マニラのeそよ風

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第92号 2003/03/15 四旬節の四季の斎日の土曜日

聖パウロ, Eglise Saint Pierre des Minimes, France アヴェ・マリア!

四旬節の黙想として、新約聖書からの抜粋をどうぞ。

 兄弟達よ、自分を智者だと思うな、誰に対しても、悪に悪を返すな。天主の御前ばかりでなく、すべての人の前に善い事を行え。出来るだけ、つとめてすべての人と和らげ。愛する者よ、自分で復讐するな、却って、天主の怒りにまかせよ。「主は言い給う、復讐は私に。罰するのは私である」と記されている。「若しあなたの敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。こうしてあなたは、彼の頭の上に燃える火を積むのである」と。悪に勝たれるままにせず、善を以って悪に勝て。(使徒聖パウロのローマ人への書簡(12章 16-21節)より)

 「キリストに倣いて」もどうぞ。

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)



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四旬節の黙想 「キリストにならいて」


 患難を誇りとするのは、天主を愛する霊魂にとって、困難なことではない。それは、主の十字架を誇ることだからである。人間が与え、また受ける光栄は、束の間のものである。この世の光栄には、つねに悲しみがつきまとっている。善良な人のまことの光栄は、他人の判断にあるのではなく、その人自身の良心にある。正しい人の快活は、天主から出たもので、そして天主にある。正しい人のよろこびは、真理によるものである。永遠のまことの光栄をのぞむ人は、この世の光栄をかえりみない。この世の光栄を求め、それを軽蔑しきっていないのは、天の光栄を、充分愛していない証拠である。世のほまれもあなどりも気にしない人は、非常にしずかな心を保っている。

 心の清い人は、何にでも満足して安らかに生きる。人から賞賛されても、そのために聖徳にすすむわけではなく、軽蔑されても、そのために卑しくなるわけではない。あるがままのあなたが、あなたである。そしてあなたは、天主のみ前に、今ある以上善良なものではない。あなたの心の中を反省すれば、あなたは、人のいうことを気にかけないだろう。人はうわべだけをみるが、天主は心の底を見ておられる。人は外部のおこないを見るが、天主は意向を見ておられる。つねに善をおこないつつ、しかもへりくだるのは、謙虚な心の証拠である。この世のどんなものからも、どんな人間からも、慰めを求めようとしないのは、清さと、心の高尚さとの証拠である。

 他人の賛成を求めようとしない人は、天主に自分をまかせきっている人である。聖パウロがいうように、自分がほめるものではなく、主がほめるものこそ、天主の気にいる者である(コリント後10・18)。内的に天主と一致して生き、外部のものに全く束縛されないのは、真に内的な人の状態である。

(「キリストに倣いて」第2巻 第6章より)


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