マニラのeそよ風

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第423号 2012/07/21 ブルンドゥジオの聖ラウレンチオの祝日



アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 たびたび失礼します。 7月9日から14日までの聖ピオ十世会の総会のためのお祈りを、改めて感謝します。

 聖ピオ十世会の総会が終わり、もう一度ルフェーブル大司教様の考えを確認することが良いと思いますので、1989年7-8月号のフィデリテール誌に掲載された、ルフェーブル大司教様とのインタビューをお読みになることを提案します。



ルフェーブル大司教様とのインタビュー

(フィデリテール誌1989年7-8月号に掲載されたもの)

Archbishop Marcel Lefebvre


1:何故司教聖別を?

質問:おそらく、司教たちの聖別をしようという重大な決断を貴方が下された理由と目的を思い出す事は適切だと思います。ちょうどあの時、貴方はこの聖別がローマ側に猛反発を引き起こすだろうと自覚されましたね。貴方は司祭職と秘蹟の継承が継続する事を御望みになったからこそ、「破門され、離教者としてさっさと片付けられる」という危険を冒す事を引き受けたのです。

ルフェーブル大司教様:ええ、確かに、それは用意されるべき決断でした。この決断はある日突然下されたわけではないのです。既に数年に亘り、歳もとっている事から、私は自分の後継者を確保する必要がある事をローマに理解してもらおうと努力していました。何時かは誰かが私を引き継いでくれると保証する必要が私にはあったのです。司教なくして、誰も神学校や神学生たちを持つ事など出来ませんから。人々もまた、信仰と秘蹟、それも特に堅振の秘蹟を伝承してくれる司教を必要としているのです。ローマの当局者たちはこの現実を非常に良く分かっています。私は数回、司教聖別を仄めかしてから、最終的に私は、それを公然と行いました。ローマでは、誰一人として私が彼らの不意をついた--つまり彼らは不意に嵌められたとか、あるいは私が隠れて行動したなどと言う事は出来ません。彼らは数年前から何通もの手紙や、手元に彼らが持っている私の説教の録音、それからデ・カストロ・マイヤー司教様と私自身が教皇聖下に宛てた手紙を通じてはっきり警告されたのですから。

 この警告は、私たちに対する彼らの態度にある種の変化をもたらしたと私は思います。彼らは司教聖別を恐れてはいたのですが、私が実際それを行うとは信じていなかったのです。それから1987年6月29日に、私が司教聖別候補者たちについて公にお話した時でさえ、ラッツィンガー枢機卿は少し狼狽しただけでした。ローマでは、私が司教聖別に取り掛かりはしないか当局者たちは恐れていましたので、彼らは私たちが常に要求してきた事--つまり御ミサ、秘蹟、そしてヨハネ二十三世の1962年版典礼様式に則った司教儀式--に対して、少しではありますがより寛大になろうという決定を下したのです。あの時、彼らには第二バチカン公会議に賛成するよう私たちに要求する気は一切なかったようです。彼らはそれについて何一つ触れませんでしたし、彼らは私たちが私の後継者となる司教一名を持つ可能性にそれとなく言及さえしたくらいです。

 ところで、それは確かに彼らが見せた幾分意味深く根本的な変化でした。だからこそ、私のやるべき事を知るという問題が生じたのです。総長様やその補佐たちと会って、貴方がたはどうお考えなのか?また差し伸べられている手を私たちは受け入れるべきか?それともそれを拒絶するか?と尋ねる為、私はリッケンバッハ(Rickenbach)まで行きました。

 私は言いました「私自身、個人的には、彼らを全く信用していません。何年も何年も私はこの種の人たちと付き合って来ましたし、数年間私は彼らの行動様式も見て来ました。私にはこれ以上彼らに対する信頼がありません。」それでも、司祭会と聖伝界内部の人々が、"貴方には関係修復を試みてみることが出来ましたね、討論と対話に入る事によって貴方は何一つ失わなかったじゃないですか" と後になって言い得る事を私は望みません。これは総長様とその補佐たちの意見でした。彼らは言いました「貴方は差し出されている提案を考慮すべきです。それを無視すべきではありません。彼らと話し合う事は依然として無駄ではないのですから。」

 そこで、私はラッツィンガー枢機卿と会う事に承諾し、ラッツィンガー枢機卿に、誰かが(こちらの方に)来て、司祭会を訪問すべきだと要求しました。この様な訪問は、聖伝の維持という利益に帰着するかも知れないと私は考えたのです。それと同時に聖伝の影響が認められることがはっきりと分かると思ったのです。それは、私たちの立場をローマにあって力づけてくれ、聖伝を守る事を旨とした数人の司教とローマ委員会<の設立>とを獲得する為に自分の行う依頼には、さらなる成功のチャンスがあるだろうと私は考えました。

 しかしながら、時を待つまでもなく私たちは正直でない方々と取引している事に気付いてしまったのです。この訪問の直後にガニョン(Gagnon)枢機卿とモンセニョール・ぺルル(Msgr. Perl)がローマに戻ると直ぐに、私たちは彼らの物笑いの種となってしまいました。ガニョン枢機卿は新聞紙面で信じられない発表をしてくれたのです。彼曰く、もし私が司教聖別の話しを進めるなら、私たちの内の80%は司祭会を去って行くだろうというものでした。私たちは認可を模索している最中だったのです。そしてローマは、私たちとの和解と、その為に私たちが自分たちの過ちを認める事を模索していました。司祭会の諸々の施設を訪問した方々は、結局自分たちは会の外見しか見なかったという事--つまり天主のみ人の心の内にあるものが見えるのであるから、この訪問は、単なる訪問であって、それ以上の価値がないという事を口にしました . . . 要するに、彼らはこの訪問それ自体の間に、自分たちが行い、口にした事とは全く異なる事を語っていたのです。それは想像を絶するように思えました。彼らはバチカンに戻り、ローマの有害な影響下に入っただけで、またローマのメンタリティーを取り入れ、再び私たちに食ってかかったり私たちを蔑んだりしたのです。

 それでも、私は会話をする為にローマへ行きはしましたが、会話の成功に対する自信など一切ありませんでした。私は1月の初めにオラニエ(Aulagnier)神父様に宛てて手紙を書きました。私は6月30日に司教たちを聖別しているだろうと確信しています。私には実際彼らに対する信頼が全くないので、それは司教聖別の年となるでしょうと。

 それでも、私たちがどんな良い意志を持っているかを証明する為に、出来るだけ耐えようと私は望みました。私たちが聞きたくもない公会議の問題を彼らが再び持ち出して来たのはその時なのです。合意の為の定式は、まさに私たちにとって承諾可能な限界のものが見つけられました。次に彼らは聖伝のミサと典礼書を与えてはくれたのですが、ローマ委員会と司教聖別に関しては私たちの要求を受け入れたくなかったのです。ローマ委員会に於いて私たちが獲得出来たのは、七名の構成メンバーのうちの二名--しかも議長席、副議長席はもらえません--だけで、私の要求していた司教三名については、たった一名しか獲得出来ませんでした。既にこれはほぼ容認出来ない事でした。また<議定書の>署名の前でさえ、私が何時この司教を頂けるのかと尋ねた時、それに対する答えは回避的か、意味を成さないものでした。彼らはいつかを言うことが出来なかったのです。11月は如何ですか?--彼らには言うことが出来ませんでした。それでは降誕祭は如何でしょう?--彼らは言うことが出来ませんでした。. . . ですから日付を聞き出す事は不可能でした。

 合意を容易にするあの<5月5日の>議定書に署名した後で、ようやく私は腰を据えて考えました。不信と沈黙の蓄積は、5月5日に私がローマへ預けてきた三人分の関係書類<司教聖別候補者三名分のプロフィール>の中から、6月30日に向けた司教一名の任命を求めるよう私を駆り立てたのです。つまり司教一名を任命してもらうか、私が自分の望むものを司教聖別するかの何れかでした。この様な選択の機会に直面して、ラッツィンガー枢機卿様は言われました「そういう事であれば議定書は終わりです。それは終わりとなって、これ以上議定書はありませんよ。貴方は関係を壊しているのですから。」そう言ったのは彼であって、この私ではありません。

 5月20日に、私は教皇様に手紙を書いて、自分は議定書に署名をしましたが、司教たちを頂きたい事、しかも6月30日に司教たちを是非頂きたいと彼に伝えました。

 しかし実際には、合意に至る道などありませんでした。私はラッツィンガー枢機卿様にあの選択肢を突きつけ、そして彼の方は8月15日に司教一名を私たちに与えるという趣旨の事を言っていた一方で、その彼はバチカン<教皇ヨハネ・パウロ二世>によって敷かれた要求を満たす司教一名を聖座が選ぶ為に、さらに多くの聖別候補者に関する書類を私に要求していたのです。ところで、それはいったい何処にわたしたちを導く事になっていたのでしょうか?

 相互理解に至る事は不可能だと理解しましたので、6月2日に再び私は教皇聖下に宛てて手紙を書きました。これらの会話と接触を継続するのは無益です。また私たちは同じ目的を持っていません。聖下は和解を利用して私たちを公会議に向けさせたいと思っておられますが、私たちが望むのは、ありのままの私たちが認められる事です。私たちは、聖伝を今行なっているようにこれからも継続する事を切望しますと。

 それ<和解交渉>は終わりました。隠れて行動したくなかった事で、私が6月15日に記者会見をすると決定した時、和解交渉は終わってしまいました。聖伝主義者の司教なくしては、永続性のある聖伝など決してあり得ないのです。それを頂く事は絶対に不可欠なのです。だからこそ、聖ペトロ会やル・バルー(Le Barroux)はお伽の国にあるのです。彼らが聖伝主義者の司教たちを持たないからです。


2:聖ペトロ会に与えられる司教?

質問:聖ペトロ会に司教一名が与えられるかも知れないという噂が徘徊しておりますが。

ルフェーブル大司教様:どの司教様でしょうか?--第二バチカンの要求を満たす司教様ですか?その場合、彼らは、ゆっくりゆっくりと、自分たちを公会議へと向けさせる司教様を持つ事になるでしょう--それは分かりきった事です。生粋の聖伝主義者であり、公会議の誤謬や公会議による刷新に反対する司教様を彼らが持つ事は決してありません。ですから、実際のところ、聖ペトロ会は私たちの署名したのと同じ議定書には署名しなかったのです。それは彼らが司教を持たないからなのです。私がラッツィンガー枢機卿様と署名した議定書は、私たちが司教を持つ事が出来ると規定しました。それにより、あるやり方で、ローマは司教一名の任命を承認してくれたのです。人々は、貴方は教皇聖下に背いていますよと私たちに言って来ます。部分的に背いているのですが、根本的にはそうではありません。ラッツィンガー枢機卿様は、司祭会のメンバー一名を司教として持つ事に対して書面による認可を私たちに与えてくれました。私が四司教を聖別したのは本当です。しかし一名又は二名の司教を持つという基本方針そのものは、教皇聖下から与えられました。その反対に、私たちと縁を切った人々<聖ペトロ会等>は、どんな司教も、あるいはローマ委員会に於けるどんな代表も獲得しなかったので、自分自身を引き渡し、身動きが取れなくなって進歩主義者の手中へと陥ったのです。この様な状況下に於いて、彼らには決して聖伝を維持する事が出来ないでしょう。欲しいものは何でも頂いていると彼らは言っているのですが、完全に思い違いをしているところなのです。

 これら聖伝主義者の<四>司教たちを持つ事は私の義務であるし、信徒や神学生たちにとっては必然だったと思っています。

 繰り返しますが、もしこの信仰と聖伝への忠誠がこれらの司教たちにないとしたら、共同体というものが信仰と聖伝に忠実に留まる事が出来るとは思いません。それは不可能です。貴方が何と言おうと、公教会は先ず最初に、そして真っ先に司教たちから成り立ちます。例え司祭たちが貴方の考え方を持っていたとしても、この司祭たちは司教方から影響を受けるのです。そうやって貴方がそれを眺めようと、司教方が司祭たちを作り上げるのであって、まただからこそ神学校に於いて、あるいは説教か、黙想会に於いて、でなければかなり多くの方法を使って司祭たちを指導するのです。進歩主義者の司教たちと一緒では聖伝を維持する事など出来ないのです。

 私たちが前進する上で他に方法はありませんから、カトリックの聖伝を守り、信仰を保つ司教たちを持つ事が私たちに今保証されているのをとても嬉しく思います。何故なら、危険に晒されているのは信仰だからです。それは小さな問題ではありません。少しの細事に関する問題ではないのです。


3:「ルフェーブルは教会内に留まるべきである。」

質問:ある人々は言います:「そうですね、ただルフェーブル大司教様はローマとの合意に受け入れるべきでしたね。というのも、いったん聖ピオ十世会が認められ、聖職停止が解除されるなら、彼は公教会の内側でもっと効果的に活動する事が出来たからです。しかし彼は今教会の外側にいます。」

ルフェーブル大司教様:こういう事は、言うのは簡単です。公教会の内側に留まる為、あるいは公教会の内側に身を置く為にそう言うのは簡単なのです--それはどういう意味でしょうか?第一に、どの教会について私たちは話しているのでしょうか?もし貴方が「公会議の教会」について話しているとすれば、二十年もの間カトリック教会を望むと言う理由から公会議と戦って来た私たちは、恐らく、この「公会議の教会」に、それをカトリックにする為に戻らなければならない事になります。それは全くの幻覚です。長上たちを作り上げるのは配下の者ではなく、長上たちが配下の者を作り上げるのですから。

 全ローマ聖省の間で、そして進歩主義者である全世界の司教方の間で、私は完全に圧倒されている事になるでしょう。何も出来ずにいるでしょう。私には信徒も神学生も守る事が出来なかったかも知れないのです。ローマは私にこう言ったでしょう「大丈夫、私たちは叙階式執行の為に、これこれの司教様を貴方に差し上げるつもりです。ただ貴方の神学生たちは、これこれ教区からやって来る教授たちを受け入れなければなりません。」考えられません。聖ペトロ会に於いて、彼らはアウスブルグ教区から来る教授たちを迎えています。これらの教授たちは誰なのでしょうか?彼らは何を教えるのでしょう?


4:離教の危険?

質問:最後になって、善き天主が貴方を御自分のもとにお呼びになる時、この分裂は徐々に広がって行き、一部の方々が“可視的教会<公会議型のカトリック教会>”と呼んでいるものと並ぶ並行教会<対立/離教教会>に直面するかも知れないという心配をお持ちにはなりませんか?

ルフェーブル大司教様: ドン・ジェラール(Dom Gerard)師<聖ベネディクト修道会に属する、ル・バルーの聖マリー・マドレーヌ大修道院長>やマディラン(Madiran)氏の主張する“可視的教会”についての話は馬鹿げています。

 私たちが代表し、継続しようと試みているカトリック教会と対立するものとしてこの「公会議の教会」を“可視的教会”として話しが出来るのには驚きです。私たちこそがカトリック教会だと私は言っているのではありません。私は決してそんな風には言いませんでした。これまで自分を教皇の上に置こうと望んだと私の事を非難する事は誰にも出来ません。しかし私たちは真にかつてのカトリック教会を代表しています。何故なら私たちは公教会が常に行なった事を継続しているからなのです。可視的教会の特徴、即ち、唯一、聖、公、そして使徒継承の特徴を持っているのは私たちです。この特徴は、可視的教会を特徴づけるものなのです。

マディラン氏は抗議しました:「ですが、公式な教会はさらに不可謬性も持っています。」しかしながら、不可謬性の問題については、デュラック(Dulac)神父様が教皇パウロ六世について、暗示的な一節において言ったように、私たちは言わなければなりません:「何年も前に、公教会に数人の教皇たちがいた頃、人々は彼らの内から誰か一人を選ぶ事が出来ました。しかし今や、私たちは一人の中に二人の教皇を持っています。」私たちには選択の余地がないのです。これら最近の教皇たちの各々が、まさに一人の中の二人の教皇なのです。彼らが聖伝--つまり<公会議前の>教皇たちの聖伝、そして不可謬な聖伝--を代表する限りに於いて、私たちはこの教皇に一致します。彼がペトロの後継者を継続している限りに於いて、また彼にされた<聖霊の守りによる>不可謬性の約束がゆえに、私たちは彼に結びついているからです。彼の不可謬性にしがみ付くのは私たちなのです。しかし、例え限定された事項<信仰と道徳>に関しては、彼が教皇であるという意味において、彼がこの不可謬性を持っているとしても、彼は自分の意向と考えによりそれ<不可謬性>に対立しています。それは、彼がもはや不可謬性により行動する事を望まないからそうなるのです。彼はそれを信じていないので、不可謬性のスタンプを押された行為をする事が一切なくなります。

そういう訳で、彼らは第二バチカンが教義的公会議ではなく、司牧的公会議である事を望んだのです。彼らは不可謬性を信じないからです。彼らは決定的な真理を望みません。<彼らにとって>真理は生きているべきであり、また進化すべきものなのです。ゆくゆく、それは時と共に、また歴史と共に、知識などと一緒に変わってしまうかも知れないのですが . . . . その一方で、不可謬性は<真理の>表現形式を一度で定める事から、それは不変の真理を作り上げる--つまり不変の真理にスタンプを押す--のです。この事を彼らは信じる事が出来ませんし、またそれだからこそ私たちは不可謬性の支持者となるし、公会議型の教会はそうならないのです。「公会議の教会」は不可謬性に反対しています--それは確実で間違いありません。

ラッツィンガー枢機卿は不可謬性に反対しています。教皇様は御自身が受けられた哲学的養成ゆえに不可謬性に反対しているのです。私の言う事を正確に理解して下さい! --私たちは教皇様が変わることのない使徒座、つまりペトロの座の全価値を代表する限りに於いては、彼に反対しません。が、教皇様が御自身の不可謬性を信じないで、エキュメニズムを実施する近代主義者である限りに於いて、私たちは彼に反対します。言うまでもなく、彼らが如何に否定しようと、潜在的に(virtually)離教的である「公会議の教会」に私たちは反対します。実際問題として、この教会はそれが近代主義であるという理由から、潜在的に(virtually)破門されている教会です。私たちはしばらくの間破門される者となりますが、何故ならカトリックのままでいたいと望むからです。カトリック教皇及びカトリック教会と共に留まりたいと思いうからです--そこが<ドン・ジェラール師とマディラン氏が指摘する事との>違いです。

それを別とすれば現状について正しい理解をお持ちのマディラン氏が、私たちは“可視的教会”ではないという事--つまり私たちは不可謬なる“可視的教会”から去っている--と言っている事についてですが、この発言の全ては、単に現実と合致しない言葉にしか過ぎません。


5:司教たちの必要性?

質問:大司教様、カトリック司祭職に向けて養成されている神学生たちには自分たちを叙階するカトリック司教たちが必要だ、という結論に至ることなく、司教聖別に賛成も反対もせず、またこの司教聖別に関して如何なる立場も取らず、さらに貴方がエコンを創立する際に模範を示して下さった様な司祭養成を奨励する事は可能でしょうか?

ルフェーブル大司教様:その様に考える人々は、ド・ミルヴィル(de Milleville)司教様に似た司教方を持つ事になるでしょう。彼らは叙階式を行う為に私服でフォンゴンボー(Fontgombault:ソレム系聖ベネディクト修道会支院)まで来ました。彼が説教をしたとしたら、私はただ彼がこれらの神学生たちに何と言ったか、そしてどんな模範を彼らに与えかを知りたいですね。それはもはやカトリック教会ではありません。それは不快な結果を全て備えた「公会議の教会」なのです。彼らは公教会の破壊に貢献しているのです。デュラック神父様が言われた様に、一人に於いて二人の教皇であり始めたのはヨハネ二十三世でした。彼こそがこの世に対して公教会の開放を始めた方です。その瞬間から、私たちは曖昧さと二面性という、自由主義者固有の行動様式に立ち入ってしまいました。

 ですから、私たちはこれらの司教聖別について、少しも躊躇したり、あるいは疑念を抱いたりすべきではないと思います。私たちは離教徒でも破門されたものでもなく、教皇様に反対しているのではありません。私たちはカトリック教会に反対などしていません。また私たちは並行教会を作っているのでもありません。これらの指摘はどれも馬鹿げています。私たちは常にそうであったように--つまりカトリック教徒(Catholics carrying on)であり続けているのです。それだけです。余計な複雑化を探す必要性はありません。私たちは、ポペール氏(Paupert)がその著書 Torn-Away Christians<引き裂かれたキリスト教徒たち>で書いた様な、“小さな教会”を作っているのではありません。この本の終わりに彼が書いている事は貴方を身震いさせます。「もう自分が誰なのか私には分からない!」と。

ポペール氏は神学生--恐らくは司祭--でした。しかし彼は信仰を失ってしまい、その後それを多少取り戻して、聖伝主義者の思考に心が傾いているのですが、公会議の教会を去る事を怖がっています。そういう理由から、彼は自分がカトリック教徒なのかそうでないのか、また自分は信仰を実践しているのかいないのか分からなくなっているのです。「近頃教会にいても、私は自宅にいない様な気がする。だから私は聖体拝領に行かないのだ。」

彼は知的な方ですが、自分が出口のない袋小路にいる事に気がついています。それはぎょっとさせます。またこれは、聖伝への一歩を断固拒絶するカトリック教徒の全てが抱えている問題です。彼らは司教座を占拠している人々、即ち司教たちと一緒に留まりたいと考えるのですが、自分たちが若かった頃に実践したカトリック信仰と、これ以上一切の関係を持ちたくないのです。そしてこれを再び身に付けようという意志を持っていないのです。無数のカトリック教徒たちがこの状況に置かれていると考える時、それは実に恐れおののくべき事です。ですから、彼らの多くはもはや日曜日に教会へ行かない傍らで、他の人々はセクトに入会するか、全く何も実践しないので、信仰を失っている最中です。


6:大司教様は来た道を引き返せないのか?

 質問:最近出版されたEcone, How To Resolve The Tragedy <エコン、この悲劇をどう解決するのか>という本の中で、ド・マルジュリィュ(de Margerie)神父様は、貴方がこれまで常に拒絶してきたものを受け入れる事により、ローマと和解するよう貴方に助言しておられます。それについてどうお考えですか?

 ルフェーブル大司教様:個人的に私はド・マルジュリ神父様と面識がありません。彼は矛盾に満ちています。信教の自由を擁護してから、それが聖伝と一致しており、何ら<聖伝との>断絶は存在しないと言明するようになる時、彼が大いに恥ずかしい思いをするのは目に見えています。それは擁護する事の出来ない立場です。何故なら、「公会議の教会」の指導者たち、例えばラテラノ大学学長、あるいはローマに於ける重要人物である(潜在的に、教皇たちの社会回勅の全てを書いた人物である)パヴァン司教様(Msgr. Pavan--現在枢機卿)同様に、「公会議の教会」の最も傑出した人々は、昨年の五月のヴェニスの会議で、信教の自由について公に「そうです、何かが変わりました」と言われたのです。ラッツィンガー枢機卿やこの問題に関して数多くの著書を書かれた神学者たちのような他の方々は、信教の自由なる学説が聖伝と一続きである事を立証しようと努力しています。以前であれば、自由というものは、真理との基本的関係の中で常に主張されました。現在、自由は人間の良心と関係があるとされるのです<つまり真理と関係は無視された>。これは真理の選択を人の良心に委ねる事を意味します<良心が真理だと認めれば、それがその人の真理となる>。またそれは公教会の死となるのです。<第二バチカン公会議が神聖なものとした>人権が公教会から承認される時、それは革命の毒を持ち込む事を意味します。少なくとも、ラテラン大学の学長とパヴァン司教様とはこの事実を認めているのです。他の方々は、私たちを黙らせようと奮闘しつつ言いたい事を言うでしょう。しかしそこには「市民社会である国家は、根本的にどれが真の宗教であるかを知る事が出来ない」と白地に黒で書かれているのです。公教会の全歴史は、私たちの聖主の時以来ずっと、この様な主張への抗議に始まります。ジャンヌ・ダルクや聖人たち、そして聖なる人々であり、公教会を擁護した王子や王たちはどうですか--彼らは真の宗教を識別する事が出来ませんでしたか?どうしてこんなとんでもない事を書けるのか人は不思議に思います!

 それから私たちが様々な仲介者を通してローマに送った異議に対するそのローマからの回答は、どれも変更は存在せず、むしろ単に聖伝の継続があるという事を説明する傾向がありました。これらの主張はこの公会議が打ち出した 信教の自由に関する宣言 に見る主張より酷いものです。それではまさに嘘を伝える官僚世界(officialdom)です。

 ローマに於いて、彼らが信教の自由やエキュメニズム、さらに司教団体性などの公会議の思想に愛着したまま留まっている内は、誤った道を進んでいます。これは深刻です、というのも、それは事実上の結果に帰着するからです。その事を教皇様によるキューバ訪問が証明しています。教皇様は、拷問人あるいは暗殺者を、まるで正常な人間くらい正直でもあるかのように、その手をキリスト教徒たちの血で染めている共産主義指導者たちを訪問し、又は謁見中に彼らを迎え入れたのです。


7:共産主義に反対する聖職者たち?

 質問:リュスティジェ(Lustiger)枢機卿が<ウクライナの首都>キエフに行けない事というニュースの流出がありましたが。

 ルフェーブル大司教様:ロシアに行った結果、モスクワがカトリックになったと彼は考えました。それは思慮の欠如です。彼らが言うには、教皇様は、スリピ(Slipyi)枢機卿様の後を継いだ現職の総主教を取り替える事で、ウクライナの<首都キエフ>総主教の任命権をモスクワに多かれ少なかれ与えたそうですが、代わりに任命される人は、当然の事ながら、ピメネ(Pimene)同様にソ連工作員となるでしょう。

 これらカトリックによる訪問の全てはソ連を有利にしてしまいます。ソ連は遂に、自分たちの欲がるものを獲得するでしょうが、それは特に、政府の支配下にある階級制を利用してウクライナ人を自分のポケットに入れる為です . . . . ちょうどハンガリーのミゼンティ枢機卿様の後に、彼らがレカイ(Lekai)を任命した時にやった様にです。つまりレカイのスキャンダルです!以前なら、これら全ての枢機卿と司教たちは監獄に投げ込まれましたが、それは彼らがカトリック宗教を擁護していたからです。ですが今ではその彼らが、真にカトリックの司祭たちを監獄に投げ込んでいるのです。私たちはそれとちょうど同じ状況にあります。つまり司教たちは、私たちがカトリックのままでいるからこそ、その私たちを迫害しているところなのです。私たちを追い詰めているのは、無神論政府や社会主義者、あるいはフリーメーソンたちではなくて、一般的に考えられているところではカトリックの司教たち--つまり公会議派司教たちなのです。

 同じ事が共産主義の国々で起こっています。彼らはカトリックの司教たち、それも共産主義政府に同意する“平和の司祭たち(Pax Priests)”である司教方を持っています。

 私はあるハンガリー人司祭から1通の手紙を頂きましたが、そこにはこう書いてありました:「議論が起きると、政府は司教と司祭たちに賛成してもらおうと努め、政府は“善人”役を演じています。」信じられません!教皇様は、真理と徳に対するのと同じ敬意を誤謬と悪にも払うというこのやり方を使って、多くの損害を与えています。それは小さな民族にとっては大惨事となるのです。またそれは全キリスト教道徳の、あるいは道徳の基盤それ自体の崩壊であるどころか、社会生活の完全な崩壊なのです。


8:道徳を擁護する教皇?

 質問:ヨハネ・パウロ二世は家族の団結を擁護していますし、彼は司祭の結婚や、堕胎にも反対しています。道徳の点で、多くの方は彼が良い教皇だと考えておりますが。

 ルフェーブル大司教様:自然道徳に関する特定の原理についてそれは本当です。良い事は言われていますが、それなら、避妊に賛成する司祭たちには、例えばの話し、御咎めがありません。誰も<彼らに対して>強硬な態度を取らないのです。私たちがまず反対しない自然道徳の一部を成す一般的な指導がそこにはあるだけです。合衆国のブッシュ大統領が<もちろん政治的な理由で>堕胎に反対しているのなら、ではどうして教皇が堕胎に賛成出来るというのでしょうか?

9:保守主義者たちを任命する教皇?

 質問:ヨハネ・パウロ二世は、オーストリアとそれ以外の国で聖伝主義者と見做される方々を司教に任命されました。彼らが聖伝主義者と見做される理由は、フランス人神学者たちの援護を受けたドイツ人神学者たちが、この司教任命を巡って教皇様を批判し、非難している事から伺えます。それから、最近の事ですが、ラッツィンガー枢機卿様は、忠誠の誓いとそれに先立つ信仰宣言の付いた指令書を発行されました。私たちはこれにある種の改善と、より聖伝に近い形式への回帰という印を見る事は出来ないのでしょうか?

 ルフェーブル大司教様:私はそれが聖伝への回帰であると考えていません。ちょうど戦闘中の兵士たちが少しばかり前に進み過ぎている時に、誰かが彼らを引き止めているようなものであって、彼らは第二バチカンの推進力に軽くブレーキを掛けているところなのです。何故なら、公会議の支持者たちは余りにも進行し過ぎているからです。その上、これらの神学者たちが苛立つなんていうのはお門違いです。この司教たち--表向きは保守的である司教様たち--は、例外なく公会議と公会議後の刷新、そしてエキュメニズムやカリスマ運動に協力的です。

 明らかに、彼らは穏健派も同然であるし、聖伝の宗教的心情を僅かに表明してはいるのですが、それは強いものではありません。彼らは公会議の大基本原理、つまり公会議の誤謬を受け入れて、それを実行します。彼らにとってそうする事は全く問題ではないのです。それに比べて私は、これらの司教様こそ私たちを最悪の輩として扱っているとさえ言います。彼らこそ、公会議の原理に服従するよう私たちに最もしつこく求めて来るでしょう。

 いえ、どんな戦闘に於いても、戦略を用いるべきです。やり過ぎを回避する必要があります。

 その他に、教皇様はモンシニョール・カスパー(Msgr. Kasper)をドイツの司教に任命されました。彼はブリュッセルのダネルス(Danneels)枢機卿によって主宰された1985年の司教会議の秘書官でした。カスパーはこの司教会議の先導者、つまり立案者だったのです。彼は非常に聡明な方で、最も危険な公会議主義者(Conciliarists)の一人です。彼はドイツ司教議会(the German Assembly of Bishops)の議長であり、やはり非常に危険な人物であるトリアーの司教(the bishop of Trier)に似て小柄な方です。彼らはラーナー派(Rahners)やキュング派(Kungs)と心の底では繋がってはいても、そうである事を言わないように注意を払っている確実に左派的な人々なのです【訳注1】。彼らは誰かにより過激論者たちと結び付けて考えられるのを避ける為に外見を繕いますが、実際には同じ精神を持っています。だからこそ、そう、今のところどう見ても望みはないと思います。


10:聖伝に対する善意?

 質問:それでは、これまでル・バルー<聖伝系聖ベネディクト修道会の支部修道院>や、聖ヴィンセント・フェリエ兄弟会(the Fraternity of St. Vincent Ferrer)、それから聖ペトロ会に対しある程度の寛容さを示しておられるラッツィンガー、マイヤー両枢機卿方により特徴付けられるローマの態度についてはどう考えたら宜しいのでしょうか?他の聖伝グループを取り戻す手段を使い果たすまで彼らは連絡を取り続ける、それから次に、いったんこのゲームが終わったら、ローマと和解した聖伝グループは、公会議への服従を要求されるという二重の計略なのでしょうか?それとも、私たちは彼らが改善すると信用すべきでしょうか?

 ルフェーブル大司教様:貴方がお話されている事は、<ローマの寛大さが>例外的で束の間のものでしかない事を私たちに示す印が沢山あります。これらの印は、世界中の全司祭に当てはまる一般規則ではありません。それは例外的な特権であり、限定された幾つかの事例に於いて(in precise cases)与えられるものです。例えば、フォンゴンボーの大修道院、又はジュック(Jouques)の女子修道会、あるいはその他の修道院に与えられたものがそれなのですがそれは例の特典(the Indult)に基づいています--彼らはそれを言いません--。ところでこの特典は例外です。それは何時でも撤回され得るのです。特典というものは、一般規則を強めます。この事例に於ける一般規則とは新しいミサと新典礼ですが。ですから、特典とはこれらの共同体に対して設けられる例外なのです。

 ロンドンでの一例があります。そこの枢機卿大司教様(the Cardinal archbishop)は、私たちの信徒たちを取り込む為に、この英国首都にある聖ピオ十世会の教会周辺で三つの<聖伝>ミサを開始しました。「私は六ヶ月間それを試しにやっています」と彼は言いました。もし私たちの信徒が司祭会のミサ中央施設<会場>から立ち去り始める事になれば、彼はこの実験を続けるでしょうね。その反対に、もしこの信徒たちが私たちと一緒に留まるとすれば、彼はこの実験を止めるでしょう。それからもしこれらの御ミサが廃止されるとなれば、聖伝典礼に対する味覚を取り戻したこの信徒たちは、おそらく私たちのところにやって来るでしょう。

 パリのリュスティジェ枢機卿様は、私たちのもとから去った司祭たちに教会堂を提供する事を考えておりますが、新しいミサもまたこれらの教会堂で捧げられるよう命ずると考えられます。ローマでラッツィンガー枢機卿様とした討論期間中、私たちが合意に向かって進もうとしている時に、彼は私に教えてくれました。もしパリの聖ニコラ・デュ・シャルドネ教会に於ける旧典礼使用に許可が与えられたら、新しいミサもなければならないでしょうと。それは完全明快でしたし、彼らの心の状態<新旧典礼の共存>をくっきり見せてくれました。彼らが、新しいミサを諦める可能性などありません。その反対です。それは分かりきっています。ですから、譲歩に見えなくもないものも、実際には、私たちを出来るだけ大人数の信徒たちから引き離す為の策略なのです。これが展望であって、その中で彼らは常にもっともっと聖伝に譲歩して与えようとするでしょう、それどころかきわめて遠いとことまで譲歩さえするでしょう。それが策略以外の何ものでもなく、公会議派の司教や近代主義のローマの掌中に身を委ねる事は危険であると、私たちは断固信徒たちに納得させる必要があります。それは私たちの信徒を脅かしている最大の危険なのです。二十年間も、私たちが公会議の誤謬を避けようと努めて来たとすれば、それは、まさか、これらの誤謬を表明する人々の掌中に私たちの身を委ねる為ではありませんでした。


11:昨年

 質問:貴方がお選びになった四司教たちによる一年の聖務が過ぎたところですが、全ては貴方のお望みになったように、つまり彼らの司教聖別のほぼ一年前に書かれた手紙で貴方が彼らにお示しになった目標通りに展開しましたか?

 ルフェーブル大司教様:今迄のところ、成り行きは私たちの期待したように展開しています。私たちは、彼らが地域的な裁治権を与えられた司教たちだと非難される事がないように、またどこかの地方に属している司教がいないよう行動しようと努めています。もちろん、フランス人司教がフランスへ行き、ドイツ語圏の司教がドイツに行くのは当然の事ですが、時あるごとに、私たちは今申し上げた非難を回避する為に司教様の取替えを試みています。もちろん、合衆国であればウィリアムソン司教様が堅振を授けるのは当然です。しかし、フェレー司教様もカンサス州のセント・メリーに堅振を授けに行きますから、誰もアメリカ合衆国はウィリアムソン司教様の領域だと言う事が出来ません。同様に、フェレー司教様は前にウィリアムソン司教様によって訪問された南アフリカにも行きました。ティシエ・ドゥ・マルレ司教様ですが、彼は南アメリカとドイツのザイツコーフェンに行きました。ですから、私たちは地域的な裁治権の一切発生しないこの根本方針を立証しようと努めているところなのです。四司教は叙階と堅振の秘蹟を授ける為に、つまり私の代わりとなり、この私が何年間も行なって来た事を行なう為にそこにいるのです。

 残りの人々は、自分の管轄として領域を与えられた方であり、出来る範囲で自分たちを呼び求める霊魂の助けに行くのは明らかに菅区長たちです。何故なら、これらの霊魂は秘蹟と真理を受ける権利、つまり救われる権利を持っているからです。まただからこそ、私たちは彼らの助けに向かうのであって、教会法から予見される様に、彼らに聖務を果たす為の権利を私たちに与えてくれるのは、これらの霊魂の訴えなのです<裁治権の補足>。

 その時、私たちは何もかも非常に上手く行ったと善き聖主に感謝する事が出来ると思います。信徒方から私たちに届く感想は、彼らが満足している事、そして私たちの司教様方が好意を持って迎え入れられた事を示しているのです。

 おそらく私たちは一部の司祭や神学生たちの離脱で損害を被ったかも知れません。しかし、それは今年になって二組に、つまり聖伝主義と保守主義の巡礼に分裂してしまったシャルトルの巡礼に少しだけ似ています。私たちと完全に一致せず、何ゆえに私たちが戦っているのかを完全に理解していない人々が私たちのもとを去るに任せて下さった事を善き聖主に感謝しても良いのです。こうして私たちは、自分の行動に於いてより強く、より揺るぎなくなります。この離反なければ、私たちは常に私たちを批判し、私たちと一致しない人々と、私たちの信徒たちの中で交流している事になりますから、そうなってしまえば分裂と無秩序をもたらすでしょう。

 総長であるシュミットバーガー神父様が、フィデリテール 誌の最終号で強調された様に、私たちの神学校と、当司祭会の女子修道会、そして他の聖伝系修道会に入会する良い数の候補者が私たちにはいます。ですから、その結果、相当数の会員の減少があるだろうと私たちを恐れさせた一部の人々が予想したような司教聖別の不快な余波を私たちは受けませんでした。


12:和解に向けた探り

 質問:貴方は最近、ティアンドゥム(Thiandoum)枢機卿様に要請されて彼とお会いになったのでしょうか、またこの方は和解の方法を模索しておられるのでしょうか?

 ルフェーブル大司教様:お会いしたのは本当ですが、ヌイリー(Neuilly)におられる御自分と会って欲しいからと、ヴィラヌーヴァの聖トマス女子修道会(the Sisters of St. Thomas of Villanueva)まで来るよう私に要請したので、この私の方から会いに行きました。彼は何時も大変親切で、非常に愛情のこもった方でありますが、今のところ何の違いもありません--つまりローマ側には何もなく、ティアンドゥム枢機卿様やその他のどの枢機卿側にも何ら違いはありません . . . . ですから<和解に向かう>どんな種類の隙間もないのです。

 何時もの事ながら、行動は言葉以上に人を納得させるなと私は思います。貴方はよく教皇様に尊大ぶった手紙を書けましたねと私に言ってくる人々がいます。ですが、私はこれまでの二十年間、どこにも届かない手紙を書いているのです。もう一度言いますが、行動は言葉以上にうるさく語るものです。私たちが神学校を開校した時、あるいは支部修道院を開設した時か、私たちが学校を開校し、そこに修道女たちが群れをなしてやって来て、女子修道院が増える時、それはローマに交渉を迫る唯一の手段となります。私がそこにいる事は重要ではありません。重要なのは私たちの行なう仕事です。ローマでは、私たちが行なっている事が無益ではない事を当局者たちはよく知っています。司教方は、私たちが此処彼処に定着するなら、やや気分を害してしまうのです。すると彼らはローマに愚痴を溢しますので、ローマの方も何が起きているのか分かっています。

 ですからローマとの接触を試みるには適切な時期だとは思っていません。私たちはさらに待つべきだと思います。残念ですが、状況が彼らの方でさらに悪化するのを待って下さい。ただ、今のところ彼らはこの現実を認めたくないのですが。


13:聖伝への恐れ

 質問:もしローマが貴方にたった一名の司教を与える事に承諾したとすれば、例の合議議定書(プロトコール)は、合意の時点で終わっているかも知れませんし、このような譲歩は貴方に拒絶されるべきだったと人々は呆れるかも知れませんね。何故なら、所詮この譲歩は、彼らにとって大したことでもない(世界中に三千人存在する司教の所詮たった一人でしかない)<聖伝主義の司教を一名与えたところで痛くもかゆくも無い>からです。

 ルフェーブル大司教様:そう、驚きです。これはただ聖伝に対する恐れによってのみ説明する事が可能です。信じられない事なのですが、彼らは公教会の誤謬に逆らって働く司教を恐れていますから、そんな司教には我慢ならないのです。


14:忠誠の誓い

 質問:信仰宣言を含んでいる忠誠の誓いを準備したラッツィンガー枢機卿の指令書についてどうお考えですか?

 ルフェーブル大司教:先ず第一に、信仰宣言 Credo があり、これは少しも問題を提起していません。Credo は無傷のまま残されています。ですから、第一部と第二部は、どちらとも何一つ問題を提起しません。それは神学的観点から良く知られた事ですし。非常に有害なのは第三部です。それが実際に意味するものは、現代世界の司教たちが持つ考えを並べ立てています。さらに、序文には、公会議の精神ゆえにこの第三部が加えられた事がはっきりと示されています。それは公会議と、いわゆる現代の教導権に言及しておりますが、後者は、もちろん公会議の信奉者たちの教導権のことです。誤謬を免れようとするが為に、「この教導権が聖伝との完全な一致にある限りに於いて . . . 」と彼らは付け足さなければならなかったのです。

 そのままでは、この第三部の形式は危険です。それは、私たちが合意に至る事が出来ないこれらの人々の心の状態を明確に示しています。ある人々がそうした様に、この忠誠の誓いを公会議の結果として廃止された反近代主義の宣誓の再開として紹介するのは完全に馬鹿げていますし、それは間違っています。

 全ての毒はこの第三部にあります。ローマに再合同してしまった人々に、この信仰宣言に署名して、司教たちとの完全な合意を言明せざるを得なくする為にわざわざ作成されたように思えます。まるでアリウス主義の時代に「これで、アリウス主義者である全司教たちの考える事に同意しているのです。」と言われたかのようです。

 いいえ、私は誇張などしていません。それは序文の中ではっきり表現されています。これは純然たる詐欺です。この様に、ローマ当局者たちは議定書の本文の修正をするつもりがないのではないかと自問する人がいるかも知れません。例の議定書は私たちにとって満足の行くものではないにせよ、その教義的宣言の第三箇条に於いて余りに私たちに有利であるかのように見えます。というのは、それは公会議に服従するという義務を十分表明していないからです。

 ですから、当局者は失われた足場を取り戻しているのだと考えます。彼らは恐らくこれらの文書が、叙階を控えた聖ペトロ会の神学生たちと司祭たちから署名される事を望んでいるのです。そしてその時、彼らは「公会議の教会」に合流するという公式な行為をするよう強いられている事に気づくでしょう。

 議定書とは違って、これらの新しい文書の中には、公会議と公会議派の全司教への服従が存在しているのです。それが彼らの精神であり、誰も彼らを変える事はないでしょう。


15:何らかの後悔?

質問:そうすると、結局、貴方には何の疑いも後悔もないのですか?

ルフェーブル大司教様:はい、全くありません。起きてしまった事はどれも実に摂理的で殆ど奇跡的に引き起こされたと考えています。

 多くの人々はかつて私にこう催促していました--「貴方は老いているのです。もし貴方が偶然にも姿を消してしまえば、私たちは一体どうなるのでしょうか . . . .?」私は少なくとも三、四年前に司教たちを聖別する事が出来ました。それは理に適ってさえいたのです。しかしながら、善き聖主は、私たちが本当に聖伝主義者の司教たちを頂く認可を何とかして獲得する上で自分に出来る事は何でもやり遂げたという事をローマにはっきり証明する為に、事態が徐々に熟すのを御望みになったのだと思っています。

 議定書に署名するにしても、ローマはこれらの司教をどうしても私たちに与える許可をくれませんでしたので、もし私たちが<合意交渉を>継続していたなら、実際問題として考えられ得るありとあらゆる困難を私たちは経験していたことでしょう。私の下した決断に私たちは至るべきだし、私たちは自分たちの限界にいると私は心から思っています。親愛なる友人でありますデ・カストロ・マイヤー司教様は、もう御ミサを捧げる事が出来ないほど疲労困憊しておられ、あの司教聖別から一年も経たないのにそうなのです。

 本当にそれは全て奇跡だったと思います--つまり彼の到着、そして彼の旅行、賞賛に値する彼の信仰宣言、さらに私たちの司教様方の聖別式を私と共に挙行する事に対する彼の下さった承諾など、これら全ては奇跡です。新聞は彼がそこに同席する重要性を理解しませんでした。ただし、私と聖別された司教様方にとって、それは実際、特別な恩寵だったのです。彼らを聖別する司教が二名いたという事実は非常に重要なのです。私について言えば、満足です。私は何ら重い病気を持っていないとはいえ、それでも疲労を感じておりますし、これ以上力が残っていませんので、依然として引き受けさせて頂いてはいる式典の挙行を完全に止める事を余儀なくされているところです。といいますのは、私にはもう力がないからです。今や、かつては常としていた世界中への旅行を私にはする事が出来ないでしょう。人々は私のアルゼンチン再訪か、でなければウィノナにある新しい神学校を一目見る為に私が合衆国に行く事を要求していますが、そこには限界がありますし、私はもうそこに達してしまいました。私はただ疲れない事を行ない続けています。例えば、聖堂の聖別、カルメル女子修道会でのヴェールの着衣式、そして初ミサに与るなどの様な事、要するに、かつて私が良くしていた事と比べて些細な仕事です。自分としては、昨年の6月30日が私の限界だったとはっきりと感じる事が出来ます。善き聖主は事態がかつて起きた様に起こる事を望まれていると私は考えています。あの式典<司教聖別>に与った方々は、誰もがそれについてのすばらしい思い出を持ち続けているのです。あの全ては摂理的でした。期待出来る事とは、信徒たちがますます多くなる事、また彼らが<事の真相に>気づいて最後には何処に真理があるかを悟る事、そして救いはますます離教的となる公会議の教会にではなく、聖伝にこそあるのだ、と彼らが認めてくれる事です。


16:天国のイエローページ

 質問:もちろん貴方は御自分の名前がローマで編集される“教皇年鑑”、つまり Annuario Pontifico の最新版から消えてしまったのは御存知ですね?

 ルフェーブル大司教様:私の名前は、善き聖主の年鑑 Annuarioからは消えなかったと思います。少なくとも私はそう期待していますし、そうである事こそが重要なのです。