第124号 2003/04/25 御復活の金曜日
アヴェ・マリア!
兄弟の皆様、
今回は、聖ピオ十世会総長であるフレー司教による報道発表をお伝えします。
トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)
聖ピオ十世会総長であるフレー司教による報道発表
イル・メッサジェロ紙は聖ピオ十世会の3名の司教とローマとの和解があるかも知れないというニュースを広めている。この和解はローマの聖マリア大聖堂で来たる5月24日カストゥリヨン・ホヨス枢機卿が捧げるトリエント典礼様式に従ったミサの時に発表されるらしい。
聖ピオ十世会の総長であるベルナール・フレー司教は、そのような話を全く知らない。また同司教は、3名の司教のみならず4名の司教が、ルフェーブル大司教が跡を残した行動規範に従ってカトリックの聖伝を擁護しようとする変わることのない立場において非常に良く一致していることを保証する。
+ベルナール・フレー
総長
2003年4月22日
復活の八日間の火曜日
メンツィンゲンにて
ティシエ・ド・マルレ司教による声明
ロンドン・タイムズが広めている聖ピオ十世会とローマとの
「和解」に関する最近の噂について
これはローマが私たちを分断させようと試みて広められた噂です。私たち4名の司教はみな一致しており、分裂していません。私たちは、ローマがカトリックの聖伝に立ち戻らない限り、つまり、伝統的なカトリック信仰を宣言することに立ち戻らない限り、ローマとの「和解」を求めていません。
+ ベルナール・ティシエ・ド・マルレ司教
2003年4月21日
御復活の八日間の月曜日
ミネソタ州、ブラワーヴィルの聖ペトロ修道院にて
http://www.sspx.org/whatsnew.htm より
翻訳 トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)
聖ピオ10世教皇に関するシンポジウム開催される
2003年3月30日
聖ピオ10世教皇の教皇登位100周年を記念して、2003年3月30日、聖ピオ10世に関するシンポジウムが聖ピオ十世会の後援で、パリで開かれました。
1903年8月4日、ヨゼフ・サルト枢機卿は教皇に選ばれ、ピオ10世の名前を取りました。聖ピオ10世は1914年8月20日に帰天しているので、約11年という短い教皇職の間、近代世界を目の当たりにしなければならない教会を準備しました。
聖ピオ10世は、信仰の遺産を一切の汚れなく守り伝えようと警戒し、特に近代主義などの近代の誤謬を排斥しました。それは聖ピオ10世は先の危険を遙かに見通すことが出来たからです。そして、ローマ・クリアの改革、カトリック教会法典の制定、聖書研究所の創立、聖なる音楽の復興などを手がけました。また聖ピオ10世は、フランス、ドイツ、ポルトガルにおける教会の権利を守り抜き、ピオ12世は1954年5月29日に聖ピオ10世を列聖しました。こうして1572年に亡くなっている聖ピオ5世以降、最初の聖人教皇となったのです。
ルフェーブル大司教が1970年に修道会を創立するとき、聖ピオ10世の保護のもとにこれを作ろうと思いました。それは、聖ピオ10世教皇がした近代の誤謬に対する戦いと教会の権利を保護するための戦いを続けようと望んだからです。
(DICI 72号より)