![]() 第90号 2003/03/14 四季の斎日の金曜日
アヴェ・マリア! 兄弟の皆様、今回はいろいろなご質問にお答えします。
聖伝のミサは、初代からローマに伝わる典礼様式に従って、殉教者の聖遺物が入っている祝福された祭壇の上で、全てのカトリック司祭によって捧げられるミサ聖祭です。カトリック司祭は、ミサ聖祭において私たちの主イエズス・キリストのペルソナにおいて(つまりキリストに代わってとして)、十字架のいけにえを再現し、天主聖父にいけにえである主イエズス・キリストを捧げます。ラテン典礼ではラテン語を使用し、ローマ式の祭服を着用し、カトリック教会の信仰をそのまま表明したやり方でミサ聖祭が捧げられます。トリエント公会議のミサとも言われますが、より正確にはローマ式ミサと言うべきミサ聖祭です。
「ミサ聖祭の玄義(神秘)を理解し、表現している全ての典礼様式では、・・・玄義(神秘)と言う事実を表現しようと気を配っています。東方典礼では司祭と信徒との間に壁(イコノスタシス)があります。こうして玄義ということが守られています。私たち(西方典礼)は、司祭と平信徒を分離する壁はもはやありません。しかし神秘であるという表現は沈黙のうちに唱えられる言葉に存するのです。もし声を出してしまうとその内容を俗化させてしまいます。もし沈黙を守るとそれは神秘のうちに隠されるのです。この理由で全聖伝は典文を沈黙のうちに唱えることを支持したのです。これが神学的理由となってトレント公会議の決議文では、「ミサ典文が沈黙のうちに唱えられるべきではない」という人々は排斥されると言っています。」(スティックラー枢機卿Cardinal Stickler, 1995年5月)
聖ピオ5世は、永久に有効な法令として不可謬権を行使しつつ大勅書「クォー・プリームム」(Quo Primum 1570年7月14日)によって、全てのラテン典礼のカトリック司祭に聖伝のミサ典礼様式を義務づけ、かつこれを自由に捧げることが出来ると荘厳に定めてしています。ですから、いかなる教皇様といえども司教様といえども、聖伝の典礼様式を廃止することは出来ませし、廃止しませんでした。 「ヨハネ・パウロ教皇は1986年9人の枢機卿からなる委員会に質問し・・・うち8人はこう答えました。『聖ピオ5世のミサはかつて廃止されたことはありません』と。私はそう答えた枢機卿のうちの一人でした。・・・ また、「司教は誰でも正当な司祭にトレントミサを捧げるのを禁止することができるか」という質問もありました。9人の枢機卿は9人とも満場一致でいかなる司教といえどもカトリック司祭にトレントミサを捧げることを禁止することは許されない、ということで同意しました。私たちにはいかなる公的禁止もありませんし、私の思うには教皇様も今後公的禁止を出すことがないでしょう・・・。」(スティックラー枢機卿1995年5月)
パウロ6世教皇は、1969年に「ミッサーレ・ロマーヌム」(Missale Romanum)という使徒書簡によって新しいミサを公布しましたが、この書簡のラテン語原文には新しい典礼をしなければならないとは一切なく、ただ新しい点を導入しても良いとう自由を与えているだけます。ですから、新しいミサをしなければならない義務はどの司祭にも一切ありません。
聖ピオ10世会の第1の目的は、司祭の聖化と養成です。その目的のために聖伝のミサとミサ聖祭に関わる全てのことに特別の信心を持っています。そして使徒の時代より伝わるカトリック信仰、歴代の公会議や教皇様たちの教えをそのまま守り続けようとしています。ルフェーブル大司教はこう言いましたが、聖ピオ10世会の会員はこれを常に守り続けています。「私たちは真心を込めて全霊を込めて、カトリック信仰とその信仰を維持するために必要な聖伝との保護者であるカトリックのローマに一致する。」(1974年11月)
「教会の教導職を拒否するものは、教会から離れたものである。私たちはそれから離れることを決して望まない!」(1983年6月)
「私たちは聖伝のミサが世界中で捧げられるようにローマに働き続けています。私たちが求めていることは不可能であると思いこんでいる人々の考えとは反対に、ローマは聖伝のミサを『解放』させることを今でも考えています。いつそれがなされるかは分かりませんが、ローマはそのことを考えています。・・・聖ピオ10世会に好意的な聖職者がバチカン内部におり、聖伝のミサのための運動を強化しています。・・・まだ充分に強い動きではないのですが、教会の直面している恐ろしい危機を乗り切るために必要な手段としてこの聖伝のミサをしなければならないという考えがバチカン内部でさえもますます広がっています。・・・まだ目には見えませんがゆっくりと確実に仕事が運んでいます。ローマ・クリア内部には「がんばれ、諦めるな、妥協するな」と私たちを励ます聖職者らがいます。・・・私たちには多くの友人がいますが、友人だけではありません。教会の内部には教会の敵が多くおり、彼らは自分が何をしているかをよく知っています。私たちはそのことを良く理解しなければなりません。」(フレー司教2002年12月)
キリスト者の一致のための委員長であったカッシディー枢機卿(Cardinal Cassidy)は、1994年5月に「聖ピオ10世会の司祭たちによって執行されるミサ聖祭と秘跡は有効である」と言っています。
聖ピオ10世会は、聖ペトロの後継者としてヨハネ・パウロ2世教皇の普遍的な裁治権を認め、これを擁護しようとするカトリック教会の一部です。教義聖省長官であるラッチンガー枢機卿は、聖ピオ十世会がカトリック教会を離れているとする根拠は全く無いといっています。また教皇庁立委員会エクレジア・デイ事務総長であるモンシニョール・ペルル(Mgr Perl)は、2002年9月27日付けではっきりと、制限を付けずにこう言います。 「厳密な意味において、聖ピオ10世会の司祭によって捧げられたミサに与って主日の義務を果たすことができる。」 これは、聖ピオ10世会が離教してはいないということを宣言することです。何故なら、例えば離教したギリシア正教の司祭によって捧げられた典礼にいくら与っても、カトリック者は主日の義務を果たしたことにはならないはずだからです。
モンシニョール・ペルルは、次のように答えています。 「もしそのようなミサに与るというあなたの第1の意向が、教皇様と教皇と交わりを共にするものたちとの交わりから離れたいという望みを表明するためであるのなら、これは罪になるかも知れません。もしもあなたの意向がただ単純に信心のために1962年版のミサ典書に則ったミサに与ることでしたら、これは罪にならないでしょう。」(2002年9月27日)
聖ピオ10世会は、聖伝のミサに与りたいという日本のカトリック信者さんがたの切なる要求と、その援助を得て大阪と東京で聖伝のミサを定期的に捧げています。大阪には常設の小さな聖堂があり、東京では基本的に毎月の終わりから第2主日に場所を借りて聖伝のミサを捧げています。 |