マニラのeそよ風

 トップ  >  「マニラのeそよ風」一覧

第102号 2003/03/28

アヴェ・マリア!
 兄弟の皆様、戦争と悲しみと苦しみだらけのこの世のむなしさを黙想しましょう。
 四旬節の黙想として「キリストに倣いて」を再びどうぞ。

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)



罫線


四旬節の黙想 「キリストにならいて」


 「子よ、私にならって、真理の道を歩め。単純な心で、常に私を探し求めよ。私にならって真理の道を歩む者は、悪にあう時には保護され、真理の手で、誘惑と悪人のざん言とから守られる。真理があなたを解放する時、その時こそ、あなたは真の自由を得、人間の空しいことばを気にかけないようになるだろう」

 「主よ、あなたのおことばは真実です。仰せの通りなりますように。あなたの真理が私を教え、守り、救いまで導くように。真理がすべてのよこしまな愛から私をとき放つように。そうすれば私は、あなたとともに自由に歩めるでしょう」。

 真理はおおせられる。
 「私は、何が正しく、何が私によろこばれるかを教えよう。あなたは、悲しみと苦味とを味わいつつ、自分のおかした罪を思いだせ。そしてあなたが行った善を思って、自負するな。あなたは、今も罪をおかすことができ、さまざまの邪欲にかこまれている。あなたは常に悪を望み、すぐ堕落し、たやすく敗れ、すぐ不安を感じ、落胆する人間である。あなたには誇れるものが一つとしてない。ただ、恥辱をもっているにすぎない。自分で思う以上に、あなたは弱いものだ。だから、何をしても、大事をやったと思ってはならない。何事も、重大な、価値あるもの、感嘆し、賞賛すべきもの、のぞましいものだと思ってはならない。何よりもまず、永遠の真理を愛し、自分の低さ卑しさをいとい、何よりも悪と罪とをおそれ、さげすみ、さけよ。悪と罪とけ、金銭上のどんな損害よりも嫌悪すべきものだと考えよ。

 ある者は、私の前を、真実な心をもって歩まず、ある種の好奇の念と厚顔で私の神秘をさぐり、天主の至高の計らいを知ろうとし、しかも自分の救いを、全くおろそかにしている。だが彼らは、その高慢と好奇心とのために、退けられ、しばしば誘いと罪のとりことなるのである。

 天主のさばきをおそれ、全能者のいかりにおののけ。いと高きお方のみわざをあげつらうことなく、ただ自分の罪のふかさに思いをいたし、いかに多くの罪をおかし、いかに多くの善を怠ったかを省みよ。ある人はまた、書物に、あるいは絵に、あるいは外部的な儀式に、信心のすべてをおこうとする。かれらは、口で私を語るが、心にはほとんどおいていない。ところが他のある人は、知恵を照らされ、愛情をきよめられ、つねに永遠にあこがれ、地上のものに耳を傾けず、しぶしぶながら人間としての必要を満している。かれらは真理の霊が内に何を語るかを悟っている。なぜなら、真理の霊は、地上のものを軽んじ、天上のことを愛し、この世をすてて、昼夜をとわず天にあこがれよ、と教えるからである」

(「キリストに倣いて」第3巻第4章より)


罫線