マニラのeそよ風

 トップ  >  「マニラのeそよ風」一覧

第107号 2003/04/02


アヴェ・マリア!

 兄弟の皆様、「愛の賛歌」のあとには、四旬節の黙想として「天主に対する深い愛」をどうぞ。

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)



罫線


四旬節の黙想 「キリストにならいて」


 「子よ、信心の恵みをかくし、それにうぬぼれず、それについて多く語らず、それに余り気をつかわず、むしろ自分をあなどり、自分はそれを受ける値打のない者だと考える方が、あなたにとって有益な、安全なことである。・・・

 多くの人は、ことが思いのままに進まないと、すぐ忍耐を失い、落胆するものである。どんな道を歩むかは、人の手中にあることではない。慰めの恵みを誰に、いつ、いかにして、与えるかは、すべて天主の御旨にほかならない。・・・自分が知恵者でありながら、しかも他人の意見に謙虚にしたがう人は、すくないものだ。高慢とむなしい自負をもって、学問の宝をつむよりは、すくないことがらでも、謙虚に貧しい知恵で理解する方がよい。あなたにとって、多くもつことが高慢の種になるなら、すくなく持つほうがよい。以前の貧しさを忘れ、天主の恵みを失うことをつねにおそれている主への清い敬畏をも忘れ、信心の恵みをさずかったときに、喜びにおぼれるのは、賢明な人のすることではない。また、くるしみや不幸のときに落胆し、私に対して、持たねばならぬ信頼を失うのは、徳をつんだ者のすることではない。

 ・・すべてがあなたの思いのままに、順調にゆくよりも、試練のあるほうがあなたにとって有益である。人間の功徳は、どれほどの幻覚をみたか、どれほどの慰めをえたか、どれほど聖書に通じているか、どれほどの地位にあるかではなく、むしろどれほど謙遜に根をはっているか、天主への愛をもっているか、清い意向をもって天主の光栄のために働いているか、自分を空しい者と考え、真に自分を軽蔑し、尊ばれるよりも軽んじられ卑しめられることをのぞむかにある」

(「キリストに倣いて」第3巻第7章より)


罫線