第117号 2003/04/22 御復活の火曜日
アヴェ・マリア!
兄弟の皆様、 しばらく「マニラの eそよ風」をお送りせずに、兄弟の皆様にはご心配をおかけ致しました。こちらは、元気でやっております。今回は、主の御復活の神秘をすこし黙想しましょう。 トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭) キリストはご自分が死者のうちから復活するだろうと言っていたユダヤ人たちが、キリストの権力についての証拠を見せてもらいたいといって、奇跡を要求したとき、イエズスは、「この神殿をこわしたら、わたくしは三日でそれを建てなおそう 」と答えました。福音書記者は、キリストは彼のからだの神殿をさしていったのだ、と説明しています。 あとになってからは、もっとはっきり、「この悪い、邪な世代はしるしを望むが、しかし、預言者ヨナのしるし以外のしるしは与えられないであろう。すなわち、ヨナは三日三晩、海の怪物の腹のなかにいたが、同様に人の子は三日三晩、地のなかにいるだろう 」といっています。 タボル山の変容ののち、キリストは、ペトロ、ヤコボ、ヨハネをいましめて、「人の子が、死人のうちからよみがえらないうちは、見たことを誰にもいうな 」といっています。 受難のためにイェルザレムにいく前に、キリストははっきり、「私達はイェルザレムにのぼるが、人の子は、司祭長、律法学士たちに渡されるだろう。そして彼らは、人の子に死刑を宣告し、異邦人にわたし、嘲弄させ、むち打たせ、十字架につけるが、しかし、三日目によみがえるだろう 」と言いました。 復活に関するキリストの預言が、一般の人びとに知れわたっていたということは、キリストの死後、彼らがピラトに進言して、「あのまどわし者は、生きていたときに、わたくしは三日目に蘇る、といっていたのを思いだす 」といっているのを見ても分かります。 キリストは死に、そして墓に葬られた四人の福音書記者は、いずれも、キリストは十字架のうえで死んだと言います。兵隊たちは、キリストが死んでいることがわかったので、彼の足のすねを折りませんでした。ひとりの兵隊が、槍でキリストの脇腹を貫きました。アリマタヤのヨゼフが、キリストを埋葬するためにその許可を願い出ると、ピラトは許可を与える前に、百夫長に命じてキリストの死を確認させています 。考えてみて下さい。キリストの殺害をあれほど執念深くたくらんでいたキリストの敵たちが、自分たちの計画を中途半端でやめることなどありえたでしょうか。前述したように、「生きていたとき」といっていますが、この言葉から考えても、いまは死んでいるという事実があったからこそ、こういう言葉が出てきたことがわかるのです 。 キリストは死者のうちから蘇った福音書記者たちが教えているところによると、墓がからになっていました。それから、キリストはマリア・マグダレナと他の婦人たちとにあらわれ、次に、使徒たちにあらわれ、傷のあとを示しています。「わたくしの手とわたくしの足とを見よ、わたくし自身だ。わたくしに触って確かめてごらん。霊には、わたくしにあるような骨や肉はない 」といって、彼らと話したり、一緒に食事したりしています 。キリストは、エマオへ帰る二人の弟子と一緒に歩き行きましたが、「パンをさく動作 」によって、弟子たちは、彼が主であることを知ったのです。コリント人たちに書き送った手紙で、聖パウロは、「五百人以上の兄弟たちが一緒にいるところに、キリストがあらわれ、最後には、わたくしにもあらわれた 」と教えています。 キリストの復活に関する証人は信頼に値する(1) 彼らは、決して嘘つきではありません。彼らには、虚偽の証拠をつくりださなければならない少しの動機もありませんでした。彼らの働きと、そのためにうけた苦難とを思いあわせると、それらはみな、彼らの誠実さを証拠だてるものばかりです。また、彼らは、自己欺瞞におちていたわけでもありません。なにしろその数がひとりやふたりではないし、初めからキリストの復活を信じていたわけではなく、むしろ信じたくなかったくらいなのです。また、キリストの死後、キリストが、彼らとともにいた時間が、相当長期にわたっていたことも、自己欺瞞という説を不可能にするもうひとつの理由なります。 (2) 天主は奇跡の賜物を彼らに与えて、彼らが人びとをだますような人間ではなく、また浅薄な夢想家でもなく、ひたすら真理を宣言する人たちであることを立証しています。彼らの手によって、キリストのみ名において、天主は、多くのしるしと、不思議とをおこしたので、これを見た、「一般の人びとは、おそれを感じた 」程でした。 (3) 何千人という、初代教会の改宗者たちが、聖ペトロのもとにあつまっているが、そのなかには、「非常に多くの司祭たち 」がいたというおどろくべき事実に注意して下さい。これらの司祭たちは、特別な階級に属する人たちで、つい最近までは、キリストの奇跡を否定していたばかりでなく、キリストを十字架の刑罰におくりだすために、一生懸命になった人たちでした。また今もなお、天主から来る新しい証拠を抹消するために、やっきとなって努力している大司祭たち、その他の指導者たちといさぎよく訣別してきた人たちであったのです 。これら勇敢な改宗者たちは、彼らの司祭職が提供するいろいろな特権を、一生涯続くかも知れない迫害ととりかえなければならないはめにおちいる、自分たちの立場を、よく承知していたにちがいません。彼らは、彼らが属していた社会を混乱させる者、民族の裏切り者として、あるいは焼き殺されねばならないかも知れないということも知っていたにちがいません。それにもかかわらず、こういう未来に敢然とたちむかっていくことができたのは、なんのためであったろう。彼らは、ひたすら自分たちの良心が要求する強い命令にしたがっただけであったのです。キリストの復活という真理が、彼らの心に水晶のような清浄な姿でうつしだされていたにちがいません。 これは、おそらく次にあげるふたつの道のどっちかからやってきたと思われます。そのひとつは、使徒たちがおこなう奇跡が、まちがいなく起きた奇跡であるということを知り、従ってこれはキリストが復活したと主張する使徒たちがただしいことを、天主ご自身が保証するものだと確信するにいたったか、あるいはまた、もうひとつの道にしたがうと、彼ら自身、復活に関係があるたくさんの証人たちの話しをきいたり、調べたりして(誰とでも直接話しあうことができた)、それらの証拠には、なんら疑問とするものがないことを確かめて、最後の確信に到達するようになるかしたのです。しかし、上述したふたつの、いずれの道をえらんだとしても、彼らの多くの人びとは、もう一歩前進したことは確かです。すなわち、さらにさかのぼって、メシアに関する預言をもう一度調べたにちがいません。その結果、旧約の預言が、すべてキリストにおいて成就したことを知ったのです。すなわち、キリストは人となった天主の子で、苦しみをうけ、十字架に釘づけられて死にました。そして三日目に墓からよみがえりましたが、これらはみな預言の完成であることを知ったのです。 キリストの復活に関する証人としての聖パウロ聖パウロの証言は、それ自体、確固たる証明力をもってはいるが、同時に他の証人たちの証言をも立証する特別な力があります。いかなる批評家も、聖パウロがダマスコ途上で、奇跡的な示現にあった事実を疑問視するものはいません。キリストの死後、三十年以内に、聖パウロが、ローマ、ギリシア、小アジアの諸教会に書きおくった素晴らしい手紙、この書面をもって彼は、彼らの信仰の土台であるキリストの復活を諄々と説きあかしていますが、これらの手紙の文献的な価値を無視していくことができる批評家は、ひとりもいないのです。また、前身は教会の迫害者だった聖パウロの、聖者としての風格と、誠実な人格とに、疑問符をうつことができる人もいません。聖パウロのように高潔な人格者で、しかも教養の高い人が、詐欺師とか、またはこれに類する人たちの仲間いりができるものではありません。また、復活の証人たちと話しあったとき、何かの不合理を発見したり、彼らの立証に、うたがわしい点を見いだしたりしていながら、そういうことに関する一切の記事をさしひかえたなどとはとうてい考えられるものではありません 。
キリストの復活は、
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