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第1号 2002/05/30

アヴェ・マリア!

 皆さんこんにちは! マニラの eそよ風 第1号が今日 私たちの主イエズス・キリストの御聖体の祝日に吹き始めます。不定期の発行になるとは思いますが、聖ピオ十世会のニュースなどを書いていきたいと思っています。グループに参加されたいとお思いの方は、どなたでもご自由にどうぞ!

 さて、今日は御聖体の大祝日です。ミサ聖祭に与ると言うことは、私たちの主イエズス・キリストのカルワリオのいけにえの再現に与ることです。御聖体を拝領すると言うことは、私たちの主イエズス・キリストのいけにえに参与し、私たちの主イエズス・キリストご自身を拝領することです。

 私たちカトリック信者は、何と恵まれた民でしょうか! 天地の創造主を拝領することが出来るとは! 私たちの主イエズス・キリストを心から礼拝し、賛美し、愛しましょう! そして、この深い信仰と愛と礼拝の心は、自ずから私たちの外部の態度にも表れて来るはずです。私たちの謙遜、慎み深さ、親切、柔和、微笑み、勇気、寛大さ、その他最も崇高な徳は、御聖体のうちにまことにましましたもう私たちの主イエズス・キリストへの信仰と愛と礼拝とから自然と湧きにじみ出るものです。

 ですから、私たちの主イエズス・キリストへの信仰と愛と礼拝の心を養うように心がけましょう。御聖体のうちにまします私たちの主イエズス・キリストを心から礼拝しましょう。そのためにこそ、ミサ聖祭の時、特に聖変化や御聖体拝領の時には跪いて下さい。

 私たちは、天使のような純粋な霊ではなく、肉体を持った人間です。唯一の絶対の真理である天主の御稜威の前で膝をかがめなければなりません!

 先日、ニューヨークにご在住の日本人の方からお手紙をいただきました。「・・・聖体の拝領についても考えを。聖体拝領を戴冠式に喩えて説明すれば、口で受ける方法がどうして正しいやり方かが、わかるのではないでしょうか。聖職者は君主に冠をその頭の上に載せます。彼は手で冠を受け取りません。何処かで読んだのですが、ナポレオンは皇帝の座に就いたとき教皇か大司教から冠を受け取り、自分で載せたそうです。つまり私のいいたい事は、手で受ける聖体拝領は聖職者の権威の否定につながるということです。」

 ナポレオンは傲慢心から教皇様から冠をかぶせられることを拒否し、自分で取り上げて自分の頭にかぶせました。天主は自ら高ぶるものを低め、自らへりくだるものを挙げられます。

 この絶対の天主の前にへりくだることを知らない人が、天主と等しくたろうとするものが、天主の権威と掟をそのまま受け入れようとしないものが、自分の知性と肉体を神のように崇めるのではないでしょうか?

 今日は御聖体の大祝日、私たちカトリック信者が、天地の創造主を拝領することを許されていることを黙想しましょう。私たちの主イエズス・キリストを心から礼拝し、賛美し、愛しましょう!私たちの主イエズス・キリストへの信仰と愛と礼拝の心を養うように心がけましょう。御聖体のうちにまします私たちの主イエズス・キリストを心から礼拝しましょう。そのためにこそ、ミサ聖祭の時、特に聖変化や御聖体拝領の時には跪いて下さい。

 善き御聖体の大祝日をお過ごし下さい。

■ 質問です

 聖母マリア様の聖務日祷の、晩課の讃歌のところで「めでたし、日時計、日のかげは十度にかえりて、み言葉は、人となり給う。」とありますが、「日のかげは十度にかえりて」が、どの様な事なのか分からないのですが、、、(匿名)


■ お答えします

 イザヤの予言(38章)の中に「アカツの日時計に太陽が既に下った影を10度退けよう」〔バルバロ訳〕というのがあります。この時の奇跡によって、王の死すべき命を延ばしました。

 ここをラテン語に従って "retrorsum decem lineis" 「10度に退けよう」と読むとすると、聖ボナベントゥーラは、次のように解釈しています。

 日時計には12の線が書いてあり、12度がありました。これは、天使の9階級と、目に見える生命の3階級を意味しています。3階級とは、理性的な人間、感覚を持つ動物、生きるだけの植物です。

 太陽の影は、既に降りた段階を戻って10度のところで止まったと言うことは、正義の太陽である私たちの主イエズス・キリストが、天の高みからへりくだり、10度の人間としてとどまった、と言うことであると。

 きっとそのことを暗示しているのではないでしょうか?

 またのご質問をお待ちしております。
 天主様の祝福が豊かにありますように!
 祈りと感謝のうちに


 ■ マニラのそよ風について

 「マニラのそよ風」は、聖ピオ十世会の神父であるトマス小野田神父がそよ風のようにマニラにおける聖ピオ十世会の活動などを時々、気まぐれに送っていた不定期なお便りのことです。

 列王の書上19・12によると、バアルの予言者を皆殺しにした後、エリアは神の山ホレブまで四十日四十夜、逃げて歩き続け、その洞穴で、天主様の声を聞きます。

 「山の上、神の前に立て」と。主は、山が揺れ石が割れるほどの強い激しい風の中にも、地震の中にも、火の中にも、天主様はおわさなかったのですが、そよ風の音の中に天主がおられたのです。

 そこでエリアはイスラエルを救うべく、新しい王を聖別することを、自分の後継者であるエリゼオを聖別することを命ぜられるのです。エリアはそこで、イスラエルの聖伝の宗教を守るのは実は自分一人でなく、天主が「七千人のイスラエル人を自分のためにとってお」かれたことを、「バアルの前にひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者たち」七千人を取っておかれたことを知るのです。

 「マニラのそよ風」は「ホレブのそよ風」にあやかるものでありたりたいとの願いが込められています。このそよ風の中に天主がましますように、との願いとともに、このそよ風を聞いて、世界中に「新いミサの前にひざをかがめず、新しいミサに口づけしないものが」天主様の御恵みでまだまだ取っておかれている事が知られますように、との願いが込められています。

 皆様の応援をお願いします。
 天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)