マニラのeそよ風

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第119号 2003/04/23 御復活の水曜日

アヴェ・マリア!

兄弟の皆様、
 私たちの主イエズス・キリストの御復活のお喜びを申し上げます!
 私たちの主イエズス・キリストは、まことによみがえり給えり!アレルヤ!

 今回も、主の御復活の神秘を黙想しましょう。今回は、私たちの主イエズス・キリストの御復活に反対する人々の説に答えたいと思います。

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)


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使徒たちはみな嘘つきであった(欺瞞説)

 この説は、キリストの復活を説明しようとしてつくった、最初の説で、弟子たちの誠実な人格を正面から攻撃しています。墓の番に立った兵隊たちが眠っている間に、弟子たちがきて、死骸を運び出したというものです。

 この話はユダヤ人たちの間には相当広くいきわたっていって、本当だと思いこんでいた人もいたようです。しかし、番兵が事実いねむりしたとするなら、その間に何がおきたか分る筈がありません。彼らがいいえたことは、目をさましてみると、墓はからであったということでしょう。しいて想像すれは、そのあいだに、弟子たちがぬすんでいったのではないか、ということになります。

 では、彼らが、実際こういう合理的な形式で、自分たちの意見を発表したものと見て、諭をおこしてみよう。

 キリストが受難をたえしのんでいたとき、恐怖におののいていた弟子たちが、キリストの死骸をぬすみだすというような、命がけの冒険をすることができたでしょうか。そのうえ、世間をあざむくということができたでしょうか。なんの目的があって、いかなる動機から、そのような欺瞞行為をあえてしなければならなかったろう。もし彼らが、キリストが復活していないということを実際は知っていたものとすれは、キリストが彼らをあざむいたことも知っていたわけですから、キリストが天主ではないということも承知していなくてなりませんでした。そうなると、彼らが世をあざむき、キリストに関するにせの復活を吹聴したとてしても、なんの利益があったでしょうか。

 迫害を受けるだけでした。たえまない苦しみと死でした。そればかりではなく、良心の呵責があった。他力、すくなくとも五百人の人たちを、虚偽宣布のために、仲間入りさせなくてはならありませんでした。不可能なことです。残酷で巧知にたけ、権力をもっていた彼らの敵たちが、その仮面を引き剥がさずにいる事が可能だったでしょうか。ファリザイ人たちが、証人たちの証言をなくそうと少しも努力しなかったという事実は、成功する見込みがなかったからだ。

 キリストの使徒たちと弟子たちの人柄が誠実なことは、あまりにも明白でした。

 もうひとつのやり方がありました。それは彼らの常套手段であった銀貨で、使徒のひとりに、師を売らせたことがありました。銀貨がもうなくなったわけではなかったのです。黄金は、欲深い人間のためには、迫害とか死が目の前にちらついているときには、さらに大きな魅力になるものです。しかし、キリストの復活を証明する人びとのなかにはもうユダはいませんでした。彼らのうちに、ひとりでもうそつきがいたなら、二重の誘惑に打ち勝つことができなかったにちがいありません。彼は、自分の同輩を信ずるにたりないものとする、ひとつの物語をつくりあげさえすれば、自分の名誉を黄金にかえることができ、そのうえ、自分の生命を救うことさえできたからです。


使徒たちは瞞された(幻想説)

 現代の反対論者たちは、得意になってこの仮説を提唱します。

 彼らはいう。
 キリスト教徒たちは、キリストが十字架につけられたので、精神的に異常な興奮状態におちた。彼らは、愛する主が死を征服して、ふたたび彼らのところへかえってくると信じていた。イエズスが帰ってくればよいという熱狂的な願望が、復活したキリストという幻想を生みだしたのです。

 私達は、こういう説を真面目にうけとることはできません。なぜなら、ある個人の場合であれは、そのような幻想におちることも、あるいは可能であるかも知れありません。しかし使徒たちがみな、何十人という弟子たちまでが、同じ幻想に同時におちいるなどということは、あるべきではありません。まず、「熱狂的な願望」をもっていたという主張であるが、これは事実と違います。キリスト信者たちは、キリストの復活をなんら期待してはいありませんでした。キリストがユダヤ人につかまえられたとき、彼らはすっかりおびえてしまい、これで一切はおわったと逃げてしまったではありませんか。

 キリストは確かに、彼の死と復活とをなんども預言しています。しかし、彼らは、キリストの死という実感をつかみとることができなかったようです。従って、キリストの復活ということにも考えはおよばなかったのです。

 三日目の朝、マリア・マグダレナと他の女の人たちが、キリストの死骸に塗るつもりで、香料をもって墓へ行ったのですから死者のうちからよみがえるキリストと面会しようと期待しながら道をいそいでいたわけではありませんでした。墓が空になっているのがわかったとき、マグダレナの脳裡にうかびあがった考えは、誰かが死骸を盗んだのだ、ということでした。キリストが彼女に話しかけたときでさえ、初めはキリストであるということに気がつかず、園丁であろうと思いました。クレオファともうひとりの弟子とが、エンマウスへかえる道すがら、キリストに関する悲惨な会話をとりかわしていたとき、旅人になったイエズスが、彼らと同行して話しあったその様子から考えて見ても、彼らがイエズスをどう考えていたか、また、主はよみがえったと知らせた婦人たちの言葉で、彼らが、どんなにびっくりしたかというような彼らの心境が手にとるようにわかります。

 この旅人が、実はキリストご自身であるということを、彼らに現したとき、彼らはすぐにひきかえして、使徒たちに事の次第を報告しました。ところが、この報告をうけた使徒たちは、前に、婦人たちの言葉を信用しなかったように、彼らの言うことをも信じようとはしませんでした。使徒トマはキリストが最初に使徒たちにあらわれたとき、一緒にはいませんでした。そして、キリストがあらわれたと言う話をきいたとき、これを否定しわたくしの指を釘のあとにいれ、わたくしの手を《そのわき》にいれてみるまでは、信じられない、と言い張るのです。

 このように、キリストの復活に関する証人たちはどう考えても軽信の徒輩とは言ません。むしろ不信の徒と見られる人たちで、幻想がはいりこむ余地がなかったことだけは確かです。


キリストは策謀家であった(昏睡説)

 この説によると、キリストは十字架上でほんとうに死んだのではなく、仮死状態におちたにすぎないことになります。

 キリストは墓の中で蘇生しました。兵隊たちが眠っているすきに、すばやく石を取りのけ、弟子たちに会いました。こうしてキリストは死を征服したという印象を彼らに与えたと言うのです。

 キリストの精神的な苦悩を考え、鞭でうちのめされたこととか、イバラの冠をかぶせられたこととか、十字架に釘づけにされ、わきを槍でつきとおされたことなどを思いあわせると、昏睡説などなんの意味もないことがよく判ります。

 たとえば、この仮説を認めたとしても昏睡だけではどうにもなりません。多くの血をながして、つかれはてている人がたとえ蘇生したとて、巨大な石をとりのけることはできません。兵隊のまどろみをやぶることなく、こういう作業を遂行することなどできるものではありません。死を征服したという演出など、とうていおよびもつかないことでした。全身傷だらけで、手にも足にも釘で打ちつけられた傷をうけ、しかも、健康な人と同じように歩行し、ドアがしまっている食堂へ入ることなどどうしてできたでしょうか。好きな時に現れ、好きな時に消えたりすることがどうして出来たでしょうか。多くの弟子たちの前で、天に昇るということを信じさせることが、どうしてできたでしょうか。

 十字架の苦悶をうけてまで、天主の子であるという主張をゆずらなかった偉大な聖人を、単なる策謀家にする仮説はとるにたりないものです。そのうえ、以上述べたいわゆる虚偽の演出を宣布させるために、もえる熱情を弟子たちにふきこむことができたということは、どう説明すべきでしょう。合理主義者シトラウスでさえ、この説には、一顧の価値もないとして軽くあしらっているが、それはけだし当然です。


チェルススの反対論。キリストは、復活ののち、なぜ、おおやけに、彼の敵たちや全民衆にあらわれなかったのか。

 この説は最初、異教徒チェルスス(200年頃死)によって提唱されたものですが、近代になってから、またもやルナンその他によってむしかえされたものです。

(1) 天主は、人びとが天主にかえる場合、自由な立場から天主に帰依することを望みます。一般的にいえば、天主は悪意ある人びとの意志をまげるために、ある特別な方法や手段をつかうことはありません。天主は、信仰が合理的であることを証明する明らかな、そして、充分な証明を与えることだけで満足します。

 キリストが教えている喩えのなかにでてくる金満家は、地獄からアブラハムをよび求めます。すなわち、五人の兄弟を地獄の苦悶におとさないために、彼らに証明を与えてくれとねがったわけです。アブラハムはこの要求に、「彼らにはモーセと預言者がいる。それに聴けばよい。もしモーセと預言者とにきかないなら、たとえ、死者のなかからよみがえる人がいても、彼らは説得されないだろう」とこたえています。

 ファリザイ一派の人びとが、天からのしるしを要求しましたが、あきらかに拒否されています。キリストが十字架のうえに釘でうちつけられていたとき、道ゆく人たちが、「もし、あなたが天主の子なら、自分で自分をすくって十字架からおりてこい」と言ったのにたいして、イエズスは何も答えてはいません。キリストが特別な恩恵を与えているのは、ただ一人の反対者だけで、すなわち、キリストは、迫害者であったタルソのサウロすなわち後の聖パウロにあらわれているだけです。

(2) たとえ、キリストが一切の人にあらわれたとしても、彼らは、自分たちに都合のよい口実をみつけて、信仰を拒否したにちがいありません。

 「キリストではあるまい。悪霊であろう。サタンの使いに違いない」とかたづけてしまったに違いがありません。それから、後世の不信仰者たちは、おそらくこう言ったでしょう。「キリストが、復活後」一切の人にあらわれたのであれば、なぜ、いまもすべての人にあらわれないのか。なぜ、いつも地上にいないのかと。

 もしまた、キリストが常に地上にとどまっていたとしたなら、彼ら不信の徒輩は、彼らの不信に安住しながら、キリストは欺瞞者のつづきだろう、と言うにちがいありません。


 結  論

 以上、私達は、キリストが死んで墓にほうむられたという事実を、キリストの友人たちと敵たちがもつ証拠によって立証しました。私達はまた、正直ではあったが、軽信の徒輩ではなかった人たちの証言をとりあげ、また、使徒たちの説教がおさめた成功などを考察して、キリストの復活を証明しました。キリストはご自分が天主であることを主張しました。キリストは、この主張の真理性を証明するために、死者のうちからよみがえるといった。そして、彼は死者のうちから復活しました。従って、キリストの主張は真理です。

Michael Sheehan著 “Apologetics”より


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