マニラのeそよ風

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第415号 2010/09/19 聖霊降臨後第17主日

アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 いかがお過ごしでいらっしゃいますか?

 ご無沙汰しております。この「マニラの eそよ風」も、これからはますます「マニラ」からのお便りになりそうです。

 マニラでは、任命された常駐司祭が5名、ブラザーが2名おり、そこからイロイロの修道院と力を合わせてフィリピン各地に聖伝のミサのミッションをしております。

 マニラでの様々なニュースをこの「マニラの eそよ風」で愛する兄弟姉妹の皆様にお知らせしたいという大きな望みを持っております。

 さて数年前、デ・ガラレッタ司教様が韓国にお越しになったとき、司教様はアジアに特別な愛着を抱いておられました。とりわけベトナムに。その理由を伺うと、ベトナムでの殉教者、聖テオファン・ヴェナールの活躍した場所であるから、とのことでした。

 日本の大変お世話になったパリ外国宣教会の宣教司祭たちの大先輩であり、幼きイエズスの聖テレジアのお気に入りの聖人であったこの大聖人については、日本に幼きイエズスの聖テレジアを紹介して下さったブスケ神父様が、その伝記を50年以上も前に出版してくださっています。

 「マニラの eそよ風」413号で、ブスケ神父様の本の内容に少し手を加えながら、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介を始めましたが、今回はその続きをご紹介したいと思っています。

天主様の祝福が愛する兄弟姉妹の皆様の上に豊かにありますように!
ファティマの聖母マリアよ、我らのために祈り給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) sac. cath. ind.


罫線


福者テオフアノ・ベナールの伝と其書翰

シルペン・ブスケ譯

聖テオファン・ヴェナール
聖テオファン・ヴェナール


第二章

青年時代 ― 修辞科に於けるテオフアノ ー 聖寵と本性の内争(あらそい)-中学時代の批判 ― 詩の趣味 ― モン・モリヨン神学校哲学科 ― 聖母に対する彼の信仰と、彼の綽名(あだな)となった快活 ― 少なき弟に対する貴重なる訓告(おしえ) ― 1848年政治を論ず ー 何故モン・モリヨンを去るのを急いだか ? -


1846年10月、テオフアノは修辞科に入学した。

「敬愛なる父上様。

「炉の側に在りて、火箸を持つものは幸いなる哉(かな)」

丁度今しがた、此の詩を読みました。

 実に尤もの事と存じます。けれど此の句は、私にとっては無関心で御座います。火を有(も)つ身はそうかも知れませんが火無しで火箸を持つのは、恰度(ちょうど)馬無しで鞍を持つようなものでしょう。しかし未だ寒い時では御座いませんから、不平を云う時でもありますまい。けれども私は食指(ひとさしゆび)に凍傷がして、只今「敬愛する父上様」と書きました際に、一寸痛みを覚えました。こんな詩を引用するのは、私の好奇心で修辞科に在る為で御座いましょうから、どうか御免下さいませ。

 姉上様が「私には手紙が来ない」と怒って居られるでしょうが、姉上様!。私の手紙は何時も皆様に宛(あ)てたものですしかし、貴(あ)姉(なた)はまだ御羨(おうらや)みなさるので御座いましょう?別に手紙を上げるのを、御望みでしょう。それでは宜敷御座います。此の次に書きますのが、貴姉の分ですから、何卒そう思って居て下さいませ」

 そこで彼は日ならずして、姉に宛て、こんな手紙を出した。

「愛するメラニー様。・・・今、時候の事を書きました序(ついで)に、私は貴(あ)姉(なた)に寒いと申上げましょうそれでどうか御風を召されぬように、御温(おあたた)まり下さい。私は之から寝みます、左様なら・・・。併し今日は冗談はやめに致しまして、真面目な事を申上げましょう私は中学に来ましてから、独りぼっちになりました。多感なフエネロンが申しましたように、「余の総ての縁は絶えたり」けれどもそれは永い事ではありますまい。殊に御互に分かれて居りましても、まだ話す事が出来ますから・・・。ああ、感ずべきは郵便の発明ではありませんか。万一私共が、偶像信徒でありましたら其の発明者に不断(たえず)香(こう)を献げるのでしょう。私は良い姉上様と離(わか)れて居る為よし、毎夕就寝前に接吻する事が出来ないにしましても紙の小切れを取って手紙を書く事が出来るのは、郵便の発明の御蔭(おかげ)でありましょう。

「私の良きメラニー様。私は今も又、何時も、貴(あ)姉(なた)を愛します。あゝ、今一度申しましょう。「実に感ずべき郵便の発明よ!」。

 新年の始めに、父に宛てた書簡(てがみ)は、

「敬愛する父上様。寔(まこと)に永々と厳しい寒さで御座います。けれども假令(たとえ)私どもの手足が寒さに凍えて居りましても、私の心は結氷(こおっ)ては居りません。如何な出来事が起こりましても、どんな時候が来ましても、又、私の凍傷が癒(なお)っても、又、それに罹(かか)っても、そんな事には少しも頓着(とんちゃく)なく、私の心は何時も貴(あ)父(なた)に対する愛に燃え立ち、始終其の愛情を、顕わそうと努めて居ります。それで新年を迎えるに当りまして、私が毎日祈願(いのり)まする貴(あ)父(なた)の幸福(さいわい)を今、亦、更(あらた)めて冀(こいねが)います。

 世の人は新年の元旦を嘘の日と申しますが。そんな事を云う人の為には或はそうかもしれません然かし、私は新年の来るのを楽しんで居りました。何故かと申しますと、特に其の日には、丁度自然が甦(よみがえ)るかのように感じますので、私が貴(あ)父(なた)に対する孝愛の念も更に其の勢いを増さねばならぬからであります。私は貴(あ)父(なた)が今年も幸福なる年を御迎えになる事を、只管(ひたすら)冀(こいねが)う次第であります・・・敬愛する父上様」

 彼が哲学科を了(おわ)ろうとする時、代父に宛てた書簡(てがみ)には、

「敬愛する代父様。嗚呼(ああ)、私は総ての花(文体の華)を失ってしまいました。哲学風(かぜ)に襲われて哀(あわ)れ丹精を凝らして育てました花弁(はな)もついに吹き散らされてしまって、もう其の痕跡さえも留めて居ません。物憂(ものう)しく荒れ果てた花壇を訪れて見ましたけれども、何にも見当たりません。

折角の貴(あ)父(なた)の御祝日にこんな泣き事を申し上げては洵(まこと)に済みません。では泣き事を止しましょう代父様、人は希望に生きる者で御座います。ああ、希望!それは実に私の胸を貫く感じが致します。ああ、将来(こののち)の多幸に対する希望!之こそ私が願って已まない所で御座います」

 テオフアノは齢18才に達しまさに修辞科の課程を了(おわ)らんとし今や将来に対する種々(いろいろ)の思(おも)念(い)が、彼の心に起らねばならぬ時となった。

 彼は其の心を縮令(たとえ)遠い以前から耶蘇(イエズス)様に献げ且つ少年時代に燃え立った志望が未だに消え失せず神の恩寵(めぐみ)を、潤沢に受けて居たにもせよ、悪魔は寧(むし)ろ是が為に、烈しい戦いを挑んで居た。そこで彼は其の憂うべき霊的状態の不快を姉メラニーへ告げる為、左(さ)の手簡(てがみ)を贈った。

「愛するメラニー様。」

(前略)私等の良き母、聖母(マリア)の事に就いて、少し御話申さねばなりません、本当に今年はまだ其の事に就いては、余り御話申して居りませんでした。実際に私は少々変わったのではありますまいか?。否、私は左様思いませぬ、只、少し以前から、何か少しばかり気に懸かる事が御座います。それは何かと申しますともう学期の終わりも漸次(だんだん)と近づきますのに、未だ私の聖召(おまねき)が解り兼ねる事です、それが気に掛かって堪りませんけれども私はどうやら聖職者として、召されるような感じが致します。ああ、司祭となる事はどんなに善(よ)いことでしょうか初めてミサ聖祭を行う事は、どんなに善(よ)い事でしょうか・・・。

併(しか)しそれは清浄(しょうじょう)な身でなくては叶(かな)いますまい。殆ど天使のように潔白でなければなるまいと思うて、私は躊躇(ちゅうちょ)して居ます。切望(どうか)私と倶(とも)に御祈り下さい。御互いに祈りを協(あわ)せて強めましたら、御許しのない事もあるまいと思います。それでは姉上様!四旬節の初めの日日に、其の御心算(おこころ)を以て、聖体を拝領して下さるように願い致します。私も其の心算(つもり)で準備を致しますから」

又、或る日、彼は

「愛する姉上様。私は直ぐに貴(あ)姉(なた)の御書簡(おてがみ)を戴きとう御座います。私は貴(あ)姉(なた)の御慰(おなぐ)籍(さめ)を待って居ります。今殆ど絶えようとする私の希望を早く蘇えらして下さい。

本当に私は今、煩悶(はんもん)して居ります。私は五月の初旬中(はじめちゅう)に、貴(あ)姉(なた)の御書簡(おてがみ)の来るのを待って居ります」

こんな悩みの中にも、彼の心は聖母を憶(おもい)出(だ)す事を忘れなかった。

「聖マリア!」私はまことに此の言葉を愛するのです「聖マリア!」即ち是れは、慈愛なる我等の良き母と申す事で御座ります。

「憂人(うきひと)の慰(なぐ)籍(さめ)」なる聖マリア!。私(わたし)等(ども)は丁度敵に襲われた雛(ひな)が、母鶏(ははどり)の翼の下に潜(ひそ)むように、御互いに聖母に寄りすがらねばなりません。私は大層(たいそう)聖母を愛して居りますが、貴(あ)姉(なた)は私よりも尚一層、聖母を御愛(おあい)しなさるのでございましょう」

又、其の憂愁(うれい)に就いては、

「私は今、云い表すことの出来ない程、大変苦しんで居ります、こんなお話を申上げることの出来るのはあなたより他に誰もございません。そしてあなたは、私、自身の最も親愛な方であります、私は恐れないで私の心配や苦しみを皆あなたに打ち明けることが出来ます、何故ならばあなたは私にとって姉上様と申すよりも私の守護の天使と申すべき御方でございますから」

 良(やや)久(ひさ)しき後、彼の霊魂は漸々(しだい)に安静に皈(き)し、聖寵に照らされて、朗らかになった。其の頃、姉に贈った書簡(てがみ)に

「愛するメラニー様。有難う・・・。良き姉上様!。貴(あ)姉(なた)の優しい御書簡(おてがみ)に対しまして有難く御礼を申し上げます。吁々(ああ)、ほんとに良い事を言って下さいました。私は今一度衷心(ちゅうしん)から感謝致し度う存じます。之れより外に何も申上げる言葉がありません。

聖母の月も、もう過ぎようと致します今日、両人(ふたり)で御話しを致しますのは、実に適当の時期と存じます。マリア様は私共の御母であります。そして、私共は、其の子供であります。それでは聖母に対する愛を深くする為に、御互いに話をいたすのは、寧ろ当然と申さなければなりますまい。姉上様。貴姉は私の事を思うて下さいますか。

メラニー様、吁々(ああ)、私は尚更貴(あ)姉(なた)を忘れは致しません。

私(わたし)等(ども)は毎日、聖月の勤行(つとめ)を致しております。そして私は聖童貞の祭壇を、飾る事を楽しみとして居ります。学院には沢山な薔薇の花があります。無論、其の中の一番奇麗なのを、我が聖母に捧げる事に致して居りますが、私は毎日其の捧献(ささげ)をする事を此の上なく喜ばしく愉快に感じて居ります。けれども私の手、或は心が、それを致す資格の無いのを非常に恥かしく思って居ります。

けれども聖母は良い御方で在(あ)らせられますから、何人(だれ)の手からでも之を受け給うので御座います。それでこそ聖母を「憂人(うきひと)の慰藉(なぐさめ)」「罪人の安全なる依托(よりどころ)」と申し上げるので御座います。あゝ、貴姉は御承知でしょうか。私が独りで黙想して居ります時に、其の可憐(あわれ)な思(おも)念(い)が、那邊(いづこ)に行くかと云う事を殊に睡(ねむ)られぬ時などは、一層思いを馳せます事を・・・。私は屡々(しばしば)こんな事を考えます。「あゝ、司祭になってからメラニー様と一緒に、暮らすことが出来たなら、如何(どんな)に幸福であろうか。私が他の者を善道に導き、姉上様が聖堂を飾り・・・そして全善の天主や、聖母や、亡き人の事などを物語って・・・」しかし又、こんな思いも併せて起こるのであります。「そんな事は実に良い事には相違ないが、実際司祭の職とはどんなものであるか。それは現世の総ての宝、世俗の総ての利得から解脱する事である。

司祭となるには、聖(きよ)くならなければならぬ。他人を管理するには、先づ自分から治めねばならぬ。そして司祭の生涯は、犠牲と制欲でなければならぬ。如何(どう)して、この不肖な私が、こんな生活に堪え得るであろうか。徳行(とく)に進んで居ない私が・・・」大略(まあ)こんな思いが、何時(いつ)も私の心の裏に、起こって居るのです。併し、又、神霊(かみ)に照らして戴くように祈りますと、心の奥にこんな囁きが聴こえる様に覚えます。「汝は司祭たるべき者である。天主は之に信頼する者に恩恵(めぐみ)を垂れ給う。」そこで私は満足いたします。要するに聖召(おんまねき)を弁(わきま)えると云う事は、実に困難で、深く考えれば考える程、煩(わずら)わしくなります。しかし、天主は私のような不肖な者にも、哀れみを垂れ給う御方であると、確信して居りますから。兎に角、祈りましょう。メラニー様!。あゝ、私の為にお祈り下さい。きっとお聞き入れ下さるでしょう。天主は私等の聖(ち)父(ち)、良い父であります。殊に私等は天に権威ある仲介者、即ち慈悲深き弁護者なる聖母をもって居ります」

 之に対する姉メラニーの書簡は、即ち聖主の器用(はたらき)となって、テオフアノの心中に潜(ひそ)む煩悩と不快の念を一掃し、之に希望の光を輝かす事になった。其の時、虔(しん)信(じん)なる彼(かの)処女(いすめ)も同じく自身の聖召(おんまねき)に就いて、恩寵(めぐみ)を受けつゝあった時であったので彼女は親愛なる弟に、自分の企画(くわだて)て居る事柄を通知し其の秘密(きみつ)を表して天主に対する愛熱を一層弟の心に燃えさしめようとした。

「私は、私の約束を守るに忠実であった事を、能く考えて貰いたい。私も聖霊降臨及び御昇天の祝日に、卿(あなた)に就いて考えました。卿(あなた)が私の為に祈って下さる様に、私もまた卿(あなた)の為に祈りを致して居ります。

併しこんな事を申したら、卿(あなた)は吃(きつ)度(と)お笑いなさるでしょうが私は天主様や聖母に、私共を照らして下さる様に祈ります時には、折々卿(あなた)の志(の)望(ぞ)んで居る事と反対な事を、御願いしたい時があります。卿(あなた)は「それは姉上様宜しくありませんそれは、私を本当に愛するのではない」と申されるかもしれませんが。此れ程の事で、その様に驚いてはいけません。それはほんの一寸私の心に萌(きざ)した些細な思いで、私は直ぐ之を取り除けてしまいました」私は実際訣(わか)れると云う思想(かんがえ)に甘んじて居(お)りたくないのです。其の理由(わけ)は・・・あゝ、私の利己主義かもしれませんが。併し之は大きな声で云ってはいけません。ほんの些細な事ですから」

テオフアノの返事に、

「親愛なる姉上様。私は決して貴(あ)姉(なた)の計画を覆したいとは思いません。それは丁度貴(あ)姉(なた)の栄冠(かんむり)を、奪うようなものですから・・・併し腹蔵なく申しますれば私にとっては、貴(あ)姉(なた)を失うと云う事は、本当に大きな犠牲であります。それで何時も其の事柄を考える時には、私は常に天主に其の犠牲を引受けさせて下さる様に願うのであります。

私は貴(あ)姉(なた)の幸福(さいわい)ばかりを、思うて居ります。天主は貴(あ)姉(なた)を御召(おめ)しになるのでありましょう。何と結構な事ではありますまいか私もそんな幸福(さいわい)な運命を有(も)ち度くて、羨ましう思います。兎に角、私共の運命を聖(おん)主(あるじ)に托し、其の聖慮(みむね)に安んじる様に致しましょう」

 テオフアノの心は、ただに聖寵に依って、聖務の方へ導かれたばかりでなく、彼をしてより以上の、高きに昇る事を要求されたのである。所謂(いわゆる)彼をして聖務の完了である宣教師となる事を、志望せしめるに至った、後日彼が云うたように、彼は恰(あたか)も手を執って導かれたように、不知(しらず)不識(しらず)神秘の道に引き入れられたのである。彼の決心が天主の聖慮(おぼしめし)にもとづいて居た確証を、彼の修辞科の手帳の中に見出したから、之を左に記そう。

当時彼の霊魂の苦悩、心の不快は既に消滅して、其の試練前よりも、尚、一層熱心の度を増して居た。所謂(いわゆる)より以上の聖務者たるべき決心をして居たのである。

「本日 – 1847年6月17日、ドウエの学院の聖堂で、余は「罪人の依托(よりたのみ)なる聖母」に対し、若し能(あた)うなら、更により大なる聖寵を受けるため終身毎日、念珠を繰るとの、真実なる約束をした」と

 彼は修辞科を卒業して、学校を出る以前に、学校生活の最後の記念として、姉メラニーへ信心に馨(かお)る長文の書簡(てがみ)を送った。

高雅(こうが)なる文章を連ねて、壮麗(みごと)なる聖体祝日の行列を叙(しる)したが、茲に其の詳細を述べない。只、虔(しん)信(じん)なる彼をして、永遠の天国の美に想い到(いたら)した、厳正なる思想に就いてのみ記そう。

「現世の宗教の行列が、こんなに壮麗(みごと)であるとすれば、天国のは果たしてどんなでありましょう其処は幻影でもなく、又、表象(しるし)でもありません。清浄な汚れのない真(まこと)であり、且つ又、永遠の享楽(たのしみ)でありますから、尚、一層心を唆(そそ)るのであります。貴姉は此の永遠の意義に就いて、御熟考(おかんがえ)なさった事がありますか。決して終わりのない永劫(えいごう)と云う事です。

私は例え軽率な者であっても、屡々此の事に就いて熟考し、又、それを会得しようと試みました。併し思想(かんがえ)に思想(かんがえ)を重ねまして其の基礎(どだい)を胆(み)ますると、あゝ、私は未だ凡庸な者です。折角、築き上げた思想も、忽ちにして破壊(やぶれ)るのであります」

 テオフアノのドウエ学院生活は僅か六ケ年であるが、以上の事柄に徴(ちょう)すれば、其の間急激なる進歩を為した事が解る。彼の信仰は智識と共に増し、彼の豊富(ゆたか)にして優美なる想像力は、適確(たしか)なる判断力と融合し、彼の温良なる性質は、謹厳にして而も快濶なる気風と調和し、常に先輩及び同僚から、畏敬(いけい)せられて居った。彼は何人に対しても温厚であったが、又、犯すべからざるものがあった。そして家族と其の最も親しい友人に対しては、特に其の衷心(ちゅうしん)の愛情を傾ける事を楽しみとして居(お)った。其の家族に対する愛着は真の慈愛とも云うべきもので是れ天主の聖慮(おぼしめし)によって、その昔アブラハムに宣(のたま)いし如く、「国を出で親族に別れ、父の家を離れて、我が汝に示さん所の地に行け」と他日彼に宣(のたま)う時、聖寵の威力を御示しになる為であった。

 斯(か)かる調和を得たる性格を備えた彼は、尚、謙遜にして無邪気な気質、叮嚀にして隔意(へだて)なき挙動(ふるまい)、温和にして鋭敏な眼差しを有(も)って居たので、例え彼の身長が低かったにもせよ、一度彼に接近した者は、皆、其の顔(かお)容(つき)の朗らかにして薔薇色を帯び、眼光異彩を放って居るのを見て此の青年は、後日名を後の世に垂れる者であると云う事を認めた。

 其れに彼の単純な、しかも率直なる信仰が、自然と外に顕(あら)われる如く、彼の性格の反映も其の親交の上に、乃至、常に完全なる彼の学業成績の上に、顕(あら)われるのであった。

 蓋(けだ)し彼が毎年恁(かか)る勝利を得て居たのは、又、他の理由もあったそれは即ち彼が万能の才を有(も)って居たからである。実に彼の才幹は万事を抱擁し、彼是(あれこれ)の撰択を許さぬものであった。其の多趣多様の文章の中には、又、彼が詩才に秀でて居った事も窺(うかが)う事が出来る。然し彼の手に成った詩の、大部分は今日まで遺(のこ)っては居ない、只、僅かに其の一部分を彼の筆記帳の中に見出したに過ぎないが此処には省(はぶ)くことにする。

 1847年の休暇に、テオフアーはモン・モリョン神学校に入学志願をした。そして十月に愈々入学する事になったが同校長は信心厚く、学殖(がくもん)に富んだ司祭で、殊に慈愛を以て、少なき神学生を教育して居た人であったから。彼は、入学の最初より些(いささ)かの不自由をも感じなかった、其の初めの書簡(てがみ)の内に、充分其の満足の意を表し彼が初めて受けたる印象に就いて、左の如く認(したた)めて居る。

「私は頗(すこぶ)る幸福(さいわい)な者です。ずっと以前から其の事を、申して居りましたけれども、今、更(あらた)めて衷心(ちゅうしん)、之を申上げます。姉上様、世の中に私より幸福(さいわい)な者はありますまい。しかし其の私の幸福(さいわい)も、未(ま)だ完全とは申されません。それは私が未(ま)だ此の学校の、聖母の子供会員と云う資格を、もって居ないからです。併し何日(いつか)か其の慈愛の旗下(はたもと)に、加入する事が出来るでしょうと、楽しんで居ります」

 彼が待ち憧れた、所謂(いわゆる)完全なる幸福がついに循(めぐ)って来た。彼は其の事を姉に通知し、其の会の格言に就いて、左の如く述べた。

「同心同意!。あゝ、此の言葉は、天主より出た言葉であります。この言葉は人と人、信者と信者とを合体(がったい)せしめる連鎖(くさり)でありましょう!。此の意味深い言葉が、宣教師、司祭、修道者、無原罪の会の童貞等を作るのではありますまいか。同意!。私等は之を自分等に、適用する事が出来ましょう。それは貴(あ)姉(なた)と私の間に、慈愛と計画が相一致して居るからであります。あゝ、同心同意!。是れ今日私等が、云う事の出来る言葉であります。若し天主の思召(おぼしめ)しであれば、後日私等は、もっと善(よ)く云う事が出来ましょう。何故(なぜ)なれば、天主が貴(あ)姉(なた)を御召(おめし)になるからです。行きなさい。行きなさい。良き姉上様。私は悲しくて堪(たま)りませんけれども。決して御止め申しますまい併(しか)し今少し御熟考(おかんがえ)なされては如何で御座(ござ)いましょうか。私等の父上様。私等の親愛なる父上様の事に就いて、お考え下さい。私は貴(あ)姉(なた)の為に善く祈りました。今後も亦、良く祈りましょう。天主は吾等を照らして下さるでしょう」

 此の聖母の子供会の優しい追憶(おもいで)は常にテオフアノの胸奥に、瞭々(ありあり)と残って居た。そして学校を去るに臨んで書き贈った所の左の虔(しん)信(じん)なる言葉が他日実現された事を想い起こすのであった。

「あゝ、学校を去るに臨んで、私が最も名残り惜しく思うのは、聖母の子供会の祝日であります。それは私共の単調な生活に、時々優しい変化と天来の床しい香りを、齎(もたら)したからであります。今は私を慰めるものは、只、将来のより美(うる)はしき希望(のぞみ)ばかりです」

 テオフアノの虔(しん)信(じん)は、他の人のそれのような厳格な陰気な寡黙な信仰ではなく、可愛いらしい愉快な陽気な信心であって、殊に彼の快濶(かいかつ)は、モン・モリョンに於いて、彼を表(あらわ)す標語となって居った。かかる愉快な楽しい気象にも拘(かかわ)らず、彼は頗(すこぶ)る謹厳で、他を訓誨(くんかい)する資格をもって居った。彼は平素(ふだん)から此の権利を用いて居ったが其の弟が生家を出て就学したときから、一層義務的に其の権(けん)を使用したのであった。此の種の書簡(てがみ)は、優に一部の書籍を充たす程の、多数に上って居るが茲に読者を裨益(ひえき)する事の少なからざるを思い、其の二三を抄録(しょうろく)しよう。

 愛する小さきユゼブへとした中に、

「時に卿(あなた)は学校でどんなに暮らして居りますか。定めし日課や宿題等には、熱心だろうと思って居ますが、私はそれよりも、卿(あなた)が散歩や遊戯(ゆうぎ)をより愛しちゃ居ないかと、推測して居ります。そして友達とは仲良く遊んで居りましょうね。

今、卿(あなた)は学校の最下級ですから、奮発しなければいけません。時々、ラテンの文法で、厭(いや)になる事が無いとも限りませんが、併し、後日卿(あなた)の勤勉の結果が現れる時がありましょう。

光陰に関守(せきもり)なしと云う事がありますから必ず品行を正し、そして時々父の家を思い出す事を忘れてはなりません。之を考えると自(おのづか)ら、父の犠牲と慈愛が現れて卿(あなた)を励ます事になるでしょう」

次の書簡(てがみ)には諧謔(かいぎゃく)を交(まじ)えて、

「只今は夕の六時半です、寒い風が雨戸を通して唸(うな)って居ります。颪(おろし)が庭の木(こ)梢(ずえ)を揺すぶる音が聞こえます。あゝ寒い。だが私は、私よりも卿(あなた)を不憫(ふびん)に思います。可憐(いとし)い小さき弟よ。定めし卿(あなた)の小さな手は、凍瘡(しもやけ)で腫(は)れ上がり、鼻先が凍(こご)えて居るのでしょう。あゝ、寒い!。併しそれが本当の学生生活です。之(これ)位(ぐらい)の寒さが何でしょう・・・。

小さき弟よ。新年おめでとう!。そして其の次は天国でしょう。併し私は天国が今、直ぐに来ないように願います。

卿(あなた)は以前は何か理由(わけ)があって、年の暮れるのを待って居たのでしょう。多分お年玉の欲しさに?。あゝ、年玉!、併し既う学校に入ったのですから。お年玉は・・・。左様なら!。ボンボン菓子も・・・。左様なら!。あゝ、ユゼブは、つまりボンボンも食べられないし、玩具(おもちゃ)も貰えないことになりましたね。其の代わりに卿(あなた)は学問を食べて居るでしょう。それが一層宜しいのです。好い成績表が貰えるのでしょう。あゝ、学問!。之が卿(あなた)を人と為(な)らせるのです。併し最初から果(み)を結ぶものと思っては」いけません。決して。葡萄を作る者は、それを収穫(とりいれ)る為に、畠を鋤(す)かねばなりません。農家は良き刈入れをして穀(く)倉(ら)を床の落ちるまでに充(み)たそうとするには、其の畠を耕(たがや)さねばなりません。又、見事な肥(こ)えた野菜を作るには、居酒屋などに立入らないで、草を毟(むし)らなければなりますまい。丁度それと同じく、学生は此の世界で、与えられた職務を果たし。天国を得る為には、自分の課業に精を出さねばなりません。愛するユゼブよ。天国は総ての行為(おこない)の目的であります。善(よ)く勉(つと)めなさい。それは人から賞讃せらるゝ為でなく天主が御命じになるからです。

総て「天主の為」と云う事を、卿(あなた)の生涯の格言とし、能(よ)く又、屡々(しばしば)、お祈りをしなさい。長上(めうえ)に対しては従順に、学友に対しては親切であれば、人は皆、卿(あなた)を愛し、又、自らも幸福(さいわい)なる者となりましょう」

 ユゼブの初聖体拝領の際、彼は祝詞(しゅくし)を述べて、

「小さき弟よ。卿(あなた)は今、卿(あなた)の生涯の一歩を天国の方へ進めたのであります。ちょうど此の流謫(しまながし)の旅路を続けようとして、暫時(しばらく)、テントを張る為に、留(と)まったようなものです。定めし。卿(あなた)は過去を反省し、現時を探求した結果、或は俗眼(ぞくがん)を以て自らを無辜(むこ)の少年と認めたかもしれないが、信者の眼を以て観た時に始めて多少の危険を認めたに相違ありません。それで聖(せい)意(い)の宰相(さいしょう)たる司祭の前に跪(ひざまず)き、人性の繊弱(かよわ)さに因って犯したる過ちを、告白して彼の懐に依托(あず)け、司祭は又、最聖(いとせい)にして、最慈(いと)仁(じんじ)に在(まし)ます天主の聖名(みな)によって、卿(あなた)を赦し給うたのであります。そして卿(あなた)は再び全善なる天主の子となり、天使の友となり、天地も抱擁し能(あた)はざる聖(とうと)き御方を、心に宿し奉り、天使のように恵まれたのです。

あゝ、少年が初めて、天主を拝領する時の歓喜(よろこび)と其の栄誉(ほまれ)を、誰が之を口に言い顕(あら)わす事が出来ましょう?。愛の神秘!。誰がそれを了解する事が出来ましょう!!人の言語(ことば)は神が其の聖寵を重ね給う者の心の中に、涌く所の歓喜(よろこび)を充分に言い表す程、清浄(しょうじょう)なものではありません。天使は其の言葉を知って居られます。又、卿(あなた)も追々とそれを知るようになりましょう。」

 彼の小さき弟が、だんだん成長するに伴(つ)れて、熱心なる兄の教訓も、其の言辞(ことば)に於いても又、教材(おしえぐさ)に於いても、次第に高尚(こうしょう)となった事が、以下、章を追うて判明(わかる)であろう。

テオフアノは、僅かに18歳にして、既に政治問題にも、触(ふ)るゝ事があった。茲(ここ)に其の数(すし)貢(こう)を掲(かか)げよう。

頃は1848年3月であった。彼は1830年の王政壊滅、及び其の後の事柄に就き賢明なる見解を下して。

「あゝ、憐れなる王位よ!。世人が之を嘲(あざけ)り、非難し、陵辱(りょうじょく)し、賤(いや)しむ事、既に50年!。汝は丁度、子供が玩具(おもちゃ)を弄(いじ)くるように、猫が鼠を嬲(なぶ)るように。世人から玩弄(もてあそ)ばれた玩具(おもちゃ)にすぎなかった。

あゝ、天命!。汝の玩具(おもちゃ)は斯くの如くである。汝は王国を擅(ほしいまま)にしたものである。汝が之を建設し之を壊滅したのである。人は汝の意によって操(あやつ)られたる道具に過ぎなかった。汝はかって彼等の無益な計画を、嘲笑(あざわら)ったであろう・・・。友よ。吾等は地上の変遷(へんせん)を、重大視するに及ばぬ。吾等は此の地上に、幕営(テント)を定むべきものではない。例え地上の政府はどうであっても、天主と其の聖会は、万古不易である」

 其の後、彼は気遣はしそうに、こんな事を述べた。

「自由思想!。1793年に胚胎(はいたい)し、世界至る所に芽を吹き、侮(あなど)るべからざる果(み)を結ぼうとして居る。世の中は騒然(さわが)しく、世人はあらゆる絆(きずな)を脱して、自由を得んと叫んで居る。王位は動揺し、将に倒れようとして居る、不和の鬼神は無政府のタイマツを翳(かざ)し、革命の風を吹かして、此の世界を舐(な)め尽そうとして居る。

仏国は既に其の影響を受け、動揺甚だしく、どんな不祥事が突発するか、将来は実に暗黒である」

 当時の狂態は、若きテオフアノの心と精神に、非常なる不快を感ぜしめた。彼は既に世界を動揺せしめたる事変が、一日も速やかに治まる事を切望(のぞみ)み、其の家族と共に、其の美しい日を憧れて、早く年の暮れるのを待って居た。しかるに哲学科も、もう此の年内に卒業すると云う思念(おもい)が起こったので、歓喜(よろこび)と希望に雀躍(こおどり)して、すぐ様(さま)筆を執(と)った。

「ああ、もう一ヶ月と数日を経て余は生れた谷の、麗しき空を眺めるのである。麗しき希望!、美はしき将来の地平線!。如何に汝は余の眼に、美はしく映ずる事よ!

帰省の時!。如何に汝は美はしきものよ!。其の歓喜(よろこび)は如何なる言葉を以て、表す事が出来ようか。ああ、詩を以て表わそう。

大神学校の友人は、既に一ヶ月前に休暇を得て居るが、実に羨ましい事である回顧(かいこ)するに、学校生活も余り気楽ではなかった、併し、其の倦怠(けんたい)も疾(と)うに過ぎ去って、今や涼しい微風がそよそよと吹くような感じがする。幸い余は荊(いばら)の下(もと)に咲く、一輪の薔薇(ばら)を摘み取った象(かたち)であろう!。

いざかえって、暫時(しばらく)、谷間の涼しい風に恵まれよう・・・青年は其の霊肉を生かす為に、ゆたかな、変化ある、大自然を要求して小康を得たいのである。今迄、余は生きて居たのではない。今より生き初めるのである。総ての生物は現世(このよ)に於いて各自(それぞれ)、進むべき道をもって居る。各自(めいめい)異なった出発点と帰(き)趣(しゅ)とをもって居る、大洋が汪々(おうおう)と盤紆(うね)り、小川が涓々(チョロチョロ)と流れる大河が滔々(とうとう)と流れ草木が生長し動物が繁殖すると同じく人は生れて天主に向かって進むのである。只、各自(めいめい)其の方法を異(こと)にし、或る者は耕(たがや)し、或る者は思索(しさく)する等、夫々(それぞれ)人の必要に応じ提供せられたる手段を執らねばならぬ。例えば、社会の必要に応じて、政治を行うようなものである。畢竟人(ひっきょうひと)は各々(おのおの)異なりたる逕(み)路(ち)を辿って、死出の旅路を行くものである。人は撰択(せんたく)の自由をもたない。各自(めいめい)規画(きめ)られた行路(みち)を辿らねばならない。一度之を遠ざかれば、忽ち不秩序に陥(おちい)るものである。余は今、社会の真中に向かって突進し、兄弟の世話をしょうとして、焦って居る。其の観念こそ即ち余の進むべき行程(みち)である。

余は如何なる職務に就いても考慮したが、其の執(いづ)れも余を満足さすものは無い。そして何時も一つの理想に、到着するのである。其の理想とは何?。即ち、司祭となる事!・・・。

他日余はイエズスの兵卒となり、聖会の旌旗(はた)を翻(ひるがえ)して、押し進む時が来るだろう。其の日は遠からず来るだろう。後日(いづれ)東天(しののめ)の空に曙光(ひかり)の輝くのを見るであろう!。

余は今父の家に帰省(かえる)る思念(おもい)を楽しみ、やがて其の家から又、他の学校へ赴(ゆ)こう・・・」

 テオフアノがモン・モリョンを去るのを急いだのは、小神学校生活を厭(いと)うたからであろうか、否、そうでない、そんな感想は、微塵も無かったばかりでなく、却って優しい名残を惜しんで、其の祝された家を去ったのである。蓋(けだ)し彼の熱烈な霊魂は、聖霊に照らされて、霊妙なる運命に向かって進むのであった。その辿り来った路(みち)の、終点を距(さ)る数歩の地点に於いて、彼は己の志す目的を明瞭(あきらか)に認め、甞(かつ)て少年時代の志望の遥(はる)か彼方(かなた)に輝いて居る地平線に向かって、急速に歩(あし)を運んだのである。


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