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第2号 2002/05/31   元后童貞聖マリアの祝日

聖母戴冠、ディエゴ・ベラスケス
聖母戴冠 (ディエゴ・ベラスケス作、1640年頃)

アヴェ・マリア!

 皆さんこんにちは! マニラの eそよ風 第2号です。

■ 6月はイエズスの聖心の聖なる月です (1)

 6月は私たちの主イエズス・キリストの聖心の聖月です。今年は6月の初金曜日、6月7日が私たちの主イエズス・キリストの聖心の大祝日です。

 昨日は、私たちの主イエズス・キリストの御聖体の祝日でした。この祝日聖務日課は聖トマス・アクイナスが作りました。聖トマスは、讃歌の中でこんな一節を作っています。

Se nascens dedit socium,
Convescens in edulium,
Se moriens in prelium,
Se regnans dat in praemium.

 日本語に訳すと、こんな感じになるかも知れません。ラテン語のように簡潔で圧縮された表現が出来ないのは、訳者の能力の不足によるもので、ご容赦下さい。

人として
生まれたるゆえ、
友として
人々のため
我が身を与え、

晩餐を
弟子らと食し、
糧として
人々のため
我が身を与え、

十字架の
死を受けたゆえ、
贖罪の
支払いとして
我が身を与え、

天国の
支配者として、
善人の
永久の報いと
我が身を与ゆ。


 私たちの主イエズス・キリストのことを知れば知るほど、私たちに対するその巨大な愛に打ち負かされたように感じない訳にはいきません。主こそ、我が誉れ、こよなき休らい、たぐいなき友、わが命、わが喜び、わが力、わが糧、わが贖いなのです。(カトリック聖歌集には、聖アウグスチヌスの言葉に基づく同じような美しい歌があります。)

 私たちの主イエズス・キリストこそ、私たちの愛の対象であり、愛の中心です。私たちの主イエズス・キリストをますます知るようにしましょう! 私たちの主イエズス・キリストのご生活とその玄義を愛し、研究しましょう! (兄弟の皆様は、もうご存じだと思いますが、私たちの主の玄義を深めるために聖トマス・アクイナス神学校のテープやビデオがあることを申しつけ加えます。詳しくは、

外国語サイト リンク http://www.aquinastapes.com
St. Thomas Aquinas Seminary Tapes,
P.O. Box 9265 Shawnee, Mission, KS 66201,
Phone (816) 531-2448 Fax: (816) 531-4320

 とくに、私たちの主イエズス・キリストへの愛をイエズスの聖心への信心によって表しましょう。6月は私たちの主の聖心の聖月です。聖ピオ十世会の習慣に従って日本でも6月の間はロザリオの祈りの時にイエズスの聖心の連祷を付け加えることにしましょう。

 ロザリオの祈りは私達の聖堂では次のように捧げることになります。


+聖父(ちち)と聖子(こ)と聖霊との聖名(みな)によって、アーメン
ロザリオの祈り
聖ミカエルに対する祈り
イエズスの聖心の連祷(6月の間に付け加える)
聖ヨゼフに向かう祈り
(呼祷)
主よ、我らに聖なる司祭を与え給え。 ▲主よ、我らに聖なる司祭を与え給え。
主よ、我らに多くの聖なる司祭を与え給え。 ▲主よ、我らに多くの聖なる司祭を与え給え。
主よ、我らに多くの聖なる司祭を与え給え。 ▲主よ、我らに多くの聖なる司祭を与え給え。
聖ピオ十世、 ▲我らのために祈り給え。
聖フランシスコ・ザベリオ ▲我らのために祈り給え。(アジア管区での射祷)
日本の尊き殉教者 ▲我らのために祈り給え。(日本での射祷)

 それでは、毎日の聖なるロザリオの祈りにおいて皆さんとお会い致しましょう。
 至聖なるイエズスの聖心よ、我らを憐れみ給え!


 お便りのコーナーです。

 上では、御聖体に対する聖トマスの詩をご紹介しましたが、もう一つ別の詩をご紹介します。今年の聖霊降臨の前日には、大阪天満橋の「聖マリアの汚れなき御心聖堂」で、3名の方が受洗されましたが、そのうちの一人の方が次のような詩を作って私に送って下さいました。お読み下さい。

野鳥
 かつてわたしは、土や草の中を歩いていました。
 人が来ていいました。
 ここは、美味しい物がたくさんあって天国よ。
 するとまた別の人が来ていいました。
 ここは、食べる物が何もなくて地獄よ。

 野鳥は考えました.
 歩いていても何も分からない。
 野鳥は空を飛ぼうと考えました。
 いつだったか野鳥は、
 広くて青く澄み切った空を
 とても嬉しそうに飛んでいました。


【感想】 人々はこの地上で幸せを探しています。しかし、多くの場合は肉の欲に従ったもの、この世の考えに従ったもの、あるいは悪魔からの誘いによるものではないでしょうか。「この世の知恵」は「富むものは幸い」「飽き足りるほど欲情を満たす人は幸い」「この世をエンジョイする人は幸い」「皆から褒めそやされる人は幸い」と教えています。でも、お金持を持ちあふれている方々が誰も信用することが出来なくて、寂しく死んでいったり、肉の欲を飽き足りる程まで楽しめば楽しむほど、その後にむなしさとはかなさと悲しみを覚えたり、この世をエンジョイして皆からちやほやされて羨まれていた人が、ある日突然絶望のあまり自殺をしたり、「この世の知恵」は、かえって皮肉な結果をもたらしています。

 私たちは、この方と共に、この地上に幸せを探して土や草の中を歩いていてはダメだ、空を飛ぼう、天主に心をあげなければ!と言うことにしましょう。天主の心を心とする時、自由に本当の幸せを得ることになります。「貧しいあなた達は幸せである。今飢えているあなた達は幸せである。今泣いているあなた達は幸せである。人々があなたたちを憎み、破門し、侮辱し、人の子のためにあなたたちの名を不敬なものとして排斥する時、あなたたちは幸せである。」(ルカ6:20-26参照)

 この野鳥さんは、今とっても嬉しそうで幸せそうではないですか!


 では、次号をお楽しみに!
 天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)