第151号 2003/05/31 元后、童貞聖マリアの祝日
アヴェ・マリア!
兄弟の皆様、 童貞聖マリアに対するまことの信心27. 恩寵は自然を完成し、栄光は恩寵を完成する。すると、私たちの主が地上で、マリアの子であったように、天国でもおなじくマリアの子であるということは確かである。当然の結果として、イエズス・キリストが、全ての子らの最も完全な従属と服従を、天国でも、全ての母親の中の最高の母親マリアに対して、持ち続けていることも確かである。しかしながら、この従順を、イエズス・キリストがなにか劣っている、或いは不完全であるから、と考えないように注意すべきである。なぜなら、マリアは、天主である聖子イエズスよりも、無限に目下であり、この世の母親が、自分の目下である子供に命令するように、聖子イエズスに命令するのではない。マリアは、天国の全ての聖人を天主に変容させる恩寵と栄光によって、ご自身もすっかり天主に変容し尽くされ、天主の永遠不動の御旨に反することはひとつとして、望みもせず、することもないからである。聖ベルナルド、聖ベルナルディノ、聖ボナベントゥラなどの書き物の中に、天国でもこの世でも、全てのものが、天主さえも、マリアに従っている、と読む時、彼らの真意は、天主がマリアに与える事を望んだ権威はあまりにも偉大であり、マリアには天主と同じ権能があるかにみえる程であり、また、マリアの祈りと願いは、天主のみまえにあまりにも力があり、それらの祈りは、天主の御稜威にとっては常に“命令”と見なされる程である。天主であるイエズスはご自分のいとしい母マリアの祈りを絶対に拒むことがなく、マリアの祈りはいつも謙遜で、いつも天主の御旨のままだからである、と言うことである。旧約のモーセは、祈りの力で、いと高きかつ限りなくあわれみ深い天主がそれを拒絶出来ないほど、モーセに「私をとめるな。この反逆の民にむかって怒らせ、罰するがままにさせよ」(脱出32・9)と言われた程、力強いやり方で、イスラエル人への天主の怒りを止めたとすると、いわんや謙遜なマリア、偉大な天主の御母の祈りは、天国と地上のあらゆる天使、聖人らの祈りと取り次ぎよりも、天主の御稜威のまえに、いっそう力強い祈りに関しては、私たちは何を思うべきだろうか。 (第一章 「私たちがいとも聖なる童貞への信心を持つ必要性」、第三節 「天主は人間聖化のみわざにおいてマリアを使おうと望まれる」第一項 「三位一体の三つのペルソナは、教会の中でマリアに対してどのような態度をとっているか」より) <<お知らせ>>
昨年2002年5月30日、御聖体の祝日に、「マニラの eそよ風」創刊号をお送りする恵みをえましたが、天主さまの御恵みによって、或る読者の方が全くボランティアで、「マニラの eそよ風」のバックナンバーの一部をホームページの形で作って下さいました!
お友達の皆様にも、知らせてあげて下さい! トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭) |