マニラのeそよ風

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第141号 2003/05/09
教会博士・証聖者・司教、ナツィアンツォの聖グレゴリオの祝日

ナツィアンツォの聖グレゴリオ
ナツィアンツォの聖グレゴリオ

 聖母月には何か読み物をするのが以前からの習慣になっているのに、聖体降福式のみを行うか、あるいは降福式中にロザリオをとなえるかするのみで、ロザリオ月の務めと格別異なるところがないのを往々見受けることがある。聖母月の務めとしては、何か物足りない心持がしてならない。(浦川和三郎著 『聖マリアの連祷』より)

アヴェ・マリア!

兄弟の皆様、
 今回も「童貞聖マリアに対するまことの信心」の続きをお読み下さい。

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)


童貞聖マリアに対するまことの信心


12. 従って私たちは使徒パウロとともに叫ばねばならない。聖寵と自然と栄光との奇跡中の奇跡である童貞聖マリアの美しさ、偉大さ、素晴らしさは、「Nec oculus vidit, nec auris audivit, nec in cor hominis ascendit: 目も見たことがなく、耳も聞いたことがなく、人の心に思い浮かんだこともない」(I コリント2・9)。子を見れば母親が分かる、とある聖人が言っている。童貞聖マリアは“天主の御母”である。Hic taceat omnis lingua: ここで全ての舌は絶句する。


13. 私の心はこれまで私が書いてきたことを、童貞聖マリアが今日までよく知られていないこと、それが原因で知られるべきであるようにイエズス・キリストがまだ知られていないことを示すために特別の歓びをもって書かせた。このことは確かなことであるが、もしもイエズス・キリストが知られ、その御国がこの世に来るとしたら、それは、最初にキリストをこの世に降誕させ、次にキリストを世にかがやかすであろういとも聖なる童貞マリアが知られ、その御国が来た後にでしかないだろう。


(第一章 「私たちがいとも聖なる童貞への信心を持つ必要性」、第一節 「マリアに対する信心の必要性」より)


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