば、この僕の信仰が疑われ、それをもって調査は即時に中断し、決して将来にわたって調査が再開されることはありません(でした)。この調査中止に際して、彼が、誤りであったのを知りつつ頑固にその撤回を拒否したというような、本当の意味での異端説や謬説を信じている必要はありません。疑わしい革新的な教え、根拠のない疑問、教父や教導職の教えに抵触するかもしれないような意見があれば、それで調査は中断します。


◎次に、諸徳の英雄性です。

 徳を英雄的なまでに実践していなければなりません。他の義人たちが実践しているような徳の程度を遙かに超えた極めて特別な完徳でなければなりません。彼の全生涯は、極めて厳しい批判に晒され、情け容赦もなく厳密に審議されます。もし彼の生涯が、信じられないほどの残酷な批判の目を通過したとしても、非難されるべき点がないだけでは足りません。彼の人生の一歩一歩に英雄的な徳の実践が伴っていなければなりません。もしも彼の聖徳に関する疑いが影一つなくきれいに晴らされなければ、次の奇跡(それが例え無数にあったとしても)の調査の段階に進むことは決してありません(でした)。もしもその聖徳に関する説得的な証言が無かったり、見つからなかったり、その著作が行方不明になってしまったとか、証人がいなくなってしまったとかして徳の英雄性が証明できなくなってしまってしまったりする場合にも、列聖調査は中断されます。


◎ 奇跡

 奇跡の調査も、聖徳の英雄的な実践に関する調査と同じほど厳しく情け容赦のないものです。
 「奇跡」は、自然の力を越えるとか praeter-narura と言うようなものであるかないか、厳密に調査されます。列聖調査の審議は非常にゆっくりとしたもので、中には数世紀その審議に時間がかかります。例えば聖ジャンヌ・ダルクの列聖には6世紀かかりました。その他にも、数知れない審議と調査、審判官の提出する多くの問題点、無数の聖性の証拠の必要性、人間的に言えば、やる気をなくしてしまうような裁判です。そして列聖調査の審議に通過したと言うそのこと自体が、聖人の取り次ぎで起こしたと言われる全ての奇跡を遙かに超える奇跡であると言うしかないほどです。列聖調査の議事録( Acta sanctorum )の中に、聖スタニスラオの列聖のためにローマで働いていたカイェタノ枢機卿は、聖人の列聖のために提出された溢れるばかりの優れた証拠の価値にもかかわらず、既に長くかかっている列聖調査がほとんど永遠に続くように思われ、クラコビアの司教にこう手紙を書いたほどです。

 「あなたの聖人は、もう一つ、これまでのよりも更に大きな奇跡を起こさなければなりません。それは今までの奇跡に関していちゃもんを付けることを止めない全ての人がこれこそ本物の奇跡であると認めるような奇跡です。」

 また、次のような逸話もあります。1708年から1728年まで列聖のための聖省で働いていたプロスペル・ランベルティーニ( Prosper Lambertini )、後のベネディクト14世は、ある時英国聖公会の紳士の訪問を受けました。ランベルティーには彼に、その当時列聖調査審議中であったある人が起こしたとされる奇跡に関する文書を読ませました。

 この紳士は書類を注意深く読み、反論も出来ないほどの証拠に驚きました。そして目を大きく開いて言うには、「あ!ローマ教会によって認められる全ての奇跡がこれほどの厳しいものであるなら、私たちもこれを認めざるを得ません!」

 ランベルティーには答えて、「あのですね、今お読みになって、あなたにとって文句なく奇跡であると思われたそれは、実は列聖聖省には受け入れられなかったのです。聖省にはそれでは不十分でした」といいました。すると、このプロテスタントの紳士は更に驚いて、ローマ教会が祭壇の上に挙げている聖人によるものとされる奇跡の調査というものが、それほど厳しいものであるとは想像もしていなかったと告白したそうです。


新しい「聖性」の概念を導入した結果=教義の正統性に対する配慮の欠如

 かつての列聖においては、列聖候補者の教義上の正当性が、決定的な判断基準となっていました。例え、この人が全ての徳にわたって英雄的に実践してきたと思われても、教護の正当性に対するいささかの疑問があれば、列聖調査は即座に中断されました。 たとえば、ヨハネ23世は、教皇の不可謬的教義決定に対して否定的な態度を取りました【これについては、イヴ・マルソドンの『或るフリーメーソンの見たエキュメニズム』 Etitions Vitiano, p. 45 を参照下さい。】が、このようなことが分かれば、かつては列聖調査が即座に中断されたような内容です。

 ミラノの大司教であったフェラーリ枢機卿は、ミラノ司教区で近代主義を放置しており、聖ピオ10世教皇によって叱られるほどでしたが、フェラーリ枢機卿は、それを決して認めようとせず、近代主義を支持していた新聞を自分も支持し、自分の神学生たちの前で聖ピオ10世を批判した人でした。フェラーリ枢機卿のもとでミラノの大神学校では「近代主義に反対する宣誓」に宣誓することを拒否する神学生たちもいました。【当時全イタリアとローマ聖座の Disquisitio で大きな騒ぎを起こしたフェラーリ枢機卿の問題ある行動の詳細は、Conduite de Saint Pie X dans la lutte contre le modernisme, Publications du Courrier de Rome, p. 157-218 を参照下さい。】 このようなことは、過去の基準では、列福調査が即座に中断されるべき内容です。しかし、このフェラーリ枢機卿は、ヨハネ・パウロ2世によって福者に列福されました。


 さらに、奇跡については、列聖の本質には関わらないとしても、列福・列聖調査の過程についての私たちに不審を抱かせます。

 例えば、つい最近の例では、マザー・テレサによって起こされた奇跡についてインドと医学界で論争がありました。このケースは、2002年10月2日に「聖人列聖聖省」によって奇跡と認められましたが、医者たちは、モニカ・ベスラの悪性腫瘍は、奇跡ではなく病院で治療されたものである、と主張しています。過去の奇跡の基準から言うと、医学的に治療を受けた人のケースは突然の治癒と言うことが出来ませんでした。さらに、モニカ・ベスラの悪性腫瘍には、不思議のメダイも着けられていたので、例えこれが本物の奇跡であったとしても、マザー・テレサの取り次ぎによる奇跡であるとは言い切れません。インド人女性の証言は、サヴェリオ・ガエタ( Saverio Gaeta )がファミリア・クリスチアナ誌( Familia cristiana )の2002年10月10日号に集めて載せられています。

 ヨハネ23世のいわゆる「英雄的徳」に関しては、どうでしょうか? 幅広いところから「お人好し」と「弱さ」を「英雄的な愛徳」と混同してはならないという意見が出ています。例えば、コロシオ神父( Padre Colosio )は、ピザ近郊のサン・ミニアトの修道院に住むイタリア人のドミニコ会司祭ですが、神父は1975年7-9月号の Rassegna di Ascetica e Misitica « S. Caterina da Siena » 誌にヨハネ23世のいわゆる「善良さ」は、賢明の徳の欠如であったという研究を発表しています [Conv. PP. Domenicani S. Marco. Via Cavour, 56. 50129 Firenze]。

 ヨハネ23世の「善良さ」についてのコロシオ神父の記事については、次でも読むことが出来ます。
外国語サイト リンク http://www.dici.org/thomatique_read.php?id=000053"

 また、次のサイトもご参考にお読み下さい。
外国語サイト リンク http://www.dici.org/thomatique_read.php?id=000057


結 論


1. 第2バチカン公会議の教会にとって「聖性」とは何なのでしょうか? これこそがあたらしい列聖の最も中心的な問題です。私たちが今までに研究してきたように、第2バチカン公会議は、新しい「聖性」の概念を持っています。第2バチカン公会議による新しい概念は、教会とその肢体にますます浸透しつつあり、かつて教会が持っていた本当の意味での「聖性」という概念がますますカトリック信者の中から薄らいでいっています。この影響はカトリック信者よりも、さらに聖職者やさまざまな修道会で顕著であるようです。第2バチカン公会議に生じた、多くの司祭生活の放棄、修道生活の放棄はそれを雄弁に物語っているようです。


2. 教皇様の「列聖」する時の意向が、ご自身の不可謬権の行使に関して決定的な要素となります。もしもヨハネ・パウロ2世教皇様が、不可謬権を行使しないで列聖しよう、とお考えになれば、それをもって不可謬であると言うことは出来ません。教皇様は、いったいどのようなご意向で、列聖を執り行っておられるのでしょうか? 第2バチカン公会議以前と同じようなものであるとお考えの上に、それと全く同じ事をなさろうとしておられるのでしょうか? それとも、第2バチカン公会議以後は、名前こそ同じではあるが、全く新しい概念のもとに、「列聖」を執り行っておられるのでしょうか? 教皇様のお説教やお書きものを拝聴するするほど、教皇様のご意向に従って理解しようと努めれば努めるほど、教皇様は、ご自分の前任者の教皇様がたがなさっていたこととは別のこととして列聖・列福をご理解されていると思わざるを得なくなってしまいます。


3. 第2バチカン公会議以後の教導職が混乱している現在、教皇様のご意向を理解するには、教皇様のお考え、お言葉、ご意向を広く研究し、分析する必要があると思われます。ヨハネ・パウロ2世教皇様の過去の全ての回勅と使徒書簡、その他全てのご発言などを考慮すると、教皇様がつねに不可謬権を行使することを拒否されてきたことをどうしても認めざるを得ません。

 例えば、女性の司祭叙階が不可能であると言うことを非常に荘厳で決定的な言い回しによって、唯一発表したことがありましたが、それさえも、後には不可謬の発言ではないと注釈が出たほどでした。

 教皇様はパドレ・ピオを列聖しました。例えば1967年、カプチン会の総長がこのパドレ・ピオに「(第2バチカン公会議に従って)新しいカプチン会会憲を作るために総会が開かれるので、そのために祈ってください。」と頼むと、パドレ・ピオは怒ったようにこう言いました。
 「そんなものはおしゃべりとがらくたに過ぎません!」

 数週間後、パウロ6世教皇様がカプチン会総会の出席者に謁見を賜ろうとすると、パドレ・ピオはパウロ6世に手紙をこう書きました。「私は主に、[カプチン]会が修道者としての真面目と厳格と、福音的清貧、規則と会憲の遵守の伝統を続けるようにと祈っています。」

 新しい会憲が発表されると、やはり同じように、「本当に、あなたたちはローマで何をしているのですか? 何を考えているのですか? あなたたちは聖フランシコの規則さえも変えてしまった!」と嘆いたのです。【 Pere Jean, OFM cap. Lettre aux amis de saitn Francois, n. 17, 2 fevrier 1999 】パドレ・ピオは、明らかに第2バチカン公会議とその後の改革を憎んでいました。

 そしてヨハネ23世は、ピオ9世、聖ピオ10世、ピオ11世、ピオ12世などの教皇様たちが教会の名前によって排斥した近代主義と自由主義を、第2バチカン公会議によって荘厳に教会に導入したのです。そのヨハネ23世は、ピオ9世と同時に列福されたのです。

 この両者は全く反対のことをなした教皇であり、矛盾律によれば、その両者が同時に真であることは出来ません。本当に教皇様には、全カトリック信者に、これらの矛盾を同時に受け入れるように不可謬的に強制しようとされたのでしょうか? 


4. 私たちは、もちろん、ヨハネ・パウロ2世教皇様によって列聖された方々の中には、立派な英雄的な徳を持っていた立派な方々がおられることを疑いません。 ただ、それらの英雄的な徳は、カトリック教会の聖伝によって培われ、養われてきたものであって、カトリックの聖伝のおかげで英雄的まで徳が実践され得た、ということです。パドレ・ピオは、まさしく、新しいミサの反対を行く代表者だと思います。

 しかし、列聖・列福の目的は、それらの聖人たちが、カトリックの聖伝によって勝ち得た徳を賛美すると言うよりも、第2バチカン公会議の新しい「聖性」の観点から、見直され、再解釈され、理解されています。そして列聖・列福が第2バチカン公会議の新しい教えを教えるために利用されている、と思えるのです。例えば、フアン・ディエゴがヨハネ・パウロ2世教皇様によって列聖されることの深い意義についてメキシコの司教協議会は次のようなメッセージで説明しています。

 「この列聖は、同時に教会と教皇とが土着民たちにたいしてもつ摂理的な愛を触れることの出来るものとしてくれる。そして教会と教皇とが、この民族が数世紀にわたって犠牲となってきた不正義と暴力と乱用にたいして断固として反対することを再確認する。この列聖によって、教皇はメキシコと全アメリカの自立的民が、自分たちの祖先の文化に聖なる誇りを持ち続けるようにと励まし、全ての土着民の正当な願いと正義に適った権利の要求を支持する。フアン・ディエゴの生涯は、メキシコ国家の再建に再び勢いを付けてくれるだろう。それはまず、自分の起源、自分の歴史、その価値と伝統と和解する準備の出来ている国でなければならない。次に、この国の発展は、それが完全に尊重された人格の価値に基づくものとなるだろう、そして多様性と共同性との出会いが創造性においてなされる国、法が社会における生命の規則を保護するのみならず、同時に、正義と連帯を保証する国、最後に、最も弱いものの尊厳が保護され、最も恵まれたものたちは兄弟愛において全く自由に任されるべきである国となるように。」( La documentation catholique No 2276 du 15/09/2002 )

 列聖が、第2バチカン公会議の新しいイデオロギー(エキュメニズム・人格の尊厳・人権闘争・人類連帯)を宣教するために使われているのだとしたら、まさにこれは悪魔的であると言わなければならないのではないでしょうか。

(この項終わり)


罫線


トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)