マニラのeそよ風

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第135号 2003/05/05 教皇、証聖者、聖ピオ5世の祝日

聖ピオ五世
聖ピオ五世

大司祭はすべて人間の中から選ばれ、
天主に関することについて人間のために任命されている。
それは罪を贖う供え物といけにえを捧げるためである。
(ヘブレオ5:1)

アヴェ・マリア!

兄弟の皆様、
 DICI 72号に掲載されていた「2003年2月「クリエ・ド・ラ・マイエンヌ」紙(le journal Courrier de la Mayenne)に掲載された司祭・修道者の召命の危機について」の記事を紹介致します。

 「クリエ・ド・ラ・マイエンヌ」紙は、司祭・修道者の召命の危機について特集を組みましたが、それは2部に分かれていました。第1部は現実を直視すること。第2部は、聖ピオ十世会の司祭による解説でした。マイエンヌの司教様は、聖ピオ十世会の解説を読み、反論をされたのですが、唯一の議論は聖ピオ十世会が教会から罰を受けている、と言うことだけでした。

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)


第1部:現実

 マイエンヌでは、30年間で司祭の数が半分に減りました。190名いるマイエンヌの司祭たちのうち、29名だけが60歳以下です。マイエンヌの司祭たちの4分の3(155名)が70歳以上です。

90 歳以上 12名
85 から 89 歳 15名
80 から 84 歳 45名
75 から 79 歳 45名
70 から 74 歳 38名
65 から 69 歳 13名
60 から 64 歳 8名
55 から 59 歳 2名
50 から 54 歳 5名
45 から 49 歳 1名
40 から 44 歳 3名
35 から 39 歳 1名
30 から 34 歳 2名
30 歳以下 0名
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合計190名

 教会が直面しなければならない問題は、司祭の老齢化です。現在3名の神学生がいますが、彼らが司祭に叙階されるまでは少なくとも3年待たなければなりません。つまり、マイエンヌ司教区は一人の新司祭を得るために2006年まで待たなければならない、と言うことです。しかし、例えば1947年には、マイエンヌ司教であったリショー司教様は26名の司祭を叙階しました。

 現在、例えば、マイエンヌ司教区の聖セルナルド・ド・クレルモン小教区の主任司祭ジャン・マリ・ヴェロン神父は、40歳ですが、1万4千名の地域住民のために一人で働いています。「昨年までは、私たち司祭は3名でした。」とヴェロン神父は語っています。


第2部 解決策

マイエンヌの聖ピオ十世会司祭による分析

 「司祭がミサ聖祭を良く捧げたら、彼は司祭の仕事の8割をしたことになる。」1962年ルフェーブル大司教はこの言葉を持ってチュール司教区にいた司祭たちを励ましていました。

 何故でしょうか? 「アフリカでの司教として、また教皇大使(1947-1962年)としての経験から、またフランスにおいてはチュール司教(1962年)として、また聖霊修道会の総長として全世界を巡り、第2バチカン公会議にも参加した経験から、ルフェーブル大司教は、現在のカトリック教会の危機は、基本的に信仰の危機であり、司祭職の危機、つまり司祭のアイデンティティーの危機であると理解していたからです。」

 「司祭とは何でしょうか? 司祭とは何よりもまず、信仰の人です。司祭とは祈りの人、ミサ聖祭の人、カルワリオにおいて達成された救いのみ業を続ける人です。司祭とは、まことの天主でありまことの人であるイエズス・キリストを信じる信仰の人。天主の愛の神秘であるミサ聖祭のいけにえを信じる信仰の人です。司祭は、祈りとミサ聖祭の超自然的な効果を信じる信仰の人です。」

 「第2次世界大戦後、福音化のために必要なこの超自然の力を信じなくなってしまいました。あまりにも人間的なやり方、あまりにも物質的な手段だけに注目しすぎたのです。この世に開かれようとして、教会の考えたかとは別な新しい考え方や新しい生活様式が教会の中に浸透するままにさせていたのです。そこで、嫌われないように、これを止め、あれを止め、と止めていったのです。妥協から妥協を続け、カトリック信仰から遠ざかり、人間を信じるようになっていったのです。」

 実は、そこから教会の危機が到来したのです。パウロ6世教皇様もこの危機をこう言っています。「教会は自己批判、むしろ自己破壊とでもいうべき時にある。・・・教会はいわば自分で自分の体を打ち叩いている」(1968年12月7日)更に「どこからかサタンの煙が天主の神殿に入り込んだ」(1972年6月30日)とも言いました。

 ヨハネ・パウロ2世教皇様も、「多くのキリスト者たちは道を迷い、混乱し、当惑し、失望さえしている。啓示され常に教え続けられてきた真理と矛盾する考えが、大手を振って広がっている。教義と道徳に関する領域で本当の異端が広がった」(1981年2月6日)と言っています。

 これを前に、私たちは何をしたらよいのでしょうか?

 「1968年、ルフェーブル大司教は小さなトランク一つと食べていくのにやっとの少額のお金だけを持ってローマにいました。すると司祭たちや神学生たちはルフェーブル大司教をみつけにやってきました。『私たちを助けて下さい。私たちのために何かして下さい。』 ルフェーブル大司教は、そこでフリブールの司教様と会い、この司教様のすすめに従って聖ピオ十世会の会憲を作りました。そしてこの聖ピオ十世会は1970年11月1日にカトリック教会法典に従って認可されました。」

 「ですから聖ピオ十世会は、カトリック教会の修道会です。信仰と司祭職の奉仕のためにあるカトリック教会のたてた修道会です。実際、会憲にはこうあります。『司祭の本質的な存在理由、つまりミサ聖祭へと司祭の生活を方向付け、実現させる』ためにある、と。」

 「エコンの神学校はこうして生まれました。ですからエコンの神学校から教会の精神に従って養成を受けた司祭たちが生まれるのです。400名以上の司祭(2003年4月23日現在では440名)がおり、62カ国でミサ聖祭を捧げています。聖ピオ十世会の司祭は2,3名の司祭と幾人かのブラザーと共に共同生活を送り、相互に助け合っています。その日常生活は4回の共同の祈りの時間、勉強、また長上によって任されたいろいろな仕事を果たすという規則があります。」

 「全ての国の信者は、東欧や南アフリカ、あるいはインドなどで若い教区司祭たちや修道司祭たち、またフィリピンのラゾ司教様のように司教様たちも聖ピオ十世会に興味を抱き、聖ピオ十世会に助けを求めています。何故でしょうか? 何故なら、信仰とミサ聖祭が変えられてしまったからです。世界各地で同じことを見ています。教会は空になり、神学校や修道会も空になる、ということです。『私たちの宗教は変わってしまった!』とどこででも言われています。」

 「司教様たちは、もはや私たちの主イエズス・キリストの神性を信じていません。公教要理は、昔からの信仰を教えていません。まだ地獄の存在を信じている人がいるでしょうか? 罪が何であるか、天主の愛を侮辱するとは何であるか、イエズス・キリストが十字架のうえで苦しみ死にながら、罪を贖ったと言うことを誰が知っているでしょうか?」

 「ミサ聖祭が、十字架上でのイエズス・キリストのいけにえを更新することであること、そしてわたしたちに救いの結実を伝達することを誰が信じているでしょうか? 聖母の無原罪の御宿りやその終生童貞であったこと、またわたしたちの霊魂の霊的な母親であることを信じない人々は、聖母を軽蔑しているのです。」

 「ですからこそ、世界中で、特にフランスでは、信仰を守るため、司祭職を保存するための抵抗運動が組織されたのです。」

 「第2バチカン公会議によって導入された新しい考え、そして1969年の新しいミサの導入は、この抵抗の最初の動機でした。わたしたちは信仰を変えることが出来るのでしょうか? 私たちは私たちの宗教を変えることが出来るのでしょうか?」

 「イエズス・キリストが私たちに教えた真理、イエズス・キリストが私たちに守るように命じた掟、秘跡やミサ聖祭によってイエズス・キリストが私たちに伝える聖寵の助け、一言で言うと、イエズス・キリストがご自分の教会を建てながら、確立した全てのことは、変わることができなのです。この地上のいかなる権威も、それがどれほど高い位についている人でも、イエズス・キリストがなさったことを、どのようなことであれ、変えたり変更したりすることは出来ません。」

 「教会は第1バチカン公会議の時に私たちにこう教えました。

 『聖霊がペトロの後継者たちに約束したのは,聖霊の啓示によって,新しい教義を教えるためではなく,聖霊の援助によって,使徒たちが伝えた啓示,すなわち信仰の遺産を確実に保存し,忠実に説明するためである。』

 聖パウロも、私たちにこう言っています。

 『私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちがあなたたちに伝えたのとは異なる福音を告げるものには呪いあれ。』(ガラツィア1:8)

 「この信仰への忠実さによって、義務によって、抵抗が組織立てられたのです。自分の叙階式のミサ聖祭を守るため、そして新しいミサを捧げないために、多くの司祭たちは迫害と不当な待遇を受けて苦しみました。嘆きのあまりに死んでいった司祭たちもいます。 そして、信仰への忠実のために、信仰を守るために、ルフェーブル大司教は、1988年、教皇様の権威にいかなる反抗をする心もなく、4名の司教を聖別したのです。」

 「抵抗し、信仰に忠実であるためには、勇気が必要でした。特に間違った道を進んでしまい、その道を下に引き返させようと言うときには勇気が必要です。司教や司祭たちまた信者たちにはこの勇気がありました。その他の人たちもこの勇気があっても良いのでは?

 フィリピンのラゾ司教は、従順であった、そして、勉強した、多くを読んだ、よく考えて、特に聖母に祈りを捧げたと言っています。そして、ラゾ司教は聖伝に、聖伝のミサに戻りました。そしてそれを教皇様に説明したのです。」

 マイエンヌ県の中にある Moulin du Pin の聖ピオ十世会の修道院や、ラヴァル市の聖堂に、私たちは永遠のカトリック信仰への忠実の実り、ミサ聖祭のいけにえの実りを見ることが出来ます。そこでは、霊魂たちは、私たちの主イエズス・キリストとその聖母を愛して、幸せな多くの霊魂がおり、模範的な家庭がたくさんあります。」

 この司祭はこう結論しました。「忠実であるには勇気がいります。これは本当です。しかし聖霊はイエズスへの大きな愛をおこし、多くの障害に打ち勝つ力を与えてくれるのではないでしょうか。聖母は、慈悲深き母であり、常に聖母により頼むものたちを助けようとお待ちになっておられるのではないでしょうか?」

(Le Courrier de la Mayenne, 13 février 2003)


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