第114号 2003/04/09
アヴェ・マリア!
兄弟の皆様、 聖アウグスチヌスはこう言っています。「ああ、友よ! 君の救い主が、君の前にすでに苦しまなかったようなどんなことが君に降りかかりうると言うのだ?君は中傷されたのか?私たちの主は大食漢であると言われ、大酒のみであるとも言われ、異端者であるとも言われ、反逆者であるとも言われ、罪人の仲間、悪魔憑きであると罵られた。私たちの主が悪魔払いをすると、悪魔の頭であるベルゼブブによってしたと中傷された。」 だから、私たちの主はご自分の使徒たちを慰めてこう言われた。『人々が家父をベルゼブブと言ったのなら、その家の者に対しては何と言うだろうか?』(マテオ10:25) どうですか? 悲しみは軽くなりましたか? 私たちの主が味わわなかった苦々しい悲しみはありません。私たちの主は、ありとあらゆる苦しみと悲しみと苦痛を忍ばれました。 皆から、つまはじきにされましたか? 仲間はずれにされましたか? 嫌がらせをされましたか? いじめに遭いましたか? 不正な裁判を受けましたか? 私たちの主は、十字架の死刑の辱めを受けました。「これほど罪人からの逆らいを堪え忍ばれたお方を考えよ。それはあなた達を(讒言と中傷と悪口によって)あかせぬように、また失望させぬようにするためであった。」(聖パウロ) では、四旬節の黙想として聖アルフォンソ・デ・リグオリによる「十字架の道行き 第一留」をどうぞ。 聖アウグスチヌスは、十字架は死刑の道具であるばかりか、聖徳の教壇であると言います。 十字架の苦しみを受けたイエズス・キリストは、誰なのですか? 私たちの主イエズス・キリストは、最も罪のない方、最も聖なる方、私たちを最も愛するお方、天主の御ひとり子、私たちのために人となった天主ご自身です。 何故私たちの主イエズス・キリストは、苦しまれたのですか? 天主の正義を宥めるために、私たち罪人に代わって全ての罪を償うためでした。 では、誰のために私たちの主イエズス・キリストは苦しまれるのですか? 私たちの主は、土くれに過ぎない私たちのために苦しまれるのです! トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭) 十字架の道行き 第一留イエズス死刑の宣告を受け給う: ああ、キリストよ、主は尊き十字架をもって世をあがない給いしにより、*われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。 人々は主を捕えてカイファのもとに引き行き、あざけり、御顔につばきし、打ちたたき、次いでピラトの裁判にわたせり。ピラトは群衆の心を和らげんとて主を石の柱に縛りつけ、むち打ち、ついにいばらの冠を御頭に押しかぶせければ、傷つき血流れたり。されど群衆は少しもあわれと思わずして、なおも十字架に掛けよ、十字架に掛けよと大いに叫びたりしかば、ピラトもせん方なくて主に死罪をいいわたすにいたれり。 主イエズス・キリスト、主を死刑に処せしは、ピラトとユデア人とにあらず、ひっきょうこれわれらの罪の業なり。われら今罪を犯す毎に、主に大いなる苦痛を加え、不当の宣告を受けさせ奉るなり。よりてわれらの罪の罰を赦し給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。
主祷文 主われらをあわれみ給え。*われらをあわれみ給え。
願わくは死せる信者の霊魂、
ああ聖母よ、 |