マニラのeそよ風

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第150号 2003/05/30

主の昇天

話し終えたイエズスは彼らの見ている前で天に上げられ、
ひとむらの雲が弟子たちの目からそれを覆い隠した。
(使徒行録1:9)

アヴェ・マリア!

兄弟の皆様、
 昨日は、私たちの主の御昇天の祝日でした。神学大全の第3部57問「キリストの昇天について」の一部を一緒に読んでみましょう。




■ 御昇天によってキリストの肉体的な現存は信者たちから奪われたが、しかしキリストご自身が「私は世の終わりまで常におまえたちと共にいる」(マテオ28:20)と言うのに従えば、教皇レオの言うとおり「天に昇られた方は私たちを孤児として残さなかった」のであり、キリストの天主性の現存は常に信者とともにある。

 しかしキリストの昇天により、その肉体的な現存が私たちから奪われたが、キリストの御昇天は、肉体的な現存があったよりも、私たちにとってより有益であった

 まず第1に、見られないものに関わる信仰の増加のためである。そこから私たちの主ご自身は言うには、聖霊が来たりて「義について、この世の過ちを指し示す」(ヨハネ16:8)。アウグスチヌスが言うように、それは「信じるものたちの義であり、信者たちの義は、不信者らへの厳しい非難である。」そこから、アウグスチヌスは続けて「義についてとは、私が父のもとに行き、あなたたちはもう私を見ない」(ヨハネ16:10)について、「見ずに信じるものは幸い。従ってこの世が指し示す私たちの義があるだろう。『何故ならあなたたちは見ないだろう私を信じるだろうからである』」と言っている。

 第2に希望を高めるためである。そこからキリストご自身がこう言われる。「行って場所を準備したら、あなたたちをともに連れて行くために帰ってくる。私のいる所にあなたたちも来させたいからである」(ヨハネ14:3)。キリストがご自分のお取りになった人間本性を天に置いたことにより、私たちにそこに到達する希望を与えた。それはマテオ24:28に「はげたかは体のある所に集まる」と言われているとおりである。そこからミケア書も「彼らに先立っていくものは、前に突き進み」(2:13)と言う。

 第3に天上のものに対する愛徳の愛情を打ち立てるためである。そこから使徒聖パウロは「上のことを求めよ。キリストはそこで天主の右に座し給う。地上のことではなく上のことを慕え。」(コロサイ3:1-2)と言う。それはマテオ6:21に「あなたの宝のある所には、あなたの心もある」と言われるとおりでもある。そして聖霊は、私たちを天上のものへと奪う愛であるので、私たちの主は弟子たちにこう言われた。「私が去るのはあなたたちにとって良いことである。私が去らぬなら、あなたたちには弁護者が来ないからである。しかし去ればそれを送る」(ヨハネ16:7)。アウグスチヌスはこれを説明して「あなたたちはキリストを肉に従って知ろうとする限り聖霊を得ることが出来ない。キリストは肉体的に去り給うことによって聖霊だけではなく、聖父と聖子も霊的に彼らに臨在した」という。

 (神学大全第3部57問1項「キリストが昇天するのはふさわしかったか」異論3への回答より)




■ キリストの御昇天は二重に私たちの救いの原因である。第1の意味では、私たちの側から、第2の意味ではキリストの側からである。

 私たちの側から言えば、キリストの御昇天によって私たちの精神がキリストへと向かう限りである。

 既に【第1項、異論3への回答の中で】述べたように、キリストの御昇天によって、まず第1に信仰の場が与えられ、第2に希望の場が、第3に愛徳の場が与えられるからである。更に第4には御昇天により、使徒聖パウロが「かつて肉によってキリストを知ったとしても、(すなわち、注解書によると、『それによって私たちは、キリストが単なる人間であると考えた"死すべきもの"として知ったとしても』)今はもうそうしない。」(2コリント5:16)と言うように、既に私たちがキリストを地上の人としてではなく天上の天主として考える時、私たちのキリストへの敬意が増加する。

 キリストの側から言うと、キリストが私たちの救いのために昇天をしたということにおいてである。

 まず第1に、キリストご自身が「私はあなたたちのために場所を準備しに行く」(ヨハネ14:2)と言うように、またミケア書にあるように「彼らに先立っていくものは、前に突き進み」(2:13)天に昇ることによって私たちに道を準備した。何故なら、キリストは私たちのかしらであり、かしらが先に進んだところに肢体も付き従うべきだからである。そこからヨハネ14:3に「私のいるところにあなたたちも来させたい」と言われている。そしてこのしるしとして、詩篇67:19の「あなたは高いところに上り、捕虜を手に入れた」というあの言葉に従えば、諸聖人の霊魂を地獄から連れ出し、天に連れて行った。何故なら、悪魔の虜(とりこ)であった彼らをご自分と共に、人間本性の巡礼地へ連れて行くように、勝利による獲得物のように良き獲得の捕虜として天に連れて行ったからである。

 第2に、旧約の祭司が人民の為に天主に仕えようと至聖所に入るように、キリストも、ヘブレオ7:25に言われるように「私たちのために取り次ごうとして」天に入ったからである。キリストが天へと持ち込んだ人間本性によるご自身の再現は、私たちのための何らかの祈りである。天主がキリストにおいて人間本性をかくも高めた正にそのことから、天主の御子が彼らのために人間本性を取ったその人間たちを憐れむからである。

 第3に、エフェゾ4:10の「全てのものを(注解書によると『ご自分の賜物によって』)満たすために、天のいと高き所に上った」という言葉によれば、天の座に於いて天主かつ立てられた主として、そこから天主の賜物を人々に送るためである。

 (神学大全第3部57問6項「キリストの御昇天は私たちの救いの原因であるか」の本文より)




 良い主の昇天節をお過ごし下さい!

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)