第130号 2003/05/02 司教、教会博士、証聖者、聖アタナシオの祝日
アヴェ・マリア!
兄弟の皆様、 トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭) 童貞聖マリアに対するまことの信心6. 私も、聖人たちとともに言おう。天主的なマリアは、新しいアダム(=イエズス・キリスト)の地上の楽園であり、ここで理解を超えるさまざまな素晴らしい業を行うために、天主の御子は、聖霊のはたらきによって人となられた、と。童貞聖マリアは、いい尽くせない美と宝とがある偉大な天主の世界である。 童貞聖マリアはいと高きものの壮麗さであり、そこに天主は、ご自分の懐におけるように、御ひとり子を隠し、そして御ひとり子のうちに、もっともすぐれたもの、もっとも貴重なものを隠し給うた。 ああ、この全能の天主は、どれほど偉大な、そして隠れたことを、この賛嘆すべき被造物である童貞聖マリアのうちにおこなわれたのか。童貞聖マリア自身、その深い謙遜にもかかわらず、そのことを言わなければならなかったのです。「Fecit mihi magna qui potens est. 全能の天主が、私に偉大なことをし給えり」(ルカ1・49)。 この世はそれらのことを知らない。何故ならこの世はそれが出来ずに、それにふさわしくもないからである。 7. 聖人たちは天主の聖なる国である童貞聖マリアについて、素晴らしいことを言った。聖人たち自身も告白してるように、彼らが童貞聖マリアについて話した時ほど、雄弁であり満足したときはなかった(聖ベルナルド「聖母の被昇天についての説教」4)。 その後、聖人たちは異口同音に次のように絶叫する。天主の玉座までとどく童貞聖マリアの功徳の高さはだれにも見きわめることができない。大地よりも広い童貞聖マリアの愛徳の大きさは、だれにもはかり知ることができない。天主ご自身にまで届く童貞聖マリアの能力の偉大さは、だれにも把握することができない。最後に、童貞聖マリアの謙虚、その全ての美徳、その全ての恩寵の深さは、底なしの深みであり、だれにもおしはかることができない。
ああ、把握し尽くせない高さよ!
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