第78号 2003/01/16 教皇殉教者聖マルチェッロ
アヴェ・マリア!
『聖ピオ10世会の司祭の施す告解及び婚姻の秘跡の有効性について――カトリック教会法の研究――』 天主様の祝福が豊かにありますように! トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)
聖ピオ10世会の司祭の施す告解及び婚姻の秘跡の有効性について 4. 死の危険における特別裁治権4.1.2. 婚姻に関する死の危険についての教会法In periculo mortis omnes sacerdotes, licet ad confessiones non approbati, valide et licite absolvunt quoslibet poenitentes a quibusvis peccatis aut censuris, quantumvis reservatis et notoriis, etiamsi praesens sit sacerdos approbatus... (Canon 882)
カトリック教会法882条 Quilibet sacerdos, licet ad confessiones excipiendas facultate careat, quoslibet poenitentes in periculo mortis versantes valide et licite absolvit a quibusvis censuris et peccatis, etiamsi praesens sit sacerdos approbatus. (New Code Canon 976)
カトリック新教会法976条 4.1.3. 堅振に関する死の危険についての教会法
* Ipso iure facultate confirmationem ministrandi gaudent:
カトリック新教会法883条 4.2. 「死の危険」とは?死の危険とはなんでしょうか? 教会は法律を作るとき、常に「秘跡は人のためにあるSacramenta propter homines」という格言に忠実でした。教会は、司祭に裁治権が無いために、告解することが出来ずに信者が死ぬことのないように、教会の救霊に関する熱心は、死の危険が迫っているときにはますます高まるのです。ですから、或る信者が死の危険にあるとき、全ての司祭は(全ての、と言う言葉の中には、破門された司祭も、聖職停止の処分を受けた司祭も、聖職を禁止された司祭も、承認されていない司祭も、規定をはずれた司祭も、異端者の司祭も、離教の司祭も、平信徒の身分に還俗された司祭も、司祭職を全く捨ててしまって罪の中に生きる司祭も、全て含まれています)有効に、そしてほとんど常に合法的に、どのような罪や咎(censura)も、たとえ認められた司祭が近くに目の前にいたとしても、許すことが出来ます。 これは教会の古代からの重要な規定であって、トリエント公会議の第14総会第7章(DS 1688)ではっきりそれについて読むことが出来るのですが、叙階の秘跡を有効に受けた聖職者であれば、教会法によってローマ教皇から委任を受けた、裁治権の全権を死の危険に行使することが出来るのです。そして、品級の秘跡と裁治権との2つが同時にそろうことで、罪の赦しを与えることが出来るわけです。 秘跡を受ける側は、死の危険にあることが必要とされます。死の危険とは、「霊的な死の危険」ではなく肉体的な死の危険であり、肉体と霊魂とが分離するという意味での死の危険です。 「死の危険」とは、信者が死を直前に苦悩しているとか、もがき苦しんでいるということではありません。そのような状態は、「死の危険periculum mortis」ではなく、むしろ「死の直前articulum mortis」と言われています。「死の危険」とは、理性的に考えて、すぐに死がやってくるかも知れない、あるいは、理性を失って告解をすることが出来なくなってしまうだろう、という危険があるだけで充分です。 この「死の危険」の原因には、内的原因と外的原因とがあり得ます。内的原因とは、病気とか老年とかであり、外的原因とは、戦争、外科手術、迫り来る災害、などがあります。死の危険の動機が充分であるか否かに疑義がある場合にでも、司祭は、教会法209条により、積極的且つ蓋然的疑義のさいに補われる裁治権によって、有効に罪の赦しを授けることが出来ます。 死の危険というのとは、告解だけではなく、べつの教会法上の結果を生じさせます。カトリック新教会法典は、第883条によって、死の危険にある場合にはどのような信者にも、いかなる司祭であれ堅振の秘跡を授けることを許しています。カトリック教会法典1098条とカトリック新教会法典1116条とは、婚姻を結ぼうとするうちの少なくとも一方が死の危険にある場合、婚姻の特別形式を認めています。これについては、次の項で取り上げましょう。 この教えは、教会法学者たちやローマ聖座の内赦院の判例によって、全く確かだと言えます。 Gomez, De Censuris in Genere, 1955, Cann. 2241-2251: Periculum mortis significat illud discrimen vitae in quo quis constitui potest, ita tamen ut superesse vel occumbere, est vere graviterque probabile. Adest proinde PRUDENS TIMOR de morte imminenti, quin requiratur ut sit certa quia tunc persona dicitur versari in articulo mortis. Huiusmodi autem periculum provenire potest ex causa intrinseca, v.g. ex morbo, vulnere inflicto, vel ex causa extrinseca, v.g. ex bello, terremotu, incendio, navigatione periculosa, operatione chirurgica, etc. Van Kol, op. cit., #663: Periculum mortis habetur in omnibus casibus, in quibus rationabiliter timetur alterutrum saltem nupturientem moriturum esse vel sensibus destitutum iri, antequam testis qualificatus adesse vel adiri poterit. In hisce circumstantiis matrimonium valide coram solis duobus testibus celebratur, etiamsi iudicium de periculo mortis forte erroneum sit. Non refert quaenam sit causa timoris: morbus, incisio chirurgica, exsecutio poenae capitis, pugna, incursio aeria, inundatio, tempestas, etc. Regatillo and Zalba, op. cit., #930: Periculum ex quavis causa, ut morbo, proelio, sufficit ut alterutri immineat. Moraliter aestimandum; error in aestimatione periculi valori nuptiarum non officit, nisi fuerit omnino imprudenter iudicatum aut prorsus fucatum. NULLA CAUSA requiritur ad matrimonium sic contrahendum, sicut requiritur as impedimentorum dispensationem (c.1043).
内赦院(Sacred Penitentiary)1912年3月18日及び1915年5月29日、Acta Apostolicae Sedis 7-282, in Bouscaren 1, p. 411: 4.3. 聖ピオ10世会に適応する聖ピオ10世会の聖伝のミサに与る信者が死の危険にあるとき、その他の認められた司祭がたとえ同席していても、どのような司祭であれこの信者のいかなる罪をも有効に合法的に許すことが出来ます。 死の危険の時には、いかなる司祭であれ、司教によってすでに祝福された聖香油を使って、堅振の秘跡を施すことが出来ます。 死の危険の時、教会法によって規定された条件を満たす間はずっと、どんな司祭でも婚姻を祝福することが出来ます。 聖ピオ10世会の司祭は、特に老年の方や病気の方など、死の危険を迎えた人々の告解を聞き、死の準備をするという使徒職をすることが出来るでしょう。死の危険にある子供の場合には、緊急洗礼を施し、また特別の権能によってたんなる司祭であっても堅振を授けることが出来ます。 (つづく) |