マニラのeそよ風

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第131号 2003/05/02 司教、教会博士、証聖者、聖アタナシオの祝日


人々がもはや健全な教えを忍ばず、私欲のままに、
耳に快いことを聞かせる教師を集め、真理から耳を背け、
作り話に耳を傾けるときが来るであろう。
(ティモテオへの第二の手紙4:3)

アヴェ・マリア!

兄弟の皆様、
 私たちは、日本カトリック司教協議会監修、カトリック中央協議会発行の『カトリック教会の教え』(2003年4月)の考察をしていますが、今回は、その第一部、第三章、第一節「過越の秘義」に従って、キリストの復活を見てみましょう。


 岩島師は「復活とは何か」という副題の下に「キリストの復活」を取り扱います。

 カトリック教会は、全く明らかな表現で、変わることのない確固とした安定さをもって、2000年の間、イエズス・キリストの復活の真理を言い続けてきました。

 カトリック教会は、死んだイエズス・キリストがもう一度生き返ったこと、死んで葬られたイエズス・キリストの同じ体が、永遠に生きるために復活した」と確実に肯定してきました。

 しかし、『カトリック教会の教え』をよく読むと、師は「イエズス・キリストは肉体において本当に復活した」というカトリック教会の教えを巧妙に避けて言おうとしません。

 岩島師が「イエス」という場合には、単なる普通の純粋な人間としてだけの「イエズス・キリスト」を捉えており、師が「キリスト」というときには「後の教会の信仰によって、変容され歪曲されたイエズス・キリスト」という区別を一貫して使っていることは、既に見ました。

 師は、聖書の叙述は神話化されたものだから、その表現をそのまま単純に、ナイーブに、そのまま文字通り受け取ってはならず、そのような理解をした昔の教父たちの理解を超えて、福音書の言おうとする意味を知らなければならない、と言っているかのようです。

 いわば、福音書の「言葉遣い」というか、「表現」の問題であって、古代言語の社会文化的な背景を考えて、文字通りの表面的な言語の壁に隠されたことを現代の言葉で、科学的で現代文化の表現に言い換えるべきだ、と言いたいようです。

 そして岩島師は、私たちの主イエズス・キリストの同じ肉体が復活したと言うことを、証明しようとはしません。それどころか、そのようなところを、避けて言おうとしません。(そのような福音書の箇所は「後の教会の信仰による書き加え」だと思っているのでしょうか?)

 岩島師によれば、「復活」と言うことはイエズス・キリストが肉体において復活したことではなく、「単なる死者の蘇生などを意味しているのではなく」(93ページ)、別のことだというのです。師は、「復活」とは「出会い」だと言います。

 岩島師の主張は「イエスが葬られた墓が空になっており、彼につき従った人々が『イエスは生きておられる』(ルカ24:23)と言い始め【ソノママ!!】、十二弟子たちがキリストの復活をあかしするようになって、回心してキリストを信じる人々が集まり、初代教会が成立」(92ページ)したということです。

 岩島師は、「墓が空である」と言うことが、どれほど特異なことであるか、そのためにどのような説明が考えられるか、そのうちどの説明が最も合理的な説明であるのか、と言うことについては、何も言いません。岩島師は、イエズス・キリストが肉体において復活したのかそうでないかには触れずに、「信仰」のうわさ話のカテゴリーに入れてしまうのです。

 師はこう自問自答しています。「ではキリストの復活とは何なのでしょうか。パウロはこれを『聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたこと』(1コリント15:4-5)と表現しています。打ちひしがれていた直弟子たちは、イエスの死後、彼にもう一度出会ったのです。この生ける主との出会いから、彼が復活したと信じるようになったのです。」(93ページ)

 ではこの「出会い」は、どのようなものだったでしょうか? 福音書にはこうあります。

 「イエズスは彼らの中に立ち、『あなたたちに平和』と言われたので、彼らは驚き恐れ、幽霊を見ているのだと思ったが、イエズスは言われた、『何故取り乱すのか。何故心に疑い起こすのか。私の手と足を見よ。私自身だ。触れて確かめよ。あなたたちの見ている私のこんな肉と骨は霊にはない』そう言って、手と足を見せられると、彼らは喜びのあまり信じられず、驚いていると、イエズスは、『ここに何か食べ物があるか』と言われた。彼らが焼いた魚一切れと一房の蜂蜜を差し出すと、イエズスはそれを取り、彼らの前で食べ・・・た。」(マテオ24:36-43)

 私たちの主イエズス・キリストは、幽霊を見ているのだと思っていた弟子たちに、確かに、間違いなく、自分の死んだ体が復活したと言うことを証明するために、触らせて、自分で食べ物を食べて見せたのです。

 さらに復活の八日後「私はその手に釘の跡を見、私の指をその釘の跡に入れ、私の手をその脇に入れるまでは信じない」と言っていたトマに向かって、私たちの主イエズス・キリストは「あなたの指をここに出して私の手を見なさい。あなたの手を出して私の脇に置きなさい。信じないものでなく信じるものになるように」(ヨハネ20:27)と言われました。これも、ご自分の肉体の復活が本物であることを証明するためでした。

 しかし岩島師によれば、そのような箇所は無視されます。師は「生前のイエス」「復活のキリスト」「異なった存在様式」「新たな形」をもっている、というその違いだけを、特に説明もなく強調するのです。そのまま読めば、多くの人々が、幽霊か何かの形で(?)復活したキリストと会ったと主張しているが、それがどのようなことなのかは良くは分からない、と言う印象を受けます。

 「福音書の出現物語【ソノママ】に共通な事柄があります。まず、キリストは、生前のイエスとは異なった存在様式で弟子たちに現れています。旅人や園丁の姿で、あるいは閉まった戸を通って現れます。これは復活が単なる死者の蘇生などを意味しているのではなく、死んだイエスが新たな形で人々と出会ったことを示しています。にもかかわらず【ソノママ!「にもかかわらず」】弟子たちは、ほかならぬ主イエスに本当に今ここで出会っているとの確信を持ちます。・・・復活したキリストは、特定の期間、十二弟子だけでなく、マグダラのマリア、イエスに従った婦人たち、パウロ、さらに数多くの人々に出現したといわれています。【ソノママ!「いわれています」】」(93-94ページ)

 カトリック教会は確かに、復活した私たちの主イエズス・キリストは肉体において復活した、と断言し、ラザロが死んでいたのに蘇らされたのとは違う形で復活したと言います。私たちの主イエズス・キリストの場合は、復活し、もう死ぬことも、苦しむことも無くなり、永遠に生きています。ラザロの場合は、もう一度、肉体において死ななければなりませんでした。確かに私たちの主イエズス・キリストの御復活は、「単なる死者の蘇生」などではなく、栄光における復活でした。その意味では、私たちの主イエズス・キリストは、確かに「異なった存在様式」や「新しい形」をもっていました。しかし、『カトリック教会の教え』の致命的な問題点は、カトリック教会の教えてきた、私たちの主イエズス・キリストが肉体において復活した、と言うことがはっきり言われていない、と言うことです。「復活」が客観的な事実であると言うよりも、全く主観的で個人的な「出会い」であり、「出現したといわれている」とか「『生きている』と言い始め」という、客観的な証拠のない噂話を発端として始まったことになってしまっています。

 しかし岩島師の説明は違います。

 「復活のキリストとの出会いは・・・キリストの新しい存在様式についての認識をも与えました。キリストが父なる神と共におられると言うことです。」(94ページ)

 つまり「キリストの新しい存在様式」とは、現代流に言えば「キリストが父なる神と共におられる」と言うことであり、「後期旧約聖書および黙示文学では、世の終わりに最後の審判のため、死者たちがよみがえると言われていました。・・・イエスと出会った人々は、それを終末における復活の開始として理解し」(93ページ)、初代キリスト者たちは、この新しい存在様式を「復活」として「表現」「呼んでいます」(94ページ)が、「聖書はキリストが復活したというだけでなく、キリストが高く上げられた(高挙)ともいっています【ソノママ!!】」(94ページ)と、師は言いたいのです。師は「復活」や「高挙」というイメージに訴える表現は、じつは同じことなのだと言いたいのです。

 カトリック教会の教えは、2000年間変わらず、私たちの主イエズス・キリストは肉体において復活し、同じく肉体をもって昇天された、ということです。しかし、師はそうではない!と言うのです。「昇天」ということをそのまま、文字通り、単純に理解してはいけない、「使徒言行録【ソノママ】は、キリストの高挙をキリストの昇天という独立した出来事として描いています。【これは】キリストの地上のわざは終わり、・・・この地上でキリストの使命を受け継ぎ、福音をのべ伝えていくのは、今や教会である。このことを明確にするため【に書かれたその当時の言い方であり表現】です。」(94ページ)と書いているからです。

 このように私たちの主イエズス・キリストの復活と昇天を同じだとする主張は、カトリック教会の教えではありません。

 しかも「キリストの復活の意義」(94ページ)として、「キリストの普遍的現存」が挙げられ、キリストを信じる人は、彼が現存し、いのちの交わりを保ってくれることを実感しました。」(95ページ)と述べ、「日々の労苦や犠牲を通してわたしたちは小さな死を体験し、それと同時に神のいのちにあずかる小さな復活を体験するのです。」(98ページ)を直ぐに述べられますので、キリストの復活が非常に主観的なものになってしまっています。

 師が、「空の墓」を述べるなら、次のような考察を載せても良かったのではないでしょうか? 残念ながら、師はこれについては沈黙します。

 何故墓は空だったのでしょうか? 「墓の番に立った兵隊たちが眠っている間に、弟子たちがきて、死骸を運び出した」のでしょうか? 番兵が事実いねむりしたとするなら、その間に何がおきたか分る筈がありません。彼らがいいえたことは、目をさましてみると、墓はからであったということでしょう。しいて想像すれは、そのあいだに、弟子たちがぬすんでいったのではないか、ということになります。

 しかし、キリストが受難をたえしのんでいたとき、恐怖におののいていた弟子たちが、キリストの死骸をぬすみだすというような、命がけの冒険をすることができたでしょうか。そのうえ、世間をあざむくということができたでしょうか。なんの目的があって、いかなる動機から、そのような欺瞞行為をあえてしなければならなかったのでしょうか。

 もし彼らが、キリストが復活していないということを実際は知っていたものとすれば、キリストが彼らをあざむいたことも知っていたわけですから、キリストが天主ではないということも承知していなくてなりませんでした。そうなると、彼らが世をあざむき、キリストに関するにせの復活を吹聴したとてしても、なんの利益があったのでしょうか。迫害を受けるだけでした。たえまない苦しみと死でした。そればかりではなく、良心の呵責がありました。

 他方、すくなくとも五百人の人たちを、虚偽宣布のために、仲間入りさせなくてはなりませんでした。

 不可能なことです。残酷で巧知にたけ、権力をもっていた彼らの敵たちが、その仮面を引き剥がさずにいる事が可能だったでしょうか。

 ファリザイ人たちが、証人たちの証言をなくそうと少しも努力しなかったという事実は、成功する見込みがなかったからです。キリストの使徒たちと弟子たちの人柄が誠実なことは、あまりにも明白でした。

 もうひとつのやり方がありました。それは彼らの常套手段であった銀貨で、使徒のひとりに、師を売らせたことがありました。銀貨がもうなくなったわけではなかったのです。黄金は、欲深い人間のためには、迫害とか死が目の前にちらついているときには、さらに大きな魅力になるものです。しかし、キリストの復活を証明する人びとのなかにはもうユダはいませんでした。彼らのうちに、ひとりでもうそつきがいたなら、二重の誘惑に打ち勝つことができなかったにちがいありません。彼は、自分の同輩を信ずるに足りないものとする、ひとつの物語を作り上げさえすれば、自分の名誉を黄金にかえることができ、そのうえ、自分の生命を救うことさえできたからです。

 では「キリスト教徒たちは、キリストが十字架につけられたので、精神的に異常な興奮状態におちた。彼らは、愛する主が死を征服して、ふたたび彼らのところへかえってくると信じていた。イエズスが帰えってくればよいという熱狂的な願望が、復活したキリストという幻想を生みだした」のでしょうか。

 私達は、こういう説を真面目にうけとることはできません。なぜなら、ある個人の場合であれは、そのような幻想におちることも、あるいは可能であるかも知れありません。しかし使徒たちがみな、何十人という弟子たちまでが、同じ幻想に同時におちいるなどということは、ありえません。

 まず、「熱狂的な願望」をもっていたという主張ですが、これは事実と違います。 キリスト信者たちは、キリストの復活をなんら期待してはいませんでした。

 キリストがユダヤ人につかまえられたとき、彼らはすっかりおびえてしまい、これで一切はおわったと逃げてしまったではありませんか。

 キリストは確かに、彼の死と復活とをなんども預言しています。しかし、彼らは、キリストの死という実感をつかみとることができなかったようです。従って、キリストの復活ということにも考えはおよばなかったのです。

 三日目の朝、マリア・マグダレナと他の女の人たちが、キリストの死骸に塗るつもりで、香料をもって墓へ行ったのですから死者のうちからよみがえるキリストと面会しようと期待しながら道をいそいでいたわけではありませんでした。

 墓が空になっているのがわかったとき、マグダレナの脳裡にうかびあがった考えは、誰かが死骸を盗んだのだ、ということでした。

 キリストが彼女に話しかけたときでさえ、初めはキリストであるということに気がつかず、園丁であろうと思いました。クレオファともうひとりの弟子とが、エンマウスへかえる道すがら、キリストに関する悲惨な会話をとりかわしていたとき、旅人になったイエズスが、彼らと同行して話しあったその様子から考えて見ても、彼らがイエズスをどう考えていたか、また、主はよみがえったと知らせた婦人たちの言葉で、彼らが、どんなにびっくりしたかというような彼らの心境が手にとるようにわかります。この旅人が、実はキリストご自身であるということを、彼らに現したとき、彼らはすぐにひきかえして、使徒たちに事の次第を報告しました。ところが、この報告をうけた使徒たちは、前に、婦人たちの言葉を信用しなかったように、彼らの言うことをも信じようとはしませんでした。

 使徒トマはキリストが最初に使徒たちに現れたとき、一緒にいませんでした。そして、キリストが現れたと言う話をきいたとき、これを否定しわたくしの指を釘のあとにいれ、わたくしの手を「そのわき」にいれてみるまでは、信じられない、と言い張るのです。このように、キリストの復活に関する証人たちはどう考えても軽信の徒輩とは言えません。むしろ不信の徒と見られる人たちで、幻想がはいりこむ余地がなかったことだけは確かです。


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(この項続きます)

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)