マニラのeそよ風

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第433号 2015/07/08 寡婦聖エリザベトの祝日

St. Elizabeth of Portugal


アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
 いかがお過ごしでいらっしゃいますか? 

 聖ピオ十世会では、今年の6月12日にアメリカで4名の司祭が叙階され、6月27日にはドイツで2名の新司祭が、6月29日にはスイスのエコンで7名の司祭が誕生しました。天主様に感謝します!

 聖ピオ十世会は、マニラでは、毎週主日に多くの新しい方々が聖伝のミサに来られ、2010年から比べると信徒の方々がほぼ倍増したような印象を受けます。全アジア管区長のクチュール神父様から、5年前の2010年8月15日付けで、私はマニラの修道院での修道院長を任されました。その時は、マニラの教会の主任司祭、教会付属学校の校長、マニラのもとにあるミッション各地の監督などの任務を引き受けることになりました(すごい人手不足だと言うことがバレてしまいますね)。しかし、有能な同僚司祭たちの熱心な助けを得て、多くの任務を助けられてきました。

 すでに付属学校の校長職はフォーティン神父様にお願いしてありましたが、今年6月から始まる新学年は、子供たちに教えていたラテン語の教授の仕事もサア神父様に任せ、7月1日付けで、マニラの教会の主任司祭の責務を同僚のサア神父様に委ねました。もちろん、学校の先生の仕事も、教会の主任司祭の仕事もやりがいがあり楽しいものですが、皆のための善(共通善)を考えると、委任するのが最善です。

 そこで、今では、マニラの修道院長の職務のうち、ミッションの視察監督に時間を取ることが出来るようになりました。たとえば、過去5年間、ミッションの場所であるバギオには一度も行くことが出来ませんでしたし、レイテ島にあるミッション(タクロバン、マアシン、バト、ソゴッド、オルモック、など)には過去5年間で2回しか行っていませんでしたし、香港にも3回しか行けませんでした。そこでこれからは、マニラからのミッションを定期的に視察に行く仕事をすることが出来そうです。

 その他に修道院長としての仕事というのは、一緒に働いてくれている司祭(8月から私を含めて5名)・修道士(2名)・修道女(3名)のお世話だけではありません。フィリピンの聖ピオ十世会の法律的な法人格に関する仕事があります。聖ピオ十世会がフィリピン全土に所有する教会や土地などの登録や税金の支払い、土地の寄贈を受ける場合の委譲・購入の手続きなどです。また、聖ピオ十世会とは別にある学校法人の理事長の仕事もあります。

 もちろん、大切な日本や、韓国へのミッションがあります。本来なら、日本の仕事だけを見ても、一人の司祭でも足りない位なので、ミッションだけに力を注ぐことが出来ずに残念です。それでも、以前よりはもう少し時間が取れると期待し、喜んでいます。

 聖ピオ十世会は、天主の御助けによって、その道の正しさがますます多くの方々に認識されつつあるので嬉しく思います。フィリピンでは英語の情報が伝わるので、その実りが見えつつあります。

 現在、聖ピオ十世会が置かされている状況というのは、普通ではありません。何故なら、聖ピオ十世会のやっていることこそが、カトリック教会のやるべきことであり、聖ピオ十世会がカトリック教会の中心的存在であるべきだからです。ルフェーブル大司教のドキュメンタリ映画で、ルフェーブル大司教様がポロリとこぼしたように、今から55年前、第二バチカン公会議の直前であったなら、聖ピオ十世会がやっていることをやっていて当然、新しいミサのようなことをやっていたら異端の嫌疑が掛けられた、厳しい処罰を食らっていたはずだ、と。

 しかし、このような迫害される状況に置かされることになったというのは、聖ピオ十世会の過失ではありませんでした。

 単なる想像や誇張や「そうなるだろう」ではなく、教会に実際にある現実の危機の故に、ルフェーブル大司教様は非正常な状況に追いやられてしまったからです。

 たとえば、ルフェーブル大司教様は、合法的に聖ピオ十世会を運営していましたが、スイスの一司教であるマミー司教が教会法に反して、聖ピオ十世会を「廃止」してしまったからです。教会法によればローマ当局のみ修道会の廃止をすることが出来るにもかかわらず!

 この非合法な「廃止」について、ルフェーブル大司教様は、すぐにローマに裁判を求めました。しかし、2回の訴えは、返事さえもうけることが出来ませんでした。しかし、教会法によればこの「廃止」は係争中となります。マミー司教による修道会「廃止」は、判決が出るまで停止され、聖ピオ十世会は合法的に存在し続けることになります。たとえ見かけ上は、噂は、そうではないように思われたとしても、聖ピオ十世会はカトリック教会の合法的な一修道会です。

 1986年10月にアシジの集会を見たルフェーブル大司教は、ローマとの話し合いの後、一名の聖伝の司教を聖別することを許され、1988年6月30日に司教聖別を行います。しかし、この司教聖別は、見かけ上破門であるかのように見えていました。これについて、事情をよく知っていたベネディクト十六世が、2009年に破門の撤回を発表しました。

 ベネディクト十六世は、すでに2007年7月7日に、今まで、禁止されていたと誤解されていた聖伝のミサ(トリエント・ミサ)が、決して廃止されたり禁止されたりしていないものであることを宣言しています。

 カトリック教会においての「見かけ上の非合法」は、訂正されなければなりません。私たち聖ピオ十世会は、カトリック教会がキリストの花嫁であると信じています。聖ピオ十世会は、ローマ聖座を使徒聖ペトロの後継者であり、キリストの代理者であると信じています。だから、聖ピオ十世会は聖ペトロの後継者として教皇様を教皇様として常にローマと接触を保っています。カトリックの教えを犠牲にすることなく、聖ピオ十世会が本来もっているべき教会法上の地位を公式に持つことは良いことだからです。

 カトリック教会を改革してしまおうと思う近代主義者たちは、聖ピオ十世会が公式の地位を持つことに猛反対しています。何故なら、聖ピオ十世会の正常化は、聖伝の正常化であり、カトリック教会は自分の過去と和解したことになるからです。改革者たちは、カトリック教会を過去と断絶させてしまうことを企んでいるからです。聖伝を「非合法」であり続けさせようとしているからです。

 リベラル派は、口先では、聖伝のことを、教会の過去を、大切だと言うかもしれません。聖伝を認めているというかもしれません。しかし、実際はそうではありません。リベラル派は、口先だけでは、聖伝の権威を、権威そのものを認めているかもしれません。しかし、実際は拒否しています。

 ルフェーブル大司教がやり続けてきたように、フェレー司教様はローマ当局と接触を取り続けてきました。ルフェーブル大司教が望んだように、聖ピオ十世会はローマが聖伝を大切にすることを望んでいるからです。

 ですから、私たちはいわゆる「レジスタンス」と自称している人々とには同意しません。自称「レジスタンス」は、間違った原理の上に成り立っているからです。それは、元聖ピオ十世会会員であったウィリアムソン司教が2012年に発表した原理で、「眼に見える教会の、この一部分だけが、聖なる、一なる、カトリックの、使徒継承の教会です。残りは腐敗している種々のその他いろいろである」(That part alone of the visible Church is Catholic which is one, holy, universal and apostolic. The rest is various sorts of rot.)という原理です。カトリック教会の、高位聖職者の全てが全て、皆、現在腐っているので、いかなる司教といえども、いかなる枢機卿といえども、彼らはカトリックではない、彼らと接触してはならないという間違った考えです。つまり、口先だけでは教皇様を教皇様と認めているとは言うものの、実際は断絶していなければならないという考えです。

【この原理が間違っていることについては、レネー神父様が幾つか記事を書いて下さっていますので、それらをご覧下さい。たとえば、


日本語のページへ CREDIDIMUS CARITATI > 「いろいろな「教会」?」フランソワ・レネー神父 Various Churches? by Fr Laisney

日本語のページへ CREDIDIMUS CARITATI > 偽りの反リベラル主義者の錯覚 The pseudo-anti-liberal illusion

日本語のページへ CREDIDIMUS CARITATI > ルフェーブル大司教と、ウィリアムソン司教との間の、驚くほどの違い、著しい対照

などがあります。】


 前置きが長くなりすぎてしまいました。今回は、アジア管区長のシュテーリン神父様からのニュースレター「無原罪の聖母の騎士への手紙第7号(アジア)」をご紹介いたします。

 2年後に控えたファチマ100周年、2017年をよりよく準備して迎えることが出来るように、お読み下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)





無原罪の聖母の騎士への手紙 第7号(アジア)


親愛なる無原罪の聖母の騎士の皆さん、

皆さんが無原罪の聖母の騎士として誓約したことに関する古典的問題について皆さんにお示しすることをお許しください。

皆さんは、無原罪の聖母の小さな軍隊に所属するというこの特権に、どのようにして到達したのかを考えてください。皆さんが長い間にわたって聖母を愛してきたのは確かであり、聖母の信じられない御力を信じていました。多分、皆さんは黙想会への参加や静修をしたり、書物や文章を読んだりしたのでしょう。特別な恩寵が皆さんの心に触れ、炎となり、火となり、大きな望みとなったのでしょう。「天の御母、私はあなたのためにもっと(なすべきことを)行うべきです」。

皆さんがファチマでの聖母の汚れなき御心のメッセージを知ったのなら、またそれと共にレジオマリエや無原罪の聖母の騎士のことを知ったのなら、これを私たちの天の御母が皆さん一人一人のためにくださる大きな愛の、まことに特別な恩寵でありかつしるしであるとみなしてください。皆さんは深い感謝をもって思い出すでしょう、皆さんが聖母への美しい奉献によって入会した日のことを。聖母を知らなかったり、御子から離れてしまったりして、罪の中に生き、永遠の地獄への道にある多くの子どもたちを聖母が救うのを助けるために、聖母の汚れなき御手の道具となる約束をしたその日のことを。

しかし、熱心だった最初の数週間のあと、私たちはしばしば、あの誓約を忘れたり脇に置いていたりします。日々の必要とするものや試練のため、光はさえぎられ、炎は小さくなってしまいます。一度、少しの間、司祭のニュースレターや説教を読めば、少しの間はあの望みが目覚めますが、一般的には長くは続きません。

私たちのうちに炎を燃えさせ続け、あの誓約を継続させるには、私たちは何をすべきなのでしょうか。私たちが受けたものを保存するだけでなく、成長し、聖母にもっと近づき、聖母によって導かれ、聖母のあふれる愛によってもっともっと魅了されるために。

第一に、私たちが理解しなければならないのは、この最も高い価値について「忘れる」というこのこと、少しの間の熱心さのあとで怠けるというこのこと、最も偉大な愛に対する無関心というこのこと、これらは、原罪の傷によって起こされた私たちの堕落した本性に受け継がれているということです。この事実に驚いてはいけません。あたかも最悪の罪を犯したかのように、失望に陥ってはいけません。まったく正常なものだからです。私たちは堕落してしまった取るに足りないものですから、私たち自身の力によって、私たちの弱い手や心で天の宝を維持することはできないのです。

第二に、理解しなければならないのは、霊的生活を保ち、私たちのマリア様に対する愛や、誓約への忠実を保つことができるのは、天主の恩寵だということです。しかし、聖性において成長し、天主の栄光への熱意、救霊についての熱意が成長するには、天主の十倍の恩寵が必要です。主がマリア様を通してこれらの恩寵を私たちに与えたがっておられますが、すべての恩寵を得るためには、私たちがそれらを求めなければならないと確信しなければなりません。私たちが主の扉をたたくだけで、主は私たちのために扉を大きく開けてくださり、主のすべての宝で私たちをいっぱいにしてくださるでしょう。ですから、朝夕の祈りは重要なのです。朝はより大きな熱意を請い求め、一日の間忘れないようにと願うのです。「御母マリア様、私はあなたの子です。あなたの奴隷です。あなたの騎士です」。また夕には赦しを願います。私はたびたび忘れ、無視しました。強い決意をもって、次の日はもっとよくなるようまた頑張ります。皆さんの無原罪の聖母の騎士会への入会証明とともに行った奉献の祈りを時々更新することもまた、大変助けになります。

第三に、私たちの約束と誓約を守る最も重要な手段は、それらを心に留め、内省し、考え、黙想することです。これは私たちの知性が行うことであって、私たちは天主の光でそれを育てていかなければなりません。私たちが時々「聖母マリアの栄光」について読んだり、考えたり、黙想したりするだけで、私たちの精神は照らされるでしょうし、その結果として心に炎が燃え上がるでしょう。ですから、聖マキシミリアノ・コルベは月刊誌「無原罪の聖母の騎士」や他の本を出版すると大変強く主張したのです。ですから、聖コルベは最も現代的な伝達手段を使いたがったのです。そうすれば、聖母の御心に基づく信じられないほど多くの何百万もの事実、出来事、奇蹟、御出現、回心の恩寵、成聖の恩寵(の話)で(多くの)精神を養うことができるでしょう。人々はこれらのニュースを読むことによって、熱意が高まって、時には英雄的行為にまで至ったのです。

ですから、皆さんはこのニュースレターに感謝し、そして皆さんのために私たちがすでに発行し、また発行を計画中の小冊子やカテキズム、書物にも感謝すべきです。将来には、皆さんのための特別な書店、非常識な(ほど安い)価格でそれらの書物を注文できる書店を持ちたいと思います。そのために私たちは、無原罪の聖母の騎士のウェブサイトも準備しています。以下のリンク先は補足的情報を皆さんに提供します。皆さんが関心を持ってくださればと思います。

日本語以外のページへ MILITIA IMMACULATE > Home page

日本語以外のページへ Knights of Immaculata > The content of the Militia Immaculatae diploma

日本語以外のページへ Rycerstwo Niepokalanej Tradycyjnej Obserwancji > Monthly letters

日本語以外のページへ Rycerstwo Niepokalanej Tradycyjnej Obserwancji > Lectures

日本語以外のページへ Rycerstwo Niepokalanej Tradycyjnej Obserwancji > SERMONS — VIDEO

日本語以外のページへ MILITIA IMMACULATE


これらのサイトを毎日十分間読んでくださるなら、皆さんは聖母について決して忘れないと確信することができるでしょう。

第四に、知性を養うだけでは十分ではなく、自分の意志によって実行もしなければなりません。これが意味するのは、黙想したことを少なくとも一日に一度、行ってみなければならないということです。たった一つの小さな犠牲によって、どれほどのものを得るのか、皆さんは想像もできないことでしょう。例えば、皆さんが誰かについて怒りたいならば、皆さんは「自分の怒りを殺す」という犠牲を捧げてください。誰かについて悪く思ったり話したりする代わりに、その人のために回心の恩寵と成聖の恩寵を願う小さな祈りをしてください。そうすれば皆さんは、天主に栄光を捧げ、自分を聖化し、効果的に隣人を助けたことになるのです。

他の良い行いとは、誰かに贈り物として良い本(小冊子、カテキズム、御絵、ロザリオ、メダイなど)をあげること、不必要なものを買うのをやめて本当に必要としている人(黙想会に参加する支払いのためなど)にお金をあげること、自分の義務を特別な愛と熱意とほほ笑みをもって果たすことです。

これらはまったく簡単な「思い出させてくれるもの」ですが、これらを通して皆さんは聖母を大変お慰めし、聖母が霊魂を救うのを助けるのです。試してみてください。



アジアの無原罪の聖母の騎士会に関するニュース

ご存じのように、私たちは、2017年のファチマのご出現の記念日に向けて、聖母の旗のもとに十万人の騎士を集めるために無原罪の聖母に助けをお願いしています。聖母の汚れなき御手に十万の道具を集めて、悪魔の頭を砕き、非常に多くの生ぬるい霊魂を救うためです。彼らは、天主の恩寵から離れてしまったか、天にあわれみ深い御父と素晴らしい御母がいることを全く知ることがなかった人々です。

ですから、私たちは無原罪の聖母の騎士会がほとんど毎週発展するのを見て大変感謝しています。しかし、忘れてならないのは、最も重要なのは騎士の数ではなく、その質なのです。無原罪の聖母の騎士の中に、熱心で従順で忠実な騎士が一人いれば、あまり熱心でなかったり無関心だったりする騎士たち千人にまさる勝利を獲得するのです。

この日(2015年6月30日)、私たちはアジアで1918人の騎士を数えるのなら、こんな美しい「成績」が得られたことを聖母に必ず感謝すべきです。前回のニュースレター以来、騎士の数がほとんど倍になったことになります。私は特にティム・ファイファー神父様に感謝します。フィリピンの無原罪の聖母の騎士会のモデレーターとして、私たちの聖母の軍隊に入会するよう、ミンダナオの多くの信者に準備してもらっていたのです。また、アジアのほかの二つの国、中国とインドネシアの信者も、この数週間で無原罪の聖母の騎士会に加わりました。

私はこれらの騎士たちから手紙を受け取りました。彼らは孤立したところに、カトリックの信仰、特に聖伝のカトリックに敵対的な人々の中に住んでいます。彼らは自分たちが聖母のこの小さな軍隊に今属していることに大変感謝していますし、もう自分たちだけ孤立しているとは感じていません。彼らは、他の多くの人々が同じように孤立していて、聖母のために霊魂たちを勝ち取る同じ闘いに霊的に加わっているということを知っています。そして、このことは彼らを信仰においてより強くするのです。これが、忠実な騎士たちに対する聖母の愛の美しいしるしではないでしょうか。

将来、2―3カ月以内に、私たちのアジアのチャペルすべてで入会式が行われ、騎士の数は増え続けることを期待しています。テラジアン神父様はもうすぐ、南インド(ナーガルコーイル、クリスティラヤプラム、シンガンパライ、クーノア、トリチ=ティルチラッパリ=)の私たちのチャペルで新たな騎士を受け入れるでしょうし、私自身は9月にもう一度フィリピンを訪問して、イロイロ、バコロド、セブでの誓約の儀式に参加します。フォルティン神父様はタナイ、バギオ、アグーで入会式を行ないます。

そのあと、今度は皆さんの番です。私たちには皆さんの努力が必要です。皆さん一人一人が最初に、無原罪の聖母の騎士会へ入会する少なくとも2人の人を見つけてください。今からこのことについて考慮してください。聖母の道具として皆さんが行動するための小冊子や他の書物を求めてください。


ファチマ2017に向けて

ファチマの重要性を理解するために、1917年の出来事に直接関係したシスター・ルチアへの聖母の最後のご出現から始めることができるでしょう。1917年7月13日、天主の御母は、ファチマで「私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、月の第一土曜日の償いの聖体拝領を求めるため」もう一度やって来ることをお告げになりました。事実、天主の御母は、幼子イエズスと共に1925年12月、ポンテヴェドラの修道女志願者だったシスター・ルチアにご出現になり、聖母の汚れなき御心への奉献の本質を説明されました。1929年6月13日の夜の11時から12時の間には、トゥイでご出現があり、その中でマリア様は聖母の汚れなき御心へのロシアの奉献をお求めになりました。シスター・ルチアはこの幻視を次のように説明しています。「突然、チャペル全体が超自然の光で明るくなり、祭壇の上に天井まで伸びた光り輝く十字架が現れました。さらに明るい光の中で、十字架の上方に男性の顔が現れ、その体は腰まで見えました。その胸の前には全体が光の鳩がいて、 また、十字架に釘づけられたもう一人の男性がいました。その臀部の少し下には空中に浮いているカリスと大きなホスチアがあり、その上に十字架のつけられた男性の顔と傷ついた脇から血のしずくが流れ落ちていました。血のしずくはホスチアの上に流れ、そこからカリスの中へ落ちていました」。

「十字架の下の右側には、ご自分の汚れなき御心を手にもった聖母がいらっしゃいました。(それはご自分の汚れなき御心を左手にもち、剣や薔薇ではなく茨の冠に囲まれ、火のついた、ファチマの聖母でした。)」

「十字架の下の左側には、透明な水で書かれたような大きな文字があり、十字架に付けられた人の手から祭壇の上に流れていて、『恩寵と御慈悲』という言葉を示していました。」

「至聖なる三位一体の神秘が私に示されていることがわかりました。そして私はこの神秘について、私が明らかにすることを許されていない直観を受けました。」

この後シスター・ルチアは天主の御母がこの幻視の際におっしゃった言葉を書き記しています。それは、教皇が世界の全ての司教達と共に、ロシアを汚れなき御心に奉献することを求められたことと、それによってロシアが救われる、ということです。

この御出現の第一の目的は確かにロシアの奉献であって、ファチマにおける聖母マリアを通した天主の偉大なる御約束の履行でした。しかし、なぜ聖母マリアはこのメッセージと、至聖なる聖三位一体の幻視を結びつけようとされたのでしょうか?それはもちろん、聖母の御出現の究極の目的、最も深遠な意義はこの神秘に基づいているからです。言い換えれば、聖母がファチマ(や他の御出現)を通して世界に与えようとされる個々の聖寵は全て、大変深遠な現実つまり天主の神秘と贖いにおける無原罪の聖母の真の意義に人々の心を向けさせるためのものです。

全てのものは、御子を世に送られ、御子と共に聖霊を息吹かれる御父である天主から来ています。御父こそが、全ての存在するもの、全ての生けるもの、全ての愛の起源です。御父の聖心から御子が生まれ、聖霊が息吹かれるのです。

御子の使命は十字架の上で世を贖うことです。トゥイにおける幻視では、十字架が祭壇から天井に至る部屋全体を占めていました。十字架は天主の愛全体を表しています。十字架に付けられた御子を通じて、全ての『恩寵と御慈悲』が私たちに与えられます。贖い主の傷から流れ出る血はホスチアとカリスの神秘に集められます。つまり、キリストの贖いの業全ては至聖なる御聖体の内に現存し、これによってカルワリオでの犠牲が再現され更新されるのです。

聖霊の使命は、贖いの業全てを『照らす』こと、つまり天主の愛全てを光、恩寵、力として光り輝かせ、天主の御業を完成に至らしめることです。この聖霊の業、天主の自己犠牲、私たちと私たちの救霊のための天主のこの世への御降臨は全て、無原罪の聖母の御心に集められます。無原罪の聖母の御心は全て聖霊の光からの光であって、天主の愛全てを受けいれます。聖母の御心は、聖霊に満たされた聖母の霊魂、底知れない叡智に満たされた聖母の知性、献身と愛に満たされた聖母の意志とから成る聖母の深奥の目に見える現れです。聖母は、キリストと共に人類を贖うため、新しいアダムの側の新しいエバとして、お一人で十字架の下に立っておられます。聖母がそこに立っておられるのは、贖いの犠牲の初穂としてです。聖母の無原罪の御宿りの奇蹟はこの犠牲によってなされたのです。聖母の御心がキリストの茨の冠で刺された形で現れるのは、聖母が全ての被造物の中で最もキリストのお苦しみを共にされた共贖者であることを示しています。聖母はこの御心を手に、その御心を私たちに差し出し、私たちにくださいます。聖母が私たちの御母であるからです。愛の霊に強められ、聖母の御心は子どもたちのために燃えます。聖母はカルワリオの山で子どもたちのために幾多の痛みを忍ばれ、今、子どもたちをなんとか永遠の破壊から救い出そうという望みをいだいておられます。

無原罪の聖母は輝く御心を通して私たちの世界に触れられます。三位一体からの溢れる愛が聖母から霊魂に流れ込みます。これこそが天主の無限の愛の第一の動き、すなわち教会博士たちが『exitus(天主から出る)』と呼んだ、十字架につけられた主の傷から『恩寵と御慈悲』としてこの世に流れ出る、生ける水に例えられるものです。

私たちは、無原罪の聖母を通した天主からのこの『恩寵と御慈悲』の呼びかけに答えなくてはなりません。天主が御光臨されたのは、まさに私たちが天主に帰るためです。これは教会博士たちが『reflexus(天主に帰る)』と呼んだ、被造物が天主に帰ることです。天主が御光臨になったのと同じ道を通じて、私たちは天主に帰るのです。「私の汚れなき御心はあなたたちの避難所であり、天主に繋がる道です!」この御出現の際の聖母のメッセージは、ファチマの主要なテーマである三つの言葉にまとめることができます。それは、consecratio(奉献)、reparatio(償い)とconversio(回心)です。聖母マリアはキリスト世界が困難の内にある時に助けに来られ、人々を聖母の汚れなき御心に呼ばれ(奉献)、天主の下に導き(回心)、キリストの王としての統治の確立に参加するよう呼ばれます(償い)。

「ときがやってきました…」と言って、聖母マリアはトゥイでのメッセージを始められました。今、終わりのとき、被造物が天主に帰る始まりとして、聖母マリアが全ての恩寵の仲介者として世界に知られるよう、天主がお望みになることがファチマにおいて全世界に対して明らかにされました。聖母マリアの御心は天主の子どもたちを集め、暗い世界のただ中で恩寵の光を保つようにされます。私たちは聖母の御心において、最後までキリストの十字架の下で耐え忍ぶことができるのです。このようにして、私たちはマリアを通してキリストへ、聖霊において父なる天主へと帰ることになるのです。

2017年に向けての準備をするため、皆さんの心の中で聖母の言葉を繰り返してください。「ときがやってきました!」「親愛なる騎士のみなさん、みなさんが私を世界に知らせ、限りなく私に信頼し、数多くの霊魂を救うための私の汚れなき手の温和な道具となるときがやってきました。」






Sisters in OLVC 2015
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Marbel 2015 Jul
Marbel 2015 Jul

Marbel 2015 Jul
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Marbel 2015 Jul
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Marbel 2015 Jul
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Marbel 2015 Jul
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Palawan mission (Fr Onoda)
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