第115号 2003/04/11
アヴェ・マリア!
兄弟の皆様、 私たちの主イエズス・キリストは、ご自分に与えられた重い十字架を、拒むことなく、むしろ喜んでこれを担いました。「もし、私の後に来たいならば、自分を捨て、自分の十字架を取って、私に従え。Si quis vult venire post me, abneget semetipsum et tollat crucem suam et sequere me. 」と主は仰せになります。突然の病気、事故、親族友人との死別、隣人から悪意によって受けた損害、裏切り、不正義、貧困、いろいろな十字架が私たちの上に降りかかるかも知れません。逃げれば逃げるほど、ますます大きくなる十字架! しかし、ご覧下さい!私たちの主イエズス・キリストを。道、真理、命にましますイエズス・キリストは、私たちの先頭を、十字架を取って歩まれます。インマクラータ(無原罪聖母)も、イエズス・キリストと共に、歩まれます。私たちも、主と聖母と後をしたい、十字架の道を歩みましょう。Per crucem ad lucem! 十字架によりて、復活の光へと! 十字架の苦しみを受けたイエズス・キリストは、私たちの主イエズス・キリストは、最も罪のない方、最も聖なる方、私たちを最も愛するお方、天主の御ひとり子、私たちのために人となった天主ご自身です。天主は、私たちの主は、土くれに過ぎない私たちに復活の栄光を与えようと苦しまれるのですから! トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭) 十字架の道行き 第二留、第四留第二留 イエズス十字架を担い給う: ああ、キリストよ、主は尊き十字架をもって世をあがない給いしにより、*われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。 人々は主を外に引き出だし、荒木もて作れる十字架をかしこくも主の肩に打ち掛くるや、主は御身の傷をもいとい給わず、すこしも拒み給う御気色なく、引き寄せてこれを担い、柔和にして堪忍深き御姿にてかれらの後より歩ませ給う。 *主イエズス・キリスト、主は十字架を担い給うべきにあらず。罪人なるわれらこそ、十字架を担うべき者にはあるなれ。さればわれらは主の御旨によりて、罪を償うがために、この世の苦難を受くべき者なれば、主を鑑みとして、柔和堪忍をもってこれに堪えしめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。
主祷文
主われらをあわれみ給え。*われらをあわれみ給え。 第四留 イエズス聖母に会い給う: ああ、キリストよ、主は尊き十字架をもって世をあがない給いしにより、*われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。 聖母マリアは御子が死罪の宣告を受け給いしを聞き、急ぎ行き給うほどに、途にてあい給えり。あわれ天使の御告げありし昔には似るべくもあらず、あけの血に染み目も当てられぬ主の御姿を見て深く悲しみ給えども是非なし。御子の御苦難に御みずからの悲しみを添えて、われらのために御父天主に献げ給う。 *主イエズス・キリスト、聖母マリアの御心を悲しませまいらせしは、一に罪人なるわれらなり。主は限りなく慈悲深くましませば、幸いにわれらの罪を赦し給え。また主と御母との御心を慰め奉るために、われらに力を尽さしめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。
主祷文
主われらをあわれみ給え。*われらをあわれみ給え。 |