マニラのeそよ風

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第16号 2002/07/09

アヴェ・マリア!

 7月は、私たちの主イエズス・キリストのいと尊き御血に捧げられた月であり、それと同時に「7」という数を思い出します。また、この主日も聖霊降臨後第7主日でした。

 今回は、7の神秘について、思い出しましょう。

天主が全てを創造した7日間、
聖霊の7つのたまもの、
新約の7つの秘蹟、
7つの品級
7つの罪源、
7つの枝の燭台、
旧約時代の荘厳大祝日に捧げられた7つの子羊、
旧約の借金が許される7年目、
休作の年であった7年目、
イェリコの壁を崩れ落とした7人の司祭と7つのラッパ、
旧約の神殿を建設するためにかかった7年、
天主の玉座の前に立つ7位の天使、
知恵の宮殿を支える7つの柱、
カインを殺すものがあれば、彼が罰せられる回数は7回、
カインの仇討ちが7倍なら、メレクは77倍だ(創世4:25)、
死を免れたエノクは原初から7番目の人間、
アブラハムから7番目の太祖であるモイゼ、
アダムから77番目の子孫が私たちの主イエズス・キリスト、
黙示録に出てくる7つの金の燭台、
黙示録に出てくる7つの頭を持つ獣、
この獣と戦うために送られた7位の天使、
太陽光を構成する7つの色、
一オクターブを構成する7つの音階、
人間の成長も幼児、成長期、青年期、と7年ごと、
主の祈りの中の祈願も7つ、
枢要徳と対神徳とを会わせると7つ、
聖ペロトの尋ねた、許さなければならない回数の7、
私たちの主イエズス・キリストの答えた7の70倍回、

そして、私たちがそれによって罪の赦しを得た
主イエズス・キリストのいと尊き御血の聖なる月は7月!


 天主様の祝福が豊かにありますように!
 祈りと感謝のうちに

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)

日本語サイト リンク 続編 2004.07.23 第237号





聖ピオ十世会について


 非常に重要なことなので、もう一度ここに確認したいと思います。

 まず第1に、私たちはローマ・カトリック信者であります。私たちはあくまでもローマ・カトリック信者としてとどまりたいと願い、望み、祈っています。

 では、どうすればローマ・カトリック信者であることが出来るのでしょうか?

それは、信仰です。

 私たちは、カトリック信者であるために、カトリック信仰を保たなければなりません。

たとえ、天からの天使であれ、枢機卿様であれ、司教様であれ、神父様であれ、カトリック信仰を攻撃するものがあれば、これに抵抗しなければなりません。

 カトリック信仰はまた「従順は信仰のためにあり、信仰が従順のためにあるのではない」と教えています。

 カトリック教会の中で最も大切な宝はカトリック信仰であるからです。私たちはカトリック信仰を保つために、カトリック信者であるために、第2バチカン公会議後の例えば新しいエキュメニズムの方針などを飲み込むことが出来ないのです。

 第2バチカン公会議について言えば、

 第2バチカン公会議を開催した教皇様たちは、ご自分らの意向によって、第2バチカン公会議が不可謬の公会議ではなく新しい教義決定をしなかったと教えています。ですから、第2バチカン公会議の新しい内容に関して議論をすることが許されています。

 ルフェーブル大司教は、一度も分派をしようと思ったことはありませんでした。ルフェーブル大司教は、常に教皇様の首位権を認めてきました。そのために司教聖別の前にローマと交渉し、1名の司教様を聖別する許可さえ取りました。ルフェーブル大司教は、カトリック信仰とカトリック教会の聖伝の秘蹟を保つために、カトリック司教として、カトリック司教の後継者を残したいと思った、それだけです。

 第2バチカン公会議後に、秘蹟や公教要理、聖書や教会法など、全てが変わってしまいました。「第2バチカン公会議のおかげでようやく、平信徒でも聖人になれるようになった」という誤りを教えている人々もいます。たまたま、聖ピオ十世会だけがカトリック教会の最高最大の宝の一つである、聖伝のミサとカトリック司祭職の秘蹟をそのまま保っているようになってしまいました。カトリックの公教要理や秘蹟に与りたくても、聖ピオ十世会以外では与ることが非常に難しくなってしまいました。

 聖伝のミサは聖ピオ十世会のものではなく、カトリック教会のものです。

 たまたま、現状が、聖ピオ十世会は非常に高価な宝物を与っている人に似ています。この人は、その持ち主が取りに戻ってくるまでそれを大切に保存しておこうとしているのです。

 この人は、その大切な宝を歪めたり勝手に処分したりすることが出来ません。

 現状では、聖ピオ十世会は、カトリック教会の隅に追いやられてしまったものであるような感じがしますが、それでもカトリックであることを望んだが故に、そのような立場を甘んじ受けなければならなくなってしまっているのです。実際ローマは、一度も聖ピオ十世会がカトリック教会の外にあると入ったことがありません。確かにローマとの間に「問題」があることは確かです。それは、カトリック信仰の「問題」です。今、ローマはその「問題」を避けて通ろうとしているようです。
 そのためにこそ、ローマの指導により、一般の「カトリック」の教会では、カトリックでなくなってしまったようなミサがあり、「破門されていない教会」では、プロテスタントの牧師が招待されてサービスやお説教をしていると言う現実があります。

 また、聖ピオ十世会は、そんな信者さんたちからSOSを受けて、ローマ・カトリック信仰を守りたいという方々のために愛徳のため聖伝のミサを捧げ、カトリック信仰を守ろう、ローマ・カトリック教会を愛し、教皇様のために祈ろう、ローマ・カトリックとしてとどまろう、と励ましているのです。そう言うことをしていると「破門だ!異端だ!」と言われているのです。

 更に「バチカンとの対話が決裂したのも、教皇様があれだけ良い条件をしめしたのに、10世会側が、かたくなな態度をとり続けたからではありませんか。」と言うことも、この誤解を明らかにしておかなければなりません。

 ローマは過去何度もルフェーブル大司教や聖ピオ十世会を騙してきました。いつも見せかけはカトリックの聖伝を一緒に守ろう、という態度を取るのですが、その裏ではカトリックの聖伝をつぶしてしまおうという意向がありました。

 それは、例えばエクレジア・デイ委員会の下に入った聖ペトロ会とかウナ・ヴォチェをみると分かります。そこで、ネゴシエーションの前に、ローマが本当に聖伝を信じ、これを求めている、と言う証拠がほしかったのです。

 ですから、話し合いの前提条件として、聖ピオ十世会は2つの基本的なことを条件にローマに要求しました。

(1) 聖ピオ5世教皇様の勅令Quo Primumの通りに、どの司祭にも聖伝のミサを捧げる権利があることを再確認すること。

(2) 1988年6月30日になされた4名の司教聖別は非常事態のためであって、はじめから破門には値しなかったことを確認すること。

 ヨハネ・パウロ2世教皇様の回勅で「キリスト者の一致Ut Unum Sint」というものがありますが、その中でエキュメニズムを進めるために離教の正教会について「過去の破門を『忘却の中に投げ捨てて』――― 更に『記憶から、また教会からも取り去って』――― しまった」(17)とあります。

 そのようなローマの態度を見ていると、「聖ピオ十世会と対話をするために、何故「破門」などなかったと言うことをはっきりさせないのですか?」と言いたくなるではないでしょうか?
 また、聖伝のミサはカトリック教会のものです。聖ピオ十世会という一部の修道会のものではありません。聖伝のミサを全ての司祭に解放すべきです。

 しかし、ローマは、この2つの条件を満たそうとしませんでした。

 たしかに「良い条件」が示されました。フレー司教は次のようなたとえを使っています。

 道路管理公団のローマは、聖ピオ十世会にこう言っているようです。「うーん、君の車をちょっと見てご覧よ。険しい道を乗り継いできたんでしょう。タイヤがパンクしていますね。新しい車をあげましょう。今度はこれに乗って下さい。」そうして「使徒座管理区」という「車」を見せるのです。

 でも、聖ピオ十世会はローマにこう返事をしました。「ありがとうございます。これは大変よい車でご親切に感謝します。でも、この車を使う前に、道路から釘とかガラスの破片とかを取り除いて下さい。せっかくの新車も明日にはパンクしてしまいますから。」

 ローマは、聖ピオ十世会にまず「称号」を与えるとか、「地位」を与えるとか、(或いは「大司教に任命する」「枢機卿にする」とか?)パワーポリテックスの話をまずしますが、聖ピオ十世会はカトリック信仰の話をしたいのです。まずローマは、道路にガラスの破片と釘があると言うことを言わなければなりません。ローマこそが、信仰の擁護者であり、保護者であるはずだからです。

 2002年1月24日、アシジでは世界諸宗教祈祷集会の第2回目が開かれました。これは天主の十戒の第一戒に反する極めて重い罪でした。

 アシジでは、私たちの主イエズス・キリストは受け入れられませんでした。その日、聖フランシスコ修道院から十字架像が全て取り除かれたからです。取り除くことが出来なかった十字架像は、布が被されて隠されました。アシジで人々は、私たちの主イエズス・キリストに対して「ここから出て行って下さい!」と言っているのです。この種の集会を開くためにバチカンはキリストを取り除いたのです! 唯一の仲介者、真の天主、真の贖い主を取り除いたのです!

 ローマは、アシジでアニミストに鶏の頭を切りいけにえを捧げて、平和のために祈って下さいとお願いしたのです! これで本当に平和が来るのですか??

 信じられませんが、本当にあったことなのです。これが信仰の擁護者のすることでしょうか? お笑いぐさではすまない問題です。これは、本当に冒涜であり、汚聖です。

 アシジの諸宗教祈祷集会は、聖ピオ十世会の立場ではありません。聖ピオ十世会の立場は、カトリック教会が2000年間教え続けてきたことをそのまま信じることであり、つまり、唯一の真理が存在し、その真理は永遠であり、誤謬と共存することが出来ないこと、これです。私たちはカトリック教会こそが、真の天主である私たちの主イエズス・キリストの立てた唯一の真の天主の教会であること、ローマ・カトリックの宗教こそが真の宗教であってその他の全ての宗教は、邪教であることを信じています。

 正に、カトリック教会が信じてきたことを信じ、カトリック教会がしてきたことをしているがために、聖ピオ十世会は異端だとか離教だとか言われなければならないのでしょうか?

 アシジは、問題が聖ピオ十世会側にあると言うよりも、バチカンの方にあると、言っているのではないでしょうか?

 私たちは、カトリック信仰を保つために、こうせざるを得なかったということを、付け加えたいと思います。また、私は、カトリック教会にルフェーブル大司教を送って下さった天主に心から感謝し、カトリック信仰の恵みを感謝し、そのカトリック信仰を保つために聖ピオ十世会を知ることが出来たその摂理を感謝するばかりです。

そしてこの恵みを多くの兄弟の皆様に分かち合いたいと思います。

 天主様の祝福が豊かにありますように!
 祈りと感謝のうちに

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)