祝 祭 日 の 説 教 集

待       節

(一)  待  降  節  の  心  得

 

いよいよ待降節となりました。待降節とは主の御降誕を待つと云う意味で、旧約時代の人々が大凡(おおよそ)四千年の間(ヘブレア文に従い)救い主を待ったと云う所から、今も毎年四週間づつ、御降誕前の準備をする事に定めてあります。昔、洗者ヨハネが主の先駆(さきがけ)となって人々に(くい)(あらため)を勧めた時、人々は深い夢から醒めたかの様な心持になって、今更の如く我が身の罪を恐ろしく感じ、「何を()たら可いのでしょう」と口を揃えて尋ねました。我々も御降誕が眼前にさし迫って来るに随い、イエズス様の施し給う聖寵を戴くが為「何をしましょう、何うしたら()いでしょうか」と我と我が心に尋ねて見なければなりません。その為には(1)旧約時代の預言者等の如く眠りを醒まし、(2)聖母マリアの如く心を清浄にし、(3)洗者ヨハネの如く主の先駆を務める必要があるのであります。

 

(1)眠りを醒ませ

眠りを醒ます!何処を見廻しても人は皆、孜々矻々(ししこつこつ)と立ち働いて居る、朝は星を戴いて家を出で、晩は月の光を踏まなければ帰宅せぬと云うほどに、毎日々々働いて居る、それに持って来て「眠りを醒ませ」と云うのは如何にも不思議のようであります。然し聖会が待降節の第一主日のミサ文中に「兄弟等よ、眠りより()くべき時は既に来れり」と云う聖パウロの御言(みことば)を読み聞かして居るのを以て見ると、世の中には随分眠りを貪って居るものがあると云う証拠ではありますまいか。実に大概の人は何処にか金の()る樹はあるまいか、福の神が待って居まいか、と眼を皿にして見廻って居るが、然し其の心の中に分け入って見ると、全く眠って居る、「(たす)(かり)に注意する人でなければ眼を醒まして居るのではない」と云うボスエ司教の言を(まこと)とせば、今の時代ほど人が活潑に働いて居る時、夜の目も合さぬ位に東奔西走して居る時は少ないが、また今の時代ほど「眠りより醒むべき時は既に来れり」と声を限りに叫ばなければならぬ時代はありますまい。

実に当代の人は其の智慧を充分に働かして、色々と学問の研究に没頭して居るが、ただ最も大切な(たす)(かり)の学問だけには全く眠って居る。其の体を働かして様々の職業に有らん限りの力を傾け尽くして居るが信者の勤めを果たすと云う点に就いては全く眠って居る。心を上げて天を眺めることがないものだから、愈々、下へ下へと落ち込んで行き,聖パウロの所謂「肉的人物」、即ち霊魂(たましい)()たない禽獣(きんじゅう)同様の人間になってしまう。禽獣同様に其の眼は地上にのみ注がれ、其の望みは現世だけに限られ、ただ食べるが為、飲むが為,着るが為、身を楽しませるが為にだけ働いて居る、そして飽くまで食べ、飽くまで飲み、望み通りに着、望み通りに楽しまれたら、もう全く満足し終わって、ゴウゴウと高鼾(たかいびき)をかき、心地よき熟睡に入り、些しも霊魂の事を思わない、行く末のことを慮らない、天主様に就いても、醒めてから直ぐ差し出さねばならぬ一生涯の総計算書に就いても、全く無関心で、一度でも考えたことすらないと云う位であります。

斯う云う塩梅に眠って居る人も、今こそ目を醒さねばならぬ時となりました。頭を擡げて自分の行く末を考へねばならぬ時となりました。

皆さんはカトリック信者である、熱心なカトリック信者である、それは疑いを容れざる所ですが、然しこの世智辛い浮世を渡るにつけ、毎日毎日せっせと働かなければ食べられぬと云う有様である所から、自然現世の事にばかり気を奪はれて、後の世の方をお留守になし、体の眼が明き過ぎて、霊魂(たましい)の眼が眠ってしまうと云うことになっては居ませんでしょうか、「兄弟等よ、眠りより()くべき時は既に来れり」

皆さんはカトリック信者である、天主様の存在を固く信じ、毎日毎日使徒信経を(とな)へて居られる、然し実際の行為に立ち入って見ると、天主様は皆さんの為に全くのエトランゼー(外国人)否な厄介な代物の如く扱われ給うのではないでしょうか。なるほど毎日天主様の為に幾らかの時間を()いて居られるでしょうが、然しその時間を成るべく少なく、ぎりぎりにして、漸く朝夕の祈祷(いのり)の時間だけに(ちぢ)めて居られることはありますまいか。その祈祷も何んな風に誦へて居られる?、無駄話をし、無駄遊びをして、一時間も二時間も費やしながら、天主様と朝夕、御話しをする僅か十五分の時間すら惜しんで、余りに長過ぎると思いなさいませんか。仕事片手に、ふらふらと居眠りながら、その大切な祈祷を(とな)へなさるのじゃありませんか。ひょつとすれば、犬や猫の如く何の祈祷も誦へないで、そのまゝ寝込んでしまい、又何の祈祷も誦へないで、其のまゝ起きて食べると云う塩梅ではございませんか、「兄弟等よ、眠りより起くべき時は既に来れり」

皆さんはカトリック信者である、天主様の御摂理を信じて居られましょう、慈愛(いつくしみ)に満てる眼を始終我々の上に注ぎ、如何なる父親も及ばぬ親切を以て我々の身を護り給う天主様、その天主様の御命令なり御許可なりが無くては何一つ我々の上に出来するものはない、しかもその御命令になること、御許可になることは、皆、我々の為を思い給へばこそ、と固く信じて居られるに相違ありません。然るに何かの災難に遭う、病に罹る、悲しい目を見ると、忽ち失望する、力を落す、折角、祝福を与へたい積もりで、自分を打ち給う天主様の御手に接吻することはさておき、何とかして之を()ね返そうとして居ることはないでしょうか。「兄弟等よ、眠りより起くべき時は既に来れり」。日曜日を正しく守るのは霊魂上のみならず、肉体上にも天主様の祝福を戴く所以である、その反対に「悪銭身に着かず」で、日曜日を守らずして働いても、天主様の掟を破ってお金を儲けても、却って貧乏の(もと)だとは、まさかお忘れになっていらっしゃることもありますまいが、(やや)もすると許可も受けず、ミサの代りの祈祷(いのり)(とな)へないで、働く人がある、たとへ許可を受けて居るにせよ、其の許可は日曜日に働かねば食べられぬとか、向うの都合で日曜日を休む訳には行かぬとか云う人の為に与えられる許可であるにも拘わらず、そんな必要もない人までが、矢張り日曜日も平日同様に働いて居ると云うことはありませんでしょうか、「兄弟等よ、眠りより起くべき時は既に来れり」

皆さんはカトリック信者である、人生の目的が天主様であり、天国であることは飽くまで御承知の所でありましょう。然るにその天主様を目指し、その天国を目標として進んで居るカトリック信者にして、往々路草を喰い、ただただお金を溜めよう、名誉を(あさ)らう、身に安楽をさせようとばかり心掛けて居ることはありませんか。天国に登る旅路の疲労(つかれ)を休めるが為にとて、余りにも軽卒な慰藉(なぐさめ)を求めようとすることはありませか。()んなものでも読もう、何んなものでも観よう、何んなものでも知ろうとすることはありませんか。それは未だ假睡(うたたね)に過ぎないかも知れぬが、油断をすると、やがては深い熟睡に陥らんとも限りませんよ、「兄弟等よ、眠りより起くべき時は既に来れり」

実に今です、今こそ目を醒ますべき時、眠りより起き上がるべき時であります、救い主御降誕の福音をかたじけのうしたのは、安い眠りを貪って居たベトレヘム人でなく、目を醒まして居た牧者(ひつじかい)(たち)でした。彼等は目を醒まして居たお陰で、賎しい牧者(ひつじかい)の身を持ちながら、真っ先に救い主を礼拝することが出来ました。然らば我々も主の御降誕を祝して、其の雨降(あめふら)し給う聖寵を豊かに蒙らんと欲して居る以上、是非とも目を醒さし眠りより起き上らねばならぬじゃありませんか。

「兄弟等よ、眠りより()くべき時は既に来れり」

 

(2) 清浄(しょうじょう)

 

 清浄(しょうじょう)と云うは強ち貞潔の徳ばかりを指すのではなく、すべて罪の汚れのない、雪の様に美はしい姿を云ったものであります。聖母に対して惜し気もなく聖寵をお与へになった天主様は、我々にばかりそれを吝み給う筈がありません。なるほど聖母は特別の御恵みによって、原罪を免れさせ給うたのに、我々は却って罪の中にやどされたものであるが、然し洗礼を授かった時、其の罪の汚れは綺麗さっぱりと洗い落とされた、悪魔は逃げ失せてしまった、我が身は聖霊のお住まい遊ばす神殿となり、信、望、愛の徳を与えられ、聖会の一分子となり、天主様の愛子、イエズス、キリスト様の兄弟として、天国の(ゆずり)を受くべき権利さへも与へられたのであります。

聖母は天主様の聖寵に(したが)い、いよいよ善を修め、徳を積まんと欲し、幼少の頃から身も心も天主様に(ささ)げ、専らその()(こころ)(かな)うようにと努められました。我々も洗礼を授かった時、頭に白い被布(おおい)を戴き、罪の汚れを洗われ、霊魂は雪の如く綺麗になったのだと(さと)されたのでありますが、さてその聖寵の白衣は今何うなりましたでしょうか。手には火を附けた蝋燭(ろうそく)を持たされましたでしょう、「天主様の愛の(ほの)()がお前の心に燃えて居る象徴だ・・・何時迄もその愛の火焔を消してはならぬぞよ」と注意されたのですが、何時迄その焔を消さずに保って参りましたでしょうか。

あゝ我々はマリア様ほど用心をしなかったのです。何でも見る、何でも聴く、何でも読む、どんな人とでも交際すると云うようにして、心は次第に冷やゝかになって参りました。悪魔に抵抗し、浮世の欺瞞(だまし)の手を()退()ける力が弱って参りました。目を閉じねばならぬ時も閉じずに眺めました。耳を(ふさ)がねばならぬ時にも却って之を(そばだ)てゝ、良からぬ話しを入れました。斯くて知らず識らずの中に、(すべ)ってころんで、深い穴に落ち込んだのではありませんでしょうか。ボスエ司教も()った如く「罪悪は人が驚いて逃げ出すような怖ろしい容姿を有って居ない」否、却って人を引き付ける美しい化けの皮を被って居るのです。殊に我々は異教者の中に雑居して居ます。所で異教者には罪と云う観念が殆んど無い、警察の厄介になるとか、赤い衣を着せられるとか云うことでなければ、何を()たからとて罪ではない位に考へ、平気で様々の悪事を物語って居るのです。それを聴くに連れて、我々までが、罪の観念を失って来る、罪は我々を造り給うた神様に謀反することだ、我々を子の如く愛し、身を以て我々の救贖(あがない)となって下さった御主(おんあるじ)に対して一方ならぬ忘恩の沙汰であるのだ、と云うような考えが次第に薄れてしまう・・・崖の上の柵を取り除けたら、何うして深い淵に落ち込まずに済みましょうか。皆さんの中にそうして罪の崖へ足を滑らせ、深い淵へ落ち込んだ御方がありますならば、この待降節に当って何うぞ聖会のお勧めにお耳を傾けて下さい、「汝等、今日身を潔くせよ、明日は神の光栄を見ん」と云う聖会のお(すす)めに耳を傾けて下さい、「汝等今日身を(きよ)くせよ」今日、即ち御降誕迄の間に身を潔くせねばならぬ御降誕の際に、マリア様、ヨゼフ様は日もとっぷりと暮れてしまうまで、此処(ここ)彼処(かしこ)とお宿をお探しになっても探し出し得なさらぬ、戸籍の調査(しらべ)をする役人だとか、お金を持った旅人だとかが旅館には満ち(ふさ)がって彼のナザレトの貧しい夫婦の為には、小舎(こや)の片隅さへも貸してくれるものは居ないのでした。実に神の御子に一夜を安らかに明かさせて上げようと云う親切な人に一人も居なかったのであります。

 

今日でも()うじゃありませんか。毎年毎年御降誕の祝日が参りましても、心の門は堅く(ふさ)いで、イエズス様を入れまいとします。イエズス様はそんな人の方へいらして、トントンと心の門を叩き「開けて下さい、這入らして下さい」とお願いになります、「あなたは良心の責めに悩まされて居るようじゃ、開けて下さい、私は平安を()って居るのです・・・あなたは罪を恥かしがって居るのでしょう、私は再生(いきがえ)らして上げますよ。あなたは幸福(さいわい)を望んで居るのでしょう、私は永遠の喜悦(よろこび)(たずさ)へて居るのです。開けて下さい、あなたは()を欲しがって居るのでしょう、私は最上の()ですよ。開けて下さい、あなたは愛を望んで居ますでしょう、私は無限の愛ですよ。開けて下さい、あなたは死んでいらっしゃるようです。私は復活ですよ、生命ですよ」御降誕が近づくに随い、斯う云って、益々強く叩いて下さる。あゝイエズス様は我々を救い上げたいばかりに、光眩(まばゆ)き天の玉座を棄て、馬屋の藁の上にお降りになるのじゃありませんか。「空間(あきま)がありません」と何人(だれ)()えて答へ得るものがございましょう?「汝等今日身を潔くせよ」今日は痛悔の日です、復活すべき時です、喜びの時、天主様の前に平伏(ひれふ)して罪の赦しを願い,和解をする時です、「汝等今日身を潔くせよ」

嘗って大罪を犯し天主様に背いたことのない御方にせよ、一応は背いたにしても、早や痛悔して、その罪を赦された御方にせよ、矢張り身を潔くせねばならぬ訳があります。なるほどイエズス様を戸外に立たせ申しては居ませんでしょう、心のお座敷に御招待申し上げて居ますでしょう、然し其の御座敷と云うは、イエズス様に相応(ふさわ)しいお座敷でしょうか。真暗い洞穴(ほらあな)に似て居ないでしょうか。藁屑の散らかった不潔な、冷たい、じめじめしたベトレヘムの馬屋のようではないでしょうか。小罪や、不足や、欠点だけではありませんでしょうか。

然らば罪人たると否とを問わず、何人しも心を潔くせねばならぬ、告白場にかけつけて、己が罪を正直に告白し、様々の罪悪や、不足や、過失やを追い出して、其の跡にイエズス様をお迎へ申すことにせねばならぬ。やがてイエズス様は我々の心の中に這入り、我々を愛する印として、我々の食物とまでおなり下さるのであります。

 

(3)洗者ヨハネの如く先駆(さきがけ)とならねばならぬ

ヨハネは人々に向かって「汝等の中に汝等の知らざる一個の人立てり」と申しましたが、思って見ると、是は何うも怖るべきことであります。ヨハネの頃の人はイエズス様を()らなかった。でも其の時までイエズス様が奇蹟を行いなさった訳ではなし、福音を宣べ給うたのでもなかったので、識らなくても罪ではないのでした。然し今日ではイエズス様の御教を学び、その驚くべき奇蹟を研究して見たならば、イエズス様が真の神、人類の(あがない)(ぬし)にて(ましま)すことを(さと)れぬ筈はない。然るに我国ではそれを悟らない人ばかり、悟って居る人は僅かに十万足らずであります。で皆さんはカトリック信者として、洗者ヨハネの如く、先駆(さきがけ)の務めに当って、世の人にイエズス様を()らしめるよう、お務めになる必要があるのであります。ヨハネは人に痛悔(つうかい)を勧める前に先づ自ら苦行をいたしました。荒野(あれの)に引籠もり、口には(いなご)、野蜜を食い、身には荒っぽい駱駝(らくだ)()(ころも)を着けて苦行をなし、善を修め、徳を積み、然る後口を開いて教を説かれたのですから、人々は群れをなして其の足元に集まりました。皆さんも世の人にイエズス様をお()らせなさらねばならぬが、其の為には第一に皆さんの(ことば)(おこない)が世の人の模範と仰がれ、流石にカトリック信者は感心なものよと、平素御教を嫌って居る人迄が感服すると云う程であらねばなりません。もしや其の反対に出でて信仰は冷淡に、行いは乱れ、異教者のそれと格別異なる所がないと云う人、人目を(はばか)り恐れて、自分の信仰を包み隠そうとする人、甚だしきに至っては、罪とイエズス様とを一緒に繫ぎ合わせようとし、(あした)には祈祷(いのり)(とな)へ、ミサに(あずか)り、信仰の務めに従事するが、夕べには夫婦(あい)(ののし)り、人を悪言讒謗(ざんぼう)し、良からぬ遊興(あそび)(ふけ)ると云うような人は、カトリック信者の名を汚して居る、聖会の顔に泥を塗って居る。それでは主の先駆(さきがけ)となるよりか、寧ろ主に反対する、主の大敵となると()うより外はありますまい。「汝等の為に、我が名は異邦人の間に(けが)さる」と天主様が仰しゃつたのも、実に無理からぬ次第ではありませんか。教えを説く前にヨハネは聖書を研究せられた。天主様から御命令の下さる迄は、荒野に籠って救い主に関する予言を調べて準備をなさったに相違ありません。皆さんも教理を研究なさい。夫は第一、我が為でカトリック信者の信仰は(めくら)信仰では駄目です。訳の分かった信仰であらねばならぬ。其の上人に攻撃を浴びせられた時、之に反駁の矢を射返す位は知って居なければならぬ。次に人の為で、真の道を知らず、暗黒裡(くらやみ)彷徨(さまよ)って居る人に、教えの話を一口でもして、その目を開けて上げたら、水に溺れ,火に焼けつゝあるのを救い出して上げるよりも、其の人に取っては有難いことではありませんか・・・その為には、善く説教を聴き、公教要理に出席し、教書を熱心に読み、自ら大いに悟る所があらねばなりません。教えの旨を分かった上では、人に話しをします。何人に向かってそんな話しをしますか。それは各自の境遇、知識の程度に由ることで、一概には申されませんが、第一自宅に於いて親は子供に、(きょう)(だい)弟妹(きょうだい)に、夫は(つま)に、(つま)は夫に話すことが出来ませんか。隣近所にも教を知らない、祈りも知らない子供が居ませんか。之に祈りの一口でも、教理の一条でも教へられないでしょうか。冬の長夜には、そんなことをする余裕(ひま)が十分あります。平生(へいぜい)往来して居る異教者と談笑をする間に、一寸,宗教談を(さしはさ)むことも出来ないことはありますまい。要するに我々は昔の預言者等の如く、旧約の聖人等の如く,熱い信仰を以てイエズス様をん熱望し、聖母マリアの如く、心を潔くして、イエズス様の為に御座敷を用意し、洗者ヨハネの如く、イエズス様を人に識らしむべく決心せねばなりません。もう幾日かの後に天使等は、「天に於いては神に光栄」と、お歌いになります。御父の永遠の御子なるイエズス様、無限の愛,底知れぬ哀憐(あはれみ)のイエズス様、我々の兄弟、我々の友なるイエズス様はこの塵の世にお降りになります。何うぞ皆さん、胸は喜びに躍りつゝお待ち申しましょう。心の門を大きく開いて、この大王を歓迎し奉ることに致そうではありませんか。

ニ) 三 つ の 御 降 来

待降節は、イエズス・キリストの御降誕をそれ相当に祝する為の準備を、信者になさしめんとて定められたもので、確かに祈祷と苦行の時であります。四旬節が御復活を迎うべく、準備する為の時期であるが如く、又、奮世界の四千年が救い主を迎へる為の準備期であった如く、待降節も御降誕祭に備へる為の時期なのであります。

この待降節中に聖会は、救い主の三つの御降来を眼中に置いて居るのでありますから、それに就いて一寸考えて見る必要があろうかと思われます。

イエズス様が千九百幾十年の昔、人の肉を着け、人の虚弱を纏ってこの塵の世にお降りになりましたのが第一の御降来で、毎日毎日聖寵を以て我々の心にお降りになりますのが第二の御降来、第三の御降来は世の終に当って、すべての人を裁かん為に、光眩き御威光を輝かして、お降り遊ばすのを云うのであります。第一の御降来は如何にも隠れた、謙遜きはまるものでした。第二の御降来は神秘的で、肉眼には触れないが、然し温かい愛に充ちたものであります。

第三の御降来は威勢赫々として悪人には非常に恐ろしく、善人には如何にも芽出度いものであります。

(1)第一の御降来 神の御子は地の(おもて)一新(あらたに)せんが為にお生まれ遊ばした 聖会は近々

第一御降来を記念せんとするのであります。

神の御言(みことば)が人となり、我々の中に住み給うに至ったのは、人間の罪を償い、サタンの国を滅ぼして、神の御国を再興し・・・且つは我々に教へ、天の道を示さんが為でした。

実にこの第一の御降来は、地上に光と平和と(すく)()とを(もたら)したのでございます。試みに御降誕前の世界が如何に(びん)(ぜん)きはまる状態を呈したものであったかを思いなさい・・・その(びん)(ぜん)きはまる世界も御降誕後には、真個(ほんとう)なアブラハムの子供が熱心に待ち焦がれて居た御降誕後には、如何に大なる変化を来し、如何に深い深いみじめさのドン底から救い上げられたで御座いましょうか。

我々の運命を、キリスト信者たる我々の運命を、旧約時代にあって最も豊かな天恩に浴せし人々のそれに比べて御覧なさい。

彼等が四千年の間、天に向かい、雲に向かい、地に向かい、懇願して止まなかったその救い主は、「我等と共に(ましま)す神」とおなり下さいました。太祖、預言者等が、待ちに待って待ち望んで居たその大なる幸福(さいわい)をば、我々は早や(わが)(もの)として居るのでございます。

我々はそれに就いて天主様の御摂理を熱く感謝していますか。天主様が我々に生命(いのち)を与え、現世(このよ)に生まれ出さしめるにつけて、その時期を救い主の御降誕後にお定め下さいましたことを心から感謝して居ますでしょうか。世にはこの測り知られぬ御恵みを考える人が幾何(いくばく)あるでございましょうか。異教者の如きは、この御恵みの何であるかと云うことすら思わずして、この世を渡り其の日其の日を送って居るではありませんか。

彼等の為に祈り、又、及ぶ限り活動もして、彼等を改心に導き、折角、主が(もたら)し下さった救世の御恵みに(あづか)らしむべく務めるこそ我々信者の義務ではないでしょうか。

 

(2)第二の御降来(ごこうらい) 主は今日一人づつの霊魂に神秘的にお生まれ下さる 神の御子は廿世紀前にその深い御憐(おんあわれみ)れみの上より現世(このよ)にお降りになり、我々人類をお見舞い下さったけれども、若しそれだけに止まって、その以後も絶えず我々一人づつに来り、その貯蔵(たくは)へ置き給える泉源(いずみ)より盛んに聖寵を流し、以て我々に超自然的生命を与え、之を養い、之を完成さして下さらないならば、折角の御見舞いも全く徒労に帰すのみでございましょう。

斯うして主が始終我々を訪れ、聖寵を施して下さいますのは、実にすべての人の心を感動せしむるに余りある程の一大玄義ではありませんでしょうか。

この慈愛(いつくしみ)限りまさぬ救い主は、我々が御自分の御姿を御父の意によく適い給える御自分の御姿を我が身に(あら)()す様にならなければ、決して御父に喜ばれるもので無いことを御存知あそばして、如何いたされましたか。

自ら我々に来たりて、我々を御自分の如くに一変させ、我々が早や我々自身の生命でなしに、御自分の生命を以て生き、「我は()くと(いえど)も最早や我に非ず、キリストこそ我に於いて()き給うなれ」と言い得る様、御父が我々を御覧になった時、「あゝ是れこそ我が意に適う我が愛子(あいし)である」と仰しやって下さいます様、お計らいになりました。

斯くて人は原罪によって堕落した以上に引挙げられ、全く超自然化されたのであります。

人を神聖化する、是こそ聖会に委託された崇高(すうこう)な任務であって、聖会は司祭の力を()りて、夜も昼もその任務を遂行して止まないのであります。

待降節特有の聖寵とも()うべきは、この四週間内にイエズス様が殊更ら頻繁に我々の心の戸を叩いて下さることであります。心の中に場所が見付かったら、這入ってこゝにお生まれになる思召しからそうして下さる、義人にはその霊的生命を長養(ちょうよう)し、罪人は死の蔭より之を引き起こして、聖寵の気息(いき)を吹き返させたい思し召しから然うして下さる、「罪人の死を望まず,立ち帰って()きるのを(しき)りに望んで」然うして下さるのであります。

我々は幸いキリスト信者であるが、ただ自分一人その救いの御恵みを(かたじけな)うした(ばか)りでは足りない。

また主を助けてこの有難い御計画を実現させ奉つらねばならぬ。

主が霊魂に入らせ給うべき道を備えましょう。

その(こみち)を直しましょう。

傲慢の山を切り下げ、落胆、小心の谷を埋めましょう。

あらゆる障碍(じゃま)物を取り去りましょう。

(もと)より我々は弱い。

然し天主様が我々と共に(ましま)して、その御力を添え給うたら何一つ出来ないことはありません。

先ず我々自身がそのありがたい御見舞いを忝うすべく用意しましょう・・・して我々に奮発心を振り起させ、之を持続させる為には、希望ばかりか、更に恐怖(おそれ)までが手伝ってくれるのであります。

 

(3)第三の御降来 神の御子が、世の終に総ての人を裁かん為に来り給うこと 御降誕の間近になっても、多くの人がベトレヘム人の面白からぬ無関心に(なら)い、自分等の間にお生まれ下さる救い主を知らぬ顔で、お()け申そうともしないのを見て、聖会は痛嘆(つうたん)に堪えない、「その領民は彼を受けざりき・・・彼等に所あらざりき」と云う(ことば)が今も実現されるのを見ては泣き出したく思うのであります。

よって我々を激励し、出来るだけ救い主をお()け申す気になすが為め、百方手を尽くして止みません。

その典礼中にも、嘆願の声や、痛悔(つうかい)の叫びばかりを聞かして居ます。

大使徒聖パウロの叫び、イザヤ預言者の叫び、ヨルダン河畔に於ける洗者ヨハネの獅子吼(ししく)、救い主御自身の御叫びをも説教師の声に合わせて響かせ、以て人々に惰眠(ねむり)()まさせようとして「眠りより起玖べき時は既に来れり」と呼ばります。

真面目に罪を痛悔(つうかい)し、之を償はしめんとて「痛悔(つうかい)に適はしき実を結べ」と勧めます。

(つい)には悪にこびりついた心を引き起こすが為、恐ろしい公審判の話をして斯う申します。

哀憐(あわれみ)か正義か、罪を取り除けて之を救うが為に来り給う温和なる羔か、厳しい罰を降すが為に来り給う恐るべき獅子か、二つに一つを選びなさい。

只今如何にも感心な愛らしい姿をして、馬槽(うまぶね)の中にお生まれ下さる救い主をば、愛を以て受け奉るならば、後日生ける人と死せる人とを裁かん為に来り給う時、何の恐れる所もありますまい。

却ってその凱旋の光栄を共にすることも出来ましょう。

然し今その御見舞いの時を知らず、之を利用することを怠った人はホントウに可哀相です。

自分の為に馬屋に於いて泣いて下さった愛らしい御子をば、心の門を(ふさ)いで受け容れなかった罰として“山よ、我等の上に落ちよ、丘よ、我等を(おお)うてよ”と失望の叫びを挙げる時が参りますよ」と注意を促すのであります。

皆さんは是等の恐ろしい真理を耳にするだけに(とど)めて、我が身に之を引き当てないでは足りません。

主の豊かな御恵みに浴して居る基督信者の為に、公審判は特に大なる光栄を来たすか、或は堪え難い恥を与えるか、二つに一つであります。

何うぞ皆さん、この待降節の始めに当って、聖会の思し召しに従い、己が霊魂の必要を顧み、次に他人の(たす)(かり)をも計るべく適当な決心をお立てになります様、私は(ひとえ)にお願ひいたす次第であります。

 

 

(三)眠りより起くべき時は既に来れり(ローマ書13ノ11以下)

待降節の第一主日に聖会は聖パウロの言を借りて、我等に「眠りを醒ませ」と警告します。

(1)   「眠りより起くべき時は既に来れり」 人は眠って居る間は死人も同様で、自分は如何なる義務を負はされて居るか,如何なる危険に出遭(でくわ)して居るかと云うことすら全く分かりません、ただもう面白い夢でも見て居るか、恐ろしいものにでも襲われて居るかであります。心が眠ってしまった時もやはりそれと同じで、我と我が身の上がさっぱり分かりません、自分の義務は如何、責任は如何、自分の霊魂は今どんな危難にさし掛かって居るか、後日、如何なる運命に見舞はるべきであるか、そんなことは少しも気にしない、平気で地獄の口に寝返りを打って居ると云うような塩梅(あんばい)でございます。

皆さんの中には()(さか)そんな御方はございますまいが、若しか一人でもそんなお方がございましたら、何うぞ早く目を醒まして下さい。「眠りより起くべき時は既に来れり」何時までも高鼾をかいて居て、地獄に落ちてから、やっと目を醒ましては、もう余りに遅過ぎまして、何を何うすることも出来るものではありますまい。なぜ早く目を醒まさねばなりませんか、「(けだ)し信仰せし時よりも我等の(たす)(かり)は今や近きにあり」と聖パウロは申されました。即ち天主様の教を信じてから、洗礼を授かってから、心を改めてから、毎日毎日(たす)(かり)に近づいて居る、最後の到着点に向かって進んで居る、我々を裁き給う天主様は直ぐ近くに待ち構へていらっしゃる、我々の為して居る善業,忍んで居る艱難苦労、流して居る涙に対して十分の報酬(むくい)を与へんものと()ち構へていらっしゃるのですから、何時までも眠って居てはならぬ、早く眼を醒ましてますます善を励み、いよいよ徳を積んで、其の時の為に備えなければならぬのであります。

イエズス様は今こそ救い主として御生まれ遊ばすのですが、また世の終には我々を裁かん為に、大いなる御威光を輝かしてお降りになるでございましょう。其の時こそ善人は、一生の間に行った善業の報いを得て、終なき(さい)(わい)に入るのですが、罪悪の中に眠り込んで、待降節になりましても、目を醒まそうとはせず、折角の御降誕、その御降誕の御恵みをも無駄にして、顧みないような悪人は如何な罰を蒙るべきでございましょうか。善人の為には日に増し救霊が近づくのですが、悪人の為には日に増し滅亡が近づくのであります。油断をしてはなりません。

「夜は更けたり、日は近づけり」イエズス様の御降誕あそばす迄と云うものは世界は全く夜でした。人は(まこと)の神を知らず、(まこと)の道を悟らず、それこそ()暗黒(くらやみ)の中に彷徨(さまよ)って居たものであります。所でキリスト様は真理の源、正義の太陽に(ましま)して、この太陽が一たび東の山の()にさし昇りますと、夜が明けて美しい昼となったのであります。

夜になると人は出て働くことが出来ませんので、皆、眠ってしまいます。ただ狐狸の如き害物、盗賊の如き悪漢だけが夜の(やみ)を幸いにして這い廻るのであります。然し一たび東の空が白み渡って参りますと、狐狸は穴に引き込み、盗賊は隠れ家に(ひそ)み、眠って居たものは眼を醒まし、外に出て働くようになります。霊魂上にもその通りで、心に罪悪の(やみ)が立ち立ち()めると、人は何時の間にか深い熟睡に陥って、自分の義務を怠り、(たす)(かり)の大切なことも思わぬようになってしまう。のみならず、そんな人の心には情慾だの、悪魔だの、世間だのが勝手に這い廻って、恐ろしい害を加えるのであります。

若し我々が今日まで然うでもあったとするならば、もう待降節になり、救い主の御降誕も間近になりまして、東の空には、曙の光がそろそろ(ただよ)うて来たのですから、之を機会として、早く眠りを醒まさねばなりません。早く情慾を圧伏(おさ)へ、悪魔を追い退け、世間と手を切って、此れ等の害物を引き込ましてしまはなければなりません。

 

「されば我等は(やみ)の業を棄て光の鎧を着るべし」、昔は鎧を着けて戦争をして居ましたが、御存知の通り、此の世は戦いの場、我々信者は皆キリスト様の兵士でございますから、信、望、愛や其の他キリスト信者の行うべき徳を身に鎧いまして、情慾に向かい、悪魔に向かい、世間に向かって始終戦わねばなりません。

此れ等の敵が我々の心に(たて)(こも)って居ましては、(とって)もキリスト様が入らして下さる訳には参らぬのですから、待降節には是非とも光の鎧を身に着けて,勇敢に奮い戦い、(やみ)の業たる罪、その罪の原因たる悪魔、世間、情慾を叩き伏せてしまわなければなりません。

「日中の如く正しく歩むべくして餐食(とうしょく)酔酗(すいきょう)、密通と淫乱、争闘と嫉妬とに歩むべからず」悪事を働くものは光を避けて暗い所に(もぐ)り込みます。

昼は人目もある、恥ずかしい、然れでも夜は誰も見て居ない、憚る所がないと云うもので、酔酗(すいきょう)もすれば、餐食(とうしょく)もする、邪淫(じゃいん)も犯せば、争闘もやるのであります。

我々も異教の(やみ)に閉ざされて居た頃は、天主様の聖寵に十分照らされない頃は、そんなことを行って居たにせよ、今はもう聖寵の眩しい光を浴びて居る。

早や我々には夜の(やみ)はない、何時も昼ばかりです。何時も天主様が煌々(こうこう)たる光を輝かして居られるのですから、たとへ独り居る時でも、暗い室内でも、遠い旅の空でも、天主様と共に居る、人が見て居ないでも天主様が見ていらっしゃる、我々の言を聴き、我々の行いを見、我々の心の底までも見通して一々記憶に止めていらっしゃる、一つでも見落としたり、忘れたりし給うようなことはないのだと思い、それだけ身を慎み、行いを戒めねばなりません。

昔一人の淫奔(いんぽん)な婦人がエフレム聖人を罪に(いざな)いました。

聖人は声を荒げて叱り飛ばしなさるかと思えば、然うでもない、「よしよし貴方の仰有る通りに致しましょう。

然しそれは町の真ん中で、一番人通りの多い所でするのですよ」とお答へになりました。

流石の婦人もそれには参りまして「そんな人通りの多い所で、(はづか)しくて()れますか」と申しますから、聖人は茲ぞと「貴方は人目が(はづか)しいと云う位ならば、何うして天主様の御目が(はづか)しくないのですか、天主様は何処にでも(ましま)して何でも見ていらっしゃるじゃありませんか」と云って、その婦人の不心得を篤とお戒めになった、と云う話しであります。

我々もその通りに天主様から見られて居る、聞かれて居る、()られて居るのですが、是迄は一向それを思わないで居たものでした。

然し御降誕が間近になるに付けて、此道理を思い出し、人の見て居る居ないに拘わらず、人の前に(はづか)しいと思うようなことは断じてしない、殊に飲食に(ふけ)るとか、放蕩をやらかすとか、喧嘩口論をするとか、遺恨を含むとか、そんな(はづか)しいことはきっぱりと止めてしまうと決心せねばなりません。

「却って主イエズス、キリストを着よ、且つ悪慾起るべき肉の(おもんばか)りを為すこと勿れ」御降誕になると夜が明けるのである。汚らわしい(やみ)の業はスッカリ止めてしまい、却ってイエズス様を身に(まと)い、イエズスの如く思い、イエズス様の如く言い、イエズス様の如く行い、ちょうどイエズス様を身に着て居るかの様、何処から見ても、イエズス様そっくりと云われる様にならなければならぬ。

そうなってこそ始めて御降誕の準備が立派に出来る訳であります。

 

(四) 御   托   身

 

(1) 神の御子が御托身あそばすまでと云うものは、人類は如何に(びん)(ぜん)極まる状態にあったかを思いなさい。極少数の信仰者を除けば,他は(ことごと)く人生の目的を忘れて居ました。

悪魔は到る所に神と祭られ、傲慢や、快楽や、金銭や、そんな邪慾がすべての人の心を我が物顔に占領し、神と云う観念は日に増し人々の頭から消え失せるのでありました。

「神を(おそ)るゝ人は絶え、誠ある者は人の子の中より消失(きえう)するなり」(詩篇十一ノ二)とダウイドも嘆いて居ます。ユデア人ですら多くは神に遠ざかり、救いの道を踏み外して、異邦人と大した違いは無い位になって居ました。洗者ヨハネが彼等を(とが)めて、「(まむし)(すえ)よ、来るべき怒りを逃るゝことを誰か汝等に(をしえ)しぞ」(マテオ三ノ七)と()い、キリスト様も「汝等は悪魔なる父より出で、敢えて己が父の望みを行う」(ヨハネ八ノ四四)と(のたま)うたのを以て見ても知られるでございましょう。

一口に申しますると、天主様は殆んど何処にも認められず、愛されず、仕えられ給はず、日々地獄へ堕落する者は数えるに(いとま)ない程でありました。人間は斯んなに堕落し、腐敗し終ったのですのに、天主様は何うして之に情けを掛け、之を救い上げようと思し召し下さったのでございましょうか。

何と申しましても、至聖、至義に(ましま)して、「不信仰者も、その不信仰も神は憎み給う」(智書十四ノ九)だの、「主の目は清くして悪を見給はず、敢て不義を顧みること(あた)はず」(ハバクク一ノ十三)だのと聖書にも記してある位ですから、もう全く人類より御眼を背向(そむ)け、謀反を(はか)った天使も同様に之を処分して、厳しい罰を加へ、少しも容赦し給はぬが当然ではなかったでしょうか。

天主様は限りなく偉大に(ましま)すのですから、恩を恩ともしない、御憐(おんあわれ)みを蒙りながら、却って無関心である、却って侮辱する、却って反抗する、心は悪にしがみ着いて離れようともしない様な忘恩者だと見給うては、之に情けをお掛けにならぬのが、その御光栄(みさかえ)を計り給う所以ではなかったでしょうか。

然しながら若し天主様が御自分の偉大さ、御自分の正義ばかりを思って下さいましたら、人類は如何(どう)なりましたでしょう。我々は今何処に居なければならなかったでしょう・・・天主様の御憐(おんあわ)れみの限りも(はて)しもないことを思い、我々を罪悪の中にお見捨て下さらなかったことを篤く篤く感謝しなければなりません。

(2) 御子が御托身あそばすに当って、何を目的とし給うのでありましたでしょう。我々に天主様を認めさせ、愛させ、之に仕へさして、人生の目的を(つらぬ)かしめ、()って以て天主様の御光栄を揚げ奉ると云うのが、御托身の目的ではなかったでしょうか。

() 御子は人となって我々に天主様を認めさして下さいました。実に御托身は天主様の御徳を手に取る如く明白(あきらか)にしたものであります。神にして人たる御身を以てしなければ、相当に礼拝すること出来ないのを以て見ますと、天主様の偉大さが明らかに読まれるでございましょう。人性と神性とを一致さして、御自分の御光栄(みさかえ)を揚げ、人間の(たす)(かり)を計るべき方法を御発明になったその御智慧、是も感ずべきの至りではございませんか。その加えられ給うた侮辱は、天主様に由ってでなければ償はれないと云うことを思わば、その正義がはっきりと見えるでございましょう。罪深い人間をそのまゝ永遠に(しり)()け給はないで、之を憐れみ、之をお救い下さいました御憐れみも亦感ずるに余りあるではございませんか。(つい)にその愛の程を思いなさい。ただ我々に天地万物をお与え下さったのみならず、己自らをも救い主としてお与え下さったとは、実に何と云う驚くべき愛でございましょうか。

 

(ロ) 御子は人となりて、我々に天主様を愛さして下さいました。

被造物は人を天主様の方へ案内せねばならぬ筈なのに、却って人の心を残らず自分に奪い取って、天主様から遠ざけてしまいました。で御子は自ら人の心を占領して、之を愛の支配に属せしめんが為、何をなさいましたか。人間は五官の奴隷となり、感覚に支配されるものですから、五官に触れ易い肉体を着けて、現世(このよ)にお(あら)はれになりました。

人間が被造物の愛に()かれるよと見て、御自分も一個の被造物となり、人間の一人となられました。

いよいよ人間の心を奪うが為、自ら愛の教を垂れ、御鑑(おかがみ)をお示しになりました。大なる愛の掟を授けて、「汝心を尽し精神を尽し霊を尽し、力を尽くして主なる汝の神を愛せよ」(マテオ二二ノ三七)と繰り返し、繰り返しお命じになりました。

御降誕から御死去に至るまで、その御一生涯を思いなさい。

我々を救はんが為、その総ての思いを、そのすべての愛情を、そのすべての事業を、その人性も神性も残らず投げ出して下さいました事を思いなさい。

人間に対して愛の掟を十分にお守りになり、斯くして天主様を愛する気になして下さったのじゃありませんでしたか。

(ハ) 御子は人となりて、天主様に仕え奉る道をお示し下さいました。

掟は幾ら立派でも、そればかりでは如何に天主様に仕え奉るべきかを悟らせるには足りません。

よって御子はただ言葉を尽してそれを教へ給うたのみならず、また自ら模範をお示しになりました。

その御生涯と云うものは、身を(なげう)って御父(おんちち)に奉仕されし活きた御鑑(みかがみ)でした。

もう聖母の御胎(ごたい)に御やどりになられた其の時から、一身を御父に献げ「主よ、犠牲(いけにえ)献物(ささげもの)とを(いな)みて肉体を我に備え給へり・・・我言へらく看給(みたま)へ、神よ、我は御旨を行はん為に来れり」(ヘブレア書一〇ノ七)と、斯う(のたま)うて、主は初めから我が身を(ささ)げ、専ら天主様の御旨(みむね)を行い、我々にも御掟(ごおきて)をすべて忠実に守り、心から之に仕へ奉らねばならぬとお(さと)し下さいました。

身を以て犠牲(いけにへ)となり、有ゆる苦痛をおし(こら)へ、十字架にまで(はりつ)けられて御死去あそばしたのも、幾ら辛かろうと、苦しかろうと、飽くまで天主様に仕えて(かは)る所があってはならぬと、実物教示をして下さったのであります。

何方(どなた)もイエズス様が御托身あそばすに付けて、抱いて居られました美しい御志の程を注意深く打ち眺め、その感ずべき御志に(のっと)る為の聖寵をお祈りなさらねばなりません。

 

(五) 聖 コ、ザ (十二月三日)

(1) 天に輝ける無数の聖人の中にも、我々日本人が特に尊敬せねばならぬのは、聖フランシスコ、ザベリオでございましょう。聖人は千五百六年、西班(すぺ)(いん)(スペイン)の貴族に生まれ、長じて仏国のパリー大学に学び、卒業の後、同大学の講師となられたのですが、(もと)より学は深く、才智は百人に勝れて居られましたので、非常な評判となり、行く行くは名声を世界に轟かし、高い地位にも在りつかんものと、只管(ひたすら)そればかりを夢見ていられました。然るに其の頃、同じパリー大学に勉強中なりし聖イグナチオは、神の光栄(みさかえ)を揚げ、人の(たす)(かり)(はか)るが為、一個の修道会を創設しようと思い立って居られました。が(ひそか)に聖フランシスコの人と為りを見るに、学問と云い、才智と云い、その気象の勇壮さと云い、少しの申し分もないので、もしこの人が一身を(なげう)って主の為に尽くす気になったら、どんな偉い働きを為し得るだろうかと思い、次第に之に近づき、折を見て(たす)(かり)の大切なることを説き、「人全世界を(もう)くとも、若しその霊魂を失はば何の益があらん」(マテオ十六ノ二六)と云う主の御言葉を繰り返しなさるのでありました。フランシスコも初めは左程でもありませんでしたが、幾度も幾度もその御言葉を聞くに随い、次第にその真意が分かり、浮世の(はかな)(たの)むに足りないことを悟り、殊に聖イグナチオの勧めに応じて、一ヶ月間心霊修行をなさってからと云うものは、全く生まれ変って、別人の如くなり、もう浮世の名誉や快楽やを恋い慕うことはさて()き、深く謙遜して、他人に使役(つか)はれるのを楽しみとし、病院に入って患者の寝床を整へたり、腫れ物を包帯したり、時としては臭い臭い()()を流して居る患者を抱いて、その()()を吸出ししてやったりするまでに至られました。後、印度伝道にお出掛けの節、郷里のザベリオをお通りになりました。時に聖人は郷里を出られてから早や十七年になって居たのですけれども、我が家に立ち寄ったら、親兄弟の愛に()かれて、主に対する愛が薄らいではならぬと気遣い、僅か二三十歩の道を()げて、未だ御存命中の母親に暇乞いをしようともなさいませんでした。

(2)― 皆さん、聖フランシスコの改心の如何に完全であったかを思いなさい。我々は親兄弟を棄てねばならぬとか、病院に入って患者の付き添いをせねばならぬとか云うことがないにせよ、然し聖人の如く心を改める必要がありませんでしょうか。浮世の財宝(たから)なり、快楽(たのしみ)なり、名誉(ほまれ)なりに魂を打ち込んで、天主様を忘れて居ませんか。霊魂を等閑(なおざり)にして居ませんか。たとへ全世界を(もう)()とも、霊魂を失はば何の益がありますでしょう。今は待降節である。我々に(たす)(かり)の道を教えんとて、態々(わざわざ)光眩き天の玉座より汚はしき馬屋にお降りになるイエズス様をお迎え申す準備をなすべき時であります。して(たす)(かり)に最も障碍(さまたげ)となるのは、浮世の財宝(たから)、身の快楽(たのしみ)、空しい名誉(ほまれ)で、そんなものに余り心を奪われてはならぬぞよと我々に(さと)さんが為、イエズス様はあんな貧困の中に、あんな浅間しい(なり)をして生まれ、「たとへ全世界を(もう)くとも霊魂を失はば何の益あらん」と云うことをしみじみ悟らせようとして下さるのであります。でございますから何方も聖フランシスコに(なら)い、魂の(たすかり)を第一に心掛ける様、お務め下さらねばなりません。

(3) 次に聖フランシスコは幾度も幾度も、イエズス様の御言葉(みことば)を聴いて次第に悟りを開き、改心なさいました。我々も之を鑑とせねばならぬ、「信仰は聞くより起る」(ローマ書十ノ十七)と聖パウロも言われて居ます。たとへ知って知って知りぬいて居ることでも、人から聞くか、書で読むかすると、意外に感じる所があります「水落(みずおちて)(しかして)穿(いしを)(うがつ)」と云う諺もありましょう。雨滴(あまだれ)が石の上に落ちる、堅い石の上に落ちるのですから、初めは何のこともありませんが、幾度も幾度も落ちて居ると、お(しま)いにはその堅い石も(くぼ)んで来る、穴を穿(うが)つに至るものであります。我々の心もそれと同じで、たとへ悪に固まって石の如くなり、容易に善の方へ向き直ることが出来なくなって居るにせよ、幾度も幾度も善いことを聞いて居ると、次第に堅い所は柔らかくなり、初めはどうしてそんなことが出来るものか、と思って居たことでも、難なく行える様になるものであります。随って説教を聴いたり、公教要理を学んだり、宗教書を読んだりするのは、(たす)(かり)に極めて必要である、「信仰は聞くより起る」幸い皆さんはよくお聴きになる様でございますが、然し御自分でお聴きになるばかりでは足りません。子供さんにも、お父さん、お母さんにも、奥さんや御主人にも、聴きたくない方には強いても勧めて、聴かして上げる様に致しなさらねばなりません。

(4) 聖フランシスコは印度に渡られてから八年ばかりの間と云うものは、山を()へ海を(わた)り、町であろうと、田舎であろうと、離島であろうと、(すこし)も厭はずに、夜となく昼となく布教に奔走されました。終には我国にも御教を伝へたいと思い立たれ、支那の海賊船に便乗し、非常な危険を冒して、千五百四十九年八月十五日、聖母マリアの被昇天の祝日に、鹿児島へ御上陸になりました。鹿児島に一ケ年ばかり留まられたけれども、余り沢山の信者は出来ませんでした。それから平戸へお越しになり、僅か二十日ばかりの間に、鹿児島で一ケ年かゝった位の好成績を挙げられました。然し京都へ上って天皇陛下より布教の許可を得たらば、余程便宜だろうと思われて、平戸から周防の山口を経て、京都へお上りになりました。今日の如く汽車や自動車や馬車の便があるではなし、戦争ばかり続いて居た当時のこととて、往来も自由でありません。固より案内者が居る訳ではなし、路銀もなしに、百里余りからの遠路を、而も外国人の身を以て旅行すると云うは、それこそ非常な困難であったに相違ありません。或る時の如きは、山の中に迷い込んで路を失い、途方に暮れて居られると、幸い馬から京都へ往く武士に出逢いなさいましたから、請うてその荷物を(かつ)ぎ、徒歩で、荊棘(いばら)や石ころに足を傷け、()(まみれ)となっても構わず、馬のあとを追って走られました。斯うして千難万苦を凌いで漸く京都へ辿り着かれましたが、時に京都は戦争の巷となり、皇室も衰微(すいび)の極に達し、将軍とても有名無実となって居たので、全く何うすることも出来ません、止むを得ず山口へ引き返して、此に布教を試みられると、暫くの間に二千人以上の信者を得られました。それから豊後へ下り、大友宗麟(そうりん)の許に暫く足を止め、鹿児島上陸後、二ヵ年と四ヶ月目に再び印度へお帰りになったのであります。

(5) ―  印度へ帰り、要件も片付きましたから、今度は支那へ布教を試みたいと思い、葡萄(ぽると)(がる)船に乗りて、広東(かんとん)()る僅か六里、上川島(さんしゃんとう)と云う小島に入国の(おり)を待って居られる中、病を得て、その島の上で終に御永眠になられました。遺骸は早く腐らし、骨ばかりになして持ち帰ろうと、ポルトガル人が二回までも生石灰の中に漬けましたけれども、少しも腐りませんで、唯今も印度のゴアに其の儘安置されてあります。時に聖人は御年僅か四十六才、布教に着手されてから十年余り、其の間に奔走された道程(みちのり)は、世界を三周するほどでありましたとか。実におどろくべき活動振りではございませんか。()うして(かか)る活動がそんな短日月の間に出来たのでしょう。それは(もと)より天主様の聖寵にもよることですが、然しまた聖人が深く天主様を愛し、人をも愛して居られた結果に由るのであります。聖人は天主様を深く愛して居られたから、自分が天主様を認め愛したばかりでは足りない、人にも認めさせ、愛させたいと努められました。人をも愛して居られたから、自分ばかりが(たす)(かり)を得ても、それに満足されない、是非人にも(たす)(かり)を得させたいものと、大いに御奮発なさったのであります。皆さんもこれを鑑と致しなさい。よし聖人の如く布教に奔走することは出来ないにせよ、やはり天主様を心より愛し、又、天主様の為に人をもお愛しなさらねばならぬ。自分一人が天主様を認め、自分一人が(たす)(かり)の道を歩いて居るからとて、それに満足して居られません、聖フランシスコは一人でも天主様を愛する者があると見るや、それを何よりも喜ばれ、何人か天主様に(そむ)き罪を犯したものがあると聞くや、それを如何なる(わざわい)よりも悲しまれたと云うことである。皆さんも是非()うこそあって欲しいものであります。

自分が先ず立派に天主様の御誡(おんいまし)めを守り、罪を避け、善を行うべく務めた上で、家族一同にも、天主様を愛させ、罪に遠ざからせ、それから次第に隣近所に及ぼし、自分の立派な手本を以て御教えの有り難味をしみじみと悟らせ、病人などある時は、何とかして洗礼の恵みを蒙らしめる様に力を尽くさねばなりません。「異教人の感化を求むる祈り」は、聖フランシスコがお作りになったのですから之を(とな)へる時は、上の空でなく、注意深く、熱心に(とな)へなさい。

なお、聖フランシスコは朝から晩まで布教の為に働き、夜になると長く長く聖体の御前に平伏して祈られるのでありました。

皆さんも聖体を愛し尊ぶ様になられましたら、天主様に対し、人に対する愛の火が自づと燃え立って来るに相違ありません。

(6)− 兎に角、聖フランシスコは、我が日本の使徒、言語に尽し難い艱難辛苦の中に、御教えの種子を蒔いて下さいました。

随って今日と(いえど)も、我が日本のことをお忘れにならない。

我々日本人を熱く愛していられる筈ですから、何方もこの聖人の御伝達によって、天主様の聖寵を祈り、立派な信者となるべく務めると共に、未だ暗黒(くらやみ)の中に彷徨(さまよ)って居る異教者が、一日も早く真理の光を仰ぐに至りますよう、祈りもし、努力もして下さらねばなりません。

 

(六) 聖 (十二月八日)

 

(1) (じん)()ガ一たび天主様の御命令に背き、罪を犯して以来、子孫たるものは皆原罪に汚れて生まれ出なければならぬことになりました。

原罪に汚れて生まれるとは、つまり聖寵を()たずに生まれることなので、聖寵を()たなければ天主様の愛子(あいし)でもなく、イエズス様の兄弟でもない。随って天国を相続する権利がない。天国に入るべき善業を一つも行うことが出来ない、何が可哀相と云っても、是より可哀相なものがありますでしょうか。

よって天主様はこの可哀相な人間の身の上に同情を寄せられ、(みづか)ら人となって現世(このよ)に生まれ、以て彼等を救い上げようと思召しになりました。然し人となって生まれるには母の胎内を借らなければならぬ。で初めから原罪の汚れに染まない上に、あらゆる聖寵に飾られたマリア様を御母と(えら)み、其の胎内におやどり遊ばしたのであります。アダムの子孫たる者は何人しも原罪に汚れて生まれ出るのに、(ひと)りマリア様だけがそれを免れなさったのは何うした訳でしょうか。それこそマリア様が御父の姫君、御子の御母、聖霊の浄配ともなるべき御方であらせられたからであります。

親にせよ、子にせよ、夫にせよ、その娘なり、母なり、妻なりが、出来れば容姿(みめすがた)は美しく、心情は高尚(けだか)く、勝れて立派なのを望まない者はありますまい。

今御父でも、御子でも、聖霊でも、全能全知の天主様で、望みさへすれば、そんなに清い娘でも、美しい母でも、汚れなき浄配でも得られるのに、之をわざわざ原罪に汚れた、醜い、悪魔の奴隷たらしめ給うはずがありますでしょうか。天主様は悪魔の上に罰を宣告して「彼女は他日汝の頭を踏み砕くべし」と仰せられました。

所で若し聖母が原罪に汚れて母胎にやどされなさいましたら それこそ悪魔に御頭を踏み砕かれなさったので、天主様の御言葉は成就されない訳になりましょう・・・斯くの如く、聖書に訴えても、道理を推して考えて見ましても、マリア様は原罪の汚れに染み給うべきでなかったことが明らかでございましょう。

(2) 聖母は既に原罪の汚れなくやどされなさいました。随って原罪の結果たる肉慾をも知り給はず、身は全く聖寵に固定され、悪に傾く心すらなく、悪いものを見ようと、悪いことを云はう、悪いものに触れよう、良からぬ快楽(たのしみ)を味わうなんて、そんな傾きは薬にしたくても見当たらない、何んな危ない所へ行っても、汚される気遣いもなければ、何んな悪いものを眺めても、心に悪念の(きざ)すべき憂いはない。罪の機会を恐れるにも及ばねば、浮世の事物に曳かれる心配もない。況んや悪魔の(わな)に落ち込む気遣いなんか全くなかったはずである。

ですから聖母は少しも御用心なさることもいらねば、注意して罪の機会に遠ざかりなさる必要もなかった筈であります。

それにも(かか)わらず、聖母は非常に用心深く(ましま)した。

驚くほど注意に注意を加へていられた。

我々も同様に、弱い身、悪に傾き易い心の持ち主でもあるかの如く、警戒を怠りなさらぬのでした。

聖会がマリア様を()めて「(いと)(つつし)み深き童貞」と申し上げるのは斯う云う訳があるからであります。

 

(3)− 考えて見ますと、我々はマリア様とは違い、原罪の汚れに染まって生まれ出た者であります。なるほど洗礼によってその原罪は洗い落とされた、聖寵の美しい白衣(びゃくえ)も与えられましたが、然し原罪の結果まで取り去られて居る訳ではありません。やはり肉慾を背負って居る、やはり悪に傾き易い、智慧は暗く、物事を(わきま)へるには大変骨が折れる、(やや)もすれば誤診(あやまり)の方へ(すべ)り落ちる、頭には馬鹿馬鹿しい想像がよく浮かんで来る。夏の青蠅(あおはえ)見た様に、追えども追えども(また)直ぐやって来る。意志も善の方へは行かないで、悪の方へばかり走り出そうとする、耳や目や鼻や口やは心の命令を聴かないで、自分自分の慾をほしいまゝにしようとばかり働いて居る。洗礼の時に戴いた聖寵の寶は、斯うした、如何にも脆い、弱い身の中に(たずさ)へて居るのであります。(かて)て加えて(ほか)からは、悪魔だの浮世だのが力を合わせて、この貴重な寶を奪い取ろうと狙って居る。それに持って来て、我々は如何(どんな)に用心して居ますでしょう。罪の機会(たより)に近づかない様、危ないものを見ない様、十分注意して居ますか。反対に自分には危ないものがなく、気遣いすべきものもないかの如く、何でも読み、何でも聴き、どんな人とでも交わり、何んな危険な所へでも足を踏み入れる、と云うような塩梅(あんばい)ではございませんか。マリア様は御托身の玄義を告げられ給うた時、ガブリエル大天使を見てすら驚きなさいました。然るに我々は如何(どう)でしょう?天使どころか、悪魔の様な男なり女なりに行き遭った時、目を()らして見ない様に、怪しい談話(はなし)が聞こえる時、直ぐ耳を(ふさ)ぐ様に務めて居ますでしょうか。

(4)− 天主様が人に聖寵を施しなさいます時は、必ず何か目的とし給う所がある。聖母マリアを原罪に染ませずして、初めから数々の聖寵を之に施しなさったのは、他日御自分の母になさうと云うお考えがあったからである。して聖母はただ用心の上にも用心をして、その与えられた聖寵を失わない様に努められたのみならず、亦、大いに之を利殖されました・・・今日は昨日より、明日は今日より益々善に進み,徳を積んで、自分では神の御母たるべく(えら)ばれて居るとは夢にも御存知なかったでしょうけれども、然し天主様が自分に是程の聖寵を恵み給うたからは、必ず何かの目的を抱いて居られるに相違なと思い、その目的に釣合うだけの人物になろうと努め給うのでありました。今我々にも天主様は聖寵をお恵み下さいました。司祭となる様に、修道者、修道女となる様に、一家を治め、子女を教育して行く様に、深く学問を修め、(ひろ)く物事を知るとか、金満家になるとか、貧困な家に生まれるとか、何かの御考えの上から夫々に身分職業をお与え下さったのである。霊魂上から云へば、洗礼のお恵みの外にも、各自(おのおの)が天主様より戴いた聖寵は莫大なものであります。それには必ず天主様の御目的があるはずですから、マリア様に(なら)って、その聖寵を善く利用し、毎日毎日善より善へ、徳より徳へと進んで、天主様の御目的に()い奉るだけの人物とならなければならぬ。然るに我々は果たしてその戴いた聖寵を善く利用して居ますでしょうか。タレントの喩話(たとえばなし)によって見ても明らかなるが如く、多く与えられた者は多く請求される、我々は皆多く与えられて居る。洗礼の恵みだけでも、原罪を消されたと云うだけでも、実に大したお恵みじゃありませんか。それに今日まで是等のお恵み、是等の数知れぬ聖寵をばどんなに利殖して居ますでしょうか。今迄の怠慢(おこたり)を顧みて深く恥じ入り、(へりくだ)って天主様にお赦しを請い、是からは聖母マリアの御鑑(みかがみ)(のっと)り、身も心も清淨に保ち、天主様に(かたじけな)うした聖寵は、力に応じて之を利殖すべく務めると決心し、その為に必要な御援助(おたすけ)を、聖母の御伝達(おとりつぎ)によって祈りましょう。

御   降   誕

(一)

「我地上に火を放たんとて来たれり」(ルカ十二ノ四九)

(1)− イエズス様は人々の心に愛の火を燃やさんが為、現世(このよ)に降り、嬰児(おさなご)となってお生まれになったのであります。それまでと云うものは何処に天主様を心から愛するものが居ましたでしょう。僅か世界の片隅のユデアに於いて識られ給うばかり、其のユデアですら、天主様を心から愛するものは極少数でした。況して他の国々では、日を拝み、月を拝み、犬や猫や()()や木石や、(つま)らない、卑しい、汚らはしいものを神に祭り上げ、之を拝んで居ると云う塩梅でございました。然るに一たびイエズス様が御降誕になりますと、世の中の姿はがらりと一変しまして、到る処に真の神を識り、之を拝み、之を愛する者が日を追って多くなり、人の心は忽ち天主様の愛に燃え立って参りました。僅か数十年経つか経たぬ間に、世の始めより幾千年の間に愛され給うた以上に愛するに至りました。欧米諸国では、御降誕の際に信者は各々自分の家に馬屋を作って、御降誕の有様を偲ぶそうでありますが、必ずしも()うする必要はありません。むしろ我々の心にイエズス様が御降誕になり、御安(おや)()み下さいますよう準備を急ぎましょう。さすれば、イエズス様の御降誕と共に、充分その愛の火に燃え立づことが出来、現世(このよ)では至極安心して月日を送り、後、天国に於いては、(きわ)まりなき幸福(さいわい)を楽しむことも出来るでございましょう。で、今席は先づ、神の御子が人となりて生まれ給うたのは何の為であるか、と云うことをお話し致す考へであります。

(2)− (じん)()アダムは罪を犯しました。天主様の御恵みを数知れず戴いて居ながら、その御恵みに背き、御誡(おんいまし)めを破り、禁断の樹果(きのみ)を食べました。為に楽園より()い出され、自分を始め、子々孫々に至るまで、現世(このよ)に暫く生存(いきながら)へた後、永遠窮まりなく楽しむべきであった天国、その天国へ這入ることが出来なくなってしまいました。斯くの如くして、生きては色々と艱難苦労を()め、揚句の(はて)は天国へも這入れないと云う哀れな身の上となったのであります。然し天主様は其の儘にして人類を捨て置くに忍び給はず、何とかしてアダムを救い上げねばならぬと思召されました。御哀憐(おんあわれみ)限りなき天主様ですから、アダムにして救いを蒙らないとあっては、その御哀憐(おんあわれみ)(あら)はれないので、何うしても放ったらかして置かれません。然し一方がらはまた正義限りなき御方で、罪のあるアダムを罰しなくては正義の徳が立たなくなる。そこで正義にも(あわ)(れみ)にも傷を付けないで、アダムを救い上げなければならないが、其の為には罪一つなきものが、罪ある人間に代わって、謝罪をするより外はございません。然るに地上を眺めても、罪一つないものと云うは誰とて見当たらない。人間は皆罪に汚れて居る。随って天主様の正義を(なだ)め得るものと云うは人間の中に居よう筈がない。どうせ誰かが天から下って人類を(あがな)はねばならぬ。然し天使にせよ、大天使にせよ、ケルビン、セラフィンにせよ、皆造られたみの、有限物である以上、その献げる謝罪は皆限りある謝罪である、限りある謝罪を(ささ)げても、限りなき罪に当るには足りない。そこで天主の第二位が自分でその大事業を引き受けよう、と云いだしなさいました。被造物は、天使にせよ、大天使にせよ、到底充分の謝罪を献げることは出来ない。たとへ天主様が彼等の献げる不充分な謝罪に満足して、之をお受け取り下さるにしても、それでは人間がその有難さを悟らない。()うでしょう。今日まで人間は()れほどの恩恵(おんめぐ)みを施されても、()れほど沢山な(さい)(わい)を約束されても、()れほど恐ろしい罰を威嚇(おどか)されても、それで天主様を愛する気になりませんでした。それと云うのは、天主様が如何ほど自分等を愛し給うかと云うことを、善く悟らない為である。

然し天主様が御自ら人類救贖(あがない)の大事業を引き受け、下界に降って人となり、彼等の罪に代わって御死去遊ばすようなことになると、天主様の正義にも十分の償いが払われるし、人間も亦、天主様の測り知れぬ愛の程を悟ることが出来る訳になるので、そう決心しよう、と御子は云い出しなさったのであります。

(もと)よりそうする日になると、牛馬の住む汚い小屋に生まれ、生まれると間もなく、その救い上げようと云う人々から生命を取られるような目に遭って、遠い外国へ逃げなければならぬ。故郷へ帰ってからも、三十年と云う長い間、貧乏な職人の徒弟となり、極めて賎しく困難な生活をなし、いよいよ公に世の中へ出て、教を説き拡めようとしても、弟子となって心からその教えに耳を傾けるものは極めて少なく、多くは之を軽んじ、欺瞞者(たばかりもの)だ、魔法遣いだ、狂人だ、サマリア人だと(あざけ)り、その揚句は捕らへて十字架に磔け、ありとあらゆる軽侮(あなどり)陵辱(はずかしめ)を浴びせて、殺すであろうとは飽くまで承知しながら、なおこの大事業をお引受け下さったのであります。

(3)− 斯うして天主の御子がこの世に降り、人間を救い上げ下さることになりましたから、ガブリエル大天使はマリア様の許へ遣わされ、マリア様の方でも、天主の御母となることを御承諾になり、御子は終にその御胎にやどりて、人となり給うた。して聖パウロも()って居る如く、御やどりのその始めより、主は深く深く謙遜して一身を御父に献げ、「主よ、犠牲(いけにえ)献物(そなえもの)とを(いな)みて肉体を我に備へ給へり・・・看給(みたま)へ、我は御旨を行はん為に来たれり」(ヘプレア)十ノ七)と(のたま)うたのであります。実に天主様が人とおなり下さいましたのは、我々人間の為、この卑しい人間を(あがな)わんが為でした。故に聖会は「我等人間の為に,我等を救わんが為に天より降りて人となり給へり」(ユケヤ信経)といって居ます。而もそんなにして人を救い上げ、以て人に愛されたいと思召させ給うたのであります。アレキサンデル大王はペルシヤ王ダリウスを打ち破って、ペルシア全国を征服した時、ペルシヤ人を(なつ)けて其の人気を博するが為め、ペルシア風の服装をしたと云うことであります。天主様も我々の心を(なつ)けんが為め、同じ様に致しなさいました。即ち我々同様の姿になり、我々のような肉を(つけ)て世に生まれ出で、何処まで我々を愛して居るかと云うことをお表わしになりました・・・天主様は無形であり、霊にて(ましま)すから、肉眼で見ることは出来ない、如何ほど愛すべく(ましま)すか、我々には()く悟れません。よって目に見え、耳に聴き、手に触れ、共に親しく言葉を()わすことも出来る様な人間に生まれて、御自分の愛を(あら)わし、我々にも愛されたいものと思召しになったのであります。「(きわ)まりなき愛もて汝を愛せり」、実に天主様の人を愛し給う愛は(きわ)まりないのですが、然し是迄は充分にそれが(あらわ)れて居ません。ただ御子が人となって馬屋に生まれ、少しの藁の上に寝かされ給うに至って、其の愛が始めて明白(あきらか)になりました。天主様は無より天地を造って、其の全能を(あらわ)し、見事に万物を支配して、其の全知を(あらわ)しなさいましたが、人と生まれ給うて、始めてその御慈愛(おんいつくしみ)の限りも(はて)しもないことをお(あか)しになったのであります。されば御子が御托身なさらない間は、人は天主様の御慈愛(おんいつくしみ)のほどを充分に悟ること出来ないのでしたが、然し今や人と生まれて、その感ずべく驚くべき愛をお(あか)しになったのですから、もう(つゆ)ばかりも疑いを(はさ)むこと出来ないのであります。(そもそ)も人は天主様を(あなど)り軽んじて、之に(とっ)(ぱな)れてしまったのでした。そして一旦(つっ)(ぱな)れてからは、自分の力で天主様の方へ立ち戻ることが出来ない。よって天主様は御自ら人間を探して、この世にお降りになりました。()わば罪悪の大病に(かか)って、自分からは医師を頼みに行くことも出来なくなったから、医師の方から病人をお捜し下さった様なものであります。

 

(4)− 人間と云うものは愛に引かれたがるものである。何人(だれ)かが自分を愛してくれると分かれば、心は愛情の綱にでも縛られたかの様、何うしても其の人を愛せずに居られなくなります。()して天地万物の御主にて(ましま)す神の御子が、自分の為に人間とまでお成り下さったかと思っては、()うして其の深い深い愛情に心を縛られずに居られましょう。昔、聖フランシスコ会の修道士にフランシスコと云う熱心な司祭が居ました。幼きイエズス様がそれはそれは綺麗な姿をして幾度もお(あらわ)れになりますけれども、自分の(そば)へお引き留め申そうとすれば、直ぐ逃げ出してしまいなさるので、司祭はそれを甚く遺憾に思って居ました。所で或る日イエズス様は手に金の綱を持ってお(あら)われになり、是で司祭を縛り附けよう、又、司祭にも縛り付けられて、互いに離れまいと云う(こころ)をお示しになりました。よって司祭は其の綱を取ってイエズス様の両足に廻し、自分の胸の(あたり)にしっかり(くく)り附けました。其の時からと云うものは、イエズス様を胸に抱いている様にばかり覚えた、と云うことであります。イエズス様はこのフランシスコ司祭に対して()し給うたことを、御托身の折には我々に対して致しなさいました。即ち御托身によって、我々の捕虜(とりこ)となり、我々の心に(つな)ぎ留められると共に、又、我々の心をも、愛の綱もて御自分に縛り付けようとして下さったのであります。「聖霊によってやどり」といって、御托身を聖霊の働きとするのは()うした訳でしょうか。天主様が外界に対して致しなさる御業(みわざ)は三位とも共同で致しなさるので、御父なり、御子なり、聖霊なりだけに当るという訳ではない。それにも拘わらず御托身を聖霊の働きとなすのはどうした訳でしょうか。外ではない、聖霊は御父と御子との愛に(ましま)すので、愛の御業はすべて聖霊の働きとするからであります。所で御子が世を救わんがために人となり給うたというのは、愛の業の中にも特にすぐれて大いなる愛の業ですから、之を聖霊に当てるのは尤もな次第でございましょう。実に天主様が人とお生まれになりました時ほど、その愛が著しく(あら)われたことはなかったのであります。殊に驚くべきは、人が天主様の前を逃げつ隠れつしている時に、御子が人となって之をお捜し下さったことであります。御子は人となって、この恩知らぬ人間の後を追い廻し、「人よ、なぜ逃げるのです。私が(どれ)ほど其方(そち)を愛して居るかを見なさい。私はただ其方(そち)を捜し出すが為にこそ世に降ったのです。逃げないで、私を愛しなさい。其方(そち)を斯くまで愛する私を愛しなさい。」と叫んで下さるのであります。天主様は人を愛し、之を御自分に(なぞら)へてお造りになりました。けれども其の人を(あがな)う時には、御自ら人の姿となり、我々同様の人間とお成り下さいました。我々のようにアダムの子となり、我々のように肉体を()け、我々の様に苦しむことも死ぬことも出来る身の上となられました。天使の姿となることも叶い給うたでしょうが、()うは致しなさらぬで、我々と同じくアダムより伝わった肉体をお(まと)いになったのであります。

(5)− 天主様が人となられたとは、実に実に何と云う驚くべき謙遜でしょう。地上のすべての帝王、天に(ましま)す諸々の天使、聖人、聖母マリア迄が一(ほん)の草、一(つまみ)土塊(つちくれ)となられたと云うよりは、未だ未だ驚くべき謙遜ではありませんか。草にせよ、土塊(つちくれ)にせよ、帝王でも、天使聖人でも、同じ被造物であるが、天主様から被造物へと云う段になると、実に限りなき隔たりが出て参ります。実際そうであったと、信徳によっておしへられないならば、全能全智の天主様が、この賎しい人間の為に、かくまで身を(へりくだ)り給うたと、誰が信ずること出来ますでしょうか。

,道を歩いて居る中に、不図(ふと)そこにのたくり廻って居る一匹の芋虫を踏み殺した人があったと致しなさい、可哀相に!と後ふりかへって眺めて居ると、其処を通りかゝった人があって、「この芋虫を復活さしたいと思いますならば、貴方が先ず芋虫となり、貴方の血を絞り、それで血の風呂を(こしら)へ、この芋虫を入れなさい、そうすれば必ず復活しますよ」と云ったら、其の人は何と返答しますでしょう、「馬鹿馬鹿しい、我が身が芋虫となり、我が命を捨てゝまで、この芋虫を復活さしてやる必要が何処にある?

この芋虫が復活しようと復活しまいと、何の(かかわ)りがあるだろう」と云うに相違ありますまい。今芋虫の代わりに自分に害ばかりして居る(まむし)であったとするならば、救ってやっても、其の恩を忘れ、(かえ)って救った其の人に咬み付くと云う(まむし)であったらば、()してそんな(ひど)い目に遭ってまで、之を救う訳もなければ、之を救ったからとて何の益もないでございましょう。それにも拘わらず、もし其の人が、この恩知らぬ(まむし)()うして救い、之を復活さしたとするならば、人は何と申しますでしょうか。もしその救われた(まむし)に智慧、分別がありますならば、其の救い主に対して如何なる感謝を献げたいと思いますでしょうか。然るにイエズス様が我々に対して恰度,()うして下さいました。それに持って来て、我々は恩に報いるに仇を以てし、幾度となくこの恩愛、極まりなき救い主を殺そうとしたのじゃありませんか。もしイエズス様が今でも死するを()(たま)うとするならば、大罪を犯す毎に、(おそ)れ多くも之を十字架に釘づけて殺し奉るのであります。我々の身を天主様に比べた日には、人間を一匹の芋虫や(まむし)に比べる位のものでしょうか。もっともっと限りなく卑しいものではありませんか。我々が復活して天国へ昇ろうと、罪悪に溺れたまゝ地獄に終りなく罰されようと、天主様が何の痛さ痒さを感じなさいますでしょう。それにも拘わらず、天主様は我々を愛して愛して、是非とも地獄の罰を(のが)して、天国の終りなき(さい)(わい)を得させたいと思召され、我々と等しい人間、我々の如く浅ましい人間となり、御血を残らずしため尽くして、我々をお救い上げ下さったのであります。

(6)− 斯様(かよう)な訳ですから、聖トマス博士は御托身の玄義を「奇蹟中の一大奇蹟」と呼ばれました。是こそ実に我々の想像を遥かに超越した一大奇蹟で、之には天主様も其の愛の力を極度に表し給うた訳であります。全能の神の貴きを持ちながら、我々を愛して人となり、造り主が被造物となり、無上の御主が賎しい奴隷となられた、苦しむこと出来ない御方が、あらゆる苦しみを忍び、死んでしまわれたと云うのは、実に何と云う驚くべき愛の奇蹟でございましょうか。

愛するのは愛される為に愛するのであります。天主様が我々を斯くまで愛し給うたのは、ただ我々に愛されたいと云う思し召しからでした。されば何人(だれ)にしても、天主様が自分を非常に愛して、自分のために態々(わざわざ)、人となり、あらゆる艱難苦労を堪え忍んで御死去あそばしたのだと思いましたならば、自分の方でも、何とかして(いささ)かの愛なりとも天主様に証拠立てるべく、努めねばならぬじゃありませんでしょうか。             

天主様が我々と等しい肉を()け、辛い辛い生活を営み、惨酷(むご)たらしい刑罰にかゝって御死去になったのを見ては、何人(だれ)しも天主様を愛して、愛の火に燃えたゝざるを得ない筈でございましょう。実際御托身後には、多くの人の心に愛の火が(さかん)に燃え上がりました。年若い前途有望の身を以て、高い家柄、古い門閥(もんばつ)、時には帝王の貴い身を以て、其の富を顧みず、其の位を振り棄て、其の快楽を(なげう)って野山に隠れ、修道者となり、貧しい、辛い不自由な生活をしてまで、主に其の愛を表そうと努めた方々は幾程(どれほど)あるでございましょうか。恐ろしい責め苦の中に其の命を果すのを何よりの幸福(さいわい)と喜ばれた殉教者等は幾程(どれほど)あるでございましょうか。自分の為に人となり、死んで下さった天主様に(いささ)かなりとも、その偽りなき愛を表したいと思い、花も盛りの身を持ちながら、浮世の快楽(たのしみ)にすっかり暇を告げて、身も心も潔く主に献げた処女等も幾程(いくほど)あるでございましょうか。

然し一方から考えると、如何にも悲嘆の情に堪えないところがありませんか。すべての人がそんな心になってくれると結構ですが、なかなか然うは参りません。多くは感謝する所が、かへって恩に報いるに仇を以てして居る。天主様が人となって私の為に死んで下さったよ、と云うことすら思いもしない位であります。

でも善く善く考えて御覧なさい。イエズス様と(いえど)も、是以上に何を()うすること叶い給うたでしょうか。御父を救はねばならぬと云っても、人間と生まれて己が命を抛棄(なげす)てる以上のことを為し得給うたでしょうか。これほどまで尽くして戴きながら、未だイエズス様を愛しないと云うならば、もう何とも致し方はないじゃございませんか。

(7)− 然らば我々はこの待降節中にイエズス様の愛の限りも涯しもないことを想いまして、大いにイエズス様を愛しましょう。イエズス様を愛するならば、イエズス様のお嫌いになることを為てはならぬ。殊にこの待降節には一つの大罪でも犯さないように務めると共に、既に犯した罪は之を痛悔(つうくわい)して赦しを求め,併せてイエズス様のお望みになることは毎日少し(づつ)でも行うよう、イエズス様を愛する証拠として、病人はその病を善く耐えへるよう、悲しみに沈める人はその悲しみをよく堪え忍ぶ様、お喋りをしたい人は、日に一口なりとも慎む、御酒を飲みたい人も、之を幾分でも差し控える、(かね)(なま)け勝ちの人は、せっせと立ち働いて、その労働の辛さをイエズス様に献げる、その他、熱心に祈る、平生よりも屡ミサを拝聴する、平生(へいぜい)よりも(しばしば)聖体も拝領すると云う様にして、少しなりともイエズス様を愛すると云う赤心(まごころ)を表さなければなりません。

或る修道士が御降誕の夜、馬に乗りて深山の中を通過していると、オギャオギャと云う赤ン坊の啼き声が聞こえました。この夜中に何うしたのだろうと思い、声を辿って行って見ると、生まれたばかりの赤ン坊が雪の中に棄てられて、寒さに(ふる)へて泣いているではありませんか。可哀相にと思い、馬から下りて赤ン坊の(そば)に立ち寄り、「マア可哀相に!誰がお前を雪の中に棄てたのかナ」と(ひと)(りご)ちますと、不思議にも、その赤ン坊が口を利いて、「何うして泣かずに居られますか、誰からも彼からも見棄てられて、一人でも私を引き受けてくれる人もなければ、可哀相にと思ってくれる人さへないのですもの」といって、フッと消え失せました。其の赤ン坊こそイエズス様であったのです。自分は人間の為に馬屋にまで生まれたのに、人間は一向自分を愛してくれない、思ってもくれない、寒さに凍えようと、()きに()いて居ようと、同情すら寄せてくれない、忘恩(おんしらず)(また)甚だしい、と云うことをお(さと)し下さったのじゃありませんでしたろうか。

 

() 無限に大なるものが()(ちいさ)きものとなり給へり

 

嬰児(おさなご)我等の為に生まれたり、一人の児我等に与えられたり」(イザヤ九ノ六)

(1)− 「愛は愛を引く」とプラトンはいいました。磁石が鉄を引くが如く、愛は必ず愛を引くものである。愛されたいと想わば、先ず自ら愛せねばならぬ。人の心を確かに自分の方へ引き附けて、愛せずに居れなくなすには、先ず自ら其の人を愛して、之に自分の愛情を表すのが一番の捷徑(ちかみち)であると云うことは、洋の東西を問わず、時の古今を論ぜず、誰あって否定すること出来ない真理であります。然るにただイエズス様に対してのみそれが行われて居ない。人は誰にでも恩を受けては恩を報い、愛されては愛して返しているが、独りイエズス様に対してのみ除外例を設けている。イエズス様は人を愛して、之に己が偽りなき愛情を表すがために、殆んどその限りなき御力、窮りなき御智(おんちえ)を絞り尽し給うた程であるのに果たして幾何(いくばく)の人がイエズス様を愛して居ますか。ただに愛しないのみならず。愛したいと云う心にすらなり得ない、却って之に背いて居る、却って之を(あなど)って居る、却って之を(はずかし)めているのであります。せめて我々なりとも、こう云う忘恩者の列に加わりたくないものである。イエズス様は慈愛深く、親切な、愛すべき天主様、測ることも、極めることも出来ないと云うほど大きな天主様にて(ましま)しながら、我々に愛されたいばかりに、小さな赤ン坊とさえなって下さったじゃありませんか。

(2)− 天主様が人を愛して人にお生まれ下さった、(しか)も小さな赤ン坊にお生まれ下さったとは、何と云う驚くべき愛でございましょうか。それを悟るが為には、先づ天主様の偉大さ、その測り知れぬ偉大さを考えて見なければならぬ・・・然し人間にせよ、天使にせよ、天主様の偉大さを悟ることが出来ますでしょうか。天主様が天よりも広い、地上のすべての帝王よりも大きい、すべての天使聖人等よりも勝れさせ給うと云うのは、それこそ我々人間が、一本の草よりも、一匹の蚊よりも大きいと云うのも同様で、むしろ失礼に(わた)る言葉ではないでしょうか。どんなに大きなもの。長いもの、広い、深いものでも、天主様の大きさに比べては、限りもなく小さい、有っても無きが如きものではありますまいか。

ダウイドは天主様の広大なることを想って見たが、とても測り知ること(あた)はずと悟りまして、「主よ、誰が主に比ぶべき者あらん」(詩篇三四ノ十)と言い、「主は大にて(ましま)せば最も()むべき(かな)、その大なることは限りなし」(詩篇一四四ノ三)と言って居ます。天主様も亦ユデア人に仰せられました。「我は天にも地にも()つるにあらずや」(エレミア二三ノ二四)と。この広大無辺の天主様に比べると、我々人間は何でしょう。地上のすべての人、すべての帝王、天上のすべての聖人、すべての天使を一つに集めても、之を天主様の限りなき大きさに比べたら何でしょう?それこそ一本の(ちり)を全世界に比べたよりも、まだまだ限りなく小さいものではありませんでしょうか。イザヤ預言者がいって居る如く「天主様に比べては諸々の民も(びん)(ふち)にかかれる一(しずく)の水・・・すべての島々は小さな(ほこり)の如く、諸国民もその御前(みまえ)には無きに等しい」(イザヤ四〇ノ一五)のであります。然るに是れほど大きな天主様が小さな赤ン坊となってお生まれになった。それも誰の為かと言へば、我々の為である。我々を大ならしめんが為め、自ら小さくなられた。我々の縛られて居る罪悪の綱を解かんが為め、自ら布片(ぬのぎれ)に巻かれなさった。我々を天に昇らせるが為め、自ら地上にお降りになったのであります。斯くて無量無辺の天主様が嬰児(おさなご)となられました。天地も容れ(あた)はぬ御者(おんもの)が粗末な布片(ぬのぎれ)に包まれ、狭い、あらくれた馬槽(うまぶね)の中に、少しの藁屑の上に寝かされなさいました。万事を叶はせ給う天主様が、身動きすら出来ない程に弱々しくなられました。無限の(ちえ)を備えさせ給う天主様が,物すら云えない赤ン坊となられました。天地を治め(つかさど)り給う御身を持ち乍ら、人の腕に抱えられる身の上となられました。

すべての人、すべての禽獣(とりけもの)を養い給う御身にて(ましま)しながら、少しの乳を以て養われ給はねばならぬ様になり、悲しむものゝ慰め、天国の喜悦(よろこび)にて(ましま)しながら、泣いて人の慰めを受けねばならぬような浅間しい人間となられたのであります。

(3)− 人に成り給うにしても、アダムの如く初めから強い(すこ)やかな大人となってお降りになることも出来たのであります。すれに何故小さな嬰児(おさなご)にお生まれなさったかと云へば、人に愛されんが為でした。御存じの通り、嬰児(おさなご)と云うものは可愛らしいものであります。その福よかで、無邪気な顔を一目見たものなら、何人(だれ)だって愛せずには居られません。()して神の御子で、「人の子等に優りて美しく(ましま)し給う」(詩篇四四ノ三)と預言者より歌われ給うその幼な姿、それこそ如何に美しくも可愛らしく見えさせ給うたでございましょうか。されば天主様が「己を無きもの」(フイリツボ二ノ四)として現世(このよ)にお降りになったのは、人を救わんが為、又、人に愛されんが為である。その人となり、嬰児(おさなご)と生まれ、下へ下へと降り給うた()け、その御憐(おんあわれ)れみはますます明らかに、その御慈愛(おんいつくしみ)はいよいよ著しく(あら)われて来たのである。その愛らしい御顔を一見したばかりで、何うしても愛せずに居られなくなって来たのであります。天主様の光(まばゆ)き御威光を仰ぎ視ると、何人(だれ)しも恐れ(おのの)かざるを得ない。けれども斯う云う愛らしい幼姿を眺めては、如何(どんな)に荒くれた人でも、自づと心が(やわら)いで来る。岩の如く、(かたく)な心でも、彼の美しい御顔を見たばかりで、何時しか溶けて流れずに居られません。実際あの御顔には恐ろしいと云う所が一つでもありますか。ただ美しい所ばかり、愛らしい所ばかりではありませんか。若しイエズス様の現世(このよ)にお降りになった目的が、人に恐れられる、敬われると云うに()ったならば、元気の張りちぎれんばかりの頑強な(からだ)に、王者の威光を輝かしてお出になったに相違ありません。が実は然うではなく、ただ我々の心を引き付けたい、我々に愛されたいと云うのが目的でしたから、可愛い嬰児(おさなご)となってお生まれになりました。誰でも遠慮なく近づかれる為、極く貧困な賎しい嬰児(おさなご)となり、冷たい洞穴(ほらあな)に生まれ、藁の上に寝かされ、寒い風に吹き(さら)され、少しの布片(ぬのぎれ)に包まれて、わなわな(ふる)ひ上がって居られるのであります。あゝ実に何物がこの御子を、光輝ける天の玉座より、この汚い馬屋に天降らしたのでしょう。我々に対し給う愛ではなかったでしょうか。誰が御父の懐より引き離して、この賎しい馬槽(うまぶね)()さし申したのでしょう。天の上に統御(しはい)し給う王様を、誰がこの藁の上に()さし申したのでしょう。天使等の中に楽しみ給う御方を、誰が牛馬の仲間に入れ奉ったのでしょう。愛ではありませんか。セラヒンを火の如く燃やし給う神にて(ましま)しながら、寒さに(ふる)へて居られます。天地を支え給う御身にて(ましま)しながら、人の腕に(かか)えられねば動かれない程になられました。生きとし生けるものを養い給う御身が、僅かの乳を以て養はれねばならぬ、天使聖人等の福栄(さいわい)と仰がれ給う御身が、よゝと泣いていらっしゃるのです。誰がこゝに至たらしめ奉ったのでしょう。愛ではありませんか。我々に愛されたいと云う心が、斯くまで主を哀れな境遇に生まれさせ奉ったのじゃありませんか。されば皆さん、この愛すべき御子を誰が愛せずに居られましょう。大なる天主様、限りなく()められ給うべき天主様が、限りなく愛され給うべき天主様となられました。初めもなく終わりもなく(ましま)して、其の大きさは極まりなしですから、限りなく()められ、尊ばれ、敬われ給うべきでありますのに、今は斯う云う嬰児(おさなご)となり、身動きもなし得ない、物を言い得ない、寒さに(ふる)へ、泣きに泣いて、人に抱かれたい、懐に入れて温められたい、慰められたい、あやされたいとお求めになるのを見ては、何人(だれ)が之を愛せずに居られましょう、「小さな天主様、限りなく愛すべき天主様よ」、と何人(だれ)が叫ばずに居られますでしょうか。

 

(4)− 「牛は牛連れ、馬は馬連れ」とよく云ったもので、幼児(おさなご)幼児(おさなご)と遊びたがるものです。さればこの嬰児(おさなご)の御気に入りたいと思わば、自分も嬰児(おさなご)とならねばなりません。

嬰児(おさなご)は腕に(かか)えられ、懐に入れられたがるものですから、我々も愛の胸を拡げて、御子を茲に抱き上げましょう。イエズス様はどんなに我々をお愛し下さいましたか、我々を(たづ)ねて、わざわざ天からお降りになったのじゃありませんか。その御泣き声は我々を捜し給う御声でありませんか。「抱いて下さい、温めて下さい、愛の熱を以て温めて下さい」、と願い給う御声ではありませんか。犬に魚の骨を投げ与えて御覧なさい。(しき)りに尾を振って感謝の意を表しませんか。どれほど喜んで我々の命に従い、何処までも附いて来ますか。それに我々ばかり、()うして忘恩者(おんしらず)となられますでしょう。

天主様は御身を残らずお与え下さいました。我々を救わんが為、天からこの涙の谷にお降りになりました。我々に愛されんが為、嬰児(おさなご)とまでお成り下さったじゃありませんか。皆さん、愛しましょう大いにイエズス様を愛しましょう。イエズス様を愛して、イエズス様を受け奉るだけの準備を急ぎましょう。昔ローマにカタリナと云う不品行な(おんな)が居ました。ロザリオに関する聖ドミニコの説教を聴き自分も聖人よりロザリオを受けて之を爪繰(つまぐ)りながら、従来の不品行は一向改めようともしません。そうして居る中にイエズス様のお(あら)われを(かたじけな)うしました。最初お(あら)われになった時は青年の姿でしたが、後では可愛らしい幼児(おさなご)となり、しかも頭には茨の冠を戴き、肩には十字架を(にな)い、両眼よりははらはらと涙を(こぼ)し、全身血塗(ちまみ)れとなられて居ます。そしてカタリナに向かい、「もう沢山よ、カタリナさん、罪を犯しては()けません。もう沢山よ。私を苦しめるのは()して下さい。御覧なさい、私は貴方の為にどんな(えら)い目を見たのですか。実際私は貴方の為に幼い時から苦しんで、死ぬまでも()みなしに苦しんだのですよ」と(のたま)うた。カタリナはそれを見、それを聞いて、すっかり改心し、聖ドミニコの所へ()せゆいて告白をなし、その御指導を乞い、財産を残らず貧民に分配し、自分は独り薄汚い小屋に引籠もりて苦行をなし、聖人でも感嘆されるほど沢山の聖寵を主に蒙り、死ぬ時には聖母マリアの御訪問を受け、安らかに最後の目を(ねむ)ったと云うことであります。我々も是までは幼きイエズス様を心より愛せず、(しばしば)罪を犯して、その御心を悲しませ、その御身を苦しめ奉ったにせよ、本年よりは全く心を改め、一心に主を愛し、その御誡(おんいまし)めを固く守り、罪とはふっつり手を切って、新しい生活に入り、幼きイエズスの御心を慰め奉るべく務めようではございませんか。

 

 

(三) 御 降 誕 を 前 に し て

御降誕が近づきました。聖母マリアと聖ヨゼフとは早やナザレトをお立ちになりました。来る(なに)曜日(ようび)頃にはベトレヘムへ御到着になるはずである。御到着になると、忽ち世の初めより待ちに待たれし救い主はお生まれ遊ばすのですから、我々は今から之を受け奉るべき準備を急がねばなりません。児が初めて生まれたと云う時、父母の喜びと云ったらありませんが、親戚朋友までが(あい)集まって大いに祝ってくれます。近きは態々(わざわざ)金品を携えて喜びに来る、遠きは電報を打つやら書面を送るやらして祝意を(ひょう)します。我々も救い主の御降誕に際して心からなる喜悦(よろこび)(ひょう)せねばなりません。然らば喜びのしるしに何を(ささ)げたものでしょうか。金銀を?でも主は天地万物の君の貴きを以てむさぐろしき厩にお生まれ遊ばす位ですから、そんなものは決してお望みになりません。然らば錦繍(にしき)や毛皮やを用意して、それに御体をくる巻いて上げましょうか、でも主は態々藁の上に()かされ給う程ですから、(とて)もそんなものをお喜びになるはずがございません。然らば讃美歌でも歌ってお祝い申しましょうか。それも悪くはないが、然し我々が幾ら上手に歌って見た所で、到底天使等の歌には及ぶべくもありますまい。然らば何うしましょう、主に我々の心を献げて、これにお受け申すことに致しましょう、さすれば馬槽(うまぶね)の中よりは(すこぶ)る居心地が良くて、寒い風にも吹き(さら)され給はず、さぞかし御満足に思召し給うじゃありますまいか。

なるほどそれは結構な思い付きですが、然し主に心を献げるとは何を意味するのでしょう?ただ御降誕の夜に厩の前に拝跪き、多少心を動かし、口に二三の祈祷を誦へるだけのことでしょうか。それならばお易いことです。誰でも主の御前に拝跪いたら、木石でない限り、心を動かさぬものはありますまい。心が動いたら、祈祷は自づと口を突いて漏れ出るはずでしょう。それだけでは主の御降誕をお祝い申すとは云われません。主の方でもそれだけでは到底御満足に思召されますまい・・・そもそも我々の霊魂は天主様に建てられ、天主様の御光栄の為に献げられた聖堂でしょう。所でこの霊魂の上に注意深い眼をそゝぎ、隅から隅まで調べて見ると、屹っと其の中に何かの偶像を見出すに相違ありません。でその偶像を引き出して、叩き壊して、之が破片を集めてイエズス様の為に小さき馬槽を拵える、御降誕を迎えるのに是ほど適当な準備はあるまいかと思います。

然し偶像(ぐうぞう)とは何でしょう。我々信者の中に偶像(ぐうぞう)を祭る者が居るでしょうか。驚いては()けません。公然と偶像(ぐうぞう)の前に()を合わせるような人は居ますまい、各自(めいめい)の心、その心の中央祭壇は全く天主様に(ささ)げて、ただ天主様ばかりを祭って居るに相違ありません。然し両側の小さな祭壇は如何(どう)でしょう、隅っこの(うす)暗い所には、天主様や聖人等の御像(ごぞう)の代わりに、偶像(ぐうぞう)を飾り付けて居るようなことがないでしょうか。

皆さんの思いでも、望みでも、行為(おこない)でも総て天主様に(ささ)げて居られるでしょうか。愛情の(にゅ)(こう)はただ天主様の尊前(みまえ)だけに(ささ)げて居られましょうか。祈祷(いのり)(とな)へる時も、心を散らしてポカンと何かを考えて居られる様ですが、それは天主様の事を思って恍惚(うっとり)となられた結果でしょうか。天主様以外の或人(あるひと)の名を小声に(とな)へていらっしゃる、(ひそか)に天主様以外の画像(がぞう)に膝を(かが)めていらっしゃるのじゃないでしょうか。皆さんが絶えず眼をみはって(さが)して居られるお顔は天主様のそれでしょうか。皆さんが始終お耳に入れたい入れたいと思いなさるその声は天主様のそれでしょうか。皆さんが魂を打ち込んでしまって、何時もそれに就いて話し、何時もその事ばかりを思い、朝から晩まで忘れ得なさらない所のものは、天主様でもなく、天国でもないと云うならば、それこそ偶像(ぐうぞう)で無くて何でございましょう?

打ち明けて申しますと、皆さんの為に偶像(ぐうぞう)衣服(きもの)華美(はなやか)にし、身を飾りて人に()められよう、立って眺められようと云う虚栄心である。貴方はなかなか賢い御方です、富豪(かねもち)です、学者です、信心家です、と(はや)し立てられたい傲慢(ごうまん)心、僅かの事にもクヮツとなり、額に青筋を立てる様な怒りっぽい性質である。何時も食べて、飲んで、飲み倒れるまで飲まなければ承知されないと云うその餐食(とうしょく)である。聖ヨハネの所謂(いわゆる)、肉の慾、目の慾、生活の誇り、すべて皆さんの罪の母となり、多くの過失(あやまち)を湧かす源ともなる悪い傾向、良からぬ癖、是が即ち偶像(ぐうぞう)であります。

主をお迎え申すには、先づ是等の偶像(ぐうぞう)を取り(こわ)はさなければなりません。主が皆さんに御要求になるのも、ただ是れのみであります。

昔ならば主も汚はしい(うまや)にお生まれなさったけれども、唯今では我々の心にお生まれ下さいます。昔ならば、むさくろしい馬槽(うまぶね)もお(いと)ひにならなかったが、唯今では汚れた心にはお這入りにならない、偶像を祭った心には何うしてもお這入り下さらぬ。

心の門に立って(しき)りに之を叩き、「開けて下さい、這入らして下さい」とはお願いになるが、然し偶像(ぐうぞう)と一緒には何うしてもお(とどま)りにならぬのですから、何はさて()き、先ず心から偶像(ぐうぞう)を取り除ける、主のお嫌い遊ばすと思う罪、不足、欠点、良からぬ関係、罪の機会(たより)、そんなものを綺麗さっぱりと()(こわ)して、取り()けて、然る上に、之をお迎え申すように致さなければなりません。

 

(四) 御  降  誕  を  待  つ

 

 宗教無頓着に(おちい)った人が、その眠れる信仰の目を()まして「私も斯うして居てはならぬ」と云う気になり、鈍りかけたキリスト信者の感じも再び生々(いきいき)となって来る日が年中には時としてある。(わが)(しゅ)御降誕の祝日の如きは確かにそれであります。実にこの喜ばしい記念日、清く美しい感じが自然と湧き立ちかへるこの祝日には、自ずから人の心を引き立たせる何物かが(ひそ)んで居る。平生(へいぜい)冷淡に流れ、宗教上のつとめも何も忘れて居る人でも、急に思い出して聖堂に参詣する、告白をし、聖体を拝領すると云う様な塩梅(あんばい)で、実にこの祝日ほど我々の心を(ゆすぶ)り起し、信仰を温めてくれるものは少ないと()はなければなりません。で十二月二十四日の夜、皆さんが思い思いに火鉢を囲んで四方山(よもやま)の話をしていらっしゃる其の際、突然(やみ)を破ってゴンゴンと勇ましく鐘の音が響いて来る。それこそ夜半のミサを告げる声なのです。それこそベトレヘムの牧者(ひつじかい)(たち)の前に遣わされて、救い主の御降誕を告げた天使の声を代表するのです。「今日救い主は御降誕あそばされた、早く聖堂へいらっしゃい、その尊前(みまえ)(ひれ)()しなさい、全能全智の神にて(ましま)しながら、皆さんを救はんが為、憐れな嬰児(おさなご)にお生まれ下さった救い主を礼拝(らいはい)し、その御恵みを感謝しなさい」と勧めてくれるのであります。皆さんは()っとその勧めにお従い下さるものと私は信じて疑いません。イエズス様は特別の聖寵を、有益な感じを、人の心を一変させるに足るだけの有り難い寶を御手に(あふら)して、皆さんが御前に平伏(ひれふ)しなさるのを待っていらっしゃるのですが、然しその御恵みを戴くには相当の準備が必要でございます。どうぞ唯今からその準備にお取り掛り下さい、では如何なる準備を致しましょうか。イエズス様が公生活をお始めになる少し前、洗者ヨハネは天主様に遣わされて、救い主の御光来(おいで)を人々に告げ、之を受け奉る準備を致させました。そのヨハネは何んな事を申しましたか、「救い主の来り給う日は近づいた、もう其所(そこ)にお見えになって居る。皆さんはその道を備え、其の(こみち)を直くしなさい。罪を痛悔(つうかい)し、心を改めなさい」としきりに勧めました。すると人々はヨハネの勧めに応じ、罪を悔い(あらた)め、其の痛悔(つうかい)のしるしに洗礼を受けて、救い主を待ち受ける準備を致しました。今日でも其の当時と同じく、イエズス様をお待ち申すには、先づ罪を痛悔(つうかい)告白しなければならぬ。殊に唯今ではイエズス様も昔の如く馬屋に生まれないで、聖体を以て我々の心にお生まれ下さいます。我々の心の門を叩いて御宿をお求めになるのですから、聖ヨハネの勧めに従い、先づ道を(こしら)えねばなりません。是まで天主様にお仕え申すのを怠り、その命じ給う所を破り、その禁じ給う所を為すと云う様にして、ために主の路は(ふさ)がり、凸凹が出来、流石の主もお歩きが出来がたくなって居なさいませんでしょうか。で先づ先づ罪を立派に告白して、是等の障害物を(ことごと)く取って()けねばなりません。実に此の祝日は皆さんが良心の平和、胸中の喜悦(よろこび)を回復しなさる好機会(よいついで)であります。此の機会(ついで)を無にせずして、是非ともイエズス様をお受け申すだけの準備を致しなさい。何処の教会でも、平生聖堂にさえ寄り附かない人までが告白して聖体を拝領するのですから、皆さんの中には一人として之を怠りなさる様なお方はあるまいと思っては居ますが、念の為、繰り返してお願い致して置く次第であります。なるほど喜んで告白場にお出で下さる御方が幸いに多数ありますが、然し中には(らん)()に向かって、不熱心に向かって、或は悪魔に向かって戦はなければ、告白場へ出られない御方もないではありますまい。何うぞそんな御方は、思い切って、一たびウンと勇気をお出し下さい。さすれば後は何でもない。やすやすと済まされます。面倒だ、厭だと思えば思うほど面倒になる、厭になるものです。思い切って下さい、唯だ一思いに「告白するよ」と云う気になって下さい。お父さん、お母さんは子供さんに、奥さんは御主人に、兄さんや姉さんは弟さんや妹さんに勧めて勧めてやかましく勧めて告白場に送り出し、そして一同聖体拝領台に跪くことに致して下さい。是は私の勧めではない、実にイエズス様のお勧めです。イエズス様は皆さんに聖寵を施したい、救霊に要する聖寵を豊かに施したいと(しき)りに望んで、その聖寵を施す為の準備として、罪を告白せよ、心を清めよ、とお勧め下さるのであります。その有り難いお志を思っても黙って居られますでしょうか、飛び立って告白場へ駆けつけずに居られますでしょうか。

 

(五) 御   誕  の   日

 

(1)   明日はめでたい御降誕の祝日で、我等の主イエズス・キリスト様は千九百有余年の昔、ユデ

ア国ベトレヘムに於いて御降誕あそばしたのであります。

(そもそ)もミケア預言者は何百年前から救い主がベトレヘムに生まれ給うべきことを予言して居たのですが、当時マリア様でも、ヨゼフ様でも、遥か北の方、ナザレトに住んで居られましたから、御子を生み上げ奉るがため、態々(わざわざ)ベトレヘムまでお越しになる理由(わけ)もなかったのであります。

然るに天主様の御摂理は感ずべきの至りで、丁度其の頃ローマ皇帝アウグスックは、領民の戸籍調を命じました。

ユデアはローマの属国になって居ましたから、帝の命令通りに戸籍の調を受けなければならぬ。

そしてユデアでは戸籍の原簿が祖先の出身地に保存してありましたので、戸籍の調には、是非とも其の出身地へ帰らなければならぬ。

マリア様とヨゼフ様はダウイド王の子孫でダウイドはベトレヘムの人でしたから、今度の命令によって、ベトレヘムへお帰りになることゝなったのであります。

さて愈々(いよいよ)ベトレヘムに御到着になり、戸籍の調べも無事に済みましたから、今から宿に就いて、ゆっくり旅の疲れを休めようと思われたでございましょうけれども、其の時は戸籍の調を受ける為、四方から沢山の人が入り込んで居まして、空室(あきま)と云うが一つもない。

無論,金でも潤沢(じゅんたく)にあれば、何とかして室をあけてくれるのでしょうけれども、マリア様、ヨゼフ様の貧乏な身装(みなり)を見ては、何人(だれ)とて相手にするものがない。何処え()っても「空室(あきま)がございません、御気の毒様」と謝絶(ことわ)ってしまいますので、マリア様も、ヨゼフ様も、それには随分お困りになったろうかと思われてなりません。− (おの)が方に来たりしかど、其の(やから)(これ)を受けざりき」(ヨハネ一ノ十一)と聖ヨハネ福音書には(しる)してありますが、実にベトレヘムの(ひと)(たち)は、マリア様とヨゼフ様が如何なる御方なるかを知ろう筈もありませず、ただ貧乏な旅人だと思って、之に一夜の宿も借さなかったのであります。

精神界に於いても、そんな人は多いものであります。

胸には浮世の寶をドッサリ取り込んで置き、色々の(つま)らぬ物に心を一杯(みち)(ふさ)がれて居るので、イエズス様を入れ奉る場所が全く無いのです。

そうでしょう。

大概の人は、金銭を愛して、朝も晩も、寝ては夢み、起きては思い、暫くも忘れ得ないのですが、さてイエズス様の聖寵になると、格別何とも思いません。

人によっては、傲慢(ごうまん)を、邪淫(じゃいん)を、遺恨(いこん)を大事なお客さんとして心に迎え入れ、為に御降誕の大祝日が参りましても、その大事なお客さんに暇を出し得ないで、「(あき)()がございません、お気の毒様!」と云って、イエズス様に門前払いを喰わせるのであります。

()かもベトレヘムの(ひと)(たち)は、マリア様の御胎(ごたい)(ましま)すのが神の御子である、世の救い主であるとは夢にも知らなかったのですから、多少(じょ)すべき所もありますが、我々カトリック信者たるものは、イエズス様の誰なるかをよく存じて居ながら、おことわりするのですから、罪は決して軽いとは思われません。皆さんの中には、()(さか)そんな御方はあるまいと思いますが、万一そんな御方がありますならば、何うぞ今の中に、立派な告白をし、我心を空虚(あきがら)になし、イエズス様をお迎へ申すことに致して下さい。

(3)− 「之を承けし人々には各々神の子となるべき権能を(さず)けたり」(仝上)マリア様とヨゼフ様は何の家を叩いても謝絶(ことわ)られ、仕方なく仕方なくもベトレヘムの町を出られますと、幸い牛や馬や羊などを繫ぎ置く為の洞穴(ほらあな)が見付かりましたから、其処(そこ)に入って一夜を明かすことにされました。ちょうど其の夜、其の洞穴(ほらあな)に於いて,幾千年の昔から()ちに()たれし救い主は御降誕遊ばされたのであります。

ベトレヘムの町人に謝絶(ことわ)られて、洞穴(ほらあな)にお生まれになったイエズス様は、今も世の人々に受付けられ給はず、(つたな)い我々の心にお這入(はい)り下さるのであります。

イエズス様に這入(はい)って戴く、心をその揺籃(ゆりかご)にして戴くとは何と云う幸福(さいわい)でございましょう。

聖ヨハネは「己が方に来たりしかど、其の(やから)之を承けざりき」と云った上で、「之を()けし人々には各々神の子となるべき権能を授けたり」と(しる)して居られます。

(そもそ)もイエズス様を()け奉る人とは,何んな人でしょう?。

イエズス様を承け奉る人とは、謹んで御教えを聴き、善く御誡(おんいま)(しめ)を守る、聖寵を保って失わないように努める、清い心を以て主の聖体を拝領し、(しばしば)イエズス様と一致すべく務める人、一口に云えば、自分の心に、悪魔だの、浮世の寶だの、身の楽しみだのを宿さないで、イエズス様の為に立派な居間を備え、之を歓迎し、之と離れない人を云うのでありまして、そんな人の心には、イエズス様も喜んでお這入(はい)り下さるのであります。

(4)− 一体我々は天主様に造られたもので、天主様の()(もべ)たるに過ぎない。

其の上、罪を犯して天主様の敵となり、悪魔の奴隷とまで成り下がったのですから、実は天主様の()(もべ)として戴くにさへ堪えないのであります。

それにも拘わらず、イエズス様を()け奉るならば、天主様の養子、イエズス様の兄弟となり、共に天国の極まりなき(さい)(わい)を相続する権能までも与えられるのであります。

然らば皆さん、たとへ今迄はイエズス様に御宿をお貸し申さなかったにせよ、今度と云う今度は痛悔(つうくわい)の鞭を振って、悪魔でも、浮世の寶でも、身の楽しみでも残らず逐出(おいだ)して、其の跡にイエズス様を承け奉る用意を致しましょう。未だ今日一日あります。

告白をして居ない御方は是非今日の中に告白をして、今夜なり、明朝なり、立派にイエズス様を()け奉り、いよいよ天主様の養子、イエズス様の兄弟として戴く様、務めようではありませんか。

要するにベトレヘムの人がイエズス様を()けなかった如く、今でもイエズス様を()け奉らぬ人は多いものですから、()めて我々なりとも、心の門を推し開いて、イエズス様をお迎へ申し上げましょう。

さすればイエズス様の方でも我々を天主様の養子、御自分の兄弟、天国の世嗣(よつぎ)として下さる。

我々の身に取って是よりも有り難い、是よりも幸福(さいわい)なことがありますでしょうか。

どうぞ皆さん、この御降誕を機として、是非とも右の幸福(さいわい)(あずか)ることが出来ますよう、お心掛け下さい、(ひとへ)にお願い申し上げます。

 ()  () け

(1)− イエズス様がなぜ馬屋に御降誕になったか、その理由はどなたも御存知の所でございましょう。聖母と聖ヨゼフがベトレヘムへ行き、宿をお求めになりましたけれども、ベトレヘムの人等は「空き()がない」と云って、宿を貸してくれなかった。イエズス様は終に町外(まちはずれ)洞穴(ほらあな)にお生まれになりました。天使の()げを蒙って、牧者(ひつじかい)(たち)は御前に駆けつけ、平伏して(おが)み、帰って其の事を人々にも告げました。けれどもそれを聞いて拝みに行った人があった様には見えません。其の後イエズス様が御教えを説いて廻られた時も、それを信じて弟子となったものは、多く貧困者ばかりで、金満家や、学者や、位ある人は格別従わないのでした。従はないのみならず、寧ろ大敵となり十字架にかけて殺しました。ユデア人のみならず、他国の人々も同じくそうで、始めからオイソレと御教えを信じた国は何処にもありません。我国の如きも開国以来はや六十余年、それに信者の数はと申しますと、まだ十万にも達して居ない、誠に以て(なげ)かわしい次第ではございませんか。「己が領分に来たりしに其の領民は彼を()けざりき」全世界はイエズス様の領分である。全世界の民はイエズス様の領民であるから、(こぞ)ってイエズス様を王と戴き、之に従はねばならぬ、殊に信者たるものは、その領民中にも特別寵愛された領民、唯の(しも)()ではない、子供として可愛がられて居ながら、やはりイエズス様を()けない、やはりイエズス様を容れ奉らないと云うは、実に情けない次第ではございませんか。

(2)− 是は抑も如何なる理由に基づくのであるかと云うに、ベトレヘム人は、もうお客が一杯詰まって空き()がない、と云って(こと)()ったのでした。今日でも同じくそうで、自分の心のお座敷にはお客をちゃんと坐らして居るのです。傲慢や、快楽や、金銭の慾や、其れ等を心のお座敷に坐らして居るのですからイエズス様のお這入(はい)りになる処があろうはずはございません。試みに隣近所の異教者に向かい「なぜあなたはカトリックにならないのです?・・・カトリックの教えに何の悪い所があるのですか」と尋ねて御覧なさい、「そりゃ悪い所は一つもありません、実に立派な教えですが、あんまり厳格ですからな。カトリックになれば、人の物を償はねばならん、そうしては身代が潰れてしまいます。カトリックになれば身の愉快が許されません。正直に穏和(おとな)しく世を渡り、仇敵(あだかたき)にまで赦さねばなりません。それがどうして私の如きものに出来ますか」と答えるでございましょう。彼等は実に財宝の慾、肉の楽しみ、世の誉れ、そんなお客に心を占領されて居ますから、イエズス様のお這入りになる場所が残らないのであります。異教者ばかりではない、信者の中にも、そんな人は多いものである。イエズス様はその人等の心を叩いて「開けて下さい、這入らして下さい」とお頼みになる。「何人(どなた)ですか」と尋ねます。「私はイエズスです、貴方の為に馬屋に生まれ、十字架の上に死んだ救い主ですよ」「御用は何でございます?」、「私は貴方がもっと穏和(おとな)しくなり、謙遜になり、貴方の心より、傲慢や、怒りや、憎みや、復讐(あだかえし)の念を遠けるように勧めたいと思って、参ったのです」。「それならば帰って戴きましょう。茲には場所がございません」其の隣に往ってお叩きになります。何方(どなた)ですか、何の御用ですか」、「私は貴方が世の儚い財の慾に絡まれないよう、今少しは窮乏者を憐れみ助けるよう、他に損害をかけないように教えたいと思って参ったのです」「あちらへ行って下さい。ここには場所がございません」。イエズス様はなおも懲りずまに其の隣にいってトントンお叩きになります、「何の御用です?」、「私は貴方にもっと痛悔(つうくわい)を勧めたい、身を懲らし苦しみをよく忍び、あの汚らはしい快楽と手を切り、あの恥ずかしい遊びをお止めになるよう、あの良からぬ関係を断ってしまいなさるように、お勧め致したいのです」。「何んでございます?そんな六ヶ敷い話しが聞かれますか。

我々が現世(このよ)に居るのは愉快をする為、遊び楽しむ為ではありませんか。今日あって明日は分かりませぬ(はかな)い生命を()って居ながら、そんなにくよくよ言って居ては、生き甲斐もありますか。

行って下さい、そんな話しは聴きたかありませんよ。」

こんな様にイエズス様は何人(たれ)の門をお叩きになっても「さあ、どうぞお這入り下さい」と、心の門を押し開いて、歓び迎えてくれる人は極めて少ない。一旦は罪を告白し、聖体までも拝領して、立派にイエズス様を迎え入れながら、間もなく以前の罪を招いて、御主(おんあるじ)()い出し奉る人、傲慢や、邪淫や、お酒や、不義の金銭やを引き込んできて、「さあ出て行って貰いましょう」と、イエズス様に迫る様な人さへ其の数を知らぬのであります。

誰しも胸に手を当て考へて見ますと、幾度そんな不埒を働いた経験がありますでしょうか。

それにも懲りないで、イエズス様は今,尚、叩いて下さいます。

説教の時に、告白の際に、ミサ聖祭の折に、親、兄弟を以て、司祭の口を以て、他人の善き鑑を以て、朋友(ともだち)の身に落ちかゝった災難を以て、或は聖書を読んで居る間に、祈祷(いのり)をして居る中に、幾度我々の心の戸をトントン叩いて下さいますでしょう。「自分は外に立って居る、内へ這入(はい)りたい、早く開けて下さい」と泣くが如く、訴えるが如く、折り入って頼むが如く、その切ない御意(みこころ)を打開け給うのであります。

何時までも主を外に立たせ申しては、余りにも勿体(もったい)ない、せめて今からでも潔く罪を()(ぱら)って、主を迎え入れ、一心に尊び愛し奉らねばならぬじゃありませんか。

 

(七) 御   降   誕 (其の一)

 

イザヤ預言者が「一人の嬰児(みどりご)我等の為に生まれたり」(イザヤ九の六)と、七百年も前から予言して置きましたその嬰児の御降誕を、今夜我々は記念するのであります。さて、

(1)− その嬰児(みどりご)とは何んな御方でございますか?御存じの通り、それこそ神の御子、天地万物の君、天も地も無より造り出し給うた全能の天主様、万物を治め、司り給う全智の天主様、世の始より俟ちに俟たれし救い主、限りなき力、限りなき智慧、限りなき富、限りなき(さい)(わい)を備えさせ給う天主様であります。

(2)− 何処にお生まれになりましたか?そんな御方ですと定めし世界の大都(みやこ)にお生まれ遊ばしたでございましょう?・・・いえ、ユデアと云う格別世にも知られぬ小さな国、その国の都でもない、片田舎はベトレヘムの町外れにお生まれになりました。そんな御方ですと、せめては王様の御殿に生まれて、金銀の揺籃(ゆりかご)にでも(ねか)され、全世界の人民は(こぞ)って喜び躍り、均しく声を揃えて、その御降誕を御祝い申し上げたでございましょう・・・なかなか、王様の御殿どころか、汚い馬屋にお生まれになりました。金銀の揺籃(ゆりかご)はおろか、乞食よりも浅ましく、馬槽(うまぶね)の藁の上に()かされ給うのであります。御降誕になったことを知るものさへない。知ったものは僅かに牛と馬と、賎しい五六人の牧者(ひつじかい)だけでした。天上の天使より外にはお祝い申すものもありません。ベトレヘム人の如きは、空き()がないと云って、宿さへ貸さなかった位であります。

(3)− どんな装をしてお生まれになりましたでしょう?天地の神,万民の御主(おんあるじ)にて(ましま)すと云うのだから、必ずや(まぶ)しい程の威勢を示し、赫々たる威光を輝かしてお生まれになったでしょう・・・なかなか以てそんな所の話じゃありません。賎しい人間に、貧しいマリア様の子供にお生まれになりました。責めてはアダムが始めて造られた時の如く、力の強い、元気旺盛な大人にでもお生まれになって可さそうに思われますが、そうも致しなさらぬで、ほんの赤ん坊にお生まれになりました。天地も容れ(あた)はぬ無量無辺の神にて(ましま)しながら、小さな馬槽(うまぶね)の中に、藁を(しとね)としてお出でになります。何一つ思いのまゝにならざるなしと云う全能者にて(ましま)しながら、布片(ぬのぎれ)に包まれ、身動きさへ出来ないで、自由に人手に扱われ、抱けば、ジッとして抱かれ、()かすれば、ジッとして()ていらっしゃいます。生きとし生けるものを養い給う御方が僅かの乳を以て養われ、鳥獣にさへ毛や羽の暖かき衣物(ころも)(まと)はせ給う御者が、冷たい風に吹き(さら)され、暖かい一枚の産衣(うぶぎ)さへ()たないで、寒さにふるい上がって居られます。

遂に憂い悲しみに沈める人を慰め給う神様、天国に於いては天使聖人等を限りなく喜ばせ、楽しませ給う神様でありながら、泣きに泣いて、人に慰めを求めねばならぬ哀れな身の上にお生まれ遊ばしたのであります。

(4)− 誰の為にそう云う浅間しい身の上となられましたか?・・・御父の為でしたか。或は御自分に何かの利益を求める為でしたか、否、決してそんなことはありません。御父でも御自分でも、限りなき(さいわい)(きわま)りなき楽しみに(あふ)れさせ給う天主様、其の上に(さいわい)を増し、楽を加へる必要は少しもない。その(さいわい)や、楽は増すことも出来ねば、減らすことも出来ないのであります。然らば誰の為ですか、天使の為ですか。否、天使にはそんな必要がありません。ただ我々人間の為、罪深い我々人間の為、私の為、あなたの為、()の人や()の人の為でございました。

 

(5)− 何の為にそんな浅ましい姿になられました?・・・外ではない、ただ我々を(さいわい)ならしめる為でした。即ち我々を天に登すが為、御自分は態々天からお降りになりました。我々に罪の赦しを蒙らしめんが為、御自分は罪人の姿となって、我々の罪を残らずお引受け下さいました。我々が悪魔の奴隷となり、罪の綱に縛られて居たのを(ほど)いて下さる思召しから、御自分は奴隷見たようになって、布片(ぬのぎれ)に包まれ、身動きさへ自由ならぬ有様となられました。我々に天の限りなき幸福(さいわい)を与えたいばかりに、御自分は冬の真夜中に、馬屋に生まれて、寒い風に吹き晒され、その柔らかい御躰(おんからだ)を硬い藁の上に(ねか)されて、云うに云われぬ難儀を()めさせ給うのであります。

(6)− 思って(ここ)に至れば、我々は如何なる感情を(おこ)すべきでございましょうか。もし茲に大国の王様があって、一人の乞食を殊の外寵愛し、之を(なづ)けるが為、自ら乞食となり、身には乞食の襤褸(ぼろ)(まと)い、口には乞食の食べる不味(まず)いものを食べ、乞食の使う賎しい言葉を使うのも厭わないまでに至られたのを見ましたら、皆さんは如何(どんな)仰天(ぎょうてん)なさいますでしょう。所でイエズス様がちょうど然うして下さいました。全能の神、天地万物の大王の貴きを以て、我々見たような、賎しい恩知らぬ罪人を愛し、その為に浅ましい人間の肉をつけ、()かも汚らわしい馬屋に生まれ、人間の食物を食べ、人間の言葉を使い、全く人間となって、哀れな生活をして下さると云うは、実に幾ら感謝しても足りますことでしょうか。幾ら御礼を申し上げても到底万分の一にも当ることが出来ますでしょうか。それに我々はどうしました?・・・有難いと思ったことさへない、御礼を申し上げることすら知らない、却って罪に罪を重ね、色々と悪事を働いて、この慈愛(いつくしみ)深き天主様に有ゆる侮辱を浴びせかけ奉って居るではございませんか。あの小さな御目に(たた)へていらっしゃる涙の露を御覧なさい。あの物哀しい御泣き声に耳をそばたてなさい。あれは他の赤ん坊のそれのように、決して意味の無い涙でもなければ、意味の無い泣き声でもありません。我々の罪を思ってお流しになる涙です。我々の恩知らずの罪を悲しんでお泣き遊ばす泣き声です。さすればどうぞ皆さん、今年よりは、否、今夜よりは全く心を改めて、今迄の過失を繰り返さず、却って彼の天使等の如く、牧者等の如く、聖母マリア、聖ヨゼフの如く、誠意(まごころ)こめて、この御子を尊び敬い、慕い愛すべく務めようではございませんか。

 

(イ)― 天使(たち)は何をしましたか・・・天使(たち)は救い主が御降誕になったことを直ぐ牧者(ひつじか)(いら)に告げ、又、諸共(もろとも)に声を揃えて、神の御光栄(みさかえ)を歌いました。我々も之に倣い、出来れば知らぬ人にも天主様のこと、(たす)(かり)のことを知らしめ、殊に神の御子が、罪人を救はんが為、態々天よりお降りになったことに就いて、厚く御礼を申し上げねばなりません。その海山ただならぬ御恵みを心から讃美せねばなりません。

(ロ)− 牧者等は何をしましたか・・・彼等は救い主の生まれ給うたと聞くや、何も彼も打ち棄てゝ、ベトレヘムの馬屋に駆けつけ、平伏(ひれふ)して其の嬰児を拝みました。我々もそれを御手本と致しましょう、聖堂へ参詣するよう、ミサを拝聴するよう、告白や聖体を拝領するように、罪を避け、御誡(おんいま)(しめ)をよく守り、徳を修める様、親兄弟より、司祭や、伝道師より、或は直接に天主様より聖寵を以て戒められる時、勧められる時、飛び立って之に従い、二つ返事で駆け出す、と云う様に致さなければなりません。

(ハ)― (つい)に聖マリア、聖ヨゼフは何を致しなさいましたか・・・拝伏(ひれふ)して御子を拝みなさいました。寒さに震えていらっしゃるのを見て、腕に抱き上げ、懐に入れて、暖めなさいました。

天主様が人を愛して、かゝる浅間しき人間とまでお成り下さったのを見て、自分等も一心に御子を愛しなさいました。

その愛、その聖母マリア、聖ヨゼフの愛は御子の為に如何ほど嬉しく、楽しく覚えられましたでしょう。たとえベトレヘムの町人よりお宿を貸されないにせよ、たとへ全世界の人々より受け容れないにせよ、この御両方(おんふたがた)より愛されるだけで、十分御満足に覚えさせ給うたでございましょう。

我々もこの御両方(おんふたがた)を鑑とし、今よりは(しばしば)聖体の前なり、馬屋の前なりに(ひざまず)いて御子を礼拝いたしましょう。殊に聖体を拝領する時は、各自の心にイエズス様から生まれて戴く様なものですから、熱く熱くお愛し申し上げましょう。

寒さも冷たさもよく堪へ、之を以て御子を暖めて上げる、時には食べたいものを減らし、飲みたいものを幾分控えて、それを御乳としてこの御子に献げるように務めましょう。

そして今迄は幾度も幾度罪に罪を重ねて、この愛すべき御子を悲しませ、涙を流させ奉ったから、今よりは其の反対にこの御子を尊び愛して、少しでもこの御子のお嫌いになることは断然之を止める、この御子のお望みになること、お好きになることは、如何に辛くとも苦しくとも、必ずやって除ける様に致しましょう。

そう致しますと、御子も定めし御満足に思召され、折角生まれた甲斐があったよ、とお喜びになるに相違ございません。

 

(八) 御     降     誕 (其の二)

(1)― 歴史あって以来、人の心を最も深く感動させ、其の奥底までも動かして止まないのは、吾が主御降誕当夜の光景ではありますまいか。身は天地の君、万物の御主、ただ一言もて世界をお造り遊ばしたほどの全能の神にて(ましま)しながら、()うして牛馬を繋ぐ洞穴(ほらあな)に、浅間しい嬰児(みどりご)となってお生まれになったのでしょう?斯くまで成り果てなさらなくては、人を救い上げることがお出来にならなかったのでしょうか。お出来にならなかったのではないが、人を救うのに是が最もよく適当しても居れば、又、最も効果が著しいとお認めになったからであります。実に人は(たす)(かり)の道を踏み外して、途方もない罪悪の巷に彷徨(さまよ)って居たものですから、之を正しい道へ引き戻さねばならぬ。真理を失って、暗い暗い迷妄(まよい)の中に陥って居たのですから、之が前に真理の光を輝かさねばならぬ。霊魂の生命を失って、禽獣(とりけもの)も同然に成り果てゝ居たのですから、之に真正(ほんとう)生命(いのち)を吹き込んでやらねばならぬのでございました。そこで後日群衆に向かって其の道を示し、其の真理を輝かし、其の生命をお与へになったイエズス様は、既に御降誕当時から、その御手本を以て「我は道なり、真理なり、生命なり」とお叫びになったのであります。

(2)− 我は道なり (じん)()の罪によって人は天主様に遠ざかり、天国の道を踏み外してしまいました。それからと云うものは丁度茫々(ひろびろ)たる太洋(なだなか)(かじ)を失へる捨て小舟(おぶね)も同様で、ただ波のまにまに漂うばかり、神を尋ねて、木の、石の、日の、月のと云う様なものに尋ね当り、それを神として礼拝(おが)み、幸福(さいわい)を捜して、現世の(はかな)い財宝、煙の様な名誉、汚らわしい快楽を捉へ、之を何よりの幸福とし、その為に有ゆる罪悪に身を持ち崩すに至ったのであります。斯うした悲しむべき状態に陥って居た時、約束の救い主は御降誕になり、罪の為に破壊された秩序を回復し、人類を罪悪の巷より引き戻して、之に真の神へ辿り着くべき道を教へ給うたのであります。でございますから、御降誕当初より我々一人宛(いちにんづつ)に向かって「我は道なり、汝我より進め」と仰しやって下さいました。(そもそ)も天国の道は狭い、嶮しい、荊棘(いばら)が生えまくって居るので、之を終まで辿り了すと云うは、並大抵のことではありません。それに持って来て、例の財宝だとか、名誉だとか、快楽だとか、其の他、色々の情欲が道側(みちばた)から出て来て、始終声を掛けたり、手招いたりするものですから、(やや)もすると、それに(だま)されて、岐路(えだみち)へ踏み迷はうとしてなりません。でイエズス様は我々の為に自ら道となって、行くべき方角をお示し下さいました。我々が財宝に眼を眩まされない様、御自分は天地万物の御主にて在しながら、極貧の中にお生まれになりました。名誉の奴隷とならない様、身は全能全智の神にて在しながら、牛馬見たように馬槽(うまぶね)の中に()かされなさいました。余り肉体を撫で擦って快楽を(ほしいまま)にしない様、御自分はその軟らかい御体を硬い藁の上に横へ、寒い風に遠慮もなく吹き晒されなさいました。自分さへ良ければ、人は何うなろうと構わぬと云うように、我々は利己心に()られ、自分の都合ばかりを考えたがるものですが、イエズス様は却って其の反対の道をお示しになりました。「私を御覧なさい。私はあなたを愛して、あなたの為に幼児(おさなご)と生まれたのです。私は総ての人を愛し、総ての人の為に斯んな姿をして生まれました。私を苦しめるもの、(せめ)殺すものゝ為にでも、矢張り幼児となって生まれたのですよ」と仰しやって下さるのであります。斯くの如くイエズス様は既に御降誕の其の初めから、天の道を示して、我々を差招いて居られます。「私に従いなさい。私を鑑としなさい。私は天主様に到る道、真の幸福に辿り着く門です。財宝や、名誉や、快楽や、其の様なものは決して人を幸福ならしめるものではない。若し其れ等が果たして人を幸福ならしめるものならば、真っ先に之を私の尊ぶ御母マリアに、私の敬う養父のヨゼフに、私の愛する弟子等に与えたでしょう。然るに彼等は一生涯、貧乏をし、(はずかし)められ、苦しんで世を渡ったものではありませんか」と斯う仰しやって下さるのです。我々は斯の御声に応じ、斯の御教に従い、イエズス様の御跡から、

真の幸福に至るの道を辿ることに致さなければなりません。

 

(3)− 我は真理なり イエズス様は其の馬槽(うまぶね)の中から「我は道なり」と叫び給うと共に、亦「我は真理なり、我に従う人は暗黒(くらやみ)を歩まず」と仰って下さいます。

是れまでと云うものは、人は情慾に(まなこ)(くら)まされ、盲者(めくら)も同然になって居ました。自分は天主様に造られたのだから、一度は亦、天主様の許へ帰らねばならぬものだ、現世は假の世、旅の空、天主様の許に帰る準備を為すための場所たるに過ぎないのだ、肉体は何時しか腐って土となるのだが、霊魂は何時になっても朽ちることがない。

さればたとへ全世界を儲け()とも、霊魂を失はば何の役にも立つものではない、と云うことを一向悟り得ないのでした・・・随ってただ何うしたらば長生きをし、栄華を極め、面白く可笑しく世を渡ることが出来ようかと、ただそればかりを思い、それを終局の目的と致しまして、その目的を達することさへ出来たらば、如何に罪悪に汚れ果つるとも、差支えない位に考えて居たものであります。此の時に当ってイエズス様が御降誕になりました。

冷たい、じめじめした馬屋に生まれ、硬い荒くれた藁の上に()かされて、世を軽んじ、其の栄華を足下(あしのした)に踏み付けて見せられました。

その貧しい馬槽の中から我々に向かってお叫びになりました。

()せ易き財宝(たから)を求め、専ら之に(たの)みを置くのは空しい事だ。名誉を(こいねが)い、高い地位に上ろうとばかり思ったり、肉体を撫で(さす)り、後で厳しく罰される様なことを望んだりするのは空しいことだ。長く生きようとばかり望んで、(すこ)しも善く活きようと努めないのは空しい事だ、現世(このよ)の事ばかり考えて一向来世(のちのよ)の事を(おもんばか)らない、(また)瞬間(たくま)に過ぎ去る物を慕い愛して、永遠の喜悦(よろこび)()って居る彼の天国へ急がないのは馬鹿げて居る」と。斯んなにお諭し下さいました結果、人々は始めて長夜(ちょうや)の眠りを()まして、真理の光を仰ぐようになりました。

是迄と云うものは世界は(まっ)暗黒(くらやみ)で、罪悪は時を()(かお)(はびこ)り盛え、道徳は圧倒され、有ゆる悪風、汚俗(おぞく)は大手を振って(のさばり)歩いて居たものでした。

然るに一たびこの真理の太陽が東の空に輝き()めるや、罪悪は忽ち跡を(くら)まして、美風善行が之に代わりました。

傲慢(ごうまん)は隠れて謙遜が(あら)われる、邪淫(じゃいん)は逃げて清浄(しょうじょう)が出て来る、貪慾(どんよく)は引込んで慈善が顔出しをする、世界は実に花咲き、鳥歌う芽出度い春となったのであります。

兎に角、主は真理である、現世に来たれる総ての人を照らす光である。之に従うものは暗黒(くらやみ)を歩かない。我々は今まで随分と暗黒(くらやみ)を歩きました。窮りなき天国の幸福(さいわい)と現世の(はかな)幸福(さいわい)と、汚らわしい肉体の愉快と、清い罪のない霊魂の愉快と、神様と悪魔とを取り違へて余程馬鹿を見たのでありました。

何うぞ今日よりは一同眼を注いで彼の馬槽(うまぶね)を眺めましょう。彼の馬槽(うまぶね)の中から響き渡る真理の(ことば)に耳を傾けましょう。我々の目的は(この)()にあらずして、天国に()る。真正(ほんとう)幸福(さいわい)は肉体の上には無くて、霊魂の上に()る。

天主様を愛し、之に仕へ奉ることの外は、総て空しく、馬鹿馬鹿しいことだと悟りまして、専らその真理を捉うべく大いに努力いたしましょう。

 

(4)− 我は生命なり 永遠の幸福(さいわい)を得るには、イエズス様を道として進まねばならぬ。たとへ其の道が険阻(けんそ)であり、其の教えが厳格に過ぎて、実行し難い様に思われても、イエズス様は真理である、是非之に従はなければならぬ。この道に由り、この真理に照らされ、岐路(えだみち)に踏み迷はずして、一直線に進みましたら、必ず真の生命(いのち)に到着するのですから、イエズス様は終りに「我は生命(いのち)なり」と(のたま)うた。この「生命(いのち)」と云うは、外に見える肉体の生命(いのち)ではなく、内に隠れて居る霊魂の生命(いのち)を指したものであります。我々の霊魂が一たびこのイエズス様の生命(いのち)を受け、それに活かされた日には、打って変わって万事イエズス様の如く思い、イエズス様の如く言い、イエズス様の如く行い、イエズス様そっくりとなってしまうのであります。

イエズス様の御降誕あそばしたのは実に之が為でした。で今まで深い深い堕落の淵に沈み入り、殆んど禽獣(とりけもの)の生命を以て活きて居た人々も、一たびイエズス様がベトレヘムの馬屋に生まれて、その神聖なる生命(いのち)を吹き込み下さってからと云うものは、すっかり面目を改めて参りました。

飲食を以てその(いの)()として居たものが、断食を以て(いの)()とするほどになり、色事を以て(いの)()として居たものが今や正当な楽しみまでも(なげう)って、身も心も潔く神様に(ささ)げ、清い天使のそれにも劣らぬ生涯を送るようになりました。

盗みを以て(いの)()として居たものが、今や慈善を以て生命(いのち)となし、自分の所有物(もちもの)までも人に施すと云う様になったのであります。

あゝこの生命、このイエズス様の生命(いのち)によってこそ、我々は始めて真人間となるのであります。

イエズス様も仰しやったでしょう「我は葡萄樹(ぶどうのき)にして汝等は枝なり、我に止り、我が之に止る人は、是れ多くの実を結ぶものなり。

(けだ)し我を離れては汝等何事をも為す(あた)はず」(ヨハネ15ノ5)と。して見ますれば、善を修め、徳を積みて、天国の幸福(さいわい)をかち得んが為には、()うしてもこのイエズス様の生命(いのち)()って居なければならぬ。イエズス様が見るも憐れな馬屋に生まれ、(あら)ゆる困難を()め尽くし給うたのも、ただ我々にこの生命を得させたいと云う有り難い思し召しからでございました。

〇     ●     〇     ●     〇

イエズス様が馬槽(うまぶね)の中からその美しい御手本を以て叫び給うた御言(みことば)はこの通りでございます。唯今では其のイエズス様も馬屋に生まれ給うのではなく、聖体の秘蹟を以て、我々の心にお生まれ下さるのであります。して我々の心の道となって、進むべき方向を示し、我々の智慧に真理の太陽と輝いて、情欲に(まなこ)(くら)まされぬ様にし、我々の霊魂に生命(いのち)を与えて、御自分と一致させ、何時までも何時までも離れない様にして下さるのですから、何方も今夜は熱心に聖体を拝領した上で、イエズス様に向かい、「何うぞ私の道となって、岐路(えだみち)に迷はせないで下さい。

真理となって、私の心を照らし、生命となって、私を生かし、善徳の美しい実を結ばして下さいませ」と祈らなければなりません。

 

(九) 御     降     誕 (其の三)

 

世の始より()ちに()たれし救い主は、今日ベトレヘムの洞穴(ほらあな)に御降誕になりました。

天地を造り、万物を主宰(つかさど)り給う全能の神様が、勿体なくも宿るべき家さえなく、(むさくる)しき馬屋に生まれ、馬槽(うまぶね)の中に寝かされ給うのであります。然し不思議にも忽ち一位(ひとり)の天使はこの有り難い御降誕を牧者(ひつじかい)(たち)に告げ、それと共に(おびただ)しい天使の群は喜びの声を揃えて「()と高き処には神に光栄、地にては御好意の人々に平安」と歌いました。

我々も今夜この喜ばしい出来事を記念するに当りまして、天使等と心を合わせ、声を揃えて、神様の光栄を歌い、人々の上に平安を呼び求めたいものであります。

(1)― (そもそ)も天使等が「()と高き処には神に光栄」と歌ったのは、果たして何を意味したものでしょう。救い主の御降誕あそばす迄と云うものは、世は全くの暗黒(くらやみ)で、神が如何なる御方なるかと云うことすら()らなかった位ですから、()して之を尊び愛するなんて夢にも思わぬのでありました。

ユデア一ケ国を除けば、世界到る処、皆、哀れにも木だの、石だの、禽獣(とりけもの)だのを神として拝んで居ました。実にボスエが申しました如く「何でも()でも神としながら、ただ真の神だけを神としないのでありました」。然るに救い主が一たび御降誕になりますや、人々は善く神様を()り、随って善く之を拝み、善く之を尊び、善く之を愛する様になりました。

ただに人が尊び拝むばかりでなく、人を愛して、人と生まれ給うたその神様が、人に(かわ)って尊び拝んで下さると云う様になったのであります。

祈祷(きとう)も今迄の如く腐った心より(ほとばし)るのではなく、清い汚れのない口を以て神様の御前(みまえ)に捧げられる。祭壇に供へられる犠牲は、今迄の如く(つま)らない牛や羊ではなく、実に神の御子であり、神の尊い御身であると云うような塩梅(あんばい)で、それだけ人々は次第に悪を離れて善に就き、罪に遠ざかって徳に親しみ、為に世の中の(あり)(さま)はがらりと一変して、僅か百年か二百年の中に、五千年、一万年の間よりも一層善く神様を礼拝(おが)み、尊崇(とうと)ぶに至ったのであります。

天使等が「()と高き所には神に光栄」と歌ったのは、実によく当って居ると言わなければなりません。

(2)− 次に天使(とう)は「地には御好意の人々に平安」と歌いました。

「御好意の人々」とは神の御意(おぼしめし)(かな)う人々を意味するのであります。

その人々の上に天使等が平安を願ったのは何の為でしょう、当時天下は太平で戦争は何処にもありませんでした。

世界の国々は(ロー)()に征服され、(ロー)()は亦、皇帝アウグスッスの支配の下に、安らかな平和を楽しんで居ました。それに何うして「地には御好意の人々に平安」と天使等は歌ったのでしょう。なるほど其の頃、天下は太平で、矢玉の響きも聞こえねば、(なまぐさ)い血潮の流れる事もなかったのですが、然し戦いはやはり有りました。

先ず人と神との間に、次に人と人との間に、(つい)に各々の身の中に始終激しい戦いがあったのでございますから、世界の大王にて(ましま)すキリスト様は、その御国(みくに)にお這入り遊ばすに当って、平安を引出物として、其の臣民にお(わか)ちになったのであります。

(3)− 先ずキリスト様は「神と人との間に平安を(もたら)し給うた」、そもそも平安とは何ぞやと云うに、平安は秩序が整然として、すべての物が夫々定まった位置に安んずることを言うのであります。

即ち(しも)たるものはよく其の(かみ)に従い、(かみ)たるものはまた其の(しも)を率いてよく神様に従ってこそ、始めて秩序が整い、平安が生ずる訳で、一たびこの秩序が()()れた日には、茲に即ち戦争がおっぱじまるのであります。所で罪と云うものは、天主様のお定めになったこの秩序を乱すのである。従わねばならぬはずの人間が神様に従はずに、却って之に(さか)()うのである、却って之に謀叛するのである、却って之に戦争を仕向けるのであります。御存知の通り、我々人間は、アダムの罪の結果として原罪の汚れに染まり、始めから神様の敵となって生まれるのですから、決して平安を()って居ません。然るに救い主キリスト様は何をして下さいましたか。御自ら神様と人間との間に立って仲裁をして下さいました。双方を和解さして下さいました。罪の為に破壊されおわった秩序を回復して、元々通りにして下さったのであります。人間は罪を犯して神様に侮辱を加えましたから、是非ともそれ相当の謝罪をしなければならぬのでしたけれども、悲しい(かな)、それが人間の力では出来兼ねる。人間の力には限りがある。而かも其の身は罪に汚れて居る。神様は無限絶対である。随ってその神様に加えた侮辱も同じく無限であらねばならぬ。有限、有罪の人間が何を何うしたからとて、無限の罪を償うこと出来るはずはありますまい。そこでキリスト様は全能全智の神の身を持ちながら、浅ましい人間となり、汚らわしい馬屋に生まれ、果ては十字架に(はりつ)けられて、鮮血を(したた)らし、我々に代って神様に謝罪をして下さった。斯くの如くして我々の勘当は赦され、神様は再び我々に取って慈悲深き父となり、我々はその愛子(あいし)となるを得ました。即ち神様と人間との間に平安が成立したのである。和睦が取り結ばれたのであります。でございますから如何なる罪人でも、神様の前に(へりくだ)って赦しを願う気にさえなりますならば、この救い主キリスト様の功徳によって、何時でもその罪は赦される。平安はかち得られる、「地には御好意の人々に平安」がある訳ですから、何方もこの大祝日に当って、少しでも神様と不仲になって居る所がない様、もし不幸にして、そんな事になって居るならば、一刻も早く痛悔(つうくわい)の胸を打って、和解を祈り求める様に致さなければなりません。

(4)− 「人と人との間に平安を(もたら)し給うた」、キリスト様はただ神と人との間に平安を(もたら)し給うたのみならず、亦、人と人との間を和睦さして下さいました。アダムが罪を犯してより、人は始終傲慢、貪慾、嫉妬等の為に相争い、相戦う様になり、世界は茲に惨憺たる修羅の巷と化し去りました。(ひろ)く人を愛すると云うことは夢にも思いませんで、ただ自分の利害のみを考え、自分さへ()ければ、人は倒れようと、転ぼうと、少しも構わないと云う様な利己一天張りとなりました。ただに国と国とが相戦うのみならず、また家と家、人と人とが同じく傲慢の為、貪欲の為、嫉妬の為に睨み合う、(いが)み合う摑み合うと云う様になったのであります。然るに「平和の神」と称され給うキリスト様は()うなさいましたか。(ことば)を以て、行いを以て、人に博愛の道を教えなさいました。世の人々が皆神様を父とせる兄弟となり、(あい)親しみ(あい)愛する様に教えなさいました「我は新しき掟を汝等に与う、即ち汝等(あい)愛すべし」(ヨハネ13−34)だの、「我が汝等を愛せし如く、汝等も(あい)愛すべし」(同上)だの、「もし汝の兄弟、汝に罪を犯さば之を(いさ)めよ、若し改心せば之を赦せ、一日に七(たび)罪を犯して、一日に七(たび)改心すと云いつゝ汝に立ち返らば之を(ゆる)せ・・・」(ルカ17―3)だのと教えて、人々の心を和らげ、互いに親密となして下さいました。特にキリスト様は自ら鑑となって、すべての争い、すべての不和の(もとい)たる傲慢だとか、財宝や、快楽やを(むさぼ)る心だとか、嫉妬だとか、そんなものを()()やそうとして下さいました。

神の御子が馬屋に生まれ、寒さに(ふる)へ、泣きに泣いていらせられる(あわ)れな光景(ありさま)(まなこ)を注ぎなさい。

その寝かされ給へる馬槽(うまぶね)こそ、「謙遜せよ、名誉を(むさぼ)るな、貧困に安んぜよ、身の安楽を(ねが)うな、人の幸福を(うらや)むな」と教へ給う教壇ではありませんか。

自分は帝王の宮殿に生まれ、光り(まばゆ)き玉の(うてな)に臥して、数多の()(しん)にかしづかれることも出来たのに、却って貧困も貧困、実に乞食のそれよりも哀れな貧困の中に生まれて、世の財宝は財宝とするに足るものでない。

肉体の快楽は決して人を幸福ならしむるものでない。

人の身分を羨む代りに、(かえ)って嬰児(みどりご)の如く柔和にして謙遜なるべし、とお(さと)し下さったのであります。初代教会の信者等はよくこの御教を守り、この御鑑に(のっと)りまして、皆が同心同意になり、財産までも共同にして暮らしたものでございました。

聖パウロの如きも斯う言って居ます、「異邦人もユデア人も、割礼(かつれい)も無割礼も、(えびす)もシタ(ひと)も、奴隷も自由の身もあることなく、ただ万民の中に万事となり給へるキリストの(ましま)せるのみ」(ユロサイ3−11)と。()うなった日には国と国との間に戦争の起ろう筈もなければ、家と家との間に、人と人との間に不和の生ずる憂いもない訳でございましょう。

我々は只今この美しい御手本を眼前(めのまえ)に眺めて居るのですから、務めて之に則り、傲慢や、貪欲や、嫉妬や等を(いまし)め、我が身を忘れて人を愛し、家庭にあっては、親子、兄弟(あい)親しみ、外に出ては隣近所とも仲睦まじくして、折角キリスト様が御降誕の折に(もたら)し下さいました平安の寶を戴くことが出来ます(さま)、心掛けたいものであります。

取り分け聖体を拝領する時は、()はば同じ食卓に就き、同じ食物を同じ父の手から分けて戴く様なものですから、少しでも互いに不満があったり、遺恨がましい事があkつたりしない様、務めなければなりません。

 

(5)− 「各々の身の上に平安を(もたら)し給うた」()うです、キリスト様は我々一人(づつ)の上にも平安を(もたら)し下さいました。

何方も御承知の所でしょうが、我々の身の中には二人の人がある。

即ち肉体と霊魂、情欲と正理とがありまして、始終(あい)反し、(あい)争って居る。一方で善を望めば、他の一方では悪を(たづ)ねる、一方の嫌う所を、他の一方は血眼になって探し求めるという塩梅(あんばい)であります。神様が始めて人をお造りになった時は、決してそんなものではなかったのです。

情欲はよく正理に従い、肉体はよく霊魂に従い、霊魂はよく神様に従いまして、秩序がきちんと立って居ました。

然るに人が一朝、罪を犯すや、情欲は正理を駆逐してやたらに我儘を働き、霊魂に隷属すべき筈の肉体は、(さかさま)に霊魂を抑へつけて之を己が奴隷たらしめると云う様になり、秩序は茲に()()れ、平安は全く失はれてしまいました。

そこでキリスト様の御降誕なさいましたのは、この我儘を働いて居る情欲を(おさ)へて正理に勝を占めさせ、この霊魂を奴隷にして居る肉体を征服して、霊魂を主人公となし、肉体を奴隷たらしめる為でございました。今、御降誕の馬屋を覗いて御覧なさい情欲を満足させる品が一つとして見付かりますか。

何処に肉体を楽しませるものが一つとして備はってありますか。

その御宿は汚らはしき馬屋、その臥床(ふしど)は硬い冷たい少しの藁屑、その産衣は(あら)っぽい布片(ぬのぎれ)、ただそればかりではありませんか。心の平安を得たいと思う御方は是非とも之を鑑とせねばなりません。

情欲の(ほっ)する儘に、肉体の(こいねが)う通りに従いましては、決して平安は得られません。そうでしょう、真正(まこと)の平安は戦い勝って、然る後、始めて楽まれるものです。正理は情欲の上に立たせ、霊魂に肉体を()り使はしてこそ、即ち悪に遠ざかり、善に親しみ、徳を(みが)いてこそ始めて心は安堵して、ゆっくり平安を楽しむことが出来るのであります。

実に或人が申しました如く「平安と云うものは、徳の妹でありますから、姉たる徳を逐出(おいだ)して妹だけを引止めようとした所で、到底()まるものではありません。」

之を要するにキリスト様が御降誕になると共に、神様は大なる光栄を得られました。

我々も今から特別の熱心を以て、いよいよ神様の御光栄を()げ奉る様、心掛けましょう。

次にキリスト様は我々に引出物として、平安を(もたら)し給うた。

我々は之を大切に保存せねばならぬ。

未だ神様と和睦が出来てない人は、一日も早くその和睦を成立させる様、既に和睦して居られる御方は、決してその平安を失い、再び不和とならない様、人と人との間は勿論、殊更ら各自の心の中にその有り難い平安を保って行くように、お務め下さらんことを、(ひとえ)にお(すす)め致して置きます。

 

(十) 御   降   誕 (其の四)

                                    

嬰児(みどりご)我等の為に生まれたり、一人の子供我等に与えられたり」とはイザヤの予言であるが、実に世の始より約束されし救い主、人類が待ちに待って待ち焦がれて居た救い主は(つい)にお生まれになりました。(しか)(あわ)れなる嬰児(みどりご)となり、宿るべき家さへ持たないで、ベトレヘムの町外れのむさくるしい馬屋に御降誕遊ばしたのであります。

身は天地の大君、万物の御主(おんあるじ)、全能全智の神にて(ましま)すと云うのに、寒い風のひゅうひゆうと吹き渡る冬の夜半、焚き火もなく、(あか)()もない洞穴(ほらあな)の中、硬い、冷たい藁屑の上に()かされ給うとは(そもそ)も何の為でございましょうか。

思うに救い主の現世(このよ)にお生まれ遊ばしたのは、我々を救う為ではございましたが、それにはただ罪悪の病に特効ある薬をお与え下さるのみでは足りません。

我々がその薬の苦さに(おそ)れて、之を口にしないようでは折角の霊薬も何等の効を奏することも出来ない訳ですから、先ず御自分でそれを飲んで見せねばならぬ。

で御主は口を開いて御教(みおしえ)を説く前に、自ら感ずべき()手本をお示し下さったのであります。

(1)   (そもそ)もすべての罪悪の根元は何であるかと云へば、肉の楽、金銭の慾、傲慢、この三つでご

ざいまして、この三つの根を切って棄てない限り、何うしても罪悪の枝葉を枯らすこと出来るものではありません。

そこで救い主は生まれると直ぐから、甚い難儀な目にお遭いなさって、我々に肉の楽を抑えるようにお勧め下さいました。そのお生まれ遊ばした馬屋を一目眺めて御覧なさい。

頃は十二月の末つ方、何ぼ暖かいユデアとは云へ、夜なぞは随分冷えもしたでしょうと思われますが、救い主は冷たい火の気すら無い洞穴(ほらあな)に生まれ、硬い藁の上に()かされて、寒さにふるい上って泣いて居らっしゃるじゃありませんか。

之を眺め見ては、何うして快楽を求めたいの、一生安楽に、我儘気儘に暮らしたいのと云う気が起されますでしょうか。

救い主は全能の神様、天地万物の御主(おんあるじ)(さま)でありながら、あれほどの難儀苦労を見て、未だ口を開いて御教をお説きにならぬ前から、既にその御手本を以て「(さいわい)なる(かな)、悲しむ人!」と教へ給うのに、罪深い我々が何うして徒に快楽の後を追い廻し、少しの艱難苦労に出遭(でっくわ)しても、直ぐ天主様を(うら)んだり、人を(とが)めたりされる訳がございますでしょうか。

(2)− 金銭を軽んぜよ、とも教へて下さいました。

世の人は金銭の光に(まなこ)を眩まされて、一心不乱に之を求め歩いて、天国のことなど思い出しませぬ、少しのお金が手に入るならば、霊魂なぞ投げ出しても(いと)わない、と云う塩梅(あんばい)である。イエズス様はこの病を癒すが為に、清貧の薬をお与へ下さいました。

もしお望みでしたら、金銭の光、眩き宮殿に、皇后を母として生まれ、栄華の有りだけを極めることもお出来になったのですが、そう致しなさいましたら、我々に金銭の慾を切って棄てさせること出来ないのみか、(かえ)って益々その慾を蔓らせる、却って益々金銭を欲しがらせる、栄華を望ませる、霊魂を投棄(なげす)て、天国を投棄て、天主様を投棄てゝも構わないと云う気にならせるのみでございましたでしょう。

だからその反対に、金銭の慾に縛られるのは危険だ、金を神様にして拝むのは罪深い業だ、と云うことを(さと)らせるが為に、態々(わざわざ)斯う云う(みじめ)貧賎(ひんせん)の中にお生まれ遊ばしたのである。

皆さん、眼を(みは)って馬屋の中なる救い主を御覧なさい。

神の御子と云う貴い御身を持ちながら、貧しい母より生まれ、宿るべき家さへ持たずに、汚らわしい馬屋に、冷たい窮屈な馬槽(うまぶね)の中に、粗末な布片(ぬのぎれ)(くる)まって()かされ給うその(あわ)れな光景(ありさま)をつくづくと打眺めなさい。

山に()む獣には暖かい()(ころも)(まと)はせ、空飛ぶ鳥には見事な羽毛(はねげ)を着けさせ、野の百合には彼の栄華を極めしサロモンでさえ着ること出来なかったほど美しい装飾(よそおい)をさせ給う天主様である。

それに以って来て、()れほどまで(ひど)(ひど)い貧乏をなさいました・・・実際、現世(このよ)に生まれ出で給うた其の日から、既にその馬槽(うまぶね)の中から、未だ物も言えない其の前から、金銭を足下(あしのした)に踏みにじって見せられました。

その美しい御手本を以て、世の財宝の空しいことをお諭し下さいました。

(さいわい)なる(かな)、貧しき人!」とお叫びになったのであります。

重荷を背負えば勢い下へ(うつ)()きます。

お金は霊魂の重荷です、之を背負って居ると、勢い霊魂は下ばかりを眺めるようになる。お金がある為に、人に(あが)められるので、自然傲慢に流れたり、恥ずべき邪慾の快楽(たのしみ)を求めたりする。

一度も天を眺め得ないので、ついつい(たす)(かり)までも失うの危険に(おちい)るのであります。

之に反して貧乏な人は、此世に快楽(たのしみ)がないから、責めては天国を望むようになる、天主様に()(すが)るようになって来る。そこでイエズス様は態々貧乏の中に生まれて、金満家には其の金の光に(まなこ)(くら)まされないで、むしろ之を軽んぜよと教え、貧乏人には、クヨクヨ言はないで、善く其の貧苦を耐へ忍べ、たとえ人に軽んぜられても、現世(このよ)では楽がされないでも、自分が友になってやる、天国で十二分に報いてやるぞ、とお諭し下さるのであります。

 

(3)− 傲慢を軽んぜよと教えて下さる。

(つい)にイエズス様は我々の傲慢に対して驚くべき謙遜の薬をお与へ下さいました。

一国の帝王に世嗣(よつぎ)ぎの君が生まれ給うたと云う時は、国民は(こぞ)って躍り喜び、祝杯を挙げ、歌いつ舞いつするものですが、天の大王、世の救い主の君が生まれ給うても、知る人すらない、一夜の宿さへも貸して呉れるものはないと云う位・・・神の御陵(みい)()は其の弱々しい嬰児の体の中に包み、其の光栄(さかえ)の輝きはむさくるしい馬槽(うまぶね)、みじめな布片(ぬのぎれ)の蔭に隠して、少しも之を外に(あら)はしなさらぬのでした・・・人に(あら)われよう、金の光を輝かそう、才能を誇ろう、身を飾って人目を驚かそうと思う御方は、来って此の馬屋の前に立ちなさい。

この隠れて軽んぜられて、(いまし)められて居られる天主様を打ち眺めつゝ、自分に何の誇るべき点があるかと少しく我が身を顧みて御覧なさい。

人は無い所までも有るが如く見せかけて誇ろうとしますが、この天主様は有る所までも包んで、無きが如くして居られます。

人は自分のことばかり語りたがる、他の人に始終注目され、()(はや)されたい、と望むものですが、この天主様は弱々しい赤ん坊に生まれて一口の物すら(おっ)(しや)らない。

天地万物の御主にて(ましま)すと云うのに、()う云う(みじ)めな(ざま)をしてお生まれ遊ばしたのである。

之を思っては、人に対して大きな顔をしたり、人を軽蔑したりされたものでしょうか。

(むし)ろこのイエズス様の感ずべき御手本に(なら)って、自分も出来得る限り謙遜すべきではありませんでしょうか。

「今日ダウイドの町に於いて、汝等の為に救い主生まれ給へり」、天使は斯う云って牧者(ひつじかい)(たち)に告げました。実に救い主は我々皆んなの為にお生まれ下さったのであります。

金満家の為にも、貧困者の為にも、貴人の為にも、(せん)(みん)の為にも、矢張り救い主としてお生まれ下さったのであります。

誰も彼も来って馬屋の前に拝跪(ひざまず)きなさい、金満家は(ひざまず)いて、つくづくと救い主の貧困の(さま)をお眺めなさい。主の御目には富の光も、身の栄華も誇りとするに足りない、ただ清い罪のない心こそ、その最も喜び給う所であると云うことが、はっきりと読まれるじゃありませんか。

貧困に泣いて居る人は尚更らこの馬屋の前に跪きなさい、救い主は皆さんを慰めるが為に、皆さんの如くなって下さいました。

生まれると間もなく、貧賎(ひんせん)(ひつじ)(かい)(たち)をお招きになりました。

貧苦も之を善く耐え忍んだら、如何に天主様の御心を喜ばせ奉るのであるかと云うことを、お諭し下さったのじゃありませんか。

終に笑って居る人は(きた)ってその御涙を見、泣く道を学びなさい。

泣いて居る人はその御涙の中にも晴々しい御姿(おすがた)を見て、喜ぶ道を学びなさい。善人は(きた)ってその謙遜、柔和、清浄の徳を学びなさい。

罪人は(きた)って希望を起こしなさい。主が嬰児(みどりご)となり給うたのは人を罰する為ではない、(あわ)れむ為である。

嬰児(みどりご)は怒ることさへ出来ないものだと思って、希望を起こし、深く信頼しなさい。

 

 

(十一) 御  降  誕  の  意  義

「今日ダウイドの町に於いて、汝等の為に救主生まれ給へり」(ルカ2−11)是は御降誕の当夜、天使がベトレヘムの牧者(ひつじかい)(たち)に、この喜ぶべき出来事を告げた時の(ことば)であります。然り、救い主は我々の為にお生まれ下さいました。(1)我々を天主様に接近(ちかづ)かしめる為、(2)我々の悩みを和らげるが為、(3)我々の心の病を癒すが為、斯うしてお生まれ下さったのであります。

(1)   身は全能全智の神、天地万物の御主にて(ましま)しながら、宿るべき家すら持たないで、(けが)らは

しい馬屋に生まれ、僅かに布片(ぬのぎれ)に包まれ、柔らかい御躰(おからだ)を硬い馬槽(うまぶね)の上に寝かされ給うたのは、(もと)より我々を救う為であったが、然しその救いを全うし易からしめんが為、先ず我々を天主様に接近(ちかづか)して下さったのであります。(そもそ)も人類はアダムの罪の為、如何に深い堕落の底に沈んだものでしょうか。天主様の愛子(あいし)として造られ、天主様と親しく交わり、何の恐怖(おそれ)もなく何の遠慮もなく、恰度無邪気な子供がその父母に親しむが如くして居た人類も、一たび罪に(けが)れて神に(のろ)はれ、その勘当を蒙ってからと云うものは、今迄の親愛(したしみ)の情は忽ち恐怖(おそれ)の念に変り、自分と天主様との間が遠くかけ離れて、(しき)りに天主様を恐がる様になりました。イスラエル人は天主様の選民でありながら、その御声(みこえ)を聞くのを恐れ、モイゼに向い、「貴方が代ってお話して下さい、天主様の御声(みこえ)を聞くと、死んでしまってはなりませんから」と願い出ました。イザヤ預言者ですら「あゝ我は(わざわい)なる(かな)・・・万軍の主なる神を()奉れり」(イザヤ6−5)と気遣った位であります。何故こんなに常ならぬ現象が起ったのでしょう。何故こんなに甚く天主様を恐がる様になって来たのでしょう。罪の為め天主様に突離され、天主様の御怒(みいか)りを招き、その(のろい)を蒙る様になった結果ではないでしょうか。でイエズス様は我々と天主様との(へだ)たりを埋めんが為、態々(わざわざ)現世(このよ)にお生まれ下さいました。我々が天主様の御威光を恐れ、()へて近づき奉らうともしないから、その恐怖(おそれ)の念を去って、元々通り天主様と隔てのない父子(おやこ)となり、親密に交わって行ける様に、自ら我々と等しい人間にお生まれ下さいました。もう今迄の如く天主様は遠い遠い天の彼方に、その恐ろしい御威光を輝かして鎮まりますかの如く思うには及ばない。自ら「エムマヌエル、即ち我等と共に(ましま)す神」となり、我々の中にお住まい下さる、しかも可愛い嬰児(みどりご)となって、お住まい下さるのである、何の恐ろしい所もない、怒ることも、罰することも出来ない、ただ清い罪のない、美しい、如何にも愛くるしい御姿を仰せるばかりの嬰児(みどりご)となって、お住まい下さるのであります。「我れ人民一般に及ぶべき大なる喜悦(よろこび)の福音を汝等に告ぐるなり」(ルカ2−10)と、その御降誕に当って、天使は牧者(ひつじかい)(たち)に申しました。して見ると、誰しもこの救主に近づくのを怖れる訳はない。幾ら罪人でも、雷の如き大声で怒鳴り付けられる気遣いは全くない。主がその御威光を(くら)まし、その御光栄を隠して、ただもう愛くるしい、飛び付きたいばかりの嬰児(みどりご)に生まれさせ給うたのも、自分は恐れてもらいたくない、むしろ愛してもらいたい、遠ざかって貰いたくない、なるべく近づいてもらいたい、と云う切なる御志をばお見せになる為ではなかったでしょうか。されば義人は近づいてこの救主を愛して下さい。聖母の如く、聖ヨゼフの如く、天使等の如く、いよいよこの救主を愛し、自分の為、かゝる(みじ)めな姿をしてお生まれ下さった御恵みを感謝しなければなりません。世の多くの人々が一向(いっこう)尊びもせず、愛しもせず、認めもしないから、その人々に代わって益々之を尊び、之を愛し、之を深く()り、人にも()らしめ奉る様、務めて欲しいものであります。罪人はまたこの救い主の柔和で、愛くるしくて、怒ることも、罰することもかない給はぬその幼な姿を見て、厚い厚い信頼心を起こして近づきなさい。「我が来りしは義人を招く為にあらず、罪人を招きて改心せしめん為なり」(ルカ5−22)と早や馬槽(うまぶね)の中から叫び給うのじゃありませんか。路傍(みちばた)の戸締りもない、開っ放しの洞穴(ほらあな)にお生まれになりましたのは、誰でも遠慮なく近づかれる様に、門前に立って案内を請う必要すらない様にと云う思召しからではありませんでしょうか。

 

(2)− イエズス様は我々を慰める為に、弱々しい人間にお生まれになりました。

実に主が天地万物の神の尊きを以て、身動きすら出来ない嬰児(みどりご)に生まれ、粗末な布片(ぬのぎれ)に包まれなさったのは、人間に生まれると共に、人間の弱さをも引き受けたよ、と云う意を表す為ではありますまいか。即ちイエズス様は御降誕の其の当時から、寒さを感じ、(うえ)渇きを覚え、疲労(つかれ)も痛みも、苦しみも、すべて人間の身の上に起るべき難儀苦労を嘗めさせ給うたのであります。

「我等が有せる大司祭は、我等の弱点を(いた)はり得給はざる者に非ずして、罪を除くの外、万事に於いて我等と同じく試みられ給へり」(ヘブレオ4−15)と聖パウロは()って居る。

斯くて我々と同じく難儀に遭い、我々と同じく(うえ)渇きを感じ、我々と同じく寒さに、貧しさに苦しみ、我々と同じく種々の試みに遭い、以て我々を慰め労はり下さったのであります。病に罹った人でなければ病の辛さは分かるものでない。

貧に泣いた人でなければ、貧の悲しさは悟れるものでない。

自分が(かつ)て遭遇した様な災難に悩んで居る人を見ると、殊更ら同情の念に堪え難く思うのは人情である。(もと)よりイエズス様は我々を罪の中より救い取って、天国へ案内するが為お生まれ下さったのだけれども、然し現世は何処までも涙の谷である。喜び笑いつゝ現世を渡って行く人は極く少数で、多くは泣きの涙で月日を送って居ると云う塩梅(あんばい)ですから、救い主は我々を救うと共に、また我々の艱難を(いた)わり、辛苦を慰めたいと思召され、随って我々を慰める為に、我々と苦労を共にして下さいました。

「自ら苦しみて試みられ給いたれば、試みらるゝ人々をも助くるを得給う也」(ヘブレオ2−18)。我々を慰める為に態々苦しんで下さった、試みられて下さったのだから、身体の苦しみに泣いて居る人、精神の悩みに悶えて居る人、貧しい人、捨てられた人、迫害され、虐待されて居る人も、すべてこのイエズス様に近づき、その馬屋の貧しさ、見すぼらしさを(のぞ)いてみなさい。

その柔らかい御肌を寒い風に晒され、硬い藁に刺され給へる御姿を打ち眺めなさい。自分ばかり貧乏すると思って、(こぼ)してはなりません。

イエズス様もまた貧乏していらっしゃいます。

自分ばかり痛い目を見、苦しい目に()はされなさいました。

自分ばかり人に捨てられて、虐待され、讒謗(ざんぼう)されて居ると云って、腹立たしく思ってはなりません。

イエズス様も人に捨てられ、(いやし)められ、悪口され給うたのであります。

 

(3)− イエズス様は我々の病を癒やす為に貧困の中にお生まれになりました。

我々が天国を指して進むのに最も妨げとなるものは何かと云へば、(いつわ)りの寶である、偽りの誉れである、偽りの楽しみである。それにも(かかわ)らず、この寶なり、誉なり、楽しみなりを以て(まこと)幸福(さいわい)となし、是にすべての希望を置き、(あお)いで天を眺めよう、天国の幸福(さいわい)を求めようとしない人は(おびただ)しいものであります。

イエズス様は人類の改革者として現世(このよ)にお生まれ遊ばしたのですから、先ず我々に迷妄(まよい)の眠りを(さま)さして、(まこと)(さいわい)は何であり、真の禍は何であるかと云うことを知らしめ、以て我々の病を癒やそうとして下さいました。そのお生まれ遊ばした馬屋、その寝かされ給へる馬槽(うまぶね)、その硬い(きばら)な藁屑、その粗末な布片(ぬのぎれ)を一目見たならば、誰にしても御志(おこころざし)の在る所を察すること出来ないはずはありますまい。若し現世(このよ)の寶や楽しみや誉やが我々の追及すべき(まこと)幸福(さいわい)であるとするならば、イエズス様は先づ之を我が身にお取りになったはずである。先ず之をその愛する御母、その尊ぶ養父にお与えになった筈である。さはなくして御覧の通り、初めからみじめ極まる貧困の中にお生まれになりました。現世(このよ)の寶でも、(この)世の(たのしみ)、誉、位でも、そんなものは、神の子たる自分や、自分が弟子には不似合いだ、もっと大きな寶、もっと大きな誉れ、もっと大きな(たの)しみを手に入れる為にこそ現世(このよ)には生まれ出たものである、と云うことをお見せ下さったのじゃないでしょうか。()くの如くイエズス様はお生まれのその当時から、早くも現世(このよ)の偽りの寶や、偽りの誉れ、偽りの(たの)しみを排斥なさいました。生まれるのに家すら持ち給はぬ、神の御子がお生まれなさったのに、之を知るものとては、僅かにその御母マリア様と養父のヨゼフ様だけで、御前(みまえ)に召されて来たものも貧しい幾名かの牧者(ひつじかい)(たち)でした。貧の尊さを説き、金銭の慾に縛られないよう人に教え給はねばならぬのでしたから先ずその御手本を示されました。そのお生まれになった馬屋すら、(わが)(もの)ではなかった、と云う位であります。なお、弟子たるものは、十字架を担いで自分の後から進まねばならぬ、天国の道は嶮しい、荊棘(いばら)が生えまくって居る、と云うことを(さと)さんが為、我が身は生まれると直ぐから、十字架を担いで見せられた。その柔らかい御体(おんからだ)を休める臥床(ふしど)は臭い馬槽(うまぶね)、硬い藁屑でした。我々も御跡に従いましょう。「汝等頼母しかれ、我は世に勝てり」(ヨハネ16−33)と仰しゃるのを聴くと思い、()手本に(のっと)り、其の弟子となり、他日その光栄を共にすべく務めなければなりません。(つい)に世の光栄を(こいねが)い、名誉の奴隷となり、為に霊魂を滅ぼすの馬鹿馬鹿しさを示すが為、身は天地万物の大王にて(ましま)しながら、牛馬の宿る洞穴(ほらあな)に生まれ、荒っぽい布片(ぬのぎれ)に包まれ、藁の上に()かされて、虚栄心を踏みつけて見せ、謙遜の美しい御鑑(みかがみ)をお示し下さいました・・・。才能を誇り、学識を見せびらかし、(かね)の光を輝かし、人に(あら)はれ、世に時めきたいと云うのが、世間一般の通弊であるから、それを癒やすが為に態々(わざわざ)斯う云うみじめな姿をして、お生まれ下さったのであります。誰しもこの隠れて、軽んじられて、(いや)しめられたまえる天主様を打ち眺めつゝ、自分に何の誇るべき点があるかと顧みて下さい。我々は無い所まで有るが如く見せかけて誇らうとするのに、この天主様は有る所まで包んで、無きが如く装って居られる。我々は自分の事ばかりを吹聴したがる、人に注目されたい、噂されたいと望むのに、この天主様は弱々しい嬰児(みどりご)に生まれて、一口の物さへ(おっ)(しゃ)らぬのであります。皆さんどうぞ、この有り難い御教訓を深く心に刻みつけ、馬屋の前に(ひざまず)く毎に之を思い出し、主の御鑑(みかがみ)(のっと)って、清貧、忍耐、謙遜を実行すべくお務め下さいます様、特にお勧め申す次第であります。

 

(十二) 馬  屋  に  来  れ

 

信者間に行はれる信者の務めは一にして足らずであるが、御降誕節には馬屋の御子様を尊ぶと云う習慣になって居ます。

やがて新年となりますが、一年の嬰児(みどりご)とも云はれるお正月に当って嬰児(みどりご)のイエズス様を敬愛するのは最も適当なことでありまして、このお正月中は、皆さんの眼前(めのまえ)に馬屋の模様が見せられてありますから、皆さんは始終其の前に拝跪(ひざまづ)いて、御子様のお示し下さる有難い御手本を打ち眺め、そのお与え下さる祝福を(かたじけな)うするよう、お務め下さらねばなりません。

(1)− 馬屋に参詣して祈らねばならぬものは第一に(こども)を持った母親である。

母親は(こども)を抱いて馬屋の前に拝跪(ひざまず)きなさると、(こども)は物珍らしげに御子様を見詰め、聖母マリア、聖ヨゼフ、牧童(ひつじかい)(たち)を打ち眺めて、その愛らしさに見とれ、イエズス様を抱っこしたい気にもなりますでございましょう。

「罪を犯しては()けません、悪いことをするものではありませんよ、悪いことをすると、彼の可愛い御子様を打つのです、踏むのですよ、泣かすのですよ」と聴かされては「いゝえ、お母ちゃん、もう悪いことはしません、御子様を泣かしません、打ちも、踏みもしません」と云うでございましょう。

母親もまた(こども)の為め一心にイエズス様に祈り、主がその(こども)を祝福し給い、之を守りて罪を犯さしめず、御自分の御手本に倣って、親には善く従い、年と共に智慧も進み、天主様にも人にも可愛がられる様な(こども)になりますようお願いなさるでございましょう。

(2)− 青年の方々もこの馬屋に駆け付けて、馬槽(うまぶね)の中に()かされ給へるイエズス様の無邪気な姿、清浄(しょうじょう)潔白な御有様をつくづくと打ち眺めて、イエズス様の御気に(かな)うには、何うしても悪に遠ざからねばならぬ、心を清浄(しょうじょう)潔白に保たねばならぬ、無邪気にならねばならぬと云うことをお(さと)りなさい。

主を眺めるにつけて、主のことを思うにつけて、心は自づと聖寵を感ぜずには居られない。

自分の霊魂の上に、一層よく注意の(まなこ)(みは)って、軽々しい考え、良からぬ思い、不潔な想像などを払い退けねばならぬと云うことを(さと)って来る。目を(つつし)んで危ういものを見ないよう、耳を慎ん(つつしん)で悪い(ことば)を入れないよう、口を(つつし)んで汚らはしい話などをしないよう、すべて人から(うし)(ゆび)さゝれる、悪い噂を立てられる(もと)ともなるべき行動は、断然之を改めるようにせねばならぬ必要を感じて来るでございましょう。

そして皆さんに清浄(しょうじょう)潔白の(かがみ)を垂れ給うイエズス様は、亦之を守るに要する聖寵をも恵み給うのですから、皆さんはこの馬屋の前に(ひざ)(まず)く毎に、殊更ら熱心に祈りて、不潔な(いざな)い、世間の(たぶら)かしに(うち)()たして下さるよう、罪と云う罪は見たばかりでも(おそ)れて顔を(そむ)けると云うほどになして下さるよう、聖寵をお願いなさい。

(3)− 人に(いや)しめられ、貧乏に苦しめられ、辛い労働に泣いて居る人も馬屋の前にお出でなさい。

イエズス様は皆さんの地位にまで身を卑下(いやし)めて、皆さんに有り難い教訓を垂れると共に、少なからず皆さんの気を引き立てゝ居られるじゃありませんか。

実に天地万物の御主(おんあるじ)と云う貴い御身を()ちながら、非常に困苦欠乏の中にお生まれ遊ばした。

貧しい職人の妻を母として、寒い風のひゅうひゆうと吹き(すさ)洞穴(ほらあな)の中に生まれ、極く粗末な荒くれた布片(ぬのぎれ)(つゝ)まれ、馬槽(うまぶね)の中に硬い藁を(しとね)として()かされ給い、最先きに駆けつけて拝みに参ったものは、ベトレヘム郊外の貧しい牧者(ひつじかい)(たち)でした。

御成長の後も、貧乏は相変わらず御身を離れません、貧しい職人の徒弟として、毎日毎日額に汗を流して働き、(わづか)に其の日其の日の露の命を繋ぐと云うみじめな暮しをなさいました。

身は全能の天主の御子にて(ましま)せば、(えい)耀(よう)を極め、栄華を()尽して、世を渡ることも叫び給うたのに、態々(わざわざ)斯うした(あわ)れむべき貧乏の中にお生まれ遊ばしたのは、何の為でございましたでしょう。

是れ貧乏が多くの(いさを)を積むの(たより)となるものぞ、と云うことを我々に教える為ではありませんでしたろうか。実に貧乏は苦しいものである。然し天主様に対し、じっと目を(ねぶ)つてその苦しい所を堪え忍ぶならば、罪の償いとなり、大いなる(いさを)ともなるのみならず、亦徳を修めるにも助けとなる。

貧乏な人は現世(このよ)の財宝に心を繋がれないから、容易に眼を天に注ぎ、天の財宝を望むことが出来る。

慾に縛られるのは余っぽど危険であるが、貧乏だと、そんな危険が少ないから却って安全である、得る所も多いのであります。

そこで皆さんがもし豊かな生活をして居られぬ、時としては衣食にさへ困ることがある、毎日毎日額に汗して働かなければ、御飯が食べられない、と云うほどでございましても、決して天主様を怨んだり、人を咎めたりせずに、却って「自分は是で御子様に似て来たのだ」と思って気を取り直さねばなりません。

自分の家族が豊かでない、自分の住宅がむさくろしいとしても、然し天主の御子はベトレヘムの馬屋にさへお生まれ遊ばした、その馬槽(うまぶね)の中から我々の救贖(たすかり)に取り掛かりなさったのである、と云うことを思い出しなさいましたら、()んな貧乏でも快く堪え忍んで行くことが出来ないはずはありますまい。

 

(4)− 身分は貴く、生活は豊かに、財産は有り余るほど持って居る御方も、何うぞ馬屋の前に入らして下さい。

イエズス様は皆さんにも(おっ)しゃることがあります。何かの考えを起させよう、決心を(すす)めようと望んで居られるのであります。

もし皆さんが現世(このよ)の財宝に心を眩惑(まど)わされ、非常な熱心を以て、傍目(わきめ)も振らずに之を捜し求め、之を以て自分の何よりの幸福(さいわい)でもあるかの様に考えていらっしゃるならば、何うぞこの馬屋の中の御子様をつくづくとお眺め下さい。

御子様は人々の熱心に捜し求める財宝を軽んじて、こんな甚い貧乏の中に生まれ、以て人々の財宝熱を()まし、迷いの夢を破ろうとして下さるのであります。

もし実際財宝を(あふ)らして居られるならば、この馬屋のイエズス様の御手本を打ち眺め、自分も財宝に心を奪われないよう、其の財宝に(ともな)い来る(はかな)い名誉や、良からぬ快楽に引かれないようにし、財宝も快楽もほんの(また)瞬間(たくま)のもので、決して人を幸福(さいわい)ならしめる所以のものではない。

と云うことを(さと)らなければなりません。

馬槽(うまぶね)の中に斯う云う(あわ)れな(さま)をしてお生まれになったイエズス様をよくよく打ち眺めて、心を財宝より引き離すと共に、身は天地万物の御主にて(ましま)しながら、我々の為に斯くまで貧乏して下さったイエズス様のことを思って、自分も貧乏な人を愛し、出来るだけ之を(あわれ)み助けるようにせねばなりません。

(つづ)めて申しますると、老人も青年も、富者(ふしゃ)も貧民も、義者も罪人も残らず来りて、この馬屋の前に拝跪(ひざまず)き、その幼いお体の中に包まれ給へる神の御陵(みい)()礼拝(らいはい)し、我々の為に斯くまで浅ましい御姿(みすがた)になってお生まれ下さった有難い御芳志(おんこころざし)を謝し、腹の底からその驚くべき愛に感心して、一心にお愛し申すようにせねばなりません。

聖ベルナルドが御降誕の夜半にミサを執行(とりおこな)って居られますと、丁度聖体奉挙(ほうきょ)の時、パンの(けい)(しょく)が割れて、その中に幼きイエズス様の御姿が(あら)われました。

ベルナルドは非常に感動し、ダウイドが「主は大にして非常に恐るべく(ましま)す」と云った(ことば)(さかさま)にして、「主は小さくならせ給いて、非常に愛すべく(ましま)す」と叫ばれた。

然らば何方も今からこの一ヶ月の間は、毎日の如く馬屋の前に御参詣(ごさんけい)なすって下さい。

もし職務の都合上、毎日参詣すること出来なければ、切めては自分の心だけなりとも馬屋の方へ馳せて、イエズス様を伏し(おが)み、其の日其の日の祈祷(きとう)や労働や苦痛(くるしみ)やをば、守護の天使に頼んでイエズス様の(おん)足下(あしもと)(ささ)げることに致しなさい。

さすれば、イエズス様もまた必ず皆さんに豊かな祝福を与え、聖寵を恵み給うに相違ありません。

 

新        年

(一) 歳     の     暮

今年も余す所僅かに三日、いよいよ越し方を思い廻らし、来年の為に新しい計画を立つべき時となりました。越し方を思い廻らして、我々の頭に浮かべねばならないのは、

(1)− 此一年間に天主様から戴いた数々の(おめ)(ぐみ)であります 商人が年の暮れに棚おろし勘定をやる時は、利益は一銭の利益でも、損害はまた一銭の損害までも残らず計算に載せる様に、我々も此一ヵ年間に天主様から戴いた(おめ)(ぐみ)は大にせよ、小にせよ、残らず勘定して見なければなりません。今日まで無事に生存(いきながら)へて来たのが先ず何よりの(おめ)(ぐみ)であります。春の花、夏の雨、秋の(みのり)、冬の雪、日が照る、月が()える、鳥が鳴くなど、すべて目に楽しく、耳に嬉しく、心に愉快なものを今年も相変わらず天主様から戴きました。朋友の親切、優しい(ことば)、愛情の籠った書面なども、やはり天主様の御恵みでありました。家庭にあっては(おっと)(なさけ)、妻の愛、親兄弟の慈愛(いつくしみ)子女(こども)の孝行、是また天主様の(おめ)(ぐみ)ではなかったでしょうか。もしそれ病気を全快さして戴いた、危難に臨んだ時不思議にも(のが)れることが出来た、長らく願って居た所を与えられたと云うが如きは、(なお)(さら)ら大きな(おめ)(ぐみ)であります。其の他、今年中に天主様の御招きを蒙った御方もありましょう、悪い習癖(くせ)()って居たのに、それを改めるように、危ない関係を結んで居たのに、それを断つように、情慾に曳かされ、罪悪の奴隷となって居たのに、其の綱を切って棄てるように、御招(おまね)きを蒙った御方、(ふる)くからの罪を振り棄て、心を(あらた)めて、久しく遠かって居た告白場に拝跪(ひざまづ)き、長らく死んで居た霊魂に気息を吹き返さすように、御招きを蒙った御方も沢山ございましょう。黙想会の御蔭で、説教を聴いた(ついで)に、婚姻を結んだ折に、悪魔を捨て、天主様の方に立ち戻り、従来の不熱心の態度を改めて、敬虔(しんじん)の道に分け入ることになったとか、洗礼を受け、初聖体を領け、堅振(けんしん)を授かって、一方ならぬ聖寵を蒙ったとか云うような御方もあるでありましょう。何うぞ其れ等の聖恩を一々思い出して戴きたい、思い出したばかりでは足りません。其れ等の聖恩は皆天主様の慈愛(いつくしみ)深い御手(みて)によって与えられたのですから、思い出しては、篤く篤く感謝しなければなりません。今一つ忘れてならないことは、此一年中に試嘗(ためし)に遭はされたことであります。軍人は年老いてからでも、自分が戦場で勇戦奮闘したことを始終物語りたがるものであります。水夫は荒い海を渡り、山のような浪と戦い、(たけ)り狂う大風と戦い、(しの)つく雨と戦ったことを何時になっても忘れず、よく物語って居ます。然らば皆さんもイエズス様の兵士として悪魔と戦い、浮世の海を航海する水夫として、随分様々な誘惑(いざない)の嵐とも戦われたでございましょうから、それを思い出して下さい。それを思い出すに付けて、自分は果たして勇ましく戦いましたか、おめおめと敵に背を見せて逃げ出したことはないでしょうか。(いざない)に遭い、病に取り付かれ、災難に遭い、人に(あなど)られ、世に棄てられ、悲しい涙を(こぼ)した時に、力を落さず、苦情を言わず、十字架を打ち眺め、じっと唇を噛み締めても堪へ忍びましたでしょうか。或は又戦いを恐れ、誘惑(いざない)に打ち負け、災難に悲哀(かなしみ)に力を落として、自分の務めまでも怠るようなことはありませんでしたか。思い出して、それぞれに感謝すべきは感謝し、胸を打って赦しを願うべきは赦しを願うようにせねばなりません。終に思い出すにも思い出し難い、気持ちの悪い、顔を赤めねばならぬ罪、その罪のことも忘れてはなりません。怠りて、(なま)けて自分の務めを尽さなかったことや、天主様の御掟(ごおきて)を破ったことや、内に入っては柔和を失い、堪忍を破り、愛を欠かしたとか、外に出ては、世を憚り恐れた、嘘を付いた、人を(そし)った、悪言を吐いたとか、我が身に就いては、祈祷(いのり)を怠りた、ミサ聖祭に(あづ)()らなかった、告白や聖体に遠かった、邪淫を犯した、傲慢を出したとか、其れ等の罪を思い起こして、深くイエズス様の尊前(みまえ)(へり)(くだ)り、胸を打って赦しを請はねばなりません。斯の如く過ぎ去った一ケ年に対しましては、受けたる(おめ)(ぐみ)を思い出して之を感謝すると共に、犯したる罪を思い浮かべて、天主様の御燐(おんあわれ)を願はなければなりませんが、今度来るべき、新年に対しては如何なる心掛けであらねばなりますまいか。

 

(2)− 新年に対しては如何なる心掛けであらねばなりますまいか 「一日の計は(あした)にあり、一年の計は元日にあり」と云うことですから、年の始めに当って、ちゃんと(こころ)を定めて置くのは大切なことであります。子供が生まれた時、先ず父母の頭に浮かぶのは「此の児が何んなものになるだろうか、偉い人物になるであろうか、人並みの人間で(をは)るのだろうか、父の喜びとなるであろうか、母の(きも)()きとなりはすまいか、聖人となって天に楽しむことであろうか、悪人となって地獄に苦しむのではあるまいか」と云う思いであります。然しその将来は何とも判断がつきませんから、親たるものは自分の力の及ぶ限り、()い児になるように仕付けようといたします。今、此の新に生まれ出づべき年の始めに当りましてもそれと同じで、将来が如何にも気にかゝります。果たして幸福な年であろうか、不運極まる年ではあるまいか、何を我々に持って来て呉れるだろうか、健康であろうか、病気ではあるまいか、成功であろうか、失敗ではあるまいか、歓喜(よろこび)であろうか、悲哀(かなしみ)ではあるまいか、それは全く天主様の思し召し次第で、我々にはさっぱり分かりませんが、然し我々の方で出来るだけの力を尽くし、幸不幸の運命を(たなごころ)にし給う天主様に(すが)って、成るべく幸なる運命を与えて下さるよう、お願いせねばなりません。然しながら天主様から幸いなる運命を与えて戴くが為には、天主様の()(こころ)(かな)うように努めなければなりません。天主様の()(こころ)にさへ(かな)って居るならば、きっと霊魂上は勿論、肉身上にまでも幸福を与えられます。然らば()うして天主様の()(こころ)(かな)うことが出来ますでしょうか。イエズス様は(おっ)しゃいました「汝等先づ神の国と其の義とを求めよ」と。ですから先ず霊魂の上に(まなこ)を注ぎ、天主様のことを思い、天国を思い、霊魂を汚さないよう、天主様の御胸を痛めないよう、天国を取り失はないように(つと)めましたならば、肉身の上にも、霊魂の上にも、必ず豊なる祝福を(かたじけな)うすることが出来ます・・・。そこで何人(どなた)に致しましても、何はさて()き、霊魂の世話を第一にすると云う気になって下さらねばなりません。取り分け今日の世智辛(せちがら)い世の中を渡って行くが為に、夜を日に()いで、いそいそと立ち(はたら)いて居られる御方には、月日の()つのが矢のように速い、昨日こそお正月を祝ったようであったが、今日はもうお雑煮を食べなければならぬかと思われるほどでありましょう。して一年一年と年月の()てば()つほど墓に近接(ちかづ)いて居るのですけれども、毎日の生計(くらしむき)に追われて、それには(すこ)しも気が付かないのであります。()うぞ旧年の暮れ、新年の暁に自分の生命(いのち)の次第に(ちぢ)まって来て居ることを思って、浮世の事物(もの)に捲き込まれないよう、肉身を霊魂よりも、現世(このよ)を天国よりも、今の生命(いのち)を永遠の生命(いのち)よりも、妻子(つまこ)を天主様よりも大事にするようなことがないように、(とく)と決心なさらねばなりません。

何の不自由もなく、金はあり、人には敬われ、面白く楽しく暮らして居る人がございますならば、何うぞイエズス様が(いばら)(かむ)り、十字架を(かつ)いで世を渡り、天に昇って始めて大いなる光栄(さかえ)()けられたことを思って下さい。我が身に不自由がなければ、()めては人の不自由を救ってやり、我が身に楽しみが蒙らるれば、責めては食べも得ず、飲みも得ずに居る哀れな人を助け、慈善業を以て天国の光栄(さかえ)を求めるよう、お(つと)め下さらねばなりません。(つい)に、貧乏の為に、病気の為に、何かの災難の為に此の一年中を泣き明かし、泣き暮らして来たお方になりますと、来年は何うであろう、此の貧乏、此の病気、此の災難を(のが)れること出来れば結構であるが、却って一層(ひど)い目に()いはしないだろうかと、一方ならず心配して居られますでしょう。()れども忘れてはなりません、我々の為に何よりも恐るべきものは罪である、罪を以て天主様に離れることである、天主様に離れて地獄へ堕落することであります。現世(このよ)災禍(わざわい)の如きは、却って天主様に近づく原因(もと)となり、(いさを)を立てる(たより)ともなり、未来の幸福(さいわい)種子(たね)ともなるのであります。そこで此の旧年の暮れ、新年の初めに当りまして、成るべくならば、そんな(わざわい)(のが)して戴くようにお願いするのは()いが、然し思召しならば、一層勇を振るって之を堪え忍ぶ、と云う決心になって欲しいものであります。

 

(二)新   年   所   感

明けましてお芽出度うございます。世界に祝福を与へんが為、態々(わざわざ)御降誕あそばしたイエズス様が、この新年の初めに当りまして、皆さんに潤沢(じゅんたく)な祝福を(あめふ)らし下さらんことを、私は(ひとへ)に希望いたす次第であります。さて、

(1)− 過ぎ去った一年間を振り(かえ)って見ますと、第一に我々の胸に浮び出るのは感謝の情であります。天主様が日々(にちにち)、数限りもなき御恵みを与え、(なさけ)(あつ)き御手を伸ばして、始終我々を保護して下さいましたことを思いましては、之を感謝せずに居られません。恩を受けて感謝するのは人の人たる道であります。其の上「旧恩を感謝するのは新恩を蒙る道」ですから、我々もそれによって大いに得る所がある訳であります。無論、我々は毎日毎日浅からぬ御恵(おめぐみ)みを浴びて居るのですから、また毎日毎日感謝して居なければならぬのですけれども、今日(こんにち)の如く、旧年を送り新年を迎えた際には、いよいよ(はら)の底から感謝の意を述べるのは、理の当然でございましょう。実に信仰の(まなこ)をクヮッと見開いて御覧なさい。新に年を重ねると云うのは、今まで戴いた数々の御恩に更に新な御恵みを加えることではございませんか。去る一年中、天主様は霊魂上にも肉身上にも()れほどの御恵みをお与え下さいましたか。誰かその御恵みの数を一々計算し()るものがございましょう。 一年三百六十五日、一日として、()な一分間として、御恵みを戴かない時がありましたでしょうか。

(2)― 先ず肉体上に(かたじけな)うした御恵みを数へて見ましょう、若し天主様が時々(じじ)刻々我々の生命(いのち)(ながら)へさして下さいませんでしたら、到底この新年を見ることは出来なかったでございましょう。只今斯うして生きて居るのは、唯今斯うして呼吸して居るのは、(ただ)(いま)斯うして何の差障(さしさわ)りもなく、至極(しごく)壮健に(ながら)へて居るのは、全く天主様の御恵みに()るのじゃございませんか。誰でも斯んな御恵みを(かたじけな)うした訳ではありません。昨年の元旦を迎えた人、我々と同じ年輩、否、我々よりも若い、(すこ)やかな人で、早や帰らぬ旅に就いたお方も(すくな)くはありますまい。たとえ(いき)(ながら)えては居ても、病に(かか)ったり憂苦(うれい)に沈んだり、事業に失敗し、親に死なれ、子供に先立たれたりした人も幾人あるでございましょうか。我々こそ天主様の御罰(おばつ)を蒙るべき筈の身でありながら、そんな辛い目に()いませんでした。体は壮健(すこやか)で、風一つ引いた事がない、妻子(つまこ)の身にも、親兄弟の上にも何の差障(さしさわ)りもありませんでした。商業も()なり繁昌しました。お金も()うやら()うやら儲かりました。計画した事業は(うま)く運びました。一口に申しますと、何一つ(わざわい)らしい(わざわい)には()はないで、むしろ色々の幸福(しあわせ)を蒙りました。是は運の(めぐ)り合わせが良かったからでもなければ、自分が賢く立ち廻わったからでもない、人から親切に世話して戴いた為めでもありません。全く天主様の有難い御計(おはか)らいによって(しか)るのでありまして、十分に感謝しなければならぬ所であります。若しや災難に(かか)ったお方があるとしても、身は病に悩まされ、事業は失敗し、親を失い、子に先立たれたと云うお方があると致しましても、それだけでは不幸とは申されません。天主様は(すこ)しも私の為を計って下さらない等と夢にも思わず、却って天主様が其れ等の十字架を自分にお与えになる時、其の時の有難い御志(おんこころざし)を思って、やはり感謝しなければなりません。我々の(ため)を思い給へばこそ、そんな災難にも()わして下さったのですから、(むし)ろ中心より感謝するが当然でございましょう。一体肉身と霊魂と、過ぎ易き現世(このよ)と、永遠(きわ)まりなき後世(のちのよ)とは、到底比べられたものではありません。して天主様は、現世(このよ)(いわ)ゆる幸福(さいわい)なり、禍殃(わざわい)なりを、我々にお(つかわ)しになるに付けて、第一に思い給うのは霊魂の上、後の世の(たす)(かり)であります。所で肉身上の幸福(さいわい)だとか、現世(このよ)財宝(たから)だとかは、度々(たびたび)霊魂の(たすかり)後世(のちのよ)幸福(さいわい)に百の害はあっても一の(えき)も無いことがあります。で時としては其んなものを剥ぎ取って、病に(かか)らしたり、失敗を招かしたり、貧乏に取り付かれさしたりしなさる事がありますが、それは我々を深く愛し給う所から、そんなに御計(おんはか)らい下さるのであります。つまりそれによって、我々に心を改めさせ、悪の道より立ち帰らせ、犯したる罪を(つごの)はせ、ますます徳を(みが)かせて、他日天国に於いて、大なる幸福(さいわい)を蒙らせたいと云う有難い思し召しから、そんなにお(はか)らい下さるので、苦情を(なら)べる所か、(むし)ろ大いに感謝しなければならぬのであります。

(3)− 斯の如く、肉身上を見ても、沢山の恩恵(おめぐみ)を戴いて居ますが、霊魂上はなお更です。この一ヶ年の中に一の大罪も犯さないで、忠実に天主様にお(つか)へ申して来たとするならば、それは何よりの幸福(さいわい)で、十分人に(うらや)まれても()い訳でございますが、然しそれこそ全く天主様の御蔭(おかげ)、天主様がその全能を以て幾多の危険の中に保護して下さったお陰、或いは種々の災難を降して、御自分に(とおざ)からない様にして下さった御蔭と申すより外にありますまい。若し一寸でも御手を引き給う様なことでもありましたならば、幾度(いくたび)(つまづ)いて倒れたか分からぬのであります。でございますから、聖アウグスチヌスと共に、「悪いことをしなかったのは、天主様の御恵(おんめぐみ)だ」と思いまして、(あつ)く感謝しなければなりません。猶この一年中に罪を犯しは犯したが、然し痛悔(つうかい)して赦しを蒙ることが出来た人は、実に言うべからざる御恵みを(かたじけな)うした訳であります。罪悪の(ちまた)彷徨(さまよ)ったまゝ見棄てられる人は多いのに、自分だけはそれを免れた、天主様は自分が地獄の穴に片足をさし込んで居る時に、死なして下さらないで、反対に情けをお掛け下さいました。罪悪と手を切って、立派に告白をして、(たす)(かり)の道に後戻らして下さいました。

実に我々が誠意(まごころ)より罪を痛悔(つうくわい)する気になったのは、邪慾に打克つこと出来たのは、長くからの悪い癖を取って棄てること出来たのは、全く天主様の御恵(おめぐ)みではございませんか。其の為に天主様から賜わった数々の霊光(みひかり)御勧(おすす)め、良心の責めなどを思って見なさい。自分が飽まで罪に(かじ)り付き、目を閉じ、耳を塞いで聴き入れないと見て、天主様は災難をお送り下さいました。病苦をお与え下さいました。失敗にも()はして下さいました。斯くして塞がって居た耳を開き、眠って居た目を(さま)さして下さったのであります。若しそんな災難に遭はなかったら、死ぬ時までも相変わらず罪悪の中に高鼾(たかいびき)をかいて居るかも(はか)られぬのであります。(いづ)れにせよ、天主様の御蔭(おかげ)で、善の道へ立ち帰ることが出来たのですから、一心に御礼を申し上げねばなりません。不幸にして今なお罪の中に沈んで居るとすれば、それこそ天主様の限りなき御憐(おんあわれ)を蒙って居るのですから、いよいよ以て感謝しなければなりません。天主様の仇敵(あだかたき)であるのに、まだ()かして置いて下さる。早く片付けてしまいなさるが当然ですのに、未だ()かして置いて下さる。もう(とっ)くに地獄へ突き込まれる筈である、悪魔は始終天主様に向って「何時此者を地獄へ引張り込みましょうか。未だですか、もう()さそうなものではありませんか」と叫んで止まないけれども、天主様はお許しにならない。未だ未だ堪忍して立ち帰るのを()って居て下さる。「神は汝等を(あわれ)む為に()ち給う」(イザヤ50ノ18)、如何にも有難い御恵みである。一日も早く其の罪の中を抜け出て、この大いなる御恵みに応ずるように務めねばならぬじゃあありませんか。

(4)− 斯の如く霊魂上、肉身上、幸福(さいわい)(かたじけな)うしたにせよ、禍殃(わざわい)を蒙ったにせよ、罪を犯したにせよ、善に(とどま)ることが出来たにせよ、何れにしても天主様の厚い厚い御恵みを蒙って居ることだけは間違いないのですから、一心に感謝しなければならぬ。然し一方からは、その有難い御恵みに対して、如何なる不都合を(かず)(かさ)ねたかと思い、痛悔(つうかい)の胸を打って赦しを願はねばなりません。天主様は恩に恩を加え、惠に惠を重ねて、我々の心を引付け、腹の底から愛されたい、忠実に奉仕(つか)へて貰いたいと思召し給うたのに、我々は始終反対に善に(むく)ゆるに悪を以てしました、徳に報ずるに仇を以てしました。この一年間の怠慢を、不忠実を、忘恩の沙汰を数えて見なさい、身体が健全(たっしゃ)だから、財産が豊富(ゆたか)だから、生命が延びたからとて、それを徒らに(つい)やしたじゃありませんか。(さかさま)に悪い事をし、天主様に(そむ)く為に使ったじゃありませんか。有難い(たす)(かり)の方法を踏み倒し、大切な得がたい聖寵を軽んじて、投棄てゝしまったことも幾何(どれほど)でございましたでしょう。天主様の御慈愛(おんいつくしみ)と、我々の悪意とを双方突き合せて見たならば、誰か顔を赤らめずに居られましょう。深く()じ、大いに悲しんで、(ひとえ)に赦しを願わずに居られますでしょうか。

(5)− 然し過去の失敗を詫びると共に、亦、来年の(はかりごと)もして置かねばなりません。我々がこの新年を見ること出来ましたのは、そればかりでも天主様の大いなる御恵みである、()うにかして我々の心を御自分に従わせよう、罪を離れさせ、善に親しませよう、と云う天主様の有難い思召しから賜わった一方ならぬ御恵みであります。

で之を善く利用して、過去に失った所を償い、前途に迫って来る危険を予防し、以て永遠の滅亡(ほろび)を避けるだけの工夫を(めぐ)らして置く、と云う堅い決心にならなければなりません。生命(いのち)の短くして、()かも(あて)にされないことを思ったら、そんな決心になるのも決して困難ではありますまい。

(6)− 何方(どなた)も自分の生命(いのち)の短いことを思って見なさい、「お芽出度う!お芽出度う!」と祝ったお正月は昨日の様でしたが、早や今日は再びそのお芽出度うを繰り返さねばならぬ様になりました、「光陰は矢の如し」と申しますけれども、なかなか矢どころの話しではありません。

一年、十二月、三百六十五日、年の初めに立って向かうを遥かに眺める時は、随分長い様にありますが、然し月日と云うものは、夜となく昼となく、一分間の(よど)みもなしに、絶えず流れ流れて居るのですから、その長い月日も何時の間にか流れ去ってしまいます。

して月日が()てば()つほど、我々の生命(いのち)も長く延びるのならば結構ですけれども、実は(さかさま)に短くなって来るのです、()わば我々は日々死んで行って居るのであります。

過ぎ去った年月だけは、もう死んでしまいました。

是れからも毎日毎日死んで行く、決して後へ引き返す様なことはない。だから年毎に、月毎に、日毎に前へ進んで居る、生きて行くと思っては、大きな大間違いで、実は死んで行くのだ、一年は一年と、一ヶ月は一ヶ月と、一日は一日と、生きる時日(じじつ)が少なくなる、我々の生命(いのち)が縮まる、死が近づいて来る、墓が迫って来る、()うです、最期の時になってから、()っと死がやって来るのではなく、此方(こちら)から進んで行った生命(いのち)と、向かうから近づいて来た死とが途中でぱったりと行き()い、生命(いのち)の歩みが止った、死に(みち)(ゆず)った、と申した方が正確であります。

是迄(これまで)の月日が矢よりも早く飛び去りました如く、後に残った生命(いのち)もやはり同様に飛び去るのであります。然るに多くの人は将来にまだ長い長い年月でも残って居るかの様に安心して、一向後の用意を致そうとはしません。でも終点に到着してから、背後(うしろ)を振り返って見ると、その過ぎ去った生命(いのち)はほんの陰影(かげ)の如く、風の如きものだと云うことが感付かれるで御座いましょう。

聖アウグスチヌスも申しました。

「未だ過ぎない中は、この短い生命でも随分と長い様に見えるものだが、過ぎ去ってしまってから之を眺めると、それは如何にも短いものである」と。

然しただ月日の過ぎるのが早いだけならば、何でもございませんですけれども、その短くて(またた)く間に過ぎ去る(のこ)りの生命(いのち)も、一向当てにならないのですから(たま)りません。昨年のお正月に我々と共に「お芽出度う」と言換(いいか)はしたが、もう本年は冷たい墓の中に眠って居る人も幾人ございますか。()うでしょう、朋友(ともだち)の中に、親戚の中に、死の手に()(さら)はれて、世界から消え失せた人は(すくな)くありますまい。彼人(あのひと)(たち)にしても、()(さか)、昨年中に死のうとは思って居なかったでしょうのに、やはり()の様な始末になりました。昨年中、()(ひと)(たち)にあった事が、本年中我々の身に()って来ないでしょうか。未だ今日では夢にもそんな事を思って居ますまいが、然し天主様の方では、ちゃんと本年を以て最終の年だとお定めになって()(たま)うのではありますまいか。

 

(7)− 「新年早々から、死ぬの何のと、其んな縁喜(えんぎ)の悪いことは止して戴きましょう」と(おっ)(しゃ)るお方もございましょう。私だって好んでこんな事を申し上げるんじゃありません。

皆さんが末長く鶴亀の(よわい)を重ねられんことは、私の希望に堪えない所であります。然しながら当てにならぬ事を当てにして、安心して居ても仕方が無いじゃありませんか。
悪魔が(じん)()を罪に(いざな)うた時は、「いや決して死にはしませんよ」と巧みに嘘を吐きました。

人祖は天主様の御言(みことば)を信じないで、却って悪魔の偽言(いつわり)を信じました。

今日でも悪魔は同じ筆法を以て我々を(だま)そうとします、「なあに未だ死にはせぬ、改心はもっと年を取って、事業に成功し、子供でも成人してから(ゆっく)り出来るよ、そんなに狼狽(うろた)へるに及ばぬ」と()はれて見ると、なるほど未だ前途は遠い、二年や五年の中に死にそうにもない、で全く安心してしまって、一向()(あらた)めようとも致しません、善を行はうとも思いませんで、相変わらず罪の中に溺れて居ると、突然死がやって来る、千年までも万年までも生き(ながら)へること出来るかの如く思って、何の準備もして居ないのに、突然死の手に取り(つか)まれて、(あわ)れな最後を遂げなければならぬ事になるのであります。

(8)− 然らば如何なる決心を()すべきでございましょうか。

歳月(としつき)は天主様の賜物(たまもの)である、天主様は歳月(としつき)の上に全権を握って居て、(おぼ)(しめし)のまゝに、何時でも之を回収(とりあ)()(たま)うのです。

その上、この歳月(としつき)は霊魂の(たすかり)を全うさせる為にこそ我々にお与え下さるのですから、是非とも之を有益に、天主様の思召しに従って使用しなければならぬ。

是まで無駄使いをして居たならば、今年からは一層大切に之を使用して、その失った所を補はなければならぬ、今の生命(いのち)と共に過ぎ去る所のものを軽んじ、何時までも過ぎ去る憂いのない永遠の寶に注目する、死と云うことを何時も忘れない、自分の現世(このよ)()るのは楽しい、愉快な月日を送る為ではなく、幸福(さいわい)なる死を準備する為だ、と云うことを忘れない様にせねばなりません。

 

(9)− 若し我々が信仰を()って居るならば、旧年の終って新年の始まる今日に当って、斯う云う真面目な考えが自ずと浮み出るはずではございませんか。

()もなくして、相変らず冷淡、不熱心、罪悪の中に眠り込んで居て、突然死の使いに呼び(さま)されてから、何んぼ狼狽(うろた)へ騒いでも追っ付く話ではありますまい。

でございますから、我々はこの年の始めに当って、先づ天主様の尊前(みまえ)(へりくだ)り、痛悔(つうかい)の胸を打ちつゝ、旧年中、天主様に(かたじけな)うした月日を悪く使い、その御恩(ごおん)に報ゆるに仇を以てし、数々の罪を犯し、恩の沙汰に出たことを深く悔い悲しんで御赦しを願いましょう。

次に我々の罪を今日まで忍耐し、寧ろ悪に報ゆるに善を以てして下さった天主様の御憐(おあわ)れみを感謝しましょう。

そして何時までも恩に叛いてはなりませんから、この新年こそ或は最後の年であるかも知れぬと思い、年と共に改まって新しい生活を始めることに致しましょう。

我々の生き(ながら)へた歳月(としつき)は皆、天主様の正義の帳簿に記入されてあり、それに就いて、一度は綿密な御糺(おただし)()けなければならぬ。

のみならず、(のこ)んの生命(いのち)は全く天主様の御手の中にあって、我々の勝手になるのはただ今の短い、過ぎ易い時だけですから、務めて之を有益に利用しましょう。

急がなければ逃げてしまいます、飛び去ってしまいますから、油断をしてはなりません。

(つい)に天主様から戴いた御恵(おめぐ)みを感謝すると共に、この新に迎える年にも、我々を(たす)け守り、何処に於いても、我々を離れ給はずして、御自分の御光栄(みさかえ)の為、我々の(たす)(かり)の為に働かして下さいます様、祈らなければなりません。

是んな様に元旦から天主様に一身を献げるのは、早過ぎると思われましょうか。イエズス様が今日我々にお与え下さる御手本を思いなさい。

我々の為に如何にも哀れな嬰児(おさなご)とお生れ下さいました上に、八日目の今日には、早くも割礼(かつれい)を受け、鮮血を(したた)らし、そうした上で、イエズスと云う名を付けられなさいました。

イエズスとは「救い主」と云う意味で、今日から人を救う為に苦しい目に遭って下さったのであります。

斯うしてイエズス様が早くも我々の為にお苦しみ下さったことを思い、我が身はイエズス様の為、我が(たす)(かり)の為に何の(つら)いことをも()えようとしないのを考えて見なさい。

如何にも恥しい次第ではございませんか。

皆さん、何うぞイエズス様に祈りましょう。

我々の心を照らして、罪の憎むべく、善の愛すべきを悟らして下さいます様、人類の(たす)(かり)を思って燃え立ち給へるその熱心を我々にも与え、その我々の為に御計画になって居られる所によく協力させ、冷淡、無関心をすばりと切り棄てさせ、いよいよ罪の(みち)を去って、勇ましく徳の坂を()(のぼ)らして下さいます様、熱心こめて祈りましょう。

そう致しましたら、この新年は我々の為に()出度(でた)づくしの年、改心の年、(たす)(かり)の年、永遠に祝すべき年ともなることは疑いを容れないのであります。

 

 () 新       年

千九百三十二年は過ぎ去って新に千九百三十三年を迎える事になりました。

我々は今、旧年と新年との境に立ちまして、暫く過ぎ去った旧年を(かえり)みると共に、亦、来るべき新年をも打ち眺めることに致しましょう。

(1)− 過去 過ぎ去った千九百三十二年は我々の為に幸福な年でありましたか、不幸な年でありましたか・・・誰しも元旦に当りましては「()うぞ此の年が芽出度(めでた)い、幸福な年であって欲しい」と願わぬ人はなかったでしょうが、果たしてその願い通りになりましたか。

一体芽出度いとか、芽出度くないとか、幸であるとか、不幸であるとか云うのは、我々が望みを()げると()げないと、目的を達すると達しないとによって定まるのである。

随って金満家になりたいと志して居た人ならば、お金をたんと儲けた年はそれこそ芽出度い年である、快楽を(こいねが)って居た人ならば、思う存分に楽しむことが出来た年は幸福な年である、永くからの病人の為には、すっかり全快すること出来たらば、それこそ何よりも仕合せな年だったと云うでございましょう。

ただ善を修め徳を磨いて天国へ昇りたいと志して居る我々基督信者の為には、多く善を修め得た年、遠く天国の道を進み得た年こそ、真に芽出度い年である、幸福な年である、と()はなければなりません。

皆さんの中には、この一年間、身体(からだ)(すこ)やかで、事業は思い通りに運び、十分金儲けも出来た、身代は見る見る()くなって来た、何の失敗もしなかった、悲しい、苦しい目に一度も遭はなかったと云う御方もございましょう。それで芽出度(めでた)い年でございましたでしょうか。

或は然う思って喜んでいらっしゃる御方もあるでございましょうが、然し去る一年間に、前年よりも一層()い人になった、一層徳を修めた、功徳を積んだと云う覚えがないならば、幾ら身体(からだ)の上に、財産の上に得る所があったにしても、私は決してそれを幸福な年だとは思いません。

却って(またた)く間に過ぎ去るものだけを与えられて、永遠に残るものは少しも与えられなかったのを見ると、(よろこ)ぶよりは(むし)ろ悲しむべきではあるまいかと考へます。

其の反対にたとへこの一年間に親を(うしな)い、夫を(うしな)い、(つま)を失い、可愛い子に先立たれたにせよ、たとへ病に悩み、事業には失敗したにせよ、もし前年よりも天主様に近づく事が出来たならば、一層信心になり、一層忍耐強くなり、一層謙遜になり、一層天主様を愛し、人を愛する様になりましたならば、それこそ幸福な年であったのです、悲しむよりはむしろ(よろこ)んで、天主様に感謝するこそ(しか)るべきでありましょう。

なおこの一年間に、天主様から戴いた聖寵は数限りもなかったのですが、さてそれを()んなに使用しましたか。

忠実に使用して益々熱心な、少しの申し分もない信者になりましたか、却って反対に無駄使いをして、少しの進歩する所もなかったのじゃありませんか。

進歩しないだけならば()いが、天主様を忘れ、御光栄(みさかえ)の為には何一つ()さないで、天主様の思召しよりも手前勝手を大切にし、(よこしま)な慾を天主様の御誡(おんいましめ)よりも重んじ、色々と罪を犯して、前よりも一層悪くなったことはありますまいか。

果してそうだとすれば、胸を打って自分の不足を、怠慢を、罪を御詫(おわ)びしなければなりません。

 

(2)   新年 千九百三十二年は、こんな塩梅にに過ぎ去りまして、今日からいよいよ千九百三十三年となりますが、さてこの新年は我々のためにめでたい幸いな年でありましょうか。心配もない、悲しみもない、災いもない年でございましょうか。・・・望ましいことですが、しかし、それは我々の勝手になることでない、我々は、只今、その初めを見ているが、その終わりを見ることできるやいなや、それすら当てになりません。昨年の新年に「めでたい、めでたい」と祝い喜んだ人で、今日までたどり着き得なかった人も少なくありますまい。・・・一年十二ヶ月三百六十五日、長いようでまた短いものであります。「門松や冥土の旅の一里塚!」でございますから、私が第一に皆さんにこいねがいたいのは、常に最期の準備をしておいでになることであります。善い最期を祈るのは、とりもなおさず幸福をこいねがうことでございましょう。

 

その次には、何をお願いしましょうか。

富をお願いしましょうか。・・・しかし富というものは、人に満足を与えないで、逆さまに心配を増すのみであります。

しからば名誉をお願いしましょうか。・・・しかし名誉は身の飾りと言わんよりは、かえって苦しい重荷であります。

しからば快楽はどうでしょう。・・・快楽は災いの元です。真の幸いを害しはしても決して益するものではない。

しからば何をお願いしましょうか。・・・私が皆さんの上にお願いいたしたいのは、聖寵の宝、天主様から与えられる善の誉れ、徳の楽しみであります。

もとより、皆さんの体の上に、財産の上に、商業の上に、天主様の祝福の豊かならんことを願わないのではない、しかしながら、この世よりも後の世、体よりも霊魂ですから、私はまずそれを皆さんのためにお願いいたしたいのであります。

イエズス様も仰っていたでしょう。「汝ら、まず、天主の国とその義とを求めよ。しからばこれらのもの、皆、汝らに加えられるべし」(マテオ6:35)、してみると、霊魂上の幸福をこいねがうのは、また肉身の上、財産の上にも幸福を求める所以であります。天使達は救い主の御降誕を祝して、天主様には「御光栄」をこいねがい、人間には「平安」を祈りましたでしょう。そこで我々が天主様と平安を保ち、決して不和になるようなことがないように、他人とは勿論、各自の胸の中にも不安を保ち罪を犯して心が乱れ騒ぐようなことがないようにしているならば、身はたとえ無一文であっても、百萬の富を、全世界の快楽をほしいままにしているよりは、いっそう幸福ではありませんか。

今日は、我が主御割礼の祝日であります。イエズス様は我々の救いのため、生まれて八日目になると、モイゼの律法に従い、割礼を受け、その尊い御血をお流しになりました。救霊を全うするには、天主様の掟を忠実に守り、いかなる苦労艱難をも厭うべきではないと、お諭し下さったのでありました。皆さんが、年の初めよりそんな覚悟におなりなさいましたら、ただ本年を幸福のうちに送れるのみならず、また夫れによって窮まりなき幸福の永遠をも準備することが出来るのじゃございますましか。

 

 

 


(ここに途中 抜ける)

 

聖     家     族

(一)  理   想   的   家   族

 

ナザレトの聖家族、イエズス、マリア、ヨゼフが三十年の間も明し暮し給うたナザレトの聖家族は、基督教的家族の又なき()(がみ)であります。

(1)− ナザレトの聖家族には貞潔の徳が美しい光を放って居ましたー 実際イエズス様より貞潔な子供マリア様より貞潔な母、ヨゼフ様より貞潔な夫が何処に居ましたdrしょう。その胸中に溢れて居る感情も貞潔を匂はして居ました。その(ことば)も貞潔を匂はして居ました。その目付きも、その服装も、その立振舞も何から何まで貞潔を匂はして居たのであります。

今イエズス、マリア、ヨゼフ様が我々の家族を御覧になる時、何をお認めになりますでしょう?。

愧しくて基督信者の口に言い出されない様なことが、我々の屋根の下に喋り散らされ、行はれつヽあるのに驚いて、目を背け給う様なことがないでしょうか。

(2)− ナザレトの聖家族には愛徳が輝いて居ましたー 三人とも皆同心同意で、その胸中にも、その言語、動作にも柔かい愛が(みなぎ)って居たものであります。人を(そし)る、口汚く(ののし)る、荒々しく叱りつける、癇癪玉を破裂させる、と言う様なことは、薬にしたくも見付からぬのでありました。我々の家族は果たして愛の家族でしょうか。夫婦愛争い、親子兄弟相罵り、平気で他人を非難、讒謗(ざんぼう)すると云う塩梅(あんばい)ではないでしょうか。

ナザレトの聖家族に於いて、力と云い、徳と云い、最も勝れて居られたのは、神の御子イエズス様で、その次は原罪の汚れなくやどされ給いし聖母マリア、又その次は聖ヨゼフでございました。然し聖ヨゼフは、一家の主人公、天主様の権威を代表していらしたので、イエズス様にせよ、聖母マリアにせよ、謹んでその命令に従はれました。権威の行はれる所には秩序があります。争いも乱れも騒ぎもあろうはずがございません。我々の家族がナザレトのそれの如く愛の家族たり得ないのは、天主様を代表する父、その父の権威を尊重しないのに職として之れ()るのではないでしょうか。

(3)− ナザレトの聖家族には労働が尊ばれたものでした 聖ヨゼフはよく労働し、額に汗をたらして一家の為に日々のパンを求められました。聖母マリアも亦よく労働し、家事万端を切り廻して行かれましたので、家は貧しくとも、清潔で、小さっぱりとして、隅から隅まで、きちんと整頓がつきまして、如何にも住み心地の良い家でございました。イエズス様もまたよく労働されました。三十年と云う長い間、父母に従い、身を惜しまず、力を尽くして、父母の労働を助け給うのでありました・・・我々の家族も労働の家族でありたいものです。人は労働する為に造られました。アダムが楽園に置かれたのも労働する為でした.。罪を犯してからは、苦しい労働に従事して、之が償いをする様に命ぜられました。随って労働は止むに止まれぬ我々の義務であります。労働をすると、日の長きに苦しむ憂いがない、(いわん)や身体は健やかになり、心にも邪念を(もや)す隙がなく、無益な話や、無益な読物に(ふけ)って胸を騒がせ、徳を傷つけ、救霊を危うくする気遣いもないのであります。

要するに我々の家族にもナザレトの聖家族に於けるが如く、貞潔、愛、労働が輝いて居るならば、またナザレトの聖家族の如く、天主様に祝せられ、人にも愛され、この世ながらに天国に居るかの如き平和を楽しむことが出来るに相違ないのであります。 

 

(二) 聖  家  族 ( 親 の 務 )

 

(1) 聖家族の祝日の定められたのは、最近のことであります。昨今信者の信仰はだんだん衰え、家庭にあっても、親は親たらず、子女(こども)子女(こども)たらずして、我侭勝手な振舞いばかりする様になって参りまいりましたから、教皇様に()かせられましては、イエズス、マリア、ヨゼフの聖家族をばカトリック教的家庭の模範たらしめたいものと思召(おぼしめ)しになって、この祝日を定め、親は聖マリア、聖ヨゼフ様を鑑として、よくその責任を果し、子女(こども)はイエズス様を御手本として、その義務を全うするようにとお勧め下さったのであります。で、今日は先づ親の責任に就いて、一言申上げることに致します。

イエズス様は全能全智の神にて(ましま)したから、親から監督され、注意され、教育され給う必要はなかった筈であります。然しながら聖母マリアでも、聖ヨゼフでも、決して御子の上からお目を離し給はぬのでありました。エルザレムの神殿からの帰りがけに、御子を見失いなさった時の如きは、非常に心配して、三日の間と云うものは、泣きの涙でその行方を探し廻り、(ようや)く捜し出すや、(何故あなたは斯んなことをなさいました?、(わたし)(たち)はどんなに心配して(たづ)ね廻ったものですか)と申されました。この一事を以ても御両人が御子の上に如何なる注意の目を睜って居られたかが察せられるでございましょう。親たるものは誰にしても、(これ)(ぐらい)心懸(しんかけ)はあって欲しいものであります。(そもそ)も子女の教育と云うものは一年や二年で済むことではありませんで、之を大きく三期に分けることが出来ます。第一期は胎内から懐の上まで、第二期は初聖体から堅振(けんしん)を授かる時まで、第三期は青年となり、社会に踏み出す頃であります。

(2)− 第一期の胎教 子女(こども)の教育は胎内から始めねばならぬ、「良き()は良き実を生じ、悪しき()は悪しき実を結ぶ」、子女(こども)が善くなり悪くなるのは、ただ生まれてからの教育如何にのみ()るのではなく、親の性質の善悪にも大いに関係するものであります。親が下司(げす)根性を持って居る、御転婆である、嫉妬心が強い、怒りっぽい、不信仰だとするならば、それが()うして子女の心に伝わらないですみましょう。その反対に信仰は強く、同情は深く、親切であり、よく身を慎み、行いを正しくするならば、その影響は必ず子女の上に及びまして、子女も亦信仰の強い、品行の方正な、天主様を愛し、人を愛する、立派な人物となるに極って居ます。だから善い子女が欲しければ、先づ自ら善良な人たるべく(つと)める、先づ自ら熱心となる、先ず自ら徳を修め、善に進み、行いを磨いて、子女に善い種子(たね)を蒔きつけるだけの下地を(こしら)えなければなりません。聖母マリアが原罪の汚れなくやどされ給い、聖ヨゼフも(つと)に童貞を守り、身も心も清浄(しょうじょう)無垢に保って行かれたのを(もっ)ても、知られるじゃありませんか。既に子女が生まれました上は、未だ懐に抱いて居る時から、もう天主様のこと、イエズス様、マリア様のこと、天国のこと、罪の憎むべく、地獄の恐るべく、その罰の永遠たること等を教えねばなりません。その当時、子女の頭に刻み附けられた信仰の痕跡(あと)は、何時まで()っても(きえ)()せるものではありません。「三歳児(みつご)の魂は百まで」とよく云うでございましょう。

宗教と云うものは、相当に子女の智慧が開け、物事の弁別(わきまえ)も付く様になった時を()って之に注ぎ込むべきものだ、と思っては大きな間違いで、まだ懐に入れて居る時、膝に抱へて居る時から、早くも子女(こども)の心を養成して、之に信心を植付けてやる必要があるのであります。即ち親たるものは(その)子の傾向(かたむき)を調べ、其の性質を()()け、善い傾向(かたむき)は益々之を奨励してその根を深くさせ、悪い傾向(かたむき)はそろそろ之を(おさ)え、面白からぬ性質は之を()()やす様にせねばなりません。尤も乳児(ちのみご)のことですから、そんなに大して善いこともなければ、大して悪いこともないでしょうけれども、決して油断をしてはならぬ、「(なんじ)子女(こども)を有するか、善く之を養い育て、幼少の頃より之を()げよ」と聖霊は(のたま)うて居ます。イエズス様は「幼児の我に来るを許せ」と抑せられました。聖アウゲスチヌスも「自分は乳と共に耶蘇(イエズス)様を飲んで居たから、青年期に入って、罪悪に(ふけ)って居る間にも、イエズス様のことは忘れ得なかった」といはれたじゃありませんか。

親が斯う云う様に、幼い時より子女(こども)の心を天主様の方へ向かはせるならば、その子女(こども)は必ず立派な人物となるのでありますが、悲しい(かな)、そんな親は極めて少ない、我子を打棄てゝ少しも顧みない親、天主様のことも、天国、地獄のことも知らしてくれぬ、祈祷(いのり)の一つも教えないで、七つ八つ迄も放ったらかして居る親すら少なくありません。何でも教えます、何んな話でも聞かせるのですが、ただ天主様のことだけを話さない、ただ信心の事だけを知らしてくれない、(かく)の如くして、幼い時から危ない目に()わせ、罪の中に棄て置きましたならば、後で如何(どう)なりましょう。イエズス様が彼のユダに就いて(おっしゃ)った如く、「生まれずに居れば()かった」とか、「(ひき)(うす)を首に(くゝ)って、海の深みに沈められたが(やさ)しだった」とか、言はれるようにならないでしょうか。

(3)− 初聖体から堅振頃まで 子女(こども)の智慧がだんだん開けて、事物(ものごと)弁別(わきまえ)が付くようになりましたら、学校にも出さねばならぬ、公教要理 も学ばさねばならぬ、即ち人の手にかけて教育してもらうことになるのであります。もしキリスト教国に於けるが如く、学校で宗教上の教育を施してくれるならば、言うべき所はありませんが、今日の我国では、それが全く出来ない。学校は単に文字を教える場、学問を授ける処たるに過ぎないから、是非とも学校を退いた後で、別に公教要理を授けるより外はない。してその公教要理を教える伝道士、伝道婦の(つと)めは並大抵のことではないのですから、親たるものは、其の人に対して心からなる感謝の念を持たなければならぬ。子女(こども)にも、また尊敬と従順と精勤の念を抱かせる様にして欲しいものであります。

そこで先づ公教要理の稽古に出して下さらねばなりません。何日と何日とは公教要理の日で、何時から始まると云う位のことは確めて置いて、必ず其の日と其の時間には出すようにし、又稽古が済んだら道草を喰わないで、早く帰宅するように、命じて置かなければなりません。

教えるばかりでは足りない。教えた所は片っ端から行はせねばならぬ。それには親たるものが立派な亀鑑(かがみ)を示すに限る。朝夕の祈祷(いのり)にせよ、ミサ拝聴にせよ、公教要理にせよ、説教、告白、聖体拝領にせよ、親が先に立って行いましたならば、子女(こども)は知らず知らずの中に之に見倣(みなら)うものであります。

聖母マリア、聖ヨゼフが、イエズス様を伴って何十里と言う遠路をも(いと)はず、エルザレムへ御参詣になったことを考えて見なさい、親たる者の為すべきことが、ちゃんと立派に描き出されてあるじゃございませんか。

(4)− 社会に踏み出す − 堅振(けんしん)を終ると、子供は夫々(それぞれ)上級の学校に進むか、職業に就くかせねばなりません。親の(そば)にばかり留め置く訳には行きません。が此の時分は最も危険な時であります。男児にしても、女児にしても、年の十五六歳になった頃は、それこそ一番迷い易い、一番腐敗し易い時、随って親たるものが一番注意を深くすべき時であります。その平生(へいぜい)出入する所は何処であるか、その平生(へいぜい)往来する朋友(ともだち)は如何なる人物であるか、かねがね何んな(ほん)を読み、何んなことを語り、何んな物を観たがって居るか、よくよく注意せねばならぬ。夜も昼も注意せねばなりません。

次に子女には夙くから労働の趣味を覚えさせる必要がある。何んにもさせずに遊ばして置くより危険なことはない。暇があると、よく邪念が起る、出て遊び廻りたくなる、そうして色々と悪の道に踏み込むに至るものである。

天主様が我々をお造りになったのは、決してブラリブラリと遊び暮させる為ではなく、働かせる為でした。聖母マリアでも、聖ヨゼフでも、イエズス様でも、毎日毎日熱心に働かれたではありませんか。日曜日の如く、身体を働かさぬ時は心を働かす、祈祷(いのり)をし、宗教書を読み、公教要理を復習し、慈善業を為すと云う様にして、片時でも無意義に過ごさしてはなりません。

(5)− 終に幾ら注意しても、善いことを教えても、(いまし)めても、(なお)且つ悪の道に踏み迷う子女(こども)が出来ないにも限りません。そうなった時も決して失望してはならぬ。まだ親の身には祈祷(いのり)と涙と云う二つの武器が(のこ)ります。泣きの涙で天主様に其の改心を祈ることが出来ます。マリア様とヨゼフ様が、三日の間も泣いて御子をお捜しになりました如く、親等も天主様に泣き(すが)って、子供の改心を祈らねばなりません。聖アウグスチヌスが罪悪に彷徨(さまよ)って居る頃、母のモニカは(しき)りに泣いて祈り、或る司教様に自分の苦しい心底(こころ)を訴えますと、その司教様が之を慰めて「こんな涙の子が滅びるはずがない、御安心なさい」と云われたそうであります。「涙の子」皆様の迷い子も涙の子となして下さい、必ず改心の(めぐみ)(かたじけな)うすることが出来ます。

 

(三) 族(子女(こども)(つとむ)

 

親がその子を教育するにつけては、マリア様とヨゼフ様を鑑として行かねばならぬことを申上げましたが、子女もまたイエズス様を御手本として、天主様にたいし、親にたいし、己にたいして、何を()ねばなりませんか、ということを一口申上げさして戴きましょう。

(1)− 天主様に対してイエズス様は如何(どう)なさいました   イエズス様は十二歳の時から両親に伴はれて、エルザレムへ御参詣になりました。ナザレトからエルザレム迄は二三十里もあるのでございますが、十二三歳の子供の時から、そんなに遠い旅行をなさったのであります。神殿に参詣しては、如何なる熱心を以て祈祷(いのり)をし、聖祭に(あずか)り、説教をお聴きになりましたでしょう。三日の間、御自分ひとり神殿に居残りなさいました時も、「彼等に聞き、且つ問い居給へり」と福音書には記してあります。神の御身でありながら、謹んで学者等の説明を聴いたり、彼等に尋ねたりし給うのでした。是こそ子女(こども)たるものゝ立派な手本ではありませんか。子女(こども)は幼少の頃より熱心に朝夕の祈祷(いのり)(とな)へ、ミサ聖祭に(あずか)り、説教を聴き、公教要理を学ばなければなりません。さもないと、将来が案じられます。天主様を入れて居ない心には、必ず悪魔が入って来ます。悪魔から這入られたら、幼少の頃より悪魔を心に宿して居たら、後では何んな人物になりますでしょうか。

(2)− 親に対しては如何(どう)なさいましか − 耶蘇(イエズス)両親と共にナザレトに至りて、彼等に従い居給へり」と福音書には記して有りましょう。誰が誰に従はれたのですか。天主様が人間に、造物主が被造物に、天地万物の大君が賎しい(しも)()に従はれました。しかも何事であろうと従はれました、どんなに困難な命令にも喜んで従はれました。どんな賎しい仕事でも喜んで之を果されました。「是はいやだ、自分には不似合だ」等とは決して(おっ)(しゃ)ったことがありません。マリア様や、ヨゼフ様は、聖人でこそありましたが、やはり人間でした。却ってイエズス様は全能全智の神様、仕事をするにも、()うするよりか、()あした方が可い、()うすれば()うなって不便だ等と、ちゃんと判って居られたから、御自分でマリア様や、ヨゼフ様にお指図なさるが当然でしたけれども、そうは致しなさらぬ、おとなしく親に従はれました、決して親の上を走ろうとは致しなさらぬでした。

今日の青少年は如何(どう)でしょう「親は(ふる)い頭の持主だ、自分は昭和の新教育を受け、何から何までちゃんと分って居る」と云はんばかりの顔付きをして、親に従う所か、却って親を従はせようとして居る、却って親に指図しよう、却って親をやり込めようとして居るのであります。そんな青少年は何うぞイエズス様をお眺め下さい。「お父さん、是は()うしましょう?」「お母さん、是は()うしてよいでしょうか」と一々尋ねた上で仕事にお(とり)(かか)りになるその愛らしさ、()んなに辛い、賎しい仕事でも、飛び立って之を果し、少しなりとも親を休ましょう、幾分でも親の心を慰めよう、安心させようとしなさる、その心掛けの(うる)はしさを眺めなさい。それも一年か二年かの間ではない、実に三十年もの長い間のことではありませんでしたか。

(3)− 自己に就ては如何(どう)なさいました − 「イエズスは智も(よわい)も、神と人とに於ける寵愛も次第に弥増(いやま)し給へり」とありましょう。即ち年の()けるに従い、智慧が増して来た、天主様からも人々からも可愛がられなさるのであった、と云う意味であります。それはイエズス様が年の()けるに従い、今まで知らなかったことを多く知って来られた、今まで()たなかった徳を、だんだん其の身に行いなすったと云う意味ではありません。太陽は東天(ひがしのそら)に現れた時も日中頭の上に来た時も同じ太陽ですが、然しその光にせよ、熱にせよ、中天に昇れば昇る程、強く大きく輝かしくなって来るかのように見えるものです。イエズス様もそれと同じく、年の()けるに従って、その智慧なり、徳なりを益々人目に(あらわ)しなさった、と云うだけに過ぎないのであります。尤も神様として知り給うことを、事に当り物に触れて経験し、その経験的知識を新に加へ給うたのだと云う意味に、右の一句をカトリックの学者等は解釈して居ますが、何れにしても、青少年たるものゝ立派な鑑ではありませんか・・・そうです。誰しも、年を取るばかりでは足りません。ただ学校に出て学問を修め、世の中の事を()るばかりでは足りません。年と共に益々天主様を知らなければならぬ、益々聖教(みをしえ)の道を(わか)って来なければならぬ。(わか)った上では片端(かたっぱし)から之を行い、徳を積み、天主様にも人にも可愛がられるように(つと)めなければならぬのであります。

(4)− 人は年が長けるに随って情慾も成長します。美しいものを見たい、面白いことを聞きたい、柔かいものに触れたい、(おいし)いものを食べたい、遊びたい、楽しみたい、と云う慾は何人(たれ)にでもあり、年と共にいよいよ増長するものですが、それを(おさ)へなければ、善を修め、徳を積むことは出来ません。其処(そこ)に戦があり、困難がありますが、その困難を切り抜け、その戦を経てこそ、始めて善の花が咲き、徳の実も熟するのであります。

北風のヒュウヒュウと吹き渡る寒い冬には、草木も生長すること出来ませんが、春になって、暖かい日がポカポカと照り出しますと、麦でも豆でも青々と繁って来る。然しそれと共に雑草も非常な勢いを以て(はびこ)って参りますから、始終油断をせずに其の雑草を除去(ぬきさ)らなければ、良い麦、立派な豆を収穫(とりいれ)ることは出来ません。人間も同じく()うで、年が老いて、冬枯れの時代になると、悪いこともされない(かわ)りに、とんだ善いことも出来るものではない。(かえっ)て未だ胸には赤い血が(たぎ)って居ると云う青春時代には、随分善くもなれるが、またなかなか悪くもなれるのであります。

今皆さんは果して善徳と情慾と、何れを成長さして居られます?。心の畑には、善徳が盛に繁茂して居ますか、かへって情慾の草がますます(はびこ)って居ることはありませんか。イエズス様は年と共に智慧にも徳にもいよいよ御成長なさいましたが、皆さんは年と共に奸智(わるかしこさ)に、罪悪に、(みにく)い行いに成長して居ることはありませんか。

 

 

聖 母 の 潔 の 式 (

              犠 牲 

 

(1)− 今日は聖母マリアが御子の御降誕後、四十日目に、エルザレム神殿へ参詣して、(きよめ)の式を受け、御子を天主様にお(ささ)げになったことを記念する為の祝日であります。(そもそ)もモイゼの律法に()りますと、婦人は児を生むと汚れを受ける、よってその児が男児(おとこ)ならば四十日目に、女児(おんな)ならば七十日目に神殿へ参詣して(きよめ)の式を受け、その汚れを(きよめ)めて戴かねばならぬ、しかもその生児(うまれご)が男で家児でしたら、一応之を天主様に(ささ)げ、然る後、五六円ぐらいのお金を出して、之を(あがな)い戻すことになって居たのであります。聖母マリアはこの日に右二つの掟を忠実に守られたのですが、それに就いて我々に示された御手本は如何に美しい、感ずべきの至りでありましたでしょうか。

(2)− 先づ聖母は最愛の御子を犠牲とされました。御子は聖母に取って掛換(かけがえ)のない一粒種でした。世のすべての母の愛を(ことごと)く集めても、遥かに及ばないほどの愛を傾けて、愛し給う掌中(しょうちゅう)の玉でした。然るに律法は、この最愛の御子をエルザレム神殿に於いて、御父(おんちち)(ささ)げよと命ずるのであります。成るほどその奉献は普通(なみなみ)の人には一個の形式に過ぎない、定った()けのお金を出せば、之を再び我手に取り戻すことが出来るのでありました。然し聖母とイエズス様の為には、決して通り一遍の形式ではない。より深い意義を有し、その影響する所もより重大でありました。実にこの日の奉献は、他日カルワリオに於いて全うせらるべき犠牲の下準備、その序幕であったのであります。聖母でもイエズス様でも、それを(あきらか)に御承知の上で、行い給うたのですから、其処(そこ)に勇ましい、英雄的な、天主様の為には何一つ物惜しみをしないと云う感心な御心掛が見られるのであります。

天主様に奉仕するにつけて、我々に課せられる犠牲は、この聖母の犠牲と比較され得るほど苦しいものでしょうか。聖母は神の御子、無限の宝をば(いさぎよ)(ささ)げられたのですが、我々の犠牲にしなければならないものは、神の御子ほどの価値(ねうち)を有するのでしょうか。(はかな)い楽しみ、煙の如き誉れ、少しのお金、ただそれだけではありませんか。

(3)− 次に聖母は己が心の喜びを犠牲とされました。御子をエルザレム神殿に(たずさ)へ行くのは、如何に堪え難い犠牲を(ささ)げる訳になるか、如何なる悲しみに御胸を破られねばならぬことになるか、それを聖母は御存知なさらなかったでしょうか。シメオンの予言をまだ耳にしない中から、既に予感して居られなかったでしょうか・・・自分の為にも、御子の為にも、受難の幕が切って落とされるのだと云うことは、早くもお察しになって居られたろうことは、当らずと(いえど)も遠からずでありますが、然し何が()うあっても律法は厳重に守らなければならぬと思い、足取り勇ましく神殿さして進み行かれるのでありました。我々も天主様に仕え奉るにつけて、心の(よろこ)び、身の楽しみを犠牲に供せねばならぬことが往々あります。ただ我々に要求される犠牲は、空しい、世俗的な(よろこ)び、気を散らし、心を乱す危険な楽しみで、之を犠牲に供え得ないでは、(たす)(かり)が気遣はしくなって来る様なそれであります。然しそんなに歓喜(よろこび)(なげう)つ、()(なぐさ)めを断つ、一切の楽しみを犠牲にすると云う日になると、折角人間に生まれた甲斐が何処に在る?世は全く暗い、陰気な、物悲しい灰色の谷となってしまうではないか、と思われぬものでもないが、それは決して()うした訳のものではありません。私は夢にもそんなことを申したのではありません。(よろこ)びもしなさい、笑いもしなさい、楽しみなさい。天主様の禁じ給うのは、犠牲に(ささ)げよ、と命じ給うのは、ただ十誡に(いまし)めてある(よろこ)び、徳を危くし、(たす)(かり)を難破せしめる危険な楽しみに過ぎないのであります。

(4)− (つい)に聖母はその名誉をも犠牲とされました、(きよめ)の式は、我が身の汚れ果て居ることを(あら)()す為のもので、(なみ)の婦人にでも少なからぬ侮辱となるものでした。()して一点の汚れもなく御子をやどし、その童貞美すらも(きずつ)けずして、御子を生み給うた聖母に取っては、是れほど屈辱的な掟はなかったのであります。(もと)よりその汚れと云うは、自由意志に(もと)づける道徳上の欠点ではなく、ただ律法上より来り、外観だけに止まるのではありましたが、然し単に汚れて居ると見做(みな)されるだけでも、()(せい)()(けつ)なる聖母の為には一方ならぬ不面目ではなかったでしょうか。

実際この掟に服するのは、つまりアダムの子孫に共通な(のろ)い、その(のろ)いに自分も巻き込まれて居る、言い換えれば原罪の汚点(けがれ)に染まって居ると認める所以ではありませんでしたか。原罪なくやどされ、塵ほどの罪も汚点(けがれ)もなき聖母でありながら、それでも猶、忠実にその掟を守られました。この掟を守るが為に、自分の名誉を犠牲にするのもお(いと)いなさいませんでした。

我々は掟を守るにつけ、それほどの屈辱を蒙る様なことがない、我々はただありの儘の吾身を見せるのみに過ぎない、天主様の絶対主権に服従しなければならぬはずの身である以上、御前(みまえ)に奉仕して、その無上の御稜(みい)()(すう)(けい)し奉る様、罪人としては苦行をなし、罪を償う様にする、と云うだけに過ぎないのであります。それにも(かかわ)らず、それを(いと)うのです。罪人(つみびと)でありながら、罪人(つみびと)と見られるのを嫌がるのです、好んで義人顔をしたがるのです。余りの傲慢と云うものではありませんでしょうか。

結論 我々の真の幸福は服従と犠牲とに在る。骨を惜しまずして天主様に仕え奉る人は、(おお)いなる平和、言い知れぬ愉快、清い清い喜悦(よろこび)を味うことが出来る、苦痛(くるしみ)の中にすら少なからぬ慰めを覚えるものであると云うことを、聖母の御鑑(みかがみ)によって学びましょう。

 

(一) 者(

 

本日は日本二十六聖殉教者の祝日であります。この二十六聖殉教者は、我国の数多き殉教者中にも、特に聖人の位階に進められた御方でございまして、我々日本信者たるものが、心を合わせ力を尽くして尊敬もし、愛慕もしなければならぬ御方々であります。

何方(どなた)も御存知の通り聖フランシスコ、ザベリオが鹿児島に御上陸になったのは、千五百四十九年八月十五日、聖母被昇天の祝日の事で、爾来(じらい)四十年(ばか)りの間と云うものは、日本教会は日を追って盛大に赴く一方で、信者は何時しか三十万の多きに達したと云う位であります。然るに一五八七年、豊臣秀吉は突然宣教師追放令を発し、それから九年を経た千五百九十六年には、京都と大阪に於いて、フランシスコ会の修道士六名、日本信者十五名、別に耶蘇(イエズス)会の修道士三名、都合二十四名を捕らえしめ、之を京都一条の監獄に打ち込ませました。其の中には十二歳になるルイ茨木、十三歳になるアントニオ、十五歳になるトマス小崎と云う少年さへ数えられるのでありました。さてこの二十四人は翌年一月三日に監獄より引出され、左の耳を斬り落され、()(まみれ)になった(まま)「見せしめ」の為にとて、京都から伏見、大阪、堺などを引廻され、徒歩(かち)で長崎まで送られました。途中で二人の信者が、是非とも殉教者になりたいと役人に願って、一行に加わりましたから、都合二十六名となりました。堺を立ったのは一月五日でありましたが、この厳寒に、着の身、着のまゝ、雨が降ろうと、雪が飛うと、徒歩(かち)で二百里(ばか)りもの旅行をなさったのですから、途中の艱難苦労と云ったら、それはそれは想像も何も及ぶ所ではなかったのであります。

それでも少しの不平すら(こぼ)さず、喜んでその艱難苦労を堪え忍び、終に二月五日、時津から浦上を経て長崎の刑場に御到着なさいました。

早速二十六本の十字架に手と足を縛り附けられ、右左から二本の槍で十文字に胸を突き透され、皆一斉に「デズス、マリア」と(とな)えてめでたく殉教を遂げられました。是が日本二十六聖殉教談の概略でございますが、之に就いて我々は如何なる感情を起こすべきでございましょうか。

(2)− 先ず二十六聖殉教者は我々の祖先であります。由来我国の人は非常に祖先を尊んだもので、「我家の祖先はこんな偉い人であった、自分は何某(なにがし)の子孫である、この祖先に対して恥しい事はされない。生命は投棄てゝも、我家の名を恥しめてはならぬ。「人は一代、名は末代」と平生(ふだん)から心掛けて居たものであります。所で二十六聖殉教者は、僅かに六名の外国宣教師を除けば、他は残らず生粋の日本人、信仰の初花として主に(ささ)げられた日本人、我々の名誉ある祖先、世界の何処に持出しても恥しくない立派な祖先であります。我々は平生(へいぜい)この祖先を仰ぎ尊び、この祖先の花も実もある御鑑(みかがみ)(のっと)り、世界の何処(どこ)へ持出されても恥しくない、流石は二十六聖殉教者の子孫だけあって関心だ、と誉めはやされる所はあっても、あの立派な祖先にも似合はぬ、何とまあ(つま)らない子孫だろう、と笑われる様な事がないよう心掛けねばならぬのであります。然るに実際は如何(どう)でしょう。

祖先は寒さを(おそ)れず、身の痛さを(おそ)れず、人の軽侮(あなどり)陵辱(はずかしめ)(おそ)れず、二百里からの遠路を冬の真直(まっただ)中に引廻され、二つとなき生命までも喜んで神に(ささ)げられました。然るに子孫たる我々にはそれしきの勇気があるでしょうか。僅かの寒さにもびくびくし、少しの辛さでも(こら)へ得ない、一口の(あざ)けりにも怖気(おじけ)を出して、自分の大切な義務すら怠りて居ることはないでしょうか。

(3)− 二十六聖殉教者は我々の祖先であります。一切の物を(いさぎよ)(なげ)()て、神への奉仕を(とり)守って動かなかった感ずべき祖先であります。中にもルイ茨木の如きは今年取って僅かに十二歳、教えを棄てたら、生命を助けて、偉い人物に取立てゝやる、と護送の役人に勧められしも、直ちに頭を横に振りました。「此の世の栄華は水の上の泡、ただ何時までも(きわ)まりなきは天国の快楽のみであります」と答へて、役人を驚かしたと云うことである。我々の祖先は()んな様に、栄華の光を見せびらかされても、快楽に手招きされても、決してそれに迷はされないで、飽くまで天主様の(いまし)めを守り、天晴な殉教の冠を得られたのであります。

然るに我々は如何、朝も晩も夜も昼も何を考へ、何を望んで居ますか?ただただ偉い学者になろう、高く昇ろう、大いに儲けよう、人に誉められよう、身を楽まそうと、ただそればかりを(こいねが)って居ないでしょうか、信心をしよう、主の御目に偉い人となろう、善徳の金満家になろうとは、一向考えたこともないと云う塩梅(あんばい)ではありませんか。それでは何うして殉教者を祖先に持って居る信者だ、(など)と威張られたものでしょうか。

(4)− 二十六聖殉教者は我々の祖先であります。この二十六聖中には六十歳以上の老人もあれば、亦、ルイ茨木やアントニオの如き十二、十三歳の小児もありました。パウロ三木の如き士族もあれば、ヨハネ喜左衛門の如き商人もあると云う様に、年齢から、身分から、職業から一々違って居たのですが、何れも篤く聖教(みをしえ)を信じ、為にその二つとなき生命までも喜んで投棄(なげす)てたのであります。是も我々の立派な模範ではないでしょうか。主に仕え奉るには年齢が()うの、身分職業が()うの、と云うことは少しもありません。老人であろうと、小児(こども)であろうと、裕福な人だろうと、其の日暮しの貧しい身であろうと、神への奉仕に妨げとなるものではない。そんな点を口実(かこつけ)にして、信者の(つと)めを怠る様なことがあってはならぬのであります。

 

聖アントニオは時に(とし)(はじめ)めて十三、可愛い盛りであったものですから、途中に出迎へた父親は、恩愛の情に(ほだ)され、「お前はまだ年が若い、大きくなってから殉教しても(おそ)くはあるまい」と云って、その殉教を妨げようとしました。然しアントニオは断然その勧めを退け、「天主に生命を(ささ)げるのに、年の長幼はありません。彼の罪なき嬰児(おさなご)は生れて間もなく、キリスト様の為に殺されたじゃありませんかと答へて、びくともしませんでした。

悪魔はなかなか口説き上手です。徳を修めるにつけても、年齢や仕事や暮し向きを口実(かこつけ)にして、一日一日と延期させ、死んで墓に入るまでも延期させようとするのだから、ゆめゆめその手を喰ってはなりません。我々は殉教者の子孫である。殉教者の如く、年が若かろうと、(おい)ぼれて居ようと、そんなことはどうでもよし、ただ生きて居る間は、一日も、片時も、主の為に生きて居る、主の為に使用して行くと云う様に務めなければなりません。今日の祝日に当って、是非ともこの決心になりたいものであります。

 

(二)日 者(聖堂の擁護者として)

 

(1)− 二十六聖殉教者の祝日は、日本全国の大祝日でありますが、この聖堂の擁護者としては、取分け当教会の大祝日でありますから、此の(ついで)を以て教会と云うものは如何なるもので、信者たるものは自分の教会に対して、如何なる義務を負わねばならぬか、と云うことを一言申上げたいのであります。抑も教会なるものは一個の団体である。人が生まれると之に洗礼を授けて霊名を附けるが如く、教会と云う団体にも、聖堂が出来て、教会の形が備わると、之に聖人の名を附けて、その聖人に聖堂の擁護を託すると共に、その教会をも保護していただくのであります。

然らば此処に聖堂が出来、この教会の設置せられたのは何時であるかと云えば、今より幾十年前、即ち千八百何十年のことで、某主任司祭は之に二十六聖殉教者の名を附け、その御保護を頼むことに定められたのであります。して見ると、この教会は可なり古い教会、年齢から云へば幾十歳、もう随分()い年齢ではありませんか。然らば余程成長して居るだろうと思われますが、悲しい(かな)、年齢は幾十になって居ながら、体を見ると、まだほんの子供であります。

(2)− (そもそ)も教会と云う団体が成長するには、内と外と双方に発展して行く必要があります。内は益々信仰熱を温め、忠実に神の掟を守り、務めて善業を励む信者が多くなると共に、外は末信者の改宗して来るものが、日にその数を加えなければなりません。

然るに当教会は何方(どちら)から()ましても、年齢に釣合って成長して居るとは思われません。先ず未信者の改宗によって外に拡がると云うことは極めて少ない。それは皆さんの責任でないかも知れぬが、然し布教は司祭や伝道士のみの担当に属し、信者は全く(あずか)り知らぬ、信者はただ天主の十誡、聖会の制定(おきて)を型の如く守りさえすれば沢山だと考えて居ては、大きな大間違いであります。天主の十誡は之を大別すると、神の愛と人の愛との二つに(つづ)まるのでしょう。して未信者、路に迷って居る()の哀れな未信者を(まこと)の道へ案内すべく務めないでは、神を愛するとも、人を愛するとも申されますでしょうか。

内は如何に成長して居ますか。信仰は暖まり、善業は盛んに行はれ、聖堂に出入りするもの、ミサ聖祭に(あずか)るもの、(まこと)の信心を以て御聖体を拝領するものが、年と共に多くなって居ますか、青年は罪の巷に走らずして、益々身を清浄(しょうじょう)に保ち、信心の路に進みつゝありますか。親はいよいよ注意して子供の教育に力を尽して居ますか・・・私は当地へ参りました頃、「あまり厳格過ぎる」だの、

「今少し易しくして欲しい」だのと云うような注文を承ったこともありました。それこそ「あまり成長しては困る、成長すれば自分で働いて食べねばならぬから、何時迄も子供にして置いて貰いたい、何時迄も親の膝の上に抱へられて、乳ばかり飲まして置いて戴きたい」と云うのも同様でしょう。顔だけはもう善い加減に(しわ)()れて居ながら、胴体は何時までも幼少年であるとは、(みにく)不具者(かたわ)ではありませんか。考へても見なさい、我が長崎教区の各教会は皆、(きゅう)信者の教会、八代も十代も前から信仰を続けて来て居る信者の教会で、当然他の新しい教会の模範と仰がれねばならぬ。「某教会を見なさい。天主の(いまし)めを守り、聖会の制令(おきて)に従うにしても、信心の務めを果たすにしても、祈りを(とな)へるにしても、彼の教会の如くにあらねばならぬ。流石は(きゅう)信者の教会ほどあって違ったものだ」と感心される位にならなければならぬじゃありませんか。

所で残念なことには、なかなか其処まで行って居ない。それは固より土地の所為(せい)でもありましょう、皆さんの身分職業にも原因しましょう、皆さんを教導して居るこの司祭が(つま)らないからでもありましょう、けれども一つは皆さんの奮発心が足りないからではないでしょうか。自分の教会は(きゅう)信者の教会、日本諸教会の惣領であり、随ってまた模範であらねばならぬと云う考へが足りないからではありますまいか。自分の教会を愛すると云う観念が乏しい、是非ともこの何々教会を立派になしたい、この教会より罪悪の草を根絶やして、反対に善徳の花を咲かせたい、内にも外にも大いに成長発展させたいと、大いに奮発して下さるお方が誠に少ない、自分の教会は如何なる聖人を擁護者に戴いて居るか、その聖人はどんな偉い御方で、どんなに立派な御鑑(おかがみ)をお(のこ)しになったか、と云うことさへ一度も考えたことのないお方が少なからぬ為ではありますまいか。せめて今日この祝日に当って、二十六聖殉教者とは如何なる御方であるか、それだけなりとも考えて戴きたいものであります。

(3)− 二十六聖殉教者等は、慶長元年十二月(1596年)太閤秀吉の命によって、京都、大阪地方で捕へられ、翌年一月三日に耳の先を()がれて京都を引廻され、それから大阪、堺等を経て、徒歩で長崎へ送られなさいました。その二十六人の中に六名だけが外国人で、他は皆、我々同様日本人でありました。其の中には六十歳以上の老人もあれば、僅かに十二歳、十三歳になる子供もありました。親の腹から信者であったお方もありますが、最近洗礼を授かったばかりの人もありました。それにも(かかわ)らず、年中(ねんちゅう)の一番寒い一月から二月にかけて、二百里以上も引廻され、(ようや)く二月五日に長崎に到着されました。其の間の艱難苦労と来ては、それこそ心も(ことば)もなかなか以て及ぶ所ではなかったでしょうが、然し殉教者等は(すこし)も悲しむ色さへなくむしろ喜び勇んで(もう)けの刑場へと()せ登られました。我が家を捨て、親兄弟に離れ、妻子と別れて、云うにも云われぬ艱難苦労を()め尽くした上で、(つい)にその生命までも(いさぎよ)く天主様に(ささ)げて十字架に縛りつけられ、槍を以て左右より十文字に胸を突き通されて天晴な殉教を遂げられたのであります。

立派な御手本ではありませんか。是は外国にあったことでない、我が日本にあった事で、(しか)も我が長崎にあった出来事であります。当教会は()んな偉大なる聖人等を擁護者に戴いて居るのであります、()んな勇壮なる聖人等を鑑として仰いで居るのでありますが、さて皆さんの上を顧みて御覧なさい。彼の殉教者等に対して、ちと恥しい所がありませんでしょうか。()の殉教者等は「信仰を棄てよ、棄てないと殺すぞ」と云はれて、「そんなら殺して下さい、()んなことがあっても、信仰だけは棄てません」と云って殺されました。今、皆さんには、「教えを守れ、信仰を重んぜよ」と天主様は勿論、親も兄弟も、司祭も政府までが云ってくれませんか。「信仰を守れば殺すぞ」ではなくして「守らなくちゃ罪になるぞ」と云ってくれるのですが、それにも(かかわ)らず、()うかするとその教えを守るまい、棄て置こうと致しませんか。()の殉教者等は家を捨て、親兄弟を離れ、妻子(つまこ)に別れ、生命までも(なげう)って天主様に仕えました。皆さんは天主様に仕え奉つるのに、そんなに苦しい犠牲を払はなければなりませんでしょうか・・・彼の殉教者等は、こんな寒い時分に二百里以上の遠い(みち)を歩かされなさいました。皆さんは如何(どう)でしょう?・・・少し寒くなると、一町か二町の道を歩いてミサに(あづ)()ったり、説教を聴いたりするのでも大儀に思い、(やや)もすると、怠り勝ちではありませんか・・・それでは()うして殉教者の血統を引いて居るのだ、(かたじけな)くも聖人等の子孫だと威張られたものでしょうか、それでは()うして殉教者を擁護者として居る教会の信者と云はれ得ますでしょうか。

何うか皆さん、是れからは自分の教会の擁護者は()んな偉い聖人であるか、天主様の為にどんな辛い目を見、苦しい目にお()いなさったかと云うことを考えて、自分も(いささ)か其の聖人等に(なら)い、天主様の為には少し位の寒さ、少し位の辛さを(こら)えて、信心の務めを励み、日本諸教会の総領たる我が長崎教区に、その名を知られて居る当教会が、顔も胴体も相当に発達し、よく釣合いの取れた恰好(かっこう)となる様、お励み下さい。そうしましたならば、たとへ血を流さなくとも、生命は棄てなくとも、天主様の為に寒さや辛さを(いと)わずして、尽しました所は、殉教するのと同様の価値(ねうち)があるのですから、立派に殉教者等の仲間入りをして、彼等と同じ御褒美を戴くことが出来るのは疑いを容れない所であります。

 

(三)         

 

(1)− この殉教者の中には、万里の波濤を(しの)いで我国に渡来し、聖教(みおしえ)の宣伝に従事せし外国宣教師があり、我が皇国に生れ、初めて聖教(みおしえ)の光に浴し、真の道に帰依(きえ)せし我等の同胞、否、祖先もありました。何れも時の悲運に遭い、佛僧等に讒訴(ざんそ)せられ、()(しゅ)太閤秀吉の逆鱗(げきりん)に触れて、劈頭(へきとう)第一聖教の為に膏血(こうけつ)を絞り、(はえ)ある殉教者となって、帰天(きてん)せられたのであります。我々はこの(めでた)い記念日に当りまして、満腔(まんこう)の熱血を(そそ)ぎ、以て殉教者等の光栄を讃美すると共に、またその美しい御鑑に(のっと)るべく務めなければなりません。

聖書に「我等は聖者の(すえ)なり」といってあります。不肖ながらも我々は殉教者等の後裔(こうえい)と生れ、文物隆興の聖代(せいだい)に遭い、易々と祖先の信仰を続けること出来るのは、何という幸福でございましょう。

宜しく之を天主様に感謝し、併せて祖先たる殉教者等の如く、内は忠実に信仰を守り外は大胆に熱心に、堅忍不抜(ふばつ)の精神を以て、聖教(みおしえ)の宣伝に当るとか、それに手伝いするとかして、彼の祖先に恥かしからぬ良信者となりたいものではございませんか。

(2)− (およ)そ一家の名声を揚げ、一身の利達を(はか)ると云うは、人間自然の情であります。然るに殉教者等は、世の富貴(ふうき)栄華を(かえり)みず、その身の安楽も掛換(かけがえ)のない生命までも(なげう)ち、罪なくして屠場に()かれ、あらゆる辛酸を()め、従容(しょうよう)として十字架上に眠られました。是れ(ひっ)(きょう)するに一時の苦痛を堪え忍んで、永遠の(ふく)(らく)に入り、地上の(はかな)い栄華を棄てゝ天国の(きわま)りなき褒賞をかち得たいと云う天晴れな志を抱いて居られたからであります。彼等がこの犠牲の精神は今こそ十二分に報いられ、キリストの玉座近く(はべ)り、殉教者の栄冠を戴き、無窮(むきゅう)福祉(さいわい)を楽しんで居られるのであります。犠牲の精神!殉教者に尊ぶべき所、その又なき()(かがみ)と仰ぐべき所は、実にこの犠牲の精神ではありませんか。

彼等はその信仰を全うせんが為め、自己の信ずる真理を一人にでも多く伝へんが為に、一切を犠牲に供したのでありました。その懐かしい親兄弟も、その可愛い妻子(つまこ)も、その所持せる財産も、世の富貴栄華も、否、二つとなき生命までも(なげう)って惜まないのでありました。

我々も信ずる通りに実行し、花も実もある良信者となるには、否、進んで自分の信ずる所を一人にでも多く伝えるには、時間や、金銭を惜しまず、一身の安楽を(なげう)ち、時としては不名誉を買い、(あざ)(わら)はれ、陰に陽に迫害され、除け者にされる様なことがあるべきは、覚悟の前でなければなりません。然しそんな目に出遭(でっくわ)しても、猶、且つ信仰を固執(こしつ)して動かず、我が身がキリストの弟子である、カトリック信者である、と云うのを何よりの名誉とし、その名誉を他にも(わか)つべく奔走してこそ、初めて日本帝国のカトリック信者である、(はえ)ある二十六聖殉教者の後裔(こうえい)である、他日天国に於いて、殉教者等の輝かして居られる栄冠を戴き、彼の殉教者等の如く、永遠無窮(むきゅう)福祉(さいわい)(ほしいまま)にすることが出来るのじゃありませんでしょうか。

 

(二月十一日)

 

(1)− 聖母マリアは、救主耶蘇(イエズス)基督(キリスト)の御母たるべく天主様に(えら)まれなさいましたから、アダムの子孫でありながら、原罪の汚れに染まずして、母の胎内におやどりになったことは、皆さんの御存知の所であります。昔からカトリック信者は皆、()う信じて居たのですけれども、聖会ではまだそれを信仰箇条に加へて居ないのでありました。

然るに千八百五十四年、時の教皇ピオ九世は、全世界の司教、信者(たち)の切なる願いにより、聖母マリアが原罪の汚れなくやどされ給うたことは、天啓(てんけい)に基づける真理で、信者たるものは必ず之を信じなければ、(たす)(かり)を得られないとお決定(とりきめ)になりました。

(2)− それから四年を()て、千八百五十八年二月十一日、聖母マリアは、フランスの南方ルヽドに於いてベルナデッタと云う十四歳の少女にお(あらわ)れになったことは皆さんの御存知じの所でありましょう。ベルナデッタの家は極く貧乏で、昼飯を用意する(たきぎ)さへなかったものですから、このベルナデッタは妹のマリア、同じ年頃の友達と三人連れ立って、ガブと云う渓流(たにがわ)の岸に(たきぎ)を拾いに行きました。然るに川の向こうに(そび)えて居るマスサビエルと云う大きな岩、その岩に突然大風のような響きがしましたから、驚いて四邊(あたり)を眺めましても、(きの)()一つ動いて居ません。ベルナデッタは不思議に思い、頭を上げますと、愈々以てびっくり仰天(ぎょうてん)しました。

岩には楕円形をなした天然の洞穴(ほらあな)がありましたが、その洞穴(ほらあな)の中に、一人の貴婦人、それはそれは霊妙(ふしぎ)な光明に包まれた、云うにも云はれぬほど美しい貴婦人が、この(ほう)を向って立って居ます。

其の(ころも)は真っ白に照り輝き、頭に(かぶ)って居る白い被布(おおい)は肩の(あたり)まで垂れ下がり、帯は空色の如く蒼く、足は素足で、軽く岩を踏まへ、各々一個の金色に輝いた薔薇(ばら)の花を以て飾られ、両手を(うやうや)しく合せ、ロザリオを腕にかけて居ました。是が聖母マリアであることは後に至って知られたのであります。

この時より聖母は引続いて都合十八回、お現れになりました。四回目の御出現(おあらわれ)の時、聖母はベルナデッタに「私は其方(そなた)幸福(さいわい)にして上げましょうが、然し此の世に於いてではありません」と仰せになりました。

二月十四日の御出現(おあらわれ)の時、聖母はベルナデッタに、「泉に行って水を飲み、顔を洗いなさい」とお命じになりました。

ペルナデッタは、「泉」と云う声を聞いて、四邊(あたり)を見廻はしても、別に泉らしいものは見つかりません。よって聖母を眺めながら、ガブ河の方へ往きかけますと、聖母は身振りで以て之を止め、「其処に行くのではない、私はガブの水を飲めとは言いません。泉に行きなさい、それ此処に在るのです」と云って、洞穴(ほらあな)の左の方を指示(ゆびさ)しなさいました、そこでベルナデッタはその指示(ゆびさ)された処を指の(さき)で掘りますと、不思議にも水が滴一滴と湧き出ました。其の水も初めは泥土(どろ)が混じり、濁って居ましたが、(つい)には水晶の如く立派な清水となりました。此の水こそルルドでは勿論、世界到る処に送られて、今にも無数の病人を(なお)しつゝあるのであります。二月二十六日にお(あらわ)れになった時、聖母は、ベルナデッタに「司祭の許に行って、此処に聖堂を建てるように・・・私は信者が行列をして此処に祈るのを望むと告げなさい」と仰せになりました。

三月二十五日御告の祝日にベルナデッタは御名(みな)を尋ねました。最初二度までは、ただにこっと微笑(ほほえ)んで、何ともお答へになりませんでしたが、三度目には熱心に両手を合せ、天を眺めつゝ「私は原罪の汚れなきやどりです」とお答えになりました。是は第十六回目のお(あらわ)れでありまして、第十八回目、即ち最後の御出現(おあらわれ)は七月十六日のことでございました。それから久しからずして、ルルドには大きな聖堂が建ち世界の四方より毎年毎年馳せ集る参詣人は何万人と数へられ、医者にも見捨てられた病人が其のルルドの水で忽ち平快(へいかい)するものも実に(おびただ)しく、ルルドは世界に又なき有名な霊地となりました。

(3)− 今私はベルナデッタにお(あらわ)れになった聖母の御姿(みすがた)に就いて、少し申上げたいと思います。聖母は両手を()み合せ、少しく天を仰いで居られました。天が我々の故郷であるぞ、この世は旅の空、旅の空には難儀苦労があるのは当然のことで、此の世で楽をしよう、愉快を極めよう、楽しもうと夢にも思ってはならぬ、と教へ給うたものではないでしょうか。だからベルナデッタにも「私は其方(そなた)幸福(さいわい)にして上げましょうが、然し此の世に於いてではありません」と仰しやったでしょう。我々にも聖母がそう仰しやって下さるものと思い、(この)()よりも天国を、(この)()(たの)(しみ)よりも、天国の(たの)(しみ)()ち望むように務めなければなりません。

次に聖母は頭に白い被布(おおい)(かぶ)り、身には、白い服を着流して居られました。この白い被布(おおい)と白い服、其れこそ聖母が身も心も清浄(しょうじょう)潔白で、罪の汚れ一つないことを表したものではありませんか。実に聖母はただ口で「私は原罪の汚れなきやどりです」と(あっ)(しゃ)ったばかりでない。また実際、頭には少しの汚らはしい思い、望でも浮べ給うたことなく、御体も爪の(あか)程の罪にすら(けが)し給うたことなかったのであります。そして始終(しょつちゆう)この白い被布(おおい)と白い服とを以て「心を清浄(しょうじょう)にせよ、身を潔白に保て」と御注意になって下さるのであります。なるほど我々は原罪の汚れを以て生れたものですから、随って罪に傾き易い、少しも汚れないと云うことは、到底出来ないのでありますが、然し聖母の御助に(すが)りましたならば、少なくも知りつゝ身や心を汚さないことだけは、決して出来ないものではありません。

(4)− (そら)(いろ)の帯は何の象徴(かたどり)であったのでしょうか。帯は衣服を締めくゝるもので、身を取締れ、我儘気儘に流れるな、世の快楽(たのしみ)(ふけ)ってはならぬぞよ、と教えたものではありませんか。ベルナデッタにも「(つぐな)い、償い、償い」と三度もお叫びになったことがあります。そんなに身を取り締って行っては何処に愉快があるか、人間に生れた甲斐もないではないか、と云う人がよくありますが、決してそんなものではありません。かへって身を取締り、苦を堪え忍び、我儘を制し、痛悔(つうかい)をし、苦行を果してこそ、始めて真正な愉快が味はれるものだ、と教へんが為に、其の帯は(そら)(いろ)をして居ました。(そら)(いろ)喜悦(よろこび)象徴(かたどり)である。我々も身をよく取り締り、勝手な振舞いをせず、何処までも清浄潔白を保ってこそ、始めて真正な幸福、極りない喜悦(よろこび)を味ふことが出来るのであります。是は誰しも経験する所でありまして、心が清浄(しょうじょう)で、一点の(けがれ)れもない時と、罪の為に汚れ果てゝ居る時と、どちらが身に愉快を覚えますか。心に罪の曇が掛かって居る時は、甘い酒を飲んでも、(にが)く感ずるものではありませんか。

(5)− 両手を合せて居られますのは、祈祷(いのり)の必要を教へる為である。ベルナデッタはそれを見て思わず知らず(ひざまず)いて祈りをしました。聖母御自身もベルナデッタに「人々が此処に集って祈るのを望む」と申されました。すると忽ち其の声に応じて、世界の四方より参詣人は雲の如く集り、祈りの声は夜も昼も絶える間もないと云う塩梅(あんばい)であります。

其の祈りの中にも、特にロザリオを熱心に(とな)へよと、(すす)めんが為、御腕にはロザリオを掛けて居られました。

我々もこの聖母の御勧(おんすすめ)に従い、(つと)めて熱心に祈りましょう。「(そち)(たち)がこの聖堂に参って、熱心に祈ることを望む、悲しい時は此処に祈って慰めを求めよ、嬉しい時も此処に来て感謝せよ、心が冷えかゝったと見るや、此処に来て、暖めて戴け、吾が親の為にも此処に祈り、吾が子の為にも此処に祈り、我が夫の為、我が妻の為にこゝに祈るのです」と、聖母はお命じになります。我々はその御声を聴き流しにしてはまりません。祈りの声の聴える処には、悪魔は近附き得ないのです。祈りの声の響く処には、必ず天主様の聖寵(せいちょう)(あま)(くだ)らされるのです。祈りを(とな)へながら地獄に落ちる人は決してありません。特にロザリオは最も聖母の聖心(みこころ)(かな)う祈りであります。()わばロザリオは聖母マリアに(ささ)げる愛情の接吻です、聖母の御頭(みかしら)を飾る美しき薔薇(ばら)の花冠です。我々が「(めでた)聖寵(せいちょう)・・・」と(とな)へる時、天使聖人(たち)は喜んで聖母の御前(みまえ)(ひれ)()しなさるのであります。ベルナデッタはロザリオの(ほか)に何の祈りも知らなかったのですが、それでもあんなに大きな御惠(おめぐみ)を戴くこと出来たじゃありませんか。

(6)− ルルドの洞穴(ほらあな)には泉が湧き、其の泉の水で無数の病人が全快するのであります。然し霊的泉は何処の聖堂内にも、同じく湧いて居ます。目にこそ見えないでも、聖寵の泉は渾々(こんこん)として我々の聖堂内に、殊に聖母の御像(ごぞう)の下に流れて居るのであります。盲者(めくら)は此処に祈って、その(くら)んだ目を明けて戴くことが出来る、聾者(つんぼ)は此処に祈って、その(ふさ)がった耳を開けて戴くことが出来る。罪の癩病(らいびょう)に腐り(ただ)れて居る者も、この聖堂の告白場に入ると、忽ち雪の如く(まっ)綺麗(きれい)にして戴けます。死んだものでさへ蘇生(よみが)へることが出来るのであります。しかもルルドでは、すべての病人が全快すると云う訳のものではない、()えるものは百人に一人か、千人に二人かに過ぎませんが、この聖堂内ではどんな重病人でも、心さへあれば()えないものと云うのは一人もありません。

斯様(かよう)な次第でございますから、この祝日に当って、聖母の御出現(おあらわれ)の次第、その衣服(きもの)や、御態度、御言葉によって教えられる所をよくよく汲み取り、我々も聖母の如く清浄(しょうじょう)潔白な人、天に(あこ)()れる人、祈祷(いのり)の人、殊にロザリオに熱心な人となり、霊魂を清められ、然る上に、人の霊魂までも之を清める様に務めたいものであります。

 

灰  の  式  の  意  義

 

灰の水曜日は四旬節の始めであります、昔は四旬節も七週間、八週間、九週間と云う様にその期間が一定して居ないのでしたが、多くは六週間づつ行ったものであります。

然し四旬節中と(いえど)も日曜日には断食を致さないのですから、六週間では断食の日数が三十六日しかありません。よって希臘(ギリシャ)教会の人々がラテンの教会に向かって四十日間の断食を行わないと非難して止まないものですから、無益な争いをして、不和を(かも)さない様、四日ほど早めて水曜日から四旬節を始める事にしたのであります。

此の日に用いる灰は、前年枝の主日に祝した枝を焼いて作ったものであらねばなりません。彼の枝は凱旋の象徴(シンボル)でありました、その凱旋の象徴(シンボル)たる枝を焼いて作った灰を四旬節の始めに信者の頭に(かぶ)せるのは、つまり謙遜の情を起さしめると共に、天国に凱旋して、その言うべからざる光栄を楽しむと云う希望を起さしめる為でもあります。

古代にあって灰は()(あらわ)し、哀傷(あいしょう)をしめしたものでした、ダビドはその悲しみの大なる事を形容して「灰をパンと共に食せり」と言い、ゼレミアもナブコドノソルの怒りを免れんが為に灰を(かぶ)れ、とエルザレムの人々に勧めました。ニニブの町人は荒い衣を着け、灰を(かぶ)って痛悔(つうくわい)をなし、以て天主様の厳罰を免されました。実に灰は謙遜、痛悔(つうくわい)の情を最もよく表わすもので、我が身が塵埃(ちりあくた)である、やがて塵埃(ちりあくた)に帰るべきものだ、と云うことを思い出させるのに(あつら)え向きでありますから、聖会も旧約時代の習慣を棄てないで、之を其の典礼中に取り入れました。毎年四旬節の初めに司教は部下の聖職者を従へて聖堂の門に立ち、(おおやけ)の償いをなすべき人々の頭に灰を(かぶ)せ、罪の為に死すべきはずになって居ると云うことを思い出さしめ、その式が終るや、彼等を聖堂から出して一定の期間内は聖堂へ這入(はい)るのを許さぬのでありました。

十一世紀頃からすべての信者に、灰を(かぶ)せる習慣が行われるようになり、後で(おおやけ)(つぐな)いは廃止されましたけれども、灰を(かぶ)せる式だけは今日まで(のこ)って居るのであります。

司祭は灰を頭に(かぶ)せる時、昔、天主様が第一の犯罪者たるアダムに「汝は塵埃(ちりあくた)にして又、塵埃(ちりあくた)に帰るべきものたる とを覚えよ」と(おっ)しゃつた()(ことば)を其の儘くりかへします。そして各人に死の(まぬか)るべからざること、()かも此の身は何時しか死んで腐って塵埃(ちりあくた)に帰るべきことを思い出させて、傲慢を(くじ)け、快楽に溺れるなと(いまし)めるのであります。帝王の身も乞食の体も本は同じ土から出たもので、一度は必ず元の土に帰らねばならぬ、幾ら肉体を撫で(さす)って可愛がっても、時としては其の為に大切な霊魂までも(なげ)(すて)(かえり)みない程に可愛がって見た所で、死ねば忽ち一抹(ひとつまみ)塵埃(ちりあくた)と化し去るのである、我が身すらその通り(はかな)いものである。()して我が身に付属せる金銭や名誉や快楽やと云うようなものが、我が身と共に朽ち果てゝしまはないはずがあろうか、して見ると現世(このよ)ほど(はかな)(たの)み難いものはないのであるのに、我々は始終こんなものに執着して、為に馬鹿馬鹿しい罪を犯すのですから、聖会は四旬節の初め、罪の償いを勧めるに際して、先ず世物(せぶつ)の如何に(たの)(かた)いものであるかと云う所を見せて、之を解脱(げだつ)させようと(つと)めるのであります。

(なお)、又この世に於ける我々の生命(いのち)と云うものは、生命(いのち)と云はんよりか(むし)ろ死の連続とも云って可い位である。それに我々はこの涙の谷、逐謫(ちくたく)の場を(しき)りに恋い慕って、千年も万年も此処に生存(いきながら)へたいと思い、一向眼を挙げて天を眺めようともせず、天国の終りなき生命(いのち)を恋い(した)おうとはしません。そこで聖会は死の象徴(シンボル)たる灰を各人の頭に(かぶ)せて、「人よ、汝は塵埃(ちりあくた)にして、又、塵埃(ちりあくた)に帰るべきことを思へ」と云って死を思い出させ、何時迄も此の世に生き(ながら)へようと云う馬鹿らしい考へを持つよりか、むしろ安心して死なれる覚悟をするのが肝要だ、と教へるのであります。我々は聖会の思召しの在る所を汲み取り、死の遠からざることを忘れず、世物(せぶつ)(たの)(がた)きを思って罪を痛悔(つうくわい)する様、心掛けたいものであります。

 

四  旬  節  の  心  得

 

聖会は四旬節第一(しゅ)(じつ)に当って、吾が主の断食に就いての福音を読むことにして居ます。是こそ四旬節が我々信者の為に祈祷(いのり)の時である、(つぐな)いの時である、行いを改め、徳を(みが)くべき時である、と云うことを教え(さと)した、老婆心から、そうするものではありませんでしょうか。実に

(1)− 四旬節は祈祷(いのり)の時である。「常に祈りて止まざるべし」(ル 十八ノ一)と云うのは主の(みを)(しえ)であるが、然し四旬節は特に屡々(しばしば)、又、熱心に祈らなければならぬ時であります。先づ耶蘇(イエズス)様が四十日間祈りつづけて、我々にその御鑑(みかがみ)をお示し下さいました。次に聖会が四旬節の初めから、こんな福音を読み聞かせることにして居るのも、我々に祈祷(いのり)の必要を思わせる為ではありませんでしょうか。(つい)に四旬節は、信者の為に最も大切な毎年一度の勤めを果さなければならぬ時である。毎年一度の勤めとは、手っ取り早く言うと罪を告白し、聖体を拝領することでありますが、唯この両秘蹟を授かるばかりで、その勤めが全うせられる訳ではありません。真実に自分の罪を悲しみ嫌って、再び之を犯さないと云う堅い決心の上より告白をなし、清い心になって聖体を拝領しなければならぬ。即ち今まで(よこ)(みち)に迷って居た者は正しい途に引返し、今まで眠って居た者は、その目を(さま)し、今まで不熱心であった者は熱心に、熱心であったものは益々熱心になり、信者らしい信者、花も実もある信者となる必要があるのであります。然しそれは容易からぬことで、我々の敵なる悪魔は恐ろしい力の持主である。その巻きつけた罪の綱はそう易々と切れるものではない。長くの間、身に()み込んで居る悪い癖を洗い去ると云うのも、並大抵のことではない。大いに天主様の聖寵(せいちょう)が必要である、してその聖寵(せいちょう)は祈る人にしか与えられないのであります。

でございますから四旬節中は熱心に祈らなければならぬ。心を改め得る様、罪の機会(たより)に遠かり得る様、不足の中から、悪い癖の中から抜け出ること出来るよう、益々善良な、十分(みが)きをかけられた、何処から見ても申し分のない基督(キリスト)信者となれる様、誠心(まごころ)こめて祈らなければなりません。自分の為ばかりでなく、また他人の為にも祈る必要があります、悪にこびりついて殆んど信者の心を失ってしまった人が斯の狭い教会内にすら少なくありません。冷淡不熱心に流れ、やっと信者の勤めを果して行く位の人はザラにあります。熱心な人と云う中にも天主様の(いまし)めを破り、聖会の制定(おきて)(そむ)き、耶蘇(イエズス)様の聖心(みこころ)を悲しませ奉る様な人が、皆さんの隣近所に、或は親族朋友の中にも見付(みつ)からないでしょうか。()(かく)、皆さんは自分の為に祈ると共に、また他人のこともお忘れにならない様、(いわん)や自分の親しく往来して居る人の中に、迷った方がありますならば、殊更ら其の人の為に祈って上げる様に致して下さい。朝夕の祈りは勿論、平生に倍して熱心にミサに(あずか)り、十字架の道行きをなし、コンタスを(とな)へると云う様にして、自分の為、人の為、改心の惠をお祈り下さい。

(2)− 四旬節は償いの時である。世に罪のない人はありません。大なり小なり皆、罪を犯して居る、罪を犯した以上は、必ずその償いをしなければならぬ。然るに我々は犯した罪に就いて平素如何なる償いをして居ますでしょうか。聖ペトロは三度耶蘇(イエズス)様を(いな)みましたが、その為に一生涯涙の乾く間もないほど悲しまれたと云うことですが、我々は如何でしょう。一度告白して(ゆる)しを(こうむ)った罪に就いては全く安心してしまい、償いをする所か、まるきり思い出しもしない位ではありませんか。せめてこの四旬節に当って、聖会の命ずる大齋(だいさい)小齋(しょうさい)やを正しく守り、少々(つら)くても口実(こうじつ)を設けないで、罪の償いだと考へ、立派に之を守ることに致したいものであります。然し大齋(だいさい)と言っても、ただ金曜日一日だけで、小齋(しょうさい)も水曜日と金曜日と二日に過ぎないのですから、そればかりでは()うしても足りません。成るべくは病気や災難をジッと()(しの)ぶとか、家庭に隣近所に自分と気心の合はない人があり、何か面白からぬことを言はれたり、()れたりしても、小言を言わないで、それを(こら)へて行くとか、食物なり飲み物なりも罪の償いと思って多少控へ目にして置くとか、或いは又、己が職分の勤め、毎日々々遣って行かねばならぬ仕事を罪の償いと云う考で立派に果すとか云う風にしなければならぬ。罪の為に蒙るべきであった地獄や煉獄の罰を思いなさい。この世の償い、ホンの僅ばかりの償いが果せないはずはありますまい。

(3)− 四旬節は行いを改むべき時である。既に罪を悲しんで償いをする位ならば、(あらた)に之を犯さない様にし、断然行いを改めるこそ至当のことではありませんでしょうか。然し行いを改めるには是非とも罪の機会(たより)を避ける必要がある。罪の機会(たより)となる場所、罪の機会(たより)となる人に(とおざ)からないでは、到底罪を避けること出来るものではない。その他、遺恨を含んで居る人、復讐(あだがへし)をしたいと考えて居る人は、其の遺恨を、其の復讐(あだがへし)の念を棄て快く敵に赦す、商業上、良からぬ事をし、不義な儲けをして居る人は、(すぐ)にその良からぬことを止め、返還(かへ)すべきものは返還(かへ)し、(つぐ)()うべきものは潔く(つぐ)()う、と云う様にしなければならぬ。猶、又、悪い癖の持ち主、賭博をやるだの、大酒を飲むだの、放蕩に耽るだの、そんなことを()さるお方は皆さんの中には一人でもあるまいと思いますが、万一ただの一人でもありますならば、耶蘇(イエズス)様の御受難に対しても、断然それをお止め下さらねばなりません。たとへ()まで(ひど)い癖でないにしても、「無くて七癖」とさへ申しますから、必ずお喋りをするとか、腹立ち易いとか、人を(そし)るとか、(なま)けたがるとか、その他、種々の癖を()たない方はありますまい。よって其の中の一つでもこの四旬節に改める様に工夫して下さいますならば、()れほど主の御心(みこころ)を喜ばせ奉るに至るでございましょうか。

(4)− 終に四旬節は徳を(みが)くべき時である。ただ罪を痛悔(つうくわい)したり、(つぐな)いをしたり、罪に遠かったりしたばかりではまだ足りない、務めて善を行い、徳を(みが)くようにせねばならぬ。徳と云うものは「心を善に傾ける習慣である」から、一度や二度、善いことをしても、徳とは申されません。幾度も幾度もその善いことを繰返して、もう易々とそれを行い得る様になった時、始めて徳と云はれるのであります。だからこの四旬節中に悪い癖を取り除けると共に、また立派な習慣を養うよう努めましたならば、それが後々迄も(のこ)りまして、何時しか善良な基督(キリスト)信者となることが出来る訳であります。さればこの四旬節を機として屡々(しばしば)ミサを拝聴したり、熱心に説教を聴いたり、信心の(ほん)を読んだり、毎朝少し(づつ)でも黙想をしたり、成るべく頻繁に告白もし聖体も拝領し、いよいよ謙遜に、忍耐強く、心より人を愛し、喜んで施しをなし、親の務めを立派に果して、子供の教育に(まなこ)を注ぐ、と云う様にして欲しいものであります。

我々は年々歳々四旬節を勤めながら、夢の様にして之を過ごしてしまいますから、何の益も蒙ることがない、行いも改まらず、善業も行へず、何時まで経っても徳の途に進出する所なく、常に同じ所をぐるぐると回転して居る、誠に以て(はづ)かしい次第である。何うか本年は是非とも大奮発をして、悪い癖はきれいさっぱりと切棄て、その反対に立派なカトリック的習慣を養うことにしたいものであります。

 

 

 

 

 

聖 ヨ ゼ フ 祝 日 (三月十九日)

(一)

 

(1)− 高い大きな幾十階ものビルデングがあると致しなさい。その高さを知るが為には、わざわざ頂上に登って綱を当て見なくとも、其の影を(はか)りさへすれば沢山であります。今、聖ヨゼフは聖母マリアの夫、イエズス、キリスト様の養父として、その位は(たか)く、その権力(ちから)は勝れ、屹然(きつぜん)として高く諸天使、諸聖人の上に(そび)え、其の大小、高下(こうげ)は容易に知るべくもない、之を知る為には何うしても其の影を測って見なければならぬ。影は旧約のヨゼフに()ります。ヨゼフは夢に日と月と十一の星とが自分の足下(あしもと)平伏(へいふ)して敬礼するのを見ましたが、後、果してエジプトの副王となり、(くらい)人臣(じんしん)の栄を極め、(ただ)に親、兄弟のみならず、全エジプト国民までが、其の足下(あしもと)(ひれ)()すに至りました。影さへ(かく)の如くであれば、其の形は如何許(いかばか)りでしょう。考へても御覧なさい、聖ヨゼフは聖母マリアの夫、イエズス、キリスト様の養父でした。天使と聖人の元后と仰がれ給う聖母マリアが、夫として之を尊敬されました。天地万物の君たるイエズス様も父として孝養を尽くし、父として服従されました。その(くらい)の高く、その権力(ちから)の大なること、誰がよく之を(はか)り知ること出来ましょう。して聖ヨゼフは()(ぐらい)()権力(ちから)をば死後失い給うたとは思はれません。シエナの聖ペルナルジノはいいました、「イエズス様は現世(このよ)(ましま)す時、聖ヨゼフに対して尊敬、孝愛を怠り給はぬのでした。天にお上りになってからも、之を怠り給はうとは信じ難い、否、一層厚く孝愛を尽くし給うことは疑いを容れざる所であります」と。実に聖母マリアを除くと、天上天下聖ヨゼフより(くらい)の高い聖人、聖ヨゼフより権力(ちから)の勝れた聖人は又とないのであります。

(2)− 聖ヨゼフの(くらい)()くも高く、聖ヨゼフの権力(ちから)()くも勝れて居ますから、我々は大いに聖ヨゼフに(より)(たの)み、常にその御保護を祈らなければならぬ。聖テレジアは殊の外聖ヨゼフを敬愛し給うのでした。人が聖ヨゼフに依り頼むのを見ると、大層、之を喜び、「私は何事によらず必ず聖ヨゼフに頼みます。頼んで聴かれないことがありません」といって居ました。又、有名なゼルソンと云う学者は「夫が其の妻に、父が其の子に祈る時は、命令も同様だ」と云ったことがあります。実に天国に()って、他の聖人(たち)は祈るのですが、聖ヨゼフは命令するのです。イエズス様でもマリア様でも、決してそれを拒絶し給うはずがありません。

(3)− 昔しエジプト王はヨゼフに一切を打ち(まか)せ、人民が「麦を売って下さい」と願い出るや、「ヨゼフに()って願へ」と答へ、何から何まで、ヨゼフの指図(どお)りにさして、自分は少しもそれに干渉しないのでした。今、天主様も「聖ヨゼフを立てゝ己が一家の主となし給い、その()べての()()(もの)(つかさど)らしめ給うた」のでした。「(すべ)ての所有物(もちもの)」の中に最も勝れた所有物(もちもの)たるイエズス様、マリア様すらも、(つかさど)らしめ給うた位ですから、我々が何かの御惠を願い出ると、亦、エジプト王の如く、「ヨゼフに()って願へ」と(おっ)(しゃ)って下さるに相違ありません。

聖ヨゼフはただ位が高く、権力(ちから)が勝れて居られる、ばかりでなく、また心ばせは優しく、情けもあつく(ましま)す上に、慈愛(いつくしみ)の神なるイエズス様、(あわ)れの母なるマリア様と多年寝食を共にし、大いに其の愛情の(ほのお)に燃え立って居られました。御自分も貧賎(ひんせん)窮乏の中に世を渡り、我々の(なや)()をよく分って居られますので、心から()り頼むものを決して(しりぞ)け給はぬ、(きつ)(あわ)れみを垂れ情けをかけて下さる。だから聖ヨゼフに()き、聖ヨゼフに(すが)るものは必ず聞き容れて戴く、期待を裏切られぬ様な気遣いは断じてありません。だから聖寵が欲しければ、聖ヨゼフニ()きなさい。病に苦しむ時、憂い悲しみに沈んだ時、聖ヨゼフに往きなさい、悪魔に襲はれた時、不潔の思いに攻められる時、傲慢の心、自己愛の念に取り付かれた時、聖ヨゼフに()きなさい。寝るも、()くるも、学ぶにも、祈るにも、聖ヨゼフに()きなさい。聖ヨゼフは必ずお聴き容れ下さる。殊に聖ヨゼフはイエズス様とマリア様の手厚き看護を受けて御死去なさいました。されば安全、幸福な死を遂げたいと思わば必ず聖ヨゼフに往きなさい。「私は聖ヨゼフに頼んで聴かれないことがない」テレジアの御言(みことば)は決して我を(あざむ)かないのであります。

(つい)に聖ヨゼフはキリスト様の心を以て己が心となし、基督(キリスト)様の好み給う所は自分も之を好み、基督様の嫌い給う所は自分も之を嫌いました。基督様の思いは聖ヨゼフの思いで、基督様の(ことば)、行いは聖ヨゼフの(ことば)、行いでした。是れこそ基督(キリスト)信者の又なき()(がみ)ではありませんか。若し我々がこの()(がみ)(のっと)るべく(つと)めましたら、聖ヨゼフは特に喜んで我々の祈りを伝達(とりつ)ぎ、何事に()らず我々の為に周旋して下さるに相違ありません。

 

(二) ヨ ゼ フ の 三 大 徳

 

(1)− 聖ヨゼフを尊敬し、聖ヨゼフに助けて戴くには、聖ヨゼフの御徳に(のっと)る所があらねばならぬ。ただ口でのみ聖ヨゼフを尊敬し、口でのみ聖ヨゼフに()り頼んでも、其の行為(おこない)が聖ヨゼフの徳に反対して居ては、聖ヨゼフも決してお喜びにならない、決して我々の祈りをお聴き入れ下さらない。

福音書には聖ヨゼフを「義人」(マテオ 1ノ19)と呼んである。「義人」とは神の律法を忠実に守る人を()うのであります。聖ヨゼフは「義人」でした。律法を忠実に守れる義人でしたから、それだけ総ての徳に秀でて居られました。然し其の(うち)に取り分け秀でて居られた徳、又、我々の取り分け(のっと)るべき徳は謙遜、貞潔、従順の三つであります。

(2)− 聖ヨゼフは謙遜に秀でて居られました。其の族籍はと云へば、王者の後裔(しそん)、其の徳行(とっこう)はと云へば「義人」、其の位はと云へば、聖母マリアの夫、救い主の養父、天下広しと(いへど)も、聖人君子多しと(いへど)も、聖母マリアを除けば、誰が聖ヨゼフの右に出るものがありましょう。けれども聖ヨゼフは深く自ら(へりくだ)り、(いや)しい職業を営み、貧しき生活をなし、全くそれに満足して居られました。富貴になりたい、楽に暮したい、栄華な真似をして見たい等の欲望は夢にも()ち給はぬのでした。

イエズス様が三十年の間もナザレトに隠れ、その神たる事を人に知られ給はなかったのは、聖ヨゼフの謙遜が之を(おお)い隠して居たからであります。そしてイエズス様がいよいよ福音を説き、奇蹟を行い、人に尊敬せられ、先生と呼ばれ、救い主と称せられ、基督(キリスト)と仰がれ給う時は、聖ヨゼフはもう世に(ましま)さぬのでした。実に聖ヨゼフの謙遜ばかりは、感ずべきの至りじゃありませんか。皆さんも聖ヨゼフに(なら)いたいと思いなさるならば、亦、貧しい生活を(いと)ってはならぬ、賤しい職務を避けてはならぬ、衣食住の不自由を()(こら)へなさい、自分の才能に誇らず、学芸を包み隠し、人に尊ばれ、先生と呼ばれ、人の上に立ち、人に号令したいと思いなさいますな。

(3)− 聖ヨゼフは貞潔に秀でて居られました。実に聖ヨゼフの貞潔は高く天使聖人(たち)の上に(ぬき)んでて居ました。さもなくば天主様が之に御獨子(おんひとりご)(さづ)け給うはずがなく、聖母マリアの童貞を保護せしめ給うはずもありません。「(さいわい)なる(かな)、心の清き人、神を見、奉つるべければなり」とは、聖ヨゼフの如き御方を()ったものでございましょうか。我々も屡々(しばしば)主の御聖体を拝領し、聖母マリアとも始終(あい)(した)しみ、その御保護を(かたじけな)うして居る。否、キリスト信者として主の権利を擁護し、聖母の名誉を(ひろ)め奉つらねばならぬのですが、それには、どうしても、聖ヨゼフに(なら)い、其の身、其の身に適当な貞潔を守らなければならぬ、貞潔の人でなければ、到底それだけの務めは果せないのであります。

(4)− 聖ヨゼフは従順に秀でて居られました。我々は聖ヨゼフの従順を思う毎に腹の底から驚嘆せざるを得ません。「嬰児(おさなご)と母とを携へてエジプトに(のが)れよ」と天使の命を承るや、一寸の猶予もなく、直ちに母子(おやこ)を伴って発足されました。住馴れた故郷を打ち棄て、言語(ことば)も異なり、風俗も異なり、宗教も異なる遠国異郷に赴くのは、人情の得て忍び難しとする所であります。たとへ聖ヨゼフは聖人であるとは云へ、故郷を懐かしむ情に於いて他の人と異なるはずがありましょうか。然し聖ヨゼフは天主様の御命令と聞くや、(すぐ)(さま)はね起きて発足されました。我々が聖ヨゼフでしたら、(ことば)に出さないでも、責めては心に何と思ったでしょうか。エジプトへの道は荒野(あれの)が幾十里と(あい)(つらな)って、人畑は稀に、盗賊は出没し、危険この上なしである。如何(どう)しましょう、天主様は御存知ないのでしょうか、と思わなかったでしょうか。然し聖ヨゼフは決して然う思いません。我々ならば、イエズス様は天地の大君である、百千のヘロデありとも何ぞ恐るゝに足らん。それに敵の手を(のが)れんとて、態々(わざわざ)遠く外国に逃げ隠るゝの要あらんやと思ったでしょう。然し聖ヨゼフは決して()う思いません。エジプトに(のが)れるより、寧ろ東に走りて、博士(たち)に頼ったら必ず手厚い待遇(もてなし)を受け、旅の憂目も忘れるであろう、エジプトは偶像教国だ、親戚もなく、知人もない、如何にして母子を養おうと思ったでしょうが、然し聖ヨゼフは決してそう思いません。冬は寒い、夜は()けて、用意も(ととの)わず、明日を()って行っても(おそ)くはあるまい、と我々ならば思ったかも知れぬが、然し聖ヨゼフは決してそう思いません。天主様の御命令と聞くや、取る物も取り()へず、即、()(みち)に上りました。誰が聖ヨゼフの従順を見て驚かないで居られましょう。

今の人は何事に関らず、自由と云い、権利と云って、一たび命令が出るや、内は心に問い、外は人と論じて、この命令は果して合理的だろうか、不合理的ではあるまいか、合理的命令には従はざるを得ないが、無理不法の命令は、彼も之を命ずる権利なく、我も之に従はざるの自由がある、盲従は大丈夫の恥とする所だ、(など)(とな)えるものが多い。(かか)る人の目から見ると、聖ヨゼフの従順は卑屈極まるものでありましたでしょう。然し天主様の御目には(うめ)(ざくら)(うるわ)しき花と映じたのであります。

皆さん、鏡の前に立つと(かを)美醜(よしあし)が見える。聖人の前に立てば、徳の善悪が瞭然(はっきり)(あら)はれるものです。()うぞ聖ヨゼフを以て鑑となし、皆さんの日々の行為(おこない)、特に従順の徳の如何(いかん)をお察し下さい。

 

聖 母 へ の 御 告 (三 日)

(終 生 童 貞 に 就 い て)

 

大天使ガブリエルは天主様に(つか)わされて、聖マリアの御前(みまえ)に現れ、神の御母たるべく選まれ給うた(よし)を告げました。それを聞かれた聖マリアは、(いた)く打ち驚き「我、夫を知らざるに如何にしてかこの事あるべき」とお尋ねになりました。結婚さへしたら、子の母となるのは当然でありますのに、聖マリアか余程、御心配なさって、()んなにお尋ねになりましたのは、(かね)てより童貞を誓い、飽くまで之を守り通そうと決心して居られた証拠ではありませんでしょうか。(そもそ)も聖マリアが神の御母たると共に、また終生童貞にて(ましま)すということは、カトリック信仰個条の一でありますが、さてその所謂(いわゆる)「終生童貞」とは果して何を意味するのでしょうか。

(1)− 終生童貞の意義。先づ聖マリアが御子をやどされたのは聖霊の働きに()るのでありまして、その為に(すこし)もその童貞美を傷つけられ給はなかったと云う意味である。カトリック教会では初めからそう教へ、そう信じて居るのであります。次にイエズス・キリスト様が御母の御胎を出て、世にお生まれになります時も、(たと)へば太陽の光が()きわたった水晶面を通過しながら、その水晶面に何等の傷をもつけないが如く、また後日キリスト様が、御墓(みはか)(ふた)(いし)をし、封印までしてあったにも(かかわ)らず、御復活の(あした)、封印はそのまゝにして出で給うた如く、少しも御母の童貞を傷つけずして生れ給うた、とカトリック教会では教へ、且つ信ずるのであります。

(つい)に聖マリアは御子を生み給うた後も、同じく童貞を守り、決して他に子供を挙げ給うたことがない、ただカルワリオに於いて御子の御遺言により、聖ヨハネを養子とし給うたのみであると云うことを固く信じ、公に宣言するのであります。兎に角カトリック教会では、聖マリアが御子をおやどしになる時も、お生みになる時も、お生みになった後も、依然童貞美を少しも傷つけられ給うことがなかった、と固く信じて居るのであります。

(2)− 聖マリアはその童貞を神に誓われた。ユデア人の胸中に絶えず渦まき、彼等をして世間独特の民だと自惚(うぬぼ)れさして居た思想が二つございました。一つは我こそ世界を支配すべき特殊の使命を帯びて居るのだと云う考えで、今一つは自分等の中より世界の大王たるメッシアが生れ給うと云う希望でありました。父母は子女(こども)に幼少の頃よりこの二つの思想を吹き込むのでしたから、ユデアの若い婦人は結婚して子を挙げると云うのを唯一の理想とし、童貞を守るなんて夢にも思い得ない、子が出来ないのは大きな恥、神に(のろ)われたしるしだと信じて居たものであります。

かゝる国民の中に生れ、かゝる雰囲気内に育てられながら、聖マリアは(つと)に童貞の美しさを認め、幼少の頃より之を神に誓い、飽までこの童貞美を保って行こうと決心されたのであります。是こそ聖霊のお勧めに出るのでありまして、神が童貞の徳を如何ほどお喜びになるかと云うことは、是を以ても察せられるでございましょう。

(3)− 童貞と神の御母。()くの如く聖マリアは(つと)に童貞を神に誓って居られたのですから、大天使のお告げを蒙られた時、「我、夫を知らざるに如何にしてかこの事あるべき」と心配してお尋ねになったのであります。救い主がお降りになる、自分はその御母に選まれた、預言者の告げ置きし救い主の御母、ユデア人が寝ても起きても忘れ得ない、絶えずその憧憬(あこがれ)(まと)として居る救い主の御母に選まれたのであると悟って、心は言い知れぬ喜びに躍り上らねばならぬのに、聖母は一方ならず狼狽(うろた)へなさいました、自分の誓って居る童貞は如何(どう)なるでしょう、この童貞だけは如何(どん)なことがあっても(けが)してはならぬのだが、神の御母となっても、この童貞美を傷つける様では、一向有難くない、と思われたから、少なからず心配して、大天使にお尋ねになったのであります。そして大天使から、「それは御心配なさるには及ばない、聖霊の奇特によって御母になられるのですから、決してその童貞を傷つけられなさる様な憂いはございません」と言はれなすった時、始めて安心し、「我は主の召使なり、(おお)せの如く我になれかし」と言って、御承諾の旨をお答へになりました。

(4)− 救い主の御母は是非童貞であらねばならなかった。聖マリアは神の御母として聖三位と

密接な関係の綱で結ばれ給はねばならぬのでありました。神人(しんじん)たるキリスト様を生み奉るの光栄を

御父と共に分ち給うのですから、また御父の如く清浄(しょうじょう)無垢(むく)であるべきは当然のことであります。

世の光にて(ましま)す御子を生み奉る以上、また御子の如く清い清い徳の光を放って、四方を照らさねばならぬはずでございました。聖霊によって、神の御母となり奉るからは、また聖霊の如く一点の汚れもなき童貞であらねばならぬのは、言う迄もない所でございましょう。

要するに神様が人にお生れになると云うからは、童貞を母とし給うが当然のことで、童貞が子を産むと云う以上、神様以外の子を産むこと出来るはずもないのであります。あゝ終生童貞なる聖マリア、童貞中の童貞なる聖マリア、童貞にしてまた神の御母なる聖マリア、我々は聖母のかたじけのうせし特典、母にして童貞であり、童貞にしてまた母であると云う、この唯一無二の特典を聖母に祝賀いたしましょう。して聖母が神の御母の()(くらい)よりも、一層童貞の清さを重んじ給うたことを思って、清浄(しょうじょう)の徳を何よりも重んじましょう。霊魂にも(にく)(しん)にも、あらゆる幸福を得せしめる清浄(しょうじょう)の徳を殊更愛重(あいちよう)し、未婚者でありましょうと、既婚者でありましょうと、其の身其の身に守れるだけの清浄を守って之を失わない様に務め、その為に要する聖寵をば、終生童貞なる聖マリアの(おん)(とり)(つぎ)によりて天主様に懇願いたしましょう。

 

 

我  主  の   受  難

(一)  内  心   御  苦  み

 

四旬節がまいりました。痛悔(つうくわい)の時となりました。誰しも心静かに我が身の上を反省して、罪を嘆き、心を改め、行いを立直さねばなりません。それには吾主の御受難、御死去を黙想するに限ると思います。

(1)− (そもそ)(わが)(しゅ)の痛々しき御苦しみの玄義は、「贖罪(しょくざい)大法(たいほう)」と云う方面から()なければ、到底説明が出来ないのであります。主がお苦しみになりましたのは、世の始から天主様の御要求になった償いを献げる為でありました。この償いは我々の罪と厳密に比例を取ったもので、主の浴びせられ給うた陵辱(はずかしめ)は、我々の傲慢が生める人もなげの振舞いに、御衣(みころも)を剥がれ給うたのは、我々の慾心の冷酷さに、主の痛苦(いたみ)悲哀(かなしみ)は我々の快楽(たのしみ)の法外なのに、(まさ)しく相応して居るのでありました。

さて我が身を顧みて見ますと、一番罪深いのは心であります。心から(すべ)ての罪は生れるのであります。悪い思いも、恥しい(ことば)も、汚らわしい行いも、その他の醜い、厭な、恐ろしい罪悪は、(ことごと)く心の産物なのであります。随って主は、肉体や、五官や、魂やを傷つけられ給う前に、先づ心を破られ給はねばならないのでありました。

人に愛されたい、燃ゆるが如く愛されたい。極端に愛されたい、熱狂的に、意識的に、感情的に、無我夢中に愛されたいと欲する所から、人はよく身を誤り、無罪の清さを失い、腐り果てゝしまうものであります。

この道ならぬ罪を償うがため、主は御受難の際に、使徒等からは極めて冷淡にあしらわれなさいました。その冷淡は、やがて無関心となり、裏切りとなり、見棄て、(いな)んで、(すこし)も顧みない迄に至りました。敵からは恐ろしい憎悪(にくみ)を浴びせられ、血汐に(まみ)れて(たお)れ給うのを見ない中は、どうしても甘心(まんぞく)されない、と云うほどの憎悪(にくみ)を浴びせられ給うたのであります。

(2)− ゲッセマニーの園に於いて、主の聖心(みこころ)(ただ)ならぬ憂い悲しみに沈み、ありとあらゆる気遣い、恐怖(おそれ)(いや)()に圧倒され、(かな)しい、(はらわた)もちぎれそうな(なげ)きの声を絞って祈られました。しかもその間に、ペトロとヤコボとヨハネは、正体もなく眠り込んで居ました。彼等の主にたいする愛は、目を醒まして共に祈るだけの熱さへも()たなかったのでした・・・間もなく主は衆議所の(つか)わした捕吏(とりて)の前に立たされ、新な打撃に聖心(みこころ)を破られなさいました。無論それは()()せし打撃、(まえ)(もっ)て告げ置かれし打撃ではありましたが、それにしても、やはり残酷な、忌々(いまいま)しい、陋劣(ろうれつ)極まる裏切り、偽善を(よそを)へる接吻の打撃であったのであります。

主は(つい)に敵の手に捕らへられなさいました。弟子等はそのまゝ主を見棄て一散に逃げ失せてしまいました。ゲッセマニーから大司祭館まで、主に付添って行くものとては一人もなく、主の憐れな()(こころ)(おが)むべきその聖心(みこころ)は全く孤独(ひとりぼっち)でありました。僅かにペトロとヨハネが、遠方から怖々(おづおづ)と後を()けて行ったのみであります。

(3)− 然し大司祭館には、更に新たな悲しみが(まち)()せをして居ました。あのペトロ、熱烈にして献身的な魂の持主たるペトロ、主の為には二つとなき生命でも喜んで投出すと、火の如き熱誠(まごころ)を以て誓言(せいげん)したあのペトロが、三たびも「知らない、知らない」と主を(いな)み、主とは何等の関係もない旨を公にして(はばか)らなかったのであります。弟子等に裏切られ、棄てられ、(いな)まれ給うた主は、誓ってその肉を()はんと、(たけ)り狂う悪魔の如き敵に直面しなければなりませんでした。カイアアを始め、衆議所の面々は、主にたいして(たと)えようもない憎悪(にくみ)の念に燃えて居ます。その憎悪(にくみ)の念と云ったら、実に底も知られぬ深い深い悪感情で、どんなに不憫(ふびん)極まる主の御姿(みすがた)を見ても(なだま)らず、どんなに痛ましい御有様を(うち)眺めても、感動する所なく、何時になっても(にぶ)ることなく、衰へることもない、極刑に処して、御生命(おんいのち)を奪った後までも、なお消え失せないと云う程の恐ろしい悪感情でありました。

(4)− かてゝ加へて、民衆までが(しゆ)に背を向けました。ガリレアの預言者と、敬慕(けいぼ)(すう)(はい)せし愛情の一片すら今は残って居ません。神殿の門で、橄欖(かんらん)山上(さんじょう)で、荒野(あれの)や、ゼネザレト湖畔で感嘆し、驚喜(きょうき)し、讃美、稱譽(しょうよ)せし(ともがら)も、前のことはケロリと忘れてしまいました。自分等の過失(あやまち)を赦し、不幸を慰め、貧者を憐れみ、幼児(おさなご)を撫でさすり、パンを(ふや)し、病者(びょうしゃ)(いや)し、死者を復活させ給うた大恩さへも思い出しません。主の御側(みそば)に付添い、その護衛に任じ、之を国王と(えら)み、名誉の王冠を加へようとした当時とは打って変って来ました。あゝ我々は夢を見て居たのだ、(だま)されたのだ、山師にかゝったのだ、と思い込んで、いよいよ主に愚弄(あなどり)嘲笑(あざけり)の唾を吐きかけるのでありました・・・彼等の心はすっかり(ひるが)へりました、「可愛さ余って憎さ百倍」と云う塩梅(あんばい)に、彼等の主にたいする心持は全く一変し、狂暴、残忍、な敵慨(てきがい)(しん)となって来たのであります。あゝ其の時、其の日、主の御胸は、怒り狂へる民衆や教師等に取囲まれ、呪いの(まと)となり、すべての人にアナテマ(破門)を投げつけられ、(あく)(げん)(ぼう)()を浴びせられて居ると見給うた時、如何にちぎれられ、(つんざ)かれる思いがし給うたのでございましょうか。

(5)− 感違いでもなさらねば、幻迷(まよい)に陥り給うこともないだけに、御苦しみは一層猛烈でありました、主は人の胸中も、その胸中に(わだかま)れる考も、望も、企ても、ありのまゝに読み破り給うたのであります。御自分の人となりを、その勝れた人格を、救世の大事業を、メツシアの資格を人の子や神の子の肩書きを否認し、攻撃し、罵倒せる人々の反抗(さからい)を、一つも見落とし給はぬのでありました。人々が御身に加へる憎悪の妄動(うごき)、その進歩し、発展し、拡大して行く有様を、一々眼前に打ち眺めなさいました。その荒々しい憎悪(にくみ)が、潮の寄せるが如く、海なみ(ツナミ)の襲い来るが如く、恐ろしい勢いを以て眼前(めのまえ)に迫って来る、刻一刻と(ふく)れ上り、山なす大波となり、どうどうと唸りを挙げて打ち寄せて来るのを一々御覧になりました。

この聖心(みこころ)を苦しめる憎悪(にくみ)には、何やら(はて)しないものがあり、聖心(みこころ)()めさせ給う悲しみにも、また何やら限りないものがありました。人は常にこの悲みの広大さを(たとえ)て「茫々たる大海原の如し」と言って居ますが、然しその(たとえ)は余りにも貧弱であります。主の聖心(みこころ)に絡みついた悲しみを(はか)るには、之が原因たりし憎悪(にくみ)、ユデア人の胸中を昂奮(こうふん)させ、憤激(ふんげき)させ、咬みなさいなめて止まなかったその憎悪(にくみ)を、(はか)って見る必要があります・・・それと共に我々の不潔な愛情、汚らわしい望こそ、彼等の憎悪(にくみ)を湧かす泉ではなかったかと思い、痛悔(つうくわい)の胸を打って主の御足下(おんあしもと)平伏(ひれふ)さねばなりません。

(6)− 人はただ愛されたい(ばか)りでなく、また自分に対するその愛を言明(いいあらわ)して貰いたいと思うものであります。偽りなき誓言(ちかい)を幾度も幾度も繰りかへし、長々と熱情を吐露(とろ)し、ありとあらゆる調子を以て讃辞(ほめことば)を浴びせられ、(しか)も其の為に熱烈火の如き言葉を、色々と抑揚緩急(かんきゅう)に富める辞句を、絶対的誓言(せいげん)を用いられたいと望むものであります。この種の誓言(ちかい)は、何時まで聴いても飽くことを知らない。それこそ実に終を知らぬ稱讃(ほめことば)である、自分の為に引きりなしに歌はれる賛美歌である。忠誠を誓へる言葉を、型に入った様な同じ言葉を、何時までも何時までも繰りかへさせないと承知が出来ない、殊に不潔な恋愛に狂へる男女間には、この種の誓言(ちかい)が最も盛んにくりかへされ、それによって彼等は真の幸福(さいわい)を味へるものと信じ込んで居るかの如く思われるのであります。

是等の不潔な愛情の罪滅ぼしにとて、主は御受難の際に、愛の一語も耳にし給はぬのでした。主を愛して(かわ)らない人々までが、深く深く沈黙を守って、一言も発しません。聖母も沈黙なさいました、

ヨハネも沈黙しました。マリア、アダレナ、その他の婦人等も沈黙しました。何処に於いても、ゲッセマニーでも、衆議所でも、総督府でも、ヘロデの前でも、カルワリオでも、この沈黙は破れませんでした。主に向かって、「御身は聖者です、義人です、我等は御身を礼拝します、祝します、愛します」と云う声が、ただの一声でも地から上ることもなければ、天から下ることもありませんでした。やっと最後に及んで、一人の強盗が()(あらた)め、感情にふるへる声を出して、主を救主と認めたばかりで、いよいよ最後の息を引き取り給うた時、百()(ちょう)が驚いて、「実際この人は神の御子であったよ」と叫んだばかりでありました。

(7)− 愛は沈黙しましたが、裏切は決して沈黙しません。ユダは主を捕えさすが為の合図として、「師よ、安かれ」と云って、主に接吻しました。この挨拶、この接吻こそ、憎んでも足りない虚偽(きょぎ)の挨拶であり、偽善の接吻でありまして、是ほど主の御心(みこころ)を傷つけたものはありませんでした。愛は沈黙しましたが、臆病は沈黙しません。ペトロは大司祭館の庭に、その(いな)みを、主を知らない存じないと云う誓言(ちかい)を大いに響かせました。「私はこの人を知らない、この人の仲間ではない、誓って知らない。知っていながら知らぬと云うのなら、どんな罰を受けても宜しい」と繰返し繰返し断言いたしました。固く誓って断言したのでありました。

愛は沈黙しても憎悪(にくみ)は沈黙しません。カィファの(やかた)に於いて、大声を挙げ、異口同音に殺意を公にして、「其の罪は死に当る」と叫びました。ピラトの法庭に於いては、最初、曖昧(あいまい)な声を響かせるに過ぎなかったが、やがて大胆になり、銅鑼声(どらごえ)を挙げて、耳も破れよとばかりに叫んで、民衆を釣り込みました。民衆は教えられたまゝ、死物狂いに叫びました。お(きま)り文句を繰返しました。それは亦どんなお極り文句でありましたでしょうか。「誰を赦そう?イエズスかバラバか」と問われた時、彼等は声を揃えて「是でない、バラバを赦せ」と叫びました。「然らばキリストと云はれるイエズスは、どうしたら()いのだ?」と問われて、彼等は又、声を揃えて、号令的に、威嚇的に「十字架にかけよ、十字架にかけよ」と答えるのでありました。

(8)− 皆さんが耳を喜ばせ、心を慰め、之を(たか)ぶらせる様な折返しを聞きたい時は、この声の(みだ)りがましさを償うが為、主が御心(みこころ)(つんざ)く憎しみの折返しを聞かされなさったことを思い出して下さい。皆さんは色々の調子を、自分の変わり易い、我儘な心の状態(ありさま)に応じて、或は柔かい撫でるが如き音を、或は強い底力の(こも)った声を耳にして、それぞれに言うべからざる楽しみを味わいたいと思いなさいますでしょう。()かる場合には、主が()んなに(えら)い目を見て、この享楽(きょうらく)気分を償って下さったかと思って見なければなりません。衆議所で、ピラトの法庭で、カルワリオで、憎悪(にくみ)はありとあらゆる言葉を語って、主の御心を深く深く傷つけました、官吏や判事の言葉を語って、「冒涜(ぼうとく)の言を出したのだ。我等は何ぞ尚、証人を要しましょう」と叫びました。卑しい下郎の言語を語りて、「キリスト様とやら、汝を打った者の誰なるかを我等に予言して下さい」と叫びました。民衆の言葉を語って、「その血は我等と我等の子供の上に(かぶ)れかし・・・取って除けい、取って除けい、十字架に釘けよ」と叫び、ローマ兵士の言葉を語って「ユデアの王、安かれ」と叫びました。怒りの言葉を語って「貴官(あなた)がもし此人を(ゆる)されたら、セザルの忠友ではありませんぞ。(すべ)て己を王とする者はセザルに(そむ)くのです・・・セザルの外、我等に王はない」と叫びました。不敬神、当てこすり、冒涜、残酷の言葉を発して「あゝお前は神殿を(やづ)つて、三日の中に之を建直すと云う者、自らを救え・・・もし神の子ならば十字架より()りよ・・・彼は他人を救ったのに、自らを救い得ない。もしイスラエルの王ならば、今、十字架より(おり)るが()い。然らば我々も彼を信じよう。彼は神を頼んだのだ。

神がもし彼を(よみ)し給うたら、今、救い給うであろうよ、自分こそ神の子だと誇って居たのだもの・・・」()くて司祭長、律法学士、フアリザイ人、長老、盗賊等のありとあらゆる声々が彼方からも此方からも連発して、一つに(から)み合い、強い、大きな、恐ろしい怒鳴りとなり、悪罵(ののし)りとなり、咆哮(たけりごえ)となり、野卑(やひ)陋劣(ろうれつ)銅鑼(どら)声となり、以てその侮辱(ぶじょく)に、その挑戦に、その残忍酷薄(こくはく)に一層の力を添えるのでありました。

我々が耳に快い、胸をわくわくさせ、心を踊り立たせる様な(なまめ)かしい声を、良からぬ(ほめ)(ことば)を汚らはしい愛の誓言(ちかい)を楽しんだが為に、(しゅ)はかゝる悲惨事を見給はねばならなかったのであります!(あゝ)・・・

(9)− 我々はただ愛情を披瀝(ひれき)する言葉のみに満足することは出来ません。その愛情が何かのしるしに、何かの証拠品に、何かの運動や、行為(おこない)の上に(あらわ)されんことを要求するものであります。我々を愛したい、我々の気に入りたい、我々の心を喜ばせたければ、どうしてもそれだけのことを()ない訳にはまいりません。我々が幸福(さいわい)に酔って居る時は、共に(おど)り喜び、悄然(しょうぜん)と悲しみに沈んで居る時は、共に貰い泣きをし、凱歌(がいか)(そう)して居る時は、無我夢中となって、それを祝賀しなければならない。彼等の目付きに、彼等の口元に、彼等の態度や、歩き方や、物の言い振りやに、我々を愛して居る、慕って居ると云う証拠を見出さないならば承知が出来ない。時としてはその(まよ)はし、溺れ込まして居る其の人に向かって、如何なる愛の証拠を要求して居ますでしょうか・・・ゲッセマニーの(その)からカルワリオまで、主の味方は皆、厳重な控え目の中に立て籠もって、動かないのでありました。彼等の中に、手をさし伸ばすもの、主の御体(おからだ)を支えようとする者、敵の手より救い取って上げようとする者は、一人として居ませんでした。怖々(おづおづ)と遠方から後を()けて、自分は決して無関心で居るのではない、と云うしるしを見せる位が関の山でした。

無論、天使が(あらわ)れて慰めました。通りすがりのシメオンが()いられて十字架を担ぎました。御母は両腕をさし延しなさいました。ウエロニカは汗と血に(まみ)れ給へる御顔を(ぬぐ)って上げました。カルソリオへお登りになる途中、同情の涙に(むせ)んだ婦人も二三ありました。主が十字架上に死の苦しみに悩ませ給う時、御母やヨハネと共に、涙ながらにその十字架の下に(たたず)んで居る婦人(たち)もないではありませんでした。盗賊の一人は敬意を表して、主の無罪を弁じ、見物人の一人は海綿を酢に浸して、火の如く焼けた(おん)(くちびる)にさし上げましたが、然し是だけを(ほか)にして、主は何等、同情のしるしをお受けになりません、聖心(みこころ)は全く孤独(ひとりぼっち)であらせられたのであります。

然し反対に御体(みからだ)を苦しめ、御心(みこころ)(つんざ)いて余りあるほどの示威(しい)運動は、数うるに(いとま)ない程でした。主は御身に加へられる陵辱(はづかしめ)をば、一つでも避けようとはなさいませんで、むしろ進んで之を堪え忍び、以て我々の罪を(あがな)い下さったのであります。我々の心が火の如き愛の表象(しるし)を得て、無暗(むやみ)(たのし)もうとするその快感をば、(つぐな)って下さったのであります。

(10)− 今、イエズス様が犠牲となり給うたその経過を一々辿(たど)って御覧なさい。我々の心の渇望(かつぼう)せる快感に(あい)応じて、その経過が如何なる苦しみの種であったかは、それこそ一目瞭然でありましょう。ゲッセマニーで、主は言うべからざる不安、懊悩(おうのう)に御心を(つんざ)かれ給うその間に、弟子(たち)は正体もなく眠り込んで居ました。暫くすると、ユダは捕り手の先導に立って、(その)(なか)へ進み入り、無礼極まる抱擁を与へ、憎々しい接吻を(ささ)げました。衆議所の下郎(たち)は、御顔に(つば)きし、拳固(げんこ)を見舞い、平手で打ち叩きました。ヘロデの宮殿では、白衣(しろいころも)を着せて之を(なぶ)り、総督府では御衣を剥ぎ取り、ローマ兵の朱い外套(がいとう)をなげかけ、茨の冠を作って頭に載せ、右の手には(よし)を持たせ、容赦もなく打ち叩いた揚句、御前に(ひざまず)き、「ユデアの王安かれ」と嘲笑(あざけわら)いました。我々は人に崇拝されたい、心臓に早鐘を打たせ、盛んに鼓動(おど)らせる程の崇拝をしきりに欲しがものであります。この崇拝(すうはい)の代りに、主の御心は、かゝる(あざけ)りの崇拝(すうはい)を受け、その快い阿諛(へつらい)の代りに、これほどまで無惨に(なぶ)られ、愚弄(ぐろう)され、打ち叩かれなさったのでありました。

カルワリオへ登って見ると、此処にも民衆や、司祭長等の悪罵(ののしり)冷嘲(あざけり)が手に取る如く聞える。ローマ兵までが死に垂々(なんなん)とせる主に近づき、わざと同情に堪えない風を見せ、酢をさゝげて之を(あざけ)りました。ユデア人等は主の御前に往ったり来たりして、頭を()すり、さも横柄らしく主を見上げて、之を(いど)み、千万無量の苦しみに沈ませ給へる主の面前(めのまえ)に、得意の肩を(そら)し、不敬きわまる喜びを、忌々(いまいま)しきせゝら笑いを見せて居るではありませんか。

(11)− 我々の心は人に取巻かれ、チヤホヤとお世辞をふり()かれたがるものであります。

その代りに如何なる連中が主を取り巻き、如何なるお世辞を振り撒いて居るかを御覧なさい。我々は忠実な友の共鳴の中に吾心を投じ、有頂天になって喜びたいと望むものであります。その代りにユデア人等は、如何なる陵辱(はずかしめ)の中に、悲惨きわまる苦しみの中に主の聖心(みこころ)を投げ入れ奉ったでありましょうか。我々は取巻き連の眼元に、自分の起させたいと思う感情の(うか)み出る事を欲します。その代りに主は民衆の眼元に、如何なる憤怒(ふんど)、如何なる侮蔑(あなどり)の情を読み給うのでありましたでしょうか。御体に加へられる百千の虐待(ぎゃくたい)は、(ことごと)御心(みこころ)に反響を与へ、為に御胸は全く裂け破れ切れ切れに(つんざ)かれ給うたのであります。主の御心(みこころ)は、その琴線(きんせん)が非常に緊張せられ、極めて鋭敏でありました(たけ)けに、苦しみを感じ給うことも、亦、幾倍と甚だしかったのは、言う迄もない所であります。

人が信頼をかける時、一目仰視(あおぎみ)たばかりでも、少しの愛を(あらわ)しても、忽ちそれに感動し給うのでありました。マグレナが御足(みあし)に香油を注ぎ、之を涙に(うるお)し、頭髪(かみのけ)で拭き参らせた時、彼女を高く高く()()げなさいました。御側(みそば)に近づく罪人を(いた)く可愛がって、「医師に(よう)のあるのは(すこ)やかなものではなく、病める者である」と、のたもうたでしょう。カナアンの(おんな)の熱心な(いのり)振りを見て、「あゝ(おんな)よ、大なる(かな)、汝の信仰、望めるまゝに汝になれかし」(マテォ15ノ28)とお叫びになりましたでしょう。聖ペトロが主の神性を告白して、「汝は活ける神の御子キリストなり」と云った時、如何なる祝福を彼の上にお浴びせになりましたか。チベリアド湖畔で、「主よ、我が汝を愛するは汝の知り給う所なり」と彼がくりかへした時、如何なる特権を彼にお授けになりましたか、斯くの如く崇敬(すうけい)、愛慕の情に感動し易かりし主の御心(みこころ)は、また同じく侮辱(ぶじょく)にも敏感であらせられました。刻々と迫り来る災難を思い、恐れて(すく)み上り、「(わが)魂は死ぬばかりに憂う」と嘆声(たんせい)をお()しになり、「父よ、(あた)うべくはこの(さかずき)、我より去れかし」とお祈りになりました。その(よわ)さるべき(にが)い苦い(さかずき)(まのあた)りに打眺めて、心は死ぬ様な憂苦(うれい)に悩まされ、胸はむかむかとなるのを禁じ得給はぬのでした。敵の手に捕へられてから、最後の息を引取り給うまでも、一口の苦情すらお洩しにならなかったが、然し敵や味方の御自分に対する不都合千万な態度に(はらわた)は煮え返り、胸は張り()ける思いのすることを(ほの)見せなさいました。眠って居た三人の弟子には、「斯くも汝等一時間を我と共に醒め居る(あた)はざりしか」と(おっ)(しゃ)いました。ユダの心にもない挨拶振り、その苦々しい裏切りの接吻をお受けになった時は、「友よ、何の為に来たれるぞ。ユダ、接吻を以て人の子を(わた)すか」とお口説きになりました。ペトロが(そむ)き去った時は、一言もお(とが)めにならなかったが、然し彼の上に悲しい御眼を注がれました。その悲しい御眼は、消え難い印象をペトロの胸に深く刻み付け、終生涙を(とど)め得ざらしめたのであります。

(12)− 衆議所からカルワリオまで、主は一言(いちごん)半句(はんく)御心(みこころ)の悲しみを訴え給う様なことはありませんでした。然しその御苦しみ、御悩みの程は預言者が我々に漏らしてくれました。「吾が民よ、我何を汝になしゝぞ、何に於いて汝を悲しませしぞ、我に向証せよ」(ミケヤ6ノ3)とミケアは主に代りて、エルザレムの民にかき口説いて居る。最後の息を引取り給う少し前に、主はすべての人に棄てられ、責められ、(のろ)はれ、あらゆる苦悶の中に沈められて、堪へ難さの余り、世の人が(かつ)て耳にしたこともない程の、極めて悲痛な、(はらわた)も九(くわい)せん()りの叫びを発して、「我が神よ、我が神よ、何すれぞ我を棄て給うや」とお嘆きになりました。これこそ無上の苦悶を訴へる叫び、苦しみに酔いつぶれた心から(ほとばし)り出る叫びでありました。ああ()(ぜん)聖心(みこころ)()(けつ)聖心(みこころ)()(せい)聖心(みこころ)は 我々の腐った心、その心の不都合千万な喜びを償うが為に、斯くまで(つんざ)かれ給はねばならなかったのでしょうか。

(13)− 之を要するに、我々の心はその望みにせよ、愛情にせよ、肉慾に傾きたがる性癖を持って居ます。

一たび正しい道を踏み外したものなら、どんな(ぼつ)条理にでも流れ、どんな罪悪にでも溺れ込んで行くのであります。だから罪の泉を()き止めたいとおもはば、その慾望を(おさ)へ、之を正しく導く様、(つと)めなければなりません。(もと)より我々の力だけでは完全に之を制御して行くことは出来ませんから、主の拝むべき聖心(みこころ)にすがり、貞潔にして節制を守る力を求めましょう。この(ちょう)自然的力を身に(まと)い、よって以て罪の鎖を切り棄て、神の非とし給う快楽(たのしみ)や感情に(ひま)を出し、肉と血の係累(けいるい)を断ち、精神によって生きる様、(つと)めましょう。我々を卑下せしめ、陋劣(ろうれつ)ならしめるものとは、(いっ)(さい)手を切って、我々の上に主権を握り、我々の為に永遠の幸福を備え給うべき大なる愛、万事に超えて愛し奉るべき神の大なる愛に心を残らず献げ奉りましょう。斯くしてこそ、主の御心が、この世では我々を(しよう)(じょう)無垢となし、後世(のちのよ)では永遠に幸福ならしめるようにと、堪え忍び下さった御苦しみを立派に利用し奉る訳になるのであります。

 

(二) 殉教者の王

 

(1)− (わが)(しゅ)が天に昇り御父の右に坐し給うた時、御父はその御額(おんひたい)に、殉教者の(こう)(りん)を加へ給うたでしょうか・・・「キリスト」には光輪が与えらるべきである?」、神学界の明星(みょうじょう)たる聖トマスは()う自問して、「光輪を有するのはキリストに当らない」と自答して居ます。然らばキリスト様は殉教者ではないかと云うに、決してそうではありません。キリスト様は童貞であり、博士であると共に、亦、実に殉教者なのであります。

すると天主様は他の聖人等に与へ給うた褒賞をば、キリスト様にだけ拒絶し給うたのでしょうか。否、そんなことは無いはずであります。ただ天主様が、キリスト様にだけ光輪を加へ給はなかったのは、如何なる光輪も、キリスト様の為には十分輝かしくないからであります。キリスト様が、その汚れなき清浄(しょうじょう)を以て肉に勝ち、その悩ましき御受難を以て浮世に勝ち、その尊き御教(みおしえ)を以て悪魔に勝ち給いし天晴れな勝利は、それこそ実に絶対的勝利であり、全般的勝利でありました。

すべての童貞、すべての殉教者、すべての博士等は、それによってこそ自分等の勝利を勝ち得るに過ぎないのであります。

キリスト様の戦勝と、キリスト様に(のっと)った聖人等の戦勝とは、天地雲泥(うんでい)の差どころではないのですから、双方に与えられる光栄も、また夫々(それぞれ)に異ならねばなりません。キリスト様の戦勝は、完全な戦勝、自分自身の戦勝でしたから、随って完全なる光栄を受け給うのが理の当然であります。(かえ)って他の童貞者、殉教者、博士等の戦勝は、従属的戦勝、キリスト様の戦勝より(わか)れ出たものでありますから、その光栄もまた従属的で、キリスト様のそれから(わか)れ出たものであらねばなりません。

殉教者だけに就いて申しますと、彼等の勇気は、キリスト様の勇気の(しずく)であったが如く、彼等の光栄も、亦、キリスト様のそれの反映であるのであります。

()う考えると、キリスト様は単に殉教者でなく、実に殉教者の王にて(ましま)すのであります。殉教者の王!その堪え忍び給うた(おん)苦しみ、その御苦しみを以て証明し給うた所を思って見ますと、是こそ主の(おん)身にしっくり(はま)った肩書きたることが(うな)(づか)かれるのでありましょう。今(うやうや)しく十字架の御前に(ひざまず)いて、相共にこの(いち)(だい)真理を観察して見ることに致しましょう。

(2)− 苦刑(くけい)の残酷さ キリスト様は、御身に加へられ給うた刑罰の(たぐい)なき残酷さから云っても、その之を堪え忍び給うた唯一無二の勇猛心から考えても、確かに殉教者の王にて(ましま)すのであります。

殉教者となるには、血を流さなければならぬ。死の抱擁を受けなければならぬ。それは申す迄もない所であります。すべての殉教者に共通なその死も、百人が百人、決して同一の性質を帯びて居る訳ではありません。その死が残酷であり、刑罰が堪え難く覚えられるほど、それほど、より勝れた殉教者であります。だから殉教者の王と呼ばれるが為には、如何なる苦しい、残酷な死と(いえど)も、到底比較にならない位の死を堪え忍ばねばならぬことが分りましょう。

然るにキリスト様の御死去は、十分それだけの性質を帯びたものでありました。成るほどその命の()を絶った最後の苦罰だけに就いて言うならば、キリスト様と同等、否、それ以上の残忍酷烈な責苦に遭った殉教者等も少なくありますまい。実際我国に於けるが如く、火に(あぶ)られる、竹鋸で引かれる、雲仙岳の熱湯を注がれる、穴の中に逆吊(さかつり)にされる様な目に遭った殉教者は、十字架刑に優るとも劣ることなき極刑に処せられた訳であります。

然し主の御受難をば、もっと広く、そのすべての場合までも、一つに合せて観察したならば、その御苦しみは、全く類を絶ち、如何なる殉教者とも比較にならないことが(うな)(づか)れるでありましょう。

キリスト様御自らも預言者の口を以て、「おゝすべて路行く人々よ、我が憂苦(うれい)に等しき憂苦(うれい)のまた世にあるべきかを考えて見よ。」(哀願 1ノ12)と叫び給うた位であります。

キリスト様は御受難の際に内心上の御苦しみと、肉体上の御苦しみと、二様の御苦しみを浴びせられ給うたのですが、両者何れもその極度に達したものでありました。

ゲッセマニーの園に於いて、(たと)え様もない御心痛に悩まされなさいました。誰だって、その不思議な猛烈さを(さと)り得る者はありますまい。主は御父に向って「父よ、若し(あた)うべくは、この(さかずき)、我より去れかし」とお叫びになりました。御胸も張り裂けんばかりの御苦しみをば洩らし給うたのですが、然しそれだけでは、まだ御死去のあらゆる御悩み、御苦しみが、言い尽くされた訳ではありません。

悲劇がいよいよ展開するに随い、主の御魂は、四方八面から恐ろしい苦しみ悲しみに包囲されなさいました。ユダの接吻、使徒(たち)の逃亡、ペトロの(いな)み等は、その御心の最も鋭敏な琴線(きんせん)に加えられた痛撃でありました。ゲッセマニーの園から衆議会の裁判へ、衆議会の裁判から総督府へ、総督府からカルワリオへ、カルワリオから御死去へと、舞台が廻って行くに随って、主の御目に映ずる忍び難い惨状、御耳に響く恐ろしい銅鑼声はますます激しくなって来るのでありました。

然り、ファリザイ党も、サドカイ派も、すべての党派は一つになり、すべての階級は、主人も、召使も、王公、人民、司祭、レウイ人、官吏、軍人の分ちなく、(こぞ)って一致し、すべての年齢は、青年も老人も、男も女も残らず共同して、一つの口となり、一つの心となって、主に反対しました。

不倶戴天の(あだ)となり、(あい)(きそ)って狂い(くる)(かゝ)りました。寄せては返す大波の如く、(ひと)()せ毎に、その激烈さを加え、その横暴さを増すのでありました。怨恨(えんこん)憤怒(ふんど)悪罵(あくば)陵辱(りょうじょく)の波は、いよいよ膨張し、ますます逆捲(さかま)き崩れて主の御魂を堪え難い味気なさの中に打沈めるのでありました。聖トマスと言へば、何時も用語を慎み、決して誇張に(わた)らない様、深く注意する御方ですが、それにしても猶「最大の悲しみ、量に於いて絶対的な悲しみを取り給うた」といって居られます。

(3)− 肉体上の苦しみ キリスト様が肉体に受け給うた御苦しみも、我々の苦しみとは、到底日を同じうして語るべからざる程でした。その両手に綱に縛られ、その御面(おんかお)は唾に汚され、御頬には(てのひら)を喰わされ、御額には茨を(かぶ)らされ、御体は鞭たれ、釘付けられ給う時、如何に激烈な痛みを覚えさせ給うたでございましょうか。膚は(つんざ)け、肉は砕け、鮮血(ちしお)(したた)り、全身が一の大きな傷となり、何処として痛み給はぬ所なしと云う塩梅(あんばい)でありました。

主の御肉体は、その組織が極めて敏感に、如何なる人の子にも与へられないほど敏感に出来て居た筈でございますから、亦、如何なる人も感じ得ない迄に、その鋭い、尖った、刺すが如き苦しみをば覚えさせ給うたのであります。

猶、聖トモスの説によると、主の御苦しみが痛烈(なら)びなかったのは、その御肉体が絶対清浄(しょうじょう)で、少しの汚れもないだけに、亦、その感じの鈍った所も絶えてなかったからであります。感覚の各機能はその加えられるすべての苦しみを霊魂に通じ、霊魂はその通じて来た苦しみをば、一つも残らず受け(こら)え給うのでありました。

一方上級の能力たる智と意とは、少しの(やわら)げも、(なぐ)(さめ)も、救援(たすけ)も与えないのでありました。苦しみは全権でも(ゆだ)ねられたかの如く、主に対して(あら)ゆる狂暴を(たくまし)うしました。その狂暴に対して何等の抵抗をも試むべからず、と禁止してありましたので、思う存分之を苦しめ、之を(しいた)げることが出来ました。()わば苦しみが王位に()き、その権力を自由自在に振り廻し得たのは、唯この日一日きりでありました。此日ばかりは、主の御肉体にも、御霊魂にも、この世で加へられるだけの苦しみを、痛ましさを思いのまゝに浴びせかけました。主の各官能は、苦しみの胡弓に触れて激しく振動し、(まった)き、この上もなき苦しみの()を発しました。非常に巧みな音楽家の手にせるブヮイオリンの如く、高い高いこの上には昇れないと云うほど高い()を響かしたのであります。実際この世では、主の御苦しみと肩を並ぶべき苦しみは一つとしてあり得ないのでありました。「おゝすべて(みち)行く人々よ、(わが)憂苦(うれい)に等しき憂苦(うれい)のまた世に()るべきかを考えて見よ。」この点から見て、主はたしかに殉教者の王にて(ましま)したのであります。

(4)− 苦しみを堪忍(たえしの)び給う力の上から見ても殉教者の王である 万物は共謀(ぐる)になって反抗のなみを()げ、主に向って激しく打突(ぶっつか)ったが、主はその猛り狂う荒浪の上をば、彼のゼネザレト湖の波の上をお歩きになった如く、静にお渡りになりました。主は決してストイク哲学主義の外套をお纏いになりません。平然を装い、無感覚の態度を示そうともなさいませんでした。苦痛(くるしみ)悲哀(かなしみ)が御体を押付け、へし付け、圧倒するのはお許しになりました、その動悸が止り、血液がそのまゝ汗となって流れるのはお許しになりましたが、然し意志の動揺だけは固くお()めになりました。之を縛ろうと、悪言を浴びせようと、死刑を宣告しようと、軽侮(あなどり)(はづ)(かし)めても、十字架に(はりつけ)けても、毅然として動き給はぬのでありました。如何(どんな)に堪え難い苦痛の中に突込(つっこ)まれても、容赦を願ったり、不平を洩らしたり、憤懣(ふんまん)、怒号を浴びせたり、神経を(とが)らしたりし給う様なことはありません。

ゲッセマニーの園や、カルワリオに於ける御嘆きをば、お弱りになった(しるし)だと思ってはなりません。我が身は肉と血とを持った人間である、苦しみを感じ、痛みを覚えるのは、誰にでも劣る所がないと云うことをお(あか)しになったのみでありました。

苦しみの余りに神経がピリピリと振い出すのをお許しになりました如く、肉や感覚が叫び出すのをお禁めにならなかったと云う迄に過ぎないのであります。御受難中、常には口を(つぐ)み、沈黙して居られました。その沈黙の中にも如何なる神々しさ、如何なる晴々しさ、如何に打勝ち難い、(しか)も優しい勇気が(あふ)れて居るのでありましたでしょうか。ピラトらも流石に驚きました。彼は主が何うして全く己を忘れて少しも気にし給はぬか、異議も申立てず、立腹もせず、嘆願もし給はぬか、その理由を悟り得ませんでした。彼は驚嘆の余りに、「汝、我に(ものい)はざるか、汝を十字架に()くるの(けん)も、また(ゆる)すの権も我に()ることを知らざるか」(ヨハネ19ノ10)と言った位であります。

然し一たび口をお開きになりますと、如何なる危険が御身にさしかゝれる時でも、その御言葉(みことば)は、従容(しょうよう)として迫らず、躊躇(ちゅうちょ)の姿も、無念の情も見えない、ユダに向い、捕吏(とりて)に向い、カイフアに、ピラトに、御父に、()き盗賊に向って、物を(おっ)しやる時にせよ、衆議会で、総督府で、十字架上で御口をお開きになる時にせよ、少しも冷静を失い給はぬのでした。最後の息を引取り給うまでも、主はこの御態度を維持し給い、同じ根気強さを、同じ柔和を保ち給うのでありました。

御受難の際に、苦しみは主の御力を弱らせる前に、自分の方が(かえ)ってへたばりました。主の御力には腕押しが出来ませんでした。主の御力ばかりは、実に綽々(しゃくしゃく)として余裕があり、主は御自分の為に之を使い(つぶ)し給はなかったのみならず、亦、御自分と共に苦しみ、御自分と共に戦えるすべての人に、その御力を分配し給うのでありますが、それでも消耗したり、減少したりする憂いすら無いのであります。

その御力を(かたじけな)うしてペトロは、己が臆病に打勝ち、勇気を回復しました。シレネのシモンは、主に代って勇ましくその十字架を(かつ)ぎました。エルザレムの婦人(たち)は、「石女(うまつめ)なる者、未だ産まざる腹、未だ(のま)せざる乳房は(さいわい)なり」(ルカ23ノ29)と言はれる一日が、来るべきことを思っても、()(それ)悲哀(かなしみ)に倒れませんでした。この御力に感じて、マリア、マグダレナ、その他二三の婦人(たち)、聖ヨハネは言うに言はれぬ悲哀(かなしみ)に胸を破られながらも、(なお)毅然(きぜん)として十字架の下に突立つことが出来ました。()き盗賊は勇気と希望とを以て死ぬことが出来ました。二千年以来、すべての殉教者は、残忍極まる責苦の前に進み出て、世の終までのキリスト教的英雄、公奉者(たち)は、何の躊躇(ちゅうちょ)する所もなく、神と福音とに血汐の証明を与へて居るのであります。主は殉教者に対して、国王がその臣民に対する(つと)めをば、立派にお果しになりました。国王はその位が臣民に(まさ)って居るだけ、または臣民の模範であり、支援(ちから)であらねばならぬのですが、主も殉教者に対して、ちょうど()うなさったのであります。

(5)− 最高事件を証明する為であったと云う点から考へましても、主は立派に殉教者の王にて(ましま) 主の証明し給うたのは、世にありふれた事件でなく、実に聖なる一大事件でありました。

何かの学説を主張し、その学派に信用を博させるが為に死に給うたのではない、主はヒルレリやシヤンマイや、ガマリエルの弟子ではありませんでした。是等の有名な先生等の教説に光を添へたい、

その名声を轟かしたいと云う希望は、その殉教の動機の中に一つも入って居ません。何かの党派や、政体や、王朝の為に死し給うたのでもない。主は民衆を(いや)しめ、異邦人と親交を結べる貴族党のサドカイ派にも属し給はねば、外人に対して狂信的憎悪心を抱ける愛国党フアリザイ派の人でもありません。死海の西エンガッジー(Engaddi)の水が流れ込む(あたり)に、厳格な規律の下に生活し、「永久の民」と自称せるエッセニア派の人でもありませんでした。

主が御生命(おんいのち)を犠牲に供し給うたのは、ユデアに於けるローマの統治権を固める為でもなければ、イスラエル人を煽動(せんどう)してローマに反抗を試みさせる為でもありません。主は地方官と中央政府との間に起れる紛争の渦中に、身を投じる様なことは決してなさいません。さらばとて自らダウイド家を再興しようと思い給うたのでもありません。イスラエル王国の復興をお()きになります時でも、その御言(みことば)は、自国の現世的隆盛しか考へて居なかった国民の要望に()うのではありませんでした。

主はただ神の御国を準備なさいました。その御国こそ真個(ほんとう)なイスラエル王国だったのであります。衆議会は主が人民を煽動し、国内を騒がして、ガリレアからエルザレムに及び、セザルに(みつぎ)を納めるのを禁じる、セザルの敵であると言って訴へました。彼等は主を以て、普通ありふれた煽動家、社会の秩序を(みだ)し、公安を害する、通り一遍の()()でもあるかの如く()い訴へたのであります。然し主は衆議会に立って「我は何時も(すべて)のユデア人の相集る会堂及び神殿にて教へ、何事をも(ひそか)に語りしことなし。汝何ぞ我に問うや、我が語りし所を聴聞したる人々に問へ」(ヨハネ18ノ19)とお答へになった。それには流石の司祭長も二の句が()げませんでした。なるほどピラトの法廷、ヘロデの前に於いては、同じ讒訴(ざんそ)がくりかえされました。然し主は法廷に於いて、「我国はこの世のものにあらず、もし我国がこの世のものならば、我をユデア人に(わた)させじとて、我、臣僕は必ず戦うならん」(同上18ノ36)と(おお)せられました。ヘロデの前では一言の答えすらなし給わぬ。その無罪は明々白々でありました。ピラトにせよ、ヘロデにせよ、カイフア等の訴えを以て、彼等の嫉妬に(いづ)るものとなし、露ほどの注意をも払わない、彼等は主の御言(みことば)にも、御行(みおこな)いにも、何の罪すべき点をも見受けない、之を所罰(しょばっ)する手掛りをば、捉え得なかったのであります。

(6)− されば主の死し給うたのは「聖なる事件」の為で、それには現世的要素と云うは一つも(こん)じて居ません。実に主は御父の中に見給うた真理を証明するが為にこそ、世に生れ出で給うたのでした。「我は真理に証明を与へんが為に生れて、この世に来れり」(ヨハネ18ノ37)とピラトに(おっしゃ)ったのを以ても知られるでございましょう。

兎に角、イエズス、キリスト様は神聖事件の為に御死去なさいました。殉教に際して、唯一、絶対、強力な証明を之が為になし給うた。実際キリスト教に於いて、証明者はただキリスト様のみであります。キリスト様は自ら親しく御覧になった所を断言し、証明し給うたのであります。キリスト様お(ひと)りは、永遠から御父の懐に(ましま)して、そこに行われる所を親しく目撃なさいまして、その目撃なさいましたまゝをお(かた)りになりました。他の殉教者は自ら見たのではありません。ただキリスト様によって見た迄に過ぎないのであります。彼等の証明はキリスト様の証明の反響であると云う点にのみその価値(ねうち)を見出されるのであります。・・・随ってキリスト様はすべての殉教者の王であらせられます。

御受難のその日に当って、主は平生(へいぜい)の証明に最後の捺印を致しなさいました。御血を以て之を署名捺印して、戦勝的勢力を之にお与えになりました。自分の言ったことを取消すよりか、(むし)ろ甘んじて死ぬと云う時は、その証明は千鈞(せんきん)の力を持つに至るが如く、主もその御言(みことば)の一言一句を修正するよりか、むしろ身の毛も()()たん(ばか)りの(ざん)(けい)、ゲセマニーに始ってゴルゴタに終れる惨刑を堪え忍びなさいました。随ってその証明は非常な力を発揮しました。死に給うと共に、その証明の威力は発揮され、その事件は大々的勝利を博したのであります。

先づその御傷の唇は、肉の唇よりも強い声を発し、その御血の叫びは全世界を震撼せしめました。その極めて説服力に富んだ御言(みことば)以上に、人の心を帰服(きふく)せしめました。まだ最後の息を引取り給わぬ前から、善き盗賊は既に信仰を起して、「主よ、御国へ到らせ給うた時、私を覚え給へ。」と祈りました。御心臓の鼓動が、やっと止ったかと思う間もあらせず、(せい)殿(でん)は震動し、()聖所(せいしょ)の幕は真二つに裂け、地は(ふる)い、岩は破れました。百夫長は忽ち福音を信じて、「この人は誠に神の御子であったよ」と叫びました。同じく死者は甦って墓を出ました。十字架より流れ下る御血の声に呼起されて、その永い眠りより目覚(めざ)めたのであります。五十日を経てペトロが起って説教をなすや、忽ち三千の大衆は真理に帰依(きえ)しました、それからエフエゾ、テツサロニカ、アテネ、コリント、ローマ、亜細亜もエウロッパも全世界が御血の証明に感動して、之に帰服(きふく)し、愛に(みなぎ)れる信仰を以て、礼拝の賛美歌を奉るに至りました。

(7)− 斯くの如く御受難の際に於けるキリスト様の御証明は、最も優れた証明、王的証明でありました。キリスト様は何処から見ても、真実(ほんとう)に「殉教者の王」にて(ましま)すのであります。

(8)− 結論 イエズス、キリスト様は十二分の力、()きる憂いなき力を表し給い、殉教者の王として、彼等が惨刑に処せられる際に、その勇気を鼓舞し、彼等にその神的エネルギーを分け与えて、かよわき女処(おとめ)怯懦(きょうだ)小童(こわらべ)をも無敵の英雄となし給うのである。されば誘惑に弱い我々、疲労(つかれ)にも、疾病(やまい)にも弱い我々、世間に反抗せねばならぬ、与論を向こうに廻して戦わねばならぬ時、裏切られる、侮辱される、憂苦(うれい)悲哀(かなしみ)に沈み、試練に揉まれる時、殊に暗い恐ろしい死の影が()して来た時、極めて弱い我々は、伏して主に祈りましょう。我々の(たましい)を、我々の心を強め給へ、我々の意思を、性格を、気質を鍛え上げて、(かた)きこと(てつ)の如くならしめ給へ、と殉教者の王に嘆願しましょう、この気力は盛んに秘蹟の中に流れて居ます。特に悔悛(かいしゅん)の秘蹟、精神的に死亡せるものを蘇生(そせい)させ、弱り込んだものを活々となす悔悛の秘蹟に之を求めましょう。別けても、聖体の秘蹟を拝領します時、気力の泉に口をつけて思いのまゝに之を飲むことが出来るのであります。

その他、色々の善業、布施(ほどこし)、伝道事業の中にも籠っている。(つい)にカルワリオの上に、十字架の前に(ひざまず)いて祈るとか、救い主の勇壮にして、献身的大度(だいど)の描かれある御受難史を奉読するとか、殊に聖会が「殉教者の力なるイエズス、我等を憐れみ給へ」と叫んで居るそのイエズス様を熱く愛し、平伏して拝むとかして、この気力を(こい)(もと)めることに致しましょう。

 

 

聖  木  曜  日

(一) 主  の  遺  言  書

 

聖木曜日は、イエズス様が我々の為に遺言書をお作り下さいました記念すべき日であります。その遺言書によって

(1)− イエズス様は何を我々にお(のこ)しくださいましたか 「人の子は枕する処なし」(マテオ8ノ20)と自ら(のたま)うた程であれば、お(のこ)しになるべき何物がありましたでしょう。なるほどイエズス様は大なる貧者でした。然し一方から云うと、また天主様ですから、そのお与え下さるのは、人間としてでなく、実に天主様としてでした。天主様としては全能、全智に(ましま)すのですから、如何に大きなもの、美しいもの、輝かしいものでも之を造り、之を整へ、之を与えるを()給うのであります。然らば何をお与え下さいましたか、お聞きなさい「汝等取りて食せよ、是れ(わが)(からだ)なり・・・汝等(みな)之より飲め・・・是れ新約の(わが)血なり」(マテオ26ノ26)我々にお与え下さったのは、実に神の御体(おんからだ)であります、神の御血であります、ただ御体、御血のみならず、またその御霊魂、その御心(みこころ)、その限りなき功徳、地上の歓喜(よろこび)、天上の(さい)(わい)、それまでも残らずお与え下さったのであります・・・

(2)− 誰にお(のこ)し下さいましたか ただ御母マリア様、ただ十二使徒、ただその忠実なる弟子にばかりでなく、また全人類にお(のこ)し下さいました、「すべて我に(きた)れ」(マテオ11ノ28)と云って、誰一人取り除きなさらなかったのであります。

無関心な人、世間的な人、不敬神(ふけいしん)な人、罪に汚れ果てた人、そんな人の前に立つと、その忘恩(おんしらず)の罪を眺めると、誰しも()の足を踏み、後退(あとすざり)せずに居られないものですが、イエズス様は決してそうなさいません・・・あゝ実にイエズス様の愛は、限りも(はて)しも知らないのであります。その愛を(あなど)(はずかし)める霊魂は随分多いに相違ないが、また聖体によって(きよ)められ、聖とされ、神化される魂の少なからざるべきことを思い、喜んでこの秘蹟を定め、記念として之を我々にお(のこ)し下さったのであります。

(3)− 何時まで之をお遺し下さいましたか (きょく)まで愛し給へり」(ヨハネ13ノ1)、「(きょく)まで」即ち愛の(きわ)みまで、愛されるだけは愛し給うたのですから、亦、時間に於いても(きょく)まで、世の終りまでも愛し給うたのであります。実にイエズス様は、聖体を定めると共に、亦、司祭職をもお定めになりました・・・その司祭は地球上到る処にイエズス様の()し給うた所をくりかへし、パンと葡萄酒をその御体と御血に変化させ、()くて聖体の存在を世の終りまでに至らしめて居るのであります。

ローマに「最後のミサ」と題する一幅(いっぷく)の名画があるそうであります。その上欄には、最高判事たるキリスト様が裁判席につき、今にも世の人を残らず御前(みまえ)に召出して、その(おそ)るべき審判を始めようとして居られる所を描き、下欄には司祭が祭壇に立って最後のミサを行い、汚れなき神の(こひつじ)を御父に(ささ)げて、罪人の為に御憐(おんあわれ)みを祈って居る、その(かたわ)らに天使が早や喇叭(ラッパ)を口に当て、聖祭が終ると、直ちに世界の終末を告げる合図を吹き()らそうと()ち構へて居る場面を写してあります。是こそ聖体の功徳の広大無辺なるを(にょ)(じつ)に見せたものではありませんか・・・。

唯今では医術が非常に進歩しまして、多量の出血ゆえに生命が危なくなったと云う時、誰かの血液をその(みゃく)(かん)(ない)に輸入してやると、以て一命を取留めること出来るのであります。

イエズス様の尊い御血は千九百年以来、人類の脈管に注ぎ込まれてある。この輸血によりて、我々の霊的生命は取留められ、培養され、浄化されるのであります。その返礼としてイエズス様は我々に何をお求めになりますでしょう・・・愛を!我々の(いつわ)りなき愛を!・・・ただ(これ)のみをお求めになるのであります・・・。

 

(二)聖体の御制定に(あらわ)れたる主の限りなき愛

 

(1)   賜物(たまもの)の広大さを思いなさい イエズス様は我々を愛するの余り、この世に下

って、人となり、奴隷(どれい)(かたち)を取って、我々を罪の奴隷より救い上げようとして下さいました・・・そしていよいよその救霊事業を全うし終って、御父の許へ帰らねばならぬ時となるや、その聖心(みこころ)に燃え狂へる愛を証明せんが為め、聖体の秘蹟を定め、永く世の終りまでも、我々と共に留まりたい。我々に御身を残らず与へ、我々一人づつと合体したいものと、思召しになったのであります・・・。

御托身の玄義によりて、この(あわ)れな世界に下り、我々と等しい人性を(まと)い、罪を除くの外はすべて我々と同じ人間になり給うたのですが、聖体の秘蹟を以ては、我々を御自分にまで取上げ、我々を神聖化せんと欲し給うた。それこそ我々を「極まで」、愛の極みまで愛し給うたので無くて何でしょう。

(2)   今この聖体をお定めになった時の場合を思いなさい (わた)され給へる夜に当

りて」(コリント前11ノ23)と聖パウロはいって居ます。実際人々が御身を亡きものにしようと(はか)って居るその夜、ユダが接吻を以て敵の手に(わた)そうとして居るその夜、ユデア人等が御身に綱をかけ、高手小手に(しば)り上げ、その御頬を(なぐ)り、その御顔に唾し、御体を(むちう)ち、御額に(いばら)(かむ)らせ、御肩に十字架を(かつ)がせ、(あなど)りもし、(はずかし)めもし、玩弄物(おもちゃ)にもしようとして居るその夜に(かたじけな)くもこの秘蹟を定め、我々と共に住み、我々の為に犠牲となり、食物となり、旅路の(かて)となり、聖寵の尽きせぬ泉となり、永遠の生命の保証とまでなろうと思召し下さったのであります。

(3)− (つい)にこの賜物の与へ方を思いなさい イエズス様がこの聖体を我々に賜うたのは、ただ一回に限り、ただ一ヶ処に止ったかと云うに、決して()うではありません。世界の(そん)する間、何時までも、また何処に於いても、之をお与へ下さるのであります。その為に使徒等と、又、彼等によって(すべ)ての司祭に、聖体を作る(けん)(さず)け、「汝等、(わが)記念として之を行へ」(ルカ22ノ19)と(おっ)(しゃ)って下さいました。実際、司祭が聖別の(ことば)を唱へる毎に、主は響きの声に応ずるが如く、直ちに祭壇の上に降り、彼等の為すがまゝに従い給うのであります・・・御身を犠牲として御父に献げ、絶えず聖堂内に止り、信者からも望みのまゝに拝領されたいと云う思召しから、()うして下さるのであります。

(もと)よりイエズス様はこの聖体の中に於いて、如何なる軽侮(あなどり)陵辱(はずかしめ)を浴びせられ、人に棄てられ、泥足に踏みにじられ、罪に(けが)れた心、悪魔を宿せるその胸にすら這入(はい)って行かねばならぬことを(あく)まで承知して居られた、承知して居られながらも、なおこの秘蹟をお定めになりましたのは、ただ我々を深く深く愛し給うたから、極まで愛し給うたからであります。

皆さん、今日ばかりは我々もこの驚くべき愛を、この極までに及べる深い深い愛を悟りたいものではありませんか。悟って、(いささ)かなりともこの愛に報いるに愛を以てしたい、心からなる愛を以てしたい、我々の今まで加へ、奉った冷淡、無関心の罪、世の人々の浴びせかけ奉って居る様々の軽侮(あなどり)陵辱(はずかしめ)の償いとして、今日は特に熱心こめて聖体を拝領し、また出来るだけ(しばしば)、聖体を訪問し、心を傾けて礼拝、感謝、贖罪(しょくざい)の情を(ささ)げたいものではありませんか。

 

 

 

聖  金  曜  日

(一) 最 も 大 な る 犠 牲

 

今日はイエズス様が十字架の上に於いて、我々の為に最も大なる犠牲を(ささ)げ給うた記念日であります。

(1)− 御受難はそれ自体に就いて考へても、それこそ最も大なる犠牲でした 神性の上から見ても、霊魂上、又は肉体上から云っても、これは実に大きな大きな犠牲でした。

(イ)― 先づイエズス様がその神性に於いて献げ給うた犠牲を思いなさい。イエズス様は全能の天主、天主として万物を統御し給うのですから、()して人類の大王にて(ましま)す。然るにこの大王にたいして、人々は如何なる侮辱を加へましたでしょうか。

玉の冠の代りに茨の冠を戴かせ、王笏(おうしゃく)の代りに(よし)を持たせ()(ころも)の代りに狂者(きちがい)のしるしとして白い服や赤い(うわぎ)を着せ、宮殿の代りに牢獄をあてがい、儀杖兵の代りに、粗暴残虐な兵士を附け、万歳を唱へる代りに、「十字架に()けよ」と連呼し、最敬礼をなす代りに、冒涜的に(ひざまず)き、「ユデアの王よ安かれ」と皮肉を浴びせかけました。

(ロ)− 霊魂上に就いて見なさい、イエズス様は(もと)より自ら進んで、否、喜んで、我々を愛するの余りに、犠牲とお成り下さったのでした。然しゲッセマニーの園に於いて、全人類の罪を我が身に引受け、之を償はねばならぬ時、我々の忘恩、憎悪、叛逆、侮辱、冒涜等を一々お眺めになります時、自ら(ふる)(わなな)きを禁じ得なさいませんでした。張合いが抜け、落胆(がっかり)して、「父よ、(あた)うべくば、この(さかずき)、我より去れかし」(マテオ26ノ39)とお叫びになった程でした。よくよくの事でなければ、()くお叫びになるはずもないので、その悲しみ、その苦しみ、その味気なさが如何に甚だしかったかは()して察せられるでございましょう。もし神の全能力に支えられ給わなかったら、この霊魂上の悲しみ、ただ是ばかりでも、死するに余りあった、と聖人等は言って居られます。

(ハ)− 肉体の上に就いて見なさい。キリスト様は御降誕のその当時から随分と苦しまれました。ベトレヘムの馬屋、エジプトへの避難、ナザレトの労働、公生活中の御奔走等を思いなさい・・・然し是等は聖金曜日に於ける御苦しみの耐え難さに比べると、全く物の数でもないのでありました。

試みに主が十字架を(かつ)いで、カルワリオへお進みになる途中の光景を思い浮べて御覧なさい、御頭(みかしら)は茨を深く打ち込まれて血糊(ちのり)(まみ)れ、御肩は十字架の重さに(ただ)れ破れ、御背は(しも)()の為に一面の傷となり、御膝はわなわなと打ち(ふる)い、御足は石に()き当たりて血潮に()まり、御頬は蒼腫(あおばれ)()れ上がり、(ほこり)や唾に汚れ果てゝいらっしゃるのが見えませんか。そればかりか、やっとカルワリオへ辿(たど)りつき給うや、悪党等は早速、御衣(おんころも)()ぎ取り、十字架上に打倒し、御手足を釘づけにし、やがてその十字架を推し立て、気味(きみ)()げに之を打ち眺めて、散々に(あざけ)り、(ののし)り、冒涜のありだけを投掛けるのでありました。

(2)− 御受難は種々(いろいろ)の場合から見て、最大の犠牲でありました 人が不義な判決を受け、処罰される時は、せめては友人なり、官吏なり、民衆や神の裁判なりに呼びかけ、上告するだけの(なぐ)(さめ)は失わないものである、然るにイエズス様はこの(なぐ)(さめ)すら()給はず、すべての人に、神様にすら見棄てられ給うたのであります。

(イ)― 官吏に見棄てられなさいました ヘロデやピラトの前に曳かれ、彼等に罪人と見做(みな)されなさいました。ヘロデは狂者(きちがい)(あざけ)りました。ピラトはその無罪を認め、何とかして放免したいとは思いながら、民衆を(おそ)れて、彼等の言うがまゝに、死刑の宣告を下しました。

(ロ)− 民衆に見棄てられなさいました 二三日前には「ダウイドの子にホザンナ、主の名によって来たれるものは祝せられ給へ」と盛んに歓迎した民衆も、今は(てのひら)でも返すが如く、「十字架につけよ」と叫び立て、強盗で人までも殺したバラバ、そのバラバを赦せ、イエズスを殺せ、と異口(いく)同音(どうおん)に叫ぶに至りました。

(ハ)− 友人に見棄てられなさいました!この場合に弟子等は如何(どう)なりました?・・・(やまい)(いや)された人々は如何(どう)なりました?・・・ラザルは何処(どこ)に居ますか・・・「死すとも離れぬ」と誓った使徒等は何処(どこ)に居ますか・・・ユダは敵に売りました、ペトロは三たびも(いな)みました、他の使徒は命からがら逃げ失せました。ただヨハネ一人が怖々(おづおづ)()いて行ったのみであります。

(ニ)− 神にも見棄てられなさいました・・・もし御子を救をうと思召しになりましたら、ただ(ことば)一つ、ただ身振り一つ、否、望一つで沢山でした。然るに神は然う思召しにならないのみか、却って御顔を(そむ)けなさいました、御子が人々の罪を我が身に引受け、為に(みにく)(けが)れ果てゝ(ましま)すのを見て、之を(いと)い、之を嫌い、少しの慰めすら与え給はぬのでした。為に主は「我が神よ、我が神よ、何ぞ我を棄て給いしや」(マテオ27ノ46)と悲しい声を絞って叫ぶの止むなきに至られました。

(3)− 結論 イエズス様は()うして(つい)に御死去なさいなした。皆さん、どうぞ十字架の(もと)に馳せ寄りなさい。皆さんの()された(わざ)、罪の(わざ)をつくづくと打ち眺めなさい・・・この時、自然界は皆大いに動揺し、地は(ふる)い、岩は破れ、墓は開け、死者は(よみがえ)ったと、福音書には記してあります・・・皆さんばかり何の感ずる所なく、動く所なくして居られますか・・・我々は皆、罪人であります・・・今日ばかりは是非とも罪を悲しみましょう、(いと)い嫌いましょう、主の御傷に接吻し、その御血に(ひた)って我々の罪を洗いましょう・・・そして今よりは断然新たな生活に入り、清く(とうと)く行い澄まして、以て他日主と共に(めでた)い復活の光栄を(かたじけな)うすべく(つと)めましょう。

 

(ニ)  十   字   架

 

キリスト様の御一生は、苦しみの御一生でした。キリスト様の為に生きるのは苦しむので、苦しむのは生きるのでありました。ベトレヘムでも苦しまれた、エジプトにお逃げになった時は(なお)(さら)ら苦しまれました、ナザレトでも随分と苦しんで働かれました。三ヶ年の間、聖教(みおしえ)()べ伝えるにも、ナカナカ苦労なさいましたが、然し御受難の節に当って、人類

救贖(あがない)の為に()められた御苦しみ、御悲しみに至っては、到底想像も何も及ぶ所ではなかったのであります。()わば三十三年の長い間、十字架を(かつ)ぎ通しに(かつ)いで居られたと云いたい位でございましたが、(つい)にはその十字架を祭壇として、之が上に己を犠牲に供へ、之を講壇(こうだん)として、我々に有難い御教(みおし)えを垂れ、之を玉座として、我々の上に王たり給うのであります。

 

一、 祭 壇 と し て の 十 字 架

 

(1)− 祭壇とは読んで字の如く、祭りを(ささ)げる壇でありまして、この十字架の祭壇には、神にして人、人にして神なるキリスト様が自ら司祭となって、御身を犠牲に献げ給うたのであります。実にキリスト様を十字架に(はりつ)けたのは、()られもせぬ罪を吹き掛けて、訴へ出たユデアの教師()でもなければ、「十字架に()けよ、十字架に()けよ」と叫んだ群衆でもない。之に死刑を宣告したピラトでもなければ、之を十字架に()けた兵士でもない。彼等はキリスト様に対して何等の力も()たないのでした。キリスト様が捕らえられまいと思召しになったら、何うしたって捕えること出来ない、殺されまいと思召しになったら、幾ら騒いだって、殺すことは出来なかったのであります。ユデア人は、ただキリストを(ほふ)って(ささ)げる道具になった迄で、それは(もと)より恐るべき神殺しの大罪には相違なかったが、然し「彼は自ら望みて(ほふ)られたり」(イザヤ56ノ5)とイザヤ預言者もいった如く、キリスト様の御身を犠牲に(ささ)げたのは、キリスト様御自身でございました。(したが)ってこの十字架の祭壇上には、旧約時代に於けるが如く、罪に汚れた司祭が、牛だの、羊だの、鴿(はと)だの、(つまら)ない血を(ささ)げるのではなく、実に限りもなく聖なる司祭が、その限りもなく清く(いさぎよ)き御身を(ほふ)って、神の尊前(みまえ)(ささ)げ、以て我々の為に、罪を(あがな)い、赦しを求め、(たす)(かり)の道を切り開いて下さったのであります。

大凡(おおよ)そ罪の軽重(かるいおもい)は、(そむ)かれた相手方の品位の如何によって異なり償いの価値は、之を献げるものゝ身分の(とうと)きと(いや)しきとによりて定まるのであります。今人は罪を(おか)して、限りなき御稜(みい)()の天主様に背いたのですから、その罪の重さは限りなして、之を償うには、是非とも(あたい)限りなき謝罪を以てしなければならぬ。然し限りある人間に、限りなき謝罪の出来よう筈はない。キリスト様も(いた)くそれを不憫(ふびん)に思召しされました、全能の神の貴きを以て、わざわざ浅ましい人間と生れ、我々の罪悪を(ことごと)く御身に引取って、(ひど)(ひど)い苦しみを耐え忍び、果ては十字架上に死んで、我々の為に御父(おんちち)義怒(みいかり)(なだ)め、罪の赦しを求め、御憐(おんあわれ)みの雨露(あめつゆ)を豊に請い受けて下さったのであります。

(2)− (そもそ)も人が罪を犯した時は、天主様の最上の御稜(みい)()を軽んじ、肩をそらして之に張り向うたのでありますから、キリスト様はこの憎むべき傲慢(ごうまん)の罪を(つぐの)はんとて、御身を無きものとするまでに謙遜し給うたのでありました。イザヤは(つと)に御受難当時の御状態(おんありさま)を予言して「彼は我等が見るべき姿なく、美しき(かたち)なく、我等が慕うべき見栄えなし・・・と、彼は(かお)をおほいて()くることをせらる者の如く(あなど)られたり」(イザヤ53ノ3)といって居るが、実際はそれ以上でした。弟子の一人からは敵の手に売られ、一人からは三たびも「()らぬ、存ぜぬ」と(いな)まれ、盗賊の如く綱を打たれて、町中を引廻され、大の悪徒見たように(あな)()られ、(つば)せられ、打ち叩かれなさいました。カィフアは之を(ののし)って「神を(けが)した大罪人よ」と叫び、ヘロデは之に白い衣服を着せて愚弄(あざけ)り、ピラトは国賊として之に死刑を宣告しました。無智の群集までが、之を玩弄物(おもちゃ)にして、散々に(なぶ)るのでありました。(かつ)て自ら「預言者なり」とのたまうたのを思い出してか、其の目を隠し、(てのひら)(うち)(なぐ)りながら「キリストよ、汝を()てるものゝ誰なるかを我等に予言せよ」と(あざけ)る。(かつ)て自ら「王なり」とのたまうたのを思い出してか、御頭(みかしら)には茨の冠を押し(かぶ)せ、御手(みて)には(よし)を握らせ、その前に(ひざまず)いて「ユデアの王、安かれ」と(はや)し立てる。(かつ)て自ら「人の子」とのたまうたことがありました、然らばと云うもので、御体(みからだ)は一面に打って打って見る影もなきまでに打ち爤らした上で、之を大勢の前に引出して「()よ、人を」と調戯(からか)いました。(かつ)て自ら「神の子」とのたまうたことがありましたので、今にも最後の気息(いき)を引取り給うかと云う痛ましい場合に、「彼は神を頼めり、神もし好せば今救い給うべし、其れはW我は神の子なりWといいたればなり」などと嘲笑(あざわら)うのでありました。斯くの如く味方には捨てられ、敵には嘲弄(あざわら)われ、身は赤の裸体(はだか)にされ、有りと(あら)ゆる侮辱(はずかしめ)を浴びせかけられ、当時人々がもっとも大きな恥とせる十字架の上に、()かも二人の盗賊の真直中(まっただなか)に、悪人中の悪人として(はりつ)けられなさいました。キリスト様は斯くまで深く(へりくだ)って、人々が神の御陵(みい)()に加え奉った軽侮(あなどり)

陵辱(はづかしめ)をば(つぐな)い下さったのであります。

(3)− 罪と罰とは相離るべからざるもので、罪を犯した以上は、是非とも一度はその罰を受けなければならぬ。然し限りある人間の身を以ては、限りなき神の御陵(みい)()に対して犯した罪、その罪の限りなさに当る()けの罰を受けることは、到底出来よう筈がない、よって神の御子は、自ら姿を(やつ)してこの涙の谷に降り、身にも心にも言うべからざる痛苦を堪え忍んで、ただに我々の罪を贖い下さったのみならず、亦、我々の受くべき罰をも償い下さったのであります。

ユダの謀叛、ベトロの怯懦(おくびょう)、弟子等の逃亡によって、主は一方ならず御胸を痛め給うたのみならず、教師等には嘲弄(あざわら)はれ群衆には軽ぜられ、盗賊のバラバとさえ引き比べられ、鞭たれ、茨を冠せられ、重い十字架を担がせられ、よろめく足を踏みしめ踏みしめ、苦しきカルワリオの坂路を辿り、()っと頂に着き給へば、体一面に粘り着いて居る御衣を、無理やりに(むし)り取られ、十字架の上に推し(たお)され、大きな(かな)(くぎ)もて御手足を打貫(うちぬ)かれ、三時間の久しき間、その十字架の上に吊り下げられ、御父にさへ見限られて、苦しみのありだけを()め尽くした上で、「父よ、我霊を御手(みて)(まか)し奉る」と大声に叫び、御頭(みかしら)をうな垂れて、御死去なさったのであります。要するにキリスト様は、我々の蒙るべき罰を(ことごと)く御身に引受けて、痛ましいとも痛ましい御死去を遂げさせ給うたのですから、御父もその献げられた犠牲をば、(かんば)しき芳香(かをり)をして之を()け、御怒を和げて、快く我々に赦しを与え、我々を引取って、己が愛子(あいし)となし、天国の福楽をも相続し得べき有難いとも有難い身の上となして下さったのであります。

(4)− ()くの如くキリスト様は十字架を祭壇として、ここに御身を犠牲として献げ、以て我々が罪を犯して御父に加え奉った侮辱(ぶじょく)(あがな)い、我々の蒙るべき罰を償い、我々に代って御父の御恵みを感謝し、必要な聖寵をも(こい)(もと)めて下さいました。我々が(かたじけな)くも洗礼を受けて信者となること出来ましたのも、幾度となく罪を赦され、地獄の門より救い上げられ、天国にも登れる身の上となったのも、畢竟(つまり)キリスト様が祭壇の上に犠牲となって下さった御蔭(おかげ)(ほか)ならぬのであります。然し(たす)(かり)を得るにはキリスト様の十字架ばかりでは足りない、我々の方でも十字架を祭壇として、ここに我々の邪慾を(ほふ)って(ささ)げなければなりません。でございますから、今よりは如何なる艱難、苦労に出遭(でっくわ)しましても、キリスト様と共に、十字架に(はりつ)けられた考えで、(つぶや)かず、(さから)はず、天を(うら)まず、人を(とが)めず、(むし)ろ喜び勇んで、之を耐え忍ぶと云う覚悟にならなければなりません。

 

二  講 壇 と し て の 十 字 架

 

十字架は主の為にただ祭壇であるのみならず、亦、実にその有難い御教訓を説き給う講壇で、主はこの講壇の上に立って

(5)− 先づ神の(みい)()の限りなくして、罪の極めて憎むべき次第を述べ給うのであります。無数の天使が底知れぬ地獄へ突落され、人祖が楽園より()い出され、婦女(おんな)童児(わらべ)を別にして、六十万と云う大勢のイスラエル人が、アラビアの砂漠に(かばね)(さら)すに至った、と云う様な神の正義の恐るべき懲戒(みせしめ)を想い見たならば、罪の憎むべき訳も、(おぼろ)げながら察せられぬではございません。然し罪一つなき神の御子が、ただ我々の罪(ゆえ)に傷つけられ、ただ我々の過失(あやまち)故に砕かれ給うたことを思い、また一方よりは慈愛(いつくしみ)限りなき御父が、最愛の御獨子(おんひとりご)に対して、ただ人間の罪を御身に引受け給うたと云うばかりで、少しの容赦もなく、見る目も痛はしき御死去を之れに遂げしめ給うたことを考えたら、罪の如何に憎むべく、その天主様に加へ奉る侮辱(ぶじょく)の如何に恐るべく、天主様もまた如何に罪をお嫌いになるかと云うことが、手に取る如く、はっきりと見え()いて来るでございましょう。

(6)− 次にキリスト様は、三年の間ユデアの村邑(むらむら)を駈け廻って、伝え給うた(みを)(しえ)を、再び十字架の上より繰返し給うのであります。実に御衣(おんころも)()ぎ取られ、赤の裸体(はだか)にされて、十字架上に生耻(いきはじ)(さら)され給うのを(あおぎ)()ては、「(さいわい)なる(かな)、心の貧しき人」と云う()(ことば)も、「成る程」と首肯(うなづ)かれるでございましょう。我が身は幾ら()たれようと、叩かれようと、殺されようと、温和(おとな)しい(こひつじ)の如く一口も(つぶや)き給わず、()れるままになり給うのを見ては「(さいわい)なる(かな)柔和(にゅうわ)なる人」と云う聖教(みおしえ)の意味がはっきりと(わか)って来る。

キリスト様が罪一つなくして、悪人輩に迫害され、無理非道に苦しめられ給うたのを見ては、「(さいわい)なる(かな)、義の為に迫害を忍ぶ人」と云う聖教(みをしえ)が今更の様に尊く、有難く感ぜられませんか。其の他にもキリスト様は十字架の上より色々と美しい善徳の鑑を示して居られます。その謙遜の感ずべき御手本を仰視(あをぎみ)なさい。身は御威光限りなき天主にて(ましま)しながら、有りと有ゆる軽侮(あなどり)陵辱(はずかしめ)を浴びせられ、十字架にまで(はりつ)けられて「我は蟲にして人にあらず、世に()しられ、民に(いや)しめらる」(篇詩21−7)と(のたま)うまでに謙遜されました。その従順の驚くべきを思いなさい。身は全能全知の天主にて(ましま)しながら、御父の思召しに従い、痛ましい、(はづ)かしい刑罰にかけられて死することすら(いな)み給わぬのでありました。その愛の深いことと云ったら、罪人の為に、喜んでその二つとなき御命を(なげう)ち、我が身を十字架に(はりつ)ける刑吏の為にまで、御父の御憐れみを祈り給うた位、最後の瀬戸際に臨んでも、猶、御母に対する孝養の道を忘れ給わず、その行く末を見計らい、之を聖ヨハネにお(あづ)けになったのでありました。

(7)− 取分け我々が、耳を澄まして聴かねばならぬのわ、その驚くべき忍耐の御説教で、それを深く心に留め置きさえしたらば、如何なる艱難苦労の中にも、一方ならぬ(なぐ)(さめ)を覚えることが出来るのであります。幾ら憂いに(もだ)へ、悲しみに泣いて居る時でも、涙を(ふる)って一度カルワリオの頂を仰ぎ、至聖至善なる天主様が、苦しいとも苦しい(はづかし)め、(はづ)かしいとも(はづ)かしい苦しみの中に沈ませ給へる御姿(みすがた)をつくづくと打ち眺めましたならば、何んな(うれい)(かなしみ)でも、じっと堪えられぬはずがありますでしょうか。人に無理を為れた、覚えもない罪を言い掛けられた、と(つぶや)きたい時でも、先ず仰いで十字架を眺め、キリスト様が全能全智の天主にて(ましま)しながら、如何なる無理を仕向けられ、如何に恐ろしい罪を吹きかけられなさったかを思いなさい。親戚に売られ、朋友に捨てられ、敵に(はずかし)められ、忘恩者(おんしらず)に苦しめられて、(くや)しくて堪らなく覚える時は、我が身をキリスト様と見比べて見なさい。貧乏が苦しいの、病が辛いの、(ひもじ)くて(たま)らないのと(もだ)える時も、十字架の上なるキリスト様を思いなさい、主は荒木の十字架を寝床とし、前夜食べたまま一口も食べず、飲まず、焼くが如き渇きに悩まされ給うても、一滴の冷水(ひやみず)すら(くち)にすること叶い給わなかったじゃありませんか。(しか)もキリスト様は天地の君、万物の王に(ましま)して、我々は(いや)しい人間であります。キリスト様は罪一つなき神様、我々は百千の大罪小罪を重ねて、神の御陵(みい)()(けが)し奉った大悪人ではありませんか。

(8)− (つい)(たす)(かり)を得て、天国へ登るには、身を犠牲に供する覚悟であらねばならぬが、キリスト様は十字架の上より、最もよくこの覚悟を説いて居られます。謙遜の人となり、快く従うには、傲慢(ごうまん)を犠牲にして殺さなければならぬ。身を清浄(しょうじょう)潔白に保つには、不潔な快楽(たのしみ)を犠牲として(ほふ)らなければならぬ。浮世の財宝(たから)(から)められて居ては、心より天主様に奉仕(つか)えること出来ないから、その財宝(たから)を軽ぜねばならぬ。肉慾を(おさ)えて、(はかな)い名誉を退けて、悪魔の誘惑(いざない)(うち)()つには、随分と我が身に暴力を加え、不正な慾望を犠牲として(ささ)げなければならぬが、然しキリスト様は御父の御光栄(みさかえ)の為、人類の(たす)(かり)の為に、十字架上に犠牲となって下さいました、キリスト様ほど我々に向って、「身を()らせ、慾を(おさ)えよ、(ぎょう)を励め」と教え得るものはないのであります。

 

三   玉 座 と し て の 十 字 架

(9)− 「主は木の上より王たり給いき」と聖会が歌って居る如く、キリスト様は十字架を玉座として、その上より我々に王たり給うのであります

実に十字架はキリスト様が御力を(あら)わし給う玉座で、主が一たびこの(はりつけ)柱に上り給うや、森羅万象は(こぞ)って主を全能の君と認めるようになりました。日は(くらや)み、地は(ふる)い、(いわお)は破れ、墓は開けて死人は(よみがえ)りました。盗賊の一人は「主よ御国に至り給わん時、我を記憶し給え」と祈り、十字架を見守って居た百()(ちょう)は実に神の子なりき」と告白し、多くのユデア人すらも、痛悔(つうくわい)の胸を打って山を下りました。なおキリスト様は十字架によって悪魔に勝ち、今まで暴威を(たくまし)うして居た悪魔の国を打ち滅ぼしなさいました。即ち十字架の上に、死するまでも謙遜して、悪魔の傲慢(ごうまん)を打ち(ひし)ぎ、惨酷なる御苦しみを堪え忍んでは、悪魔の勢力を叩き潰し、その貴い御血を流しては、人類を悪魔の手より救い上げ給うたのであります。

(10)− ()くの如く十字架の上より、敵を見事に打破り給うたキリスト様は、また十字架の上より、人々の心を御自分に引寄せなさいました。「我、地より上げられん時は、万民を我に引寄せん」(ヨハネ12−32)と、のたまうたが、実際キリスト様は十字架の上より、その驚くべき愛を示して、人々の心を感動させ、全世界を挙げて、その御足(みあし)(もと)に馳せ寄らせ給うたのであります。使徒等が一命を(なげう)って、世界の四方を駆け廻わり、聖教(みおしえ)を説き(ひろ)めるに至ったのは、十字架に(はりつけ)られ給いしキリスト様の愛熱に燃え立ちなさったからではありますまいか。殉教者等が如何に恐ろしい責苦に遭わされても、喜んで之を耐え忍び、火の海だろうと、剣の山だろうと、少しも恐れずに、笑って飛び込んだのと云うものは、十字架の力にその心を強められた為ではありませんでしたか。浮世を捨て、身の慾を控え、(きび)しい苦行を(つと)めて、天主様に奉仕(つか)えられた聖人、聖女(たち)は、何によって、それほどの力を得られたのでしょうか。彼等の苦行を甘からしめ、その厳粛(げんしゅく)な生活の中に言うべからざる愉快を感ぜしめたのは、果して何であったのでしょうか。思うに彼等は始終十字架を打ち眺め、キリスト様が(かたじけな)くも天地万物の御君にて(ましま)しながら、自分等の為に御一命を抛出(なげだ)して、かかる苦痛、陵辱(はづかしめ)までも堪え忍び給うたかと思っては、自分等も何うにかして、主の愛に報い奉りたいもの、(いささ)かなりとも、主の為に苦しみたいものと云う気にならずに居られなかったからではありませんでしょうか。

(11)− 結び アシジオの聖フランシスコは修道士等の集会の真中に十字架を()て、之を一同に示して「私は諸子(しょし)に与うべき書籍とて別に()ちません、聴かすべき説教も知りません、ただこの十字架を眺めなさい、諸子が一頁も余さずに学ばねばならぬ(ほん)は是です。一言も漏らさずに聴かねばならぬ説教は是ですよ」と仰せられたそうであります。我々も今より(しばしば)主の十字架を打ち眺め、心静かに主の御受難、御死去を黙想し、十字架は祭壇である、講壇である、玉座である、と云うことを忘れずに、その祭壇上に献げられ給う犠牲を思い、その(こう)壇上(だんじょう)より説かれる御教(みおしえ)に注意深い耳を傾け、この玉座に()し給う主をば我が心の王と仰ぎ、何時でも、何処に於いても、その支配の(もと)に喜んで服従すべく(つと)める様に致しましょう。

 

三  十 字 架 に 敬 愛 を 表 す べ し

 

キリスト様がカルワリオの頂に於いて、真昼中、十字架に()けられ給うたのは、何の為でした?十字架は神の御憐(おんあわれ)みと、其の正義とを世に示す為に用いられた道具でありますから、之を公然と人々の眼前に掲げ置いて、尊ばせもし、愛させもしようと云う思召しがあったからではないでしょうか。

(1)− 信者は十字架を尊ばなければならぬ 十字架はキリスト様が之に(はりつ)けられなさる迄と云うものは、実に厭らしいもの、恐ろしいもの、(あら)ゆる刑罰中に最も(はづか)しいものとせられたものでした。聖書にも「(はりつけ)にせられたるものは(のろ)はれたる(かな)」と(しる)されてあります。ユデア人がキリスト様を殺そうと思って、ピラトに向い、(しき)りに「十字架に()けよ、十字架に()けよ」と(せま)ったのは、実に理由(わけ)がありました。彼等の目には、十字架ほど恐ろしい、(はづ)かしいものはなかったのですから、もしキリスト様を十字架に掛けて殺したならば、其の教えは滅びずには居ない、幾ら何でも、十字架に()けられたものゝ教えを奉ずるなんて、そんな馬鹿げた人間は、恐らく一人もあるまい、と思ったからであります。(しか)るに天主様の御計(おはから)いは、彼等が浅はかな智慧で考えた所を全然裏切りました。キリスト様は十字架に()けられなさっても、其の教えは決して滅びません。(かえ)って弟子等はこの(はづか)しい十字架を(まっ)(こう)に振り(かざ)して、世界を駈け廻り、沢山の人を十字架の(もと)に招き寄せました。

世人(せじん)はそれを見て仰天しました。悪魔は狼狽(うろた)えました。ローマ皇帝を(そそのか)して、帝国の威光を以て之を根絶させようと働きました。火の海、剣の山、虎、豹、獅子等の恐ろしい毒牙(きば)を用いて、幾百万のキリスト信者を無理無惨に責め殺させました。然れども信者等は()くキリスト様に(なら)い、温和(おとな)しい羊の如く、争わず(さから)わず、ただ胸に十字架を(しる)し、口にキリストの御名(みな)(とな)えて、(しづか)(たお)れるのでありました。

この悪魔と十字架、ローマ皇帝とキリスト信者との争いは、実に三百年の久しきに及んだのであるが、それが()うなったかと云えば、紀元三百十三年、皇帝自らが十字架の前に(かぶと)を脱ぎ、十字架の旗の御威光に(すが)るようになって来ました。此の時より十字架は()づべき死刑の道具とは見做(みな)されずして、(むし)ろ名誉あるキリストの旗印(はたじるし)として、世界到る処に尊崇(とうと)

ばれるようになったのであります。

(かく)の如くして初めユデアの片隅に()てられた十字架は、やがて欧州の方え移って、人民を(ことごと)く其の旗下(はたもと)にかり集めたのですが、それよりアメリカに伝わり、今日では其の威光がアジアの隅々、アフリカの深い内地にまでも、輝き(わた)ると云うようになって参りました。

然し一方からは、この十字架に反対するもの、之を大いに(いと)い嫌い、取って(たお)そう、取って(たお)そうと働き、(あら)ゆる手段を(ろう)して止まないものも世に少なくはありません。殊に我が日本に於いて、この十字架の有難味(ありがたみ)(さと)って、之を尊敬するものは至って少ない。責めて我々は始終この十字架の下を離れず、この十字架に()けられ給うたキリスト様の弟子たることを(はじ)としないのみならず、(むし)ろ之を大なる名誉として、益々信心堅固な信者となって、この十字架の有難味を世の人に知らせて、之を尊敬させるように(つと)めなければなりません。

(2)− 信者は十字架を愛せねばならぬ 十字架は神の御憐れみの証拠、我々の救贖(すくい)の道具で、キリスト様は一生涯之を愛し、之を望みなさいました。ピラトより死刑の宣告を受け給うや、取る手も遅しと引寄せて之を(にな)い、之に()けられ、之をその尊き御血に()ませ、(つい)に之が上に御生命(おんいのち)を果させ給うたのであります。そこで我々は十字架を仰ぎ()る毎に、主の愛の限りなきを(さと)りて、何時も感謝の涙を(こぼ)さなければなりませんが、またそれと共に、主の御憐みの(はてし)なきを思って、大いに之に頼り(すが)らねばなりません。たとへ如何ほど大罪小罪を(かず)重ねた大悪人にしても、キリスト様は私の為に十字架に()けられ給うた、私を救わんが為に、私に罪の赦しを得させんが為に、かほどの苦痛(くるしみ)を堪え忍ばれたのである、と思いましたら、何うして失望すること出来るでありましょうか。(モイゼの作った(あかがね)の蛇の話を思え)(なお)(また)、キリスト様は十字架を以て我々に其の驚くべき愛を(しょう)し給うた以上は、我々もやはり十字架によりて、キリスト様を愛するの真意(まごころ)を表わさねばなりません。身の苦しみ、心の痛み、憂苦(うれい)悲哀(かなしみ)、病気、貧乏、皆これ我々の肩に打ちかけられる十字架であります。()かもキリスト様の十字架の如く、悪党の手より内掛けられるのでなく、天主様の慈愛深き御手より与えられる十字架ですから、我々はキリスト様の御手本に(なら)い、勇ましく之を担いで、キリスト様を愛する、キリスト様の為に喜んでこの十字架を担ぐ、と云う心を(あらわ)さねばなりません。

(つい)に十字架を仰ぎ視て、罪の悪むべき次第を(さと)らねばなりません。十字架は罪によりて()てられた、キリスト様は罪の為にこの十字架に()けられ、この十字架の上に御死去なさいました。その御手足を(つらぬ)いた恐ろしい釘と金槌、その御脇を刺し(とお)した槍、その死ぬ迄に浴びせられ給うた悪口、雑言、是みな悪むべき罪の所為(しわざ)に外ならぬのであります。我々は之を思う毎に、深く罪を(おそ)れ、之を()い悲しむと共に、今後は如何様(いかよう)のことがあっても、決して一つの罪でも犯して、キリスト様を十字架に(はりつ)け奉るようなことがあってはならぬと、固く固く決心せねばなりません。

 

 

吾 主 の 御 復 活

(一)   復  活  の  喜 

 

(1)− 「主は(まこと)(よみがえ)り給いたればなり、アレルヤ」、長くの間キリスト様の御受難、御死去を悲しみましたから、今日は亦、心の底より(おど)り喜んで、その御復活を祝し、併せて自分も如何(どう)したらばキリスト様の如く復活すること出来るか、と云うことを考えて見たいものであります。

御承知の通り、キリスト様は金曜日の午後三時に御死去なさいましたが、()()れして居る中に、もう日暮れに間もない頃となりました。ユデアでは日暮れから日暮れまでを一日とするので日が暮れると、安息日となり、何の仕事も許されないので、そこそこに御葬式を済ませて置くより外はないのでありました。よってマリア、マグダレナを始め、其の他の熱心な婦人等は、もっと叮嚀(ていねい)に葬りたい、もっと十分に香料を使って、御死骸の腐敗を防ぎたいものと思い、安息日が過ぎると、早速、薬品を買い求め、三日目の朝まだき、それを(たずさ)えて、御墓(みはか)へと出掛けました、御墓には(おお)きな石を(ふた)して、番兵までも附けてあったのですが、俄に大きな地震が起り、それと共に、顔は(いかづち)の様に輝き、身には雪の如き(ころも)を着けた天使が(あらわ)れて、墓の(ふた)を取除けました。番兵等はそれに喫驚(びっくり)仰天(ぎょうてん)して、死んだようになりましたが、正気づくや一散に逃げ帰ってしまいました。かかる事があったろうとは夢にも知らぬ婦人等は、「御墓(みはか)には(おお)きな石を(ふた)してあるが、誰か取り除けてくれるでしょうね」と話し合いながら行って見ると、(ふた)(いし)は転んで、墓の口は開いて居る。中に這入って見ると、御死骸は見付からない、ただ白服を着けた天使が坐って居るばかり。皆、大いに驚いて、魂も身に()わないと云う塩梅(あんばい)、其の時、天使が「(おそ)れなさるな、貴女(あなた)(たち)は十字架に()けられ給うたイエズス様をお尋ねになるのでしょう、もう復活して此処には(ましま)さぬ、そのいらっしゃった処を御覧なさい、ただ()って弟子等とペトロに告げなさい」と申しました。是は朝のことでありますが、それから間もなくキリスト様はマグダレナを始め、聖ペトロ、其の他の婦人(たち)にもお(あらわ)れになり、夕方には弟子等が閉じ(こも)って居る室内に、戸は閉めたままお(あらわ)れになりました。聖母マリアにもお(あらわ)れになったか否か、福音書には何とも書いてありませんが、必ず真先にお(あらわ)れになったでございましょう。最愛のお母様、御受難、御死去に立合って、死なんばかりの(かな)しみに沈まれたお母様だもの、必ず真先に(あらわ)れて、其の心を慰め、之を言い知れぬ歓喜(よろこび)(おど)らしめ給うたであろうことは、察するに(かた)からぬのであります。

二三日前には()れほどまで(いや)しめられ、(はずかし)められ、(いばら)(かむら)せられ、唾を吐きかけられ、全身隙間もなく打ち(ただ)らされ、十字架にさへ(はりつ)けられて御死去なさいましたその(あわれ)(おん)有様に引換えて、今日の光り輝いた御体を仰ぎ視られた御母のお歓喜(よろこび)は果して如何ばかりでございましたでしょうか。我々も心の底より主の御復活を喜び、声を合せて「アレルヤ」を歌いましょう。

(2)− 今キリスト様は何の為の御復活なさいましたでしょう。それは御受難に当って、言語に絶えたる軽侮(あなどり)陵辱(はづかしめ)、苦痛を浴びせられなさいましたから、その代りに無上の光栄(さかえ)(たぐい)なき歓喜(よろこび)(よわ)され給うのが当然すぎた当然だからであります。「キリストは此れ等の苦しみを受けて、(しか)して己が光栄(さかえ)に入るべき者ならざりしか」(ルカ24ノ26)と自らも(のたま)うて居られましょう。

実に三日前の御体(おからだ)は、数知れぬ深手浅手に裂け破れ、頭の頂より足の爪先まで(まった)き所とてはなく、その輝かしい(うるわし)さはすっかり消え失せて、ただ血汐に黒ずんだ、見る影もない、(あわ)れな、浅ましい死骸でございました。然るに御復活の暁になりますと、全然新しき生命(せいめい)を得、苦しみを知らず、痛みを知らず、死ぬ気遣いもない、(またた)く間に千万里の遠きにも達し、金銕(きんてつ)すら自在に出入りされる、()わば霊化したかの如き(めでた)い御体となられたのであります。

キリスト様の御復活は、世の終りに於ける我々の復活の保証であり、前表(ぜんぴょう)であります。我々も今キリスト様に(なら)い、その御光栄(みさかえ)の為に、労を(いと)わず、苦を恐れず、進んでこの肉体を犠牲に供しますならば、また必ず同様の光栄(さかえ)を見ることが出来る、「もし共に(くるし)まば、光栄(さかえ)をもまた共に受くべきなり」(ローマ8ノ17)と聖パウロもいわれて居ます。

(3)− キリスト様は御受難の際に、その名誉を犠牲とし、ありとあらゆる軽侮(あなどり)陵辱(はづかしめ)を浴びせられ、蟲けらも同様に踏みにじられなさいました。然るに今や是等の軽悔(あなどり)陵辱(はづかしめ)は跡もなく消え失せて、大いなる名誉、終り知らぬ光栄(さかえ)が之に(かわ)りました。たった今まで散々に愚弄(ぐろう)した兵士等は、真先にその復活の証人となりました。之に死刑を宣告した判事等は大耻(おおはじ)をかきました。見棄てて逃げ失せた弟子(たち)は、四方を飛び廻って、その御復活の光栄(さかえ)を歌いました。

我々も世の風評や人の名誉を軽んじ、一切を主の御手にお(まか)せ致しましょう。思召しとあらば、喜んで之を犠牲に供しましょう。主の為に名誉を(なげう)つのは、大なる犠牲であります。主は必ず之を(たか)く見積り、後日百倍にしてお報い下さるに相違ありません。

(4)− (つい)にキリスト様の御霊魂は、御受難の際に一切の慰めを失い、堪え難い悲しみに沈み入られ、死なんばかりに憂い、悩み、(もだ)えさせ給うのでありました。十字架の上に於いて「我が神よ、我が神よ、何ぞ我を棄て給いしや」(マテオ27ノ46)と叫び給うたのを以ても知られましょう。然るに今やその悲しみの時は過ぎ去り、御霊魂は(たと)えようもなき喜びに(みなぎ)り、言い知れぬ慰めに躍り立ち、(きわま)りなき(さいわい)()かされ給うに至りました。我々の為にも悲しみの時は過ぎ去ります。誘惑(いざない)や、讒言(ざんげん)や、誹謗(そしり)や、憂、(もだえ)が潮の如く押し寄せて来た時、じっと踏みこたえたならば、其れ等は間もなく過ぎ去ってしまいます。永遠の光栄(さかえ)(きわま)りなき(さいわい)の世界に於いて、主と共に(たと)へようもなき歓喜(よろこび)、言い知れぬ(なぐ)(さめ)(きわま)りなき(さいわい)を楽しむことが出来る様になるのであります。

(5)− 御復活日の午後、二人の弟子がエムマウスと云う町に往きました。その途中キリスト様は旅人の姿をしてお(あらわ)れになり、彼等の(みち)(づれ)となって、親しくお物語をなさいましたが、町に着くや、そのまま行き過ぎようと致されます。二人はキリスト様とは知らないながらも、叮嚀(ていねい)に「日がもう傾いて、暮れようとして居ます。私(たち)と共にお留りなさいませ」と云って強いて引止めました。キリスト様は彼等と共に宿に入り、パンを祝し、()いて彼等にお与えになりました。すると彼等の目が開いて「ああ、御主様!」と認めるや、忽ちパッと消え失せなさいました。

皆さん、我々の為にも日暮れになりかけては居ませんか。生命は短い、当てにされたものではない、何時最後の夜がやって来ないにも限らない、是非キリスト様を取り失わない様にしなければならぬ。祈りましょう、心を合わせて祈りましょう。殊に聖体を拝領した後、御主(おんあるじ)(さま)に向って一心に祈りましょう、「御主様、何うぞ私と共にお留り下さい、信仰の光は薄らいで、愛の熱も冷えて参りましたから、私の心に留まって、私の信仰を照らし、私の愛を(あたた)めて下さい・・・私の家族にも留って下さいませ、親は其の務めを怠らないよう、子供は(たす)(かり)の道を踏み外さないようお導き下さい、私の町に、私の教会に、我が日本帝国にも留まって、之を照らし、之を教え、之を(さと)し、(いまし)めて下さい。私(たち)が皆揃って主を信じ、主に従い、主を愛し、後で審判の暁には、皆揃って復活の光栄(さかえ)(かたじけな)うするに至る様、其の為に今日聖寵(せいちょう)を賜い、主と共に霊魂上の復活をさして下さい」、斯う祈りましたならば、彼の弟子等の願いを聞き容れて、お留り下さったキリスト様は、また必ず我々と共に留り、我々を助けて、霊魂上の復活をさして下さるに相違ありません。

 

(ニ)  三  つ  の  復  活

 

我々は今日、御主の御復活、我々の霊魂の復活、我々の肉身の復活、この三つを祝賀したいのですが、何れの復活にも、御主は先ず自ら犠牲となり、然る後、勝利を得、凱歌を挙げ給うのであります。

(1)− 吾主の御復活は、我々の信仰の基礎である 実に吾主の御復活、その御復活の事実は我々の奉ずる宗教中の最も重大な要点であります。

奇跡は神の御業(みわざ)である、その奇跡の中でも最大の奇跡は死者の復活である、その復活の中に最も大きな奇跡とすべきは、死者が自ら復活することである。今天主様は御子の神性を証せんが為、復活と、自ら復活することゝ、この二つの奇跡を行いなさいました。

先づ復活は主の神性(しんせい)を高らかに叫ぶ最も有力な証明ですから、天主様はダウイドや、イザヤの如き預言者を以て、千年も七百年も前から之を予言させ、イエズス様御自身もまた「この神殿を(こわ)せ、三日の後に之を建て直して見せる」とか、「ヨナが三昼夜(さかな)(はら)()った如く、人の子も()うあるであろう」とか、「殺されて三日目に復活する」とか、幾度となく明かに予言して置かれました。そして今やその予言に違わず、死して三日目に御復活なさいました。その御復活の証人には使徒等が居ります。彼の臆病な使徒等が俄に大胆極まる証人となり、主の御復活を証明する為に、己が生命を(なげう)つのも惜しまないまでになったのと云うものは、確かに復活し給いし御主(おんあるじ)を見たからでありませんか。御墓(みはか)の番兵、司祭長()もその御復活を疑うこと(あた)わず、ただ何とかして、この事実を打消すこと出来まいかと、(しき)りに工夫したものであります。エルザレムなるユデア人の改宗、数知れぬ殉教者の不撓(ふとう)不屈(ふくつ)の勇気、是等は皆主の御復活の動かすべからざる証拠でなくて何でございましょう。

もし復活が神の御業(みわざ)であるとするならば、自ら復活し給うた基督(キリスト)様が神にて(ましま)すことは鮮やかに証明された訳でございましょう。もしキリスト様が、我が身の神たることを証明するが為に、前(もっ)(おの)が復活を予言し、その予言通りに果して復活し給うたとするならば、その神にて(ましま)すことは、いよいよ確かに証明された訳でございます。もしキリスト様が果して神にて(ましま)すならば、その教義、その道徳、その教会、その秘蹟は皆神聖であらねばならぬ。その教え給うた如く、天国もあり、地獄もあり、永遠の生命(いのち)もあることは、(すこし)も疑いを容れない所であります。

我々の信仰は()う云う堅固な基礎の上に立てられてある。何んなことがあっても微動だにするはずがない。だから堅く信じましょう。だから信仰上には勇壮無敵になりましょう。だから堅忍(けんにん)不抜(ふばつ)、動かざること山の如くなりましょう。

(2)− 吾主の御復活は我々の霊魂を復活さすべき好機会である 信ずる上は行わねばならぬ、随って我々は此の機を失わず、聖会の命のままに御復活の務めを果し、霊魂上の復活を(はか)らなければならぬ。この復活!この霊魂上の復活によって、罪が赦される、心には言い知れぬ平和が(みなぎ)る、歓喜(よろこび)(あふ)れる、胸は幸福(さいわい)()わされるのであります。

皆さん、是非是非この御復活を利用しましょう、之を利用して霊魂を復活させましょう。霊的死より聖寵(せいちょう)の生命に、冷淡より熱心に、熱心より(かん)(とく)の生活に復活させ、今迄とは打って変わった新しい人となりましょう。キリスト様の御生命(おんいのち)を以て、我々の生命(いのち)となし、キリスト様の如く思い、キリスト様の如く言い、キリスト様の如く立振舞(たちふるま)う様に(つと)めましょう。それも一日や二日、一週間や二週間だけに(とどま)らず、身を終わるまで、その新しい、復活した生命(いのち)を続ける様に(つと)めましょう。

(3)− そうして行きましたならば必ず(めでた)い肉身の(よみがえ)りを見ることが出来る (ぼう)(とく)はこの世を渡るのに極めて大切な徳でありまして、この(ぼう)(とく)なしに、人は到底生きて行かれません。

死の思いは(すこぶ)る陰気な、物悲しい、どうかすると実に堪え難い程のものでございますが、然し心を高く()げて、墓の向うを眺め、肉身の(よみがえ)りを思って御覧なさい・・・我々も一度は復活するのです。もし今の中にキリスト様の教えを信じ、キリスト様の御跡(みあと)()んで進みましたならば、もし今の中に誠意(まごころ)から霊的復活をなしましたならば、また一度は我々の肉体も復活する、キリスト様のそれの如く、光り輝いて復活する、(まぶ)しい光栄(さかえ)を帯びて復活することが出来るのであります。我々は復活する・・・是こそ悪人に取っては苦しい、堪え難い思いでありましょうが、善人の為には、今キリスト様と共に霊的復活をなす(りょう)信者の為には、実に(なん)と云う(なぐさめ)に満ちた教理でございましょうか・・・。

(4)− 言い知れぬ苦しみのドン底に沈めるヨブも、復活の思いに慰められ、大いに気を引立てられたものでした すべての殉教者、すべての義人、すべての(りょう)信者も同じくこの希望に慰められ、この希望に力づけられ、この希望に激励されるのであります。我々もこの希望を心に深く刻みつけて置きましょう・・・如何なる戦いでも、如何なる十字架でも、以て気強く切抜け、以て勇ましく(かつ)ぎ通すことが出来るでございましょう。

 

(三)

 

(1)− 長らくキリスト様の御受難、御死去を悲しみましたが、いよいよ喜び躍ってその御復活の光栄を祝う今日となりました。聖会はこの機を失わず、我々信者をして、罪に死し、キリスト様と共に新しき生命に復活させたいと望み、「せめて毎年一度、御復活日の頃、聖体を拝領(うく)べし」と命じて居ます。然らば御主の御復活は、我々信者が罪の死より聖寵(せいちょう)の生命に、不熱心より熱心に立ち帰るべき時である。心を(あらた)め行いを立て直すべき時である。

聖パウロも(おっしゃ)って居ます、「キリストが御父の光栄(さかえ)を以て、死者の中より復活し給いし如く、我等も亦、新しき生命に歩まん為なり」(ローマ6ノ4)と。即ちキリスト様が肉身の御復活をなさった如く、我々も霊魂上の復活をして、新しき人に生れ変らねばならぬと云うのである。(そもそ)もキリスト様の御復活は、真実でありました、(おおやけ)でありました。永続的でありました。我々の復活も同じく真実であらねばならぬ、(おおやけ)に現われねばならぬ、永続的であらねばなりません。

(2)− キリスト様の復活は真実でした、決して見せ掛けばかりではありません。三日前に、それこそ確かに岩屋の墓に葬られなさった御死骸は、三日目の朝には、もう墓には見付かりませんでした。天使は降りて、その御復活を告げ、キリスト様御自分も幾度となく弟子(たち)(あら)われ、一緒に食べ、一緒に物語り、御体(みからだ)に触れさせ、御傷に指を入れて探らさせ等して、その復活の真実偽りなきことを御証明になりました。

我々が霊魂上の復活をするにも、やはり表面だけでは足りない、是非ともキリスト様の如く、真実に復活しなければならぬ。其の為には罪を心より(くや)み悲しみ、之を深く恐れると共に、以後は決して再びこの罪を犯さない、断然この罪の機会(たより)にも(とおざ)かる、と云う固い決心にならなければならぬ。それだけの決心になり得ないならば、真実の改心ではない、天主様の聖寵を回復することも出来ない。霊魂が新しい生命(いのち)に復活したとは申されません。

皆さんは、この際告白をなし、御復活の勤めを果して居られますでしょうが、果して罪の墓より抜け出て、聖寵の生命(いのち)に復活なさいましたか。告白をなさったのは果して真実に罪を()い悲しみ、行いを(あらた)める決心からでしたか。親兄弟からうるさく(すす)められるから、信者の中に()って、御復活の(つと)めも果さないようでは肩身が狭いから、或は別にそんな理由(わけ)があるでもないが、毎年毎年そう行って来て居るから、と云うだけに(とどま)り、真実に心を(あらた)めらる、行いを立て直す、と云う考えは少しもないと云うようなことはありませんか。それでは()うしてもキリスト様と共に復活なさったとは申されますまい。

キリスト様は御復活なさった証拠に、三日目の朝には、もう御墓(みはか)には(ましま)さなかった。御死骸を包んだ(まき)(ぬの)はそのまゝ残して御墓(みはか)を出てしまわれました。

皆さんは果して如何(どう)でしょう、やはり罪の機会(たより)に包まれては居られませんか、やはり悪しき友に(つな)がれては居られませんか、やはり身装(みなり)から物の言い様、立振舞(たちふるま)いに至るまで、少しも前と変った所が無い、()わばやはり前々通り墓に葬られて居る、と云う塩梅(あんばい)ではありませんか。

御復活の朝、御墓(みはか)へ行きました婦人(たち)が、御死骸の見付からないのに驚き怪しんで居ると、天使は彼等を(とが)めて、「汝等は何ぞ生者(せいじゃ)を死者の中に尋ねるや、彼は此に(ましま)さず、復活し給へり」(ルカ24ノ5)と申しました。皆さんも真実に心を改めなさいましたならば、()こそあらねばならぬ。悪い友が尋ねて参りました時、悪魔が(さそ)いを仕向けました時、「もう此処には居ないよ。彼は復活したのだ、すっかり心を改めてしまったのだ」と守護の天使がお答えになって下さる位にならなければなりません。

(3)− キリスト様の御復活は(おおやけ)でした。四十日の間、(しばしば)弟子(たち)(あら)われ、その御復活を御証明になりました。もうカルワリオに於ける如く、深手浅手に破れ、見る影もなく(やつ)れ果てたる御体(みからだ)ではなくして、実に清い、美しい、照り輝ける御体(みからだ)でありました。傷跡こそ残って居ましたが、然しその傷跡は(まばゆ)きまでに照り輝いて居ました・・・罪を痛悔(つうくわい)し、心を改めて霊魂上の復活をなさった皆さんも、やはり()こそあらねばならぬ。新しい生命(いのち)に復活したと云う印に、浮世の快楽(たのしみ)に遠ざからねばならぬ。身装(みなり)を慎まねばならぬ、熱心に祈り、熱心に度々聖体を拝領し、熱心に宗教を研究し、善業を励んで、人に良き鑑を示さねばならぬ。前に傷であった所、不足であった点は、殊更ら立派に輝かさねばならぬ。

聖パウロは仰った、「もしキリストと共に復活したるならば、上のことを求めよ、地上のことならで、上のことを(おもんばか)れ」(   )と。即ち現世の事ばかりに心を奪われないで、天の事、霊魂上のことを想うようにせねばならぬと云うのであります。

そこで真実の復活はキリスト様のそれの如く、必ず外部に表われなければならぬ。一つは天主様から罪を赦して戴きました、死んで居たのを復活さして戴きました特別の御惠(おめぐみ)を感謝するが為、又、一つは是まで人の悪例となった所を取消し、反対に善い手本となって、人を善に導き入れるが為に、是非とも自分の改心した証拠を(おおやけ)に表さねばならぬ。そんなにして自分は立派に心を改め、行いを立て直したと云うことを世の人の前に公表してからは、中途にして止めるのが困難になりますから、結局は永続する為にも、随分助けとなるものであります。

(4)− キリスト様の御復活は永続的でした。聖パウロは申された、「キリストは死者の中より復活して、最早(もはや)死し給うことなく、死は更に之を(つかさど)ることなかるべし・・・()くの如く汝等も己を罪には死したるものなれども神の為には()けるものと思え」(ローマ6ノ9−11)と。実にキリスト様の如く復活した上は、亦、キリスト様の如く再び死ぬことがないよう、永く、(おわり)迄も続いて罪を避け、善を励んで行くように致さなければならぬのであります。

多くの人は御復活日の頃、聖寵に感じ、心より罪を()い悲しみ、(おこな)いを立て直しますが、悲しいかな、その復活がキリスト様の御復活とは違って、永続性を持たない、聖体を拝領しました当座の二三日間、又は二週間は熱心でありますが、その熱心は次第に冷却して来る、世俗(せぞく)(とお)ざかり、よく祈り、(ことば)を慎み、行いを(いまし)めて行くのを窮屈(きゅうくつ)に覚えて来る、やがては前々(まえまえ)通りに、天主様を忘れる、祈りを怠る、悪友に近づく、世の中に浮れ廻る、為に一旦は立派に復活したものが再び死んでしまう、腐ってしまう、時としては其の(まま)、罪の墓より地獄の中へ落ち込んでしまう者さへないものでもありません。

そうなりましては、一旦復活したのも、何の役に立つでございましょうか、聖寵の生命を得るが為に骨折ったのも、全く水の泡ではありませんか。折角天主様の聖寵を蒙り、罪を赦して戴いて居ながら、間もなくその聖寵を打ち棄て、その決心を忘れ、罪の道に逆戻りをして、天主様に身を(そむ)けるならば、罪は前より重くなるばかり、随って天主様にも見棄てられ、厳しい罰を蒙ることにならんとも限りますまい。「(つち)(しばしば)その上に(ふり)()る雨を(すい)入れて、(たがや)す人を益すべき草を生ずれば、神より祝福を受くと(いえど)も、荊棘(いばら)(あざみ)とを生ずれば、棄てられて(のろ)わるゝに近く、其の終は焼かるべきのみ」(ヘブレオ6ノ7)と聖パウロも(おっしゃ)って居る。恐るべきことではありません。

(5)− 結論 皆さん、この慶たい、喜ばしい御復活日の朝から、余りにも重苦しいお話をして済みませんが、折角霊魂上の復活をなさった上は、是非とも、皆さんの復活がキリスト様のそれの如く、真実であり、(おおやけ)であり、永続的であり、キリスト様の生命を以て生命とする様にお務めにならんことを希望するの余り、斯様(かよう)なことを申し上げる次第であります。悪しからず御諒察(ごりょうさつ)あらんことをお願い申して置きます。

 

(四) 復 活 体 の 四 大 特 質

 

(1)− キリスト様の御復活は、世の終りに於ける我々の復活の前表でございまして、復活し給いし主の御体(みからだ)が、不死となり、迅速(じんそく)となり、霊化せられ、光栄(さかえ)に輝き給うた如く、我々の肉体も同じ四つの特質を帯びて復活するのであります。然しそう云う幸福(さいわい)(かたじけな)うするには、今の中に心霊上の復活をし、すっかり心を改めなければなりません。

(2)− キリスト様の御体は不死となりました 三日前には頭の頂から足の爪先まで全き所とてはなく、ただ(さけ)(きず)(うち)(きず)と腫物のみで、見る影もなかったその御体、一旦復活の光栄を帯び給うや、苦しみを知らず、痛みを知らず、死する憂いすらなき(めでた)い御体となられました。「キリストは死者の中より復活して、最早や死し給うことなく、死が更に之を(つかさど)ることなかるべし」(ローマ6ノ9)と聖パウロはいって居ますでしょう。

我々も一度はそんな(めでた)い肉体に復活しなければならぬが、其の為には今の中に霊的復活をして、小罪の痛みを知らず、大罪の死を知らず、世の誉れや肉の快楽(たのしみ)にも傷つけられない様、努めなければならぬ。したがって「腐敗に於いて蒔かれ、不朽を以て復活せん」(ローマ15ノ42)と聖パウロもいって居られます如く、制慾を行い、苦行を(つと)め、「腐敗に於いて()かれ」、麦粒が地に蒔かれて、腐敗したかの如くなる必要があるのであります。

(3)− キリスト様の御体は迅速になりました 三日前には高手小手に(いまし)められ、カルワリオへ曳き(のぼ)され、十字架に()けられ、身動きすら出来なくなられた御体も、一旦復活の光栄(さかえ)を帯び給うや、軽妙、自在、千万里の遠きも瞬く間に往来し得る(めでた)い御体となられたのであります。

我々の肉体も、復活の暁には、やはり()うなるのでありますが、其の為には今の中に霊的復活をして、天主様のお招きになる所、長上の命ずる所には、何時でも、如何なる場合にでも飛んで行く、響きの声に応ずるが如く飛んで行く、主の(くびき)を以て(あまし)とし、その荷を以て(かろし)とし、勇ましく之を背負う神の御光栄(みさかえ)の為、人の(たす)(かり)の為、教会の発展の為、大いに奮発すると云う様にせねばなりません。然しそれこそ聖パウロの所謂(いわゆる)虚弱(きょじゃく)に於いて蒔かれ、力を以て復活する」(同上)ので、己を棄て、己が主張を()げ、「虚弱(きょじゃく)」なるものゝ如くなった結果に(ほか)ならぬのであります。

(4)− キリスト様の御体は霊の如くなられました 三日前までは、(はだへ)(つんざ)け、肉(ただ)れ、色は(あお)()めて、それはそれは見るに見られぬ御体でしたが、一旦復活の光栄(さかえ)を帯び給うや、全く霊化したかの如く、金鉄の中でも自在に出入りされる、墓の(ふた)(いし)はそのまゝにしてお出で行きになり、弟子(たち)がユデア人を恐れ、室内深く閉じ籠って居る時も、戸は開かないで、中へお入りになった程の(めでた)い御体となられました。

我々も斯う云う(めでた)い肉体に復活し得るが為、今霊的に復活して、天主様に仕え、各自の義務を果すに当って、何物が前途に横たわって居ましょうと、屈せず(たわ)まず、之を突破し、勇往邁進しなければなりません。それこそ聖パウロの所謂、「動物的身体に蒔かれ、霊的身体に復活する」(同上)のであります。

その為には平生我等の慾望を(おさ)へ、利己、自愛の念を断って棄てる、その「動物的身体」を(ほうむ)ってしまう必要があるのであります。

(5)− (つい)にキリスト様の御体(おからだ)燦然(さんぜん)として、(まぶ)しきまでに輝き渡りました!三日前に(むちう)たれ、(いばら)(かぶ)せられ、重い十字架の下に圧倒され、見るも哀れな姿を呈せしその御体(おんからだ)とは、夢にも思われない位でありました。

我々の身体も是非然うなって復活せねばならぬ。その為には今の中に霊的復活をし、徳を磨き、行いを励み、人の()き模範となり、神の御国がいよいよ(ひろ)められ、その御名(みな)がますます讃美せられ、()(たた)えられ給う様、力の限り活動する必要があります。然しそれは「()(せん)を以て()かれ、光栄(さかえ)を以て復活せん」(同上43)とあります如く、謙遜、従順、忍耐等の徳を実行し、自ら()()しくなった結果に(いづ)ることを忘れてなりません。

皆さん、我々は御復活節の間、毎日三度「天の元后、喜び給へ、アレルヤ」を(とな)へます。御子が御復活になったからお喜び下さい、と聖母に申上げるのであります。然し聖母の御子はただキリスト様のみでない、我々も或る意味に於いて聖母の子供でございますから、たとえキリスト様は御復活になりましても、我々が共に復活しないでは、聖母も何だか物足りなく思い給うでございましょう。でありますからこの際、我々は是非とも霊魂上の復活を(まっと)うして、聖母の御心(みこころ)を十分に喜ばせ奉る様、(つと)めなければなりません。

 

 

 

聖 ヨ ゼ フ の 擁 護 の 祝 日

(一) 聖 ヨ ゼ フ の 擁 護 に (すが) れ

 

(1)− 聖ヨゼフはイエズス様の擁護者と選まれなさった御方で、聖会は特に之を()めて「ナザレトの聖家族の最忠実なる守護者」と呼んで居るのであります。実際イエズス様が御降誕後、間もなくエジプトへ逃げなければならぬことゝなりました時、聖ヨゼフは之を保護して、見も知りもせぬ外国にまで落ちて行かれました。ナザレトにお帰りになりましてからも、聖ヨゼフは、聖母マリアとイエズス様とを養うが為に、夜、昼、寒さ、暑さの別なく、汗水たらしてセッセと立働き、貧しいとは云いながらも、太した不自由も見せない様にして行かれました。

斯く親切にイエズス様を保護し給うた聖ヨゼフであれば、今日でも必ず我々信者を保護して下さるに相違ないので、聖会は聖ヨゼフを己が擁護者と定め、信者を(すす)めて、その御蔭(おかげ)(もと)()(すが)らせることにしたのであります。

(2)− (およ)そ人のお世話を焼く、人を保護するには、先づそれ相当の権力(ちから)を持たなければなりません。権力(ちから)がないならば、()(さか)の場合に、心ばかりはいくら()(たけ)(はや)りましても、()うすることも出来るものではない。然し幾ら権力(ちから)ばかりあった所で、情を持たない、人の難儀を見ながら、少しの同情を寄せる道も知らない様では、その権力(ちから)も格別有難いものではありません。所で聖ヨゼフは、権力(ちから)にせよ、(なさけ)にせよ、何方(どちら)から云っても申分はないのであります。

(3)− 第一権力(ちから)があります 聖ヨゼフはイエズス様の養父でしょう。御存命中、イエズス様は、聖ヨゼフを父として尊び、心を傾けて之に(したが)われました。ナザレトに明し暮し給うた三十年の間と云うものはイエズス様の(つと)めはただ聖ヨゼフに従うに()りました。何処に行くにも、何をするにも、寝るにも起きるにも、食べるにも着るにも、ただ聖ヨゼフの指揮(さしづ)(もと)に動いて行かれました。聖ヨゼフから「是を致しなさい、彼処(あすこ)へ行きなさい、(あれ)を持って来て下さい」と云われると、イエズス様は早速飛び立って従われました、台所の用事から、水汲み、(ふき)掃除、使い走り、大工の仕事に至るまで、聖ヨゼフの命のまゝに喜んで()って()けられたのであります。

昔ヨゼフは敵と戦い、思う存分敵軍を叩き(つぶ)さない中に日が暮れかゝったと見るや、命じて日の(あし)を止めました。実に驚くべき力であります。然し()()く考えて見ますと、聖ヨゼフはただ日に命じた位ではありません。其の日を造り給うた神様に命じました。して其の命令に神様が喜んで従われたのであります。何と云う驚くべき権力(ちから)でございましょうか。

御存命中にさへ是れほどの権力(ちから)を持ち給うた聖ヨゼフであれば、()して今日、その報酬(むくい)を得て居られる天国に於いて、其の権力(ちから)を失い給う訳がありますでしょうか。増しこそすれ、決して()りはしない筈ではありませんか。して見ると、もし聖ヨゼフが我々の為にお伝達(とりつ)ぎになりましたら、イエズス様は必ずお聴き()れ下さる。ゼルソンと云う学者は申しました。「父が其の子に、夫が其の(つま)に願う時は、命令も同様である」と。然らば聖ヨゼフがイエズス様なり、マリア様なりに向って「之をお願い申します、之を彼の人にお与え下さい、彼の罪人にお赦し下さい、彼の人の病を(なお)して下さい、彼の人を慰めて下さい」とお願いになります時、拒絶され給う様なことは万に一つもありますでしょうか。

(4)− 然し幾ら権力(ちから)ばかりありましても、情けがないならば駄目な話でございますが、聖ヨゼフは亦、非常に情け(あつ)(ましま)す。実に聖ヨゼフはイエズス様を生命の危きより救うが為に、如何なる父も及ばぬほどの慈愛(いつくしみ)を以て奔走されました。其の当時の心は、今日でも決して失っては居られません。其の上、三十年の間も限りなき御情けのイエズス様と共に()み共に暮して、充分その御愛情の火に(あたた)まって居られますから、イエズス様が我々罪人を(あわ)れんで下さる通り、御自分もまた(あわ)れんで下さるのであります。

なお、聖ヨゼフは我々一人(づつ)を以て、イエズス様の貴い御血に(あがな)われたもの、()わば小さなイエズスを見て居られますので、恰度(ちょうど)イエズス様をヘロデの手より救わんが為、御奔走になりました如く、我々をも悪魔の手より(のが)すが為、十二分に周旋して下さいます。イエズス様を養い育てるが為に汗水(たら)してお働きになった如く、我々の霊魂を養い育てるにも、必ず出来るだけの力を尽して下さることは疑いを容れざる所であります。斯くの如く聖ヨゼフの御権力(おんちから)は優れ、その御情けも大きいのですから、我々は何時、如何なる場合にも、深く聖ヨゼフを尊び、心より之に(より)(たの)まねばなりません。然し信頼(よりたの)むだけでは足りない、亦それと共に聖ヨゼフを鑑として、之に(のっと)るべく努める必要があるのであります。

(5)− 第一子の親たるものは、皆、我子を保護して天国へ導き入れるが為、特に天主様から選ばれたのでありますから、聖ヨゼフがイエズス様に対してなさった通りのことを、我が子に対して致さなければなりません。

我が子がヘロデのような悪魔だとか、その悪魔の手先となって働く所の悪友だとか、或は罪の危ない機会(たより)だとか、そんなものに(そそのか)されて、其の霊魂を危うくする様な目に遭うことが幾回あるか知れません、そんな場合に、聖ヨゼフの如く我が子をその罪の機会(たより)より、その悪友の中より、その悪魔の手の中より引出して、説諭(せつゆ)もし、意見も加え、時としては鞭を振るっても、その霊魂を保護するが親の務めであります。ただ我が子の霊魂を危うい中から救い出すばかりでは足りません。なお、之を養い育てなければならぬ、之に祈祷(いのり)(とな)へさせ、之に教えを習わせ、之を聖堂に参詣させ、之に告白や聖体の秘蹟を授らせて、その霊魂を餓死させぬよう心配するのも親の務めである。それに就いて親等は果して(やま)しい所がありませんでしょうか。鏡に向えば顔の美醜(よしあし)が分る、聖ヨゼフがイエズス様に対して尽された所を鏡として、それに自分の遣って居る所を照らして見たらば如何(どう)でしょう。充分でしょうか。不足な点はありませんか。顔を赤らめずには眺め得ないような所がないでしょうか。

(6)− 子の親ばかりにも限りません。誰しも聖ヨゼフを鑑とすることが出来ます。我々が洗礼を授かった時、取分け聖体を拝領した時、イエズス様は我々の心にお生れ下さいます。だがそれと共に、悪魔や悪友やわ彼のヘロデ見たように、()った今、生れ給うたばかりのイエズス様を取り殺そう取り殺そうとするものであります。我々はそんな危ない中を立去り、そんな悪友の中を避け、そんな恐ろしい罪の機会(たより)(とおざ)かって、イエズス様を生命の危きより救って()げねばなりません。

そればかりでない、聖ヨゼフの如く、大いに働いてイエズス様を養い育て、その御成長を助けなければなりません。()うしてイエズス様を養い申しましょう。祈祷(いのり)を以て、ミサ聖祭に(しばしば)(あずか)りまして、熱心に説教を聴き、告白や聖体を(しばしば)(さず)かり、是等を食物となして、イエズス様を養い奉るのです。その他すべて罪を避け、善を行い、我意(がい)を捨て、長上に従い、ますます謙遜、忍耐、清浄(しょうじょう)になりますと、それだけイエズス様を成長させ奉る訳になるのであります。

こういう話があります、或る修道士が独り室内に居ります時、イエズス様が美しい幼児(おさなご)となって、突然お(あら)われ下さいました。喜んで打ち眺めて居りますと、偶々(たまたま)祈祷(いのり)の鐘が鳴りましたので、(くだん)の修道士はイエズス様を遺棄(おきざり)にして、早速祈祷(いのり)に行きました。帰って見ると、イエズス様は成長して、十八九の青年になって居られ、「汝の従順が私をこんなに成長さしたのです」と(おつ)(しゃ)ったそうであります。我が身を(なげう)てば(なげう)つほど、身の自由を捨てゝ人に従い、善を行い、徳を積むように(つと)めれば、(つと)めるだけイエズス様を我が身の内に成長させ奉るのだと云うことは、是を以ても知られましょう。

斯くの如く各自の心にイエズス様を保護して行くのみならず、善徳の食物を(すす)めて之を養い、之を成長させ奉るならば、聖ヨゼフに与えられた御褒美は必ず我々にも与えられます。聖ヨゼフはイエズス様の養父、且つ保護者として御褒美を戴かれて居るのですが、我々も或意味に於いては、イエズス様の養父であり、保護者でありまして、やはり聖ヨゼフと同様の御褒美を(かたじけな)うすることが出来るに相違ありません。然らば我々は今日より深く聖ヨゼフの権力(ちから)ある御保護に(すが)ると共に、亦、聖ヨゼフを(かがみ)として、之に(のっと)るべく(つと)め、その為に必要な聖寵を祈りましょう。

 

(ニ)

 

聖ヨゼフは基督教生活の完全なる典型(かがみ)であります。

(1)− 聖ヨゼフは全くイエズス様の為に生きて行かれた 福音書を(ひもと)いて見ますと、聖ヨゼフは神の御子の養育を担当されたその刹那より、そのすべての思い、そのすべての熱誠、そのすべての活動を残らずイエズス様の為に傾け尽くし給うのであったことが知られます。ベトレヘムでも()うでした。エジプトでも()うでした。ナザレトでも同じく()うでした。是こそ聖ヨゼフの生活を(なら)びなきまでに偉大ならしめた所以(ゆえん)のものではなかったでしょうか。

(およ)そ我々の行為(おこない)の価値を決定するのは、その結果の如何に(あら)ずして、我々がその行為(おこない)に持たする目的に()るのであります。自分の為す所が、大小軽重の別なく、すべて天国の報いに値するよと見る時、胸は如何なる歓喜(よろこび)に躍り立って来るでしょうか・・・その為に何を要しますか・・・ただすべてをイエズス様のために()る、ただ聖ヨゼフの如く、イエズス様を愛する心で一切を果す様にすれば、それで沢山なのであります・・・。

(2)− 聖ヨゼフはイエズス様の御眼(おんめ)の前に()きて行かれた (みぎ)申しました様な生活様式、そのプログラムを実現するが為、天主様は我々に必要な御援助(みたすけ)をお与え下さいました。その御援助(みたすけ)とは、始終天主様の御眼の前を思うこと、言い換えれば、絶えず天主様の御眼の前に活きて行くことであります。聖ヨゼフを御覧なさい、己が意のまゝにしたいと思う様なことが万に一つも出て来たにせよ、一目神たる御子を(あおぎ)()ると、忽ち己が天職を思い出し、一切不純な念は跡もなく消え失せるのでありました。自分の愛し敬へる御方の眼前(めのまえ)に居ると、自ら勇み立ち、腕打ちさすり、(ちから)(あし)ふみ鳴らすに至るものであります。然しイエズス様の御眼の前ほど力あるものが世にありますでしょうか。自分は主の御眼の前に居るのだと思う時、勇気の全身に(みなぎ)るのを覚えない人が一人でもありましょうか。

(3)− 聖ヨゼフはイエズス様の御助(みたすけ)(もと)()きて行かれた イエズス様の幼少年時代を思いなさい、聖ヨゼフに何かの手伝いを為し得る様になるや、喜んで之を助け、之に手伝い、少しでも養父の労を軽くし、その体を休ませ、その心を慰めたいと務め給うのじゃありませんでしたろうか。

内的生活の働きを為すに当って、イエズス様が我々をお助け下さると思うのわ、決して一個の幻影(まよい)ではありません。イエズス様は聖寵(せいちょう)生命(いのち)、神秘的ではあるが、然しまた実際的なその聖寵の生命を以て、我々の心に()きたい()きたいと欲し、随って誘惑(いざない)に打勝つが為、徳を修めるが為、義務を果すが為、事業を(まっと)うし得るが為、我々に光と力とを与へんものと、常に身構へして居られるのであります・・・

要するにイエズス様の為に活きる、イエズス様の御眼(おんめ)の前に、イエズス様の御助(みたすけ)(もと)に活きると云うことほど偉大なるものもなければ、美なるものもない。この理想を捉えんには、何を為すべきでしょうか。(あく)までそれを望み、()んなことがあっても力を落さず、(しばしば)

聖ヨゼフの御鑑(みかがみ)を思い、その御助を求めて止まなかったら、それで沢山です、必ず目的を達成することが出来ます。

 

(三) 聖 ヨ ゼ フ の 御 教 訓

 

思想国難の叫ばれる今日、労働、権威、家庭生活と云う三方面に就き、聖ヨゼフの我々に遺されし御教訓を黙想して見ることに致しましょう。

(1)− 聖ヨゼフは労働を神聖ならしめ給うた (じん)()堕落(だらく)以来、労働は一個の辛い課業となりました。

()うです、信仰を持たない人の為に、労働は如何に苦しい重荷でしょうか。しかも信仰がないのですから、何等(なんら)奨励される所、勇気づけられる所とてないのであります。

然るにナザレトへ行き、その(ささやか)な工場を覗いて御覧なさい。天主様は我等に労働を愛せしめんが為、その親しい友、その最愛の(しもべ)をば苦しい労働に服せしめ給うた。聖ヨゼフは労働者でした。労働を尊重し、毎日汗水(たら)して働き、一家の為にパンを求められた。あゝナザレトの工場!労働の神聖なるを(さと)らしめ、労働者の境遇を尊重する気にならしめるのに、世の人の千言(せんげん)万語よりも、この工場を一見(いっけん)せしめるのが幾倍と有効でしょうか・・・

(2)− 聖ヨゼフは権威を確立せられた 現代社会の最も大きな欠陥は権威を無視し、侮辱(ぶじょく)することであります。

多くの人は神の権威を認めないで、それだけ神を蔑視(かろん)じて居る。名あって実なき信者、てんで聖会の掟に従うを欲しない信者の為に、聖会の権威は台なしにされて居る。家庭に在ってわ、子供が(さかさま)に主人公となり、父母の権威に反抗して居る。

この面白からぬ世相に直面せる我々は、()うしてもナザレトへ行き、権威の何たるかを(しか)と突き留め、我々の意を権威者の意に服せしめることを学ばなければならぬ。ナザレトの聖家族に於いて、徳の上から云うと、第一がイエズス様、第二が聖母マリアで、聖ヨゼフは最下位に()ったのでありますが、然しイエズス様でも、聖母マリアでも、聖ヨゼフを家長として、その前に頭を下げ、何事にも快く服従せられました。父の権威が十分に行われ、妻子は完全にその権威に服従すると云うのが、ナザレトなる聖家族の我々に示せる()(かがみ)

ではありませんか。

(3)− 聖ヨゼフは家庭を復興せられた 家庭!これこそ社会の細胞、国家の起源であります。基督(キリスト)御降(ごこう)生前(せいぜん)の家庭、殊に西洋に於けるその家庭の状態は悲惨(みじめ)極まったものでした。父は専制君主で、母は奴隷、子供の生命(いのち)(すこし)も問題にされない、生かすも殺すも全く父の(こころ)の儘でありました。

今日と(いえど)も、基督教精神の消滅し去ると共に、家庭は次第に瓦解を来し、昔の憐れむべき状態に逆戻りせんとしつゝあるのであります。強固な家族制度の上に立脚して居ると云われる我国、家族の前には、個人の自由も、名誉も猶且つ犠牲にして顧みないと云う位にして居る我国に()ってすら、家庭の土崩(くずれ)瓦解(やぶれ)は日にまし甚だしきを加えつゝあるのを見ませんか。

此時に当って、聖会は理想的家長とも、万世の鑑とも仰ぐべき聖ヨゼフの上に(まなこ)を注げと、我々に勧めてくれるのであります。

自分の担当せる妻子(つまこ)の上より危険を予防し、その危険が差迫ったと見るや、蹶然(けっぜん)起って之を(とうざ)け、進んで彼等の必要を見計(みはから)うと云うのが、聖ヨゼフの天職であったのであります。

父母たるものは、どうぞ聖ヨゼフを仰ぎなさい・・・如何(どう)したらば家庭を立派に(おさ)めて行くこと出来るか、聖ヨゼフは必ずその方法をお諭し下さいます。家庭に労働、服従、愛が行われると、其処(そこ)には必ず平和の風がそよ吹いて来る。()いては国家社会までが、その余惠を蒙るに至るものであります。何うぞ皆さん、聖ヨゼフを鑑とし、併せてその御助(おたすけ)を祈り、是非とも我々の家庭を、その美しい理想に近からしむべく(つと)めようではありませんか。

 

聖   母   月

(一) 聖 母 月 の 心 得

 

(1)− 聖母月がまいりました。楽しい楽しい聖母月がまいりました。孝子はその母の祝祭日を喜び、何か特別の趣向を凝らして母をアッと言わせ、之を歓喜(よろこび)に躍り立たせようとするものであります。さればこの五月に当って、我等の尊ぶべく愛すべく、力と云い、情けと云い、殆ど限り知られぬ御母のめでたい祝祭たるこの五月に当って、我々は如何なる工夫を凝らして、聖母を驚かし、その御心(みこころ)を喜ばせ奉るべきでありましょうか。

(2)− 先づ五月中は平生(へいぜい)に優って聖母を愛すべく(つと)めましょう 聖母は愛すべき御母であります。絶えず情の御目を開いて我々の身の上を打ち眺め、我々の入用を見計らい、未だ願い出もしない先から、彼や此れやと周旋して下さいます。年によって聖母の愛が増したり減ったりするのでもなければ、月によって聖母の情けが冷えたり温まったりする訳でもありません。一年三百六十五日、夜でも昼でも、同じ愛を以て、同じ情けを以て、同じ親切を以て、我々を可愛がって下さいます。聖母の御心には五月だから、六月だからと云って、別に異なる所はありません。でも我々には果して何の異なる所もありませんでしょうか。

試みに思いなさい。春の花でも秋の紅葉(もみじ)でも、照り輝く昼の太陽でも、()え渡る夜の月でも、若し一生に、一度か二度かしか見られないものとするならば、人はどんなに驚きもし、感心もし、何時まで見ても()()かぬ心地がするでございましょうか。然し花にせよ、紅葉(もみじ)にせよ、日でも月でも、年々歳々之を眺めて、眺め慣れてしまった結果、格別珍しいとも思わないのであります。聖母の御親切も、それと同じで、我々は始終その御惠(おめぐみ)の露に(うるお)って居ます。御情けの雨に浸って居ます。為にだんだん感じが鈍って来て、今では早や何でもないものゝ如く、否、(むし)(それ)が当然すぎた当然だ位に考える様になって来て居ませんでしょうか。だから時には変わった事が起り、我々の眠った眼を()まし、冷えかゝった心を温めてもらう必要があります。五月を以て聖母月と定め、之を全く聖母に(ささ)げて、その御光栄を歌い、その御情(みなさ)けを讃め(たた)え、熱く熱く聖母を愛し、以て一年中、聖母に戴いた御惠(みめぐみ)を感謝すると云う習慣が、信者間に起ったのも実に之が為ではありますまいか。

(3)− 次に五月中は、深く頼むの心を以て聖母に祈ることにいたしましょう 母たるものは何時でも我が子を愛し、之が世話を焼き、之に(なさけ)を掛けたいと思って居ます。然し特別の(なさけ)、特別の親切になると、自分の誕生日だとか、病気の全快祝いだとか云う様に、何か特別の機会を待って之を与えようとするものであります。

所で五月は聖母の月であります。全世界の子女(こども)が競って御膝元に集って来る聖母の喜ばしい大祝祭であります。殊に今は(めでた)い御復活節でありまして、聖母は絶えず「天の元后喜び給へ」と歌われ、御子の御復活を非常に喜んで居られます。折も折りとて我々が御前(みまえ)に集って、心からその御光栄(みさかえ)を歌い、その御喜びをお祝い申上げるのですから、聖母も必ず御満足に思召されて、如何なる願いでも易々とお聴容れ下さるに相違ありません。で今月ばかりは是非とも熱心に祈りましょう。聖母の御情(みなさけ)御力(みちから)とを思って、疑わず(おそ)れず熱心に祈りましょう。心を改めなければならぬならば、必ず今月中に綺麗さっぱりと改め得る様、罪の機会(たより)(とら)われて居るならば、必ず今月中にその危い綱を切り棄てる様、誘惑(いざない)を打破らなければならぬ、艱難と闘わなければならぬ、憂苦(うれい)悲哀(かなしみ)や心配やを快く(たえ)(しの)ばなければならぬ、我が親を、我が子を、我が夫を、我妻を、我が親戚朋友を罪の中から救出(すくいだ)して、善の道え引戻さねばならぬならば、必ず今月中に其れ等の御惠(おめぐみ)(かたじけな)うし得る様に祈りましょう。熱心に祈りましょう。五月(うる)(さい)と思われるほど繰返し繰返し祈ることに致しましょう。聖母は五月蝿(うるさ)く願われるのを何よりもお喜びになります。決してそれを御迷惑に思召し給う様なことはありません。

(4)− (つい)に五月中は務めて聖母に(のっと)ることにいたしましょう 聖母は美しい「正義の鑑」で、あらゆる徳に(ひい)で給うのですから、如何なる身分、境遇の人でも、之に(のっと)ることが出来ます。幼児(おさなご)も、青年も、処女も、夫婦も、()(もめ)も、聖母の御鑑(みかがみ)の前に立つと、それそれに心の顔が見える、何を削り、何を加え、何処を改め、何処を飾って然るべきか、(はっ)(きり)と分って来る。聖母は平生(へいぜい)から「私に(なら)いなさい、私を手本としなさい」と絶えずお勧めになるのですが、然し五月中は、一層声を励まし、力を()めて強く(はげ)しく熱心にお叫びになるのであります。されば我々も殊更ら注意深い目を()げて、聖母を仰視(あおぎみ)、熱心な耳を(そばだ)てゝそのお勧めを聴き奉ることに致したいものではありませんか。

聖母の祭壇に飾り付けてある色様々の花は、聖母の無罪の清さを、その御徳の美しさを語り、聖母の御前(みまえ)(とも)されてある灯明は、その御胸に燃立てる愛の(ほのお)を見せて居ます。で我々も聖母を愛したいならば、願いの旨を聴届けて頂きたいならば、是非とも聖母に(のっと)らねばなりません。聖母の如く心を清くし、言葉を慎み、行為(おこない)順良(すなを)にし、進退動作、一つとして胸中(むねのなか)に燃え立てる主の愛熱の反映たらざるなしと云う迄に至らなければなりません、そうなりましたら、きっと聖母の御愛顧を(かたじけな)うし、願う所は必ず聴かれ、望む所は必ず与えられるに相違ありません。

 

(ニ) 聖 母 の 清 浄 に 則 り ま し ょ う

 

(1)− 聖母月となりました!めでたい聖母月となりました。百花(もろもろのはな)は紅に、千草(さまざま)万樹(のくさき)は緑に、ふわりと白絹を引きはへた様な(かすみ)、お母さんの温かい手に撫でられる様な日の光!蝶々のひらひら、雲雀(ひばり)のチチロ!すべてが聖母マリアの無罪の清さを、諸徳の光を、優しい御情(みなさけ)を称えて居るかの様ではありませんか。で皆さん、この楽しい五月を、この美しい聖母月をば心から祝し、口を極めて聖母の御名を称え、その美徳を仰ぎ、その御情(みなさけ)を祈り、その御鑑(みかがみ)(のっと)りたいものであります。我が身までが花の春の如く、若葉の五月の如く、美しく照りはえ、若やかに(よみがえ)りて、「(この)母にして(この)子あり」と云われ得るに至りたいものではありませんか。

(2)− 特に聖母マリアを清浄(しょうじょう)典型(かがみ)と仰ぎ、その保護者と頼む様に致したいものであります・・・。当世の人々は得て淫蕩(いんとう)に流れ、放縦(ほうじゅう)醜猥(しゅうわい)(はし)りたがる傾きがあります。この悪弊(あくへい)を矯正し、神聖にして(いさぎよ)い、清浄(しょうじょう)無垢(むく)な美風を作るには、どうしても聖母を典型(かがみ)と仰ぎ、その御保護に(すが)るより外はありません。

聖母は実に清浄(しょうじょう)典型(かがみ)であります。聖人等は口を極めてその心の清さを、その無原罪の御やどりを賛美して、「聖母は汚れなきもの、何処から見ても汚れなきもの、無罪なもの、極めて無罪なもの、(きず)なきもの、何から云っても(きず)一つなきもの、聖なるもの、あらゆる罪に至って遠ざかれるもの、全く清い、全く汚されない、清浄と無罪の姿その物、美その物よりも更に美なるもの、(えん)その物よりも更に(えん)なるもの、聖その物よりも更に聖なるもの、ただ(ひと)り聖にして、魂も体も至って美しく、すべての無瑾(むきず)、すべての童貞美を遥かに超越し、ただ(ひと)り聖霊のすべての聖寵の(すま)()たり、神を除けば、ただ(ひと)り万物の上に高く抜出(ぬきん)で、ケルビンにもセラフインにも超越し、諸天軍よりも美しく、華やかに神聖にして、天上の声も地上の辞も十分に之を賛美するに足りないのである」等と言って居られます。

(3)− ()(かく)、聖母は清浄の典型(かがみ)であります。天上天下の万物が(ことごと)く舌となっても、その清浄(しょうじょう)の美を稱讃(しょうさん)するには足りません。然し聖母は清浄(しょうじょう)典型(かがみ)たると共に、またその保護者であります。()(せい)()(けつ)の聖母にたいする信心は、人を清浄(しょうじょう)ならしめるに(あづか)って大いに力あるものであります。然り、聖会は無原罪の聖母にたいする崇敬(すうけい)を以て男子を教育し、以て女性を相当に尊重せしめ、女子には己が品位を認めしめ、決して男子の玩弄物(おもちゃ)を以て甘んずべからざる所以(ゆえん)(さと)らしめました。

殊に青年処女を激励して、身も心も清浄無垢に保たしめるのに、聖母崇敬(すうけい)は如何に効果著しきものでありましょうか。青年時代は男女何れも意馬心猿(こころ)の暴ばれ出す時であります。情欲の盛んに燃え狂う時であります。愛情が目醒めて来る時であります。(やや)もすると人を盲目(めくら)になし、気狂いになし、乱痴(らんち)()になし、前後の考えもなく、左右に顧慮(こりょ)する所もなく、父母教師の諌言(いさめ)も、忠告も、世間の、物笑いも一切耳に入れないで、不潔な泥の中へ跳り込まそうとする時なのであります。

この恐るべき大暴風の中に、よく己を制し、固く志を(とり)(まも)って失わしめず、身も心も清浄無垢に保たせ得るものは、ただ清浄の鑑たる聖母マリアではありませんか。その聖母マリアに対する熱い信心、誠意(まごころ)からの信心ではありませんか、聖母を平素の理想と仰ぎ、日夜その美しい理想に近づきたいと務める一方から、熱心こめてその御保護を求めて止まなかったら、必ず清浄無垢、玲瓏(れいろう)玉の如き青年処女となること出来るのは、疑いを容れない所であります。

(4)− この(めでた)い聖母月に当って、我々の希望する所、真正(ほんとう)なキリスト教徒のあこがれとする所は、実にそれであらねばなりません。要するに、我々はこの(めでた)い五月に当って、毎晩多数(あい)(ひき)いて聖母月のお務めに(あずか)り、聖母の御像の前に(ひざまず)き、その御光栄(みさかえ)を歌い、御惠を感謝し、子たるの情を尽くしましょう。然しただ聖母月の御務めに(あずか)り、その御光栄(みさかえ)を歌うだけでわ足りない。出来るだけ聖母の御徳に(のっと)り、()けてその清浄(しょうじょう)無垢(むく)(かがみ)として、身を花となし、心を芳香(かをり)となし、我々の態度が直ちに聖母の御光栄(みさかえ)となり、御惠(みめぐみ)の感謝となる様、(つと)めたいものであります。

 

(三) 聖  母  月  の  心  得

 

(1)− 五月は聖母マリアに捧げられた月であります 全世界の信者は、何れも本月中、平生に倍して、聖マリアを尊敬愛慕するのでありますが、聖母の(いと)(いさぎよ)聖心(みこころ)に奉献せられている日本の信者は、一層の熱心を表し孝子の真情を披瀝せねばなりません。実に聖ベルナルドも(のたま)へる如く、聖母は「天主の至聖なる傑作」で、如何に鑑賞しても鑑賞し尽くせぬ品位と徳性とを(そな)えさせ給うのであります。天国の比類なき善美を()て居られる大天使ガブリエルでさへ「(めで)たし聖寵に()てる者よ」と()め奉ったのでありますから、我々も及ぶ限り、特に今月中、聖母の品位、特権、御徳を黙想し、心を傾けて聖母を敬い愛し、之に(より)(たの)みたいものであります。

(2)− さて聖会は何故五月を聖母に捧げたのですか それは先づ全世界に亘り 少なくも北半球では この月ほど自然界が最も美しく(よそお)われる月はないからであります。

(その)には、薔薇(ばら)や、芍薬(しゃくやく)豊艶(ほうえん)(きそ)い、野には千草の花が色とりどりに咲きほころび、遠近(あちこち)の山々は(うらら)かな陽光(ひのひかり)新鮮(あざやか)(みどりの)(ころも)を輝かして居ます。聖会はこの自然界の美を聖母の御眼の前に展開して、その(とうと)微笑(ほほえみ)を得たいとするのであります アベルが見事に育った(こひつじ)を奉献して、天主様に嘉納(かのう)せられた如くに 加之(しかのみならず)、天然の美は自ら人の心をあげて天国を慕わせ、浮世の花は永遠の太陽、その太陽の光に花と咲き匂う諸聖人、特に諸聖人の元后たる聖母マリアを仰がせるものであります。なお「薔薇の花は聖母の愛を、百合の花はその潔白を、橄欖(かんらん)の花はその柔和(にゅうわ)(かたど)る」と聖アンブロジウスが云って居られる如く、聖母の御絵、御像の前に献げる千紫万紅(さまざまのはな)は、その御霊魂に咲き(こぼ)れて居る聖徳を偲ばせるのであります。

次に五月は誘惑の多い月だからであります。(しか)り、五月は生命の最も盛んに躍動する月で、樹液が流動して花となり、実となり、枝葉(しよう)の伸長となるが如く、人体に於いても血液は脈々として流れ、特に青少年の心身に異常の変化を来し、種々邪慾の発動を促し始めるのであります。(この)(とき)に当って、露ばかりも世の汚濁(けがれ)()れ給うたことのない聖母を仰ぎ、その()()たるの情に()り頼むならば、傲慢(ごうまん)憤怒(ふんど)、肉慾等の挑発が如何に激しくとも、これをよく(しりぞ)けて、謙遜(けんそん)柔和(にゅうわ)清浄(しょうじょう)(とり)(まも)り、身を高潔に保つことが出来るのであります。

(3)− 聖母月の起原 この勤行(つとめ)は十九世紀の初葉(はじめ)、ローマはイエズス会の学校に始まったのであります。同会のラロミア師は校内に青年会を組織し、之を無原罪の聖母の御保護の(もと)に置きましたが、五月中その御保護を一層豊かに蒙れる様、毎日放課後、会員を集めて説教をなし、聖歌を歌い、祈祷(いのり)就中(なかんずく)コンタスを(とな)へさせました。それは一八一二年のことでしたが、其の後この勤行は迅速にイタリア、フランス、スペインに弘まり、一八一五年には教皇ピオ第七世の認可があり、同時に毎日この信心を(つと)める者に三百日の分贖(ぶんしょく)(ゆう)と、月一回の全贖宥(ぜんしょくゆう)が与えられたのであります。それから次第に全世界に普及し、今日は何れの国でも、香り(ゆか)しき白百合は、聖母の祭壇に手向(たむ)けられ、信者等は先を争って聖母の頌栄(さかえ)を歌うことになって居るのであります。

(4)− 本月中の心得 「天主の()(せい)なる傑作」にて(ましま)す聖母はまた(かたじけな)くも我々の霊的御母でもあります。イエズス様は十字架の上から御母マリアと愛弟子ヨハネとを御覧になり、御母に向い、「婦人(おんな)よ、是れ汝の子なり」と(のたま)い、次に聖ヨハネに向い「是れ汝の母なり」と仰せられて、親子の縁を結ばせなさったのでありました。此の時ヨハネが全人類の代表者であったことは、聖会の教える所であります。我々は衷心(ちゅうしん)よりこの聖なる縁を天主様に感謝すると共に、聖ヨハネが其の時より「イエズスの母を我が家に引取った」如く、聖母マリアを我々の家庭にも、心の(うち)にも迎えて、之に尊敬と愛と信頼とを表し奉る様、(つと)めなければなりません。

(5)− 尊敬 善良なる天性を()け、種々の長所、美点を備へ、偉業を成就(じょうじゅ)し、大功を立てた崇高(すうこう)なる人格者に接すれば、人は誰しも粛然(しゅくぜん)として、襟を正し、これを尊敬するものである。今聖母の聖心(みこころ)は無原罪の御やどりによって、玲瓏(れいろう)一抹(いちまつ)陰翳(くもり)なき玉の如く、其の身は聖寵に(みち)()ち、救世の大事業はその御協力を以て(まっと)うせられたのであります。あゝ如何に高く、清く、聖く、偉大なる人格者に(ましま)すよ。加之(しかのみならず)、聖母は天使の元后、天主の御母に(ましま)す。愛らしく咲きほころびた花も、(やが)ては(しお)れて散り失せる、我々の運命もこの小さな花のようでありますが、然し慈愛深き御母マリアの御前(みまえ)(うなじ)を垂れて、(かす)かな祈りの香を献ぐる可憐な花となるならば、祝福の御手(みて)が我々の上に(かざ)されるのは疑いを容れざる所であります。

聖母を特に(すう)(けい)せし聖ベルナルドは、その御像(ごぞう)御絵(みえ)の前を通る毎に、「(めで)たしマリア」と()め奉るのを常とするのでありました。或年ベルギー国アフリゲム修道院を()い、聖母の御肖像の前で不断の如く「(めで)たしマリア」と(とな)え奉ると、聖母は突然「(めで)たしベルナルド」と(こた)へて、これを賞し給うた。聖母は同じ様に我々の貧弱な崇敬(すうけい)に対しても天より(こた)へ給うに相違ないのであります。

(6)− 肉親の母が我々に自然の生命(いのち)を与え、我々を愛護、養育してくれるように、聖母マリアは「天主の聖寵の御母」に(ましま)して、我々に超自然の生命(いのち)を与え我々の上に御眼を注ぎ、愛し、(いつくし)み給うのであります。この貴き母性愛に報い奉るが為、我々も聖母を仰ぎ、子たるの愛を表し、聖マリアの連祷(れんとう)(とな)えて「天主の聖母、基督(キリスト)の御母、天主の聖寵の御母・・・」と申し上げる時、一層愛情を起したいものであります。又、本月中は夕の祈祷(いのり)の中ばかりでなく、日中も(しばしば)々これを(とな)えたい、幼き子供の些細(ささい)な善意にも(すこぶ)る敏感なのは母であります。聖母の御心(みこころ)も矢張りその通りで、次の聖ビアンネー伝中の逸話(いつわ)はよくこれを証明してます。フランスのナンシー市の一婦人は無信仰な夫の改心を祈り、折々は言葉を以ても信仰心を(よび)(おこ)すよう努めるのでありましたが、年も(なか)ばの六月、その夫は急病の為、秘蹟も何も受けないで、そのまゝ死んでしまいました。彼女は痛心(つうしん)哀愁(あいしゅう)の余り、寝食も(ただ)ならず、遂に自らも病気になり、家族に転地療養を命ぜられ、南、地中海沿岸へ旅起ちをし、リオン市を通る(ついで)に、切ない心を抱きつゝ聖ビィアンネーを訪問しました。聖人は未亡人を見るや否や、「貴方は悲しみに沈んで居ますね。貴方は早やあの花束、あの聖母月中、毎日曜日献げた花束のことをお忘れになりましたか。天主様は貴方の祈りを聴き、聖母を尊んだ御主人を(あわれ)み下さいました。御主人は死去の瞬間に痛悔(つうくわい)せられ、御霊魂は今、煉獄に居られるのです。我々の祈祷(いのり)と善業とを以て救い出しましょう」と申されました。夫人はこれを聞いて深く深く驚き入りました。なるほど夫は死去の前月、即ち五月中、毎日曜日、郊外散策の折、自ら花を摘んで持ち帰り、之を花束にして彼女に与え、聖母の小さな祭壇に捧げさしたのでありました。本月中、我々もなるべく聖堂内に行われる聖母月の勤めに(あずか)り、又、自宅にも聖母の御像(ごぞう)御絵(ごえ)を飾り、美しい花を献げ、家族打ち揃って、御母を讃美したいものであります。

(7)− 信頼 我々の聖母に対する尊敬と愛とは、信頼を伴わなければなりません。

聖母は子たる我々の安和(あんわ)と幸福とを御心(みこころ)にかけ、愛育の御手(みて)を休め給わぬのであります。で我々の聖母にたいする態度は、世の人が英雄を尊崇(そんすう)するが如く、芸術家が名画を愛賞するが如くでありたいものであります。彼等の尊崇(そんすう)する英雄は、暗い冷たい墓穴の囚人であり、名画は我が心を知らぬ巨匠の余喘(よぜん)にすぎない。聖母は生きて(ましま)し、我等を見、我等に聞き、保護と慰安とを与え給うのであります。

マリア会の創立者シャミナート師はこの世の荒海を渡る我々の霊魂の水先案内者はイエズス様であり、その船長はマリア様である」と申されて居ます。人生は(もろ)く、危難の波は高い。誠に「板子一枚、下は地獄」の感なきを得ない。けれどもイエズス様は御自分の神聖な言行を以て、天国を指示(さししめ)し、水路を定め、秘蹟を以て力を与え給う。聖母は聖寵の分配者、キリスト信者の扶助(たすけ)(ましま)して、天国を見失わず、水路を誤らないよう配慮し給い、不幸にして罪の深みに沈み、誘惑の暗礁に乗り上げることがあると、救いの板となり、助の綱となり給うのであります。

聖母は霊妙しくも、御在世中、人生のあらゆる喜憂(きゆう)禍福(かふく)を体験し給うたのでありますから、如何なる境遇の人も、己が心中を聖母に訴えて、理解と同情とを求めることが出来ます。少年少女は聖ヨハキムと聖アンナの膝の上なる聖母を、青年処女は最も(いさぎよ)き処女たる聖母を、多忙になやむ中年者は、家政にいそしみ給う聖母を、頼りなき老人は寡婦(やもめ)たる聖母を思うがよい。其の他、聖マリアの連祷(れんとう)味読(みどく)すれば、各種各様の境涯(きょうがい)に保護者と頼み奉るべき聖母を見出すでありましょう。

先ず人の父たり母たる者は、「キリストの御母」たる聖マリアを(ゆう)して居ります。聖母は立派に養育の大任を果し給うた。聖ルカ福音史にはイエズス様の御発育を述べて、「斯くて、イエズスは智慧も(よわい)も、神と人とに於ける寵愛も、弥増(いやま)()給へり」と記してあります。この一句は、よく教育の理想を(つく)して居ると云うものではありませんか。

さて聖会は洗礼の時、嬰児(おさなご)の霊魂に信仰、即ち超自然的生命の原動力を与えて、父母にかえし、その信仰を擁護し、之を助成するの大任を父母に負わせるのであります。故に父母たる者は、己が責任の重大なるを心に刻み、教育の理想を片時も忘れてはなりません。

現教皇陛下は特に教育に御関心あそばされ、(しばしば)々全世界の人々、就中(なかんづく)信者の注意を喚起(よびおこ)して居られます。我々は特にキリスト教的教育者としての自覚を新たにしなければなりません。別けても誘惑の多い、所謂(いわゆる)人生の動揺期にある子女(こども)を有する両親は、誘惑を未然に防ぐよう配慮すると共に、之が指導誘掖(ゆうえき)を怠りてはなりません。

次に誘惑にかゝって居る者は、「良き訓誨(すすめ)の御母」、「上智の座」なる保護者を有します。最近、聖人に列せられ、聖会博士を(おく)られた聖人アルベルトは、十六才の時、修道者を志願して、ドミニコ会に入られたか、学問の出来が悪く、遂に落胆して、一夜、窓から梯子を卸し、逃出そうとしました。すると突然聖母が梯子の上に御出現(おあらわれ)になり、「アルベルト、汝は何になる心算(かんがえ)であるか」とお訊ねになりました。アルベルトは、率直に事の次第を申述べると、聖母は「汝の学問というのわ、神学であるか、或は自然哲学であるか」と問われるので、アルベルトは自然哲学なる由を答えました。すると聖母は「汝の望を(かな)えて上げよう。汝は名高い学者となるであろう。然しこれは全く我が汝に授ける(たまもの)たる証拠として、汝は晩年に至って突然その学識を失うであろう」と仰せられました。果してアルベルトは、当世にその名を高く(うた)われる程の大学者となりましたが、逝去前三年、ケルンにて説教中、急に智慧が(くら)み、云う所を知らず、漸く聖母出現の次第を述べて、其の場を去られた、と云うことであります。

勿論、聖母は誘惑の時、我々に出現し給うことはあるまいが、それにしても愛護を()れ給うことは間違いのない所で、聖母は各人各様の誘惑に対して光となり、力となり、勇気、忍耐とを(たま)うのであります。

又、不幸にして、罪に(おちい)り、良心の呵責(かしゃく)(もだ)え、イエズス様の御怒(おいか)りを恐れるならば、「罪人の依托(よりどころ)」なる聖母に()(すが)るがよい。聖母はその優しい御執(おんとり)(なし)を以て、御子の義憤(みいかり)(なだ)め、霊魂の乱れを鎮め、救済(たすかり)を得せしめ給うのであります。

(なお)又、我々は心の悩みの外に、肉身上の病苦、患難(くぁんなん)に泣くことがあります。誠に人生は喜びの中の涙であり、涙の中の喜びであります。然し聖母は「憂人(うれひと)(なぐ)(さめ)」であり、「病人の快復」であります。ルルドの出来事を以ても、聖母の慈悲深き御心情(おんこころばせ)を伺うことが出来ます、聖母はこゝに於いて憂愁(うれい)を消し、(なや)()を救い、病患(やまい)(いや)し給うて居られます。

更に聖母は我々の生命の終焉(おわり)を保護し給う。聖ヨゼフの臨終(りんじゅう)の床に付添い、御子イエズス様と共に一切の事に心を配られました聖母は、「今も臨終の時も祈り給へ」と熱心に祈る我々を()()け給わぬはずがありましょうか。これに()いての聖母の御約束は、信者のよく知る所で、聖母の下僕(しもべ)は亡びないのであります。斯くて「天の門」たる聖母は、天国の扉をその下僕(しもべ)の為に開き、永遠にその光栄(さかえ)となり給うでありましょう。

幼きイエズスの聖女テレジアは、病床にあって度々聖母の御像(ごぞう)をながめ、清い慰めを覚えるのでありました。一夜(あるよ)彼女は叫んで申しました。「あゝ私は如何にも(はげ)しく聖母マリアを愛します・・・。聖母は時として、その美徳に(なら)う事が出来ないほど優れて(ましま)すかの如く人々に見做(みな)され給うのです。然し(かえ)って之に(なら)う事が出来るよう見做(みな)さねばなりません。

聖母は女王よりもむしろ慈母であります。()の太陽が出ると、(すべ)ての星の光を(おお)うが如く、聖母の御光栄(みさかえ)は諸聖人の光栄(さかえ)(おお)うという事を聞きました。是はどうも合点の行かぬ言葉であります。慈母にして、小児(こども)光栄(さかえ)(おお)うとは、如何にも変であります。私は之と反対に、聖母は諸聖人の光栄(さかえ)を大いに輝かし給うという事を信じます」と。

(あじわ)うべき言葉ではありませんか、()(かく)、我々は五月中、熱心に子供心の誠を尽くして聖母を尊び、愛し、之に()り頼みたいものであります。

 

吾  主  の  御  昇  天

(一)

 

(1)− イエズス様は御復活後、暫く現世(このよ)に留まりて、弟子等を慰め、教え、導き給うのでありましたが、四十日目になると、彼等を伴って橄欖山(かんらんさん)に登り、最後の暇を告げ、祝福を与えて、除々(しづしづ)と天にお昇りになりました。弟子等は嬉しいやら慕わしいやらで、一心に天を(あおぎ)()て居ると、やがて(ひと)(むら)の曇に包まれて、御姿は見えなくなりました。見えなくなりましても、猶、慕わしさの余りに天を打ち眺めて居たものですが、折しも白衣を(まと)える二位の天使が(あらわ)れて「ガリレア人よ、何ぞ天を仰ぎつゝ立てるや、汝等を離れて天に上げられ給いし此のイエズスは、汝等がその天に往き給うを見たるが如く、(また)()くの如くにして来たり給うべし」と言いましたので、弟子等は漸く山を下ってエルザレムへ還りました。

(2)− さてイエズス様は何の為に天にお昇りになったのでしょうか。それは第一我が身に光栄(さかえ)()けるが為でした。イエズス様は天の高きを降ってベトレヘムの馬屋に生れ、ナザレトに(いや)しい職業を営み、(つい)にカルワリオは十字架の上に御命を果されたのですが、其の間に()めさせ給うた艱難、苦労、侮辱(はずかしめ)といったら、心も(ことば)もなかなかに及ぶ所ではないのでありました。さすれば今日その報いを受けさせ給うのも当然なことではないでしょうか。現世で(いや)しめられ給うた()け、光栄(さかえ)()け給い、今まで下へ下へとお降りになりましただけ、今は上へ上へと挙げられ給うのであります。今日我々は心を傾けて主の御昇天をお祝い申上げねばならぬ、(もろもろ)の天使聖人等と心を合せてその()光栄(さかえ)を歌い奉らねばなりませんが、又それと共に、我々もイエズス様の如く天に昇って、光栄(さかえ)(かたじけな)うしたい、(たの)(しみ)(ほしいまま)にしたいと思わば、亦、イエズス様の如く、現世(このよ)で艱難苦労を堪え忍ぶ覚悟であらねばなりません。「キリストは此等の苦しみを受けて、(しか)して己が光栄(さかえ)に入るべき者ならざりしか」(ルカ24ノ26)と自らものたまうて居る。両手に花は握られぬ、現世(このよ)でも愉快をしよう、後の世でも楽しもうと云うわ、余りにも虫の()い話であります。

(3)− イエズス様の天に昇らせ給うたのは、我々の為に処を備えて下さる為でもありました。「我、汝等の為に処を備えんとす」と明かにお約束になりました。イエズス様がこの(ちり)の世に降って、あらゆる苦しみを耐え忍び、十字架上に御死去なさいましたのは、我々を天に昇せる為でしたから、今、天にお昇りになりましても、決して我々のことをお忘れになりません。御自分の蒙られた御傷を御父に示して、我々の為に伝達(とりつ)いで下さいます。「私は此人の為に是れほどまで苦しみました、是れこの通りに傷を蒙りました、此の苦しみに対しても此人を(あわ)れんで下さい、此傷に対しても此人にお赦し下さい」と祈り給うのであります。それのみならず、イエズス様は御約束の如く、我々の為に処を用意して下さる、我々の上に始終御眼を注ぎ、我々の行います善業や、忍びます艱難苦労やを一々拾い上げて、我々の座を飾る真珠ともダイヤモンドともして下さる、随って我々が一つの善を行うと、一つの真珠が増し、一たび艱難、苦労を堪え忍ぶと、一つのダイヤモンドが()える、善業が多ければ多いほど、真珠の飾りも多くなり、艱難苦労を堪え忍ぶことが数重なれば数重なるほど、ダイヤモンドも加わる訳であります。だから我々は何時も眼を上げて天を眺め、罪人は「自分の為にかゝる伝達者(とりつぎて)が天に(ましま)す」ことを思って頼母しい心を起し、善人は一寸した善を行い、一滴の汗を流すにしても「是れは天国の座を飾るべき真珠だ、ダイヤモンドだ」と思い、喜んで之を耐え忍ぶようにせねばなりません。

 

(4)− イエズス様の天に昇らせ給うたのは、我々の心を現世(このよ)より引離す為でもありました もしイエズス様が何時迄も現世(このよ)にお(とど)まりになりましたら、人は天国を忘れて現世(このよ)のことばかりを思うようになったでございましょう。現に弟子等の中にさへ、御昇天の其の日迄も、イエズス様が(この)()の王となり給うものゝ如くに考えて居るものがありました位・・・()(かく)、イエズス様は我々の心を高く引上げ、天上を望ませる為に、天にお昇りになったのですから、我々は今より絶えず天を眺めることにせねばなりません。我々の為に現世(このよ)は旅の空で、(まこと)故郷(ふるさと)は天国である、天には父のイエズス様も、母のマリア様も、兄弟たる天使聖人等も(ましま)す、天には云うに云はれぬ幸福(さいわい)(みなぎ)り、快楽(たのしみ)が流れて居るのですから、一日でも忘れてならないのは天国であります。

(5)− 遠い外国に旅をして居るものは、風の(あした)にも雨の(ゆうべ)にも、始終自分の国を思い、自分の家を慕い、旅の空で幾ら珍しい、楽しいものを見聞きしても、それで自分の国や自分の家を忘れるものでない。その外国の(ことば)や風俗や習慣やは、自分の為には何となく(へん)(てこ)で、何うしても自国のそれのようにはない、と感ずるものである。然らば我々も幾ら現世(このよ)幸福(さいわい)が得られようと、快楽(たのしみ)が味はわれようと、それに心を奪われて天国を忘れてはならぬ。幾ら此の世に親しい友が出来ても、それに曳かされて、天の父母兄弟を懐かしがらぬようになってはならぬ、此の世の人の言うことは、此の世を愛する人のすることは、何うもそれは外国の(ことば)、外国の風俗、習慣で、自分には全く(ちん)プン(かん)だ、何が何やら、さっぱり分らない位にならなければならぬのであります。

唯だ一通りの旅人ではない、金働きの為に外国へ往って居る人ならば、出来るだけ早くその金を働き出して帰国したいと思うものである。父母なり、兄弟なりも、亦、(しばしば)々書面を送るか、伝言(ことづけ)をするかして、「早く成功して帰れ」と勧めてくれる。旅人の身に取って、其の書面を読み、其の伝言(ことづけ)を聞くのは何よりの楽しみで、少しでも長らく書面を受けない、伝言(ことづけ)も耳にしないと、云い知れぬ寂寞(さびし)さを覚えるものであります。我々も同じく然うで、此の世に来たのは(たす)(かり)を働き出す為であります。そして我々の為に説教は天主様の御伝言(おことづけ)で、宗教書はその御書面ですから、我々は説教を聴いたり、宗教書を読んだりするのを何よりの楽しみとし、暫くでも読みもせず、聴きもしないで居ると、何だか言い知れぬ寂寞(さびし)さを感ずる位にならなければなりません。

(6)− 若しそれ外国に苦労をして居る中に、懐かしい父母の写真か、何かの記念品かでも手に入るならば、心は何時の間にか我が親の膝下(ひざもと)()せ行き、之と親しい(はなし)を交えるかのような思いがして、身は遠い遠い外国に()ることすら忘れるようになるでございましょう。イエズス様が我々にお(のこ)し下さいました聖体の秘蹟は、ただ懐かしいイエズス様の写真たり、記念品たるに止まらずして、実にイエズス様御自身であるから、我々は成るべく(しばしば)々この聖体を拝領し、思いも望みも愛情も残らずイエズス様に(ささ)げて、口にはイエズス様の聖名(みな)(とな)へ、心にはイエズス様の愛を思い、之によって浮世の(たから)や楽やを軽んじ、之によって身に降りかゝる艱難苦労をも耐え忍び、之によって益々罪に遠ざかり、いよいよ善に親しみ、一度は天の御国に昇るの幸福が得られるよう、努めなければなりません。

 

(ニ)  心  の  昇  天

                           

御主(おんあるじ)は御昇天になりました。我々も一度は必ず昇天しなければならぬ。ですが死後天に昇るに()うべきものとなるには、今の中に心の昇天をする必要がある。然り、基督信者の生活は不断の昇天であらねばならぬのであります。

(1)− 基督信者の生活は精神の昇天であらねばならぬ 精神の昇天とは、つまり思いを()せて天に昇ることで、基督様も「汝等先ず神の国とその義とを求めよ」(マテオ6ノ33)とお命じになりました。何はさて()き、先ず天国と、その天国の門を開く為の鍵とも()うべき徳を思え、と云う意味ではありませんか。それは亦、当然のことで、我々がもしこの世の為に造られたものとするならば、専らこの世のことを思い、この世の為に働くこそ然るべきでありますが、然し我々の精神や感情や内心のあこがれは、絶えず我々を高く世物の上に引き挙げ、この世の何物たりとも決して我々を満足させ得るものでないと警告して居るのであります。実際、不滅な霊魂、神がその(おもかげ)を刻み付けて置かれた不滅な霊魂に取っては、財宝や、名誉や、快楽(たのしみ)や、そんな物が果して何でございましょう・・・。

(2)− 基督信者の生活は情の昇天であらねばならぬ 聖アウグスチヌスのいわれた如く、主は天にお昇りになったのですから、我々の心も共に天に昇らなければならぬはずでしょう。我々の宝の在る処に心もまた在る。我々の心、即ち我々の感情も、願望(のぞみ)も、愛もまた其処(そこ)に在るのが当然でしょう。今、我々の宝は何処(どこ)()りますか。この世!この世の宝や、楽しみが如何に大きいにしても、我々の心からすると、限りもなく小さいのじゃありませんか。何うして之を宝とするに足りますでしょう?。だから我々は断然この世より心を解脱(げだつ)させねばならぬ。御昇天は全く解脱(げだつ)の祝祭であります・・・然うです、我々の宝、真の宝、錆も(むし)も喰い(やぶ)らず、盗人も穿(うが)たず、盗まざる真の宝は天国に在り、天主様であります。言うべからざる(さい)(わい)を備えて、(えらび)を受けし人々をお()ちになって居る天主様それ自身であります・・・ですから、我々はこの唯一、真実の宝を愛し、心より之を望み、之を(こいねが)い、之に(あこ)()れる様に致しましょう。

(3)− 基督信者の生活は善業の昇天であらねばならぬ なるほど我々は思いを以ても、情を以ても、天に昇らねばならぬが、特に善業を以て、善業を梯子(はしご)として天主様にまで辿(たど)り着く様、務める必要があるのであります・・・兎に角、(たす)(かり)を得たい、天に昇りたいと欲せば、徳の業を行いましょう。我々の師にして且つ君にて在すイエズス、キリスト様の御鑑(みかがみ)(のっと)りましょう。イエズス、キリスト様の謙遜、その柔和、その忍耐、その苦行の精神、その博愛、御父の御光栄(みさかえ)を揚げ奉るべくお務めになったその奮発心、是等はすべて光栄(さかえ)の座に就きたいと欲する人に必要欠くべからざる装飾(かざり)であります。鷲が自ら(はん)を示してその雛を飛ばせ、高く高く天上に舞い(あが)らせるが如く、御主もその御鑑(みかがみ)を以て我々の心を引立て、地上の物を離れて、天上に()け上らせなさるのであります。

結論 要するに基督信者としての崇高(すうこう)なる自己の使命に相応(ふさわ)しい、我々の(かしら)と仰ぐキリスト様に相応(ふさわ)しい生活を営まねばならぬ。我々は神の子である。天に昇りましょう。我々の思いの翼に乗りて天に昇りましょう。情の炎々(えんえん)たる(ほのお)(あお)られて、天に舞い上がりましょう。善業を梯子(はしご)とし、絶えず神の御国を目指して昇りましょう・・・。

 

聖  霊  降  臨

(一)

 

イエズス様は御昇天の際、弟子等に聖霊を約束して「我は父の約し給へるものを汝等に(つか)はさんとす。汝等天よりの能力を着せらるゝ迄、市中に(とどま)まれ」といって置かれました。父の約束し給いし聖霊を汝等に遣わすから、其の聖霊を戴き、天よりの能力、即ち聖霊の力を蒙る迄わ静に市中に(とどま)まりて、その準備をして居るようと命じ給うたのであります。使徒等はこの御命令に従いまして、九日間と云うものは、静かな一室に籠って、熱心に祈り、聖霊の降臨を()ちました。我々もこの数日間、使徒等に(なら)い、聖霊を受け奉る準備を急がなければなりませんが、それには

(1)   聖霊の御気に召さないものを遠ざける必要がある 聖霊は聖の聖なる神様で

何よりも罪をお嫌いになるのですから、聖霊に降臨して戴きたいと思はば、罪を避けなければならぬ。罪のある霊魂は、天主様の御眼には如何にも厭らしく、憎々しく(うつ)るのであります。天主様は苦しみに沈んで居る人や、誘惑(いざない)に悩まされて居る人や、悲しみ(なげ)いて居る人やを愛し憐れみ給うのですが、然し御自分に(そむ)き、(ぼう)(とく)を加える様な人を愛するを得給わぬ。我々の身は聖霊の住み給う神殿である。極めて清く美わしくなければならぬのに、もしや大罪でも犯した日には、この聖所に不浄な悪魔を引込んで住はせるのであります。幸い大罪ではない、小罪のみに止るにせよ、猶、それによって、心の家は汚れ、取乱され、聖の聖なる天主様の御住いになるのにわ何うも(ふさわ)しからぬ様になる、そこで何人(だれ)しも胸に手を当てゝ、篤と之を調べ、大罪を犯して居ても、小罪に汚れて居ても、早く之を痛悔(つうくわい)、告白し、立派にその心を掃除して、清浄(しょうじょう)無垢(むく)となさなければなりません。

(2)− 次に聖霊は余りに浮世の事務(もの)(はま)(りこ)む心をお嫌いになる。浮世の(たから)や、誉や、楽しみやと云うものは、たとえそれが直ちに罪と云う訳でないにしても、其れ等に心を奪われてしまうと、聖霊は喜んでお這入り下さらぬ。そんなに色々の事物(もの)が盛んに空騒(からさわ)ぎをやって居る心には、喜んでお住まいにならない。だから聖霊を受け奉るには、使徒等のように、なるべく心を静にしなければならぬ。(もと)より我々とても此の世に住んで居る以上、浮世の事を思わぬ訳には行かないが、せめて朝晩になりとも、静に天主様のことを思うようにし、仕事をしながらも、騒がしい中に出て居る際にも、時としては天主様のことを思い出すように致しましょう。無駄遊びだとか、役にも立たぬ饒舌(おしゃべり)だとかを避けて、じっと天主様の御恩惠やら、自分の罪やらを考えるならば、心を飾り立てゝ聖霊のお住居に相応(ふさわ)しき家となすことは、さして六ケしいものではありますまい。

(3)− そうした上で、聖霊を引寄せ奉るだけの工夫をせねばなりません。使徒等は(ただ)に心を静にし給うたばかりではない。熱心に祈られました。国王が臣下の家に行幸(みゆき)になります時は、必ず色々の恩賜(たまもの)を下さる。聖霊は王の王にて(ましま)し、我々に御降臨になりました上は、如何なる恩寵でも、豊かに惜気なくお与え下さるに相違ありませんが、然し我々の方で、熱く望み、(しき)りに願い出るのを()って然る後、お与え下さるのであります。「汝の口を拡げよ、我、之を満さん」と云って居られる。我々が口を開き、心を拡げて熱心に祈りますと、聖霊もそれに釣り合せて聖寵を賜うと云う意味ではありませんか。考えて見ますと、我々には聖霊の賜が大いに必要であります。我々は(しばしば)心の眼が(くら)んで、(まこと)幸福(さいわい)を偽りの幸福(さいわい)と見誤り、偽りの(たから)(まこと)(たから)と思い誤る、天国と此の世と、終りなき楽しみと一時の(はかな)い楽しみとを取違えるようなことが往々ありますから、是非とも鋭智や、明達や、知識の賜を戴いて、自分の目的は何であるか、何の道から進んだら、安穏に目的の彼岸に到達すること出来るかと云うことを悟らなければなりません。猶、又、目的は分って居る、道も(わきま)えて居ながら、力が弱い為に、誘惑(いざない)の激しい為に、その分って居る目的に向って、その(わきま)えて居る道を進み得ないと云う場合も少なくはありませんので、是非とも剛毅(ごうき)とか、孝愛とか、敬畏(けいい)とかの(たまもの)によって、力が附けられ、天主様を愛し、罪を恐れるの念を深くして戴く必要があるのであります。されば我々も使徒等に(なら)い、この幾日間はなるべく熱心に祈りましょう。朝の祈りを熱心に(とな)へ、ミサを熱心に拝聴して、「心の眼を開けて下さい」と祈り、夕の祈りを怠らず申上げまして、「力を附けて下さい、主を(おそ)(うやま)うの念を深くして下さい」と嘆願いたしましょう。

(4)− 使徒等は聖母マリアと共に祈られました。我々も聖母と心を合せて祈りましょう。殊に今は聖母月であります、なるべくそのお勤めに(あずか)りまして、聖霊を受け奉る準備をさせて下さい、と聖母に嘆願いたしましょう。

(つい)に聖霊は愛の神様であります。彼の柔和な鴿(はと)(なぞ)らへなさるほどに、平和を好み給うのですから、聖霊を受け奉るには、()うしても心を一致和合させねばならぬ。お互いの間が離れ離れとなり、相怒り、相憎み、(そし)り合い、(うら)み合う、と云うようになって居ては、到底、愛の神たる聖霊を(かたじけな)うすること出来る筈がありません・・・

 

(ニ) 聖  霊  降  臨

 

(1)− 聖霊降臨は主の御教が始めて世界に宣伝され、聖会の創設された記念日、実に聖会の紀元節なのである。我々は心をこめてこの記念日を祝し、併せて聖会の賜を豊に蒙ることが出来る様、努めなければなりません。

(そもそ)も聖霊は天主の第三位に(ましま)して、御父とも御子とも等しく天主様である。天主様であるから、色もなければ形もあるべき筈はない。然しながら人間の目に(あら)われたまう時は、色々の形をお借りになって忌ます。其の形をよくよく調べて見ますと、聖霊の賜を戴くが為に、何を為すべきかと云うことが瞭然(はっきり)と分るのであります。

(2)− 先ずイエズス様が洗礼をお受けになりました時、聖霊は鴿(はと)の形を以てお降りになりました。鴿(はと)と云う鳥は清潔を好む鳥で、清潔な処に住み、清潔な食物を食べ、一切不潔なものを嫌うものである。ノエの大洪水の時、水が減ったか否かを知るが為、ノエは烏を(はこ)(ぶね)から出して見ました。然し烏は帰らない、次に鴿(はと)を出しましたが、鴿(はと)は足を(とど)むべき所を見出さないで、そのまゝ帰って来ました。烏には止るべき所があったのに、鴿(はと)だけは其れを見出し得なかったと云うは、不思議の様であるが、考えて見ると、何にも不思議とするに足りません。烏は不潔な鳥で、不潔な物が大好きです。死骸などを見出したら、喜んで()れに止り、それを(つつ)き廻るのである。其の時はまだ人や獣の死骸が其処(そこ)にも此処(ここ)にも浮んで居たはずだから、烏は是れ幸いと喰いはまって、帰らなかったのであります。之に反して鴿(はと)はそんな不潔なものには止りもしない鳥であるから、そのまゝ(はこ)(ぶね)にかえって来たのでした。

今、烏は悪魔の(かたどり)である。悪魔は「不浄の霊」と呼ばれ、その一番好きなのは汚い罪である。(かえ)って鴿(はと)は聖霊の(かたどり)で、罪の汚れを洗い落した、清い、()綺麗(きれい)な心を愛し、好んでそれに宿り給うのであります。でございますから、心を不潔にさえなせば、何時でも悪魔は這入って来る、喜んで飛び込むのですが、然し聖霊を受け奉るには、極めて心を潔白に、真綺麗に、少しの罪にも汚れない様にしなければならぬ。我々の身は聖霊の住み給う神殿ではありませんか。神殿が清潔であるべきは当然のことでございましょう。

(3)− 次に鴿(はと)は素直であり、跪計(たばかり)と云うことを知らない、だからキリスト様も弟子等に「汝等蛇の如く(さと)く、鴿(はと)の如く素直なれ」(マテオ10ノ17)と仰せられました。

聖霊が同じく然うで、御主も聖霊を「真理の霊」(ヨハネ14ノ17)とお呼びになりました。「真理の霊」ですから、(つくり)(かざ)りとか、跪計(たばかり)とか、二枚舌とか、そんなことを何よりもお嫌いになります。随って聖霊に満たされ、その賜を豊かに蒙り奉るには、誰にたいしても誠実であり、素直であり、淡白であって、万事信仰の精神に動かされ、すべてを信仰の眼で見る、決して誤魔化したり、嘘を吐いたり、二枚舌を使ったりしてはならぬのであります。

(4)− (つい)鴿(はと)は至極優しく、平和を愛する鳥であります。聖霊も其の通りで、平和を愛し、相親しみ、相愛し、相和いで行く人の心に好んで御住い下さいます。それもそのはずで、聖霊は()()と聖()との愛である、愛の天主と呼ばれ給うのであります。この愛の天主様に満たされたら、誰しも愛の火に燃え立たざるを得ないはずでしょう。使徒時代の信者等が心は全く一つになり、苦しみは共に苦しみ、楽しみは共に楽しみ、財産までも売払って一つに集めて暮すと云う位になって居たのは、実に聖霊の賜を溢れんばかりに蒙った結果に外ならぬのでありました。皆さん、今、各自の胸に手を当てゝ考えて御覧なさい。皆さんの心の中に不和や怒りや、怨みやが(ひそ)んでは居ませんか。人と相親しみ、相和ぐと云うことに欠ける所がありませんか。万一、然うでもありましたら、一刻も早くそんなものを取棄てまして、此の後は昔の信者等の如く魂も一つ、心も一つになり、親子兄弟の如く相親しんで往くように努めなければなりません。さもなくば決して聖霊を戴くことも出来ねば、戴いても直ぐ失ってしまうでございましょう。

(5)− 聖霊降臨の日には火の形の下にお(あらわ)れになりました。即ち火の如き舌が(あらわ)れて、使徒(たち)の上に止りますと、彼等はそれによって聖霊に満たされ、全く一変して見違える程の人物となりました。今迄は臆病で、悟りが鈍くて、三年間もイエズス様に親しく教えられながら、一向御教えの真意に通ずることが出来ない、幾ら謙遜の道を教えられても、誰が上でござるの、下でござるのと、醜い争いをなし、イエズス様が捕えられなさるや、見棄てゝ一散に逃げ失せた位、その御復活を見ながらも、なお、ユデア人を怖れて、室内深く閉じ籠って居るのでありました。

然るに一たび聖霊を蒙るや、はっきりと御教えの奥義に通じ、それと共に前の臆病は何処えやら、直ちにユデア人の前に跳り出で、大胆に、勇敢に、御主を殺した彼等の罪を責めて痛悔(つうくわい)(すす)めました。主の御名の為に責められ、鞭打たれると、それを何よりの幸福と喜ぶに至りました。火と云うものは物を変化させる不思議な力を持って居る、火の中に物を入れると、全く火になってしまうもので、聖霊が火の形の下にお(あらわ)れになったのも、御自分のこの特性を示す為であって、使徒(たち)の身にその実例を見ることが出来るのであります。

だから心を全く改める、(ふる)き人を脱ぎ棄て、新しき人を着るべく努めますと、聖霊は喜んで、その心に住み給うのであります。さすれば皆さん、この聖霊降臨を機として心の改善を(はか)りましょう。今まで短気だったならば、是からは忍耐強くなるよう、今まで冷淡であったならば、是からはより熱心になりますよう、今まで人を愛するに欠けて居たならば、以後はより多く、より熱く人を愛する様、今まで霊魂上の務めに怠り勝ちであったならば、是からはその為に十二分の奮発心を持つ様・・・そう務めましたならば、聖霊は必ず喜んで我々の心にお住い下さるに相違ありません。

(6)− 然しまだ其れ()けでは足りません。折角聖霊を蒙りましても、それが唯、二三日の間に止まっては何の役に立ちましょう。聖霊は火の形を以てお現われになりましたから、火と同じく用心しないと消えてしまわれます。火はどうして消えますか、(たきぎ)や油が尽きると消えますでしょう。だから聖霊を消し奉らない為には、熱心に信仰上の勤めを果して(たきぎ)を加え、油をさゝなければなりません。火は風が吹いて来ても消えます。我々も罪の危き(たよ)()に近づき、世間や悪魔の悪い風に吹かれると、何時しか聖霊を消されるに極まって居ます。

ただ聖霊を消さないのみならず、却って益々(さかん)に燃え立たさなければなりません。よく祈り、よく宗教書を読み、(しばしば)悔悛(かいしゅん)や聖体を授かって、心の中にその聖霊の火を(さかん)に燃やした上で、使徒(たち)の如く、之を以て他人までも燃やさなければなりません。自分の家庭に、自分の父母や妻子や兄弟姉妹やを燃やしなさい。友達を燃やしなさい。隣近所を燃やしなさい。口で教えること出来ない時でも、模範を以てしなさい。皆さんは堅振(けんしん)を授かって(せい)香油を額に塗られて居ますでしょう。(せい)香油(こうゆ)、それこそ神の前にも人の前にも美徳を(にお)わせねばならぬと云う意味ではありませんでしたか。殊に今まで他の(つまづ)きとでもなって居た人は、尚更ら熱心に善を修め、徳を磨いて、前に悪かった所を償うように務めなければなりません。そうしてこそ始めて聖霊降臨の(めでた)い記念日を祝した甲斐があると云うものではありませんか。

 

 

 

(三)  聖  霊  降  臨

 

(1)− 「汝等往いて万民に教えよ」元を洗えば貧しい漁夫で、何等遠大の抱負とてあるのではなく、財力にせよ、智力にせよ、学識も地位もない弟子等が、往いて万民に教えるなんて出来そうな話でございましょうか。

四十日前にはおめおめとその師を見捨てゝ逃げ失せた彼等、今でもユデア人を恐れて室内深く閉じ籠って居る彼等ではありませんか。その彼等が律法に詳しきユデアの教師等を前に据えて、博識なギリシアの哲学者、深奥(しんおう)なローマの法律家、現身(ありつ)(かみ)と祭られて居る帝王を相手にして教を説き、道を授け、その悪を戒め、善を勧めること出来よう筈がありましょうか。人間の目から見ると実際そうでした。然し彼等は主の御昇天後、エルザレムの高間 主が聖体をお定めになった二階の一室 に閉じ籠り、世の騒ぎに遠って熱心に祈り、以て約束の聖霊を()つことが十日に及びました。

()くて十日目の朝の九時頃、忽ち天から烈しい風の来る様な響がいたしまして、彼等の坐せる家に充ち渡ったかと思う中に、火の如き舌が(あら)われ、分れて各々の上に止りました。すると彼等は皆聖霊に満たされ、是までよく悟れなかった御教の奥義をはっきりと分って来ました、それと共に今が今まで、肝っ玉の小さい、勇気の乏しい、臆病な彼等も、俄に大胆不敵となり、勇気は全身にはりちぎれんばかりとなり、忽ち室内を飛出て、屋外に群れる大衆に向って、怖れず、(ひる)まず、思い切って主の福音を()べ伝え、立ちどころに三千の改宗者を得て、教会の基礎を据えました。それから数日を経まして、聖ペトロと聖ヨハネは、神殿の入口で生れつきの跛者(あしなえ)(いや)し、その奇跡に驚いて馳せ集れる人々に説教して、五千人を帰正せしめました。ユデアの教師等はこの目醒(めざま)しい活動を見て捨て置き難しと思い、彼等を引捕えて厳しく沈黙を命じました。でも彼等が頑として応じないものだから、(つい)に之を獄に(つな)ぎ、笞刑(しもとのけい)に処しました。然し彼等は屈しません。「自分で見たり、聞いたりしたことを語らずに居られません」と答えて、相変らず自由に大胆に主の御教を説き(ひろ)めました。

それから彼等は主の仰せのまにまに万国へ分れ行き、如何なる艱難苦労をも物ともせず、平気で万死の途に出入して、福音の宣布に当り、終には主の為に、その二つとなき生命をも喜んで投棄てたのであります。

(2)− 主は弟子等に聖霊を約束なさった上で、「我は平安を汝等に(のこ)し、我が平安を汝等に与う。我が与うるは世の与うるが如くにあらず、汝等の心騒ぐべからず、又、怖るべからず」(ヨハネ14ノ27)と(のたま)うたが今や文字通りにそれが実現いたしました。彼等は聖霊を蒙り、その眼が聖霊の光に照らされたばかりでなく、またその心も聖霊の熱に(あたた)まり、ありとあらゆる艱難、苦労、迫害、軽悔(あなどり)陵辱(はずかしめ)が前後左右から激しく襲い(かか)っても、泰然自若、怖れもせねば騒ぎもしません。主のお遺し下さった平安を何時になっても失いません。むしろ主の為に苦しむのを幸福(さいわい)とするに至ったのであります。

(3)− この驚天動地(きょうてんどうち)の大変動を使徒(たち)の心に起さしめ給うた聖霊は、今も我カトリック教会内に、使徒(たち)の後継者たる教皇、司教等と共に止り、何時になっても離れ給わぬのであります。随って早や二千余年の歴史を有する我が教会は、ただ世の終りまでその命脈を保つのみならず、また誤ることなく、滅びることなく、分裂も見ず、衰頽(すいたい)もしらず、日に月に向上発展する一方であります。で我々は何事が起っても、教会の運命を疑うには及びません、安心してこの指導に一身を(まか)せ、進んではこの教会の発展進歩に応分の力を尽くし、退いては我が身も聖霊の光に照らされ、その熱に(あたた)まり、以てよく徳を修め、行いを研き、心の平安を楽しむ様に務めたいものであります。

(4)− あゝ心の平安!何と云う有難い宝なんで御座いましょうか。我々はこの有難い平安を持たないで、何かに付け始終気遣って居ます。災難を気遣い、疾病を気遣い、貧苦を気遣い、失敗を、侮辱(あなどり)を、人の不信用を、生別死別の悲しみを気遣って居ます。是は果して何の為でしょうか。徒らに「世の与うる平安」(むな)しい栄華、(はかな)歓楽(たのしみ)(たの)み難い財宝(たから)、そんなものに(あこ)()れて、主のお(のこ)しになった平安を求めないからではありませんでしょうか。主を愛せず、その御言(おことば)を守らず、小罪を数重ね、時には悪魔に(いざな)われ、肉慾に()かされて、大罪までも犯して居るからではありませんでしょうか。今日ばかりは断然心を改めたいものであります、是からは熱く熱く主を愛し、その御教を忠実に守るべく決心し、併せて聖霊の光と熱とを一心に願いましょう。平安は聖霊の賜であると共に、また我々の努力の(むく)いでもあります。我々は平安を得る方法を実行する一方から、また熱く之を聖霊に祈り奉らねばなりません。

 

(四) 聖 霊 降 臨(聖 務)

 

(1)− 聖霊は神にて(ましま)すから、謹んで之を礼拝せねばならぬ。我等は御父を知って之を礼拝します。天の広き、地の大なる、海洋(うみ)茫々(ひろびろ)として際涯(はてし)なき、風の(うな)り、雷の轟き、禽獣(きんじゅう)草木の珍奇(めずらし)さを打ち眺めると、御父の全能を(さと)り、平伏(へいふ)して礼拝せずには居られません。御子もよく知って礼拝します。その御降誕、御死去のことを知らない人はありますまい。馬屋に参詣し、十字架を仰ぎ、()()御像(ごぞう)を眺め、ミサ聖祭に(あずか)り、聖体を拝領する毎に、御子を礼拝しない人とてはありますまい。然るに聖霊に至っては、格別之を知らない。聖霊の記憶を呼び起すものが割合に少なく、一向考え出しもしない。十字架の(しるし)をなす時、栄誦(えいしょう)(とな)え、「聖霊来り給へ」を(とな)える時、聖霊の聖名(みな)を申し上げながらも、聖霊を礼拝するのだ、尊び(あが)めるのだ、之に深く(より)(たの)むのだと云う気分が一向起らない。是はどうも宜しくないことゝ思います。聖霊も御父と御子と同等の神にて(ましま)すのだから、同等に之を礼拝すべきは当然ではありませんでしょうか。

礼拝するならば、また尊敬の念を失わないようにせねばなりません。聖パウロは申されました。「汝等は其の身が神の聖殿なる事、神の霊、汝等の中に住み給うことを知らざるか」(コリント前3ノ13)と。然らば聖霊は我等の中に住み給う。所謂(いわゆる)、霊魂の甘露なる珍客であります。小罪など勝手に犯して、この珍客を悲しましてはなりません。(いわ)んや大罪を犯して、(おそ)れ多くも之を心より放逐したり、人の悪しき(かがみ)となって、之を他人の心より逐出(おいだ)し奉ったりするようなことがあってわなりません。「人もし神殿を(こわ)たば、神(これ)を亡ぼし給うべし(コリント前3ノ17)

(2)   聖霊に深く信頼し、艱難に出遭(でっくわ)し、途方に暮れると云うような場合には、聖霊の

御指図を求める為、「聖霊の降臨を望む祈り」を熱心に(とな)へることを忘れてわなりません。ラモリシエルと云うフランスの有名な将軍は教皇領の防衛に務めて居る頃、カドルバルブ伯にアンコナ市の守備を命じ、終りに言い添えました。「さらば伯よ、もし途方に暮れるような場合があったら聖霊に祈りなさい、私は何時でも此処に力を求めます。貴方をも必ずお(たす)け下さるでしょう」と。果して伯は非常に危険な境遇に(おちい)ったので、将軍の勧めを思い起し、一時間以上も繰返し繰返し、「聖霊の降臨を望む祈り」を(とな)えて、意外の援助(たすけ)を得、急場を(のが)れることが出来たと云うことであります。

(3)− 聖霊の勧告(すすめ)に従わなければなりません。聖霊が我々の内に住み給うのは、我々を教え導く為でありますから、何時も何時も之に従わなければなりません。聖霊は何時我々に語り給うか、胸に善き思いが起る時、心が悪を避け善を行うべく動かされる時、痛悔(つうくわい)の念が起る時、浮世の事物(もの)に遠ざかって益々天主様に近づきたい、天主様と一致したいと云う気になった時は、それこそ聖霊の御声が耳に響くのであります。「何事かを己より思い得るにあらず、我等の得るは神によれり」(コリント後3ノ5)と聖パウロもいって居られます。

我々は位の高い、徳の勝れた、学の深い人の言うことならば、喜んで耳を(そばだ)てます。天主様がもし天使でも遣わして、何かを命じたり、勧めたりして下さるならば、何うしても聴かずに居られません。

(いわん)や聖霊は天主様であります。その御勧めに従わないのは、天主様を侮辱(ぶじょく)する所以(ゆえん)で、もう(この)上は勧めも戒めもして戴けなくなってしまうに相違ありません・・・

この聖霊降臨に当りて、自分が平生(へいぜい)聖霊にたいして、礼拝や信頼や服従やを尽くして居るか、欠ける所はないか、(とく)(きゅう)(めい)して見たいものです。そして改むべき所は改め、断行すべき所は進んで断行すべく決心いたしましょう。

 

(五) 聖  霊  降  臨  使

 

キリスト信者の生活は不断の戦闘状態で、キリスト教精神は勇壮剛健の精神である。使徒等を御覧なさい、彼等は聖霊の降臨を(かたじけな)うして以来、キリスト教軍の将師として、その(ことば)は勇壮、その行いは大胆不敵、その迫害に打突(ぶっつか)っては、動かざること山の如しでありました。

(1)− その言は勇壮でした 使徒等は是まで小胆(しょうたん)臆病で、主を見棄てて逃げ失せたり、(いな)んで知らぬ顔を極め込んだりしたものでした。御復活後になりましても、恐怖心は依然として消え失せず、ユデア人をこわがって、室内深く閉じ籠って居たものであります。

然るに一たび聖霊に満されるや、勇気は全身に(あふ)れ、忽ち室内を飛出して公に主の御教を説きました。ユデア人に向って、堂々と主を十字架に()けた罪を責め、之に痛悔(つうくわい)(すす)めました。捕えられ、(むちう)たれ、以後は決してイエズスの御教を説いては()けない、と禁じられても「我々は見たり聞いたりしたことを語らずに居られません」と答えて、相変らず伝道を続けました。使徒等ばかりでない、殉教者等、博士等は何れも官吏なり、民衆なり、反対者なりの前に立って、(おそ)れず、(ひる)まず、自若(じじゃく)として同じ答を繰返したものであります。

我々にもこの勇気、この言葉の上の勇気が必要ではありませんか。自分の信仰を公表する、自分の教を弁護する、自分の教の勝れて有難い点を世に説き(ひろ)めるが為に、この勇気が大いに必要ではありませんか。異教者の中に囲まれて居る我々には、信仰を公表せねばならぬ機会は多いものである。工場で、学校で、軍隊で、日常の交際に於いて、機会はむしろ多きに苦しむ程である。どうぞ皆さん、聖霊の(たまもの)を祈りましょう。力を求めましょう。指を(くわ)えず、顔を(あから)めず、勇壮に、思い切って信仰を公表し、人にまで之を勧めるだけの勇気を求めましょう。

(2)− その行いは大胆不敵でした 彼等は才もなく、名もなく、金もなく、多くは無学な猟師に過ぎないのでした。その彼等が十字架のキリストを宣伝して、世界を之に帰服せしめようなんて、如何にも大胆無謀、到底本気の沙汰とは思われない位ではありませんでしたか。然し彼等は聖霊の力に強められて、少しも躊躇(ちゅうちょ)せず、その征服事業に着手して、大々的成功を収めました。

我々も先づ我身の征服を始めましょう。聖霊の力を祈って、勇ましく大胆に我が身と戦いましょう。我が身の慾と戦い、悪習と戦い、世間の(つまづ)き、悪魔の(いざない)とも戦って之に打勝ち、それから周囲の人々をも征服すべく務めましょう。聖霊が火の形を以てお降りになりましたのは、力を示したものではありませんでしたか。世に火ほど猛烈なものがありますか。山の如き軍艦でも、一たび之に火力を加えると一時間に二十(ノット)も、三十(ノット)(はし)るでございましょう。手足の凍えて仕事が出来なくなった時も、之を火に(あたた)めたら、容易に()んな仕事でも()れる様になりませんか。我々が信者の義務を果すに当って、何ぜ寒いとか、暑いとか、道が遠いだの、体が何うの、暮らし向きが何んのと云うのですか。熱が足りないからじゃありませんか。聖霊に祈りましょう、その熱に(あたた)めて戴きましょう。

(3)− 迫害に打突っても動かざること山の如しでした 使徒等は迫害に出遭(でっくわ)しました、(むちう)たれました、投獄されました、(あざ)けられもし、(はずかし)められもしましたが、然し彼等はキリスト様の為に侮辱(ぶじょく)されたのが嬉しいと喜びました。流石の迫害者もそれには手の出し様がありません。「(この)(もの)(ども)に何をしたら()いだろうか?」と呆れ返る位でした・・・(つい)に彼等は皆主の為、真理の為に殉教しました。聖アンドレアの如きは十字架を見るや「あゝ善い十字架よ、長らく切望し、注意して愛し、熱心に捜して居た十字架よ」と躍り喜んだ程でした。

皆さん、何と申しましても、この世は戦いの場です。信仰を全うしよう、(はな)()もある信者を以て始終しようと思わば、何うせ迫害は免れ難い、「(すべ)てイエズス、キリストに於ける(けい)(けん)を以て世を渡らんと決せる人は迫害を受くべし」(チモテオ後3ノ12)と聖パウロも申されて居ます。迫害が免れ難いとすれば、その迫害を切り抜けるが為に、(いな)、主の為に迫害されるのを喜ぶと云うに至るが為には、大いに聖霊の御力(みちから)が必要ではありませんか。

祈りましょう、熱心に祈りましょう。使徒等に彼れ程の力を与え給うた聖霊は、亦、我々にも同じ力を惠み給わぬはずがありますでしょうか。

 

 

聖 三 位 の 祝 日

(一) 聖 三 位 の 玄 義

 

 我々は「聖父と聖子と聖霊の御名によりてアメン」と誦える時、聖三位の玄義にたいする信仰宣言をなす訳であります。この玄義は旧約時代にも、幽かに仄めかしてありましたが、新約に入ると、明らかに説かれ、はっきりと教えられました。今之を(1)信仰の光に照らし、(2)理性に訴えて観察することに致しましょう。

(1)信仰の光に照らし 先ず玄義その物に就き、次に三位各々の特有点について、調べて見ることに致します。

(イ)― 玄義その物に就いて言うと、聖三位の玄義は之を四の命題に摘要ることが出来ます。

(一) 神は唯一に在すが、然しその唯一の神には三位がある。第一位を聖父、第二位を聖子第三位を聖霊と申します。

(二) この三位は何れも真の神にて在す、聖父も神、聖子も神、聖霊も同じく神であります

(  然しこの三位は決して三の神ではない、三位とも同じ性、同じ本質を有し給うので、唯一の神であります。

(四)− この三位は互いに全く平等である。同じ神性を有し給うので、また同じ徳を有し、一様に全能であり、全智であり、全善であり、至聖、至義、至愛に在し、決して後先、上下の別がありません。

(ロ)− 三位各々の特有点から申しますと、三位は同じ性、同じ徳を有し給うにせよ、また各々は特有な点があり、特有な働きを割り当てられる所よりして、それぞれに区別され給うのであります。

(一)− 各位の特有点―聖父は聖子を生み、聖子は聖父より生まれ、聖父と聖子は聖霊を発し、聖霊は聖父と聖子より発せられ給うので、お互いに区別があります。右は三位の内部に於ける働きで、厳密に申しますと、三位が互いに相異り給う点はただ是だけであります。

(二)− 外部にたいする三位の働きは、全能によるのであって、全能は神性に存するのですから、三位が別々に之を為し給うと云う訳ではありません。然しその働きの中には各位の特有点にそれぞれ似合ったのがありますから、常にその働きを以って、そのペルソナが為し給うものゝ如く申します。然し実を言えば、決してそのペルソナ固有の働きではないのであります。例えば聖父は三位の根源に在すので、全能の業を聖父に帰し、聖父を以って「天地の創造主」、と呼び奉るのが常であります。聖子は聖父の智慧により生まれ給うたので、智慧の業を聖子に帰します。人類の(あがな)いの如きは、人祖の罪の為に破壊された秩序を故に復すると云う点から見ると、全く智慧の業ですから、之を聖子の働きとなすのであります。無論御托身になったのは聖子のみですが、然しその御托身や御贖(おんあがな)いに、聖父と聖霊とが無関係であらせられたと云うのでは決してございません。

 

(三)― 終に聖霊は聖父と聖子との愛より発し給うたので、すべて愛の業を聖霊に当てます。そして人に聖寵を施して之と一致し、之を神の愛児となす様な成聖の恵みは、最も優れたる愛の業ですから、之を聖霊の御働きとなします。聖子が聖霊によりて聖母の(おん)(たい)にやどり、人となり給うたと云うのも、つまり愛の業ですから、使徒信経には之を聖霊に帰してありますが、実は決して聖霊のみの御業である、と云う訳ではないのであります。

(ハ)− 理性に訴えて見るー我々の貧弱な理性は、こんなに崇高な玄義を理解すること出来ない、天主様もそれを御要求にならない。ただその玄義を知り、之を信ぜよと命じ給うのであります。で我々は謙遜の頭を傾けて、之を信じましょう。然し之を信ずると共に、道理に合わない、矛盾したことは一つもこの玄義の中に含まれてない、却って宇宙間には、この玄義の影とも、痕跡とも()った様なものが少なからぬのを見出すのであります。

  (一)― 先ず道理に合わない、矛盾したことは一つもこの玄義の中に含まれてない、成るほど三の神が一つの神であるとか、一つのペルソナが三つのペルソナをなすとか云うのならば、それは道理に合わない、矛盾して居るでしょうが、実に決して然うではない、ただ一個の神性に三つのペルソナがあると云うだけのことで、それが如何な塩梅(あんばい) に組合されてあるか、なるほど人間の浅薄な智慧には悟れないと云えば其迄のことで、決して非道理でもなければ、矛盾でもないのであります。

 (二)− 宇宙間には三位一体の玄義の影とも痕跡とも()った様なものが少なくありません。「被造物は皆三位一体の痕跡を持っている」と聖アウグスチヌスは()はれて居ます。実に霊魂は智、情、意、の三能力を有して、而も一の霊魂である、被造物全体を見ると、霊なる天使、霊と物質との混合たる人間、単なる物質の三つより成って居る。

    太陽には、太陽の実体と光と熱とが見られる・・・物体は固体、液体、瓦斯体の三態をなして居る。

    生命には植物生と、動物生と、霊生と三様式がある。

    花には形と色と香とがある。

    時には過去、現在、未来がある。

    物体は長さ、幅、厚みの三の拡がりを有する。

    三角は、角が三つで一つの三角形をなして居る。

    斯んな様に自然界には三位一体に似たものが沢山あります。然しそれは似て居ると云う迄のことで、三位一体一位そっくりだと思ってはなりません。玄義は何処までも玄義で、幾ら考えても、巧みな(たとえ)を借りて来ても、現世では到底之を理解することも、説明することも出来るものではない。ただ謙遜して之を信じる、偽りも誤りも得給はぬ神様のお諭し下さった玄義であるから、自分で理解し説明し得る真理よりも、一層確かな真理たることを、(てこ)でも動かぬ信仰を以って信じなければなりません。信ずるばかりでは足りない、之を心より尊び敬い、十字架の印をなし、栄誦(えいしょう)や、使徒信経を(とな)える時は、特に(うやうや)しさを表し、信仰を燃え立たすべく努めなければならぬのであります。

(二) 聖

 

我々基督信者たるものは、聖父と聖子と聖霊の御名を以って洗礼を施され、霊魂には(かたじけな)くもその(おもかげ)を印象されて居ますので、それだけ聖三位と密接な関係を有する訳であります。是は我々に取って多大の光栄であり、又聖なる歓喜の基因でもあるのであります。

(1) − 我々は聖父の子供である 天主様が父にて在すことは、本性の上より、又創造によりて、養育上にも出るのであります。

(イ)― 本性上よりの子はただ第二の位、御自分と完全に等しく、すべてに平等なる御言のみであります。

  (ロ)― 創造によっては、すべての人の父にて在す。人は被造物中の傑作、万物の王である。その霊魂に与えられた智、情、意の三能力から云うと、聖三位に(あやか)って造られて居るのであります。 

  (ハ)− 養育の上から申しますと、天主様は我々を己が養子とも、世嗣(よつぎ)ともして、我々に聖寵の寶をお恵みになり、もし我々がそれを忠実に利用するならば、御自分の(ほしいまま)にし給える天国の栄福に与らしめ給うのであります。

        天主様を父とする 何と云う大きな名誉でしょう。然し我々は今までこの慈悲深き父にたいして、如何なる子供でありましたでしょうか・・・・・

(2)― 我々は御子の(えだ)である キリスト様には、自然体と妙体と二様の身体を区別されます。

     自然体は、人となり給う際に、聖母の御胎(ごたい)よりお受けになった我々に等しい御身体、我々の為に鞭うたれ、(いばら)を冠らされ、十字架に()けられて、御死去なさいましたその御身体であります。

・・・・妙体とは、全教会を指すのでありまして、キリスト様はその頭首で、我々は各々その(えだ)であります・・・肢は頭首に釣合はねばなりませんが、我々は果たして恰好のよい、釣合いの取れた肢でしょうか、罪を犯してこの肢を汚し、不義を働く為の道具となす様なことはありませんか・・・・

(3)− 我々は聖霊の神殿である 洗礼や堅振(けんしん)を以って祝聖され、聖霊の神殿とされ、聖霊はその豊かな賜を携え来つて、我々にお住まい下さったのであります・・・もし聖霊が共に(ましま)さないでは、我々だけでは、何等の超自然的業をもなし得ない、聖霊はすべて義とせられ、聖とせられることの本源にて(ましま)すのであります。

     さすれば霊魂も肉身も、その之に住み給う聖霊の神殿に相応しからしめねばならぬ。我々の心は神殿の如く、祈祷の家、祭典の場、聖霊が静かに私語(ささやき)き、すべての真理を教え給う密室でありたいものであります・・・・・

 

 

(三) 聖 三 位 の 祝 日

 

三位一体の玄義は最も悟り難い、しかし最も基本的な玄義で、他のすべての教理を支配し、之を含有して居る。なお被造物からも造物主からも、最も盛んに祝賀される玄義なのであります。

(1)―天国に於ける永久の祝典―天国とは何ですか?聖三位が御自らを、永遠に、絶えず言

知れぬ喜びを以って、限りなく讃美し給う所、お互いに比類なき尊重と愛とを表し給う

ではありませんか。

    天国とは何ですか?諸々の天使聖人が間断なく至聖三位を称讃して、「聖なる(かな)、聖な

哉、聖なる哉」と歌って居る処ではありませんか。彼等は自分等を造り給うた聖父、贖

い給うた聖子、聖ならしめ給うた聖霊を打眺め、感謝して飽くことをしらぬ、止まる所を知らぬのであります。つまり天国は聖三位の神殿で、其処に住んで居る天使聖人等は、聖三位の祝典を挙行うのをその唯一の仕事として居るのであります。

(2)−地上に於ける永久の祝典 基督信者たるものは、その日常生活に於いて、絶えず聖

三位を尊敬して居ます。基督信者であると云う事それ自体を持っても尊敬して居る。栄誦や使徒信経や十字架の印をくりかえして、己が偽りなき尊敬の誠意をも表して居るのであります。

聖会はまたその典礼中に、その公式の聖務中に、聖三位を称讃するのを己が任務として居る毎週、日曜日は特に之を聖三位に献げて居る。その他、説教や、祝福や、秘蹟や、祝祭や、聖務日祷、ミサ聖祭を以って、毎日、毎時、天国にも劣らず聖三位を讃美して居るのであります。

(3)−聖三位の特別祝典 終に聖会は聖三位にたいして尽すべき義務を我々に思い起さしめる為め、聖霊降臨の次の日曜日を、特に聖三位の祝日と定めました。

(イ)―この祝日によって、聖会が我々に説いて居るのは信徳であります。救霊に必要缺くべか

らざる信徳、神の御言の上に基礎づけられて居る堅い磐の如き信徳、誰の前に出ても、恐れず怯まず、勇壮、大胆な信徳であります。

(ロ)―この祝日によって聖会が我等に勧めて居るのは望徳であります。如何なる嵐に襲はれても、微動だもしない望徳、特に熱烈な祈祷となって顕れる望徳であります。 

(ハ)−終にこの祝日によって聖会が我々に宣伝して居るのは愛徳であります。聖三位はお互に

密接な愛を以って結ばれ、三位でありながら、一体をなし給うと云うくらいですから、

随って聖三位の最も大なる尊栄となるのは、この愛徳であります。で我々は愛その物にて在す聖父と、聖子と聖霊を愛しましょう。心を尽し、力を尽して大いに愛しましょう。

 愛しましょう、即ち聖三位のことを思い、しかも信頼と満足とを以ってしばしば思いましょう

  愛しましょう、即ち心の言葉、讃美や感謝の言葉を之に申上げましょう。

 愛しましょう、即ち聖三位に則って、己を尊重し、身を聖ならしめ、偽りなきを証しましょう。

兎に角、聖三位を愛し、我々のすべての義務を忠実に果たしましょう。さすれば臨終の際に、我々の忠実さは、大なる慰安となり、浅からぬ希望となるのは疑いを容れない所であります。

 

 

聖 体 の 祝 日

(一)聖 体 の 祝 日 の 目 的

 

1)−ご存じの通り、本日は聖体の祝日でありますが、毎年この祝祭を挙行う毎に、イエズス様の我々を愛し給うその愛の忝さが、ヒシヒシと身に泌みるように覚えない方はありますまい。

    一寸考えて見ますと、イエズス様が聖体の秘蹟をお定めになったのは、それこそ無益の様に思われませんか。

何の為イエズス様は時何(いつ)(まで)も何時迄も我々とお止り下さるのでしょうか。人類はもう立派に贖はれて居る、御父の義怒(いかり)(なだ)められ、天国の門は開かれ、聖寵の露は潤沢に雨降らされる事になって居るではありませんか。

何の必要あればとて、我々と共に世の終迄もお止り下さるのでしょう。その御力をかくし、その御光を(くら)まし御自分ではちょっとの身動きすらなし給わず、全く(ひと)(まか)せにして、之を聖体顕示台に収めて祭壇の上に挙げ奉らうと、之を聖体器に籠じ込めて聖櫃の中に置き申そうと、為れる儘になって居られる。何う云う騒がしい町中でも、どんなに汚ろしい病家にでも携え行かれ、聖体拝領の折には善人の口にも、悪人の胸にも均しくお這入るり下さると云うは、如何にもその限りなき()()()に不似合いのように思われてならぬじゃありませんか・・・なるほど(それ)は不似合いであるかも知れません。

  然し愛は方なしであります。誰かを心から愛するならば、似合うとか、似合わぬとか云うことは、決して考えるものではない。ただその愛する人と一緒に居りたい、何時迄も何時までも一緒に居りたい、何時になっても離れたくないと云うが人情でありましよう。

  だが幾ら離れたくない、何時迄も一緒に居りたいと思って見た所で、何人しも一度は死なねばなりませんので、己を得ずも離れて行く、死別れるのですが、さて其の場合、愈々その愛する人に永の暇乞(いとまご)いをすると云う場合になると、今更の如く愛情が濃になり、せめてもの記念として、平生自分が大切にして居た衣服や、書籍や、指環やと云うようなものを遺して、「是を見る時は私を見るような心持になって下さい」と言うものであります。

  今イエズス様も我々を無二の親友と愛み、平素より浅からぬ愛をお示し下さったのでありますが、愈々臨終の間際になりますと、最も著しい愛の証拠を示し、我々に衣物でもない、書籍でもない、指環でもない、金銀財宝でもない、実に己が貴い御肉体をば記念として遺し、我々と何時までも離れないで、一緒に止れる工夫を廻らして下さいました。斯うしてイエズス様は、我々の為にその御体、御血、御霊魂、天主性迄もお遺し下さったのであります。

斯うしてイエズス様は既に御死去なさっても、なお我々の中に生き給うのであります。斯うし

てイエズス様は天にお昇りになっても、相変わらず斯土(このよ)にお止り下さるのであります。

嗚呼イエズス様の我々に対し給う愛の熱烈さと来ては、誠に限りも(はて)しもないと云うものではありませんか。

 

(2)― 人々の為に聖体の中に閉じ籠っても、多くの人は自分を拝まうとも、愛しようともせず、自分が此処に居ることさえ認めてくれないであろう、時には勿体なくもその聖体を踏みにじり、之を地に打付け、水に投じ、火になげ込む者すら無いでもないと云うことは、始からご存じの所でありました。自分を信ずる、聖教(みおしえ)を守ると云う人々でさえ、自分の前に進み、信心を温め、尊敬を尽し、愛の火を燃やして、斯かる恐るべき(とく)(せい)の罪を償はうとはせずして、(ほしいまま)に礼儀を乱し、側見(わきみ)し、心を散らして無礼を加えるばかりであろう、一日も二日も一週間も自分を独り聖櫃の中に打棄て置き、絶えて訪問しようともしないであろうと云うことも、飽くまで承認しながら、ただ我々が可愛い、何時までも共に住み、共に暮らしたいばかりに、この聖体の秘蹟を定め、夜となく昼となく我々と共にお留り下さるのであります。あゝ実にイエズス様の愛の深さと云ったら、筆にも(ことば)にも尽されたものでございましょうか。

(3)― 愛に報いるには愛を以ってせねばならぬ。  

(イ)― イエズス様は我々を愛して、我々に離れるに忍び給わなかった、我々と共に居るのを何よりの楽しみと思召しになったのですから、我々もイエズス様と共に居るのを何よりの楽しみとし、なるべく聖体降福式に(あず)()ったり、聖体訪問をしたりして、イエズス様を拝み、感謝を述べ、必要な聖寵をお願い申す様にせねばなりません。

(ロ)― 何人かを愛するならば、ただ其人と共に居たいのみならず、亦なるべく其人の上に(さいわい)あれかし、禍なかれかしと(こいねが)うものであります。イエズス様もただ我々と共に居るのを以って満足し給わず、我々の為に毎日毎日身を犠牲に供えて、我々の罪の赦しを願い、憐れみを求め、恵みを乞受けて下さる。

カルワリオにて、十字架に(はりつけ)けられた御身を父の天主様に献げて「彼等は為す所を知らざるものなれば、之を赦し給え」と叫ばれたイエズス様は、今もミサ聖祭に於いて、祭壇の上より御父に向って、我々の罪の赦しを願って止み給はぬのであります。旧約時代には、天主様が僅かの罪の為に厳しい罰をお降しになった例は多いものである。契約の櫃を覗いたと云う丈けで、何十人と云うベッサメ人が天罰で死んだこともある。ダウイドが傲慢(ごうまん)心に駆られて戸籍調査をさせた為に、天罰が降り、全国に疫病が流行して、僅か三日の間に七万人と云う大勢が死にました。昔は僅の罪でも斯れほど厳しく罰し給うた天主様が、何うして今日では(ひど)(ひど)い罪をじっと黙認して、容易に罰を降し給はぬのでしょうか。他ではありません。ただイエズス様が毎日毎日身を犠牲に供えて、御父の怒りを(なだ)め給うからであります。御自分の貴い御血を献げて、我々の為に御憐れみを求め給うからであります。彼を思い此れを思いましたならば、心は如何なる感謝の情に燃え、毎日而かも熱心にミサ聖祭に(あず)()り、主の恩の(かたじけな)さを思い、一心に感謝すると共に、また御父の御憐れみを求めなければならぬ筈ではございませんか。

 

(ハ)−終に愛の極みは一つになることであります。即ち愛しては近づきたい、近づいては密着したい、愛がいよいよ(あつ)くなれば、密着の度もいよいよ(かた)く、(つい)には何うしても離れられぬ、一つにもなって(しま)いたいと云うが人情でしょう。イエズス様が聖体の秘蹟をお定めになる時、(ことさ)らパンの形色を用いたまうたのは其の為である。世の中に食物ほど我々に近くなるものはありません。食物は即ち我々の肉である、血である、骨である。(ゆえ)に仰しゃつたでしょう「我が肉を食し、我が血を飲む人は我に(とど)まり、我も亦彼に止まる」と、即ち全く一つの身になって(しま)うと云う意味なのであります。

 

(4)−よく考えて御覧なさい。もし慈悲深い国王があって、人民の中にも一番貧しい乞食を大変に愛し、御膳部の幾分かを割いて之にお贈りになると云うならば、その人は如何に之を身に余る光栄よと感謝するでございましょうか。もし幾分ではない、全部を残らずその賎しい乞食にお下げ下さると云うならば、愈々その愛の深きに驚かざるものはありますまい。もし()れ御自分の貴い御体を削ってその賎しい乞食の飢えをお救いになると云う様なことでもありましたら、聞く人は余りの事に吃驚(びっくり)仰天(ぎょうてん)して、何とも言う所を知らない程でございましょう。然るにイエズス様は如何(どう)なさいましたか。天地万物の大君の身を以って、ただに御膳部を残らずお与え下さるのみならず、ただ御体の一部分を削りてお与え下さるのみならず、己を残らず与え、我々と全く一致して下さるのであります。是よりも優れて有難い愛の証拠が又とあるでございましょうか。

(5)−()(かく)イエズス様は我々を愛して、我々と離れたくない、(かた)(かた)く一致したいと思召しになって、この聖体の秘蹟をお定め下さった以上は、なるべく我々より拝領されたいとお望みになられて居ることは申す迄もない所であります。「汝等受けて之を食せよ、之れ我が体なり」と云って勧めて見たり、「我が肉を食し、我が血を飲む人は永遠の生命を有す」と大層立派な御褒美を約束したり、「我が肉を食せず、我が血を飲まざれば汝等に生命なし」と罰を威嚇したりし給うのは、つまり何とかして、我々より拝領されたいと熱望し給うからの事であります。さればこの一週間、殊にこの日曜日には誰も彼も聖体を拝領して、主の御望みに()い奉る様、務めなければなりません。

 

 

(二) 聖 体 の 御 恵

 

今日より一週間は聖体の祝日でございまして、我々は力の限りを尽して、主の聖体を尊び(あが)め、その御恵を感謝し、併せてその御恵にたいする我々が平素の忘恩を謝し奉らねばなりません。それに就いて特に注目すべきは、祭壇と聖櫃と聖体拝領台とであります。

(1)− 祭壇 にはミサ聖祭が献げられる。毎日毎日世界到る処、(いやし)くもカトリック司祭の留まる所には、必ずミサ聖祭が執行されます。してその所謂(いわゆる)ミサ聖祭は十字架の祭と同じ祭である。カルワリオは十字架の上にて、人々の罪を贖はん為、御血をしため尽し給うた救主は、今もミサの祭壇上にて御血こそ流し給はぬが、その十字架の祭を再現し、我々の為に其身を犠牲として御父に(ささ)げ給うのであります。我々が毎日毎日犯す罪は、絶えず聞き苦しい声を放って居ります。その声を耳にし給うては、流石の御父もそのままに捨置かれないはずだけれども、幸い主がミサの祭壇上にその貴い御血を献げて、罪の赦しを願い給うので、御父も夫れに(なだ)められて、罰の代わりに、かえって有難い祝福を下し給うのであります。世に恐ろしい罪悪が日にまし(はびこ)(さか)えて居るにも拘わらず、容易に罰の沙汰が出ないのと云うものは、(もと)より御父の限りなき御憐れみに由るとは云うものゝ、また一つはミサ聖祭の御陰ではありませんでしょうか。主がミサの祭壇上から御父に向って、「彼等はその為す所を知らざるものなれば、之を赦し給え」と叫び給うその御祈祷の結果ではありませんでしょうか。是ほどの御恵み!我々は果たして是ほどの御恵みを心から感謝して居ますでしょうか。感謝のしるしに屡々(しばしば)信心を以ってミサ聖祭に(あづか)って居ますでしょうか。この祭壇の上に、主が御身を犠牲として自分の罪を贖い下さるのだ、自分の為に溢れんばかりの聖寵を請い求めて下さるのだ、と云うことすら考えたことも無いのじゃありませんか。

(2)−聖櫃―主はただミサ聖祭の時、祭壇上に天降って御身を犠牲に供え給うのみならず、「人の子と共にあるは我が楽しみなり」と(のたま)うて、夜も昼も聖櫃内に留まり、世の終りまでも我等の間を立ち去り給はぬのであります。然しそれは亦何の為でしょうか。

    既に人間の救いは全うされました、天国の門は開かれました、御父の御怒りも和げらげました、今更ら何の必要があればとて、そんなに何時までもこの世にお留まり下さるのでしょう。全能、全智の神の貴きを以って、粗末なパンの形色の下に隠れ、その御力を包み、そのご威光を(くら)まし、棄てられようと、(あなど)(はずかし)められようと、土足にかけて踏みにじられようと、一言の抗弁も、一寸の手向かいも出来ない、ただ為されるがままになって居なければならぬと云うは、その限りなき御稜(みい)()に不似合いではないでしょうか。しかも夫れが一年の間でない、百年の間でない、世の終までもそうしてお留まりになるのは果たして何の為でしょうか。

他ではありません、ただ我々を愛し給えばこそであります。我々お互いの間にでも、愛すれば離れたくありません。何時までも共に居たい、如何なる艱難辛苦も愛する友の為だと思ったら、少しも辛くありません、むしろ苦しむのを喜びます。悩ましいのを愉快とするに至るものであります。

     今イエズス様も我々を熱く熱く愛し給うが故に、何時になっても、我々と離るゝに忍び給はぬ、この世に明かし暮らし給うた三十三年の長い歳月も、愛情限りなき主の為には余りに短く思われたので、ここに聖体の秘蹟を定め、物淋しき聖櫃内に閉じ籠って、何時迄も、何時迄も、我々と共に住み、我々の慰めとなり、力となり、喜びとなり、楽しみとなりたいものと思召させ給うたのであります。

    然るに我々はこの言うべからざる御恵みにたいして如何なる感謝を献げて居ますでしょうか。世の富あり位ある人の邸には、御機嫌伺いに上がるもの、感謝を述べるもの、助力を願い、愛顧を祈るものが毎日引きもきらずあるのに、この天地の大王、万物の御主の(ましま)す聖堂は、何時往って見ても(しん)と静まりかえって、人の影すら見えません。聖堂の門前を通りながら、入って御挨拶申そうとする人さえありません。日曜日の聖体降福式 わざわざ聖体の御恵みを感謝し、疎遠を詫び、祝福を求める為に行はれる聖体降福式にさえ、(やや)もすれば(あずか)るまいとする位、誠に嘆かわしい次第ではありませんでしょうか。

(3) − 聖体拝領台 聖体の秘蹟の最も有難い所以は特に聖体拝領台に於いて之を見るのです。主は(かたじけな)くも我々の食物となり、「我が肉を食し我が血を飲む人は我に在り、我も亦彼に在り」と(のたま)うて、御身を残らず我々に与え、我々と全く一致して下さる。

御威光限りまさぬ神様が、この賎しい拙い我々を御自分に一致させ、我々の思い、我々の望み、我々の行為、我々の立振舞いまでも、御自分の夫れの如くなそうと思召し下さるのであります。

兎に角、主は御自分の御体、御血を残らずお与え下さる。しかもそうして我々の食物となり、飲物となるのを何よりもお望みになり、我々を奨め励まして之を拝領させんが為に  「我が肉を食し、我が血を飲む人は終なき生命を有す」と云って測り知られぬ御恵みを約束し、それでもなお進んで拝領しようとしないものには、厳しい罰を威嚇して「我が肉を食せず、我が血を飲まざれば、汝等に生命なからん」とまで(のたま)うて下さるのでしょう。

主は斯くまで我々に拝領されるのを熱望して止み給わぬのに、我々は果たして主の御望みを満足させ奉って居ますでしょうか、やっと一年に一回、或いは大祝日に限って両三回も拝領すれば、夫れで沢山だ位に考えて居ませんでしょうか。

    要するに、聖会がこの祝日を定めたのは、祭壇、聖櫃、聖体拝領台に於いて我々の(かたじけな)うせる海山ただならぬ御恵みを感謝させ、我々が平生その御恵みに報い奉るのに、言語道断な忘恩(おんしらず)の沙汰を以ってして居るのをお侘び申させるが為であります。で我々はその聖会の旨を奉体し、この一週間はなるべく屡々(しばしば)ミサを拝聴し、聖体降福式に与り、殊に熱い信心を以って聖体を拝領し、以って(いささ)か主の限りなき御恵みを感謝し、平素の冷淡、疎遠、軽侮(あなど)り、(はず)(かしめ)めを(つぐな)いたいものであります。

 

 

(三) 聖 体 拝 領 の 利 益

 

公教要理には聖体拝領の効果を説いて「聖体を拝領するとイエズス・キリストと一致し、聖寵が増し、私欲が弱り、終りなき生命に至るなどの効果がある」と言ってあります。

(1)− 一致する 聖体を拝領すると、イエズス・キリストと一致する、一致するとは、一つになることで、食物が之を食する人の血となり、肉となり、骨となるが如く、我々も聖体を拝領すれば、イエズス・キリスト様と全く一つになって了うと云う意味であります。イエズス様も仰しやったでしょう、「我が肉を食し、我が血を飲む人は我に止まり、我も亦彼に止まる」と。之より親密な一致がありますでしょうか。鉄を火の中に焼くと、鉄はやはり鉄でございますが、然し終には全く火になって了いましょう。それと同じく我々も聖体を拝領いたしますと、我々の個性を失って了う訳ではないが、然し鉄が熱して火になるが如く、我々もイエズス様の火に焼けて、イエズス様の如くなって了うのであります。何と云う有り難いお恵みでしょうか。罪深い人間の身を持ちながら、御威光限りなき天主様と合体して全く一つになること出来ると云うのは・・・斯うしてイエズス様と全く一致いたしますと、我々の感情はもう我々の感情ではなく、我々の望みはもう我々の望みではない、我々の喜悦はもう我々の喜悦ではないようになって来る。今まで我々の心にあった傾向も、感情も、思い、望みも次第に消え失せて、イエズス様の生命は直ちに我々の生命となり、イエズス様の感情は直ちに我々の感情となり、イエズス様の傾向は直ちに我々の傾向となり、イエズス様の愛は、思い、望みは、喜悦は直ちに我々の愛となり、我々の思い、望みとなり、我々の喜悦となるのであります。イエズス様が悪を嫌い、浮世を嫌がり、浮世の有ゆる虚栄を憎み給うその美しい感情は深く我々の心に浸み渡り、我々の肝に刻まれるのであります。

天主様の光栄を揚げたい、人類を救いたいと云う一念にイエズス様の聖心が燃え立ち給うが如く、我々も同じ念に燃え立つことが出来るのであります。斯うなって参りますと、今まで苦かったものは甘くなり、不味かったものは美味しくなり、難しかった事が容易くなり、万事イエズス様と同感になって、イエズス様の望み給う所は我々も之を望み、イエズス様の嫌い給う所は我々も之を嫌い、イエズス様の生き給うが如く我々も生きる、否、我々と云うものはもう全くなくなって了って、ただイエズス様のみが我々の中に生き給い、聖パウロの如く「我は活くと雖も、既に我に非ず、キリストこそ我に於いて活き給うなれ」と叫ぶことが出来るに至るのであります。

 

(2)−聖寵が増すー身体は食物によって養われて、其の生命を保つことが出来る。してその食物が上等で滋養分に富んで居れば、身体は強壮に、元気は旺盛となって来るものであります。霊魂にもやはり食物が必要であります。説教だとか、聖書だとか、祈祷だとかは、霊魂の為に結構な食物であるに相違ないが、聖体の秘蹟は最も勝れた、最も滋養分に富んだ食物であって、我々は之によって霊魂を養い強め、充分に元気を養い、険しい徳の山坂も、遠い天の御国にまでも、難なく登って行けるようになるのであります。

    聖会の初め頃、迫害の嵐が吹き(まく)って居た時代には、信者は聖体を授かって自宅え持ち帰り、愈々官吏に捕らえられると云う時に之を授かり、その聖体に力ずけられて、火の海にでも剣の山にでも、何の恐れもなく飛び込むことが出来たと云うことであります。

    なお食物と云うものは、ただに滋養にとなるのみならず、之を食すると、何とも知れぬ美味を覚えるものであります。それと同じく聖体を拝領すると、天主様の味を覚える、味を覚えるから、ますます天主様を愛し、(むず)()しい、窮屈な掟も喜んで之を守るようになります。夫れと共に現世の事物が味を失って来る。砂糖や蜜を嘗めてからは、他に少々甘いものを口にしても、水っぽくなって了うが如く、聖体によって天主様の愛の味を覚えましたら、もう現世の財産だとか、名誉だとか、快楽だとかは水ぽっくなって来る、それだけ愈々勇み進んで、天主様に(つか)え奉るようになるのであります。

        然し是は適当の準備を以って拝領する人に与えられる効果であって、もしや聖体を拝領しても、心を散らして、イエズス様が自分の胸に在すことも考えないとか、余り浮世の快楽や財宝や等に心を奪われて居るとか、或いは身体の具合が何うも面白くないとか云う時には、そんな味を覚えません。時として準備は適当にして居ても、何等の感情も起らないことがあります。そんな時は決して心配するには及びません。感情は起らなくても、ますます天主様を愛し、いよいよ熱心に天主様に仕え奉りたいと云う気にさえなりますれば、夫れで沢山であります。

(3)−私欲が弱りますー今申上げました通り、聖体を拝領して、霊魂に聖寵が増し、元気が加わって参りますと、私欲はそれだけ弱って来るのであります。立派な、滋養分に富んだ食物を摂り、体が昌えて来ると、少々寒い目にあっても、風邪を引かない、少々暑い日に照らされても、熱など(わずら)いません。霊魂も其れと同じで、聖体を以って養われ、元気旺盛となって参りますから、悪魔に誘われても、情欲に曳かれても、難なく之を撃退することが出来ます。なお詳しく申しますと、罪の原因とも、霊魂の敵とも云うべきは、情欲と悪魔と世間と三つでございますが、三つとも聖体によって大いに弱められるのであります。

 

(イ)−情欲は聖体によって弱められます。我々は聖体を拝領する時、イエズス様と一致して、愛の火に燃え立って来る。所でイエズス様の清い愛が(さかん)になれば、夫れだけ汚らはしい愛、即ち情欲は弱って来るのであります。

    其の上、我々の肉体はイエズス様の御肉体と一致して、イエズス様と一つの体となるのですから、イエズス様も我々の肉体をば、御自分の御肉体も同様に見做し給うて、之を清め、之を聖ならしめ、肉慾に(さか)()うだけの力をお恵み下さるのであります。

(ロ)−悪魔には、何うして勝てるかと云うに、聖体はイエズス様の御死去の記念である。悪魔はイエズス様の御死去によって打倒されたのですから、其の御死去の記念迄も恐れざるを得ない。其の上、青蠅を御覧なさい、どんな(おい)しいものでも、其れがクラクラと(たぎ)って居る間は、集まること出来ない、冷えて(なま)(ぬる)くなってから始めて之に群がり集まって来るものでしょう。悪魔は正しく青蠅です、我々の心が愛の熱に燃えて居る間は容易に近き得るものではない。所で聖体を拝領すると、イエズス様と一致して、心には愛の火が燃え立つことになるのですから、悪魔が恐れて近き得ない、随って悪に(いざ)なうこと出来ないのも怪しむに足りますまい。

(ハ)−世間にも(つまづ)かされぬようになる。イエズス様が我々の心に入らして、我々を照らし、心の眼を開けて下さいますから、たとえ世間が如何に金の光を輝かし、名誉や快楽を見せびらかして、心を迷はせようとしても、決して其んなものに迷はされて、天主様に背き罪を犯す氣になりません。なお心の弱い、勇気の足りない人は、信心をしよう、善の道に踏み入らうと思って居ながら、世間から何とか云われてはならぬ、冷やかされてはならぬと恐れて、折角の思い立ちを実行し得ないものですが、然しイエズス様は「強きものゝパン」と称され給うほどあって、我々の心を強め、力を添えて下さいます。人が何と言はうと、冷笑(ひやか)そうと、人は人我は我だと思って、少しもそんなことには頓着せず、ドンドン思い立つたままをやって退()けるようになるのであります。

    斯う云う次第で、情欲にも悪魔にも世間にも立派に打ち勝つことが出来ますから、罪など犯す氣遣がない様になります。さればこそトリエントの公会議も、聖体を呼んで、「大罪を予防する薬だ」と云ったのであります。

    (もと)より聖体は大罪を赦すこと出来ない、ただ予防するだけですが、然し小罪ならば之を赦すことが出来ます。寒さや暑さの為に、多少体の工合(ぐあい)が面白くない時にでも、自分の好きな、(おい)しいものを食べると、俄かに元気づいて来て、少し位の不工合は癒って了います。聖体も夫れと同じで、霊魂の極めて味しい食物ですから、一寸の不足や過失は之を赦すことが出来ます。然しながら其の赦しを蒙るが為には、小罪への愛着心があってならないのみならず、せめては一般的になり、痛悔(つうかい)を起さなければなりません。聖体拝領前に必ず告白の祈りを(とな)えることになって居るのは、之が為であります。

                    

(4)− 終りなき生命に至る 是はイエズス様が明らかにお約束になった所で「我が肉を食し、我が血を飲む人は永遠の生命を有す、而して我終りの日に之を復活せしむべし」と(のたま)うている。

()うして()うなるかと云うに、聖体を拝領いたしますと、ただ霊魂がイエズス様と一致するのみならず、肉体も亦イエズス様の御肉体と一つになります。そしてイエズス様の御肉体は腐敗(くさ)らずして蘇りましたが如く、我々の肉体も、たとえ一応は腐ることがあるにせよ、せめて世の終りに蘇って、主の御肉体の如く、光り輝くこと出来るのは理の当然ではありませんか。

昔アダムが置かれて居た楽園には、生命の樹と云うのがあって、其の実を食して居ると、死ぬ憂いはないのでありました。今イエズス様は、其の生命の樹の代りに、聖体の秘蹟を聖会の園に植えつけて下さったのですから、之をよく授かりますと、霊魂は罪に陥って死ぬような気遣いがない、罪に陥って死ぬ気遣いがないならば、必ず永遠の生命に到ることが出来るはずでございましょう。

     斯くの如く、立派に準備して聖体を拝領すると、数々の有難い効果が得られるのですから、何人(たれ)しも熱心に又なるべく(しばしば)之を拝領するように務めなければなりません。

 

 

(四)ミ サ 聖 祭 の 四 大 目 的

 

(1) 御存じの通り、我々人類は天主様に対して、四つの大なる義務を背負って居ます。

(イ)−礼拝(はいれい)と感謝 天主様は無私無終の神、天上天下唯一独尊の君にて(ましま)す。其の性や善、其の徳や美、その道や愛、()って無限の権能と無量の仁愛とを傾けて、無より我々を造り出し、我々に(あた)えるに聖寵を以ってし、我々を万物の王に立て、その全能の(おん)(うで)を伸ばして我々の生存を支え、其の仁愛の御掌(みて)を開いて、我々に数々の恩恵を下し給うのであります。然らば我々人類は仰いでその無上の(みい)()を礼拝し、俯してその(こう)(だい)なる()(おん)を感謝しなめればならぬ。是こそ我々人類が天主様にたいして背負って居る礼拝と感謝の重大なる義務なのであります。

(ロ) 贖罪 然るに我々は(しばしば)この重大なる義務を能く果たさず、反って数知れぬ大罪小罪を重ねて、天主様の無上の(みい)()を辱めて居るのであります。(そもそ)も天主様の最もお嫌い遊ばすものは罪である、我々は之を十分(わきま)えて居る、(わきま)えて居ながら、その最もお嫌いあそばす罪を重ねて、絶えず天主様の聖顔を辱めて居る、天主様は無量の仁愛を垂れて、日夜数限りなき恩恵を下し給うのに、我々は日夜数限りなき大罪小罪を重ねて、天主様の恩恵に報いるに仇を以ってすると云うは余りにも甚だしいことではあるませんか。天主様は正義の神、一善一悪と雖も、必ず之に報い給う、是れ実に正義の然らしむる所、各自が其の罪を(あがな)はざるに於いては、其の応報(むくい)は決して免れること出来ない。贖罪の我々に必要なる所以は、茲に在るのであります。

(ハ)−祈願 贖罪は必要である。然し祈願もまた必要欠くべからざるものである。我々は弱く浅ましい、罪に傾き易く、主の御助に頼らなくては、一つの善をも行い得ず、一つの悪をも避け能はぬ、「我を離れては汝等何事をも為す能はず」(ヨハネ十五ノ五)と主も(のたま)うて居る。然らば弱く浅ましいこと我々の如く、罪を多く重ね重ねて居ること我々の如く、肉慾の猛火を踏み、罪悪の洪水に溺るゝこと我々の如く、過失の重荷に圧倒せられて、自ら起つ能はざること我々の如きものが、若し聖寵の助けなきに於いては、一歩救霊の門に向って進むことすら出来ますでしょうか。是れ祈願の我々に必要なる所以である。要するに我々の天主様に尽すべき義務は、礼拝、感謝、贖罪、祈願の四つであります。

(2) ミサ聖祭の目的も四つ 我々の肩の上に四個の重大なる義務が負わされてあることは  今云った通りであります。然し微力なる我々に、どうしてこの重大なる義務を果たし得ようはずがございましょう。

     然らば如何(どう)したら可いでしょう・・・心配するには及びません。ミサ聖祭があります。我々はこのミサ聖祭に頼りて、右の四大義務を、容易に、又完全に果たすことが出来るのであります。実にミサ聖祭は十字架の祭の再現である。カルワリオの犠牲が再びミサ祭壇上にお降りになり、我々億兆の為に御身を天の御父に献げ給う新約唯一の大祭である。(かつ)てカルワリオは十字架壇上に、御身を全人類の為に献げ給うたキリスト様が、今もミサの祭壇上に在りて、天下億兆に代わりて御身を犠牲となし、以って礼拝、感謝、贖罪、祈願の四大義務を果たし給うのであります。

    然らばミサは礼拝の聖祭である、感謝の聖祭である、贖罪の聖祭である、祈願の聖祭である。しかもこの聖祭の効果は無量無辺である、最高無比である。神自らが己を犠牲に供え、神自らが親しく執行し給う所の至聖、至尊、至高、至大の聖祭なのであります。

(イ)―ミサは礼拝の聖祭である 何となればミサ聖祭に於いて、天主の第二位なるキリスト様は、全人類に代わり、その至尊の御身を(へりくだ)って、被造物が造物主に払うべき礼拝をば御父に献げ給うのである。

      然らばミサ聖祭は是れ天主の第二位が第一位に対して執行し給う至聖至高なる大祭である、其の価値の比べなきことは言うを()たざる所で、金口(きんこう)聖ヨハネも()はれました。「一度ミサ聖祭を執行する時は、キリストがカルワリオで御死去になったのと、その価値は同等である」と。

然らばキリスト様がミサの祭壇上に犠牲と為らせ給うや、我々人類の天主様に負う所の礼拝の義務は、(ことごと)く又完全に果たされ得て、(なお)余りありと()わなければなりません。

(ロ)−次にミサは感謝の聖祭である 何となればキリスト様は身を以ってミサの祭壇上に犠牲となり、我々人類に代わりて、御父天主様の無限の御恵みに釣合うだけの感謝を献げ給うのであります。

(ハ)− ミサは贖罪の聖祭である (けだ)し世の罪を除き給う神の羔は、我々人類の罪の為に、ミサの祭壇上に犠牲となって献げられ給うのである。我々の罪は固より多く且つ重い。然しキリスト様は天主の第二位で、我々の罪の為に犠牲となり給うのである。「是ぞ我が意に適う我が愛子(あいし)なる」とヨルダン河の空より御声を放ち給うた御父は、今や其の愛子かミサの祭壇上より、「彼等はその為す所を知らざるものなれば赦し給え」と絶叫し給う声をば、何うして軽じ給うでございましょう。 して見ると、ミサ聖祭は我々の為に又なき(なぐ)(さめ)である、多大の希望である、有難い復活である。たとえ如何ほど罪悪の淵底ふかく沈んで居るにせよ、失望落胆する訳は決してありません。

(ニ)− ミサは祈願の聖祭である キリスト様は我々が罪悪の淵に溺れて、何を何うすることも出来ないのを憐れんで、自らミサの祭壇上に犠牲となり、聖寵のマンナの大いに我々の頭上に雨らされん事を祈って止み給はぬのである。然らば天恩に浴したいと欲する人、聖寵の救助を求めたいと思う人は、何うぞ来たってミサ聖祭に(あずか)って下さい。ミサ聖祭の中に祈るのは、罪深い我々が祈るのではない、神の御意(みこころ)(かな)い給うキリスト様が、我々に代わってお祈り下さるのである。之を思ったばかりでも、如何なる希望に胸の躍り立つのを覚えるでございましようか。兎に角、ミサを拝聴する時は、心を専らにして、右の四大義務を考え、祭壇に実在し給うキリスト様と精神的に一致し、以って礼拝、感謝、贖罪、祈願の四大行為を果たす様に務めたいものであります。(故道田師の作)

 

(五)聖

 

(1)−本月何日には聖体の祝日の公式を兼ねて、聖体行列をなすことになって居ます。

折も聖体行列の目的は聖体内に(こも)(ましま)すイエズス様を大いに尊敬礼拝し、その御恵みを感謝すると共に、亦己が信仰を公表する為であります。是こそ主の実在を信ぜざる異端者、主の聖体に暴言を浴びせ、侮辱を加え奉る不信仰者に向って、実行上から抗議を申し立て、我々の(いつわ)りなき信仰を表白(ひょうはく)する所以でありまして、悪魔は特に之を恐れ、各国政府を動かして、種々の口実の下に、極力この行列を阻止しようと務めて居る。幸い我国の当局者は全く教会の為すがままに放任して、何等干渉がましき挙に出ないので、我々は成るべく盛んに之を挙行したいものであります、従来我国のカトリックは、信仰的生活の表現を家庭内か聖堂内かに止めて、之を公に発表するのを憚る気味がないではありませんでした。然るに最近社会の進歩につれて、教界も著しく目醒めてまいりました。進んで公衆の前に乗り出し、純真なカトリック信仰を表白しようと試みる様になりまして、各地に聖体行列の如き盛事が行われることとなりましたのは、誠に以って大慶の至りと云わなければなりません。

(2)−願わくは異教徒の祝祭見たように之を一個のお祭り騒ぎに流されないで、胸中に(ただよ)える熱烈な敬虔(けいけん)。火の如き信仰をば自ら外に迸出(へいしゅつ)せしめ、一は以って異端者、異教徒の悪言、暴語、侮蔑(ぶべつ)を償い、一は以ってカトリック信仰の美観を門外の人々にまで仰がせたいものであります。なお我々信徒が平素聖体に加え奉る冷淡、無関心、不敬、陵辱(りょうじょく)を償い奉るのも、聖体行列の目的の一であります。主が夜となく昼となく聖体の中に籠り在し、我々の伴侶となり、食物と為り、犠牲ともなって下さるのは、それこそ何時まで感謝しても足りないほどの勝れた御恵み、驚くべき愛であります。然るに我々はこの愛を相当に理解して居ますでしょうか。

この御恵みの(かたじけな)さを十分に(わきま)えて居ますでしょうか。折角主が聖体の中に籠り在して、訪い来る人もやと()()び給うにも拘わらず、絶えて近き奉らうともいたしません。折角、魂の食物となって、我々を養い強めたいと欲し給うのに、務めて敬遠主義を執らそうとして居ます。ミサの祭壇上に犠牲となり、我々の為に礼拝、感謝、贖罪、祈願して下さいますのに、その祭典に與り、之が功徳を蒙り奉らうと云うものは至って少ない、嘆かはしきの至りではありませんでしょうか。

されば聖体の祝日には主を奉じて盛んな行列を作り、家を飾り、道路を飾り、声を限りに賛美歌を歌い、花を撒き、香の煙を浴びせ奉って、平素の無関心を、平素の敬遠主義を、平素の軽侮(あなどり)凌辱を償い、以って(いささ)か主の聖心を慰め奉るべく務めるのであります。

 

(3)−そればかりか、聖体行列は吾主の凱旋的行進であります。蝋燭の祝日や、枝の主日や、御昇天(多くの教会でミサ前に行われる)の行列の如く、公に主の御恵みを嘆願する為でもありません。

実に天地の大王の凱旋祝いを行うのであります。主を金光(きんこう)燦爛(さんらん)たる顕示台に収まる、釣鐘の勇ましく鳴り響き、聖歌や奏楽の音の洋々と流れ行く中に、多くの聖職者、数知れぬ信徒が前後左右を圍繞(とりかこ)んで、(ちまた) を練り行き、其の勝利を示し、その勢威を仰がしめるのであります。

 無論、我国での行列はさして壮大、盛観、善を尽し、美を尽せるものではありません。だが責めては生々たる信仰、熱烈なる(けい)(けん)を溢らせ、以って外観の足りない所を埋合わせたいものであります。

(4)−終に聖体行列は凱旋的行進たると共に、亦慈愛の神が親しくその民を訪問し、その子等の祈りにお耳を傾け、之が上に豊かな祝福を雨降そうと云う思召しから行はせ給う公式の御巡行なのであります。

主が御在世中、ユデアの町なり、村なりを御通行になるや、人々は争って之を出迎え、小児等は真っ先に飛んで行って祝福を願い、病人は路傍に待ち設けて平快を求めるのでありました。今主はパンの形色の下に隠れながら、教区間の一部を通過して祝福の雨露を(そそ)ぎ給うのであります。出来るだけその行列を盛んにし、その凱旋の光栄を発揚し、外は以って異教徒にまで我宗教の美観を示し、彼等の心を引いて主の御許に近づけ、内は以って我等一同の上に豊かなる祝福を呼び降したいものであります。

 

 

 

 

(六) 聖 体 行 列

 

本月何日には例によりて某教会に於いて、聖体行列を執行されるはずになって居ます。梅雨中のこととて特に氣遣はれるのは天気でありますが、然し我々の熱心が主に通じたら、好天気を恵まれることは疑いを容れない所であります。

(1)−抑も聖体行列は聖体の中に実在し給う御主に対する一種の信仰宣言であります。

主は人々を愛するが余り、之を離れるに忍び給はず、わざわざ聖体の秘蹟を定め、夜となく昼となくここに閉じ籠り、人々の礼拝を受け、嘆きを聴き、罪を赦し、恵みを与え給うのであります。

然るに人々はこの有難いとも有難い御恵みを思わず、その教を信ぜず、その戒めを守らず、国家の法律、学校、社会、の制度習慣の中にも主を容れ奉るのを望まないのであります。甚だしきに至りましては、家庭からまで、己が心からまで、主を追放し奉り、「我等は彼が我等の王となることを否む」(ルカ十九ノ十四)と大胆にも叫んで居る位、社会の紛乱、人身の動揺、腐敗、顛倒(てんとう)は主として此に原因するのではありませんか。

我々公教信者たるものは、この険悪な世相に対して、冷淡、無関心を極め込んで居るべき筈ではありません。社会が主に遠ざかり、その(くびき)をかなぐり棄てようと務めれば務めるだけ、我々はいよいよ信仰を熱烈にして、主に密接し奉り、「我等は彼が我等の王たることを否む」と悪魔の如き叫びを挙げる人々の向うを張って、「彼は王ならざるべからず」(コリント前十五ノ二十五)と叫ばなければなりません。

兎に角聖体行列の第一の目的は、主の至聖聖体にたいして我々の信仰を宣言し、人々の主に加え奉る軽侮(あなどり)凌辱(はずかしめ)を償い、その数々の罪のお詫びをすると云うにあるのであります。

だから今日は平生に倍して我々の熱情を披瀝し、聖体の内に(ましま)す主を尊崇(そんすう)讃嘆(さんたん)、愛慕して、一は以って己が偽りなき信仰を表白し、一は以って世の人々の冷淡、軽侮、凌辱の謝罪をなさなければなりません。

(2)−主が聖体の中に籠り給うのは、我々と世の終りまで留まり給うはんが為であります。かって御在世当時、人々を憐れみ、助け、慰め給うたが如く、今も我々を憐れみ、助け、慰め給はんが為であります。かって十字架上に御身を犠牲として、御父の怒りを宥め、人類の上に御憐れ身を祈り給うたが如く、今も聖体の中にその犠牲をつづけ、御父の御怒りを(なだ)め、我々の上に御憐れみを祈り求めんが為であります。要するに主はユデアに於ける二千年前の御生活、その伝道、その奇蹟、その祈祷をば、今も聖体の中に続けさせ給うのであります。

 

 

(3)−さすれば今日祭壇上に主の御聖体を安置し奉ったり、之を捧持して行列をしたりするのは、二千年前の御生活を近く我々の眼前に実現させ奉る訳ではありませんでしょうか。

その聖体の御前に跪いて居る間に、主は何等かの御教を聴かして下さいませんでしょうか。何等かの奇蹟を心霊上に行い下さいませんでしょうか。少なくも我々は十字架上に御身を犠牲に供えさせ給える場面に立合って居る様なものではありませんでしょうか。今日ほど我々の願いは聴かれ、望みは遂げられ、恵みも与えられる日はないのであります。

    だから今日は殊更ら熱心に御恵みを願いましょう・・・。我々の望みを打開け、志を申上げ、自分の為、人の為、すべて欲しいと思う所を願い出ることにいたしましょう。

   悪魔の誘惑、肉慾の跳梁、我身の不甲斐なさ等に困って居るならば、厚い信頼心を以って我等を訴えたら、主は必ず御耳を傾け、情を動かし、力を貸して下さいます。少しも疑うには及びません。

    喜ばしい事があるならば、主に打開けて、共に喜んでいただきましょう。何か計画して居る所があるならば、主に申出で、祝福を求め、之を実行する為の力を恵み給えと祈りましょう。其の他、肉身上によらず、霊魂上に限らず何事も主に訴え、友が友に、子が父に物語る様に有のままに親しく物語って、御助けを願い、御憐れみを祈ったら、主は喜んで御耳を傾け、快くその願いをお許し下さるに相違ないのであります。 

(4)−猶この序に我同胞の改心をも祈らなければなりません。我国の人口は七千万の多きに上って居るのに、カトリックの数は朝鮮のそれを合わせても僅かに十四五万、何と云う情けない話でございましょうか。彼等とても日本帝国に生れた我々の同胞ではありませんか。彼等とても同じ神に造られ、同じ救主の御血を以って贖はれ、同じ天国の福楽を(かたじけな)うすべく定められたものではありませんか。

    彼等が相率いて救霊の道を踏み外し、あられぬ方向え迷い込みつつあるのを見ながら、カインのように「兄弟の番人ではなし」と涼しい顔をして居られる筈がありましょうか。主はかってユダアの村々を巡回して(おしえ)を説き、病を癒し給うのでありましたが、群集を見て彼等が牧者なき羊の如く、疲れきって居るのを憐れみ、弟子達に向って、「牧穫(かりいれ)は多いガ、働く者は少ない、働く者をその牧穫え遣わし給う様、牧穫の主に願え」と仰せになりました。今日も主は聖体の中から広く吾国の民衆を見廻し、彼等が(やみ)と死の陰に座し、罪悪に疲れきって居るのを憐れみ給はぬでしょうか。「働く者を遣し給う様、御父に願え」と我々にも命じ給はぬでしょうか。「主よ、私の娘が悪魔に()かれて居ます。私の子が死に瀕しています。私の兄弟が死にました。憐れんで下さい。癒して下さい。蘇生して下さい」と願う者がある毎に、主は喜んでその願いに応じ給うのでありました。然らば今、我々が主を奉じて行列をなしつつ、日本国民のために祈りましたら、我々の父母たり、兄弟姉妹たる日本国民の心から、悪魔を遠ざけ下さる様、その心の病を癒し、之を冷たい死の墓より蘇生して下さる様、熱心こめて祈りましたら、主は飛び立って応じ給うはぬはずがありましょうか。

                          

 

イ エ ズ ス の 聖 心

(一) 聖 心 に た い す る 信 心

 

聖心とは何であるか、何を要求し給うか、何を与え給うか、この三つを考えてみます。

(1)−聖心とは何であるかー我々に礼拝崇敬せよ、と云われるのは、申すまでもなく、神の御子の御心臓である。我々の心臓の如く肉より成った御心臓、主の御胸に高鳴りした御心臓、その地上生活の重要機関、御死去後、ローマ兵に刺し通され給うたその御心臓であります。然しこの御心臓を特に礼拝するのは、そが神なるペルソナに合体され、神人(しんじん)の一部をなして居るからではない。主としてその我々にたいし給う熱愛、その熱愛の明るい、燃ゆるが如き(しん)(ぼる)だからであります。人は心が第一で、心即ち人であります。その人物の如何を正しく判断するには、どうしてもその心を知らなければなりません。イエズス様に就いても同じく()うで、その如何なる御方なるかを判断するには、聖心(みこころ)を知らなければならぬ。イエズス様が己が聖心を我々に示して、「この心を御覧なさい、人を如何に愛したものですか」と仰有ったのは之が為であります。然うです。一目イエズス様の聖心を眺めますると、我々を如何に愛し給うか、「神は愛にて(ましま)す」と()った聖ヨハネの(ことば)が如何に真実なるかを、容易に悟ることが出来るでありましょう。

(2)−聖心(みこころ)は何を要求し給うかー愛の要求する所はただ一つ、愛されること、心の為に心、愛の代わりに愛、ただそればかりであります。

イエズス様は(かつ)(のたま)うたことがある、「我は地上に火を放たんとて来たれり、その燃ゆる外には何をか望まん」(ルカ三ノ四十九)と・・・。聖女マルガリタ マリアには、一層明らかに「我は渇く、愛されたい望みに燃えて居る、私は人々を私の愛に改心せしめたい」と仰せられました。イエズス様がその聖心を示して、御要求になる所、それを我々は是非とも叶えて上げなければならぬ。聖心が我々を愛する、と(おっ)(しゃ)って下さるのを聴く時、我々の心は(ひど)く動きます、その驚くべき御情に感じ、その代わりに我々もこの心を主に献げなければならぬと云うことを、しみじみと覚って来るのであります。聖パウロは感動の余りに、「彼は我を愛して我為に己を付し給えり」(ガラチア二ノ十)と繰りかえして居る・・・・・斯くまで愛し給うた聖心を、何うして愛せずに居られましょう。

「人もし我主イエズス・キリストを愛せずば排斥せられよ」(コリント前十六ノ二十)と聖パウロは叫ばれたが、二千年以来、すべての偉大なる聖人等は何れも、「主は私を愛し給うた・・・私も主を愛します」と答えて居るのであります。

(3)−何を与え給うかー我々の愛の代わりに、その愛に酬いるが為、如何ほど立派なお約束をして下さいましたか。お聴きなさい、「我はその家庭を平和ならしめん、艱難に際して之を慰めん、その為す所に豊かなる祝福を濺がん、一生涯、殊に臨終の際、安全なる避難所たるべし」・・・我々は義理上から言っても、大いに主の聖心を愛し奉らねばならぬのに、是ほど立派なお約束まで賜った以上は、いよいよ聖心にたいする敬虔を盛んにし、この敬虔を以って我々が全生涯の中軸となさなければならぬ・・・イエズス様の御要求になる所を残らず献げましたら、イエズス様もまたその約束し給うた所を残らずお与え下さるに相違ありません・・・

 

(二)聖 心 に た い す る 敬 虔

 

(1)− 感謝 イエズス様は聖女マルガリタ、マリアにその聖心を指示して「この心を御覧なさい、人を如何に愛したものですか・・・然るに大多数の人々からは軽侮(あなどり)と忘恩しか受けないのです」とお嘆きになりました・・・世に忘恩ほど憎むべきものはない・・・だがイエズス様にだけは、その憎むべき忘恩を加えても差支えないかの如く大概の人は考えて居るのじゃありませんでしょうか・・・

今日までイエズス様に(かたじけな)うした御恵みを数え、その中でも、特に御托身、御受難、聖体の三大恩を思って見なさい。

         御托身 全能の神様が我々の為に(いや)しい人間となって、ベトレヘムの馬屋に生まれ、エジプトに走り、ナザレトに帰って三十年の間も見窄(みすぼ)らしい大工小屋に、難儀な生活をして下さったとは、実に何と云う大きな御恵みでしょうか。

然し御受難は更に驚くべき御恵みで、全能の神様が、我々の為に、我々の罪を御身に引受け、我々に代わって、鞭打たれ、茨を冠られ、ありとあらゆる辱めを浴びせられ、終りには十字架に釘けられて御死去なさいましたことを思いましたら、誰かその愛の限りも涯しもないのに感泣鳴謝せずに居られましょう。主の愛はいよいよ出で、いよいよ感ずべく、茲に聖体の秘蹟までもお定め下さいました。至大至高の神様がパンの形色の下に隠れて、世の終までもこの涙の谷に留まり、毎日毎日己を祭壇上に犠牲となし、且つは我々の食物とまでなって、我々を養い、強め、護りて止み給はぬのであります・・・

是ほどの愛を忝うして居ながら、我々は果たして夫れを認め、それを感謝して居ますでしょうか、かえって聖心に「侮辱と忘恩とを浴びせかけ奉って居る大多数の人々」の一人とはなっていないでしょうか。

(2)− 謝罪 主の聖心が絶えず人々に加えられ給う軽侮(あなどり)凌辱(はずかしめ)、忘恩の沙汰を数えて御覧なさい・・・主を認めず、礼拝せず、敬愛せず、主の聖体を拝領し奉ろうともしない人が如何に多いかを思いなさい・・・聖心は聖女マルガリタに云ってお嘆きになりましたか・・・せめて我々は、聖心を認め奉って居る我々は、聖心の愛を有難がり、(いささ)かなりとも愛に報いるに愛を以ってしたいと心掛けて居る我々は、何とかして是等の侮辱の代わりに、心からなる謝罪を献げて、聖心を慰め奉り、(しばしば)聖体を訪問し、熱心に之を拝領し、主の御光栄を揚げ、御国を(ひろ)め、なるべく大多数の人々に聖心を知らしめ、尊ばせ、愛させ奉る様、力の限りを尽すべきではないでしょうか。

(3)− 模倣 聖心に我々の偽りなき愛を証するには、出来るだけ之に則り奉るに限る。  聖心の弟子に相応しき生活を為し、聖心の実行し給うた謙遜、柔和、愛、忍耐、神の思召しえの服従などの徳を実行すべく務めるに限るのであります・・・「我は()くと雖も、既に我に非ず、キリストこそ我に於いて活き給うなれ」と聖パウロと共に言い得るに至りますならば、それこそ真実に聖心を敬愛し奉って居る証拠ではないでしょうか。我々は是非とも、この喜悦、この(なぐ)(さめ)を聖心に献げ奉りましょう。さすれば聖心の方でも、この世では豊に聖寵を賜い、後世では言い知れぬ光栄に酔わして下さるべきは、疑いを容れない所であります。

 

 

(三)聖 心 を 愛 し ま し ょ う

 

(1) 聖心は限りなき愛もて我々をお愛し下さいました。我々は幾ら聖心を愛しましても、愛しましても、十分その愛に報い奉ることは出来ないのであります。

    たとえ浜の(まさご)や、海の水滴(みずたま)や、地上の草の葉、木の葉、天に輝く日、月、星や、是等が残らず心になってしまい、そのすべての心がイエズスを愛するの外に思う所なく、望む所なく、目的とする所なきに至りましても、聖心の愛され給わねばならぬだけ愛し、奉ることは到底出来ないのであります。聖心を愛し奉るには、天使等の愛、聖人等の愛、聖母マリアの愛も十分ではない。神の限りなき愛らしさを相応に愛し得るものは、無限の神の外にはないのであります。だから我々は、到底何時になっても払い(おは)し得ない債務者である。ただ出来るだけ力を傾けて支払いましょう。少なくも支払いたいと云う善意だけは持って居る、忘れては居ないことを表しましょう。

(2)−「神を愛するの程度は、程度なく愛するに在り」と、聖ベルナルドは()われました。この愛こそが我々の主要なる思い、否、唯一の思い、唯一の努力でありたい。是で沢山であると云うだけ尽くし得ないから、せめては、より善く尽くしたいものであります。

    我々の行為の功徳は、ただ意向の如何に由るのであります。然らば何を為すにも、ますます意向を純潔になしましょう。すべてをイエズス様の為に果たし、人の報いを求めようとか、人々に感謝されようとか、よく思われようとか、よく言われようとか、そんなことは問題にしてはならぬ。人が不義を働いても、我々に何の関係がありますか。我々は人の為に生きて居るのではない、聖心(みこころ)の為に生きて居るのです。聖心(みこころ)が御満足に思召し下さらば、それで沢山ではありませんか。

(3)−聖心をますます愛すべく努めるのは、如何に必要でしょうか、「徳の途に於いて進まざるは退くなり」と霊生(れいせい)教師等は()って居ます。神の愛については特に()うで、より熱く愛すると云う努力を(ゆる)めるならば、必ず自己愛に取って代られる、微温は機会を伺って居る、(やや)もすると最初の熱心を冷まし、イエズス様から吐き出されてしまうに至らんにも限りません。

(4)−聖心を益々愛すると、以って失った時日を回復することが出来る。今まで如何に我一生を使い果たしましたか、(かたじけな)うした聖寵!それこそ神の御血の価でありますが、その聖寵を如何に利用して居ますか。忠実に天主様に仕えましたか。随分長く、随分(しばしば)天主様えの奉仕を怠らなかったでしょうか。それは何の為ですか?愛が足りなかったからでわありませんか・・・今それを悔しく思っては居ませんか・・・然し失った所を是非とも回復したいものと固く決心しないならば、その悔しさも果たして真実と思われますでしょうか。多く等閑(なおざり)にしただけ、一層注意を深くし、多く(なま)けただけ、一層勇気を奮い、多く冷淡であっただけ、一層熱心となるべきではありませんか。是から先き何時まで生き(ながら)えるでしょうか、また幾何(どれだけ)の命が残りますでしょうか。もう後は格別ないのではないでしょうか。さすれば一分間でも無駄に費やしてはならぬじゃありませんか。

 

(5)−終に聖心を愛し奉らねばならぬ理由が今一つあります。それは毎日の御恵みで、我々は一日として聖寵を蒙らざるなしである。身体の方から申しますと、食べて居る御飯、吸って居る空気、住んで居る家、身を暖める服、天から照らす太陽、下から載せてくれる地球、美しい花、馥郁(ふくいく)たる芳香(ほうこう)是等はすべて主の慈愛の御手より賜る御恵みでわありませんか。

    心には如何(どうか)かと云うに、家族の情、朋友の親しみ、愉快で、気を慰め、心を引起てる交際、困難に陥り、途方に暮れた時の激励、助言等、是等もつまり聖心より賜る御恵みではありませんか。霊魂には、良き思い、美しき望み、善の励み、立派な手本、善き言、善き勧め、聖人等の保護、守護の天使の護衛、聖母マリアの慈愛、贖宥(しょくゆう)(しゃ)(ざい)、聖体拝領、何れも何れも言語に余るほどの御恵みではありませんか。斯の如く、聖心は、恵みを施し罪を赦し、己を与えて止る所を知り給わぬ。それも毎日、毎時のことである・・・我々は果たしてそうして戴くだけの権利があったのですか・・・それだのに、我々ばかりが聖心を愛し奉るに疲れを感ずるとは()うしたことでしょう。聖心の御恵みはいよいよ増加する一方ですのに、我々の方では、「もう沢山!更に愛する必要はない」位に考えて居るのじゃありませんか。

    アシジオの聖フランシスコは小鳥を招いて、共に天主様を讃美させました。我々の小さな心は、充分に聖心を愛し奉るに足りませんから、他の援助(たすけ)を求めましょう。

   聖心の為に小さな友を作り、彼等を教え、勧め、励まして、主を愛させ、讃美させ、以って我々の心の足りない所を補うべく務めましょう。

    そう致しますと、聖心には光栄を、兄弟と我が身には救霊を得せしめる訳で、実に一挙両得と云うものではありませんでしょうか。 

 

(四)聖

 

(1)−イエズス様は或る時、聖ペトロに向い、「この人々に超えて汝我を愛するか」とお尋ねになりました。其の時聖ペトロは「私が主を愛することはご存知の所であります」と謹んで答えました。

今聖心は我々に向っても、同じ問いを発して、「汝我を愛するか」とお尋ねにならないでしょうか。信心の務めを果たす時、朝夕の祈りを誦える時、ロザリオを爪繰る(つまぐ)時、告白をなし、聖体を拝領する時、「汝我を愛するか、もし愛するならば、他の思いを一切(とおざ)けよ、我前に身を慎み、思いを静めよ。一心になれ」と(おつ)(しや)らないでしょうか。

(2)−我々が職務を果たす時 主人であろうと、下僕であろうと、資本家であろうと、労働者であろうと、教師であり、生徒であり、親であり、子であり、夫であり、妻であるにせよ、皆夫々(それぞれ)に果たすべき務めがあり、尽すべき責任があるのですが その時聖心は我々に向って、「汝我を愛するか」とお尋ねになるのじゃありませんか。

(3)−終に試練に揉まれる時も、同じ問いを発し給うのです。試練!それは辛い、堪え難いものですが、然しまた随分頻繁に我々を訪れて来るのです・・・実にこの世は涙の谷・・・敵はその悪意を以って我々を苦しめる、友人はその無作法、その忘恩を以って我々の心を傷つける、たとえその友愛には(かは)る所がないにせよ、然し不完全である、たとえ不完全でないにせよ、早かれ(おそ)かれ離別の悲しみをみねばならぬ。その他疾病(しっぺい)に見舞われる、失業に出遭(でっくわ)する、貧困に悩まされると云う様に、試練は到底免れ難い。してその試練も、之を我々に送り給うのは聖心だ、之を送りながら、「汝我を愛するか」と問はせ給うのだと云うことを忘れるならば、いよいよ以って堪え難く覚えられるのであります。

(4)−我々は右の問いにたいして如何に答えねばなりませんでしょうか。先ず聖ペトロの如く謙遜して答えましょう。彼は前の苦い失敗に懲りて、謙遜しました。決して人の上に身を置かないで、「私が主を愛することは御存知の所であります」と謹んで答えました、我々も人より善いもの、我々ほどの天恩を(かたじけな)うしなかった人々よりも勝れて居ると思ってはならぬ。そしてペトロは三たび問はれて、三たび同じ様に答えました。我々も問はれる毎に答えましょう、聖心を愛し申して居る、祈祷にも、仕事にも、試練の中にも、聖心を愛して(かは)る所がないと答えましょう、死ぬまでも、同じ様に答えましょう。

(5)−なほ我々は聖ペトロの如く痛悔の人でありたいものです。聖ペトロは主を三たび否んだことを一生涯忘れません、身を終わるまで、その罪を泣き、両眼より絶えず流れ下る涙は、顔に二條の涙の溝を穿(うが)つに至ったと云う伝説さえ残って居る位に悲しみ嘆いて、その罪滅ぼしをしたものであります。我々の人となりが如何でありましょうと、聖心にたいする現在の愛が如何に誠実でありましょうと、また随分罪を犯し、過失を重ねて居ませんか。幾ら悔い悲しんでも足りない程ではありませんか。そして痛悔は愛の証拠ですから何時になりましても、この痛を忘れない、すべての祈祷の中に、盛んに熱心の情が湧き立ちかえる敬虔の中にすら、罪を嘆くことだけは忘れない様にせねばなりません。

 

(6)−我々の答が完全であるには、言だけでは足りない、行を以ってせねばなりません。

   聖心は我々が祈り始める時、「汝、我を愛するか」と問い給うのですから、必ず忠実に祈り、忠実に告白や聖体を拝領して、答えましょう、時として(これ)()、敬虔の務めに何の趣味も感じない時があります。もし自然の欲する所に従うならば、何か一寸した口実でもあると、忽ち之を抛げ出してしまおうとするものですが、決して然うしてはなりません。むしろ其の時こそ我々の偽りなき愛を証明する好機会であります。心が散り乱るれば散り乱れるほど、いよいよ之を集中せしむべく務め、飽くまでその祈祷を、その敬虔の務めを続けなければなりません。

   我々が其の身其の身の義務を果たす時、主は「汝、我を愛するか」とお尋ねになりますから、忠実にそれを全うし、心から主を愛して居るの実をお目に懸けることに致しましょう。

    その義務が自分の趣味に合うのでしたら、愉快を感ずるからでなく、ただ主の思し召しに適うが為に之を果たす様にし、好きでも不好(ふす)きでもない時は、聖心の愛を以って之を聖ならしめる。もしや、苦しい、困難な義務でしたら、其の時こそ虚栄の為、自分一個の利益の為でなく、ただ聖心(みこころ)を喜ばせ奉るが為、聖心が之を命じ給うのだからと思い、喜んで之を果たす様に努めましょう。

    (つい)に試練 その試練の中にこそ聖心は我々を()たせ給うのです、その試練の中に於いてこそ、聖心は我々に向って、「汝、我を愛するか」とお尋ねになるのであります。試練!それは随分辛くて苦しいものでありますが、然し聖心より送られたもので、我々を主の御受難に組合させ、大なる功徳を積ましてくれるのだ、一方よりは之によって我々の愛を、心からなる偽りなき愛を証明せしめるのだと云う事を忘れてはならぬ。

    聖母マリアは常に御子を愛し給うたのでしたが、その愛の熱烈さを最もよく証し給うたのは、十字架の下に於いてでした。我々も勇ましく十字架を担ぎ、潔く苦しみを引き受けて以って、我々の愛を聖心に証することが出来る、あらゆる敬虔の務めを以ってよりも、熱心な聖体拝領を以ってよりも、苦しみを快く堪え忍んでこそ、一層誠実に、一層確かに「私は主を愛しまする」と申し上げることが出来る訳であります。

    兎に角、我々は主の問いに応じて、何時(いつ)何時(いつ)も同じ答を申上げましょう、口も心も行為も、ただこの一事だけを申上げ、斯くて永遠の世界に参りました時、いよいよ喜びに堪えずして之をくりかえすことが出来ます様、務めたいものであります。

 

 

 

聖母の(いと)(いさぎよ) 聖心(みこころ)

(一) 日

 

(1)− 聖母の(いと)(いさぎよ)聖心(もこころ)を日本公教会の擁護者と定めたのは、十九世紀に於ける最初の日本宣教師フオルカド師であります。

師は一八四四年(弘化元年)四月二十八日、フランスの軍艦に送られて琉球の那覇に入港されたのですが、越えて五月一日の朝のことでした。軍艦内でミサ聖祭を執行した上で、この琉球の新伝地を聖母の(いと)(いさぎよ)き聖心に献げ、いよいよこゝに布教を開始して、幾人かの島人を真の信仰に引き入れ、一軒の小聖堂でも建設することが出来たらば、直ちにローマに請願して、この国を残らず聖母の御保護に(ゆだ)ね奉るべし、と宣誓されました。

尤もフオルカド師はこの宣誓を実現し得られなかったのですが、然し一八六二年(文久二年)始めて日本の土を踏まれたジラル宣教師は、フオルカド師の志を空しうせず、ローマに申請して聖母の(いと)(いさぎよ)き聖心をば、日本公教会の擁護者と定められたのであります。

(2)− 然しフオルカド師が特に聖母の(いと)(いさぎよ)き聖心に日本公教会をお頼みになったのは何の為でございましたでしょうか。

その理由は何とも書き遺してありませんから、(しか)と断言は出来ませんが、多分その少し前に「勝利の聖母堂」に起った出来事に、暗示を得られたものではあるまいかと思はれてなりません。勝利の聖母堂とは、仏国パリーの真直中(まっただなか)に在る有名な聖堂ですが、其処の信者は一時極度の不熱心に陥り、大祝日にでも聖堂は全くのがらんどうで、死ぬ時にすら、司祭のお世話になろうと云う者は余り多くない位、主任司祭デジユネト師は、四年の間もあらん限りの力を絞りて働いて見たのですが、何の効果も現れません。然るに一八三六年十二月不図感ずる所あって、聖母の(いと)(いさぎよ)き聖心を尊ぶが為、「勝利の聖母会」と云うのを組織し、罪人の改心を求めることに致しますと、信者は急に深い深い(ねむり)から醒めたかの如く、邪を去り(せい)に帰するものが引きもきらずあり、数年ならずして、其の教会の面目は全く一新するに至りました。

フオルカド師は多分この事を見聞して居られたので、我国民を帰依(きえ)せしめる、二百有余年の久しきに亘って、迫害の恐ろしさに(ちじ)み上って居る我国民を基督教に帰依せしめることは容易からぬ難事業で、聖母マリアの力ある御保護に頼るより外はないと見て取られたからではなかったでしょうか。

 

(3)− 然し罪人の改心、異教者の感化の為、殊に聖母マリアの(いと)(いさぎよ)聖心(みこころ)を頼むのは如何(どう)した訳でしょう?他ではありません。マリア様が原罪の汚れに染まず、自罪の傷をも被らず、(れい)(ろう)玉の如き潔さを保つの特典を忝うされたのは、救主の御母たるべく選まれ給うたからであります。

そして救主がこの世に生まれ給うたのは、憐れな罪人を救い上げて、之に救霊を得せしめん為でしたから、随って救主の御母にて(ましま)すマリア様も、救主の愛し給うた罪人や迷える人を愛し、救主に手伝いして、彼等に救霊を得せしめたいと一心に(ねが)い給うのは、当然の事ではありませんでしょうか。

その上、マリア様はカルワリオに於いて救主より人類を御手に托けられ、何とかして彼等に救主の御血の功徳を蒙らせたいと熱望して居られます。しかもマリア様は「憐れみの御母」とさえ称えられ給うほどあって、憐れな人、罪に溺れた人、異教の(やみ)彷徨(さまよ)える人を憐れみ、彼等を正しき道に引き上げたい、真理の光を仰がせたいものと、熱く熱く望み給うのであります。

一体罪に汚れた人ですと、邪欲に(わづら)はされますので、(やや)もすると心があられぬ方面え走りますので、天主様を愛し、人を愛し、天主様の御光栄(みさかえ)を挙げ、人の(たす)(かり)(はか)ると云う方に専らなり得ない(うら)みがあります。然しマリア様は罪もなく、邪欲も知り給はぬのでしたから、それだけ一心を傾けて天主様を愛し、その御光栄を揚げ奉り、人を憐れみ、彼等を助けて罪を離れ、迷いを去り、真理の途え引き返して、(たす)(かり)の彼岸に到達せしめたいと念願し給うのであります。

(4)− 右様な理由により、我日本公教会は、聖母の(いと)(いさぎよ)き聖心に依頼され、その御保護を(かたじけな)うすることになって居るのですから、我々は平生より聖母の(いと)(いさぎよ)き聖心、一点の罪の汚れもなく、ただ清く潔く照り輝き給うこの聖心を感嘆もし、讃美もし、出来るだけこの聖心の如く罪の汚れに(とおざ)かるべく務めると共に、世の憐れなる罪人、(やみ)と死の陰とに()せる人々を一人でも多く改心に導き給えと、祈らなければなりません。

 

(二) 聖

 

(1)−聖母の聖心をそれ自体に就いて観察いたしますと 是は全能なる天主様の傑作であります。天主様は聖母を御子の御母たるべく造り、之にあらゆる優れた聖寵、感ずべき賜を与え、神の御子の御住所(おんすみか)に相応からしめんと欲し給うたのであります。随ってこの汚れなき聖心は、蒼天よりも清く、太陽よりも美しく、邪慾に傾く憂いすらなく、我々の胸を騒がし、心を乱す悪念、そんなものは露ばかりも知り給はぬのでありました・・・実にマリア様は原罪の汚れなくやどされ、その魂の清さを曇らす過失、その美しさを汚すべき欠点とては一つもなかったのであります。超自然的光にその智を照らされて、天主様の偉大さと、己が虚無(きょむ)とをよく(わきま)えて居られましたから、聖母の聖心は完全に謙遜でした。天主様の御稜(みい)()の前に己を(むな)しうし、我が身に備れる長所美点、自分の為し得る善業、其等は皆天主様に帰し奉り、少しでも之を私し給う様なことはなかったのであります。この同じ光によって、聖母は世物の空しく、虚無に等しいことをよくよく悟って居られました・・・その心は一切の世物を解脱し、すべての道ならぬ感情、その感情の(ほだし)を解かれて自由となり、ただ仰ぐ所は天主様、ただ求める所はその天主様の()(こころ)で、「汝等は死したるものにして、その生命はキリストと共に神に於いて隠れたるなり」(コロサイ三ノ三)と云った聖パウロの言を、そのまま実現されて居るのでありました。

 

(2)−聖母の聖心をその天主様との関係に於いて観察いたしますと   この清い、聖寵に充満(みちみち)てる聖心(みこころ)は、天主様にたいして感謝の念に躍り、愛熱に燃え、御光栄(みさかえ)を一心に(こいねが)い、為に骨を惜しまず身を(なげう)って尽くし給うのでありました。実際聖母はただイエズス様のことのみを思い、ただイエズス様の為のみに生き、その言もその行いも、その心臓の鼓動も、一々完全なる愛の行為(おこない)であったのであります。何事に於いても天主様の思召しに従い、之を以って己が進退挙動の唯一の法則とし給い、「我は主の(つかひめ)なり、仰せの如く我に成れかし」と始終くりかえして居られました。御子の御托身の際のみならず、エリザベトを訪問するにも、ベトレヘムへ行き、エジプトへ走り、ナザレトに住み、十字架の(もと)(たたず)むにも、「我は主の婢なり・・・」と云い、天主様の思召しの法則に外れ給う様なことは決してなかったのであります。天主様にたいする愛、その骨を惜しまず、身を(なげう)って尽すと云う精神よりして、何時でも、何事にも、己を清い、聖なる、神の()(こころ)に適へる供物(そなえもの)とし給うのでした。その犠牲は早くより、しかも心から、少しの制限もなく、勇ましく、間断なく、イエズス様の犠牲に合わせて献げ給うのでありました・・・ 天主様が世に尊ばれ給い、イエズス様が人々に認められ、愛され給うのを見たいと云う熱烈な望みに、聖母の聖心は(もえ)切れんばかりでした・・・随ってこの愛の聖心(みこころ)はユデア国民か聖寵の勧めに背き、数知れぬ異教徒、悪にこびりついた罪人が何時になっても心を改めないのを見て、如何なる悲痛(かなしみ)に沈み入り給うたでしょうか・・・人類救贖(あがない)の大事業の首尾よく全うせられん為に、如何ほど歎きもし、涙も(こぼ)し給うたでしょうか、「マリアの心はイエズスの心だ」と申しますが、実によく穿(うが)った(ことば)であると云はなければなりません。

 

(3)−聖母の聖心(みこころ)を我々との関係に於いて観察いたしますと 聖母の聖心は何の方面から観ても、イエズスの聖心と一致し、その生き写しとも()はれ給うまでに一致して居られましたから、またイエズスの聖心の如く、柔和、哀憐(あいれん)、親切、博愛に(みなぎ)って居られたことは申す迄もない所であります・・・イエズス様は人類の為に御托身なさいました。その御血も、その御生命も、彼等の為に(なげ)()てなさいました・・・マリア様はまたマリア様で、彼等の為に己が生命以上のものを、即ち最愛の御子をお与えになりました。さればこそ御子の代りに彼等を残らず与えられ、全人類の母となられたのであります。だから聖母の聖心は絶えず我々の上に注意し、我々を護り助け、恵みを施し給うのである。十字架の下に於いて言い知れぬ苦痛の中に我々を産み給うただけ、それだけ熱く我々を愛し給うのである・・・御子の養育を担当されたその刹那より、そのすべての思い、そのすべての熱誠(ねっせい)、そのすべての活動を残らずイエズス様の為に傾け尽し給うのであったことが知られます。ベトレヘムでも然うでした。エジプトでも然うでした。ナザレトでも同じく然うでした。是こそ聖ヨゼフの生活を(なら)びなきまでに偉大ならしめた所以のものではなかったでしょうか。凡そ我々の行為の価値を決定するのは、その結果の如何に(あら)ずして、我々がその行為に持たする目的に()るのであります。自分の為す所が、大小軽重(けいちょう)の別なく、すべて天国の報いに値するよと見る時、胸は如何なる歓喜に躍り立って来るでしょうか・・・その為に何を要しますか・・・ただすべてをイエズス様の為に()る、ただ聖ヨゼフの如く、イエズス様を愛する心で一切を果たす様にすれば、それで沢山なのであります・・・。

(4)― 聖ヨゼフはイエズス様の御眼の前に()きて行かれた 右申しました様な生活様式、そのプログラムを実現するが為め、天主様は我々に必要な御援助(おんたすけ)をお与え下さいました。その御援助は、始終天主様の御眼の前を思うこと、言い換えれば、絶えず天主様の御眼(おんめ)の前に活きて行くことであります。聖ヨゼフを御覧なさい、己が意のままにしたいと思う様なことが万に一つも出て来たにせよ、一目神なる御子を仰ぎ視ると、忽ち己が天職を思い出し、一切不純な念は跡もなく消え失せるのでありました。自分の愛し敬える御方の眼前に居ると、自ら勇み立ち、腕打ちさすり、力足ふみ鳴らすに至るもので すべて真実な美しさ、(まが)いなき功績は、心に在って(そん)する。心即ち人で、其の人の一切は心に(つぼ)まると謂っても可い位、随って聖母の偉大さを十分に会得するには、何うしてもその聖心(みこころ)を研究して見なければなりません。その聖心の奥へ這入って、如何なる天使、聖人にも見られない程の美しきその御徳を仰ぎ視なければなりません。実に聖母の聖心は聖三位の傑作でありました。御父は之をいとしの姫君とし、御子は之を最愛の御母とし、聖霊は之を最も(ふさ)はしき神殿として、成るべく完全に作り、なるべく見事に飾り立てゝ下さいました。斯くて聖母は原罪の傷に悩まされず、自罪の汚にも染まず、邪慾の騒ぎすら知り給はず、曇りなき明鏡の如く、立派に主の御姿を写し給うと共に、また夜昼務め励みて、ますます善を修め、徳を(みが)き、(つい)には、「万の徳の淵なるイエズスの聖心」を生き写しにでもしたかの如く、仰がれ給うようになったのであります。何と云っても人は心が第一であります。財産があろうと、身分が高かろうと、容姿が優れて居ましょうと、心が汚れ、品性が卑しくては全くお話になりません。で我々も主の聖心に(かな)い、その御目を()き奉るには、何はさて措き、聖母に(なら)って心を修め、徳を研くよう務めなければなりません。 

(5)− 聖母の聖心(みこころ)は曇りなき明鏡(かがみ)の如く、一点の汚れにも染み給はぬのでありましたから、天主様の御姿がよく之に写りました。聖母は絶えず之を眼前に打ち眺めめて深く敬い、(あつ)く愛し、一身を(なげう)って天主様の為に尽し給うのでありました。天主様の為とあらば、如何なる犠牲をもお断りになりません。最愛の御独子(おんひとりご)をさえ喜んで十字架壇上にお献げになりました。実に聖母は一生の間、ただ天主様を思い、ただ天主様を愛し、ただ天主様の為に生きて行かれました。その御言(みことば)も、御行(みおこない)いも、御胸の動悸までも、すべて天主様に対する愛情の発露であったのであります。誰にしても、聖母の如く心が潔くなると、また必ず天主様の愛熱に燃え立って来る。心の潔い人は天主様の思いに胸が一杯になって居ます。全く単一であります。二つにも三つにも分かれて居ません。随って何時も天主様を思って居ます。天主様に(あこ)()れて居ます。天主様の為に喜んで苦痛(くるしみ)を堪え忍び、身を犠牲に供します。少しでも天主様の御光栄を揚げ、その聖心を喜ばせ奉ることが出来れば、我が身は如何なろうと、全く頓着しないのであります。我々が今日までそんな気になり得ないのは、まだ身に罪の曇りがある為ではないでしょうか。心が二つにも三つにも分かれて居て、天主様の愛に専らなり(あた)はぬからじゃありますまいか。

(6)− 聖母の聖心(みこころ)は剣に刺し(つらぬ)かれ、白百合や赤薔薇を組合せて作った冠を戴いたまゝ描かれてあります。是こそ聖母の聖心の感ずべき御徳を示したもので、白百合は一点の汚れなき(いさぎよ)さを見せ、赤薔薇はその燃ゆるが如き愛徳を象微(かたど)り、剣は人類の救贖(あがない)の為に死なんばかりの悲痛(かなしみ)に御胸を破られ給うたことを意味するのです。実に聖母は白百合の如く清い聖心に、火の如き熱愛を(もえ)立たして、神を愛し、人を愛し、為に彼の様な悲痛の剣に御胸を貫かれ給うたのであります。すべて人は罪悪に心が汚れると、殊に邪淫(じゃいん)(とりこ)にでもなると、(それ)につれて我利一天張りとなる、他に無理を言う、辛く当り散らす、同情なんか薬にしたくも無い様になるものであります。之に反して心が潔くて、主の愛に燃え立って参りますと、亦他に対しても親切となり、同情に富み、己を(なげう)って人の為に尽すものであります。白百合と赤薔薇潔さと親愛とは、常に(あい)離れないものであります。兎に角、聖母の潔き聖心は、主を愛すると共に、また人を憐れむの情に漲り給うのでした。ですから皆さん、厚き信頼を以って聖母の御前に近付き、罪に汚れし我々を憐れみ給え、一日も早く痛悔(つうかい)の涙にその汚点を洗い去って、専ら御子を愛し奉るに至らしめ給え、と祈りましょうー又聖母は日本公教会の擁護者にて(ましま)すのですから、一日も早く我国民の心より罪の(くも)(きり)を払い去って、御子の御光(みひかり)を仰がしめ給う様、今日はことさら熱心に嘆願いたしましょう。

 

六 月 二 十 四 日

洗 者 ヨ ハ ネ の 誕 生

 

(1)−洗者ヨハネはイエズス様の先駆者となり、イエズス様をお迎え申す為に人々の心を準備すると云う重大な天職に当るべく生まれた御方であります。大なる預言者、婦人から生まれた者の中に是ほど勝れた人物は未だかって見ない、とイエズス様から称えられた程の御方であります。

父母の身になって見ると、そんな偉い子を持つことが出来たらば、何んなに幸福でございましょうか、然し「瓜の蔓に茄子はならぬ」もので、両親の感ずべき徳行、人に飛び抜けた熱心が結晶してヨハネとなったのだと云うことを忘れてはなりません。

一体親と云うものは、子女(こども)に体の格構や、その容姿を譲るばかりではありません。また其の気前、其の習慣、その善なり悪なりの種子を譲るのであります。ですから子の親となるには、前(もっ)って大なる準備が必要であります。清い青年、徳の(かおり)(ゆか)しい処女が天主様の思し召しに従って結婚し、結婚後にもいよいよ熱心に天主様に(つか)え、注意して貞節を守り、(いやしく)も罪に汚れないようにしてこそ、初めて天主様の祝福を蒙り、立派な子女(こども)を与えられ、自分(たち)の美しい気前、習慣を之に譲ることが出来るのであります。

(2)−ヨハネが生まれたと云う噂を伝え聞いた人々は「この児は如何な人物になるでしょう」と語り合ったと云うことであります。親たる者は我子に就いてやはりこの問いを発して見なければなりません。「この児は如何な人物になるでしょう。天主様の祝福を受けるべき児なんでしょうか。(のろい)を蒙る様な児にはなりますまいか、天国に楽しむ聖人となりましょうか、地獄に苦しむ悪人には成り果てますまいか」と。して返答は其の児に施す教育の如何に書き出されるのであります。若し親の教育の()かった為に、生まれた子が天主様のお選びを得て、熱心な司祭、優良な修道者となることが出来るならば、親の身に取っては、如何にも幸いの至りであります。ザカリア夫婦は唯だ子を与えられたから仕合せだったのではありません。其の子がキリスト様の先駆者(さきがけ)たるべく召し出されたからそれで幸福であったのであります。

たとえそんな(めでた)い身分に選ばれないでも、人は皆、天主様を認め愛し、之に事えて天国の終なき(さい)(わい)を蒙るべく召されて居ります。然るに親の教育が行き届かない為に、其の児が天主様を認め愛する代りに、却って世間を慕い愛し、天主様に仕え奉る代りに、ただもう世間の栄華、身の快楽に溺れ終りには救霊までも失う様な不幸に陥ったら、其の責を負うべき者は獨り其の子ばかりではありますまい。

ローマのコルネリアと云う賢婦人は、一日友人から金銀の装飾品を見せびらかされて、「私の誇りは是です」と云って其の二子(ふたりのこ)(ゆび)さして見せたと云う話しであります。実に正直で、勤勉で、天主様を愛し、人を愛する子は、現世(このよ)に於いても、後世(のちのよ)に於いても、天主様の前にも人の前にも、何たる名誉、何たる誇りでございましょうか。

 

(3)−洗者ヨハネはキリスト様の先駆者(さきがけ)と云う重大なる責任を負わねばなりませんので、まだ母胎にやどって居る時から、既に聖母の御訪問を(かたじけな)うして、その原罪を赦されました。はや( )くから荒野に引籠って身を苦しめ、熱心に祈り、徳を積んで、その天職を全うする為の準備を怠りませんでした。人は皆夫々(それぞれ)に天主様から使命を定められて居ります。聖ヨハネの如く救い主の先駆者に選まれる人もあれば、一家の主人、子の親となって、其の子弟を立派に教育して行く役目を(おおせ)付かる人もあります。

或いは司祭となり、修道者となって、身を修め人を教える天職を授かるやら、或いは家を立て妻子を養って行く一方から、救霊事業に力を尽すべく定められるやら、色々目的は違って居るが、何れにしても、夫れ相当の準備を要することは申す迄もない所であります。

して青年処女時代は、天主様から定められた使命を果たすの準備期であります。

(もと)より学問も修めねばならぬ、職業も習はねばならぬが、亦()と共に他日その使命、その天職を全うし得るだけの下拵えをもして置かなければなりません。

然るにこの大切な時を空しくして、信心の務めを怠り、罪悪に(ふけ)り、天主様も何も忘れたかの様に、何の準備も致さないで居ては、他日その使命を果たさねばならぬと云う段になった時、果たして何うなりますでしょうか。

天主様は一日(あるひ)聖ビルジヅタに「洗者ヨハネの誕生に当って、悪魔は落胆して口惜しまぎれに泣き狂ったが、反対に天使(たち)は喜び踊った」とお告げになりました。

考えても御覧なさい、自分の生まれて洗礼を受けた時、悪魔が泣き狂い、天使は喜んで小躍りされたか否かと。

天使を喜ばすのも、悪魔を小躍りさせるのも、青年、処女時代に修養を積むと積まぬとに()るのではありませんでしょうか。

 

(一)−

 

(1)− 信仰の使徒なる聖ペトロ 聖ペトロは信仰の人でした。彼は到る処にその信仰を表白(あらは)して居る。初めから一切を(なげう)って主に従いました。他の使徒に先じて主の神性を宣言しました。しかも」彼の信仰は熱烈でした。()んなことがあっても、主を棄てない、死すとも御後に従って離れまいと決心し、悪党が主を捕へんとするや、剣を引き抜いて之を防ごうとしました。なるほど彼の信仰にもまだ物足りない点がないではなかった。水の上を歩いて居る時、大きな波がザアと打ちかゝるや、恐れて肝を潰しました。カイフアの舘では三たびも主を(いな)みました。然し主を三たび否んだ代りに、亦三たび主を愛すると繰り返し、波を恐れて疑いました所は、主の神性を公に宣言して、立派に罪滅ぼしをしました。彼はその信ずる所をただ自分の胸中に(かく)して置いたのではありません。聖霊降臨の日には、使徒等の先頭に立って、その信仰を宣べ伝えました。使徒等の心を堅め、動かざること山の如くならしめました。エルサレムに会議を召集し、モイゼの律法にたいして如何なる態度を採るべきかと云うことを決定し、終には信仰の為め、十字架に釘づけられて天晴れな殉教を遂げました。信仰は救霊の基である。「信仰なくしては神の()(こころ)(かな)うこと(あた)はず」(ヘブレオ二ノ六)でありますから、我々も信仰を重んじ、信仰を何よりの誇りとしましょう。信仰によって生き、聖ペトロの如く信仰の人となりましょう。食べるのも飲むにも、祈るにも、働くにも、苦しむにも、楽しむにも、必ず信仰を以ってすると云う迄に至りたいものであります。

(2)− 活動の人なる聖パウロ 聖パウロは初め名をサウロと云い、猛烈に聖会を迫害したものでした。信者を捕らえるが為め、ダマスコへ出かけて行ったその途中、不思議な天の光に打たれて地上に倒れ、「サウロ、サウロ何ぞ我を迫害する」と云う声を聞くや忽ち改心し、「主よ、我に何を為さしめんと思召し給うぞ」と云って起ち上がりました。それからと云うものは、広大なるローマ帝国内を縦に横に駈け廻って、主の御教を宣伝し、ユデア人にも、異邦人にも、学者にも、無学者にも、帝王にも、匹夫(ひっぷ)匹婦(ひっぷ)にも福音を宣伝しました。石を投げられようと、(むち)うたれようと、反対されようと、罵られようと、会堂でも、巷でも、海岸でも、獄内でも、聴く人さえあれば、屈せず(たゆ)まず主の御教を宣伝しました。彼は実に雄弁なる説教家、該博(がいはく)なる著作家、奮発心に燃えた使徒、大胆なる旅行者、敵を恐れず、疲れを知らず、骨をも身をも惜しまぬ活動家でありました。彼は終にその活動の報いとして、聖ペトロと共に捕らえられ、主の為に首を刎ねられて、殉教の栄冠を戴くことが出来ました。我々も聖パウロの如く活動の人でありたい。ただ洗礼を授かり、心に信仰を抱き、朝夕の祈祷を誦え、日曜日のミサに与るだけでは物足りない、信ずるままに之を行う、その信仰を直ちに日常生活の上に顕す、書を読む時、物を学ぶ時、人と話しをする時、商をする間にも、工場に働く中にも、信仰に物を言はせましょう、信仰をそのまま行為となしましょう。そうした上で、猶、聖パウロの如く、我々の信仰を他に伝うべく懸命に働きたいものであります。

 

(二) 聖 ロ、聖

 

聖ペトロにせよ、聖パウロにせよ、罪人でございました、然し両人とも己にたいし、人にたいし、神にたいして、その罪を甘く利用された所は、我々の為に又なき鑑であります。

(1)− 己を(たの)みとしない (かつ)ては両人とも随分自惚れの強い人でした。聖ペトロは飽くまで己が力を(たの)みとし「人は皆(つまづ)くとも、私は何時までも(つまづ)きません」と断言しました。「今夜鶏の鳴く前に三たび我を(いな)むであろう」とイエズス様から言はれるや、「たとえ主と共に死すべくも、私は決して否みませんよ」と強く強く言い張りました。

然し浅間(あさま)しいのは人間の力です。それから間もなく、下女風情のものに声を掛けられ、「お前さんも、彼の人の弟子でしょう」と言われるや、彼を恐れて色を失い、「否々(いえいえ)、私は彼の人を知りません」と、三度もくりかえして否みました。然しイエズス様が一目顧み給うや、彼は忽ち己が過失(あやまち)を悟り、その場を飛び出して(ひど)く悲しみ嘆きました。

聖パウロも同じく自惚れの強い人でした。基督教が如何なる宗教なるか、それを自ら調べて見ようともしないで、頭から之を排斥し、聖ステフアヌスが石殺しにされた時も之に立会い、それからは自ら迫害者となり、男女老若の別なく、引捕えて監獄に繫ぎ、少しも容赦しないのでありました。

然るに一たび己が非を悟って改心するや、今までとは打って変って謙遜深い人となり、自ら(たの)まず、始終機会ある毎に己が罪を訴えて止みません。自分は他の使徒よりも勝れた働きをなしたと言いながらも、「我わが体を打ちて之を奴隷たらしむ、是は他人を教えて自ら棄てられんことを(おそ)るればなり」(コリン前九ノ二七)とまで謙遜して居ます。

(2)− 人を懇ろに取扱う 聖ペトロも倒れる前には随分と気象の荒い、少しも他に容赦する道を知らぬ人でした。最終晩餐の席で、裏切り者の名を知らうとしたのは、之に痛棒(つうぼう)を喰はしてやろうと思ったからじゃなかったでしょうか。ゲッセマニの園では、剣を抜いてマルクスと云う者の耳を()ぎ落しました。ステフアヌスが石殺しにされる時、彼は皆の衣服を番し、それからは自ら率先して信者の捕縛に当り、縄をかけて容赦なくエルザレムに引き出し、監獄に打込んだものであります。

然し改心後は両人とも如何に温和親切の人となりましたか、聖ペトロは主を十字架につけたユデア人を兄弟と呼び、彼等が(あやま)ったのは、知らざるに出たのだ、と言い訳をして居ります。

聖パウロは自分を迫害し、自分の伝道を妨害して止まないユデア人をば「小子(しょうし)」と呼び、「彼等の為に殆んど自ら棄てられんことをすら望まんとす」(ローマ 九ノ十一)とまで断言しました。

人を救うが為に()め尽くすあらゆる艱難苦労を数え挙げた上で、「弱れるものあるに、我も弱らざらんや、(つまづ)く者あるに、我も(こころ)()けざらんや」(コリント後十一ノ二九)と叫んで居る位であります。

 

(3)− 神を愛する 聖ペトロでも、聖パウロでも、その罪を償うが為に、熱く熱く神様を愛しました。聖ペトロは三たび「主を愛する」と宣言して、三たび主を(いな)んだ罪を滅ぼしました。

聖パウロは信者を迫害した代りに、遠く広く主の御名(みな)を宣伝すべく、一身を(なげう)ち、大車輪になって活動しました。

両人(ふたり)とも主の仰せを承るや、飛び立つて之に(したが)いました。彼等が主の御名の為に堪え忍んだ所、全うした所は如何ばかりでございましたでしょう・・・彼等が熱烈な奮発心、火の如き愛は何処から来たのでしたか、自分の罪を思い、それに刺戟された結果ではなかったでしょうか。

終に両人とも天晴れな殉教を遂げ、その愛の最も著しき証拠を示しました。

我々も罪人であります。両使徒の罪なんか到底比較にならないほど大きな大きな罪を数重ねて居ます。

で我々もこの両使徒に(のっと)り、犯した罪を思って、人の前にも天主様の、前にも自ら謙遜しましょう。

他にたいしては寛容の心、同情の念を抱き、神を一心に愛し、是まで罪を犯して、その大御心を傷つけ奉っただけ、熱く熱く之を愛して、謝罪の実を挙げる様に務めましょう。そう致しますると、過去の罪は何等の害をも招かないのみならず、むしろ大きな益を来たすのみでありましょう、「神を愛する者には、万事共に働きて其の為に益あらざるはなし」(ローマ八ノ二八)

 

(三) 聖ペトロと聖パウロの改心

 

(1)− 人として過ちなき(あた)わずだが、然し過っても聖ペトロ聖パウロの如く立派に改心したらば、其の過ちは決して(きず)にはならない、聖ペトロは使徒の首領(かしら)、教会の基礎(いしずえ)と建てられ、海の上でも歩くと云う程の堅い信仰を抱き、「人はたとえ皆、(つまづ)いても、私は断じて(つまづ)きません」と堅く言い放った位でありました。然るに其のペトロが祈祷(いのり)を怠ったが為か、余り自分の力に(たの)みを置いて、危険の中へ飛び込んで行ったが為か、如何にも哀れな倒れ方をしました。下女風情の者に「お前さんは彼の人の弟子でしょう」と問われて、「否々私は彼の人を知りません」と三度も(いな)みました。しかも三度目には誓いを以って(いな)みました。実に人間ほど浅間(あさま)しい者はありません。イエズス様から「(いは)」と呼ばれ、「聖会の基礎(いしずえ)」と建てられた聖ペトロでさえ、下女の一言に倒れたことを思いますと、誰しも用心せずには居られません。たとえ()れほど高い徳に進んで居るに致しましても、少しも油断はなりません。「立って居る者は倒れはしないか注意せよ」と聖パウロの仰しやったのは、()()不磨(ふま)の名言であります。自分を(たの)み、祈祷(いのり)を怠り、必要もなしに、(あや)うい罪の機会(たより)の中に飛び込んで行っては、倒れずに居ること出来るものではありません。

 

(2)− 然しペトロの改心の立派なことを思いなさい、ペトロは悪かったと悟るや、直ぐその危うい罪の機会(たより)の中を飛び出しました。今、此処を出ると、人から何とか思われはしないか、笑われはしまいか等と得手勝手な理屈を附けないで、直ぐ其の場を逃げ出しました。ユダ見たように失望しないで、飽くまでイエズス様の御憐(おんあわ)れみに(より)(たの)み、心の底から罪を悔い悲しんで大いに泣きました。ただ其の当座ばかりでなく、一生涯泣きの涙で世を渡りました。ただ徒に泣き暮らすばかりでなく、今迄に倍してイエズス様を愛し、大いにイエズス様の為に活動して、其の罪を償いました。聖パウロも同じく罪人でした、猛烈な迫害者でした、信者を引捕らえる目的でダマスコの町へ急ぐ途中「何ぞ我を迫害する?」とイエズス様に御声を掛けられて、忽ち改心し、「主よ、我に何を為さしめんと思召し給うぞ」と()って起ち上がりました。(それ)から死する迄の間と云うものは、主の思召しを遂行(はた)すが為に、働いて働いて根限り働きました。「自分は罪人だ、聖会を迫害した罪人だ、使徒と呼ばれるにも堪えないのだ」と謙遜して、其の罪を償うが為に、いよいよ猛烈に活動し、(つい)にはペトロと共に其の生命までも、潔くイエズス様に献げたのであります。我々も今まで随分と罪を犯しました。数々の罪を重ねましたが、()れはもう出来た上の事で、何とも致し方はありません。ただこの両使徒に(なら)い、早く罪の機会(たより)の中を飛び出して、泣きの涙でその罪を悲しみましょう。大いに主の聖心を痛み、その御光栄を汚しましたから、今からは反対に主を一心に愛し、其の思召しを遂行し、その御光栄(みさかえ)を揚げ奉るべく務めましょう。・・・「なぜ其の様に苦行を行うのです?何故一刻の休息もなしに活動するのです?」と問はれましたら、「私は人に優った罪人ですから、少しなりとも償いをしなければならぬからです」と答える位になりたいものであります。

 

(3)− ペトロとパウロはローマで殉教し、茲に教会の基礎を固められました、で今日は両聖の御徳を黙想すると共に、我々の教会に対する義務をも思って見たいものであります。教会はノエの(はこ)(ふね)の如く、滔々たる罪悪の濁浪(だくろう)の中から我々を救って、永遠の滅亡を(のが)して呉れる救助(たすけ)(ふね)であります。この船に乗り込んだお蔭で、我々は誤謬(あやまり)暗黒(くらやみ)を払って、真理の光を仰ぐようになりました。罪悪の渦の中を(のが)れて、静かな善徳の港に安着される様になりました。この船には七つの秘蹟が備わって居て、霊魂は夫れに養われ、強められ、慰められるから、飢え渇きに苦しむような憂いがありません。此の船は主の御約束によって針路を(あやま)ること出来ませんから、あられぬ方向え迷い込みはしまいか、と心配する必要もありません。

始終、聖徳の旗を(ひるがえ)して進んで居るので、之に乗り込んで居るのは、非常な名誉であります。(かか)る幸福を(かたじけな)うすること出来ましたのは、一方ならぬ主の御恵みであります。

深く感謝すると共に、また此の船に乗り込んだ上は、固くその規律を守り、船頭なる教皇様、水夫たる司教、司祭等を尊び、万事その指揮に従はねばなりません。

船の勝手は船客に分るものではありません、()うの()うのと差出がましい事を言わないで、ただ水夫の為すが儘に安心して従うこそ賢い道であります。

猶、教会は我々の「慈母」であります。

子として、その母を愛しないものはありません。

何うにかして母の心を喜ばせたい、その名誉を高くしたい、其の光栄を輝かしたいと務めるのが、子たるの道でありましょう。

然らば我々も教会の温かい懐に人となった以上は、出来るだけ善を修め、徳を積んで、この慈母の心を喜ばせねばなりません。

我国の如く異教国では教会を悪様に言いなし、怖ろしい悪言、暴語を投げ付けて教会の名を(おと)そう、其の光を曇らそうと悪魔は始終働くのでありますから、せめて我々なりとも教会を深く愛し、平素、熱心に之が為に祈り、その長所、美点を(ほめ)()げて、この慈母の懐に飛び込む者が一人でも多くなる様、運動しなければなりません。

 

     

         

 

(一) 御 訪 問 の 理 由

聖母が遠い困難な旅行をも厭わず、ユダの山地の町にエリザベトを御訪問になった理由は三つ。

(1)− 己が胸襟を打開けるが為め

(2)− 従姉に祝意を述べるが為め

(3)− 従姉に手伝うが為めでありました。

 

(1)− 己が胸襟を打開けるが為め ― 聖母は賎しい人間の身を以って神の御母と選まれ、その御胎には全能全知の神をやどし参らせて居る、この常ならぬ御恵みをそのまま胸の中に秘蔵(かく)して置くことは出来ない、是非とも之を打ち開けて、神様の御憐れみを(ほめ)(たた)えたいは山々であるが、然し誰にでもそう無暗やたらに之を打ち開けるのは聖母の謙遜が許さない、だがエリザベトならば、近い親戚ではあるし、其の身も一方ならぬ御恵みに浴して居るし、お互いに共鳴する所があるから、安心して之に心を打ち開け、我が身の幸福を告げ、共に喜び、共に主の御恵みを讃め称えて貰うことも出来るのでありました。

我々とても身の喜びやら、心の悲しみやらを自由に打ち開けること出来る程の確かな友人、そんな友人を探し求めるのは悪いことではない、ただそれに就いては十分心を用いて居るか、軽卒に流れることはないか、余りにも人を信用し過ぎることもありはしないか、注意せねばならぬ・・・なお心を打ち開ける中に、隣人にたいして不満を洩らし、時としては神様の御摂理までも非難するに至らないか、或いは又天の賜を誇り顔に物語り、謙遜を傷つける様なことはないか、其の辺も篤と考慮すべき所でありましょう。 

(2)− 従姉に祝意を述べるが為 − 是まで石婦(うまずめ)であった従姉のエリザベトが、天の御恵みにより、懐胎して早や六ケ月にもなると知り給うた聖母は、何とかして之に祝意を述べたい、従姉の喜びを共に喜びたいと思って、旅立ちなさったのであります。

聖母のこの温かい感情、喜べる人と共に喜ぶと云うこの美しい感情を我々も持ちたいものであるが、実際は如何でしょう?果たして隣人と喜びを共にし、悲しみを共にし、(さいわい)をも(わざわい)をも共にして行こうと心掛けて居ますか。友人なり隣人なりの身に幸福があり、不幸が起る毎に、之を訪れ、慶賀を述べ、悔やみを言い、之を慰め、之を引き()てるべく務めて居ますか、却って下劣な、(いと)うべき嫉妬心より、他人の幸福を悲しみ、その不幸を喜ぶ様なことはありませんか。

(3)− 従姉に手伝うが為め ー エリザベトは老年である上に、早や懐胎六ケ月に及んで居る。何かにつけて不自由がちである、人手を要することは言う迄もない。

聖母はそれをお察しになり、少しでも彼女にお手伝いをし、その不自由を軽くしたいと思って、態々(わざわざ)その家を訪れ、三ケ月の間も滞留(とどま)って、何くれとなく面倒を見て上げられたのであります。

聖母のこの心からなる御奉仕を見て、我々も大いに悟る所があり、(のっと)る所があらねばならぬ 然し実際はその反対に出で、手伝はねばならぬとは思いながら、うるさがるやら、労を(いと)うやらして、見ぬ振り知らぬ振りをしては居ませんか、困った人を救い、苦しめる人を助け、悩みに沈める人を慰めるのは、基督信者の基督信者たる所以でございましょう − 兎に角、必要を感じて居る人の為に幾分の時間を割き、幾分の金銭を投げ、幾分の骨折りを厭はないと云うことを、聖母の御手本によって学びたい要するに隣人にたいして心から親切を尽くし、我々の訪問する人の上に、何か超自然的影響を及ぼすべく決心いたしましょう。

然しその為には「イエズスの生命が我が身に(あらわ)れる様」(コリント後四ノ十一)務めなければならぬことを忘れてはなりません。

 

(二)御 訪 問 の 事 実

 

聖母は神の御召(おめし)に応じ、(たす)(かり)の恵みをエリザベトの家へ携え行き、其処に三ケ月の間も御滞在になりました。

(1)− 聖母の御旅行 − 聖ルカは聖母のこの御旅行を簡短に(つづ)めて、「マリア()ちて山地なるユダの町に急ぎ行けり」(ルカ一ノ三九)と言って居ます。

天主様が何か重大な使命を或る人に授け給う時は、之に「()て」と命じ給うのが常であります。アブラハム、ヤコブ、ヨズエ、エリア、使徒等も皆そう云う命を受けて居る。  

例えば晩餐を終り、いよいよゲッセマニの園へ出かけようという時、主は使徒等を促して「立て、いざ此処より去らん」(ヨハネ十四ノ三)と(のたま)うたでしょう。聖母にも同じく命じ給うた、聖母はその命に応じて起ち給うた。聖母が天主様の御声に従い給うその迅速さを見なさい、少しも躊躇せず、早速、「ハイ」と答えて起ち上がりなさいました。エリザベトの住んで居る町はナザレトからは五六日もかかる遠方で、しかも山地の町でしたから、随分と険阻で、難渋な路を辿らねばならなかったでしょうが、聖母は決して愚図愚図なさいません。急いで行かれました。

聖母は実に「活きた顕示台」でした、人となり給える神の御子を(たずさ)えて居られましたので、それに元気づけられ、急ぎ足で、その山地の町へ駈け登りなさったのであります。我々も身にイエズス様を携えて居るならば、我が身が「活きた顕示台」となって居るならば、イエズス様の御生命が我々の身に顕れるに至るならば、必ずや困難を物ともせず、善業を目指して勇往邁進することが出来るのであります。愛は遅疑(ぐずぐず)を知らない、飛び立って事を為すものであります。聖母がエリザベトを訪問する為め、急いで行かれたのは、一分間でも遅れるとそれだけ神の御光栄、エリザベトの喜びを、ぬすむ譯になるかの如く思われたからである。我々も不幸、災難、病苦、貧困に悩める人がある時、直ぐに起ち、急いでその家を訪れましょう。我々がその家に這入る時は、聖寵の時を報ずる鐘が鳴るのです。しかもその聖寵は、我々が入って行くのを()って居る。神の光は我々と共にしか這入らないのです。

愚図愚図してはなりません。飢えに泣いて居る者に、死に瀕して居る者に、罪に溺れ、神に(とおざか)かって居る魂に、パンを、慰めを、真理の光を(たずさ)()いて、之を照らし、之を強め、之に忠告し、之を神に近づかせましょう、善に立ち帰らせましょう。

(2)− 聖母の御挨拶 − 聖母はエリザベトの家に辿りつくや、自分から先に言を掛け、御挨拶を述べられました。すると聖母の御胎に(ましま)したイエズス様は、その御挨拶によりてヨハネを照らし、彼の原罪を清め、御自分の先駆者(さきがけ)たるに要する聖寵を豊かに恵み、併せて母のエリザベトをも聖霊に満たし、御托身の玄義と聖母の御光栄(みさかえ)とを知らしめ給うたのであります。今日と(いえど)も、やはりすべての聖寵は聖母の仲介によりて我々に分配されます。()うです、聖母は人類の元后に立てられ給い、聖寵の(くら)は聖母の御手に(あず)けられてあるのですから、聖寵を蒙りたい人は、是非とも聖母に駈けつけ、その御情けに(すが)らなければならぬ。

聖会が聖母を()めて「天主の聖寵の御母」と申し奉るのは、斯んな理由に基ずくのであります。

 

(3)− 三ケ月間の御滞在 聖母はエリザベトの家に御滞在になること三ケ月、その間、聖母とエリザベトと、イエズス様とヨハネとが如何なる談話(はなし)を交え、互いに相照らし、相温め、相強めて行かれるのであったかを思いなさい。

エリザベトは聖母が神の御母に選まれ給うたにつけて祝賀を申し述べ、聖母は直ちにその誉れを天主様に帰し、「我が魂、主を(あが)め奉る」と云う名高い讃美歌を詠まれました。

聖母が御滞在になって居る三ケ月の間、エリザベト一家に(ただよ)いし空気は如何に清く、聖く、温かいものでありましたでしょうか。

聖母の御訪問を一口に言えば愛の玄義でした。

愛はじっと手を(こまぬ)いて、何の為す所もなく、高所の見物をして居るものではない。

愛は世にその光と熱とを(みなぎ)らす太陽の如く、光らねばならぬ、温めねばならぬ、きらきらと輝かさねばならぬのであります。

聖母が(ちょう)()そうでした。

その御胎に(ましま)すイエズス様が然うでした。太陽となってエリザベト一家を照らし、温め、輝かしなさったのであります。

我々もカトリック真理を持って居る、すべての光と愛の源なるイエズス・キリストを胸に抱いて居るのですから、この信仰の光を発し、イエズス・キリストの善と美とを(あまね)く世の人に知らしめ、以って暗に迷える人々を照らし、罪に(こご)えし魂を温め、之を助けて善業の光に輝かす様、務めなければならぬぬじゃありませんか。

 

七 月 十 六 日

 

(一)聖 肩衣(すかぶらりお)

この祝日は手っ取り早く申しますと、聖母の黒い肩衣(すかぶらりお)の祝日であります。

(そもそ)もカルメル山とは、ユデアの西境に(ぐらい)せる山で、ここには早くから修道院が設けられ、その修道士等は篤く聖母マリアを尊び敬うのでありました。十字軍(十二世紀、十三世紀)の頃からカルメル修道会は西洋の国々に知られ、移植せられ、大いに発展する様になりました。千二百四十五年、英国生れの聖シモン、ストクが本会の総長に選ばれるや、規律の厳粛を(はか)ると共に、聖母にたいする(けい)(けん)をいよいよ盛んならしめ、終に教皇様に請うて、会則を認可して戴きました。

聖シモンは聖母がカルメル会を保護し、愛撫して下さると云う明らかな証拠を得たいものと思い、幾年の間も熱心に祈りつづけて居ますと、千二百五十一年の七月十六日、聖母は黒色の肩衣(すかぶらりお)を手にして彼に(あらわ)れ、「この肩衣を受けなさい、是は私の会の(しる)()です。あなたの為にも全カルメル会の為にも是は一個の特典、予定されて居ると云うしるし、危険に際しての擁護、平和と永遠の約束の保証であります。この肩衣をつけて死するの幸福を得た人は、地獄の焔に苦しむことはありますまい」とお約束になりました。即ちこの肩衣を着けて居る人の為に、聖母が善き終わりを遂げるの恵みを請い受け、地獄に罰される様な不幸を免れしめると云う約束なのであります それから七十年許りを経て、聖母は教皇ヨハネ二十二世に(あらわ)れ、「信者がこの肩衣を身につけて居るのを大層嬉しく思う、この肩衣をかけながら死んだ人の霊魂は、成るべく早く、殊に死んだ次の土曜日に煉獄から救い上げて(つか)わす」とお約束になりました。

然し今度の御約束はシモン、ストクへの御約束とは違い、条件附きでありまして、死んだ次の土曜日に煉獄から救い上げられるには、不断信心を以ってこの肩衣をかけて居る上に、各々の身分に応じて貞操を守るべく注意すると共に、毎日聖母の小聖(しょうせい)()日祷(にっとう)(とな)えること、それが出来難い人は、責めて聖会に於いて定められたる日に(だい)小斉(しょうさい)をなす外に、毎週、水曜、土曜の両日に小斉を守らなければなりません。

是だけのことを守りさえすれば、そういう有難い御恵みが戴けるのですから、聖会は信者に勧めて、この肩衣を掛けさせ、之を掛けて居る人には、沢山の贖宥(しょくゆう)迄も施して居ます。

即ち七月十六日を始めとし、聖母の被昇天、御誕生、其の他、大抵の聖母の祝日、又毎週の水曜日に聖体を拝領して教皇様の御意向に従って多少(いくぶん)の祈祷を誦えるならば、(ぜん)贖宥(しょくゆう)が蒙れるのであります。

要するにカルメル山の肩衣は我が身が聖母の(しもべ)である、子供であると云う(しる)()で、この表章をつけて居る人は、聖母マリアから特別に愛護され、地獄の恐るべき火を(のが)れ、煉獄に落ちても、出来るだけ早く救い上げて戴けるのであります。

誰しも信心を以って之を掛け、心から聖母の御保護に(すが)る様、務めて欲しいものであります。

 

(二)肩衣(すかぶらりお)と救霊

聖母の肩衣が(たす)(かり)に必要欠くべからざるものであるとか、之を身に着けないならば罪を免れないとか、この肩衣が予定を忝うして居ると云う確かな間違いのない証印(しるし)であるとか、そんなことを私は主張したい積もりではありません。

ただ基督信者の義務を果たすのに、この肩衣が随分助けになるものである、と言いたい迄に過ぎないのであります。

1)− 肩衣(すかぶらりお)は聖寵を()かす一個の泉である 我々は弱い、浅間しいもの、(たす)(かり)の途はなかなか険阻(けんそ)辿(たど)り難い。大いに天主様の御助力(おたすけ)が必要である、この御助力を聖寵と申します。所で肩衣は「天主の聖寵の御母」たる童貞マリアの僕婢(ぼくひ)、愛児たるの微表(しるし)である。随って聖寵を得るのに極めて有力な手段たることは申す迄もない所でありましょう。

聖母も聖シモン、ストクに仰せられました、「是は予定の徴表(しるし)、平和と永遠の約束の保証、生命の危うきに際して救いの合図である。この肩衣をかけながら死ぬものは誰にしても永遠の苦罰を蒙る様なことがありますまい」と。実に立派な、有難い、(なぐ)(さめ)に満ちたお約束ではありませんか。

(2)− 肩衣(すかぶらりお)は予定の(しる)()である 自分は果たして愛を(かたじけな)うすべきか、憎しみを浴びせらるべきか、天国に予定されて居るか、地獄に処罰さるべきでないか、それは特別の啓示(おしめし)を蒙らない限り、誰一人知ったものはなく、又知ることも出来ないことは信仰上の真理である。

この不確実さ!幾ら恐れても足りないこの不確実さよりして、我々は常に戦々(せんせん)兢々(きょうきょう)として居なければならぬ。然し自分は(えら)みを受けて居ると云うことを知り得る為のしるし、間違いないと云うほど確実ではないにせよ、多分然うだろう位に知り得る為のしるしは全く無いではない。そのしるしの中の一つ、しかも重なるしるしの一つは、カルメル山の肩衣会に名を列ねて居ることで、それには二つの理由があります。

第一は聖母マリアにたいする敬虔(けいけん)は予定の特別のしるしと聖会では常に見做(みな)されてあること、第二は「この肩衣を掛けながら死ぬ人は、永遠の苦罰を蒙る様なことがない」と聖母がお約束になったこと、この二つであります。

無論この御約束があるからとて、何んなに不検束(ふしだら)な生活をして居ても救われると云う訳ではない、ただ善良な会員として生活し、且つ死んで行くならば、聖母の御約束によって救霊を全うし得るものと、大いに信頼することが出来ると云う迄に過ぎません・・・。

でありますから、誰しも思い違いをしない様に注意し、却って常に信心を以って之を身にかけ、脱いだり、掛けたりする時は、(うやうや)しく之に接吻し、何時でも、何を為すにも、自分は果たして聖母の肩衣に対して恥ずかしい所はないか、聖母の(しる)()をつけ、聖母の(しもべ)でござるの、愛児でござるのと誇りながら、汚らはしい悪魔の行為をしては居ないか。

と顧みて見なければなりません。

 

     

(1)− いよいよ文字通り炎暑焼くが如き真夏となりました。何が涼しい眠気醒しにでもなったらと思い、今日は「聖マリアの雪の聖堂奉献」に就いて、お話し致します。「雪の聖堂」とは聞いたばかりでも何だか涼しく感ぜられるじゃありませんか。雪の聖堂!それは雪を積み上げて築いた聖堂なんでしょうか、そんな聖堂が何時、何処に建てられたのでしょうか。頃は紀元三百六十五年、リベリウス教皇様の代にヨハネと云う熱心な貴族信者がローマに居ました。夫婦の間に子宝がありませんでしたので、聖母マリアを相続人と定め、その財産を何に使用するのが思召しに(かな)うか、告げさせ給えと祈って居りますと、八月四日の夜、聖母は夫婦別々にお現れになりまして、エスクイリヌム丘の上に雪を降らして置くから、その地点に聖堂を建てて貰いたいとお告げになりました。ヨハネは翌朝そのことを教皇リベリウス様に報告すると、教皇様も前夜同じお告げを蒙って居られました。よってローマの聖職者、信徒を従え、行列をして丘に登って見られますと、果たして丘の一部が白雪に(おお)はれて居ましたので、その上にヨハネ夫婦の浄財で荘厳な聖堂をお築きになりました。聖堂は「リベリウスの大聖堂」とも、「馬槽(うまふね)の聖母マリア」(キリストの馬槽(うまぶね)を所蔵せる所から)とも呼ばれましたが、ローマには聖堂の名を冠せる聖堂が数々ありますけれども、この聖堂はその由来と云い、その輪奐(りんかん)の美と云い、一頭地を抜いて居る所から、「聖マリア大聖堂」と呼ばれるようになりました。我国の奮い信者は、この祝日を随分大切にしたもので、パスチアンの暦にも、ちゃんと「七月十二日、ゆきのさんた丸や」と出て居ます。夏の祝日の中では「雪のサンタ、マリアを最も厚く尊んで居たものです」と古老の言うのを自分はきいたことがあります。理由は間より明らかでありません。暑い盛りに雪が降ったと云う奇蹟の珍しさから、自づとこの祝日に重きを置く様になったのかも知れません。

(2)− 一体、雪は美しいものです。(ぎん)(ばな)だの、(たま)(ばな)だの、(ろく)()粉々(ふんふん)だのと、よく春の花に譬えられます。然し春の花は人の心を蕩かし、浮き立たせるものですが、雪はむしろ之を引き締め、緊張せしめます。野も山も、田畑も屋根も、庭の掃き溜めまでも、一面の銀世界となした雪の美しさ、「三千世界銀色を成し、十二楼台(ろうだい)玉層(たまそう)を作る」と云う光景に至りましては、実に形容の辞なきに苦しむほどですが、それで居て、人を浮かれ廻らせる様なことは微塵もございません。普通の婦人美を花に(たと)えると、聖母の純美は正しく雪であります。容色勝れた婦人は、よく人を惑わし、城を傾け、国を亡ぼすに至ることさえ珍しくありません。然るに聖母は被造物中の傑作で、それこそ絶世の佳人でありましたが、それで居て、之を仰ぐと何時しか心は引き締まり、緊張し、浄化されるのを覚えて来るのであります。もしそれ高山の頂を(おお)える皚々(がいがい)たる白雪の美に至りましては、全く(たと)えるに物なしであります。田子の浦に打出で見れば真白にぞ、富士の高嶺に雪は降りける。富士山の秀麗、美観も、その大半は嶺の白雪に負う所があるのじゃございませんか。聖母マリアこそ実に高嶺の白雪でありました。正義の太陽にて在すキリスト様の御光を反射して、異様に照り輝き、之を仰げばいよいよ清く、之を望めばいよいよ美しく、しかも雪が太陽熱に融けてよく水源を養い、山麓地方を潤すが如く、聖母も、邪欲の炎熱に苦しめる我々の上に絶えず聖寵の水を流して、之を冷やし、之を潤し、之を肥沃、豊饒(ほうじょう)ならしめ給うのであります。あゝ雪のサンタ、マリア!罪の焔に焼かれ、邪欲の熱に甚く悩まされつゝある我等を顧み給え。御身は高嶺の雪にて在せば、何とぞ我等の熱を冷し、心を引き締め、いよいよ聖寵を溢して、善の花を咲かせ、徳の実を結ばしめ給え、アメン。

 

八 月 十 五 日

(一) 聖 母 の 被 昇 天

本日は聖母の被昇天で、それは聖母の幸福なる御死去、光栄なる御復活、天国えの(めでた)き御凱旋を祝賀する日なのであります。

(1)− 幸福なる御死去 聖母は原罪にも自罪にも汚れ給うたことがないので、一つも良心の責めを感じ給はぬ、世物に愛着し給うこともない。平和な希望の中に、快い愛熱に燃えきれて、安らかに最後の目を瞑り給うのでありました・・・我々も聖母の如く幸福な死を遂げたいと思はば聖なる一生を送らなければなりません。

罪を避け、世物に囚われず、天国を目指しつゝ進んで行く傍ら、聖母に向って「罪人なる我等の為に、今も臨終の時も祈り給え」と叫ぶことを怠らないようにせねばなりません。

(2)− 光栄なる復活 完全なる清浄、汚れなき一生、終生童貞、邪欲を知らぬ肉体、神の御母としてはキリスト様にその肉体を提供し給うたなど、是等の特典によりて、聖母の御肉体は死後少しも腐敗せず、間もなく光栄を帯びて復活し給うたのであります・・・我々も光栄の中に復活するには、清浄に生きなければならぬ。

して清浄なる一生を送り、光栄なる復活の幸福を得んがため、聖母の御伝達(おとりつぎ)を以って主に嘆願し、「清き一生を与え、安全なる道を備え給い、以ってイエズスを仰視(あおぎみ)、常に相喜ぶを得せしめ給え」と始終叫ばなければなりません。

(3)− 天国えの(めでた)き凱旋 それこそ深い深い謙遜の(むくい)でありました。

聖母は神の御母と選まれ給うた時、自ら主の召使なりと謙遜し、御子が十字架上に御死去あそばすまでも御後に従い、それから長く長く沈黙を守り、人に知られず、世に隠れ、ただ主にのみ生きて行かれました。

その感ずべき謙遜の報いとして、如何なる天使聖人等も遥かに及ばないまでに高く挙げられ、天の元后の御位に据えられなさったのであります・・・我々も高く天に挙げられる為には、今の中に深く身を卑しめ、聞を世に求めず、ただ主に知られ、その御旨に適い奉ることのみを務めなければならぬ。それと共に始終聖母に向って「自ら上るものは下げられ、自ら下がるものは上げられるべし」と言う御教の真髄を悟るの聖寵を(こい)(もと)め給えと嘆願いたしましょう。

 

(二)聖 母 の 被 昇 天

 

アダムが一たび罪を犯しましてから、子孫たるものは皆死なねばならぬことになりました。ただ聖母だけはアダムの子孫とは云え、原罪の汚れに染まずして生まれ給うたのですから、必ずしも御死去なさらねばならぬ筈でもなかったのであります。然し御子さえ御死去なさったのに、自分ばかり死なずして天国に昇るのは本意でないと思召しめされまして、やはり人並みに御死去なさいました。

それにしても聖母の御死去は他の人のそれとは大いに異なって、実に何よりも楽しい、福な御死去であったのであります。

(1)− 聖母には世物への執着心がなかった 我々が「死」と云う一語を耳にすると、覚えずぞっとして(ふる)い上がるのは他ではない、浮世の事物(もの)に執着して居るからであります。

一生懸命に財産を貯えよう、誉れを重ねよう、愉快を極めようと、ただそればかりを考えて月日を送って行く中に、突然死がやって参りまして、「俟て、その財産は茲に捨て置け、その地位に離れよ、その獨児に、その最愛の妻、(夫)に暇乞いをせよ、この愉快は今日限りだぞ」と云い渡したものなら、誰だって何とも知れぬ悲哀に胸を破られずに居られますでしょうか。

然るに聖母ばかりは、御存命中、少しも浮世の事物に心を奪われ給うたことがない。

人に敬われようだの、財産を貯えようだの、身に愉快を極めようだの、そんな慾は一つもございませんでしたから、愈々ここを立つと云う場合になっても、そんな事物に心を引かれ給う気遣いがありません。

聖母は浮世に心がなかった代りに、天国を一心に恋い慕うて居られました。

殊に御子の御昇天後と云うものは、聖母は明け暮れ天国を眺めて、「彼所に私の愛する御子が(ましま)す、私は一刻も早く死にたい、死んで御子の御前に行きたい」とあこがれて居られました。

随って死は聖母の為には何よりの愉快でございました。

死は御別れでなくて、その何よりも愛する御子の御前に行くのでした。その最愛の御子と一つになるのでした。楽しいのは尤もではございませんか。

我々も一度は死なねばならぬが、果たして何んな死を遂げますでしょうか、それは今の心掛け一つであります。

今浮世の事物より心を引き離して、只管(ひたすら)天国を望み、イエズス様を愛し、その聖心を喜ばせ奉るべく努めて居ましたら、必ず聖母の如く安心してこの世を立つことが出来るに相違ありません。

之に反して専ら浮世の事物に溺れ、天国を忘れ、イエズス様をそち()けにし、罪を犯そうと、天国を失おうと、そんなことはお構いなしに、唯だ唯だお金を儲けよう、偉い人と言われよう、愉快を極めようと、そればかりを考えて月日を送って行きましては到底立派な死を見ること出来る筈がありません。

 

(2)− 聖母には罪の気懸かりがなかった 我々は臨終に際して、(ひそか)に越し方を振りかえって見ると、何うしても安心が出来難い、十五年、二十年、五十年と云う長い間には、随分罪を犯して天主様に背いて居る、何うも不安で堪らないのですが、聖母にだけは、そんな不安が全くありません。

既に原罪の汚れなくやどされ給い、それからも一つの小罪すら犯し給うたことがない。

一つの物でも言い損じなさったことがない、徳と云う徳は何れも完全に行って居られる。

生まれ落ちてから此の方、力の限りを尽して天主様を愛し給うたのですが、その愛徳は(ちゃう)()、太陽が東の山の端に出て、だんだんと高く天に昇るが如く、最後の目を(ねむ)り給うまで、一日でも一時間でも衰えることなく、益々(さかん)に燃え立つばかりでございました。

実に聖母の御心は一つの小罪にでも汚れ給はない上に、有ゆる善徳に飾られ給うのでありました。

我々も是非聖母の如く立派な死を遂げねばなりませんが、その為には亦、聖母に(なら)い、力の限り悪を避け善を行うべく務める必要があります。罪と云う名の付いたものは、たとえ如何ほど軽い小さなものでも、決して之を犯さない上に、其の身、其の身に相応しい善を行い、徳を修めて、霊魂を美々(びび)しく飾り立てねばならぬ。

(もと)より我々は修道者でないから、朝も晩も信心に従事して居る訳には行かない、聖母とても然うでした。毎日毎日人も及ばぬようなことばかりをして居られた訳ではない、家を持ち、夫を持ち、子を持って居られました、(まかな)いもなさったでしょう、拭き掃除もなさったでしょう、洗い(すす)ぎもなさったでしょうが、そんなことをする中にも、天主様を忘れず、専ら天主様の為め、天主様を愛する心でやって行かれましたから、一口の物を(おっ)(しゃ)るにも、一足動かしなさるにも、それが皆天主様の御前に大いなる功績(いさを)となったのであります 我々にも、各自の身分や生活の程度に応じて尽すべき務めがありますから、罪を犯さないように注意した上で、其れ等の務めを忠実に、熱心に果たして行きさえすれば、やはり聖母の如く沢山の徳を重ね、功績を積むことが出来るのであります。

 

(3)− 聖母には行先の心配がなかった 人は自分の行き先が分かりませんから、天国でしょうか、地獄ではないでしょうか、天主様と共に永遠に楽しむべきでしょうか、悪魔や悪人と共に終なく苦しまねばならぬのではないでしょうかと気遣いますから、死ぬのがなかなか恐ろしいのであります。

然るに聖母には行き先がちゃんと分かって居ました。

自分は一の小罪をも犯した覚えがない、行うべき筈の善徳は皆行って居る、今死んでも「なぜこんなことをしました?」と咎められる気遣いもなければ、「何故之を怠りました?」と責められる心配もない。

御子は諸々の天使聖人等を従えて、お出迎えのなり、「もう貴方の戦いは終わりました、早く天国に凱旋して勝利の冠を戴きなさい、早くこの涙の谷を去って、限りなき(たの)(しみ)の御国へお出でなさい」と云って下さいます。

聖母の御喜びは果たして如何ばかりでございましたでしょう。

我々も聖母の如き立派な最期を遂げねばなりませんが、今の様な生活をして居ては、果たして聖母の如く安心して死なれますでしょうか。為すべからずことを毎日、()れだけ為して居ますか、為さねばならぬことを毎日()れだけ怠りて居ますか、今死んで天主様の前に呼び出されたら、「なぜ()んなことをした?なぜ是れ是れの事を怠りた?」と咎められることばかりではございますまいか。

凡そ影と云うものは形が写るのですから、形が円ければ影も円く写り、形が歪んで居ると影もまた歪んで写るものである。人の最期も、その一生の行いの影で、一生の行いが正しければ、必ず立派な最後を迎えること出来ますが、その一生の行いが(ゆが)んで居ては、とても最後ばかりが正しい筈はありません。

今日聖母の立派な御最期を(あおぎ)()ると共に、其の立派な御最期こそ、実に聖母の立派な()(おこな)いの影に外ならぬことを考え、各々之を鑑として自分の行いを立て直すようにせねばなりません。

聖母は我々が善い最期を遂げるのを深く望んで居られますので、心から御憐れみに(より)(たの)み、罪を犯して居る人は早く告白して赦しを蒙るようにし、幸いに罪の気懸かりがないならば、ただそれだけに満足しないで、聖母に倣い、いよいよ善を行い、徳を励む様に務め、善き最期を遂げる為の準備をして置かなければなりません。

 

(三) 聖

 

聖母の被昇天とは(1)聖母が慶い御死去を遂げ、間もなく御復活になったこと、(2)霊魂肉身共に天にお昇りになったこと、(3)天に於いて御子の右に据えられ、天使と人類との元后に立てられ給うたことを祝うのであります。

(1)− 聖母の慶い御死去と御復活 聖母は原罪も自罪もなく、あらゆる美徳に輝いた一生を送られたので、その御死去は如何にも(めでた)(さいわい)なものでございました。口伝(つたえ)によりますと、聖母の御永眠の折り、使徒等は主の聖教を宣伝(ひろ)めんが為め、世界の四方に散々となって居られましたが、聖トマを除くの外は、一同聖母の御側に集まって来て、惜しき(わかれ)を告げられました。

今が今まで杖とも柱とも頼んで居た聖母に愈々()()れねばならぬかと思って、非常に悲しんで居られますから、聖母は之を慰めて、「私は天に昇っても決して(あなた)(たち)を忘れませぬ、却って生きて居る中よりも、(あなた)(たち)の為になるよう、周旋して上げます」とお約束になりました。

やがて御子の御出迎えを受けて眠るが如く息絶えられ、御霊魂はそのまま天に昇られました。

使徒等は泣く泣く御死骸を墓に葬りました。

墓には三日の間というものは、絶えず天使等の(かな)ずる楽しい音楽が聞こえて居ましたが、三日目になると、それがハタと聴こえなくなりました。

(ちょう)ど其の時、聖トマが来合わせまして、責めて聖母の御死骸になりとも御目に懸かりたいと申しますから、墓を開いて見ますと、御死骸は見えませんで、ただ御死骸を包んだ(まく)(ぬの)だけが残って居ました。

そこで使徒等は、聖母が御子と同じく三日目に甦って天に昇られたものと信ぜらるを得なかったと云うことであります。

之を()()えにあるばかりで、何処まで信を置くに足るものであるか、何とも確言は出来ません。

然しながら、原罪の汚れに染まずしてお生まれになり、神の御子を九ケ月間もやどし給うたその聖母の御肉体が、他の人々のと同じ様に腐って蛆虫の餌食となるべきはずでないことだけは、察するに(かた)からずでありましょう。

兎に角、聖母が霊肉諸共(もろとも)天に昇られたことは信仰箇条にこそ入って居ないが、聖会一般に然う信じて居る所でありますから、我々も之を信じ、天使聖人等と心を合わせて、聖母に慶賀(およろこび)を申し、併せて何うしたならば、自分も聖母の後から天に昇ること出来るかと云うことを考えて見なければなりません。

(2)− 天に昇るには罪の汚れがあってはならぬ 聖母は原罪の汚れなくおやどりになったのみならず、一生の間、一つの小さな罪にでも汚れ給うようなことがありませんでした。「童貞の中にて最も聖なる童貞」だの、「汚れなき御母」だの、「()(いさぎよ)き御母」だの、と呼ばれ給うほどに清浄(しょうじょう)潔白であらせられたから、御肉体までが腐らずして天に昇ること出来たのであります。

凡て汚れたるものは天には昇れません、天主様は至聖其の物に在して、少しの汚れあるものでも、天国に入るのを許し給はぬのであります。

だから汚れて居る人は聖母の御伝達(おとりつぎ)を祈り、今の中に早く痛悔(つうかい)して其の汚れを清めて戴くようにし、此後は注意の上にも注意をして、成るべく罪の汚れに染まないよう、務めなければなりません。

 

(3)− 天に昇るには謙遜であらねばならぬ 聖母は非常に謙遜であらせられました。

聖母は一度でも「我身は神の御母でござる」とか、「天使と人類の元后でござる」とか、大きな顔をなさったり、他人を顎の先きで使い廻したりし給うようなことがなく、却って「我は主の婢なり」と云って、天主様の前にも、人の前にも謙遜して居られました。「自ら(あが)るものは()げられん、自ら下がるものは上げられん」とイエズス様はおっしゃつたが、実に聖母ほど謙遜して身を下げたものはありませんでしたから、また聖母ほど高く挙げられたものもなかったのであります。されば天に昇るには是非とも謙遜であらねばならぬ。謙遜は徳の礎、天に昇る階子(はしご)の第一段、幾ら他の徳に秀でて居ても、謙遜がないならば、それこそ礎のない家、一度は必ず(たお)れるに極まって居る。謙遜でさえあらば、家庭に浪風は立たない、嫁と姑との間ですら互いに謙遜であるならば、仲の悪くなる気遣いはない。謙遜だと隣近所とも睦ましく暮らして行ける。(ひと)のことを(そし)ったり、(あざけ)ったり、腹を立てたり、(ねた)んだりするはずもありません。天主様の前に出ては自分の罪を思って(へりくだ)り、人の前に出ては、人の長所を見、自分の短所を思って謙遜して行くから、罪を犯す憂いもなく、人からも天主様からも愛されて、天国に昇られることは請け合いであります。

(4)− 天国に昇るには善業の(いさお)を積まなければならぬ 聖母は現世(このよ)(ましま)す間、非常に天主様を愛して居られました。天主様を愛して居られましたから、天主様の聖心(みこころ)に戻ると思うことは一つもなさいません。其の反対に天主様の御望み遊ばすことならば何んなに辛かろうと、苦しからうと、喜んで之を果たされました。天主様のお望みに従って、三十年の間もナザレトの貧しい家に、普通(なみなみ)の婦人の如く貧しい生活をなさいました。天主様のお望みに従って、何よりの寶たる御子さえも快く犠牲として献げられました。天主様のお望みに従って、御子が御昇天遊ばしても、御自分は猶長く、其の愛する御子と離れて、此の涙の谷にお留まりになりました。斯の如くして聖母が一生の間に積み重ぬ給うた(いさお)といったら、それこそ数えも(はか)りもされたものではなかったのであります。実に聖母は寝ても起きても天主様を愛し、何事も天主様の御光栄(みさかえ)の為にと云う心でやって行かれましたから、その為し給うことは、片手を挙げ、片足を動かしなさる様なことでも、そのお流しになる一滴の汗、一雫の涙に至るまでも、皆大きな(いさお)となったのであります。で天主様は一々聖母の(いさお)を数え上げて、此れを諸々の天使聖人等の上に取挙(とりあ)げ、心も(ことば)も及び難い御褒賞をお与えになりました。天主様が聖母に報い給うたのは、原罪の汚れなくやどされ給うたからではなく、神の御母であらせられたからでもなく、その原罪の汚れなき童貞、その神の御母に釣合うだけの善業を励み、御自分を深く愛し給うたからでありました。我々もただキリスト信者であるから、天国の報いを受けられるものゝ如く思って安心してはなりません。天主様は位や身分に報いを与え給うのではない、徳に報い、(いさお)を賞し給うのですから、誰にしても毎日毎日天主様の御前に徳を積み、(いさお)を立てる様、励まなければなりません。然しその為には必ずしも人目を驚かす程の大きなことをするには及びません。聖母もナザレトに在す時は、(まかな)いをしたり、洗濯をしたり、裁縫をしたりするような並々の婦人の為る仕事をして居られたのであります。さすれば何人にしても、各自の身分、職業に応じて、為すべき筈の事を辛くとも、苦しくとも、天主様にささげて遣って行く(かたわ)ら、告白や、聖体の秘蹟を成るべく(しばしば)々授かり、信者の務めをきちんと果たし、誠意こめて天主様を愛し、人を愛して行くならば、思わず()らずの中に沢山の(いさお)を立て、天国の大いなる御褒美を戴くことが出来るのは疑いを容れざる所であります。

 

(5)− 聖母は天に昇りて御子の右に据えられ、天子と人類の元后に立てられ 浪風荒き浮世の海を渡って居る人々を特別に保護して、天国の港に安着せしむべき役目を仰せ付かりなさったのであります。

其の為に聖寵の(くら)は聖母の御手に(あづ)けられ、如何なる聖寵でも望みのままに与えるを得給うのであります。

斯くの如く、聖母は殊の外、御権能(おんちから)の勝れさせ給う上に、御慈悲(おんなさけ)もまた非常に深く、御自分に頼り(すが)るものを一度でも見棄て給うたことがありません。

我々が今日まで罪を犯しても其の罰を蒙らなかったのと云うものは、実にこの御母の御陰によるのであります・・・今日まで肉身の上に、霊魂の上に、毎日毎日沢山の御恩を戴いて居るのも、この御母が天国の(くら)を開いて、御恵みを雨降らして下さったからであります。

此の後も願いさえすれば、頼り(すが)りさえすれば、(あふ)れんばかりに与えんものと、両手を拡げてお()ち遊ばすのでありますから、何人(だれ)しも一生の間に戴いた御恵みを深く感謝すると共に、我が身を残らずこの慈愛深き御手に捧げて、その御保護を祈らねばなりません。

斯くの如くして現世(このよ)に於いては、聖母を愛し、聖母の子女(こども)となって居ましたならば、後、天国に於いて、聖母の御膝下(ひざもと)に引き取られ、永遠きわまりなく楽しむことが出来るのは、間違いのない所であります。

 

(四)聖 母 の 被 昇 天

 

聖母マリアは(1)幸福な御死去を遂げ、(2)死後間もなく甦って天国に入り、(3)その尽せぬ光栄、言うべからざず福楽を得、天使と人類の元后に立てられなさいました。被昇天の祝日はこの三つを記念するが為に定められたものでありますが、之を記念するに付けて我々は

(1)− 少なからぬ教訓を与えられます 実に聖母が天に於いて戴きなすった光栄の冠を打ち眺めなさい。

その冠に輝いて居るダイヤモンドは一としてその尊い汗と涙の結晶たらざるものがありますでしょうか、成るほど聖母は原罪の汚れなく宿されなさいました。母胎に在す時から豊かな聖寵を忝うせられたのでした。然し聖寵は天主様の賜である、天主様の賜を戴いたばかりでは、天国に酬いられる訳のものではない、ただ聖母はその戴いた聖寵を一つも無駄にせず、一々之を利用して、善を行い、徳を積み、如何なる天使、聖人も遥かに及ばない程の功績を重ねなさったから、亦、如何なる天使聖人も遠く及ばない程の報酬(むくい)を蒙られたのであります。

我々が天に於いて戴くべき光栄の冠も、やはり現世に於ける勤労(ほねおり)の大小に応ずるのである。すべて主の喜びの中へ入り、天使聖人等の列に加えられる人、「善にして忠なる(しもべ)よ」と云うお誉めに(あずか)る程しの人は、何れも勤労を厭わなかった人である。自分に(あづ)けられたタレントを夫々(それぞれ)に利殖した人である。洗礼の時に戴いた無罪の衣をそのまゝ保存した人である、或いは過って一応は之を汚したにせよ、痛悔(つうかい)の水に之を洗い、償いの涙に之を晒し清めた人である、始終(しょちゅう)警醒(けいせい)し、熱心に祈り、活発に立ち働き、気強く堪忍んで悪を避けるのみならず、またよく善を行った人、()まず(たゆ)まずキリスト教的に之を行った人であります。

斯る人こそ天主様の豊かな祝福を(かたじけな)うすることが出来る、天国の有難い、言うに言われぬ御褒美を(ほしいまま)にすることが出来るのであります。誰にしてもそんな功徳を、そんな善業を携えなくては、決して天国の門は(くぐ)れない、絶対的に(くぐ)れないのであります。天主の御母と雖も、この一般的法則を免除され給うことは出来ないのでした。

で或る婦人がイエズス様に向かい「福なる(かな)、汝を宿して(はら)よ、汝の吸いし乳房よ」と申しました時、イエズス様は何とお答えになりましたか。

「寧ろ(さいわい)なる哉、神の(ことば)を聴きて之を守る人々よ」(ルカ十一ノ二十七)と(おっ)(しゃ)ったじゃありませんか。

 

(2)− 自ら顧みて(はずか)しく思わねばならぬ 天主様の尊前(みまえ)には、身分とか、家柄とか、地位や、財産や、学問や、そんなものは一向通らない、(ふる)い家柄に生れ付いた、名声を世界に轟かして居る、財産は豊かだ、地位は高い、威権は赫々(かっかく)として学問は深い、技倆(わざりょう)は勝れて、何をやらしても()っと成功する、と云う程ですと、人は皆、感心して、ワイワイと賞め囃します。殆んど神様ででもあるかの如く、盛んに祭り上げてくれますが、然し天主様から見ると、それが果たして何になりますでしょう?(むし)ろ進んでそんなものを軽んじる人、そんなものに気も心も移さない人こそ、天に於いて大いに報いられるのである。却って其れ等の長所を持って居ながら、天主様の聖寵を失い、その御詛(おのろい)を蒙り、永遠に排斥され終わる様な人も多いものではありませんか。聖母マリアが天の高きに取上げられ、天使と人類の元后に立てられ、御子の次に位すると云う程の光栄を(ほしいまま)にし給うに至ったのも、決して財産や、地位や、名誉や、学識や、そんな物の為ではない、否、神の御母と云う世にも(たぐい)なき御位の為でもない。ただその偉大なる善業の為でした、ただ如何なる天使聖人も遥かに及ばない程の功徳を積み給うたからでした、ただ神の御母に相応しき徳の光に輝いて居られたからでございました。(ひるがえ)って考えて見ますと我々は始終何を思い、何を望み、何にあこがれて居ますか、善業の富ですか、浮世の財宝(たから)ですか、徳の光ですか、名誉の輝きですか、天主様の御寵愛ですか、世の名声、人の信用ですか・・・自ら顧みて顔を(あか)める所がありませんか。

(3)− 自ら以って慰める所もある 聖母マリアが天国の大いなる光栄に辿(たど)り着き給うたのは、原罪の汚れなくやどされ給うたからだ、天主の御母に(ましま)したからだとするならば、我々は失望落胆せざるを得ない、自分はそんなに貴い身ではない、そんなに沢山の聖寵も特典も戴いて居ない、到底天国へは昇れぬ、と力を落としてしまい、善を修めよう徳を積もうと云う気も自ら失ってしまわぬにも限りません。然し実際はその反対で、天国の光栄は我々の心掛け如何に依るのである。熱心に天主様の御掟を守り、忠実に自分の務めを果たし、何時も何事に於いても天主様の思召しを推戴(おしいただ)き、その御計いに従い奉るならば、それで十分善を修め、徳を研き、案外の大きな功績(いさを)を立てることが出来るのであります。聖母マリアが全くそうでした。イエズス様は御自分の御母として財産(たから)に富み、身分の(たか)婦人(おんな)をお(えら)みにはなりませんでした。聖母は実に貧しい婦人で、毎日額に汗をたらしてセッセとお働きになりました。聖ヨゼフの大工小屋の陰に、貧しい職人の妻に似合った賎しい仕事をして世を渡られました。業その物は如何にも些細(ささい)な、全く取るにも足らぬのでしたが、然し天主様を熱く愛し、その思召しを果たしたいと云う美しい心掛けで、すべてをやって除けられたから、その為し給う所が一から十まで偉大なる功績(いさお)となりました。天国の美しい冠と輝くに至ったのであります。我々もこの御手本に(のっと)らねばならぬ。内に在って洗濯やら、賄いやら、裁縫やら、子供の世話やら、始終そんなことをやって居るにせよ、朝早くから外に出て夜は晩くまで真黒くなって働くにせよ、たとえ其れ等の業は人目に何の価値(ねうち)もない、極めて賎しい(つま)らないものゝ様に見えましても、若し聖母の如く熱く天主様を愛し、天主様の為に、天主様に献げて之をきちんと果たして行きますならば、その(つま)らない様な業も天主様の御目には如何に(とうと)く見えますでしょうか、如何に勝れたる褒賞(ほうび)に値するのでございますでしょうか・・・

       月

(一)日 本 殉 教 者 と 犠 牲 の 精 神

(1)− 九月は日本殉教者の祝日の最も多い月であります。即ち

九月 三日 石田アントニオ及びその(とも)殉教者

同  七日 トマス辻、ミカエル中島及びその(とも)殉教者

同  十日 カロ・スピノラ及びその(とも)殉教者

同 十三日 アポリナリス及びその(とも)殉教者

同 十六日 カミロ、コンスタンシオ及びその(とも)殉教者

と斯うなって居ます。でございますから、この月に当りて殉教者等の遺徳を慕い、殊にその美しい犠牲の精神に(のっと)るのは、我々の正に務むべき所ではありませんでしょうか。義務を果すのは人の人たる道でありますのに、なぜ多くの人はその義務を怠って果さないかと云うに、答は至極簡単であります。義務を果すには悪魔と戦はなければならぬ。世の誘惑(いざない)を打ち破らねばならぬ。己に克たねばならぬ。それ人間には意志と云う貴い能力があります。是こそ天主様が我々にお与え下さった得がたい賜で、我々は之に由って真個(ほんとう)の信者らしい信者となることが出来ます。然しこの意志を役立たせるには、十分鍛え上げて、強い、堅い、百練の(てつ)の如くなさなければなりません。して(てつ)を鍛うには火を以ってするが、意志を鍛錬して、よく千難万苦に堪え得るに至らしめるには、犠牲の精神を以ってしなければなりません。

(2)− 然らばその(いは)ゆる犠牲の精神とは何んなものでしょうか。犠牲の精神とは、神の為め己が考えを棄て、己が趣味を棄て、己が希望を棄て、厭がる所を抑え、場合によっては生命までも(なげう)って、義務を遂行するのを云うのであります。随って犠牲の精神を有する人ならば、体に快く感ずる所、心に愉快と思う所を控え得ると共に、また困難と感じ、厭やに思う所が人から起るにせよ、物から来るにせよ、神より直接に与えられるにせよ、其れ等を突破して進むことも出来ます。

 人は常に「犠牲」と云う(ことば)を耳にしますと、胸が(ひや)りとして、額には急に皺を寄せ「この話しは難しい、誰か之を聴くことを得ん」(ヨハネ六ノ六二)と呟くものですが、然しこの精神の美しい所、偉大なる点を暫く考えて御覧なさい。聖トマス博士の御説に由ると「罪は天主様に突き離れて、被造物に密着することである」と云うのですが、犠牲は之に反して、被造物に突き離れて天主様に密着するに在るのであります。して見ると、我々が天主様に献げる供物の中でも、犠牲は最も優れて、最も美しい、最も価値(ねうち)あるものと()はなければなりません。犠牲は罪の予防剤となり、世界を救うの(もと)となったものであります。昔の人は自然にこの道理を悟ったものと見え、何れの国、何れの宗教に於いても、色々の物を神前に供え、お酒を()ぎ、生物を殺して献げ、以って神の御怒りを(なだ)め、その御恵みを蒙ろうと務めるのでありました。でありますからキリスト様も、我々の罪を(あがな)い、我々を神の子供となすが為め、何んなことをして下さった?王者の富貴、栄華を誇示して、お救い下さったか、神様の驚くべき御威光を輝かしてお(あがな)い下さったかと云うに、決してそんなことはありません。(さかさま)に侮辱を受け、貧困を忍び、苦痛を浴びせられ、十字架上に己を犠牲に供して、その救いを全うして下さいました。実に犠牲の十字架!是がキリスト教の揺籃(ようらん)であります。犠牲の祭壇!是がキリスト教の中心であります。己を棄てる!是がキリスト教の唯一の法典であります。「天国は暴力に襲われ、暴力のもの之を奪う」(マテオ十一ノ十二)

(3)− 斯くの如く犠牲によって、世界は(あがな)はれました。各個人が救われるにも亦、犠牲に由らなければなりません。我々の罪は数限りもありませんが、ただ犠牲によって之を償うことが出来ます。我々が今、我と我が身を罰したらば、後日、天主様から罰される憂いはありますまい。奸智(わるじえ)()けた種々の敵が我々の霊魂を取り巻いて居ます。もし犠牲の精神がないならば、到底この敵に打克つことは出来ません。オメオメと(かぶと)を脱ぐばかりでありましょう。最後の目を(ねむ)るまでも、負け続けに負けないにも限りません。我々の意志は弱くて変り易い、犠牲の精神がなかったらば、平易で、愉快な義務は喜んで果しもしましょうが、困難で、不愉快なのは、成るべく之を避けて、果すまいとするに(きま)って居ます。

(4)− 犠牲は大きな名誉であります。十字架の御旗の下には、如何なる偉人が雲集(うんしゅう)せるかを思いなさい。先ずイエズス・キリスト様は、十字架を肩にして真っ先に進み、我々の為に進路を切り開き、「我が後につきて来たらんと欲せば、己を捨て、十字架を取りて我に従うべし」(マテオ十六ノ二十四)とお叫びになって居ます。

 イエズス・キリスト様の後から随いて進んで居るのは、十字架に()けられ給いし御主(おんあるじ)の弟子たる殉教者、公奉者、童貞者等で、何れも猛火に焼かれながら、(しき)りに手を伸ばしてその火を招き寄せようとせしレオナルド木村の如く、余りの嬉しさに自分の斬られる番前を()ち兼ねて(たま)らなく覚えたガスパル籠手田の如く、主の為に苦しむのを、主の御名の為に死するのを、何よりも幸福とした人ばかりであります。我々もその一人になれないものでしょうか・・・懶者(なまけもの)、卑怯者、放蕩者の仲に立ち交じるのは恥じの上の大恥ではありませんか。

(5)− (つい)に十字架の御旗の下に勇ましく戦った人に与えられる天国の報酬(むくい)の如何に大なるかを思いなさい。聖ヨハネは天国の聖人等が皆、棕櫚の枝を手に持って居られるのを見ました。棕櫚の枝は勝利のしるしであります勝利は戦いなしには得られません。戦いと犠牲とは名を異にするばかりで、実は同一であります。聖パウロは()はれました「我等の短く軽き現世(このよ)(くぁん)(なん)が、我等に永遠、重大にして、無比なる光栄を準備すなり」(コリント後二ノ二七)と。皆さん、日本殉教者に尊ぶべき所は、彼等が天主様の為に何一つ惜しまなかったその潔い志、家を惜しまず、財産を惜しまず、体も生命も惜しまなかったその潔い志、その美しい犠牲の精神ではございませんでしょうか。皆さんもこの志を(わが)(もの)となし、飽くまでこの精神に活き、以って華も実もある日本殉教者の後裔(しそん)たるべく務めなければなりません。

 

(二)日

 

(1) − 一九二四年五月十五日上海で開かれた全支那司教会議では、左の如き希望案が議決されました。曰く「教話に、著書に出来るだけ支那人の福者を例に引くこと、斯くすると、カトリック教会は決して外国の教会でない、支那の子供をも深く深く愛し、資格さえあらば、祭壇上に高く之を尊敬するのだと云うことを人が皆、承認し、信者はまた如何なる完徳の段階へも登れぬことはないことを明らかに悟る様になる。だから本会議は支那の殉教者三十六名の()(ふく)を求めること」と。是は我国の司祭も伝道士も信者も少しく御注意になって然るべきことではありませんでしょうか。我国には二十六聖殉教者があり、二百五名の福者殉教者があり、その他歴史にその名が遣り、その美徳、その殉教談の伝はれる愇丈夫だけでも千名以上に達し、その壮烈、勇猛、堅忍な殉教振りと来ては、如何なる国の殉教者にも優りこそすれ、劣る所はありません。然るに我国では(しき)りに外国聖人の伝記を読み、その金言、()(とく)、美行を感嘆し、之が伝達(とりつぎ)を祈りながら、自国の聖人や、福者は(いささ)か之を閑却(かんきゃく)せる(うら)みがないでしょうか。教話にも、著書にも、その殉教者の逸話、美徳を引用することも極めて少ないのは争うべからざる事実であります。なるほど近来「日本聖人昌慶会」などが設けられ、二十六聖殉教者を詳しく知り、深く尊び、その盛徳に(のっと)ろうと務める向きが年と共に漸く多きを加え、殊に二十六聖人映画によって、その気運がいよいよ旺盛に赴くに至ったのは、誠に以って喜ぶべきの極みでありますが、然し今申しました如く、二十六聖の外に二百五名の福者殉教者があります。一六一七年から一六三二年に至る十五年間に殉教した方々で、義を泰山よりも重んじ、死を鴻毛(こうもう)よりも軽しとせる日本(やまと)(たましい)と、神の為、人の為、苦しみを忍び、命を捨てるのを身に余る幸福(さいわい)とせるカトリック精神との結晶より成ったのが彼等であります。その壮烈、剛勇、節を守りて屈せず、義を執りて動かず、猛然、凛然(りんぜん)従容(しょうよう)として水火を踏み、白刃を(おか)せる態度の天晴れさ、到底筆舌のよく尽す所ではないのであります。

(2)− この殉教者等は一八六七年七月七日教皇ピオ九世より福者の号を(いつ)られたのでありまして、内イエズス会の司祭十三名、修道士二十一名、フランシスコ会の司祭十名、修道士十八名、アウグスチヌ会司祭五名、在俗(ざいぞく)邦人司祭一名、合計八十九名、その他はフランシスコ会、ドミニコ会、アウグスチヌ会の第三会員、ロザリオ会員、及び何の組合にも属しない平信者で、合計二百五名に上って居るのであります。是等の殉教者こそ日本国民の光であり、大和民族の誉れであり、我々カトリックの誇りである。(あした)に夕べに模範と仰ぎ、懦夫(だふ)は以って奮い、鄙夫(ひふ)も以って志を立てるに足るべき偉丈夫であります。それにも拘わらず、我々日本カトリックの之に関する知識は余りに貧弱で、その之を崇敬(すうけい)する念も余りに冷淡であります。なるほど鮮血遺書にその殉教談は載せてありますが、その記述が年月順になって居ませんし、(いささ)か物足りない(うら)みもないではありません。なお今日ではイエズス会も、フランシスコ会も、ドミニコ会も既に我国の布教に従事して居ることですから、各会は宜しくローマ聖座に運動して、一日も早くこの二百五名の列聖を計らはれたいものであります。マリア会員がその創立者シャミナード師の()(ふく)の為にとて奇蹟を求め、伝達(とりつぎ)を祈って居るその熱心に比較して、我々の二百五名殉教者にたいする崇敬熱は余りにも冷淡ではありませんか。よって今ここに暫く殉教者とは如何な御方であるか、我々はその殉教者と如何なる関係を有するか、この二点を考えて見るのも(あなが)ち無益ではあるまいかと思います。

(3)− (そもそも)も殉教者とは如何なる御方であるか、殉教者とは原語でマルチルと云い、証人を意味します。キリストの教えの真実なることを血を以って証明した人を()うのであります。この種の証人は如何なる国、如何なる時代にも絶えたことがありません。今日と(いえど)も、ロシア、メキシコ(あたり)には主の為に獄に繋がれ、血を流し、謂ゆる殉教者となって居る人が多いものであります。然しローマ帝国を除けば、吾日本ほど長く迫害を受け、(おびただ)しい壮烈な殉教者を(のこ)した国は恐らく世界の何処にもありますまい。吾国の迫害は一五八七年豊臣秀吉が宣教師追放令を発してから明治六年、浦上信者が放免されるまで二百八十六年の久しきに及んで居ます。して何処の迫害でも、幾年か続いては中絶しては又起ると云う様になって居ますが、我国では秀吉の迫害こそ一時緩和されたにせよ、一六一四年徳川家康が之を新にしてからは、日を追って激甚に赴くばかりで、少しも中絶することなしでありました。随って殉教者の数も(すこぶ)る多い。なるほど聖人の号を(おく)られて居るのは二十六名、福者と尊ばれて居るのは二百五名に過ぎませんが、それは確かに信仰の為に殺されたと云う正式の調査がついた方ばかりで、その他にも幾千の殉教者がありましたでしょうか。是等の殉教者中には、平民もあれば貴族もあり、水呑百姓も居れば、大名、家老、奉行等の血統を引いた人もあり、七十、八十の老人もあれば、四つ五つの(がん)()なき幼児もありました。その拷問、殺戮(さつりく)の酷烈さと来ては全く沙汰の限りで、打ち首、(はりつけ)()(あぶ)りの如きすら余りに手緩(てぬる)しとして、首以上を残して全身を土中に埋め、竹鋸を当て、五日も十日もかかってその首を()く、雲仙(うんぜん)(だけ)に連れ行き、裸体(はだか)になして硫黄の熱湯を(そそ)ぎかける、見る見る中に皮破れ、(はだ)(つんざ)け、全身(ただ)れ上がって目も当てられぬ有様になると、そのまま小屋の中に投げ込んで休養させ、元気がやや回復したと見るや、(また)(また)引き出して熱湯を浴びせる。或るは口に漏斗(じょうご)をさし入れ、容赦なく水を注ぎ込んだ上、仰向に()かして腹に板を載せ、大の男がその上に乗って力任せに之を(おし)()す・・・寒中、池の中に半身を氷漬けにして凍死させる、穴の中に逆吊りにしたまま、幾日も幾日も棄て置いて死を()たせる等、それはそれは思ったばかりでも身の毛もよだつと云うほどの惨刑(さんけい)酷罰(こくばつ)を加えたものであります。然しその刑罰の酷烈なるだけ、信者及び宣教師等の殉教的精神はいよいよ美しく発揮されました。徒に泣き叫ぶのでなく、敢えて刑吏を怨むのでなく、人を罵りて狂い廻るのでもない、じっと堪え忍び、むしろ喜んでその命を棄てました。殺されるのを、主の為に殉教者となるのを身に余る恩恵、得難い名誉として感謝したものであります。

(4)− (ひるがえ)って考えて見ると、我々は殉教者の後裔(こうえい)である。彼等殉教者は多く日本人でありました。日本の土に生まれ、日本の空気を吸い、日本の水を飲んで成長した人でありました、或はどうかすると血統上からも、我々と縁故がなきにしも限りますまい。兎に角、我々の祖先である。我国には祖先を尊び、家系を重んずる風習があります。祖先を(はずかし)めない様、家名を落さない様にと、始終つとめて居るのであります。今殉教者等は我々の祖先だとするならば、この祖先の名を辱めない様、この祖先の信仰、この祖先の勇気、この祖先の忍耐、この祖先が主の為、信仰の為には一切を(なげう)って顧みない、生命までも喜んで献げたその感ずべき犠牲心に(のっと)る様、務むべきは当然のことではありますまいか。無論、我々は教えの為に財産をすて、家をすて、親兄弟をすて、生命までも捨てる様な目に遭うことはないでしょう。然しカトリック信者と(あざ)けられるのを恐れて、信仰を隠そうすることはありませんでしょうか。怪しげな神社に参拝を強いられる時、それを断然拒絶するだけの勇気がありますでしょうか。信仰を全うしようとすれば、首になりそうだ、昇給が覚束(おぼつか)ないと見るや、()の足を踏まないでしょうか。平生(へいぜい)の行為に就いても考えて見なさい。殉教者の子孫ともあろうものが、僅かの暑さを忍び得ない、一寸の寒さにも(おび)えて、少し朝早く起きるのを大儀に思い、()うかすると信仰の務めを怠る、告白もせず、聖体も拝領しない、日曜日のミサにも(あずか)らないと云う塩梅(あんばい)ではありませんでしょうか。親に従うとか、学校に出て真面目に勉強するとか、面白い遊びを止めて公教要理を勉強するとか、眠い目を(こす)って朝夕の祈祷をするとか、と云う様な犠牲心を持って居ますでしょうか。殉教者の子孫ともあろう者が、(わずか)の病にかかる、少しの貧困に見舞われる、()と恥しめられる、無理を言われると、忽ちくよくよ嘆いて居る、人を怨んで居る、復讐の念を(はさ)んで居る。我が罪の償いとして、主を愛する誠意(まごころ)を証するがためにとて、罪人の改心を求め、煉獄の霊魂を慰める為にとて、その苦しみをじっと(こら)える道を知りません。それでは殉教者の子孫たる所以が何処にありますでしょうか。

(5)− 主の弟子となり、(たす)(かり)を全うするには、己を棄て、十字架を取って、御後に従はねばなりません。「我はキリストの御苦しみの欠けたる所を我が肉体に於いて補うなり」(コロサイ一ノ二四)と聖パウロは()った。キリストの御苦しみに欠けたる所がある訳ではありません。その功徳は千百の世界を救っても猶、余りあるのであります。然し我々が救いを得るには、キリストの御苦しみのみでは足りません。我が身の苦しみをも、主の御苦しみに参加させねばなりません。即ち日々の十字架を担いで、主の御後に従う、たとえ主の如く、又殉教者等の如く、赤い血を流すことはないにせよ、己が脈管に流れる赤い血を白い涙となし、黄色い汗となして、主の御苦しみの欠けたる所を補ってこそ、真実(ほんとう)な主の弟子となり、(たす)(かり)を全うし得るのでありまして、その為には殉教者、殊に各々(めいめい)が祖先と仰ぐ殉教者等の壮烈ならびなき美談を(しばしば)、黙想して、勇気を鼓舞するに限るとおもいます。

 

日、           

(一) 御 誕 生 の 喜 び

 

聖母マリアの御誕生は全世界の為に大いなる喜びの基因(たね)となったもので、聖会も「神の御母なる童貞よ、(おんみ)の御誕生は全世界に喜びを告げたり」と歌って居ます。今その喜びとは如何なる種類のもので、聖母が如何にしてその喜びを全世界に告げ給うたか、と云うことを少し研究して見ましょう。

(1)− 全世界の喜び 申すまでもありませんが、世界に(まこと)の喜びを与えたものはイエズス・キリストで、主は実に我々の身より奴隷の桎梏(かせ)を解き放ち、原罪の(くびき)を打ち壊し、我々を自由の身となして下さいました。その功徳に(すが)りますと、たしかに聖寵を回復し、神の子たるの自由を(かたじけな)うし、罪さえ犯さなければ、何時になっても、その自由を失う様な憂いはないのであります。その為に、主は聖寵を豊かに施して我々を助け、以って情欲に抵抗せしめ、福音の有難い光を輝かして誤謬(ごびう)の闇を打ち散らし、意志を強めてよく罪を避けしめ、疾病(やまい)や災難や悲哀や苦痛を勇ましく堪え忍ばせて、心の平和を、(たましい)の喜びを失わせない様にして下さいました。

(2)− 聖母は如何にしてこの喜びを世界に告げ給うたか マリアは救い主の御母として、その救世事業に参加せられました。イエズスが我々人類を(あがな)うが為に流し給うた御血は、聖母の御胎(ごたい)よりお受けになったのでありました。随ってイエズスが世界の喜びであらせられたとするならば、その喜びは聖母より出たのだと云っても、決して過言ではないのであります。されば聖母の御誕生それ自体が世界の喜びとなったのではなく、ただ喜びを世界に告げたのみでした。曙が日の出を、花が果実を告げる如く、その喜びの(とお)からざることを告げたと云う迄に過ぎないのでありました。実に聖マリアが御誕生になったのは、エッセの(みき)(ダウイド家)に約束の花が立派に咲き(こぼ)れたのであって、此の花がやがて世界の喜びとも、人類の救いともなるべき(とうと)い果実を結ぶに至ったのであります。又、聖マリアの御誕生は、(たと)えば正義の太陽の程、遠からぬを告げる曙の如きものでした。故に聖会はマリアを()めて「汝より正義の太陽、我等の神なるキリストは()でさせ給えり」と歌って居るのであります。実際このエッセの幹に咲き出た花は、やがて救いの果実()となり、世界はそれを食して、救いの恵みを(かたじけな)うしました。この(めでた)い、曙に次いで美しい正義の太陽が(あらわ)れ、人類はその光に照らされて前進を始めました。毎年この御誕生の記念日に、人々の心が言い知れぬ喜びに躍るのは全く之が為であります。

(3)− 結論 我々は今日この嬉しい御誕生の喜びに(あずか)り、聖母に心から祝賀を申し述べると共に、またその祝賀のしるしとして、何か小さな進物(しんもつ)なりとも(ささ)げたい・・・「マリアはイエズスへの(みち)」ですから、この路を辿(たど)りてイエズスに到着し、いよいよ熱くイエズスを愛し、その救いの喜びを(かたじけな)うするため、懸命に努力すべく決心いたしたいものであります。

 

(二)

 

(1)− 聖母の御誕生はよく曙に(たと)えられます。曙と云うものは、旭日(あさひ)が地平線上の昇る前に、東の天に放つ光線でありまして、白い中に紅味(あかみ)を帯び、如何にも涼しく懐かしく、気持ちよく仰がれるのであります。曙は夜の終で、昼の始め、日の使いのようなもので、日に先だって(あらわ)れ、日の出の近きにあることを告げます。曙は日によって生ずるのですが、また日を生み出すかの様に、日の子でもあれば母でもあるかの様に見えます・・・。聖母も()れと同じで、殊にその御誕生こそ我々の為に正しく曙でありました。永遠の世界の曙でありました。曙が夜の終、昼の始めであるが如く、聖母の御誕生も苦痛の終で、慰藉(なぐさめ)の始め、悲哀(かなしみ)の終で、喜悦(よろこび)の始めであったのであります。曙は日に先だちて(あらわ)れ、日の出の近きにあるを告げるが如く、聖母マリアも正義の太陽にて(ましま)すイエズスに先だちてお生まれになり、間もなくその太陽の顕れ出づべきことをお告げ下さったのみならず、自らその太陽の母となりて、之を我等の為にお生み下さいました。曙は太陽あってこそ始めて生ずるので、太陽がなかったら決して、曙なるものゝあるべき筈がない。聖母マリアもやはり其の通りで、そのすべての美しさ、そのすべての善徳、そのすべての御位(みくらい)も、御力も、神の御母として与えられ給うたのであります。もしイエズスが世に生まれ給う筈でなかったならば、聖母の生まれ給う訳もないのでありました。曙があって太陽の出るのではなく、却って太陽があって、曙を生ずる如く、聖母が(ましま)した為にイエズスが生まれ給うのではなく、イエズスが(ましま)したから、聖母も造られ給うたのであります。聖母は実に神の御業(みわざ)、神の聖寵の御業(みわざ)でありました。然し不思議にも、聖母は神の姫君たると共にまたその御母である、丁度、曙が太陽によって生じながら、然しその曙より太陽が出て来るかのように見えるが如く、聖母も神に造られ給うたが、然しまた神の御子をお生みになり、神の御母ともならせ給うたのであります。

(2)− 斯くの如く聖母は世界の為に立派な曙であらせられたが、また我々一人(いちにん)づつのためにも毎日毎日、曙となって下さいます。即ち聖母の御誕生はやがて救い主の御降誕遊ばす前兆(まえじるし)であったが如く、我々の霊魂が如何ほど罪の暗黒(くらやみ)彷徨(さまよ)って居るにしても、もし聖母の御名(みな)(とな)え、其の御助力(おたすけ)を願う気にさえなりますならば、もう其処には曙の光が()し込んで来たのであって、やがては正義の太陽にて(ましま)すイエズスが、その聖寵の光を以って之を照らし給うに至るのは疑いを容れないのであります。夜陰に乗じて其処、此処を飛び廻って居る夜の鳥や、狐、狸の類でも、東の空がほのぼのと明け渡って参りますと、忽ち穴の中、深く逃げ隠れるものであります。悪魔も其の通りで、我々の心が情慾に(くら)み、罪の汚れに黒ずんで来ると、之を奴隷にして、勝手気儘に圧制して居るが、一たび聖母マリアの御憐れみの眼が曙の光の如く我々の上に射し込んで来たものなら、忽ち恐れて地獄の中え逃げ隠れてしまいます。実に悪魔の最も恐れる敵は聖母マリアで、聖母は御誕生の其の当時より、はや悪魔の頭を踏み砕き給うのでありました。他の人は皆、原罪に汚れ、悪魔の奴隷となって生まれるのに、独り聖母だけは何の汚れもなく、悪魔の頭を踏み砕いたまゝ生まれ給うたのであります。だから悪魔の(わな)に掛からない為、最も安全な方法は、聖母の御保護の下に身を寄せることである。(しばしば)その御名を呼んで御助力を求めることである。殊に誘惑(いざない)出遭(でっくわ)した時は、深く(より)(たの)むの心を以って聖母の御膝下(ひざもと)に駆け付けたら、断じて(たお)れる気遣いはないのであります。

 

(3)− 暁方(あけがた)になりますと、夜の鳥は巣に隠れますが、雀などは反対に(ねぐら)を飛び出して、声、勇ましく(さえず)り渡り、日の出を歓び迎えます。聖母マリアの御誕生に際しても、悪魔が恐れて逃げ隠れると共に、天使と人類は躍り立って神を讃美し、人類救贖(あがない)(ちかづ)いたのを見て喜びました。我々もこの「曙なる聖母」の御誕生に際して、心より躍り喜び、この曙によって我々の心の照らされたことを感謝すると共に、(かか)る芽出度い御身に造られ給うたことを聖母に慶賀し、いよいよその柔らかな光を以って心の暗を照らし、悪魔を追い退()けて下さいますよう、祈らなければなりません。

(4)− (つい)に曙は苦痛(くるしみ)に泣いて居る人に、多大の慰藉(なぐさめ)を与えるものである。辛い病に取り付かれて、夜中一目も眠れないと云うような時は、明け易い夏の夜でも非常に長いように思われる・・・真っ暗な夜中に旅行をして路に踏み迷った時、荒い浪風に揉まれ揉まれて航海をして居る時などは、さあ東が白んで来た、曙になったと云う時ほど、嬉しいものはありません。

聖母の御誕生が罪悪の(やみ)に閉ざされて居たこの世の為に丁度()うでしたが、今日でも情慾に悩まされて居る我々の為に、悪魔の誘惑(いざない)の風、世俗の恐ろしい荒浪に揉まれて居る我々の為に、病に苦しみ、災難に泣いて居る憐れな我々の為に、聖母は何よりも嬉しい曙である、如何なる苦しみ悲しみに沈んで居る場合にでも、もし聖母に依り頼む氣になるならば、もし心から聖母の御憐れみに(すが)り付く気にさえなりますならば、聖母は必ず曙の柔らかい光の如くなって、我々の心を慰めて下さるに相違ありません。

斯様(かよう)な次第でございますから、我々は何時も何時もこの曙の光を仰ぐようにせねばならぬ。暗に閉ざされて居る人は、曙たる聖母の方に眼を挙げて其の光を求めるようにし、既に其の光に照らされて居る人は曙が時の經つに随って益々(あかる)く輝かしくなって来るが如く、層一層、聖母を愛し敬い、いよいよ其の光明(ひかり)に照らされるように(つと)めなければならぬのであります。

 

十  二  日

聖 マ リ ア の 御 名

聖マリアの御名(みな)が神の御心(みこころ)の上にも、人の心の上にも、如何なる力を有するかと云うことを考えて見ましょう。

(1)− 聖マリアの御名は神の御心の上に如何なる力を有するか 聖マリアの御名は神の御心を感動させ、その御怒(みいかり)(なだ)め、その御恵みを呼び降すものであります。

(イ)− 神の御心を感動させる マリアは神の愛女である、随って神はこの名を聞き給う毎に、言い知れぬ喜びに躍りつゝ、其の方に御身を傾け給い、この名を以って御恵みを願い出る人には、何一つ拒絶し給はぬのであります。

(ロ)− マリアの御名は神の御怒りを宥める この御名こそ天の義怒(いかり)の雷、それにたいする間違いのない避雷針で、如何なる罪人でも、心からこの御名を(とな)えて、救われざるなしである・・・然り、マリアの御名は神の御憐れみを求めるのに全能力を有する、一たびこの御名が響くや、必ず御憐れみは下り、痛悔の恵みとなり、罪を赦されるに至るのであります。

(ハ)− マリアの御名は神の御心を大きく(おし)(ひら)き、すべての寶を随意に取り出せる 実際マリアの御名は不思議な力を持って居る・・・御子はその有する所を残らずマリアの御手に(わた)し給うた・・・御父はマリアの御名を呼んで願い出る人には、如何なる聖寵をも拒み給うことがない。だから我々は大いにこの御名を頼みとしなければなりません。

(2)− マリアの御名は人の心の上に如何なる力を有するか マリアの御名はよく人の心を救い、慰め、強め給うのであります。

(イ)− 信頼を以ってこの御名に呼び奉ると、あらゆる危険より、物質上の危険たると、道徳上の危険たるとを問わず、救われ得るのであります。で何方の危険に臨んだ時も、必ずマリアの力ある御名を呼びましょう。特に道徳上の危険に打つ突つた時、我々に取って最も頼みとするに足るべきものは、マリアの御名である、マリアの御名!是こそ悪魔の頭を踏み砕いた婦人の名で、この御名によりて幾多の誘惑(いざない)は打ち破られ、幾多の罪は避けられ、幾多の人が改心の恵みを(かたじけな)うしたでございましょうか。

(ロ)− これこそ慰めの御名、喜びの御名である。心が悲しみに襲われた時、忽ちその悲しみを打ち散らしてくれるのは、この御名であります、神を恐れ、その審判を気遣い、心が(たいら)かならぬ時、人に讒謗(ざんぼう)され、不義を加えられて、気がくさくさして堪らない時、過去の失墜を思い出し、暗い死の陰に悚み上らん計りとなった時、信頼を以ってこの御名を唱えると、よく其れ等の不安、恐怖、煩悶(はんもん)を払い去ることが出来るのであります。

(ハ)− 終にマリアの御名は力である、敵が如何に強勢であり、我々自身は如何に卑怯、懦弱(だじゃく)で、数々の失敗を重ねて居るにせよ、マリアの御名を呼び、その御助けを求めると、以って敵勢を蹴散らし、我が身の卑怯、懦弱(だじゃく)に打勝ち、従来の失敗を回復すべく、勇往邁進することが出来るのであります。されば我々は常にイエズスとマリアの御名を口にし、この二つの御名を我々の心と腕とに刻みつけて下さいまし、と主に祈りましょう。心に刻みつけて戴き、以って絶えず之を思い、之を愛する様、腕に刻みつけて戴き、之に由って勇ましく敵と戦い、日々の艱難、苦労と戦い、一度でも敗を取らず、連戦連勝することが出来る様に祈りましょう。

 

十 七 日、 聖 マ リ ア の (ななつ) の 悲

(一) (おん) (かなしみ)

 

聖母は十字架の下に於いて、イエズスの為に悲しみ、イエズスと共に悲しみ、又イエズスの如く自ら犠牲となり給うたのであります。

(1)− 聖母はイエズスの為に悲しみ給うた 聖母の眼前に(ほふ)られ給う犠牲は、実に最愛の御子でありました。聖母は天にも地にも換え難く思い給うその最愛の御子が十字架に釘づけられ、連りに悶え苦しみ給うのをじっと打ち眺めて、胸は破れ、(はらわた)もちぎれん許りに覚えさせ給うのでありました。然し聖母は気強く堪え忍びなさいました。それは三十三年前より既に覚悟して居られたからであります、三十三年前より毎日カルワリオへ向って進行を続けて居られたからであります。御子の御降誕後四十日目に、早やシメオンの予言を承り、悲しみの剣に御胸を刺し(つら)ぬかれて居られたので、今更ら驚きもせず、怪しみもせず、進んでカルワリオへ登り、主の十字架の下に(たたず)んで、微動だもし給はぬのでありました。この世は涙の谷で、この世に居る間は誰しも悲しみや苦しみを免れることは出来ませんが、ただ聖母の如く平素よりイエズスの為に悲しみ、イエズスの為に苦しみたいと云う覚悟を定めて居りますと、それが余程堪え易くなり、しかもそれによって多大の功徳を生むことも出来、実に一挙両得なのであります。

(2)− 聖母はイエズスと共に悲しみ給うた 聖母はイエズスの御苦しみを思い遣り、貰い泣きをされました、(かね)てよりイエズスと同じ心になり、喜びも、悲しみも、苦しみも、楽しみも共にして居られた聖母のことであれば、今イエズスが人類の罪の為に犠牲となり、十字架に釘づけられ、言うにも言われぬ苦しみに沈み入り給うのを見て、同情の涙が(そそ)がずに居られません。イエズスが犠牲となって御身を献げ給うその十字架の下に、聖母も同じく犠牲となって、己が心の悲しみを献げ給うのでありました。皆さん、この恐ろしい十字架に釘づけられて(ましま)すのは誰でしょう?我等の救い主、我等の神、我等の友、我等の恩主なるイエズス・キリストではありませんか・・・そのイエズス・キリストは誰の為に死に給うのですか?我々の為、この罪深い我々の為に斯くまで苦しみ、斯くまで無惨な死を遂げ給うのじゃありませんか。然らば聖母が御子の御受難、御死去を嘆き、死なん(ばか)りの悲しみに沈み入り給うのも、また我々の為め、我々の罪故でありましょう。我々は之を思って、イエズスとマリアの御悲しみと御苦しみに心からなる同情を寄せ奉り、併せてその御悲しみ御苦しみの原因たる我々の罪を悲しみ嘆くべきことを忘れてなりません。

 

(3)− 聖母はイエズスの如く犠牲となり給うた なるほど聖母は体ごと(ほふ)られ給はなかったが、心は百千の剣に刺し貫かれる思いあらせ給うのでありました。十字架の下に(たたず)んで最愛の御子がありとあらゆる悪口雑言を浴びせられ、(おびただ)しい生血を(したた)らし、焼くが如き渇きに悩み、(しき)りに悶え苦しみ給うのを(まのあた)りに打ち眺め給う聖母の身になって御覧なさい。我が身が十字架に釘づけられた以上に苦しみ、悩み給うのじゃありませんでしたろうか。然し聖母は気強くそれを堪え忍びなさいました。御子の苦しみに自らの悲しみを添えて、御父天主に献げ、罪深き人類の為に御憐れみを祈り、容赦(ゆるし)を請い求め給うのでありました。我々が今日まで(かたじけな)うした御恵みは、斯うして聖母が、その言い知れぬ御悲しみを以って、お求め下さったお陰に()るのではないでしょうか。我々は聖母のこの有難い御恵みを厚く感謝すると共に、亦その立派な御手本に(のっと)りたいものであります。我々もイエズス、マリアと共に日々十字架を(かつ)ぎ、その十字架の上に死にましょう・・・天に昇るの道は十字架の道であります。この道を真直ぐに進みましたら、必ず天国に辿(たど)り着くことが出来ます。なお、聖母に(なら)い、人を救うが為め、殊に我が同胞を救うが為め、十字架を(かつ)ぐ、自ら進んで犠牲となる、我々の悲しみ苦しみをば、イエズスの御苦しみ、聖母の御悲しみに合わせて、御父に献げ、以って(たす)(かり)の恵みを請い求むべく(つと)めましょう。

 

(二) 聖 マ リ ア の 七 の 悲

 

(1)− 聖マリアの七の悲しみとは、聖母が御子イエズスの事に関して嘗めさせ給うた御悲しみの中にも、一番大きなのを七つ程、数えたのであります。即ち御子が後日人々の反対を受け給うべきことをシメオンに告げられ給うた時、ヘロデの迫害を避けてエジプトに落ち行かれた時、エルザレムに於いて御子を見失い、三日間も之に離れ給うた時、御子の十字架を(にな)いてカルワリオへ登らせ給うのに行き遭はれた時、御子が十字架上に御死去遊ばした時、十字架より下され給うた御子の冷たい御遺骸(おんなきがら)を抱き締めなさった時、(つい)に御子を御墓に葬り給うた時、その胸に(みなぎ)り溢れた御悲しみを指したものであります。

(2)− 聖母は童貞にして母、母にして童貞でありました。世俗の愛を知らないだけに、ただ純にして潔い熱情を傾けて、神を愛するのが童貞の特色である。次に母の母たる所以は全身、皆な愛と云うにあるのである。今、聖母は完全なる童貞、理想的母で、而も其の子は神にして人、人にして神に(ましま)すのですから、その御子に対し給う愛が如何に純潔、濃厚、熱烈であったかは申す迄もない所でありましょう。斯くまで深く厚く愛し給う御子が人々に罵られ、虐待(しいた)げられ、果ては惨酷きわまる(しおき) にかけられて、御死去あそばすのを(まのあた)りに眺めさせ給うた聖母は、如何に御胸も(えぐ)られ、御腸(おんはらわた)()()れる思いあらせられたでございましょうか。子女として母の悲しみを思い遣るのは人情であります。殊に聖母が()(ほど)の御悲しみを嘗めさせ給うたのは、全く我々の(たす)(かり)(はか)るが為であったのだと思いましたら、いよいよ以って同情も寄せ、感謝もしなければならぬじゃありませんか。

(3)− 聖母の御悲しみは、御子の御受難に対する同情より来たり、其の御子の御受難は我々の罪に基づくのでありますから、我々の罪が聖母を()(ほど)の御悲しみの淵に沈ませ奉ったのだと云っても過言ではありません。実に御子が天地万物の御主(おんあるじ)の身を持ちながら、敵の手に渡され、弟子等に見棄てられ、有りと有らゆる軽侮(あなどり)凌辱(はづかしめ)を浴びせられ、覚えもない罪を言い掛けられ、鞭打たれ、唾せられ、茨を冠せられ、十字架に磔けられて御死去なさいましたのは、全く我々の罪故でありました。さればこそ聖会は聖母の悲しみを詠んで「聖母はイエズスの己が民の罪の為に責められ、鞭打たれ給えるを見、又、最愛の御子の息絶々に悶え悩み給えるを見たり」と歌って居ます。実に聖母の御悲しみの原因は我々の罪であります。この御母を泣かして、この御母に甚い甚い不孝をして、その御胸に幾百本の剣を突っ立てたのは我々の罪であります。今深く痛悔(つうくわい)して(ひとえ)に御赦しを求め、此の後はたとえ善を修め、徳を積んで聖母の御心を慰めはしても、決して一度でも罪を犯して之に悲しみの剣を突き立てる様な事をしてはならぬと、決心しなければなりません。

(4)− 聖母は最愛の御子が万民の為に犠牲となって、悲惨きはまる御死去を遂げさせ給うた時、()(ぜん)として其の十字架の下に突き立たれた、(さめ)(ざめ)と涙に咽びつつも神の思し召しを奉戴して、勇ましく堪え忍ばれた。その御摂理を呟いたり、悪徒の残忍無道を咎めたりし給はぬのでありました。御子と共に苦しむこと出来る、少しでも御子に()、奉ること出来る、御自分の苦痛を以って人類の救霊に協力すること出来るのを何よりの幸福と思い、喜んで堪忍(たえしの)ばれたのであります。

我々も現世を渡るに付けて、随分と難儀を見、苦労を忍ばねばなりませんが、斯る時には聖母の御悲しみを思い浮かべましょう。罪一つなき聖母ですら(あれ)(ほど)の悲しみを忍ばれたとするならば、自分の如き有ゆる罪に汚れた者が、斯んな目に遭うのは寧ろ当然だ、ただ自分の力が弱い為に、主が余程容赦して此位に止め置いて下さるのだと、斯う考えて見なさい。神を怨んだり、人を咎めたりする所は少しもありますまい。()して艱難苦労を快く堪忍ぶと、それで大いにイエズスに似て来る、それで大いにイエズスを愛するの実を証することが出来る、それで大いに自分の罪を償い、(いさを)を建て、天国の()も言われぬ福楽を、かち得られるのであります。むしろ飛び立ってその十字架を引き受け、喜び勇んで之を擔ぐべきではありませんでしょうか。

 

二  十  四  日

聖 マ リ ア (とりこ) (あがない) の 記 念

 

(1)− 中世起頃から十八世紀にかけて、地中海沿岸は、絶えず北アフリカに根拠を据えて居る海賊に脅かされたものである。彼等は回教の狂信者で、ただ金品を(かす)め奪うばかりでなく、また男、女、子供までも捕らえてアフリカへ引き行き、奴隷として無理、無法に(こき)使(つか)うのでありました。為に多くの捕虜は生命を失うか、或いは生命を保つが為に信仰を投棄てるかするより外はなかったのであります。この二つの不幸は大いに列国基督教民の同情を呼び、彼等を救い出すが為め、十三世紀に二個の修道会が設立されました。その一つは至聖三位会と呼ばれ、インノセント三世教皇の時代に起り、今一つは聖マリアの(とりこ)虜会(あがないかい)と称し、グレゴリオ九世教皇の時にその創立を見ました。この贖虜会の開祖は聖母マリアで、自ら聖ペトロ、ノラスコ、聖ライモンド、デ、ペンナフオル、及びアラゴニア王ペトロに現れて之が創設を命じ、会則の大体をも自らお授けになりました。この聖母の感ずべき御慈愛(いつくしみ)を記念せんが為に定められたのが、今日のこの祝日なのであります。

(2)− この祝日に当って、我々は何を考え、何を決心しなければなりませんか。今日では捕虜を贖うとか、奴隷を買い取るとか云う様な必要は格別ありませんでしょう。然し我々の心を縛る奴隷の鎖!それをかなぐり棄てなければならぬことはないでしょうか。その鎖と云うは、先づ罪の奴隷の鎖である − 「すべて罪を犯す人は罪の奴隷なり」(ヨハネ八ノ三四)と主も(のたま)うて居る。この罪の奴隷ほど神の御前にも良心の前にも恥づかしい、過酷な、(いと)うべきものがありますでしょうか。次に情欲の奴隷の鎖である − 洗礼の水に罪を洗われ(くわい)(しゅん)の秘蹟にその汚点(けがれ)を拭い去られても、情欲の種子は依然として残ります。もしその情欲を刈り取るべく務めないならば、幾分か罪の主権の下に止まる訳で、危険この上なしである。成るほど情欲は罪でない、然し罪と共謀(ぐる)になって、我々を悪の方へ誘い込もうとするから、油断がなりません・・・徳に志す所の信者は務めて制慾を行い、以って情欲を抑え、之を奴隷たらしめねばなりません。(つい)に人の奴隷の鎖である − 聖パウロがコリントの信者に「汝等は(あたい)を以って買われたり、人の奴隷となること勿れ」(ロリント前七ノ二三)といわれたのは、身体上の奴隷でなく、道徳上の奴隷を(いまし)めなさったのであります。一体我々の良心は何人にでも売るべきはずでない、されば義務に直面した時、人を恐れ、憚りて、躊躇(ちゅうちょ)することなく、むしろ勇み進んでそれを遂行しましょう。(かたじけな)くも罪の奴隷より救い上げられた我が身であるから、何物にも(きら)われる所なく、自由な、のんびりした、雄々しい行動を執る様にと心掛けなければならぬはずじゃありませんか。

(3)− 今日の祝日の精神を汲み取りまして、人を救う為の事業、例えば布教会か、何かの為め多少の献金をなしましょう。なお我が身も道徳上、何か奴隷となって居ないか、人を(はばか)るとか、何かの悪い癖に染まって居るとかするならば、今から断然それを取り棄てると決心いたしましょう。 

 

(一)

 

(1)− 今日は日本の擁護者、大天使聖ミカエルの祝日であります。旧約時代にイスラエル国の擁護者は聖ミカエルでした。新約に入りまして、イスラエル国に(かわ)ったのは聖会ですから、聖ミカエルは同じく聖会の擁護者に選ばれなさったのでありますが、然し聖ミカエルを我が日本公教会の擁護者と(あが)め尊ぶに至ったのは、別に理由があります。何方も御存じの通り、一五四九年八月十五日、聖フランシスコ・ザベリオは鹿児島に御上陸になりました。それから諸般の準備を整え、始めて島津公に謁見して布教の許可(ゆるし)を請われたのが、九月二十九日、聖ミカエルの祝日でありました。聖ミカエルは天軍の総督で、悪魔と戦って、大勝を博し、敵を残らず地獄に蹴落としなさったのであります。然るに聖フランシスコの御渡来当時まで我国は悪魔の配下に属し、全く彼の手の中に丸められ、彼の意のまゝに(もて)(あそば)されて居たのでありました。この強勢な魔軍を蹴散らして、我国の上に真理の光を輝かし、神の御国を(もり)()てるには、何うしても聖ミカエルの御助けに(すが)るより外はないと思われた聖フランシスコは、聖ミカエルを特に日本カトリック教会の擁護者と定め、一心にその御援助(おんたすけ)を祈り求め、然る後、伝道に着手せられたのであります。斯様な次第で、昔の切支丹は聖ミカエルに熱い熱い信心を持ち、男子にはよくミギルと云う霊名を附けたものでありました。

(2)− (そもそも)も人のこの世に於ける一生は戦いであります。神に叛旗(はんき)(ひるがえ)して天国を()はれた悪魔は、神の愛し給う人間を(そその)かして、自分等の如く神に(そむ)かせよう、天国を失わせよう、地獄の苦罰をも共にせしめようと思い、活動、又、活動、止まる所を知らない位であります。だから我々は何時も何時も戦闘準備を怠りてはなりません。勿論、悪魔は天使の成れの果て、その智慧の鋭さと云い、その能力の強大さと云い、我々人間が到底之に当り得ないことは分かりきって居ます。然し彼がその本文を忘れ、神に叛旗を翻すに至ったのは傲慢故でありました。今日と(いえど)もその傲慢を少しも失って居ない。否、傲慢の為に全く盲目となって居る。随って謙遜な人、己が弱きを認め、自力を(たの)まず、心より神に()(すが)る人にたいしては、流石の彼も全く無智無力で、(ごう)も恐れるに足りません。でございますから、常に謙遜の低きに就き、熱心に神の御助けを祈り、聖ミカエルの御保護の下に身を置いて戦ったら、決して敗を取る気遣いはないのであります。

(3)− 然し、我々は自分獨り悪魔と戦い、天晴れな勝利を博しても、ただ、それだけに満足してはならぬ、悪魔は今なお我国の上に強大なる勢力を擁し、抜くべからざる根拠を据えて居る、恐らく聖フランシスコ御渡来当時以上に猛威を逞しうして居ると思っても、大差ないでありましょう。で、我が身より魔軍を蹴散らした上は、更に他人の上よりも之を撃退すべく努めなければならぬ。言い換えれば力の及ぶ限り布教に力を尽くし、布教の為に祈る、布教の為に献金する、布教の為に奔走し文書を撒きちらし、宣伝をなし、自らも口を開き、筆を執りて、知らざるを教え、迷えるを照らし、弱れるを助け、倒れたるを引き起こし、一人にでも多く神を知らしめ、愛せしめ、以って魔軍の勢いを挫く様に努めなければならぬ。

 皆さんは日本人でしょう、日本国民を愛しなさるでしょう、この美しい瑞穂(みずほ)の国に生まれ、上に同じ天皇陛下を戴き、下は同じ空気を吸い、同じ水を飲んで居る我同胞、この我同胞を愛しなさるでしょう。愛しなさるならば、自分が真理と認める所を彼等にも認めしめたい、自分が歩いて居る人の人たる道を彼等にも歩ませたい、自分の(あこが)憬れて居る天国に彼等をも辿(たど)りつかせたいと思いなさらぬはずはありますまい。だから是非、是非彼等を助けて、悪魔の味方を脱せしめねばならぬ、彼等を助けて悪魔と戦はせ、決定的勝利を得せしめねばならぬ、それには天軍の総督なる聖ミカエル、悪魔を地獄へ蹴落しなさった聖ミカエルの御保護を祈ると共に、自分でも聖ミカエルの如く、善良、熱心な人等を三人でも五人でも糾合(あつ)めて、共に布教戦線え躍り出ると云う様に努めて欲しいものであります。

 

(二) (とき)

 

ミカエルとは「誰か神の如きものぞ」と云う意味である。

是こそ聖ミカエルを総督とせる天軍の鬨の声で、彼等は斯う叫んで魔軍と戦い、之を地獄に蹴落したのでありました。我々も誘惑(いざない)と戦うのに之を掛け声として、勇戦奮闘したいものであります。

一体誘惑なるものは我々を(そその)かして、何物かを神の上に置かせよう、神よりも尊重せしめようとするのでありますが、その何物とは、

(1)− 先づ我が身であります 然り、罪は神を背にして己を終局目的になさしめようとするのです。随って我々が大罪を犯す時は、我が身を拝むのである。神に背を向け、神に()つ離れて、我が身を神に祭り上げるのである。「汝等は神の如くなるべし」と云って(じん)()(あざむ)いた悪魔は、やはり我々にも同じく(ささや)くのである。聖パウロも飲食に溺れて居る人を咎めて「彼等は腹を神となす」(フイリッポ三ノ十九)といいました・・・何れにせよ、大罪を犯す時は、我が身の考え、我が身の欲望を神に祭り上げて、神を(うしろ)にするのであります。

(2)− 次に世間であります 誘惑(いざない)は世間の名誉、富貴、栄華等をば、神よりも、神の聖寵や祝福や報酬(むくい)よりも熱望させ、愛好させる。それだけ亦、神の審判(おさばき)よりも世間の風評(うわさ)を気にさせ、神のお罰よりも世間の不信用、冷遇、嘲弄(ちょうろう)を恐れしめるのであります。

(3)− (つい)に悪魔であります 悪魔は自ら神の地位に(すわ)ろう、神の如く()()まれようと欲して、謀反を企てたのでしたが、その心は今も昔と変りません。御主にさえ、「汝もし平伏して我を拝せば、是等の物を悉く汝に与えん」(マテオ四ノ九)といった位であります。随って大罪を犯し、キリストの御国を排斥する人は、悪魔の配下に身を投じ、その鎖に繋がれ、甘んじて彼が奴隷となるのであります。是等の誘惑にたいして、「誰が神の如きものぞ」と云うこの掛け声は如何なる力を有するのでしょうか。

(4)− 実際神に比べると我が身は果たして何物でしょう 全くの無ではありませんか。

然うです、我々は神の御手(みて)に造られた、我々の身も、身に持って居るものも残らず神より頂戴した、神こそ我々の第一原因たると共にまた我々の終局目的である。我々は否でも応でも一度は神に帰着しなければならぬ。もしこの世に於いて清い正しい生活をして居たらば、後日言うべからざる幸福(さいわい)(かたじけな)うして以ってその光栄(みさかえ)を揚げ奉るのだが、万一、善からぬ生涯を送って居たとすれば、正義によって厳しく処罰せられ、以ってその光栄を顕さねばならぬこととなる。兎に角、神の如きもの、神と肩を比べ()べきものとては、誰ひとり居ないのであります。

(5)− 世間は如何でしょう 神と比べたら世間は果たして何れでしょう。有っても無きが如きものではありませんか。世間のあらゆる名誉、あらゆる富貴、栄華も、風に吹き散らされる塵埃(ちりあくた)の如く、神の思し召し一つで、忽ち煙と消え、雲と散り失せるのじゃありませんか。「この世の姿は過ぎ行くなり」(コリント後七ノ三一)と聖パウロは申しました。然らば斯んなに(はかな)い、(たの)み難いものを以って、何うして神と比較すること出来ましょう、斯んなに(つまらな)い、夢の如きものに引かれて、何うして神に突っ離れ、罪なんか犯されるのでしょう。

(6)− 終に悪魔 神と比較したら、悪魔は果して何者でしょう、最上の善、無双の美たる神の御前に立たせたら、醜悪(みにくさ)それ自体ではないでしょうか。憎んでも足りない暴君ではないでしょうか。悪魔!それこそ我々の倶に天を戴かざる仇、ただ我々の不幸を、ただ我々の災難を、ただ我々の憂い、悲しみ、苦しみを(こいねが)って居る大敵ではありませんか。こんなものに(だま)され、その言車(くちぐるま)に乗せられて、何うして神を(うしろ)にする様なことがされるのでしょう?「誰が神の如きものぞ」、神の如く()(ぜん)()()、至高、至大なるもの、神の如く我々を愛し憐れみ(いたわ)るもの、神の如く我々の僅かな骨折り、小さな労苦(くるしみ)にまで百倍を以って酬いるものが、世界の何処に居ますでしょう。然らば我々は聖ミカエルの如く、神を万事に超えて尊び、万事に超えて(あが)め、万事に超えて慕い愛し、如何なる誘惑(いざない)に直面しても、如何ほど美しい、愉快な、楽しいものに手招きされても、「誰かの如きものぞ」と叫んで早速之を撃退し、心を傾け、力を尽くし、ただ神のみを()め、神のみを愛し、神のみに仕え、奉るべく務めたいものではありませんか。

 

(とき) の 声 (其 の 二)

 

(1)− 「誰か神の如きものぞ」と云う(とき)の声は、誘惑(いざない)を防ぐのに随分助けとなるのみならず、また善を行うにも、少なからぬ激励となるものであります。先づ善を行うのは、何時でも面白いことばかりはない、義務を果すのは、それこそ随分辛いものである。我々の上に襲いかゝる試練(ためし)にしても往々苦しい、堪え難いものがあります。それとても(たま)に重大問題が起ったか、特殊の事情が発生したかして、其の為に常ならぬ義務を果し、多大の犠牲を払わなければならぬことになったと云うのではない。多くの場合、単に毎日の平凡極まる、単調な、一向面白くもない義務、絶えず背負って行かねばならぬ小さな、数々の十字架、病や、失敗や、当て外れや、不如意や、他人の冷淡、薄情や等で、そんな何でもない様なものでも毎日のことですから、なかなか辛く、堪え難く覚えられる。我が身には、それを担いで行くだけの力がない。さらばとて周囲を顧みて、真侗(ほんとうに)に力となり、助けとなり、慰めを与え、激励を加えてくれる人もがなと思いましても、容易にそんな人が見付かるものではありません。然し「誰が神の如きものぞ」の鬨の声!之を一たび心に思い、口に云い出しますと、世の中が急に明るくなります。「誰か神の如きものぞ!」。神独りが全能であり、全善であり、限りなく忠信にして、何時になっても(かは)り給うことなく、己に(たの)む者を棄て給うことなきのみならず、必要に応じて、光にせよ、力にせよ、慰めにせよ、惜し気もなくお与え下さるのだと云うことを思いましたら、俄かに勇気の百倍するのを覚えませんでしょうか。「神もし我等の為にし給わば、誰か我等に敵対するものぞ」(ローマ八ノ三一)「我を強め給う者に於いて、一切のこと我が()し得ざるはなし」(フイリツボ四ノ十三)と覚えず叫ぶ様になりませんでしょうか。

(2)− 我々が大いなる犠牲を払って徳を実行しましても、この世では何等の報酬(むくい)も与えられないことが多い。誰も知る人がない、感嘆し、賞讃する人がない、注意してくれる人すらない。時としては、親切を尽くし、恩を施してやったその人から(さかしま)侮蔑(ぶべつ)せられ、忘恩の沙汰に出られ、敵視せられることすら無きにしも限りません。もし我々の生命がこの世だけに終わるものとするならば、誰しも斯る場合に直面しては、落担(がっかり)して、何も彼も投げやってしまいたいと思うに相違ありませんが、そんな時にでも「誰か神の如きものぞ」と云う鬨の声を一たび心に思い、口に言い出しますと、俄かに活気づいて来る、ただ神のみが私の真の判事、ただ神のみが私の善業をあるがままに知り、私のすべての意向を見極めその真価を突き留め給うのだ、ただ神のみが私の唯一の報酬、現世のすべての褒賞にも限りなく超越せる報酬に(ましま)すのだ、たとえ人は盲目であっても、神は一切を見給う、たとえ人は忘れても神は決して忘れ給はぬ、たとえ人は恩に負いても、神は無際涯(むさいがい)の大海原や、はてしもない(おお)(ぞら)よりも、一層広い大きな心の持主である、人の約束は空しい、(たの)みとするに足りないが、神の御約束は確実にして万古(ばんこ)不易(ふえき)である、人の褒賞は小ぽけな、取るにも足りないが、神の御褒賞は赫々として輝き、而も永久にして不変不動である・・・是等のことを思いますると、心は言い知れぬ勇気に燃え、千困(せんこん)前に横たはり、万難後ろに迫るとも、飽くまで素志(こころざし)を変ぜず、忠実に、熱心に、根気強く義務を遂行して(かは)らざるに至るのであります。

(3)− 我々は今日聖ミカエルの御伝達(おとりつぎ)を以って、「誰か神の如きものぞ」と叫んで、勇を養い、気を強めて、義務に忠なるの聖寵を祈りましょう。次に聖ミカエルは、日本の擁護者にも(ましま)すのですから、日本帝国の為、又、日本カトリック教会の為に祈ると共に、我が身も神の兵士となり、「誰が神の如きものぞ」と叫びつゝ悪魔を向うに廻して勇戦奮闘すべく努めましょう。

 

十 月 二 日、 守 護 の 天 使

守 護 の 天 使 に 対 す る 務

 

(1)− 守護の天使は我々が生まれ落ちてから死するまで、身辺(みのまわり)に付き添い、我々を護り、危険を防ぎ、禍いを遠け、悪魔の勢力を打ち挫き、善を勧め、罪を避けしめて下さいます。肉身上から見ても、霊魂上から云っても、小さな弱い、浅間(あさま)しい我々人間が、怪我をせず、火に落ちず、水に溺れず、悪魔の攻撃にめげず、よく罪の危うきを切り抜け、倒れても(また)()ち上がって、信仰の途を続けること出来るのは、実に守護の天使のお蔭に由って然るのではありませんでしょうか。幸いにして聖寵の状態にあるならば、守護の天使は大いに喜び、深く愛し、我々の祈祷(いのり)を、我々の汗を、我々の施与(ほどこし)を、善業を神の御前に献げ、その代りに豊かな祝福を、必要な聖寵を、乞い求めて下さるのであります。不幸にして罪の状態にあるとせんか、我々の心の門を叩き、静かに警告を発し、物柔らかに咎め立て、良心の刺戟を感ぜしめ、時としてはロトの天使が彼をソドマより引き出した如く、我々の手を取って罪の中から引き出して下さいます。臨終の際には、悪魔の加える最後の突撃にたいして、我々を防ぎ護り、所要な移蹟(ひせき)を授からせ、安心して永い眠りに就かして下さいます。死後は我々の霊魂を携えて、神の御前に立たせ、罪の償いを果すべく、煉獄に送られるや敬虔な人々の心を動かして、ミサや祈祷(いのり)を献げしめ、福いの天国に落ち付くまでは、周旋(しゅうせん)、又、周旋、絶えず周旋して下さるのであります。要するに我々が肉身上、霊魂上に(かたじけな)うせし、忝うせる、又忝うすべき数限りなき御恵みは、すべて守護の天使の御周旋(ごしゅうせん)に由るのだと云っても、決して過言ではありません。

 

(2)− 然らばこの海山ただならぬ御恵みにたいして、我々は如何なる感謝を献げたものでございましょうか。

(イ)− 先ず守護の天使に尊敬を表しましょう、人は王公貴人の前に出ると、よく身を慎み、(かりそめ)にもそのお耳を痛め、お目障りともなる様なことは言うまじ、為すまじと心掛けるものであります。今、守護の天使は天国の王公で、絶えず天主を(まのあた)りに仰ぎ視て、終なく楽しんで居られる。それ程の高貴な天使が夜昼我々の身辺を離れ給はぬのですから、その守護の天使のお耳を痛め、お目障りとなる様なことを言ったり、()たり、思ったりして、礼を失う様なことをしてはならぬじゃありませんか。

なお、我々が共に交わる人にも、それぞれ守護の天使は付き添って居給うのですから、もしその人を悲しませたり、(つまづ)かせたりする様な不都合を働くならば、必ずその守護の天使は我々を天の御父に訴え給うに相違ないのですから、其の辺の所もよくよく注意しなければなりません。御主(おんあるじ)(のたま)うたでしょう。

  「汝等慎みて、この最も小さき者の一人をも軽ずること(なか)れ。我、汝等に告ぐ、彼等の天使(たち)、天に()りて天に(ましま)ます(わが)、父の御顔を常に見るなり」(マテオ十八ノ十一)と。

                     

(ロ)− (つね)に守護の天使の()むことを知らぬ御慈愛(おんいつくしみ)にたいして、熱き愛、偽りなき感謝を払わなければならぬ、恩を受けても、返礼する道を知らないのは、人にして人に非ず、それこそ(いわ)(ゆる)「人面獣心」と()うものである。殊に守護の天使の恩と来ては、たとえ我々の五体が、我々の骨や筋や血や肉やが(ことごと)く舌となって、感謝の(ことば)を述べても、到底その万分の一にも当るに足りないと云う程でございますのに、何うしてこの守護の天使を愛せず、その恩を感謝せずに居られますでしょうか。

(ハ)− 然し心に愛し、口に感謝しても足りない、その愛の誠実にして、その感謝の偽りなきことを行いの上に顕はし、謹んで守護の天使の御勧(おすす)めを聴き、喜んでその御戒めに耳を傾け、その導き給うまゝに、一から十まで従って行くと云う様にしてこそ真実に守護の天使を愛して居る、その御恵みを感謝して居ると云うものではありませんでしょうか。

(ニ)− (つい)に守護の天使に篤く信頼しなければならぬ。守護の天使は権能(ちから)と云い、親切と云い、(すこし)の申し分もありません。天の御父より我々の守護を託せられたその日から、満幅(まんぷく)の愛を傾けて、我々の防衛に当り、片時も我々の傍を離れ給はぬのですから、何時も如何なる場合にも、この守護の天使の御助けを求めましょう。朝、目を醒ました時、夜、床に就く時、誘惑(いざない)に襲われたと見た時、病苦(やまい)災難(わざわい)や、その他すべて霊魂、肉身の危険に臨んだ時、直ぐに守護の天使を呼び、その御保護を祈る様に務めましょう。()う致しますならば、守護の天使も亦、我々をいよいよ愛し、憐れみ、恵み、助けて、必ず目的の彼岸(かなた)に到達さして下さることは疑いを容れざる所であります。

 

三日、幼きイエズスの聖テレジア

(一) 聖テレジアの大人気

 

(1)− 近世の聖人中、幼きイエズスの聖テレジアほど人気を博せる聖人はありますまい。

死後三十年にして聖人の加えられ、全世界の人々に深く崇敬され、熱心に祈られ、厚く厚く信頼され、(つい)には布教の擁護者とまで選まれるに至りました。・・・それはまた何の為でしょうか。

若くして死なれたからでしょうか。なるほど若い、青春時代は、何とも知れぬ魅力を持って居るものですが、然し若くして世を去った人は他にも多いもので、必ずしもテレジア一人ではありません。その容貌(みめかたち)の美しかった為でしょうか。成るほどテレジアの清い、整った顔面(かお)、その引き締まった、しかも愛嬌を(あふ)らした口元、その大きな、美しい、そして優しい眼付きに接したものなら、誰しも心を曳かれ愛を(そそ)られずには居られないのでした。然し容貌(みめかたち)の優れた麗人は他にも多いものですが、世人は格別それ等を構わないじゃありませんか。

 然らば何が偉大なる業、例えば聖ジャン・ダルクの如く、国家を累卵(るいらん)(あや)うきより救い出す様な偉大なる業でも果したのですか、否、

 シエナの聖カタリナの如く、当世の教皇や国王の光明ともなったのですか、否、

 大聖テレジアやシャンタルの聖ヨハンナの如く、有名な修道会を創立するか、復興させるかしましたか、否、

 生前に数多の奇跡を行い、一世を驚かすのであったのですか、否、

 然らば如何して()んなに人気を博し、僅か三十年そこそこで、世界の隅から隅まで尊敬、愛慕、信頼される様になったのでしょうか。

(2)− 第一の理由は、死後忽ち無数の奇蹟を行い、非常な光栄をかち得られたからではないでしょうか、聖テレジアは十五歳にしてカルメル会に入り、二十四歳で世を去られた。其の間に専ら身を修め、行いを(みが)ぎ、聖徳の高い頂にまで辿り着いて居られたにも拘らず、周囲の人々はこの年若い童貞が、それほどの徳域に達して居るとは夢にも知らなかったのであります。然しテレジア自身は、我が身が厚く天主に愛されて居ることを悟りまして「私は地上の人々に恵みつゝ天国の生命を続けましょう」とか、「天から薔薇の花を降らせますよ」とか云うのでありました。実際テレジアは一たび目を(ねむ)るや、忽ちその超自然的権能を(あらわ)しました、長くから病に悩まされて居た一人の童貞は、テレジアの棺に頭をつけるや、直ちに全快しました。その時から今日に至るまで、テレジアの伝達(とりつぎ)によって行われた奇蹟は枚挙(かぞえる)(いとま)ないほどで、其の為に彼女にたいする信心は、いよいよ盛んに行われる様になって来たのであります。

(3)− 第二の理由はその魂の清さでありました。実にテレジアの魂はこの世を渡れる最も美しい魂の一つで、その霊的偉大さは(たと)えるに物なしでありました。彼女が天国に於いて驚くべき権能を与えられたのは、天主に仕え奉るのに非常な熱誠を傾け、骨をも身をも惜しむ所なく、全き信頼を以って一切を主に(うち)(まか)せ、主の為に何んな苦しみ悩みでも勇ましく堪え忍ばれたからであります。四歳にして母を失った時は、それはそれは愛らしい幼女(おさなご)でした。誰も彼も感心し、父は之を「小さき女王」と呼んで、掌中の玉と可愛がったものであります。然しこの「小さき女王」は、もう其の頃から一身を天主に献げ、その祈る時は天使も斯くやと思われる位でした。早や自然界の意味を悟り、天や地や野原や「虞美人草(ひなげし)、矢車菊、雛菊(ひなぎく)等を飾った麦畑」やの美を歌う頭を持って居ました、彼女は実に天来の詩人でした。然し一切は神の思想の前に消え失せ、その小さな心は聖なる愛熱に燃えきれんばかり彼女は何時も神を眼前に見て居ました、否、神は彼女に一杯浸みわたって居られたのであります。今一つ彼女の魂の特色は、その骨をも身をも惜しまない献身的熱誠にありました。彼女はただ信ずるばかりでなく、ただ祈るばかりでなく、己を献げました、是非とも聖女たらんと欲しました、「私は半端の聖女となりたかない」と自分で言って居ました。己を献げる、聖人となるとは、愛することに外ならぬ。然り、彼女は神を愛し、イエズス・キリストを愛しました。「私は気狂(きちがい)になったと云はれるほど愛したいのです」と自ら言って居ます。実に彼女の全存在はイエズス・キリストの方へ伸び伸びして居ました。・・・彼女の魂こそ全く聖女の魂であったのであります。

(4) ― 第三の理由は、天主が、彼女に一個の使命を授け給い、その使命を全うするには、彼女が全世界に知られねばならなかったからであります。その使命と云うは、当世の人々が道を誤って居る、(まこと)の平和、真の幸福(さいわい)辿(たど)り着くには、方向転換をやらなければならぬと云うことを(さし)(しめ)すに在りました。実際、

(イ)― 当世の人々は、やたらに自由独立を叫んで居る、すべての民族は解放を求め、すべての個人は主権者に反抗(さから)い、家庭の権威も国家の権威も、宗教界の権威までも認めまいとします。然るに聖

テレジアは己が全生涯を以って、魂の平和、幸福は、秩序を守り、権威に服するに()ると云うことを教えました。

(ロ)− 当世の人々は富にあこがれ、金銭を熱望して止まない。何処にか物質的富が儲かりそうだと見るや、先を争って其の方え雪崩(なだ)れ込み、ただ遅れざらんことを恐れて居るのであります。然るに聖テレジアは己が全生涯を以って無一物の中にも平和を得、幸福に暮らせることを教えました。

(ハ)− 当世の人々は馬鹿に活動を好み、暫くもじっとして居られない、自転車、自動車、汽車、電車、飛行機を作り、遠近を馳せ廻り、世界を跨にかけて飛び歩いて居る。然るに聖テレジアは己が全生涯を以ってそう遠方に平和と幸福を求める必要がない、修道院の(かこ)いの中にでも其れ等は十分に見付かるのだと云うことを説き聞かせました。

(ニ)− 当世の人々は奢侈(しゃし)と快楽とを渇望し、人目に立ち易いもの、体に快く感ずるものを(しき)りに(たづ)ね求めて居ます。然るに聖テレジアは己が全生涯を以って平和と幸福とは、奢侈(しゃし)や快楽に存せずして、むしろ制慾と心の清さの中に在ることを示してくれました。

(ホ)− (つい)に当世の人々は絶対的平等を夢みて居る、人が自分より多く持ち、自分より多く楽しみ、自分より高い地位に在るのを欲しない。始終嫉妬心に燃えて居る、嫉妬心から憎悪心を生み、相譏(あいそし)り、相排斥し、相陥れて居る、然るに聖テレジアは何時も何時も己が地位に安んじて居ました、平和と幸福とは神の御摂理になった地位や、運命を快く引き受けるに在ることを実行上より(さと)してくれました。是等の教訓は福音書に説いてあるのですけれども、当世の人々は格別福音書を読まないので、何にも知らないのです、よって天主はその応用を或る一個の人に、その人の全生涯に織り込んで、之を当世人の眼前(めのまえ)に突きつけて見せばやと思召されました。テレジアが短日月の間に世界的聖人となり、すべての人に知られ、仰がれ、慕われ給うに至ったのは、そう云う思召があったからであります。

(5)− 我々は今日、聖テレジアの権能(ちから)の大いなることを思い、肉身上、霊魂上、何か困ることがある時は、厚い信頼を以ってその御助けを祈りましょう、必ず我々の上にも天から薔薇の雨を降らして下さるに相違ありません。特に聖テレジアに(なら)い、心を清く保ち、その清い心に主の愛を満たすべく務めましょう。終に聖テレジアの如く浮世を捨てゝ修道院に引籠もると云うは、誰にでもは出来ませんが、然し聖テレジアの教えられた「子供の道」を辿(たど)ることだけは、出来ない人はありません。質朴(しつぼく)で単純で、一切を神の思し召しに(うち)(まか)せ、信仰の前には、各自の職務の前には、己が意志や趣味や願望(のぞみ)やをも犠牲として、真正(ほんとう)な基督信者らしく立振舞い、そうした上で、人の為、救霊事業の為、応分の力を尽くすことは出来ないはずはありますまい。

 

(二) 二 つ の 教 訓

 

(1)− 親の為の教訓 ― 天主は如何なる家庭からでも、その聖人をお(えら)みになります。時としては、余り熱心でもない父母、否、異教の(やみ)に迷える父母より、偉大なる聖人を生ぜしめ給うことすら無きにしもあらずであります。然しそれは異例でありまして、むしろ熱心な家庭、感ずべき父母の手塩に掛けて、聖人となるの素地を作らせなさるのが常であります。聖テレジアの家庭は実にそう云う理想的基督教家庭でありました。両親とも、(かつ)ては修道者になりたいと志して、主任司祭に願い出られたと云うほど信仰の勝れた御方でございました、結婚後も正確に、又、熱心に宗教上の務めを果たし、(かね)てより宣教師となるべき男児を与え給えと祈って居られました。夫婦の間に生まれた児女(こども)は九人で、中四人は夭折(わかしに)し、五人は女児ばかりでしたが、何れもカルメル会なり、訪問会なりに入って修道女となりました。テレジアは九人目で母はテレジアの四歳の時、永い眠りに就かれたので、父はテレジアを亡き妻の忘れ形見として、特に之を鍾愛(しょうあい)し、その手を引いてよく散歩に出かけたものであります。テレジアは非常に可愛らしい小供でしたから、人が之を眺めて、感嘆の声を洩らしたり、お世辞を言ったりすることも時々ありました。世の常の父ならば、それを聞いては、無性に喜び、何よりの誇りにするものですが、テレジアの父はそんなことをテレジアに聞かせて、虚栄心を起さしめてはならぬと、一方ならず恐れるのでありました。父はテレジアを掌中の玉と愛して居ました、然しその愛が如何に明るい超自然的な愛であったかと云うことは、テレジアが十五歳になって、カルメル会に入りたいと願い出た時、胸も張り裂けんばかりの思いを抑えて、快く許したのを以っても知られましょう。この苦しい犠牲!それは如何ほど主の御心に適うたものでございましょうか。夫婦はせめて一人の宣教師となるべき男児を与え給えと心を併せて祈って居ました、不幸にして男児は夭折(わかじに)しましたので、その方の望みは達し得なかったが、然しテレジアは一人で幾多の宣教師を兼ねたものでございましたでしょう。彼女は修道院の囲いの中に籠りながら、世界の隅から隅まで神の御名を宣伝し、之を愛慕せしめたではありませんか。皆さん、「(この)父母にして(この)子あり」とはよく言ったもので、テレジアが(あれ)(ほど)のえらい聖女となられたのは、天主の聖寵は別として、父母の祈祷と教訓と模範とに由るものでありました。もし皆さんが、テレジアの父母の如く、己が天職を十二分に悟り、それを忠実にお果たし下さいましたならば、我国だって必ずテレジアの如き聖人を輩出せしめることが出来る。少なくも各家庭より一人や二人の司祭なり、修道女なりを出すことが出来ないはずはありません。

(2)− 一般信者への教訓 ― 聖テレジアは天国の道、(たす)(かり)の道、基督信者の()み行うべき道を説いてそれを神の愛と人の愛とに(つづ)めて居ます。神の愛!この短い(ことば)の中には如何に広い大きな教えが含まってありますでしょうか。(もと)より神を愛すると申しましても、神にたいして感情が燃え、胸が高鳴り、思わず知らず涙が(こぼ)れると云う必要はありません。テレジアの如きも、心が乾燥無味に陥り、何等の感情をも覚えないことが往々あったと自ら告白して居ます。神を愛するとは、その思し召しを果し、その御誡(おんいまし)めに従うに在り、進んではその御勧(おんすす)()にまで従うに在ります。神を愛するとは神の()(こころ)と一つになり、日々の小さな犠牲を献げるに在ります、苦しい中に周囲の人々より受ける(わずら)い、窮屈さ、不自由の中に、よく忍耐を守るに在ります。あの優しい愛嬌のよいテレジアでも、随分とこの種の試練(ためし)()まれました。お互い性格が合わないとか、小さな何でもないことより神経を苛々(いらいら)させる人があるとか、長上までが自分の心を理解して下さらないとか云う様な塩梅(あんばい)で、それは随分と面白からぬ目を見ねばなりませんでした。然しそんなに小さな犠牲に刺戟されて、彼女はますますイエズスを愛しました。ゲッセマニに苦しみ、カルワリオに犠牲となり給いし主の御意(みこころ)を喜ばせ奉るのだと思い、むしろ苦しむのを喜びました。十字架を見て小躍(こおど)りしました。

(3)− 神の愛と人の愛とは相離るべかららずものだと云うことをテレジアは(つと)(わきま)えて居ました。小さな時から慈善心に篤く、自分の貰ったお菓子等も同じ年頃の小供に分配し、貧困者を見ると、よく父母に願って施与(ほどこし)をして戴いたものであります。彼女は罪人の改心の為に、特に有名なプランジーニと云う悪徒の為に祈り、彼が断頭台に上る時、テレジアの祈祷は聴かれたものと頼母しく思って然るべしと云はれる程であります。なお、彼女は布教の為に毎日熱心に祈り、知り合いの宣教師とも文通して居ました、司祭の為に祈る、司祭がますますイエズスを愛し、多くの人をイエズスに引き寄せることが出来る様に祈るのでありました。()(かく)、聖テレジアは大いなる布教熱に燃えて居ました。「私は預言者や博士等の如く人々の心を照らしたい、あゝ最愛の主よ、私は地上を駈け(めぐ)って主の御名を()べ伝え、無数の国土に主の光栄なる十字架を立てたい・・・私は世界至る処に、最も遠く懸け隔てた離島にまで同時に福音を()()めたい」と叫ぶほど布教熱に燃えたものであります。テレジアが女性の身を持ちながら、聖フランシスコ・ザベリオと相並んで「布教の擁護者」と定められ給うたのは、この大なる布教熱の為ではなかったでしょうか。さすれば我国の上にも天から薔薇の雨を降らして、大いに布教上の成績を挙げさして下さる様、平生でもそうですが、今日は特に熱心こめて祈らなければなりません。なお聖テレジアに(なら)い、熱く天主を愛し、又、天主の為に人をも我が身の如く愛して、真実(ほんとう)に信者らしい信者となり、以って(たす)(かり)を全うし、天国に辿(たど)りつくべく(つと)めましょう。

 

七 日、 ロ ザ リ オ

(一) ロ ザ リ オ の 月

 

 千八百九十三年十月五日、教皇レオ十三世は全教会に教書を与えて、十月をロザリオの月と定め、ミサ聖祭中か、聖体降福式中かに、コンタスと聖マリアの連祷と聖ヨゼフに祈る文とを(とな)えて、悩みに沈める聖会のため、聖母の御助けを祈る様、お勧めになりました。教皇が聖母の御助けを求めるのに、殊更ロザリオを誦えしめ給うたのは故ある事であります。

(1)− 先ず聖会が是までロザリオによって(かたじけな)うせし御恵(おんめぐみ)みを考えて御覧なさい。十二世紀の終り頃から十三世紀にかけて、南フランスのアルビと云う町を中心として、一種の恐ろしい異端、信仰も構わぬ、道徳も()いて問わない、婚姻や所有権を認めない、自殺を奨励するという様な、誠に以って恐るべき異端が(はびこ)って、大いに聖会を騒がしました。教皇インノセント三世は初め言論を以って彼等を改心せしめんものと、シトー会の修道士を遣わして(かん)()大いに務めしめ給うたが、一向その効果がないのみならず、トウルーズ伯ライモンド六世の如きは、異端者に加担して教皇使節を殺害した位で、教皇も今や百計尽きてトウルーズ伯を破門し、諸国に命じて十字軍を起し、異端者を討伐せしめられました。交戦二十年の久しきに及び、互いに勝敗があったが、千二百十三年、十字軍はミユーレの戦いに最後の勝利を博し、トウルーズ伯をして(また)()(あた)はざる迄に至らしめました。してこの勝利は特に聖ドミニコの祈祷、熱心にロザリオを(とな)えて、聖母の御助けを求められた結果によるものと一般に認められ、それだけロザリオに対する信心が盛んに人々の心に燃え立ってまいりました。

(2)− 十六世紀に及んで回教を奉ぜるトルコ人が破竹の勢いを以ってヨーロッパへ攻め入り、コンスタンチノプルを陥れ、地中海の制海権を握り、進んで全ヨーロッパを馬蹄に蹴散らさんものと、非常な意気込みでひた押しかけて来ました。茲に於いて、ウエネチャ、ゼノア、スペインの三国は教皇ピオ五世のお勧めに応じ、戦艦二百隻、運送船百隻を合わせて連合艦隊を組織し、戦艦三百隻から成れるトルコの大艦隊と、レパント湾の沖合いで会戦しました。味方の総司令官ドン、ジュアンは、十字の旗を高くマストの上に掲げ、部下一同と(ひざまず)いて罪の赦しを請い、聖母の御助けを求め、然る後、砲門を開いて敵に応戦しました。間もなく激戦となり、双方火花を散らして此処を先途と渡り合いましたが、敵は(つい)に総崩れとなり、左翼の大将が四十隻を率いて逃げ延びたばかりで、余りの二百六十隻は沈没したり、焼け失せたりしてしまいました。死者三万を超え、捕虜一万五千、敵に囚われて軍艦の漕手(こぎて)苦役(くえき)されていたキリスト信者七千人は救い取られました、味方は僅かに軍艦十五隻、士卒八千人を失ったに過ぎません。斯くてトルコの海軍は全滅し、再び頭を(もた)げることが出来なくなりました。今度の大勝利は全く聖母の御蔭に由るのでありました。教皇は初めから厚く聖母に(より)(たの)み、毎日熱心にロザリオを(とな)え、人にも勧めて(とな)えさせ、各兵士にもコンタスを与えて祈らせなさいました。しかも戦いの日は千五百七十一年十月七日、ロザリオの祝日でありました。でウエネチヤの元老院は聯合諸国に今度の戦勝を報告するに当って、「我等にこの大勝利を与えしは将師にあらず、士卒にあらず武器にもあらず、全くロザリオの聖母である」と書き送りました。次の教皇グレゴリオ十三世は、この著しき聖母の御保護を永く記念せんが為め、ロザリオの祝日を十月の第一主日と定め、聖マリアの連祷(れんとう)には「キリスト信者の扶助(たすけ)」の一句を加えることゝ致されました。

(3)− トルコも海軍では一敗地に(まみ)れたが、陸軍の勢力は(なお)(あなど)(かた)きものがあり、(しきり)に兵を進めてホンガリア略し、一六八三年には進んでオーストリアの首府ブインを十重二十重に包囲しました。流石の堅城も今に陥落せんばかりとなったので、キリスト教諸国は声を合わせて聖母の御助けを祈って居ると、偶々(たまたま)ポーランド王ヨハネ、ソビエスキが一隊の兵を率いて来たり救い、奮戦健闘して敵軍を潰走せしめました。それから一七一六年にもホンガリアのペルグラドでトルコの大軍を散々に打ち破ったのは、ロザリオ会員がローマで公にロザリオを(とな)えて、聖母の御助けを求めた八月五日、聖母マリアの雪の聖堂奉献の祝日でありました。

(4)− 斯くの如く聖会はロザリオの聖母によって敵の勢力を(くじ)き、危急存亡の中から救われたことが一再(いっさい)に止まらないのでありました。今日でも聖会を攻撃する敵は指を屈するに(いとま)ない程で、各種の異端者、異教徒、無神、無霊魂主義者に至るまで、絶えず我々に向って攻撃の矢を射向けて居ります。否、政府当局者の中にすら、彼等の傀儡(かいらい)となって教皇に反対し、聖会を迫害するのを一種の誇りとするものすら少なくありません。然し力を落すには及びません。望みを失う必要もありません。我々はロザリオの元后を天に戴いて居ります。何時も又、如何なる場合にも、その有力な御保護に(すが)ることが出来ます。レオ十三世教皇が態々(わざわざ)ロザリオの月を定め、全世界の信者に心を合わせ、声を揃えてロザリオを(とな)え、聖母の御助けを求める様にお命じになりましたのは、実に之が為であります。

 だから我々はこの月の間、熱心にロザリオを(とな)え、出来れば毎日ミサ聖祭に(あずか)って、ロザリオの月の(つと)めを果たし、先ず全教会の為、次に日本帝国、殊に日本カトリック教会の為、(つい)に自分の為、人の為にロザリオの元后の御保護を祈ることを忘れない様に致しましょう。

 

(二)ロ

 

(1)− ロザリオとは薔薇の花園(はなぞの)とか、薔薇の花冠とか云う意味であります。薔薇は色から香りから何とも知れぬ床しさを持った花で、我国でこそ桜を花の王と()(たた)えて居りますが、欧米諸国では、花と云う花の中でも特にこの薔薇を尊び、昔はその白い、紅い花を束ねて花冠を作り、之を頭上に戴くと云う習慣さえあったものであります。さればロザリオは、我々が聖母に捧げる薔薇の花冠を意味し、その名を耳にしたばかりでも、如何に優れて美しい、聖母の御心に(かな)える祈りであるかは、(ほぼ)、想像がつかぬものでもありますまい。

(2)− 今このロザリオに用いる祈りは何かと申しますと、それこそ祈りの中にも特に勝れた主祷文、天使祝詞、栄誦(えいしょう)の三つであります。主祷文は主の自ら授け給うた此の上もなく(めでた)い祈りで、天使祝詞はガブリエル大天使の讃辞(ほめことば)と、聖霊の黙示を蒙れるエリザベトの挨拶と、主の淨配(じうはい)なる聖会の嘆願とより成り、栄誦は聖三位に対する、それは、それは(うるわ)しい賛美歌なのであります。

(3)− この見事な花を貫く(いと)所謂(いわゆる)ロザリオの玄義で、白い薔薇を通したのが喜びの玄義、紅い薔薇を通したのが苦しみの玄義、黄な薔薇を貫いたのが栄えの玄義であります。

(4)− しかもその玄義は、我々に極めて尊い教を垂れ、痛切な戒めを与え、注意を促して止みません。考えて見ると、当代人の通弊(つうへい)として、命令を受け、之に服従するのを面白く思わぬ、親であろうと、教会であろうと、政府であろうと、荀くも上に立つものには好んで反対し、抗弁(こうべん)し、不平を鳴らしたがるものであります。それからして骨の折れる仕事を厭がり、なるべく筋肉を使わないで、美味を()め、美衣を着けて、気楽に世を渡れる様な職を求めようとします。随って田舎に(くすぶ)って居るよりは都会に出掛けたい、親の家に引籠って窮屈な目を見るよりは、外へ飛び出して我儘気儘に世を渡ろうと云うあられぬ考えを起しまして、危険の中に跳り込み、斯くて信仰を失い、行いを乱し、身を誤り、終には何とて手の附け様もない、やくざものになってしまうのであります。この通弊を救う為の薬は喜びの玄義にある、御托身、御訪問、御降誕、御奉献、ナザレトの家庭を思い、その謙遜、その従順、その清貧、その家庭生活の安静(やすらぎ)さ等の如何に美しく感ずべきであったかを黙想して見ますと、世に時めきたいの、気楽に一生を送りたいの、都の空に憧れて家を飛び出したいのと云う様な考えは、夢にも起されないでありましょう。

(5)− しきりに苦痛を厭がり恐れ、その反対に面白く可笑しく世を渡りたいと云うのも当世の通弊であります。それだけ(だい)小斉(しょうさい)を守るのが苦になる、ミサに(あずか)り、祈祷(いのり)を為し、悔悛(かいしゅん)、聖体の秘蹟などを拝領するのも堪らないほど苦になる、病気や災難に見舞はれても、それを罪の償いだと思って堪え忍ぶだけの勇気を持ちません、やたらに神を怨み、人を(とが)め、不平の百万遍を繰り返して居ます。然るに苦しみの玄義を篤と黙想して御覧なさい。主が自分の罪を悲しんで血の汗を絞り、鞭打たれ、茨を冠され、十字架を担ぎ、その十字架上に無慙(むざん)な御死去を遂げさせ給うたことを思い出しますと、自分ばかりじっとして居られない、主は罪なくしてただ私の罪故にあれ程まで苦しみ給うた、然らば私も罪の為に苦しむのは当然だ・・・否、主は私を愛してあんな豪い目を見給うたのだから、私も主を愛して(いささ)かなりとも主の為に苦しみ、以って私の偽りなき愛を証明したいものだ、と云う気になって来るはずであります。

(6)− 当世の人々はお金を神様として、之に全く心を奪われて居ます。天を仰ぎ、主のことを思い、(たす)(かり)の為に備えるなんて夢にも考えて居ません。然し、ロザリオを爪繰(つまぐ)りながら、心静かに栄の玄義を黙想して御覧なさい。主が光り輝いて御復活になり、白雲に乗って天に昇り給うたこと、聖霊の賜を蒙って使徒等の心が一変したこと、聖母がめでたく昇天せられ、天使と人類の元后に立てられ、栄福の冠を戴かれたこと等を思いますと、何時しか浮世の寶や楽しみを忘れて、専ら天国に憧れ、天国の為に働きたい、骨を惜しまず、(つかれ)(いと)わず、未来の(さい)(わい)の種子を蒔いて置きたいと云う気になって来るものであります。

(7)− (つい)にいくら勝れた祈祷(いのり)でも、口先だけで(とな)えては、それこそ死んだ祈祷(いのり)であります。何にもなりません、口と心で(とな)えてこそ、始めて活きた祈祷(いのり)、花も実もある祈祷(いのり)となります。でもそれはなかなか(むず)()()い、口の誦える所に心を合わせて行くと云うは容易からぬことであります。然るにロザリオは口に主祷文や天使祝詞を誦えながら、心ではその玄義を黙想する様に仕組んであります。しかもその玄儀はイエズスとマリアの御一生涯に起った著しい出来事で、信者として誰しも知らないものはなく、之を黙想するにも別段、頭をひねる必要はないのであります。

要するに我々がロザリオを(とな)える時は、聖母の最も喜び給う祈祷(いのり)を繰り返す訳であります。之を誦える間にも教えられる所、(いまし)められる所、奨め励まされる所が少なくはありません。口先ばかりで之を誦え、死んだ祈祷をする憂いさえありません。

 嘗てシャルトルーズ会に一人の修道士が居て、毎日熱心にロザリオを爪繰(つまぐ)るのでありました。その功徳によりて天国え携え行かれ、玄妙(げんみょう)不可思議なことを種々(いろいろ)と見もし聞きもしました。中にも天国の聖人等がロザリオの玄義に関して喜びの情を抑え得ず、熱心(おもて)に溢れてイエズスとマリアに祝賀を述べ、イエズス、マリアの御名の響くや、殊更ら尊敬を表し、自分等と心を合わせてロザリオを誦える人の為、主に嘆願して居るのを見ました。ロザリオ一串(いっかん)(ごと)に、目も(くら)まん(ばか)りに光り輝ける冠が、是等の人々の為にとて天国に備え置かれるのも見ました。聖母のお願いにより、ロザリオ一串(いっかん)(ごと)に、現世では全き罪の赦しと、勝れた聖寵と祝福と、後世(のちのよ)では極まりなき福楽をば主が御約束になり、御約束、通りに必ず授け給うのを見たと云う話しであります。是を以っても、ロザリオが如何に優れて尊く、聖母の喜ばせ給う祈祷であるかが察せられるでございましょう。で我々は平生も怠らずにロザリオを誦えなければならぬが、特にこの十月中は、聖堂に於いてなり、自宅でなり、毎日ロザリオの務めを果たし、大いに聖母を()め、尊び、我が身の上に、日本帝国の上に、全教会の上にも豊かな祝福を蒙る様、務めたいものであります。

 

日、

 

我々は毎日毎日「天主の御母(おんはは)聖マリアと申して、聖母マリアが天主の御母にて(ましま)すことを尊んで居ります。

さて、その所謂(いわゆる)「天主の御母」の御位(みくらい)は如何に高く、貴いものでございましょうか。聖会は聖母の御位を称えて「アヽ童貞なる御母よ、全世界の容れ(あた)はざる所の御方が、人となって御胎(ごたい)(こも)らせ給うた」と歌い、又、聖トマスも「マリアは神の御母となって、殆んど神性の境に達せられた」と断言せられました。実際、()はその生ずる実によって価値(ねうち)づけられるものでしょう。然らば無限の神を産み(たてまつ)りしこのマリアと云う()は、また無限の価値(ねうち)を有する訳ではありませんでしょうか。

(1)− マリアはイエズスの母たるべく準備し給うた マリアは何の理由(わけ)もなしに其れ程の高い(くらい)に上げられ給うたのではなく、前()って出来るだけの準備をなさったのであります。先づ原罪の汚れなく、やどされなさいました上に、幼少の頃より身も心も天主に(ささ)げて居られました。「マリアはイエズスを御胎(ごたい)にやどし奉る前に、早や其の心に之をやどして居られた」と聖レオ教皇は申されて居ます。即ちイエズスはマリアの御胎(ごたい)におやどりにならぬ前から、既に聖寵を以ってマリアの聖心(みこころ)に住み給うのでありました。実にマリアの聖心(みこころ)こそ、聖書の所謂(いわゆる)「囲まれたる花園」で、浮世の財宝(たから)だの、快楽(たのしみ)だの、名誉(ほまれ)だのが、一つでも這入らないよう、周囲には頑丈な垣を結い廻し、其の中に、清淨や、謙遜や、従順や、愛徳や等、(いろ)様々の麗しい花を咲かして、主のおは入りになるのを()ち設けて居られたのであります。皆さんは聖母の高い御位を思って、深く之を尊敬なさると共に、亦、父となり母となるが為め、早くから準備を急がなければなりません・・・子の親となると云うのは、天主にお手伝いをして、子供を造るのであります。天主のお手伝い!大した名誉ではございませんか。然し立派なお手伝いとなるが為には、何うしても聖母の如く、聖寵の綱で堅くその天主 繋がれて居なければなりません、なぜかと申しますと、親は其の子にただ体の格構、(かお)(かたち)ばかりを譲るのではなく、その性質、その気前、その習慣迄も譲ります。自分の血を譲り、自分の病を譲り、悪い癖の毒を譲るか、或いは立派な体格と共に、立派な性質、立派な気前、立派な徳の種子をも譲ります。聖書にも「義人の子孫は祝せらるべし」とありましょう。義人の子孫は善い親から譲られた徳を受け継いで、善を行いますから、天主の祝福を蒙ると云う意味でありませんでしょうか。然らば反対に、悪人の子孫は、悪い親から伝えられた罪悪を受け継いで益々悪くなりますから、天主から咀はれるのは間違いない所でありましょう。之を以って之を()ますと、立派な子を持ちたいと思う親は、我が身の罪の汚れがないように、心は何時も天主と一致して居るように(つと)めなければならぬことが判りましょう。然し既に子供を与えられましたら如何(どう)しますか?

(2)− マリアは耶蘇(イエズス)を天主に(ささ)げられた イエズスのこの世に生まれ給うたのは、一身を犠牲として、人類の罪を(あがな)うが為でしたから、御降誕()、間もなく己を天主に献げられました。然し、それも御自分で、お(ささ)げになったのではありません。福音書を(ひもと)いて御覧なさい。御降誕後四十日目に、聖母マリアはモイゼの律法に従い、イエズスを抱いて、エルザレムの神殿に参詣し、その汚れない御手を以って之を御父に献げ給うたと記してありましょう。それと同じく、親も我子に洗礼を授けて戴く時、之を天主に奉献するのであります。洗礼はただの儀式ではなくて秘蹟である。天主に其の子を(ささ)げ、之を天主の愛子(あいし)となす為の秘蹟であります。(したが)って洗礼を授けて戴いてからは、もう其の子は天主の(もの)となって居る、しかもその洗礼の時には、「悪魔を捨てる、悪魔の仕業を捨てる、罪に(いざな)う栄華迄も棄てゝ、信仰を真実(ほんとう)に守ります、それも初聖体の時迄、堅振(けんしん)の時、迄でなく、身を終わる迄、相違なく守ります」と約束して居るのであります。兎に角、親は洗礼の時に我子(わがこ)を天主に(ささ)げたのですから、その天主に立てた約束を忘れず、よく之を守らせるように注意するのは親の責務(つとめ)であります。即ち幼少の頃から子供に天主を知らしめ、礼拝せしめ、愛せしめねばならぬ、之を公教要理に出し、之に説教を聴かせ、ミサ聖祭に(あづか)らせ、告白や聖体を(しばしば)拝領させ、その不足を戒め、その悪い癖を()め直してやらねばなりません。もしや天主が「斯子(このこ)を司祭となせ、修道院に献げよ、童貞になせ」と(のたま)うたら、喜んで従はねばならぬ。もしや「此子(このこ)には病を与えるぞ、斯子(このこ)は早く天国に引き取るぞ」と仰しゃれば、それでも喜んで従はねばならぬ。聖母マリアがカルワリオは十字架の下に(たたず)んで、御子をお献げになった如く、たとえ胸は張り裂ける思いが致しましても、喜んで献げ奉らねばならぬのであります。

(3)− マリアはイエズスを守護された イエズスは生まれて間もなく、ヘロデ王に殺されようとしなさいました。其の事を聞かれた聖母は取る物も取り()えず、急に御子を抱いて、遠いエジプトへ避難されました。皆さん、ヘロデは今日でも死んでは居ない。色々と手をかえ品を()えて、皆さんの子供を取り殺そうとして止みません。油断も隙もあったものではありません。ですから皆さんも我子がヘロデよりも恐ろしい悪魔から、悪魔の手先となって働く悪友から、罪の機会(たより)となる所のものから襲われて、其の霊魂(たましい)を危うくすると言うような時には、聖母の如く我子を抱いて()げねばなりません。即ちその機会(たより)の中から、その悪友の中から、その悪魔の手の中から我子を引き出して、説諭もし、意見も加え、時としては棒を振っても其の霊魂(たましい)を保護してやらねばなりません。其の為には随分と辛いこともありましょう。折角、金を働かそうと思って居たのに、其処は危険だから遣ってはいけないと云はれる、可愛くて可愛くて(たま)らない我子を、折檻せよ、打ち懲らせと云はれるが、そんなことが()うして出来ましょう。子供が立腹でもしたら如何(どう)しましょう、悲しんだら如何(どう)しましょう、泣いたら如何(どう)しましょう、と思うこともあるに相違ありませんが、然し、聖母を仰ぎ()なさい、冬の寒い夜中に()って、見も()りもせぬ遠い外国に逃げられたその勇気を思いなさい

(4)― マリアは御子を尋ね給うた イエズスが十二歳の時、聖母と聖ヨゼフとは御子を伴ってエルザレムへ(もう)でられましたが、帰り(みち)に御子を見失い、彼方(あちら)此方(こちら)と、泣きの涙で尋ね廻り、三日目に漸く之を神殿で見当(みあ)たりなさいました。皆さんは親として善く我子を教育して居られますでしょう。聖マリア聖ヨゼフが如く、自ら鑑となって、忠実に天主の掟を守らせ、熱心に祈りを(とな)へさせ、告白や聖体もなるべく(しばしば)拝領させ、進んでは慈善事業に、社会事業にも、だんだん(たずさ)はらして居られますでしょう。子供が父母と共に居るのを楽しみとし、無暗に宅を出て危ない所へ行き、良からぬ慰めを求めようとする様なことがないよう、注意もして居られますでしょう。皆さんの家庭は聖堂のようで、子供の心を汚したり、其の信仰の熱を冷ましたりするようなものは、一つとして目にも入れねば、耳にも聞こえないでございましょう。一口に云へば、皆さんは親の務めを立派に尽くして居られるでしょう、と私は信じて疑いません。然し、幾ら立派に親の務めを尽くされましても、子供はやはりアダムの子です。何時の間にか悪魔の(わな)にかかり、悪念を起こして親の家を飛び出すとか、或いは信仰を失って祈りもせず、聖堂の門も(くぐ)らず、聖体拝領台にも(ひざまず)かないとか、云うようになることがなきにしも限らぬのであります。そんな時は何うせねばなりませんか。其の儘にして打ち捨てゝ置きますか、言っても聴き入れてはくれず、何とも手の付けようがないではないかと云って、捨てゝしまいますか。或いはただ泣き明かし泣き暮らすのみで足りますか。否、決してそれでは足りません。聖母マリアの如く起って捜す、後を追いかける、力の及ばぬ時は、天主の御前に平伏して、其の改心を祈ると云う様にしなければなりません。聖アウグスチヌスの母、聖モニカは、アウグスチヌスを非常に愛して居ましたけれども、アウグスチヌスが(まこと)の教を捨てゝ、異端に入ったと云うことを知るや、一時は其の愛子と食を共にせず、(しん)を共にせず、(つい)には之を父の家より逐出(おいだ)してしまいました。そうして始終泣いてミサを献げたり、自ら断食したりして其の改心を祈り、アウグスチヌスが海を渡って、遠い他国へ走った時は、後を追って行き、気永く色々と説いたり、勧めたりしましたので、終にその甲斐が(あらは)れ、アウグスチヌスは改心して有名な聖人となられたではありませんか。是こそ皆さんの為に、何よりも立派な手本でございましょう。

 皆さん、聖母の御位(みくらい)は非常に高い、然し、位の高いばかりが聖母の名誉ではありません。その御位に釣合うだけの義務を果されたことが何よりの名誉でありました。今、皆さんも天主にお手伝いをして子供を造り、之を育て、神の愛児、天国の子たらしめる、と云う非常に名誉ある天職を引き受けていらっしゃいます。然し、その名誉には相当な義務の伴うて居ることを忘れずに、その義務を忠実にお果たし下さい。さすれば皆さんにも、其の働きに釣合うだけの報酬(むくい)が必ず与えられるに相違ありません。

 

(二)

 

(1)   − 聖マリアは神の御母と立てられ、あらゆる特典、あらゆる聖寵を恵まれなさいました。

無原罪の御やどりでも、終生童貞でも、その他、御霊魂に、御肉身に備われるすべての完全さ、聖マリアをして被造物中の最も美しい、最も清い、最も聖なる者たらしめた完全さ、(あふ)れんばかりの聖寵、天来の祝福、其れ等は皆、聖マリアを以って(いささ)かの申し分もない、何処ら見ても相応(あいふさは)しい神の御母たらしめん為に施されものであります。今、聖マリアはこの御位よりして如何なる御権能(おんちから)を有し給うのでございましょうか。救い主の御母にて(ましま)す以上は、その救い主にすら事を命ずるを得給うはずで、それだけそのすべての願いは聴かれ、そのすべての望みは達せられ、何一つとして意の如くならざるなしである。だから聖人等は聖母を(たた)へて「願いの全能者」といって居られる位であります。なお、この御位よりして、聖母は天使と人類との元后に立てられ、思いのまゝに悪魔勢を打ち(ひし)ぎ、人類を護り、助け、慰めることも叶い給うのであります。

(2)− マリアは神の御母たると共に、また我々人類の御母でもある。既に救い主の御母たることを承諾し給うたその時から、その救い主によって救はるべき人類の御母となり給うたのである。殊に最愛の御子が十字架上より、聖ヨハネを以って全人類を代表せしめ、「是れ汝の子なり」と云って、之を聖母にお(あづ)けになりますや、聖母は直ちにその温かい御腕を(ひろ)げて、我々人類をかき抱き給うたのですが、それ以来、何時も変わらぬ愛情を傾けて、なさけ深き母の務めを果たして止み給はぬのであります。この御仁愛(おんいつくしみ)、この優しい御母の底知れぬ御仁愛(おんいつくしみ)を思ったら、霊魂上、肉身上、如何なる艱難、苦労、憂い悲しみに沈み、絶望の淵に陥れる人でも、聖母にだけは(すが)られる。しかも聖母に(すが)ると、消えて居た希望は甦る、死んで居た信頼の念は萌え出る、気力は回復する、けつ(ぜん)、手に(つば)して起ち上がるに至るものであります。

(3)− 我々は聖マリアが神の御母としてその位は至大(しだい)至高(しこう)、その徳は(すう)()、絶倫、神を除けば天にも地にも共に肩を並べ得るものなきを思い、(あつ)く篤く之を(たっと)び敬い、之を心から讃美しなければならぬ。次に神にさへ命令する程の驚くべき勢力(ちから)を有し給うと共に、また人類の御母としては、それにも劣らぬ感ずべき御仁愛(おんいつくしみ)に富ませ給うことを考へ、赤子(せきし)の母に(すが)るが如き心を以って、何時でも如何なる場合にでも、この御母の許に馳せ寄り、その温かい御腕に(すが)りつく様に致しましょう。「聖母の(しもべ)は亡びることなし」聖母の(しもべ)として、否、その愛子(あいし)として、御保護の(もと)に一生を送るならば、必ず救霊を全うし、(のち)天国に於いて、聖母の御前(みまえ)(あい)集まり、その御光栄(みさかえ)を歌い、その御恵(みめぐ)みを感謝して、永遠(きわま)りなく共々に楽しむことが出来るでございましょう。

 

日、王

(一)

 

(1)− キリストは王である 然りキリストは天地万物の王にて(ましま)す。

 その王権は神に出で、その範囲は天上天下、あらゆる被造物の上に及んで居るのであります。

先づキリストは人となり給ひし御言、神にして人、人にして神に(ましま)すと云う所から、全世界の王である、人でも物でもすべてその王権に服せねばならぬ。万物を造り、造った上では、また元の虚無に帰らない様、始終之を保存し給うので、たしかに万物の王にて(ましま)す、万物は(ことごと)くキリストのものであらねばなりません。その上、(あがな)(ぬし)としては、その貴い御血を流して、人類を悪魔の手より(あがな)い戻して下さいましたのでその方から見ても、確かに人類の王と(あが)められ給うべきである。キリストは御存命中、幾度もその王権を声明し給うた。特にローマの総督ピラトから「汝は王なるか」と問はれて、「汝の言えるが如し、我は王なり」(ヨハネ十八ノ三七)と明らかにお答へになりました。それと共にその王権の性質をも明らかにして「我国は此の世のものに非ず」(仝上 六)と言って置かれました。

(2)− (したが)ってキリストの王国は有形世界のそれではない、(もと)より有形世界も当然キリストの(もの)に属する。キリストはその神性を(なげう)づを()給はぬが如く、この王権をも(なげ)()()給はぬのである。随って世界の大王として之に君臨し給うのが当然ではありますが、然し実際に於いて、有形世界は之を人の手に(ゆだ)ね、随意に之を分割させ、随意に之を采配させ、随意に之を統御(とうぎょ)させ給うのであります。御存命中も、之が王にならうとは思召しになりませんでした。民衆が国王になさろうとするや逃げて山中にお隠れになった位であります。今日と(いえど)も、その教会を地上の王国とはなし給うたが、之に俗界(ぞっかい)の所有権を要求せしめようとは思い給はぬ。否、政権と教権とをはっきりと区別して「セザルのものはセザルに()し、神のものは神に()せ」と断言して置かれました。

(3)− キリストの御国は全然精神的である 斯くの如くキリストが支配せんと欲し給うのは、物質ではなくて霊魂である。その王権は全く精神的で、(ごう)も国家の主権と抵触する所はありません、即ち

(イ) キリストは信仰を以って理智の上に王たらんと欲し給うのです。

「信ずる人は救われん信ぜざる人は罪に定められたり」(マルコ十六ノ十六)ですから、信じるか、亡びに(おちい)るか、二つに一つであります。それは亦、何の為かと云えば、主は「真理」にて(ましま)すので、この真理を信ぜず、之に従がわないならば、暗黒の中に彷徨(さまよ)って居る、到底光の天国に辿(たど)りつくこと出来ようはずがありません。

(ロ) キリストは意志の王である その掟を以って、その聖寵を以って自ら道徳的生命、即ち良心の法則となり給うのである、亡ぶまいと思はばその(あやま)(あた)はぬ聖会によって、我々に授け給うすべての掟を守らなければならぬ。主は実に真理たると共にまた「道」である。

この道を行かなくては、(まこと)幸福(さいわい)辿(たど)りつくことは出来ないのであります。

(ハ) キリストは我々の運命の王である、主は実に魂の最高判事で、世の終には人類を(さば)いて、選を受けし善人と、地獄に罰されし悪人との二組に(わか)ち給うのであります。その審判の標準となるべきものは、自ら我々に授け給うた掟で、善人と選まれ、悪人と排斥さるべき理由は、キリスト御自身にたいして取った我々の態度の如何に()るのであります。要するに信仰を以って理智の王となり、掟を以って意志の王となり、最終審判によって、我々の運命を支配すると云うのが、キリストの御国(みくに)なのであります。我々は幸いにこのキリストの御国(みくに)に属し、キリストを王と戴いて居ます。

 さすれば是非ともキリストの御教(みをしえ)を固く信じて、之を理智の上に王たらしめ、そのすべての掟を忠実に守りて、意志の上に王たらしめ、我々の身体や官能をよく取り締まって、之をキリストに(ささ)げ、以って後日、(えらみ)を受けし善人の中に加わることができる様、務めなければなりません。

 

(ニ)

 

(1)− キリストは個人の王たるのみならず、また社会の王である、(けだ)し社会なるものは、家庭にせよ、都市にせよ、国にせよ、つまり個人の集団(あつまり)に外ならぬので、個人に王たり給う上は、また社会にも王たり給うべきは理の当然ではありませんでしょうか。

(イ)― キリストは家庭の王である 世の初めから、最も自然に出来た社会は家庭で、キリストはこの家庭に王たらんと欲し給うた。先ず婚姻の秘蹟を定めて、キリスト教的家庭の基礎を据え置かれました。実に夫婦は基督(キリスト)御前(みまえ)に於いて婚を結びます。キリストは彼等の結婚に立会い、その縁を固め、相互の関係を祝し、新に生ずる権利と義務とを神聖ならしめ給うのであります。それから子が生まれると、洗礼を以って之を御自分のものとなし、之に真理とキリスト教生活の義務とを教えしめ給うのであります。

斯くてキリストは家庭の保全者となり給うた。キリストを除外せし家庭は、産児(さんじ)なく、親愛なく、離婚の不幸を見るか、()なくとも、父母に何等の権利もない為め、子女(こども)の教育は殆んど不可能となり終わるかするのみであります。

(2)− キリストは市町村の王である 家庭が一地方に生活すべく集合したのが市町村である、その市町村を統治する為の権威は何処から()うして伝わって来るにせよ、つまり神に(いづ)るのでありますから、正直にそれを認めて、キリストを崇敬し奉らねばならぬ。だから欧米の市町村中には、市町村として宗教式に(あずか)り、或いは主の聖心(みこころ)に其の市なり町村なりを奉献し、或いは聖心(みこころ)の御像を公園か何処かの広場に建ててあるのが少なくないと云うことであります。

(3)− キリストは国家の王である 市町村と同じく又同じ理由によって国家もキリストの王権を認めなければならぬ・・・否な市町村以上にそれを認める必要があります。国家の権威が大なるほど、悪くすると人の魂に大なる害を及ぼす憂いがある。随って国家も法律上に神とキリストの権利を認め、之を防衛しなければならぬ、(もと)より我が国などでは、()うは行かないでしょうが、それにしても良心の自由を妨げ、信仰上の権利を侵害する様な法律を発布してはならぬはずである。幸い我国では今日まで、そんな法律は発布されてないと思いますが、今後のことは保証されません。信者たるものは之が監視に務める権利があり、又、義務があるのであります。

 カトリック信者はキリストと神の権利を法律上より認められる様、務める一方から、その国の福利を謀るべく大いに活動しなければならぬ。神もキリストも、国家、法律、制度の上に無視せられ給う結果、権威は早や神より出ずして人より出る様になって来ました。斯くて権威の基礎は転覆せられ、命令を下す権利も、服従する義務も、その根本的理由を失ってしまう。否応なしに全社会の動揺を来たす、支えの杖がない、頼りとすべき柱がなくなったので止むを得ないのだから、我々カトリックが自ら国家の中堅となって、危険思想を喰い止めると共に、またカトリック主義に由らずして、到底国家の基礎を固め、動揺を防ぐこと出来るものでないと云うことを国民に承服せしむべく、大いに努力しなければならぬのであります。

 

 

(三)

 

(1)− この祝日は一個の訓戒となり、俗人主義の前に神とキリストとの権利を声高く叫ぶ所以ともなります。今日の世界は飽くまで俗人主義で押し通そうとして居る。即ち個人的生活も、社会的生活も、政界も、知識界も、すべて神の観念を離れて、神の外に足って行こうとしています。現教皇は、この狂気じみた有害な主義に反対して、個人の為にも、社会の為にも、神を信じ、之に従うの必要を思い起さしめんと欲して、「王たるキリストの祝日」をお定めになりました。我々もこの大きな真理を忘れ勝ちになる憂いがあるので、この祝日を機として、之を思い出す様にせねばなりません。

(2)− この祝日は償いともなる 国会だの、国際連盟だのと云って、天下の選良が一堂に集会しながら、キリストの尊い御名は沈黙裡(ちんもくり)に葬り去って、(ごう)も顧みないのですから、それを償うが為め、この祝日はキリストの王位、その王位の権利を高く叫ぶのであります。

(3) この祝日は一個の活動でありたい 先ず個人的活動でありたい、各自が真実なるキリスト教的生活をなし、以って自分の良心、自分の意志、自分の感情にキリストを王たらしめ奉る様に務めなければなりません。

 次に公民としての活動をもなしたい。キリストは国家の法律、その制度の上に地歩を有し給はねばならぬのに、我国ではまだ夢想だも許されない塩梅(あんばい)である。一般にカトリックは小胆である、社会の各方面に進出し得ないその原因は、全くその小胆怯懦(きょだ)に在ります。王たるキリストの祝日は、毎年この点に就いて我々に重大な活動の義務を思い浮かべさせるのであります。

(4)− (つい)に男子に呼びかける 王たるキリストの祝日は、(もと)よりカトリック信者一般の祝日ではあるが、就中(なかんづく)男子の祝日であらねばならぬ、男子は公生活の主人公である、自ら大臣、若しくは官公吏となりて、民衆の采配を執るか、或いは当局者を選挙し得るかするので、立法上に関する責任を負わなければならぬ。男子がその責任を全うしなかったら、キリストは到底社会の外に追放され給うより外はない。だからこの日、男子と云う男子は特に聖体を拝領し、特に何かの宗教式に集会し、キリストをして単に権利の上からのみならず、また実際上、社会の王たり給う様に務むべきことを忘れてなりません。

 

(四)王

(1)− 現教皇は千九百二十五年十二月十二日付を以って天下の司教等に(かい)(ちょく)を送り、キリストを全世界の王と(あが)め奉り、毎年十月最終の主日にその祝祭を行う様、お命じになりました。キリストを我々の王と崇め奉るのは、先づ神の御子として天地万物を主宰(しゅさい)し給うからであります。「我はシオンの聖なる山の上に王と立てられたり、主、我に(のたま)へり、汝は我子なり、今日われ汝を生めり。汝我に求めよ、然らば汝に諸々の国を(ゆづ)()として与へ、地の(はて)を汝のものとして与へん」(  二ノ七八)と詩篇に歌ってある。して見ると、その王国なるものは全く境を知らない、我々カトリック信者のみならず、如何なる宗派、如何なる国境をも超越して、広く人類一般に及んで居るのであります。大天使ガブリエルは聖母に使いして、その生み給うべき御子がダウイドの玉座を賜り、ヤコブの家(聖会)を限りなく治め、その御代が何時迄も終ないであろうことを告げました。主も亦ローマの総督ピラトより「汝は王なるか」と問われて、「汝の言えるが如し、我は王なり」(ヨハネ十八ノ三七)とお答えになりました。御復活後には使徒等にその王国の領域を説明して、「天に於いても地に於いても一切の権能は我に賜れり」(マテオ二八ノ一八)と断言なさいました。斯くの如く天上天下の大権を(ことごと)(たなごころ)にし給うのですから、天も地も、天地の間にありとしあるものも、等しくキリストを王と認めて、その統治の下に服従して行かなければならぬはずであります。

(2)− 猶、キリストは世の救い主として貴いとも貴い御血を流し、二つとなき生命までも(なげう)って人類を(あがな)い之を悪魔の手より救い取って下さいました。その方から云うと、人類は皆、聖ペトロの所謂(いわゆる)「儲けられたる国民」(ペトロ前二ノ九)で、我が身ながら自分のものではない、全くキリストのものである、当然キリストの主権を認めて、之が忠良な民とならなければならぬはずであります。しかもこの点に於いては、個人や、家庭や、国家社会の区別がありません。皆ひとしくキリストの主権の下に隷属(れいぞく)して居るのであります。斯くの如くキリストは全人類の王にて(ましま)すのですが、然しその国は精神的王国で、この王国に入る為の準備としては改心を要し、いよいよ之に入るには信仰と洗礼とを以ってせねばなりません。この王国はサタンの国に反対し、この王国の民たらんものは、世物(せぶつ)より心を引き離し、柔和、謙遜を旨とし、義を(うえ)(かわ)くが如く望み、己を捨て、十字架を担ぐの決心であらねばなりません。

(3)− もし世の人がこの王国の民となり、公にも私にもキリストを王と認め奉るに至ると、社会全般の蒙る利益と云ったら、実に測り知れぬ程であります。上に立つ人は、自分の権力を以ってキリストの御委託(おあづけ)になったものと思いますから、決して己が職務を怠ったり、権力を悪用して下を(しいた)げたり、賄賂(まいない)(むさぼ)ったりする様なことがありません。下に居る者は長上を以ってキリストの代理者なりと信じたとえその人柄には意に満たない所があるにせよ、なお、キリストの御姿と権威とを其の身の内に認め、喜んで之に服従します。そうなると今日、我国の社会に行なわれる様な忌々しい(どく)(しょく)事件だの、血(なまぐさ)き階級戦だの、無政府思想や、共産主義やと云う様なものは全く跡を絶ち、上下(あい)親しみ、相恤(あいあわれ)み、到る処に安寧秩序が立ち、平和親睦の風がそよ吹くに至るに違いありません。然うなるが為には、我々カトリック信者たるものが、先づキリストを王と認め、その忠良なる民となり、我々の身も心も、思い、(ことば)、行いもすべてキリストの統治の(もと)(ゆだ)ね、「我等は彼の王たるを欲せず」(ルカ一九ノ一四)と叫んで居る悪魔勢の向うを張り、「彼は王たらざるべからず」(コリント前五ノ二五)と叫びつゝ力戦奮闘しなければなりません。願わくは日本カトリック信者たる我々は、自ら先ずキリストの王権を深く尊び崇め、その王国の民たることを何よりの誇りとし、進んでは我同胞が一日も早くキリストの大権を認め、喜んで之が(くびき)を負うに至る様、祈りもし、努力もしたいものであります。

 

(教 要)

 

 現教皇ピオ第十一世は千九百二十五年十二月十二日附けを以って天下の司教等に回勅を送り、キリストを全世界の王と崇め奉り、毎年十月の最終主日にその祝典を行うべくお命じになりました、今その回勅の大意をかい摘んで、「王なるキリスト」の尊稱は何に基き、又、何を意味するのであるか、特にこの祝日の定められた理由は何であるかと云うことを申し上げることに致します。

 

(1)− 人類の悩みの(まこと)の原因 教皇様はその回勅の冒頭に

一、当今(ただいま)人類が常ならぬ禍に悩まされつゝあるのは、多大数(おおく)の人がキリストとその聖なる律法(おきて)をば、自分の日常の習慣、個人的生活、家庭、及び国家より駆逐し去ったのに原因すること、

二、平和を回復する最も有効な手段は吾が主の王国を再興するに()ること、

三、過ぎにし聖年にローマに参集せし無数の巡拝者、万国布教博覧会、六人の福者の偉大なる徳行を讃め稱へた上で、之を聖人の列に加えたこと等が非常に王たるキリストの光栄(みさかえ)を高めたこと、殊にその際、(おびただ)しい群衆が聖ペトロ大堂に於いて感謝の讃美歌を合唱し、「汝、光栄の王たるキリストよ」と歌ったのを耳にして、如何なる喜びと慰めとに心の躍るのを禁じ得なかったかと云うことを述べた上で、キリストが天地万物の大王にて(ましま)すと云う吾が公教の真理をば、色々の方面から御證明になりました。

(2)− 聖書の上からの證明 キリストが王にて在すことは聖書のあちこちに読まれる所である。詩篇には、「我、聖山シオンに王とせられき。主、我に(のたま)はく、汝は我が子なり、我に願え。さらば汝に諸々の国を家督とし、地のはてをその所有(もちもの)として与へん」(詩篇二ノ一九)と歌ってある。その王国は、全く境を知らない、而も領域には正義と平和とが(みなぎ)り渡るべき次第を歌って、「彼の日に正義と豊かなる平和とは昇り、その国は海より海に到り、河より地の極に及ぶべし」(詩篇七ノ七)とある。更に預言者等はキリストの王国の光栄を遥かに望み、喜びに堪えずして叫んで居る。「一人の幼児、我等の為に生まれたり。我等は一人の子を与えられたり。主権は彼の肩に在り。彼の名を奇妙・参議・神・強き者・永遠の父・平和の君と稱へられん。その権力はいや増しに、平和は極まりなからん。ダウイドの座に、その()(くらい)の上に坐して之を(かた)め、今より永久(とこしえ)に至るまで、公平と正義とを以って之を強め給はん」(イザヤ九ノ六−七)ダウイドに一の(ただ)しき杖を起す日、来たらん。彼、王となり、世を治め、賢明にして公平と正義とを世に行はん)(エレミヤ二三ノ五)「シオンの女よ、大いに喜べ・・・視よ、汝の王汝に来る、彼は正義にして救いを賜り、柔和にして驢馬(ろば)に乗る、即ち()驢馬の仔に乗るなり」(ザガリア九ノ九)この「王たるキリスト」に就いて旧約聖書のあちこちに見られる教えは、新約に至って薄れ行く様なことがないのみか、却って盛んに華々しく證明されました。

 先ず大天使ガブリエルは聖母に使いして、その生み給うべき御子が、父ダウイド」の玉座を賜り、ヤコブの家を限りなく治め給うべきこと、その治世が何時までも終なかるべきことを告げました。キリスト御自身も自ら公審判の判事として、永遠の賞罰を降すべきことを、民衆(ひとびと)に御話しになった時、ローマの総督が「汝は王なるか」と問うた時、御復活後、使徒等に向かい、往いて万国の民に教え、之に洗礼を施すべく命じ給うた際、「王」の名を自ら取り(マテオ二五ノ三一)明らかに王たることを断言し(ヨハネ十ノ三七)天に於いても地に於いても一切の権能が自分に賜ったことを声明し(マテオ二十ノ六)その勢力範囲の広大無辺、その治世の永遠無窮(むきゅう)なるべきことを明らかにして置かれました。さすれば聖ヨハネより、」「地上の王等の君」(黙示録 一 五)と呼ばれ給うイエズス・キリストが、同じヨハネに(まぼ)(ろし)の中に顕れ給うた時、「衣の上、股の処に諸王の王、諸主の主とその名を記されて在した」(黙示録一九ノ一六)のも驚くに足りますでしょうか。実際御父は之を万物の世嗣(よつぎ)(ヘブシオ一ノ二)に給うたので、世の終に「すべての敵を御足の下に置き給う迄は王たらざるを得給はぬ」(コリント前一ノ二五)のであります。

(3)− 聖会典礼Liturgiaの證明 聖書に説いてある右の教えよりして、当然次の如き結論が導き出されねばならぬ・・・聖会は地上に於けるキリストの王国であり、すべての人、すべての地方に拡張せらるべき筈のものである。随ってその創立者たるキリストをば王とし、君とし、王の又、王として崇め、尊び、年中色々と之に尊敬の意を表すべく務めるこそ至当(しとう)であると云はなければなりません。実際聖会は種々感嘆するほど表現の方法を変えて、同じ尊敬、讃美の意を明らかにして居る。昔頃、聖詩を読誦(どくしょう)する時、聖典を執行する際に表現した所を、今日神の御稜(みい)()(おうやけ)祈祷(いのり)を奉ったり、汚れなき犠牲(いけにえ)を祭壇上に献げたりするに当って、之をくりかえして居る。(しか)もこの王たるキリストをば絶えず尊敬讃美し奉るにつけては、東西両教会の典礼が見事に一致して居る、「祈祷の法則が信仰の法則を確立する」と云う格言の実現を茲にも見得(みう)る訳であります。

(4)− キリストの王国の基礎 吾が主のこの()(くらい)や王権は如何なる基礎の上に立脚して居るのでしょうか。アレクサンドリアの聖シリロは之を説明して次の如く曰って居られる。「主が万物の主宰権を掌握し給うのは、暴力を以って奪ったのでもなければ、他の方法によって取り込み給うたのでもなく、己が本質、本性よりして然るのである」と。即ちその主宰権は全く一位的合体、神性と人性とが天主の第二のベルソナによって合体され、一個のキリストとなり給うた所に基いて居る。だから天使と人類とは、キリストをただ神として礼拝(らいはい)し奉るのみならず、また人としての大権にも恭順敬服して行かなければならぬ筈であります。然しキリストはただ一位的合体の上からばかりでなく、亦、我等をお(あがな)い下さった所からも、命令権を有し給うのだと考えるのは我等に取って何と云う喜ばしい愉快なことでしょうか。幾ら忘れっぽい人間でも、主が我等の為に如何なる代価をお払い下さったかと云うことだけは思い出して欲しいものであります。「汝等が(あがな)はれしは金銀の如き(こは)るべき物によらずして、無欠無垢の(こひつじ)の如きキリストの尊き御血によれり」(ペトロ前一ノ一八)と聖ペトロは()はれて居ます。(かか)る「高価を以って(あがな)はれた」(コリント前六ノ二一)我等であれば、もう自分ながら自分のものでない。「体までがキリスト様の(えだ)」(同上ノ一五)となって居るのであります。

(5)− 王国の性質 次に教皇様は国家が成立する為に要する立法、司法、行政の三権をばキリストの王国が立派に備えて居ることを聖書の上から立証し、然る後その王国の性質を明らかにせられました。この王国は特に心霊的である。専ら精神界のことに携わるのである。以上引用せし聖書のテキストを以っても明らかであるが、亦、キリストは御自分の態度を以って之を立証し給うた。メツシアが国家の自由を回復し、イスラエル王国を再興するのだと、ユデア人は勿論、使徒等までが思い誤って居たので、主は幾度この謬想(びゅうそう)を打ち破り、その希望を覆すべく務められたことでしょう。

群衆が感驚(おどろき)の余りに主を推し立て王となさんとするや、逃げ隠れて王の名と位とをお(しりぞ)けになりました。ローマの総督の前に於いては自分の国がこの世のものでないことを断言せられました。

猶、福音書に描いてある所を以って観ると、この王国に這入る為の準備としては、改心を要し、いよいよ之に這入るには信仰と洗礼とを以ってしなければならぬ。その洗礼は外形上の儀式でありながら、また内心の再生を意味し、且つ之を実現する・・・この王国は専らサタンの国、暗の権威に反対し、その臣民たらんものは、金銭や世物より心を引き離し、温和を旨とし、餓え渇くが如く義を望むのみならず、亦、己を捨て、己が十字架を担がなければならぬのである。

 無論キリストは万物を支配する絶対主権をば御父より戴き、すべてはその思し召しに(まか)せられてある。主が国家社会の上に有し給う権力を認めないとは、頓んだ思い誤りと云うものである。然し地上に(ましま)す間、主は全然この権力をお行使(つか)いにならなかった。世物を所有し、利用することを潔しとせず、之をその所有者の手に(ゆだ)ね置き給い、今も同じく(ゆだ)ね置き給うのである。「天の国を与え給う位だ、人の国を奪い給うはずがない」と云う讃美歌の一句は、見事に主の心事を道破(いびあらは)したものと()って可いのであります。

(6)− 王国の範囲 要するに主の王国は一切の人間を包して居る・・・その主権はただカトリック教民又は謬説(びゅうせつ)の為に方向を誤り、分裂の為に聖会の愛の懐を飛び出して居るとは云へ、然し洗礼によって清められ、聖会に属して居る者の上に止るのみならず、基督教の信仰を有せざる人々の上にも及んで居る。全人類は基督の主権の下に隷属するのである。この点に就いては個人や家庭や国家社会の別を知らない、集まって社会をなせる人も、個人と同じくすべてキリストの主権の下に隷属するのです。然り、個人の救いも公共団体の救いも同一の泉源から流れ出るのであります。

「他の者によりては(たす)(かり)あることなし。そは我等が依りて(たす)かるべきものとして人に与えられし名は天下に(また)之あらざればなり」(使徒行四ノ一二)然うです、人民も国家も、その繁栄、幸福の基を同うして居る・・・でありますから、君主にしてその権威を安全に保ち、国家の隆盛を増進せしめたいと欲せば、自分も国民もキリストの大権に向かって公に恭敬、服従を拒んではなりません・・・。神とイエズス・キリストとを法制、社会公務の中から駆逐し去り、一切の権威は神より出ずして人より来る様な訳になしましたから、なぜ或者は命令する権利を握り、或る者は服従する義務を負はねばならぬかと云う根本的理由がなくなったのです。

随ってすべての権威の基礎が覆され、社会全体はその堅固な支柱を奪われ、(はん)(べい)を失って動揺を来たす様になったのも実に止むを得ないのであります。

(7)− キリストの王国の(もたら)すべき恩恵 若し人々が公にも私にもキリストの王権を認めて来ると、その必然の結果として、本当な自由・紀律・平穏・親睦・平和等、信じられぬほどの恩恵に社会は潤って来る吾が主の王権は、君主や政府当局者の権威を一種神聖化すると共に、亦、国民の義務と服従とを高潔ならしめるものであります。

聖パウロは婦人と奴隷とに向かい、夫なり主人なりの身に於いてキリストを尊敬すべく命じて居るが、それも人として彼等に従うのではなく、ただキリストを代表すると云う所から従はねばならぬ、キリストに(あがな)はれたものが、同じ人間の奴隷となるべき筈ではない。「汝等は(あたい)を以って買はれたり、人の奴隷となること(なか)れ」(コリント前七ノ二三)と(さと)されました。若し(こく)(くん)及び正当の官吏たる者が命令を下すのは、自分の権威によるものではなく、キリストの御委托により、その代理者としてであると確信するに至らば、如何ほど聖聖賢く其の権力を行使ひますでしょうか。又、法律を発布し、応用するにつけても、一般の利益と部下人民の人格とを(かえ)(りみ)るに至りますでしょうか。斯うなって来ると、叛乱の諸原因は除去(とりのぞ)かれ安寧秩序は見事に保たれ、確立される、国君及びその他の上位者とても、同じ人間は人間だ、時としては、むしろ不適任で、非難すべき点がないものでもない、然し神として人たるキリストの容姿(みすがた)と権威とを其の身に認めると、決して之に服従するを拒まないでございましょう。猶、親睦平和の恩恵に至っては、国が拡張され、人類全体を包有するに至ると、それだけ共通の鎖に結ばれて居ることを自覚して来る。

この自覚の為に数々の衝突は未然に防がれ、その激烈さは和げられ、減少されるのであります。

今キリストの王国が当然の権利ばかりでなく、事実上一切を包有するに至らば、彼の「平和の大王」が地上に齎し給いし平和は必ず実現する。それに望みを失う訳は決してない。実に主の来たり給うたのは、万物を和睦せしめる為でした。給仕される為ではなく給仕するが為でした。己は万民の主にて(ましま)しながら、身を以って謙遜の鑑となり、この謙遜をば愛の掟と共に重要な法と定め給い、而も「我が(くびき)は快く荷は軽し」(マテオ一 一ノ三〇)と仰せられました。されば個人にせよ、家庭にせよ、国家社会にせよ、甘んじてキリストに支配される様になると、如何なる幸福を楽しむことができますでしょうか。先きの教皇レオ十三世も仰せられた如く、すべての人が喜んでキリストの主権を戴き、之に服従し、主イエズス・キリストが父なる神の光栄の中に在すことをば口を揃えて宣言するに至ると、其の時こそ、すべての創疾は癒され、(あら)ゆる権利は奮来(もとより)の威信を回復するの希望に萌え立ち、平和の装飾(かざり)(もと)(かへ)り、剣も武器も手の裏から抜け落ちるに至るでありましょう。

(8)− 王たるキリストの祝日 是等の効果を十分に収め、且つキリスト教社会に之を永く保たしめんが為には吾が主の王位に関する知識を能う限り広く伝播(でんぱ)する必要がある。その為には特に「王たるキリスト」の祝日を制定するに若くなしと考えます。実に宗教上の真理を民衆に教え、之によって内的生活の(なぐ)(さめ)を楽しむまでに至らしめるには、聖会教導者の堂々たる教書よりも、宗教玄義を記念するが為、年々祝日を行った方が、より有効である。また教書は狭い知識階級の人にしか觸れないが、祝日はすべての信者を教える。教書は主として人の精神に訴えるのだが、祝日は人全体に、精神にも心にも有効なる影響を及ぼす。人は肉体と霊魂とより成って居るだけに、祝祭の外形的盛儀に感動し、振るい起って来る尊い儀式の多趣多様さと花やかさとによって十分教えの旨に(ひた)り、その甘きを吸い、之を己が血液となし、以って霊生の発展を遂げることが出来るのであります。教皇様になお続いて、聖会がそれぞれに祝日を制定めたのは、基督教民の需用と利益とを(はか)る必要からであって、迫害時代には信徒の勇気を振るい起たせるが為に殉教者の祝日を定め、世が平和になるとその時代に必要な徳を信徒の霊に植え付けるが為に、公奉者・童貞者・寡婦(やもめ)等の祝日を定めた。殊に神の御母の御光栄の為に立てた祝日は、ただ聖母を尊び崇める為のみならず、亦、救い主が御遺(おのこ)し下さった御母を熱愛し奉るが為でもあったことを述べた上で、

(9)− この祝日によって打破すべき俗人主義 に就いて次の如く論ぜられました。吾等が全カトリック教会に、王たるキリストを尊び崇めよと命じたのは、現代の要求に応ずるが為、人間社会に感染しつゝあるペストに対抗すべき無上の特効薬を提供せんが為である。現代のペストと呼ぶのは所謂「俗人主義」と、その誤謬(ごびゅう)、その不敬神きはまる(くわだ)とである。このペストは決して一朝一夕に成ったものではない。久しい以前から社会の奥底に潜伏して居たもので、最初は基督が全世界の上に掌握し給う主権を否定し、キリスト御自身の権を(うけ)()いだ聖会に、人類を教え、法律を立て民衆を指導し之を永遠の幸福へ案内するの権利を拒んだものである。斯くてキリストの御教は次第に他の偽りの宗教と同等に取り扱はれ、同じ水準面に置かれるの不都合を見る様になり、それから政権の奴隷となり、殆んど君主や官吏の随意に(まか)せられ・・・(つい)には神を必要としない、寧ろ不信仰や神を無視することやを、己が宗教とする国家すら現出するに至った。その悲しむべき結果として、到る処に不和は種蒔かれ、民族間には、嫉妬、敵対心が燃え上がり、公共の利益とか、愛国心とかの美名の下に各々その欲望を逞うして居る、各人がその義務を忘れ、之を等閑(なおざり)にする所から家庭の平和は破れ、その一致、安定は脅かされ、社会全体は(ゆる)ぎ出し、()()れかゝって来たのである。之が救済法としては人類社会を至愛の救い主へ(たち)(もど)らせるより外はないが、それには王たるキリストの祝祭を年々歳々(とり)(おこな)うに限る。

 今日カトリック教徒は、社会生活上、自己正当の地位を維持して居ない、真理の(たい)(まつ)を携えて居ながら、それ相当の権威をも有しない。其れこそ彼等が余りにも小心で、怯懦(おくびょう)で、抵抗をさし控えるか、微弱な抵抗しか試みないかする所から、敵はいよいよ図に乗って、大胆不敵に暴れ廻る様になった結果に外ならぬ。むしろ信徒たる者は、王たるキリストの御旗の下に馳せ参じ、勇敢に何処までも奮闘をつづけ、伝道熱に燃え立ち、主にかけ離れるか、無知に陥れるかして居る霊魂をば主と和解せしめ、主の権利を擁護すべく大いに努力せねばならぬのである・・・国際会議場に於いても、各国議会に於いて、吾が主の甘味なる聖名(みな)が、不都合きはまる沈黙の(うち)に葬り去られるほど、一層この御名を高唱し、キリストの王位と、その勢威とが当然享有(きょうゆう)し給うべき権利をば絶叫せねばならぬのであります。

(10)− 祝日の制定 この祝日の制定(さだめ)は既に十九世紀より準備せられ、是に関して多くの著書が到る処に公刊(あらは)され、無数の家庭は聖心(みこころ)に捧げられ、国家の奉献さえも見ることが珍しくない様になり、レオ十三世には一九00年に全人類を聖心に献げ給い、なお二十世紀に入っては、聖体大会が各地に開催され、一教区なり、一地方なり、一国、又は全世界の信徒が集合して聖体のキリストを礼拝し、尊崇(そんすう)し、その大権をば、公に声を揃えて叫んで居る次第を教皇様は一々指示(さししめ)して、此れ等はつまり新祝日制定の先駆(さきが)けとも、発展の階段とも云うべく、之を完成するが為に、この聖年(一九二五年)の終りに当って、「王たるキリストの祝日」を聖会暦中(れきちゅう)に加えるのは最も時機を得たものと信ずる旨を述べ「この故に吾等は王たるキリストの祝日をば使徒伝来の権威によって制定し、諸聖人の祝日の前、十月最終の主日に世界到る処に於いて之が祝祭を挙行(とりおこな)はんことを命じ、又、先代ピオ第十世の定めに従い、全人類をイエズスの至聖なる聖心に奉献するの式をも、毎年この日にくりかえす様に命ず」と(あおせ)出されました。

(11)− 結論 教皇様は今一歩を進めて、この新祝日がもたらすべき結果を述べられます。右等の真理の説明は信徒の上に非常な影響を及ぼし、其の(たましい)をばキリスト教生活の規矩(のり)に従って行動せしめるに至るのです。実際主キリストが天に於いても地に於いても一切の権能を授けられ給うたとするならば、その貴い御血を以って(あがな)はれた人々が、更に一種の新しい名義によってその権下に服従せねばならぬことになるならば、(つい)にその権威は全人類を包有(ほうゆう)するものであるとするならば、我等の官能が一つとしてその支配の下を脱すること出来ないことは明らかでしょう。されば主は我等の精神に王となり、是をして深く自ら(へりくだ)って天啓の真理と、キリストの御教とを固く何時までも信仰せしめ、意志に王となり、之をして神の律法(おきて)(いま)(しめ)とに服従せしめ、心に王となり、之をして生来(うまれながら)の情慾をさし置き、神を万事の上に愛し、ただ神のみに愛着せしめ、体とその四肢(えだ)とに王となり、聖パウロの(いは)ゆる「神の為に義の武器」(ローマ六ノ一六)として、是を内心の成聖に応用せしめ給はねばならぬ筈である。若し是等の道理を信徒によくよく眺めさせ、篤と黙想させたならば、容易に彼等を高い高い完全徳の域に引き上げることが出来るであろうと考えます。

願わくは外に立てる人もキリストの甘き(くびき)(よろこ)び求め、之を引き受けて(たす)(かり)に在りつき、幸い主の御哀憐(あわれみ)によって、その家族の中に加えられて居る我等は、厭々ながらでなく、むしろ好んで、愛を以って(とうと)いこの(くびき)を背負い、そして我等の生活をば王国の律法に釣合せ、喜しき善業の実を多く収穫(とりい)れ、キリストから、善にして忠なる(しもべ)とされ、天の御国に於いて主と共につきせぬ(さいわい)と栄とを楽しむに至りたいものであります。

終に教皇様は全世界の司教・司祭・信徒の上に優握(ゆうあく)なる(えん)(しゅく)(くだ)してこの回勅を結ばれました。今謹んでこの回勅を拝読して見ると、キリストを全人類の大王と認め奉るのは、現社会の病の根を癒すのに如何ばかり特効著しき良薬であるか、又この新祝日を制定するにつけて教皇様の思し召しが那邊(どこ)に在るかと云うことは(ほぼ)察せられるでありましょう。願わくば日本公教信徒たる我等は自分で先づキリストの王権を深く尊び(あが)め、その王国の民たることを何よりの誇りとし、進んでは吾が同胞が一日も早く主の大権を認めるに至る様、祈り且つ、努力しなければならぬのであります。

 

(一)

 

(1)−今日は諸聖人の祝日であります。聖会の暦をくり拡げて見ますと、一月一日から十二月三十一日まで、三百六十五日間、殆んど聖人等の御名を以って埋って居ると云っても差支えない位である。然し暦に載って居る方ばかりが聖人であるかと云うに、()うではありません。

    天国はそんなに寂しい所でない、聖人の数はそんなに少ないものでない。暦には漏れて居ましても、聖人と尊び(あが)めねばならぬ方々は幾億万と挙げて数うべくもないのである。聖ヨハネの黙示録には「誰も数うること能はざる大群衆を見しが・・・白き衣を着し、手には棕櫚の葉を持ちたり」(黙示録六ノ九)と記してあります。即ち洗礼を受けて、神の愛子(あいし)となり、その御前(みまえ)にも人の前にも、立派に身を修め、幸福な死を遂げて天国に昇った方々は、皆聖人である。

    そこで斯ういう聖人等の為にも祝日があって欲しいものだと云うので、聖会は十一月一日を以って是等、無数の聖人等を讃め尊ぶこととしたのであります。我々は是非とも天国に昇りて彼の聖人等の列に加はらなければならぬのですから、特別の熱心を以って今日のこの祝日を祝い、先づ天国とは如何なる所であるか、次に聖人等は何うしてこの天国に昇られたかと云うことを、静かに考えて見ることに致しましょう。

(2)−天国とは如何なる処であるか 天国とは苦しみや禍が一つもなく、かえって(あら)ゆる福楽の充ち溢れて居る処であります。

    何方(どなた)も御存じの通り、この世は涙の谷でございまして、寒さや暑さや、餓え渇きや、病の苦しさ、貧の辛さや等涙を(こぼ)さねばならぬことが随分多いものである。然るに天国には暑さもなければ寒さもない、餓渇きを覚えることもなければ、貧に悩む気遣い、病に苦しむ憂いもない。我々の足が一たび天国の門を(くぐ)りますとすべての涙は綺麗に拭き取られる。もう泣くにも及ばぬ、嘆く必要もない。却って云うに云われぬ幸福を楽しみ、喜びに踊るのである。無上の善にして、最高の美、限りもなく愛すべき天主を眼前に仰視(あおぎみ)その天主を(わが)(もの)として、何時迄も何時迄も楽しむとは、実に何と云う幸福の至りでございましょうか。

   「神が之を愛し奉る人々に備え給いしこと、目も之を見ず、耳も之を聞かず、人の意にも上らざりき」(コリント前二ノ九)と聖パウロも()って居る位であります

 

(3) 今日天国の聖人等は皆斯う云う(たの)(しみ)(ほしいまま)にして居られる。思えば思えば羨ましい次第ではございますが、然し必ずしも聖人等の身の上を羨むにも及びません。我々も聖人等の踏み分けなさった道を進んで行きさえすれば、一度は必ず彼の楽しい天国え辿り着くことが出来るのであります「(わが)(ちち)()()(すみか)(おお)し」(ヨハネ十四ノ二)と御主(おんあるじ)(のたま)うた。随って誰でも、又幾何(いくら)でも天国には昇れる、聖人等に与えられた福楽は、我々にも約束されてある。天主が我々に、罪を犯すな、善を励め、掟を守れ、熱心に務めよ、と命じ給う時は、(もと)より天地万物の御主、我々の造主にて(ましま)すのですがら、御褒美なんか何一つ下さらずとも、我々は飛び立つて御命令に従はなければならぬはずである。然し天主様は決して善業のために善業を行えとは命じ給わぬ、我々が僅かな罪を避け、小さな善を行いましても、一寸した御誡めを守り、一寸した信心の務めを果たしましても、一々それに酬い、立派な御褒美を下さるのであります、で我々は始終この大なる天国の福楽を打眺めて、我と我が身を励まし、善の道に突進しなければなりません。

    然るに今迄の我々を振り返って見なさい、天国の福楽の終なきことを信じて居るとは云いながら、全く之を知らない、信じない異教者見たように、誰だ誰だ浮世の財宝や快楽にばかり心を奪われて居たことはありませんか。天主の御勧めにはなるべく従うまい、信心の務めならば、なるべく御免を蒙ろうとするが、浮世の事になると、一も二もなく之に従い、飛び立って()って退()けます。浮世が瞬く間に過ぎ去る夢のような財宝なり、快楽なりを示してさし招きますと、何も彼も忘れて其の方え走り出し、骨身を砕いても厭いませんが、天主が(きわま)りなき天の幸福を掲げて手招き下さっても、容易に腰を立てようとはしません。

    英国のヘンリー八世王が聖会に背きました時、大臣のトマス・ムーアは王に従わなかったので、(つい)に牢獄に打込まれました。或る日のこと奥方が見舞いに参りまして、トマスの足下に平伏し、「何うぞ王様の仰しやる通りにして、生命を保って下さいまし」と涙を流して連りに願いました。

   「王様に従ったら、幾年ぐらい活き伸びること出来ると思うかね」

   とトマスは尋ねました。

   「少なくも未だ二十年は大丈夫でございますよ」

   「さうか、たとえ百年も生き伸びることが出来ても、俺はその百年位の生命と天国の(きわま)りなき福楽とを代えっこはしないよ」

   と云って潔く信仰の為に殺されました。我々も今から屡々(しばしば)天国の幸福を思いまして、その窮りなき福楽をば、現世の短い夢のような財宝や快楽やと代えっこするようなことがないように務めたいものであります。

 

(4)−聖人等は如何にして天国に昇られたか 一口に聖人と申しましても、天主から特別の聖寵を(かたじけな)うし、人目を驚かすようなことをして、高い高い徳域に進まれた御方もあれば、普通の途を踏み、普通の徳をただ普通ならぬ心掛けで以って実行し、それによって聖人となり、天国え昇られた御方もございます。人目を驚かすような徳を行って聖人となることは、何人にでも出来る話でわありませんが、然し普通の徳を普通ならぬ心掛けで以って実行し、天に昇ることならば、出来ない人は無いはずである。

    さればこの祝日の(ついで)に、誰しも、何うしたらば天国に昇れるかと云うことを(とく)と考えて見る必要があろうかと存じます。聖トマス博士の妹が、一日(あるひ)(あに)博士に向かい「聖人となるには何うしたら可いのですか」と問いました。すると聖人はたった一口、「望みさえすれば夫れで可いのだ」と答えられた。言は短い、ただ一口に過ぎないが、然し意味はなかなか深い。実際、救霊を得るが為、聖人となって天国に昇るが為には、如何なる困難に出遇(でくわ)しても、一歩も後えは退かない覚悟で、何処何処までも根気強く、勇ましく進んで行かなければならぬ。それだけ随分強い意志、熱い望みが必要である。是非とも救霊を全うしたい、是非とも聖人になりたいと云う火の如き望みがないならば、到底百千の障碍物を打ち破って進むこと出来ようはずがありません。

    今()んな風に望まねばならぬか、ただ一通り望んだばかりで足りるかと云うに、夫ばかりでは足りません。誰にしても救霊を得たい、天国に昇りたいと望まぬ方はありますまいが、皆が皆、救霊を得、天国に昇る訳でもないのは、望み方が不充分だからであります。然らば()んな風に望まねばならぬかと云うに、第一、心から望まねばならぬ。第二、今の中に望まねばならぬ、第三、根気強く、終まで望み続けなければならぬのであります。

(5)−心から望まなければならぬ 「人の世にあるは戦いに在るが如し」(ヨブ七ノ一)とヨブは曰い、御主も「(われ)地に平和を持ち来たれりと思うこと勿れ、我が持ち来たれるは平和に非ずして(やいば)なり」(マテオ十ノ三十四)だの、「天国は暴力に襲われ、暴力の者之を奪う」(マテオ十一ノ十二)だの、「人もし我後につきて来たらんと欲せば己を棄て、己が十字架を取りて我に従うべし」(マテオ十六ノ二十四)だのと教え給うた。して聖人等は皆その教に従い、絶えず悪戦苦闘を続けて、天国に昇られたのであります。

    是に由って之を見ると、天国の福楽をかち得るが為には、随分と辛い目を見、苦しい戦いを経なければならぬ。やれ朝夕の祈りだ、やれ日曜日のミサだ、やれ公教要理だ、説教だ・・・祝日が来た、告白をして下さい、聖体を拝領しなさい、伝道に手伝って下さい、ビラを蒔いて下さい、等と(しき)りに責付(せつ)かれ、督促される、うるさくて堪らない位。ですから天国の福楽を一心に望み、是非とも之を手に入れたいと熱く望まないならば、到底遣り(おお)せるものではないのであります。

 

(6)−今の中に望まねばなりません 後で後でと差延して、その後がなくなってから望んでも駄目な話である。然るに多くの人は夫れに就いて()んだ思い違いをして居る。「今じゃ()()しくて仕方がない、後で今少しゆっくりなってからのことにしよう」とか「今少し俟って下さい。若い時は何ともされない信心は年取ってからの仕事だ、死ぬ時にはきっと改心しますよ」等と云って居る。それが果たして(あて)になりますでしょうか、今日あって明日の分からぬ生命じゃありませんか。後でゆっくりなるまで生き(ながら)え得るか、果たして老年に達し得るか、死の前に告白する余裕があろうか、不意に死ぬようなことが無いでしょうか、誰かそれを保証すること出来ますでしょう。

    聖人等は決して然うはなさらぬのでした。青年の方々は、老境に入ってからとは云はないで、その美しい花のような青年時代を天主に献げ、なるべく罪を犯さないよう、善を行うようにと務められた子の親たる御方々は、子供が成人してから、借金が減ってからと云はないで、自分が先に立って信心をし、子供に良き模範を示して親の務めを全うせられましたから、今、天国に楽しんで居られるのです。老人も同じく然うで、「死ぬ時に心を改めます、立派に告白しますよ」とは云わないで、もう年老いて、他に望む所はなし、只管(ひたすら)天を望み、信心をし、慈善事業や伝道事業に携わり、務めて余年を有意義に過ごそうと務められたから、今天国に於いて云うに云はれぬ幸福を(ほしいまま)にして居られるのであります。皆さんも何うぞ其の邊の所をよくよくお考えになり、後の日は決して(あて)になるものでないから、今の中から、出来るだけの善業を励み、天国に寶を積むようにして下さらねばなりません。

 

 

(7)−終まで続いて望まねばならぬ 二三日の間、三四年の間、善を行っても、天国には昇れない、死ぬまでも続いて行はなければならぬ、「終りまで堪え忍ぶ人は救われるべし」

  (マティオ十ノ二二)と御主は(のたも)うた。ユダの如きも、始は善良な弟子でした、然し終りまで続かなかったから滅んだのであります。

「手を(すき)に着けて尚、後ろを顧みる人は神の国に適せざる者なり」(ルカ九ノ六二)とありましょう。実に今日は立派な決心をして天主に堅く堅く約束して居るが、明日はもう何も彼も忘れたかの如く、元の罪に逆戻りをするようでは到底天国に入るに適しないものであります。聖人等は皆終まで続いて行った方々である。今日は熱心にミサを拝聴する、明日はすっかり止めてしまう、今日は告白もし、聖体も拝領すべしと決心して居るが、明日になると、其の心は更に一つも残らないと云うようでなく、僅かな善業でも、根気強く続けて行はれたから、天の窮りなき御褒美を(かたじけな)うすることゝなられたのであります。

    然らば天に昇る為には、心から、而かも今の中に、根気強く其の福楽を望まなければならぬ。「主は我々なしに我々をお造り下さいましたが、然し我々なしにお救い下さらぬ」と聖アウグスチヌスは()いました。即ち我々の方から精を出して勉め、与えられた聖寵をよくよく利用して働かなければ、救霊を全うすること出来ない。夫れは辛い、到底やりきれないと云う様な思いが起って来た時は、天国の福楽、その福楽の大なることを考えて見なさい。当てにもならぬこの世の幸福を得よう、夢のような快楽を求めよう、僅かばかりの目腐金を手に入れようとして、我々はどんなに精を出して働きますか。夫れに天の福楽を得るが為に、()っとやそっとの辛苦を恐れてなりましょうか。窮りなき福楽じゃありませんか。終わりなき光栄、言うにも言われぬ快楽じゃありませんか。それを得るか失うかという大切な問題ですのに、等閑(なおざり)に放つたらかして置かれたものでしょうか。其の上、幾ら辛いと云っても、聖寵の助けがあります。殉教者等は首を斬られ、火に焼かれ、鋸で引かれ等しても、天の福楽だけは失うまいと務められました。

    況して我々はそんなにえらい目を見せられるのではない、幾ら辛いと云っても、それは一時のことで、苦しみも悲しみも心配も何時しか終りを告げる、天の光栄や歓楽は窮る所を知らないのであります・・・()うぞ皆さん、今から(しばしば)、天国を思いましょう。天国の為に働きましょう。毎日毎日天国の(くら)に朽ちせぬ寶を貯えましょう。

 

(二)          

 

(1)−聖会は毎日毎日聖人等を尊敬して居ながら、特に諸聖人の祝日なるものを定めたのは何の為でしょうか、それは総ての聖人を一つに集めて之を尊敬する為であると共に、また我々の聖人等にたいする尊敬が常に不足勝であるから、それを補はせる為でもあります。然らば皆さん、今日は特に熱心をあらはして、この祝日を守り、一年中、聖人等に対して礼を欠き、十分の尊敬を尽さなかった所を償うように心掛けようではありませんか。

    然し聖会の志はただ是ばかりに止りません。その重なる目的は聖人等の楽しんで居られるその大いなる天国の福楽を我々の目の前にくりひろげて、我々の眠りを醒まし、自分も是非あの天国に辿り着かねばならぬと云う心を起さしめるに在るのであります。で今日は天国の福楽に就いて篤と考えて見ることに致します。

(2)−天国の福楽は如何なものでしょうか 聖パウロに由ると、天国の福楽は人が目に見たこともない、耳に聞いたこともない、心に思い浮かべたこともないほどであるとか。聖カタリナは天の片隅を覗いたばかりで、「私は人間の口に言い顕わすこと出来ない程の珍しいものをみました」と云い、同じく聖テレジァも「一目天国を見せて戴いてからは、この世の美しいものや、珍しいものや、そんな物はすべて厭になった」と()って居ります。

    それも其の筈で、全能の天主、天地万物を無より造り出し給うた天主が、その愛する臣下に、その可愛い子供に充分の福楽を与えたいと思召しになって、備え置かれた天国ですもの、人間の小ぽけな頭で考えられるような、(つま)らない、平凡な処であろうはずがない。実に聖ベルナルドも()はれた如く、天国には厭なものと云うは一つもなく、欲しいと思うものは何でもあるのであります。

(3)−天国には厭なものと云うは一つもない 我々の足が一たび天国の(しきい)(また)いだものなら、凡ての禍は一時に拭うが如く消え失せる。然り、天国には怖ろしい(やみ)もなければ、肌を(つんざ)くような冬の寒さ、石をも溶かしそうな夏の暑さもない、ただ晴れ渡った昼ばかり、ただ長閑(のどか)な楽しい春ばかりである。天国には人から無理をされる気遣いがない、(ねた)みを受ける心配もない、

   天国の聖人等は皆(あい)愛し、相楽しみ人の福を見ては我が身の福の如く喜んで居られる、天国には病の苦しみもなければ、貧の辛さもない。

    天国の聖人等は皆聖寵に固まって居ますから罪を犯す気遣いもない、天主を取り失う恐れもない、悪魔の誘に悩まされる憂いすらないのであります。

 

(4)−天国には欲しいと思うものは何でもある 目はその見事な景色、其処に住んで居られる天使、聖人聖母マリア、神の御子、至聖三位の美しい立派な御姿に見入り、耳は絶えず天使や聖人等の(ふし)面白く天主を讃美するその楽しい歌にうっとりと我を忘れて聴きとれるのであります。殊に聖人等が何よりも嬉しく覚えられるのは、善の善なる天主を(まのあた)りに仰ぎ視て楽しむことであります。天主を仰ぎ視ると共に、その底知れぬ深い深い愛を悟るのであります。自分の為に人となり、厩に生まれ、十字架上に死し、聖体の中に食物となって、自分を養い下さったその感ずべき愛を悟って、何んなに吃驚するでしょうか。自分を改心せしめる為に浴びせ給うた聖寵、自分を勧め戒めて下さった数限りなき御恵みを一々数え上げては、どんなに仰天するでしょうか。貧乏だとか、病気だとか、災難だとか、自分が今の今まで禍である、不幸であると思って居たのも、実は決して禍ではない、不幸でもない、それこそ天主が自分を天国に引挙げんが為め、降し給うた(あたい)高き恩賜(たまもの)であったよと悟っては、余りの嬉しさに身の()き所も知らない位でありましょう。()して自分の友人、隣近所の人々が、自分ほどの罪も犯さないながら、心から痛悔しなかった為に、救霊を失い、地獄に苦しんで居るのを天国より打ち眺めては、何とて御礼の申し上げようもなく、ただ感涙に(むせ)び、嬉し泣きに泣くばかりでありましょう。

(5)−聖人等の楽しんで居られる天国の福楽は誠に()んなものでございます。しかも()れが百年でなく、千年でなく、天主が天主にて(ましま)す限り、何時になっても終りを知らないのであります。

    誰にしても福が嫌いで、楽しみが厭な人と云うはありますまい。然らば、何方も宜しく目を挙げて天国をお眺めなさい。聖人等に与えられた楽しみは、我々にも約束されてあるのです、貪欲(どんよく)は人に賎しめられるが、然しそれは慾が余り小さいから、この世の僅かな目腐(めくされ)金、(けがら)はしい快楽、(はかな)い名誉、そんな被造物に対する()ぽけな慾だから然うなので、我々はむしろ聖人等の如く、大いに欲ばり、限りなき天の福楽を望みましょう。なるほどそれは決して生易しいことではありません。然し人はお金を儲ける為め、昇級する為、少しく地位を進める為ならば、如何ほど熱心に働きますか、千円も一万円も目の前にころがって居ると云う時は、夜を日に継いで、(やす)むことも食べることも忘れて、山を越え、海を渡り、一生懸命に働くじゃありませんか。そうして働いても必ずそのお金が儲かるものと(きま)って居る訳ではありません。往々は損する、辛労損のくたびれ儲けに終わることが多い、それでも猶、懲りずまに東に西にかけまわるのであります。然し天主と取引をする、天国を目的に働くならば、決して損をする気遣いはない。

    必ず儲かる、それも千や万の目腐金ではない、限りなき天国の寶、天主を(わが)(もの)とするの幸福である、誰か之を思ったら腕打ちさすり、力足踏み鳴らして(ふるい)()たずに居られましょう、苦労や、艱難や貧の悩み、病の辛さ、其等が山の如く前途に突っ立って居ましても、踏み越え踏み越え進んで行こう、側目(わきめ)もふらずに駆け出そう、勇往邁進しようと云う決心にならずにいられますでしょうか・・・

(三) 天 国 に 昇 る 道

 

(1)−諸聖人の祝日に当りまして、天に昇るの路を研究して見るのは当然のことでございましょう・・・。然らば聖人等は如何にして天に昇られましたか、奇蹟を行なつてでしょうか。容易に真似も出来ないような驚くべき善業を果たしてでしょうか。決して然うではありません。

    なるほど数多い聖人の中には、大きな奇蹟を行ったお方もあれば、非常に驚くべき難行苦行を重ねたお方もないではないが、皆が皆そうなさった訳ではありません。聖人と雖も、やはり我々同様の人間でありました、不足もあれば、罪にも落ち易い、情欲の強い、悪魔にも(したた)(いざな)はれたお方もある、恐ろしい罪悪に汚れ果てたお方すら無いではありません。 

    聖パウロや、聖マグダレナや、聖アウグスチヌスの如きは、実に大した罪人でございましたが、然し今日では大聖人と崇められて居ます。して見ると、如何(どん)な人でも、天国に昇れぬ筈はない、私は不足が多いから救われ得ない、私は始終悪魔に誘われて居るから、情欲が盛んだから、到底駄目だ、私はこんなに大罪を犯して居るのに、どうして天国え昇れるか、等と思うには及びません。誰だって救われる、天国に昇れる、私は保証します、夫には条件がただ一つ、聖人等の行かれた路に辿ることであります。聖人等は天主の聖寵をよく用い、信者の義務を忠実に果たすべく務められた罪も犯しましたけれども、早く痛悔しました。

    痛悔して起ち上がりました。起ち上がってからは再び罪に落ちてはならぬと、用心の上にも用心をして、罪の危い機会(たより)に近づかない様、悪い友に遠ざかる様、注意したものであります。

(2)−昔イスラエル人はモイゼに引率されてエジプトを出ました。紅海を渡り、約束の地に向って旅立ちましたが、途中で少し食物に不足するとか、水が切れるとかすると、忽ち後を顧みて、エジプトを恋しがり、「ああエジプトに居れば可かったのに!」と呟くものですから、其の罰で殆んど皆途中で倒れてしまいました。皆さんも洗礼をお授かりになり、天国をさして旅立ちをして居られる、それに毎朝毎晩お祈祷をするのは面倒だ、毎日曜日ミサを拝聴するのは辛い、罪の機会(たより)(とおざ)かるなんて、それでは自分の好いたこともされず、言いたいことも言はれない、腹が立っても堪忍しなければならない、(たま)ったものでない、未信者は実に仕合せなものだ、言いたいことは言う、()たいことは()る、寝たい時に寝、起きたい時に起きる、行きたい所えは行く、ああ自分も未信者であればよかった等と、そんな考えを起しなさるならば、それこそイスラエル人の()の舞をするのじゃありませんか。

    イスラエル人が折角、紅海を渡りながら、約束の地に入ること出来なかった如く、皆さんも、洗礼を受けて天主の愛子となり、天国を目指して進みながら、その天国に辿りつくこと出来ないで、途中にのたれ死にをする救霊を失い、地獄に堕落する様な不幸に陥らないでしょうか。

    是とても、つまり後を顧みたり、隣近所を眺めたりする結果に出るので、そんな事がない為め、この祝日の(ついで)を以って、誰方も仰いで天をお眺めなさい、私は特にお勧め致します。

(3)−先ず青少年の方々は近所の青少年がどんなことをして居るかと云うことを思わずに、天をお眺めなさい、天主は玉の冠を提げて皆さんを()っていらっしゃる。今日天国に於いて童貞の方々が授かって居られる玉の冠は、皆さんにも必ず授けられる、今日天国に楽しんで居る青年処女等は、罪を犯さなかったことを、罪の機会(たより)(とおざか)って居たことを、邪欲を(ほしいまま)にしなかったことを、決して口惜しくは思って居ない。寧ろそれを幸福として居られます。皆さんも其の手本を眺め、それに(のっと)って、是非是非天国に昇り、同様の御褒美を戴く様に致して下さい。

    子を持った親等も天を眺めなさい、父母の務めをよく尽くし、其の為に特別の御褒美を戴いて居られる聖人等は、幾億の多きを数えるでしょうか。夫に死別れ、妻に先立たれて居る御方も、天を眺めなさい、皆さんのような悲しい目に逢いましてからは、もうこの世に楽しみを求めず、一途に天を仰ぎ、天主を愛して、それによって天の幸福を(ほしいまま)にして居られる御方も数えるに(いとま)ない程ではございませんか。

    貧に苦しんで居る御方も天を仰ぎなさい。貧乏するのは皆さんばかりではない、天国にはそんな人が特に多いのであります。彼等の悲しんで泣いた涙は、今こそ綺麗さっぱりと拭き取られ、彼等の着て居た襤褸(ぼろ)は今こそ玉の衣となり、彼等の住んで居た荒屋(あばらや)は、今こそ金銀の(うてな)となって居ます。此の世で苦しんだ丈け今天国に於いて大きな福楽に踊って居るのであります。

    随って天国に楽しんで居る聖人等は、決して自分の()まれた貧困や、病気や、苦労や、心配やを口惜しがっては居ません。むしろ仕合せな病であった、幸な貧苦であったよと云って、喜んで居ます。もし私があの病を受けずに何時も健やかであったら如何(どう)なったでしょう、あんなに貧乏せずに、何時も富み栄えて居たらば、あんな恥ずかしい目を見ず、無理をされずに、始終わいわいと誉め囃されて居たならば、今は如何なったでしょう?、と言って、自分の不幸に沈んだことを感謝して居るのであります。

(4)−天国に昇るには如何なる路を辿らなければならぬか、(ほぼ)お分りになったでございましょう。で今からは何方も大いに奮発して、是非天国に昇り、その福楽を(ほしいまま)にすることが出来ます様、務めなければならぬ。

    最後の瀬戸際に差し迫ってから、なぜ是をしなかったのだろう、斯うして置けばよかったのに何故油断をしたのだろう、等閑(なおざり)にしたのだろうと、後悔することがない様、明日とは云はずに、今日からチャンと志を定め、為すべきことは必ず之を為す、避くべきことは必ず之を避けると決心し、その決心を(とり)(まも)るが為め、熱心に諸聖人の御伝達(おとりつぎ)を祈ることに致しましょう。

 

 

(四) 三 つ の 道

 

冴え渡れる秋の夜空を仰ぎますると、色を異にし、光を異にする幾千万の星が 玉でも砕いて蒔き散らしたかの如く輝いて居るのを見るでございましょう。天国の聖人等、諸々の族、諸々の民、諸々の語に属する数え難い天国の大群衆も実に彼の美しい星の様なものでありますが、さて彼の聖人等は如何にしてその天国に辿り着かれたのでございましょうか。我々も如何にしたらば、その同じ天国に辿り着くことが出来ますでしょうか・・・天国に昇る道には、英雄の道、忠実さの道、痛悔の道と云う様に、三種の別がある様に見受けられます。

(1)−英雄の道 天国には英雄が居ます.彼等は現世の富や名誉や快楽を無視し、如何なる犠牲をも厭わず、肉体の中に在りながら、天使の如く生活したものであります。

    世界を駆け廻って福音の宣伝に当りし使徒等、死を鴻毛よりも軽じ、義を泰山よりも重んじ、信仰の為には喜んで二つとなき生命までも抛った殉教者、主の為に輝かしい前途を見捨て、永遠の寶の為に朽ち易い寶を抛ったアシジーの聖フランシスコ、大諸侯の金殿玉楼を下りて、手づから懇ろに癪病者の世話をした聖エリザベトの如きは、正しく其の様な英雄でありました。

    我々はこの驚くべき聖人等の前に跪き、その美徳を感嘆し、せめて遠方からなりとも、その美徳に則りたい、自ら英雄にはなり得ないにせよ、少なくも義務を忠実に果たし、たとえ容易からぬ困難が前途に横たわって居るにしても、決してその義務を裏切らないだけの覚悟でありたいものであります。

(2)−忠実さの道 天国には忠実な霊魂が居ます。彼等は主の御言、「汝生命に入らんと欲せば、掟を守れ」(マテオ十九ノ十七)と云うその御言を聴き、(それ)を忠実に守り、その為には如何なる犠牲を払うのも(いと)わないのでありました。忠実に主日を守り、主日に働いて手に入れ()べき賃金を断念しました。それは彼等に取って()なり辛いことでした。なるほど大した犠牲とは申されますまい。然し英雄でない限り、それでも真個(ほんとう)な犠性たるを失わないのでありました。

    情欲を抑え、己が感情や、想像や、思い、望み、言、行いの上に注意し、少しでも天主の十誡に外れたことをなすまいとするのも、彼等の為には随分の骨でした。殊に余り熱心ならざる信者の中に在り、或いは又異端者、異教者に八方から取囲まれて居て、その悪例に引きずられず、よくミサを拝聴し、(しばしば)秘蹟を授かり、信者としての義務を全うせんとすれば、どうせ他と異なった態度を執らねばならぬし、それだけ亦冷笑(あざけり)を買い、軽悔(あなどり)や、当こすりを浴びせられねばならぬので、それは決して生易しいことではなかったのであります。

    この忠実な霊魂は非常な大群をなして居る。基督信者の務めを忠実に果たして居る一家の父母、身も心も清浄に守り、浮気に流れず、固く自ら取り締まって行く青年処女も、この大群の一部をなして居るのです、そんな御方達は、どうぞ力をお出しなさい、勇を奮いなさい、一度は必ず皆さんの努力、皆さんの犠牲も報いられる所があるに相違ありません。

 

 

(3)−痛悔の道 天国には痛悔者も居る。彼等は罪の路をひた走りに走って居る途中、その足を急に踏み止めたのでした、「おやおや私は祈祷を忘れ、聖体拝領を忘れ、基督信者の義務を忘れ、放蕩三昧に(ふけ)って何処え行って居る?・・・死後は如何なるだろう?斯うして居ては、最高判事の前に(たち)(あら)はれた時、何と答えることが出来よう・・・あゝ天主様、私は決心しました。

    もう罪は犯しません、決して決して罪は犯しません。必ず改めます。以後は誠心誠意、御前に仕え奉るでありましょう。

    長い間、不忠不義を重ねた揚句、病の床に臥し、もう到底全快の見込みなしと云う最後の瀬戸際になってから、心を改め、主の方え向き直り、痛悔の胸を打ちつゝ「天主様、私は罪を犯しました、お赦し下さい、救主イエズス・キリストの限りなき功徳によりてお赦し下さい」と叫び、斯くてその数々の罪を赦され、天国に辿り着いた人も多いものであります。

    我々は英雄の部類、忠実な人の部類に入ることが出来ないにせよ、少なくも痛悔者の群れに属しなければならぬ。痛悔の鍵を以って天国の門を開かなければならぬ。是は我々に(のこ)されてある救霊の最後の手段である。然し臨終の間際まで、その痛悔をさし延ばしては、この手段を利用し得るか否か頼にされません。だからなるだけ早く罪を悔い、心を改めなければならぬ。長らく主の聖名を汚し、聖心を痛め奉っただけ、人一倍働き、人一倍苦行を励み、人一倍苦労艱難を堪え忍んで、償いをしなければならぬ、失った所を回復しなければならぬ、と発憤大いに努めたいものであります。

    要するに痛悔者と云っても、聖ペトロ、聖女マグダレナ、聖アウグスチヌスの如き偉大なる聖人があります。彼等は一旦改心した上では、過去の罪を以って己を刺激する鞭となし、自分は罪人である、大なる罪人である、他の罪なき人の如く安閑としては居られない・・・何とかして熱く主を愛し、主の為に活動して、罪の償いをしなければならぬ、と我と我が身を振るい起たせるのでありました。

    そうなって来ると、罪は霊魂に少しの害をも招かないのみか、むしろ大なる益を来たすの基因(もと)となるばかりであります。皆さんの中、熱心にして完徳に志して居られる御方は、どうぞその完徳に局限(くぎり)をつけないで下さい、忠実に天主の掟を守って居られる御方は飽くまで義務の途に踏み止まり、如何なる困難に()(つか)っても、その義務を忘れない様に心掛けて下さい、不幸にして今猶、罪に溺れて居られる御方がありますならば早く、改心して天国を取り失はない様、心掛けなさって下さい。

   

 

 

(五) 諸 聖 人 の 祝 日

 

皆さん暫く浮世を忘れて心を九天の上に馳せ、(1)天国の楽しみの広大さ、(2)聖人等の此処に登り給うた道筋、(3)我々の執るべき決心、に就いて篤と考えて見ることに致しましょう。

(1)天国の楽しみの広大さ 聖ヨハネの黙示録に「誰も数うる事(あた)はざる大群衆を見しが、白き衣を着け、手に棕櫚の葉を持ちて羔の目前に立てるを見たり」(黙示録七ノ九)とあります。ヨハネは天国の楽しみの如何に大なるかを写し出そうとして写し出すこと能はず、ただ 「羔、即ち神の目前に立てり」と云いました。神の目前に立つ、是れこそ実に天国の最も大なる楽しみであります。神は善を尽くし、美を尽くし給う、否、善その物、美その物、に(ましま)すが故に、之が前に立ち、之を(まのあた)りに(あおぎ)()、其の光栄を拝し、其の美徳を讃め称えるより楽しいことが又とありますでしょうか。加之、今日天国に楽しめる聖人等は、皆一たびは現世の荒波に揉まれ、百千の艱難苦労を嘗め尽くした方々である。然るに一たび天国の門を潜るや、両眼の涙は悉く拭い去られた、今は餓え渇きの憂いなく、寒さ暑さの気遣いなく、悪魔や世俗や肉慾やに誘はれる心配もなく、ただ何時までも何時までも、形容の(ことば)すらない福楽を(ほしいまま)にするのみであります。

(2)聖人等の此処に昇られた道筋 聖ヨハネの見た大群衆は、何れも身には白き衣を着け、手には棕櫚の葉を携えて居ました。白き衣は其の行いの清浄無垢なるを表し、棕櫚の葉はその天晴れな勝利を示したものである。思うに人の一生は戦いであります。聖人とても、生まれながらに聖人であったのではなく、日々私欲と戦い、世俗と戦い、悪魔と戦い、戦い勝ちてこそ始めて聖人となられたのである。

実に天国の路は狭く、且つ険しい、天国に楽しめる聖人等は、皆この狭い路を歩み、険しい坂を()じ登って漸く彼の楽土に辿り着かれたのである。されば今日天国に楽しみながらも、必ず思い給うでありましょう殉教者等は思い給うでしょう、我々は富みも位も、生命までも(なげう)って、固く天主の御教を守ったればこそ、この福を(むく)いられたのであると。修道者等は思い給うでしょう、我々は天主の為に一切を献げた財産を献げ、快楽を献げ、自由さえも献げたればこそ、この楽しみを(ほしいまま)にすることが出来るのである童貞者等は、自身等が身も心も汚さずして貞潔の誇りを保つたればこそ、今や童貞の冠を戴き、羔の行き給う所に従い、他の人の歌い得ない賛美歌をも歌うことになったのじゃと云い、その他、如何なる聖人等も、誘惑の辛かったこと、各自の義務の重かったこと、苦労の容易でなかったことを思い出し今日の大なる福楽と引き比べて深く自ら喜び、厚く天主に感謝して居られるのであります。

 

 

(3)−我々の執るべき決心 「吾も人なり、彼も人なり、彼之を能くして(われ) に獨り能くせざらんや」実際然うでしょう。聖人も人でした、我々の如く不足勝の人でした、情欲の強い、意志の薄弱な、倒れ易い人でした。固より数多き聖人の中には、始より天主の特恩を蒙って、偉大な善業を行い、非常の功績を立てられた方も無いではありませんが、然し尋常の道を踏み、尋常の行いを行って、聖人と為られた方も少なくはありません。

    例えば聖ヨハネ、ベルクマンスの如きは、イエズス会の一学生でした。非常な行いをした人でもありません。

    唯だ日々学校内に起き臥し、祈るべき時には祈り、勉強すべき時には勉強し、運動の時は運動し、外面他の学生と異なる所はなかったのであります。

    然し彼は万事を信徳の眼で以って視、信徳の心で以って行いました。長上は其の人格の如何に拘わらず、之を以って天主の代理者と信じ一たび命を受けるや少しも猶予せず、直ちに、飛び立って之に従いました。彼は己に克たうと努めました己が情欲を殺そうと励みました、斯うして彼は聖人となりました。聖人となるのが に難からんや。

    我之を欲して、斯に聖人たるを得るのです。ベルクマンスは人でした、我も人です、ベルクマンスは聖人となりました、我もまた聖人たることが出来ないでしょうか。我々は今日特に天国の聖人等を尊敬し、其の伝達を乞い、自ら務め励んで、聖人たらんと決心いたしましょう

 

(一)

 

(1)煉獄に苦しめる霊魂の(あわれ)むべき状態を思いなさい。彼等は善を尽し、美を尽し給う天主を一時も早く仰ぎ()、心を傾けて尊び愛したいと()る瀬なき思いに焦がれて居る。彼等は実に遠島せられた罪人が、故郷の天を恋い慕う以上に、真っ暗な牢屋に繋がれて居る囚人が、晴天白日を(こいねが)う以上に、最愛の母に別れた孤児(みなしご)が其の母にあこがれる以上に主を(おも)い焦がれ、その御国にあこがれて居るのであるが、然し(すこし)の汚点でも残って居る間は、何うすることも出来ない、苦しんで苦しんで、其の汚点を磨き落すより外はない。猶、彼等は自分の犯した罪、等閑(なおざり)にして顧みなかった過失を悔しがり、良心の鞭に(ひど)く責められて居るのであります。終に煉獄には火の苦しみもあると一般に信じられる、その火が如何なる性質のものであるか、如何にして無形の霊魂を苦しめるか、それは明白でありませんが、兎に角、天主の御計(おはか)らいにより、霊魂の汚点を取り去って、之を純の純なるものたらしめる為のものですから、決して生易しいものではないのです。

(2)−我々は煉獄の苦罰を思う毎に、此処に繋がれて居る霊魂に同情の涙を(そそ)がずに居られません。彼の霊魂の中には、我々の父母もありましょう、兄弟姉妹もありましょう、我々が手を携えて共に遊び、膝を交えて親しく語り合った朋友や恩人も居ないでしょうか。我々は父母、兄弟、朋友が火に焦げ、水に溺れるのを見たらば、たとえ手足を濡らし、毛髪を焦がしても、時には生命を(なげう)ってすら之を救おうとするじゃありませんか。然るに今や彼の霊魂等を救うのは、そんなに(むず)()しいものではない、高く雲井を()じ登り、神の御前に出て憐れを請うの必要があるのではない、深く煉獄の底に降り、手足を焦がして彼等を引き上げる必要もあるのではない。時間を多く失い、金銭を多く費やすにもおよびません。貴賎、貧富、老若、男女の別なく、ただ之が為にミサを捧げ、祈祷をなし、苦行や施与(ほどこし)をおこない、贖宥(しょくゆう)回向(えこう)すればそれで事足るのです、世に是より容易い事がありますでしょうか。抑も祈祷と云うものは「願へ、然らば受けん」と云う主の御約束により、願う所を乞い受ける力を有する、だから我々が「煉獄の霊魂を救い給え」と祈りますならば、天主は御約束に従い、我々の願いを聴き容れ、彼等に御憐れみを垂れ給うのである。「祈願は(のぼ)り、哀憐は(くだ)る」と聖アウグスチヌスは()って居られます。なお我々が朝夕称える祈祷文には、百日とか二百日とかの(ぶん)贖宥(しょくゆう)を附けてあります。中にも十字架の道行きの如きは一個の全贖宥を施してありますから、煉獄の霊魂を救うには(あつらえ)向の勤めである。聖レオナルドは曰いました「十字架の道を辿る時、若し天の光に照らされたならば、一留毎行煉獄の霊魂が多く前に立ち塞がり、手を合わせて、我を憐れみてよ、我を憐れみてよ、せめて吾友汝等は!と叫ぶのを見るであろう」と。

    十字架の道行きにも優って尊く有難いのはミサ聖祭である。ミサは天主の御独子の犠牲とならせ給う御祭であるから、其の功徳には限りがない。随って彼の霊魂等に取ってミサは(やみ)を照らす太陽である、(しお)れた花を活かす甘露である、(ほのお)を消す為の水、牢屋の門を開く鍵、囚人の解放、死者の甦りとも()うべきものであります。

 

苦行や施与(ほどこし)も大したものである。金口聖ヨハネは、「断食はエリアを天に登らせた」と曰い、聖エフレムも、「断食は天に登るの車だ」といいました。我々は(しばしば)断食すること出来ない、随ってエリヤの如く火の車を作り得ないが、然し一個の不可思議な天秤を有って居ます。この天秤の右の皿に、我々の苦労、艱難を盛りて重しとなし、左の皿に煉獄の霊魂を置いたら、重しは下がって彼の霊魂は上がります高い天の上までも上がります・・・我々は冬の寒さを感ずる、然しこの寒さは愛を以って之を堪え忍ぶと、以って煉獄に焼かれつつある霊魂を冷やすべき氷ともなります。

    我々は夏の暑さに苦しみます。然しこの暑さは以って煉獄の火を変じて、涼しい風ともなすことが出来ます、我々は時として面倒臭い命令を受け、窮屈な規則に縛られる。然し之を以って煉獄の中に繋がれて居る彼の霊魂等の綱を解いてやることが出来ます。

    往々身に不快を覚え、頭痛を催し、手足は(いた)み、(からだ)は疲れ果てる。然し是こそ彼の霊魂等を高く天の上にまでも釣り上ぐべき天秤の重しだと云うことを思わば、其の位の病苦や、疼痛が何でしょう。其の他煉獄の霊魂の為にとて憐れな人を恵み、施与をなしますと、その施与を受けた人が助かるばかりでなく、また煉獄の霊魂もそれに由って慰めを得、苦しみを和げられる、誠に以って一挙両得であると()わなければなりません。

 

 

 

 

(3)−煉獄の霊魂を救うべく務めると共に、また自分の為にも、その煉獄の苦罰を軽減くする様、心掛けねばなりません。今、煉獄に苦しんで居る霊魂は、たとえ重大な罪を犯したことがあったにせよ、既に痛悔して、その赦しを蒙って居るのである。中には大徳を数々積み、大功を多く重ねた忠臣義子も少なくはない、然るに軽微な罪を犯した為、僅かに償いが残って居る為に、斯くまで厳しく処罰し給う天主の正義を思わば誰か戦慄を禁じ得ますでしょうか。昔から聖人と尊ばれ、義者と(あが)められる人々は、常に小心翼々として、小さな罪までも恐れ慎んだものでした。我々も後日天の大宮を飾るダイヤモンドともなりたいと思わば、小罪たりとも平気で犯してはならぬ、犯した程の罪は、なるべく今の中に償う様に心掛け、艱難苦労に出遭(でくわ)した時は、是こそ我が玉を磨き上ぐべき金剛砂だと思い、喜んで堪え忍ばねばならぬ。聖アウグスチヌスの如きは、「此処で焼いて下さい、此処で切って下さい、永遠にさえお赦し下さらば」と祈られました。実際()うでしょう。後の世で焼かれるよりか、今焼かれたが得じゃありませんか、後の世で られるよりか、今 られたが(まし)じゃありませんか。だから皆さん後日切歯(はがみ)して泣き叫ぶよりは、むしろ今の中に身を慎み、小罪をも注意する様に務めましょう。やたらにこの体を撫でさすって、後日魂を焼くべき薪を蓄えるよりは、むしろ艱難を忍び、苦行を喜んで、永遠に楽しまれる様にして置きましょう。

(4)−結び それは(それ)にしても、今日は特に煉獄の霊魂を救うべく務めなければならぬ。親、兄弟、親戚、朋友の()めつつある煉獄の苦罰は()んなに恐ろしく、之を救い出す道はさして困難ではないのですから、我々は世の多くの人の如く、平気で高所(たかみ)の見物をして居てはならぬ、今よりは熱心を倍して、祈祷をなし、贖宥(しょくゆう)を儲け、艱難を忍び、貧者に施し、殊にミサ聖祭を献げて、彼等を救い出す様に致しましょう。さすれば救い出された霊魂は、亦、必ず我等の恩を忘れず、天国に昇った上は、必ず我々の為に祈り、熱心に伝達をして下さいます、否、聖人等の御説に由ると、早や煉獄に居る中から、自分の恩人の為に祈ることが出来ると云うことであります。「(さいわい)なる(かな)、慈愛ある人、慈悲を得べければなり」、我々は大いに慈悲を蒙らなければならぬ身の上ですから、自分でも力の及ぶ限り、煉獄の霊魂に慈悲を施すべく務めましょう。

 

 

 

(二)如

 

(1)−煉獄に苦しんで居るのは、すべて天主の正義に充分の償いを果さずして現世を去った霊魂である、して見ると、彼の恐るべき煉獄を通らないで、直ちに天国え這入れる霊魂は極めて稀であると思わなければなりません。人は毎日毎日幾多の罪を犯して居ますか。して償いはと云えば、何一つ遣って居ないのです。取り分け不思議に思われるのは、最も罪の多い人や、最も品行の正しくない人が、最も償いをしない人であることです。罪が多くて重ければ、償いも亦それほど多くて重からねばならぬ、随って多くの困難を堪え忍び、多くの大齋をなし、多く身を責め苦しめ、多く祈祷をなし、多く償いの業を果たさなければならぬ筈でしょう。然るに実際は其の反対で、そうした人に限って、償いの業は一つもやって居ないのですから、是非とも後の世に於いて、非常に恐ろしい苦痛を堪え忍んで、其の償いを果たすより外はないのであります。

(2)−今この道理を一層明瞭にするが為、即ち一生の間、快楽の中に月日を送り、少しも我と我が身を苦しめるでもなく、我が身の上に落ちかかって来る悲しみ苦しみをば、償いとしてじっと堪え忍ぶと云うこともないならば、たとえ天主の御憐れみにより、罪の赦しを得て死するの幸福を忝うしたにしても、如何に重大な償いが後の世に残るであらうかと云うことを、よくよく悟るが為には、昔頃、信者の信仰が熱烈な時分、公の罪人に課せられる償いが如何なものであったかと云うことを考えて見るが可いかと存じます。

    其の償いは今のようにコンタスを一日か、三日か、一週間か誦えると云う位ではない、実に三年、五年、七年、或いは一生涯と云うように長いものでありました。一例を挙げますと、天主に向って冒涜の言を吐いたり、誓いを破ったり、邪淫(じゃいん)の罪を犯したりしたものには七ヶ年の償いを命ずることに定まって居ました。夫れのみならず、聖ボナウエンツラは「聴罪司祭の案内」と云う書の中に、「償いを命ずるのは司祭の自由だけれども、然し大罪にはすべて七ヶ年の償いを命ずべきものとす」と書いて居られます。是は(もと)より公の罪に当る償いのことで、告白場に於いてのみ知られた罪に対しては、そんなに公の償いを命ずると、告白の秘密が洩れることになりますから、それが出来ないのは申す迄もありますまいが、然し密かな罪といえども、公の罪よりも遥かに重くて大きいのが少なくないでしょう。

    随って公の罪より猶更ら重い償いを課せられねばならぬ場合も無いではないのです。して見ると、我々の如く色々と大罪小罪を重ねて居る罪人は、当然如何なる償いを命ぜらるべきであるかと云うことは決して分かり難い話ではありますまい。然し善く承知して戴かねばならないことは、それほど厳しい償いでも、夫れは償いの全部ではない、天主が正義によって課し給う償いの一部分たるに過ぎないことである。之によって考えて見ましても、死後我々は如何なる償いを果たさなければならぬのであるかと云うことは、(おぼろ)げながら悟れぬこともありますまい。世の人の犯して居る罪と云う罪は実に恐ろしいものである。して其の償いと来ては、一ヶ月でも、否、一週間でも、否、一日でも碌に果たして居ないと云う位、さすれば、たとえそうした罪人が天主の御憐れみにより、罪の赦しを得て現世を立つと致しましても、其の行き先は煉獄でなくて何処でございましょう。

 

(3)−もし幸いにして大罪を犯したことがない、洗礼当時のままの無罪を保つて世を渡ったと致しましょう。夫れでも毎日毎日幾れほどの小罪を犯して居ますでしょうか。毎日幾れほど無益な考えを起しますか、幾れほど益にもならぬ饒舌を致しますか、幾れほど好奇心に駆られて居ますか、拙らぬ計画をやり出すことは幾何でしょう、無暗に心配する、堪忍を破る、(なま)ける、心を散らす、遊興に、無駄話に、虚栄に(ふけ)り、徒に時間を費やして居ることも幾何でしょう。斯の如くして償いを果たさなければならぬ時間をば、罪を犯すが為に費やして居るようでは、煉獄の苦痛を減じ、其の償いの時を短少めることはさて措き、却っていよいよ之を増して居る、却っていよいよ之を長くして居ると云うものではございませんでしょうか。所でもし現世に生存えて居る間には、負債だけで、一つも支払うことがないならば、是非とも後の世に於いて其の支払いを果たさねばならないことは、火を見るよりも明らかでございましょう。

(4)−今まで申上げました所を以っても、煉獄に苦しんで居るのは如何なる霊魂であるかと云うことは(ほぼ)判断が付きましょう、天主がその恐るべき正義によって、煉獄に拘留し給える霊魂は、現世に在る間に、其の罪の償いを残らず果たさなかった霊魂であって、信者の霊魂は百の九十九迄はそれであると云っても、過言ではありますまい。然しながら、もし一層明らかに、(だれ)(それ)の霊魂と、掌を指すが如く知りたいと思いなさいますならば、お目に懸けることも出来ないものではありません。それは即ち皆さんの御父様の霊魂、御母様の霊魂、皆さんの御主人なり奥様なりの霊魂、皆さんの可愛い子女(こども)さんの霊魂ではありますまいか。皆さんの()く識って愛して居られたお朋友や、隣近所のお方々、皆さんの大変御世話になられた恩人の霊魂ではありますまいか。其の他すべて天主の御憐れみの上より与えられた時間を善く使はない、罪の償いもしない中に、その厳しい法廷に召し出された霊魂等でありましょう。

    そこでもし皆さんの心に未だ夫婦親子の情愛と云うものが残って居ますならば、朋友や恩人に対する親愛と云うもの、感謝と云うものが多少とも存じて居ますならば、彼の哀れな霊魂に対して、可哀相に!と云う思いが少しでもありますならば、今こそ夫を表現すべき時ではありませんでしょうか、皆さんは自分の愛するお父様や、お母様が病にかかり、柔らかい布団の上に寝んでいらっしゃるのを見てさえも、何んなに心苦しく覚えられましたでしょう。我が身が代わって苦しんで上げたいとも思いなさいませんでしたか。然るに今やその同じお父様なり、お母様なりが、非常に恐ろしい苦しみの床に、世界にあるほどしの苦痛を(ことごと)く集めても比較にならないほどの苦痛の中に悶え悩んでいらっしゃるのを見ながら、平気で居られますか。

    嘗ては可愛い我子が悲しんで居るのを見、苦しんで居るのを眺めては身も世もあられぬ思いして、何んとかして慰めてやりたい、其の涙を拭ってやりたい、責めては一緒に貰泣(もらいな)きに為り泣いて見たいと云う位でありましたでしょう。然るに今や其の可愛い我子が非常に恐ろしい苦痛に泣いて居るのを見ながら、何うしてじっとして居られましょう。もしや皆さんの御主人なり奥様なり、お朋友なりが何かの都合で遠島にされなさった、監獄に打込まれなさったと云うならば、皆さんは如何に悲しみ悶え、何とかして之を救い出すべく奔走しなさいますでしょうか。夫れに今日、その同じ御主人なり奥様なり、お朋友なりが、天主に遠く離れ、恐ろしい煉獄に打込まれて、偏に皆さんの救助を俟って居ると云う悲惨な場合でありますのに、何うして之を救い上げる為に何等の奔走もせずに居られますでしょうか。

 

あゝ実に天主の正義は厳しい、憐れみの神にて在しながら、どうして愛する我子を是れほ

ど厳しく取扱いなさるのでしょうか。全善(ぜんぜん)の神にて在しながら、どうして其の善人の霊魂を斯くまで容赦なく罰し給うのでございましょうか。十字架に磔けられ給うた愛のイエズスでありながら、御自分の御血によって救はれた霊魂をば、斯うしてまで潔め給うのでございましょうか。然し天主の正義は恐ろしいと云っても、人々の無頓着、無感覚もまた甚だしいではありませんか。自分とは親しい、切っても切れぬ仲になって居る霊魂が、斯うした厳しい罰に処せられて居るのを身ながら、之を憐れむ、之に同情を寄せることを知らないと云うは、不人情もまた極まるじゃありませんか。

(5)−今彼の霊魂等が煉獄に苦しんで居る原因を思って見なさい。皆さんの御父様は、皆さんの為に財を貯えよう、身代を善くして上げようと、余り夫れのみに熱中して、為に霊魂上の務めを怠られた。皆さんの御母様は、皆さんを余りにも甘く優しく育てられました、皆さんの髪を飾り、顔を飾り、衣服を飾り、夫ればかりを心配して、親の務めを等閑(なおざり)になさいました、皆さんの霊魂を飾らうとは思って下さいませんでした。皆さんの子女さんは皆さんの間違った、良からぬ望みにあまりにも易々と従いました、皆さんの朋友は罪になるまで皆さんの言う所、為す所に賛成してくれましたから、今、煉獄に苦しんでいらっしゃるのじゃないでしょうか。

    すべて何人にしても煉獄に下って見たならば、自分の悪い勧誘、悪い鑑を以ってこの苦しみの場に突込んだ霊魂が少なからずあるのに驚く所はありますまいか。そうした霊魂に対しては、是非とも之を救い出すべく力を尽すのは当然の義務ではありませんでしょうか。

    我々故に彼の恐ろしい煉獄に苦しんで居るのだとすれば、責めてもの罪滅ぼしに、之を救い上げねばならぬはずでしょう。殊に彼の霊魂等は煉獄に落ちてからと云うものは、自分では何等の善業をも為すこと出来ず、ただ天主より定められた時期の来るのを()つか、或いは世の情けある人々の救助に縋るかするより外はないのである。斯う云う憐れな人を救うのは、実に何よりも立派な慈善業であります、慈善業はただ先方の為になるのみならず、此方にも随分益になる、「(さいわい)なる(かな)、慈悲ある人、慈悲を得べければなり」とイエズスは(のたま)うて居る。然らば我々が今煉獄の霊魂に慈悲をかけましたら、我々も亦天主の御慈悲を蒙ることが出来る。

    確かにそれが出来るのであります。其の上我々より救われた霊魂も天に昇ってからは決して我々の恩を忘れるものではありません、始終我々の為に祈って下さる、我々が誘に遭うのを見ては、之に打ち勝つ力を祈り、罪に落ちたのを見ては、痛悔する聖寵を求め、善を行って居るのを見ては、終わりまで続いて益々善に進む根気を、病に罹った時は、善く之を耐え忍ぶ力を、臨終に当っては、善き終わりを遂げるの聖寵を求めて下さるに相違ありません。して慈悲ある人に殊更、慈悲を垂れると云う天主は、その霊魂等の祈りを拒み給うことがありますでしょうか。否、聖人等の御説に由ると、彼の霊魂等はまだ煉獄に在る中にも、自分等の恩人の為に祈ることが出来ると云うのであります。

    して見ると煉獄の霊魂を救うのは、我々の当然の義務であるのみならず、それによって我々の得る所も決して少なくはないのであります。

 

 

(三)煉獄の霊魂は如何なる苦しみを嘗めつゝあるか

 

(1) 煉獄の苦痛の如何なるものなるかを説明するのは、なかなか以って容易なことではない、ただ聖人等が之に就いて如何なる考えを抱いて居られたかと云うことを二つ三つ申上げることに致しましょう。

    先ず聖チブリアヌスは曰はれた、「たとえ殉教の苦しみを(しの)いでも、今の中に罪の償いを果たして置くが可い。後の世までさし延ばしたならば、彼の恐ろしい煉獄の中で、極々小さな罪までも償はなければならないから」と。聖セザリウスは曰はれた「何人にしても天国にさえ昇れたら、(たす)かることさえ出来たら、煉獄に幾ら長く苦しんでも構わぬ、と夢にも思ってもならぬ。煉獄の苦痛は、此の世に於いて人が堪え忍ぶこと出来る総ての責め苦、否、想像すること出来る総ての責め苦よりも、未だ未だ堪え難いものであるぞ」と。

    聖アウグスチヌスも同じく申されました「此の世の苦痛を皆んな集めても、煉獄の苦痛と比べたら何でもない」と。

    聖エロニムス、聖グレゴリウス、其の他の聖人等も皆そう仰有って居ます。聖トマス神学博士の如きは、「煉獄の苦罰は地獄の苦罰と変わった所がない。ただ終があるのと終がないとの差別があるばかり」とまで曰はれた位であります。

(2)−()ういう訳で、煉獄の苦罰がそれほど猛烈(はげし)いのであるかと云うに、煉獄にも地獄と同じく損失の苦罰と感触の苦罰とがあるからである。

    損失の苦罰と云うのは、御承知の通り、天主を見ること出来ない苦しんで、最も堪え難いものであります、天主を見ること出来ないのが、何うしてそんなに辛い、苦しい、堪え難いものであろうかと不審に思う御方があるかも知れませんが、然し一寸考えて御覧なさい。この世でも、蝶よ、花よ、と可愛がって居た一人娘を失った時の母親、朝夕楽しみ暮らして居る其の妻より突然引き離されて、遠い島地に流された夫の身になって見なさい、我が身に経験しないならば、その悲しみ苦しみの程は到底察すること出来るものではありますまい。然し幾ら悲しい苦しいと申しましても、現世には別に慰藉(なぐさめ)となるものが色々あります。親、兄弟も居れば朋友も居る、目を喜ばすものもあれば、耳を楽しますものもある。所で死後は現世の何も彼も掻き消されてしまい、ただ自分ひとりが限りも涯しもない世界に入って行き、完全で、円満で見ても見ても見飽くことのない美しい楽しい愛すべき天主を連りに捜し、之を仰ぎ見たい、之を楽しみたいとするのでありますが、然しそれを許さない、却ってその愛し慕える天主より引き離され、物凄い、苦しい牢獄に打込まれるのであります。しかも自分は万善に満ち、万徳に溢れさせ給う天主その天主の光栄の輝き、その勝れたる御力、その限りなき御慈愛を十分に(わきま)えて居る。随ってそれが始終眼前にちらつき、その天主を見たい、その天主に飛び付きたい心は弾丸が銃先(つつさき)より打ち出された時よりも、鉄が磁石に引き付けられる時よりも、まだまだ早く、激しいのでありますが、然し身に汚点の付いて居る間は、何うしても其の望みを遂げること」出来ないのです。其の苦痛のほどをよくよくお察し下さい。

 

(3)−感触の苦痛と云うは火である。()()しい火に焼かれる苦しみである、其の火は物質的、火であるか、或いは単に霊魂の覚える苦痛を形容して、火と云うのであるか、聖人等の中には之を(たと)()の意味に取るべしと云う御方が一人や二人はないでもないが、然し実際の火であると云うのが、一般の通説になって居ます。けれども肉体を離れた霊魂が何うして物質的、火に焼かれるのでしょう?それは霊魂が火に繋がれて、儘ならぬ所から苦痛を感ずるのだ、と説く人があります。或いは又天主の全能力によって、今、我々の霊魂が肉体と一つになって居りながら、火に焼けると、痛みを感ずるが如く、肉体を離れてからも、同じ痛みを覚えるようになって居るのだ、それは決して(かた)いことではない、と主張する人もあります。凡て被造物には二様の力が備わってある。一つは自然的力で、今一つは造物主たる神の命令に従って作用する力である、例えば火は其の自然的力を以っては物質を焼くこと出来るが、無形物を焼くことは出来ない。けれども一たび全能の天主がこの火を以って霊魂を苦しめようと思召しになると、夫れだけの働きをなすことが出来るのであります。次に此の火は同じ火であるが、其の霊魂を苦しめるに至っては決して一様でない。なぜと云えば、火は天主が彼の霊魂等を清める為にお使用になる道具である。道具と云うものは、同じ道具でも使い様によって色々と働きを異にするもので、同じ刀でも力を入れて斬れば首が飛ぶ、力を入れなければ皮をかするに過ぎない。

    それと同じく、同一の火でも、罪の軽さ重さ、多い(すくな)いに応じて苦痛を与えることも違って来るのである。して見れば重い重い罪を犯し、数々の過失を重ねたものは、如何に厳しく恐ろしい苦しみを忍ばねばならないでしょうか。

(4)−(もと)より煉獄の霊魂は地獄の霊魂見たように失望したり、天主を怨んだりするようなことはない却って自分が罰せられたのは当然だ、自分を斯う云う汚らわしいもので、到底このままでは天主の御前には出られないのだから、この苦しみによって早く汚点を清めてしまいたい、と一心に(こいねが)って居るのでありますが、また夫れと共に、一刻も早く天国に昇り、天主を(まのあた)りに仰ぎ視て楽しみたいと(しき)りに望むのである。天主を仰ぎ視て楽しみたいと望むに連れて、天主の美しく愛すべきことや、天国の云うに云われぬ楽しみやが、眼前に浮かんで来る、浮かんでは来るが、未だ何時まで(たた)なければ、其の楽しみが得られない、其の天主が仰ぎ視られないのだと思うと、愈々苦しく口惜しく覚えるのである。「ああ私はなぜ早く償いをしなかった!なぜ斯う云う色々の罪を犯した?・・・あの病を与えられた時、償いとしてよく忍んで置けばよかったに!彼の難儀苦労に出遭した時、なぜ償いと思って快く堪えなかったのだろう?なぜ祈祷や、ミサや、聖体拝領や、其の他の信心の務めをよく尽さなかったのだろう?なぜ布教の為め、慈善事業の為め熱心に奔走しなかったのだろう」と(しき)りに(もだ)えるのであります。

    兎に角、煉獄に於いては斯う云う激しい苦痛を嘗めねばならぬのですから、何人も救かることさえ出来たらば!とは思わずに、今の中に早く我が罪の償いをするように、又、小罪だからとて、平気で之を犯さないよう注意しなければならぬ。なお、煉獄の苦しみを恐ろしく思えば思うほど、其処に苦しんで居る霊魂等を救い出すように務めるこそ然るべきでありましょう。

 

(5)−天主は正義によって彼等の為に苦しみの時期を定めて居られる。然し皆さんは其の時を()()めて上げることが出来ます。天主は正義によって彼等を火の中に焼いて居られる。然し皆さんは其の火の力を弱めるか、或いは全く消してしまうだけの水を充分お持ちである。天主は正義によって彼等を牢獄に打込(ぶちこ)んで居られる、然し皆さんは其の牢獄の門を開く鍵をお持ちである。然らばお父様は子供さんの為に、子供さんはお父様の為、お母様は娘さんの為に、娘さんはお母様の為、生ける人は死んだ人の為に、早く彼の牢獄の門を開いて、彼等を天国に昇らしめる様、務めなければなりません。

    考えても御覧なさい、お父様、お母様にせよ、子女さんにせよ、夫婦や兄弟や、朋友やにせよ、生ける間は、何うにかして我子を、我親を、我夫を、妻を、親戚朋友を幸福ならしめたい、その悲しみを慰めて上げたいと心配したものでしょう。

    然らば今、何とも云うに云われぬ苦しみに沈んで居るのを見ながら、何うして高所から見物して居られますか。耳を澄ましてお聴きなさい。彼の霊魂等は皆さんに向って(しき)りに救助を叫んで居るじゃありませんか。皆さんによって救い上げられたいと、一心に()ち望んで居るのじゃありませんか。

    今皆さんの足下が開けて、煉獄に苦しみつつ、皆さんの助けを叫んで居る霊魂等を(まのあた)りに見ることが出来ましたならば、否な、其の霊魂の中の一人でも皆さんに顕れて参りましたならば、何にも頼まれない中から、その憐れな姿を一見したばかりで、同情を催し、何とかして早く救い上げたいと云う気にならずに居られますでしょうか。然し実際足の下が開けないでも、実際霊魂が顕れて来ないでも、心の眼をあけて、自分の親兄弟が苦しみに苦しんで居る有様を眺めなさい。心の耳を傾けて、その恐ろしい火の中から悲しい声を絞って「私を憐れんで下さい、私を憐れんで下さい、我子よ、我兄弟よ、我友よ」と叫んで居るのをお聴きなさい、何うして知らぬ顔がして居られますか。どんなに難しい、苦しいことでも(いと)はぬ、是非之を救い上げたいと云う気になるべきではありませんか。

 

 

(四)煉

 

(1)−墓と煉獄とは不思議な関係を有するかのように思われます。即ち墓は譬えば肉体の煉獄で、煉獄は霊魂の墓である。墓の中では、肉体が壊れ、姿が変わってしまう。煉獄では霊魂が汚点を磨き落として立派な姿になり変わる。墓は肉体が犯した過失を()()いられる処で、煉獄は霊魂がその重ねた罪を罰される処である。墓の中には、肉体が天使の喇叭(らっぱ)によって復活する時を()って居るが、煉獄では、霊魂が世の人の助けによって、天国え(よみ)()えるのを竢って居るのであります。

    然らば何うして煉獄の霊魂を蘇生えらせることが出来ますか。彼等を蘇生えらせるのは、「我は復活なり、生命なり」と称し給うたイエズス・キリストの功徳によるの外はありません。()って御主はラザルの墓の前え行かれました。墓からは屍の腐った臭い(におい)が出て居るのでした。それにたった一口、「ラザル、外え出よ」とお命じになりますと、ラザルは忽ち蘇生えつて出て参りました。

   然し主の御血には御言(みことば)以上に力があります。ミサ聖祭に於いて献げられるその貴い御血の功徳を以ってすると煉獄の霊魂すらも救い上げて謂はば天国え蘇生らせることが出来るのであります、私は今席、

(イ)ミサ聖祭は煉獄の霊魂を慰める方法の中で最も有効である。

(ロ)最も有効にして且つ平易な方法である、と云うことを申上げたいのであります。

(2)−ミサ聖祭は煉獄の霊魂を慰めるに最も有効な方法である。公教要理には「祈祷、善業、(しょく)(ゆう)、殊にミサ聖祭を以って煉獄の霊魂を助けることができます」と教えてありますが、実に煉獄の霊魂を救い上げる方法は一にして足りない。然し其の中で最も有効なのはミサ聖祭である。イエズス・キリストの御体、御血の献げられ給うミサ聖祭であります。旧約時代には三通りの祭が行われたものでした。第一は天主を礼拝し、その無上の主にて(ましま)すことを尊ぶ為の祭で、之を(はん)(さい)と称し、犠牲を残らず焼いて献げるのでありました。第二は平和の祭と称し天主から戴いた聖恩を感謝する為、或いは新たに聖恩を(こい)求める為に献げる祭。第三は贖罪の祭と称し、天主の正義を(なだ)め、犯したる罪の赦しと、其の罪に当る罰の赦しとを蒙る為に献げるのでありました。新約時代になりましてからは、祭と云えば唯ミサ聖祭一つでありますが、此の祭は旧約時代の祭の功徳を残らず兼ね備えて居るのみならず、天主をほめ尊ぶにしても、その聖恩を感謝するにしても、その御心を動かして聖恩を乞い求めるか、その御怒りを宥めて罪の赦しを蒙るかするにも、到底旧約時代の祭の及ぶ所ではありません。取り分けこのミサ聖祭を以っては、我々の数重ねた罪の償いが確かに赦されるのであります。聖パウロは()って居る、「もし牝山羊、牡牛の血、及び若き牝牛の焼灰を注ぐ事が、穢れたる人々を肉身上に於いて潔めて聖とするものなれば、況や聖霊を以って己が(けが)れなき身を神に献げ給いしキリストの御血は我等の良心を(きよ)むべきをや」(ヘブレオ九ノ十三)と。

 

そこで我々の罪がどんなに大きく又多いにせよ、主の聖なる御血がたった一滴でも之が上に注がれたら、以って之を洗い潔めるに余りあるのである。

聖アウグスチヌスは曰いました「天主が汝に罪の赦しを与え得給うと知りたいですか、耶蘇(イエズス)(キリ)(スト)が汝に罪の赦しを得させんが為に、何をお与えになったかを見なさい。耶蘇基督はその貴い御血をお与え下さったじゃありませんか」と。

 実に耶蘇の御血ほど貴いものが世界に又とありますでしょうか。天にも地にもこの御血に比べらるべきものは他に何一つとしてありますまい、たとえ天主が正義によって我々を罰しようとし給うでも、この御血さえあらば、充分に之を償うことが出来ます。よしや我々の負債は限りない、我々の罪は数えも(はか)りもされないほどである、我々の受くべき罰は永遠に窮まりなかるべきであるにしても、狼狽(うろた)えるには及ばぬ。耶蘇の御血には限りなき力がある。其の一滴を以っても数限りなき罪を悉く消滅し、永遠の罰をも赦していただくことが出来る。して耶蘇はただ一滴や二滴の御血を我々にお与え下さったばかりではない、実にその貴い御血を(ことごと)(しぼ)り尽くして一滴も余さずお与え下さったのであります。耶蘇の御血はただ生きた人の為になるのみならず、亦、

死んだ人の為にもなる、この御血が煉獄え流れ下ると、忽ちにしてその恐ろしい火を消し、其処に苦しんで居る霊魂を救い上げ、天国の門を開いてやることが出来る。だから「キリストの御血は天国の鍵である」と聖人等から云はれるのであります。

 

(3)−茲に興味深い問題が一つあります、ミサ聖祭の功徳は無限であるが、基督はその無限の功徳を無限に施しなさるのでしょうか。之を解決するが為には、先ずミサを献げる司祭が蒙る功徳と、司祭が何某(なにがし)の為にと云って回向(えこう)する其の功徳は別にして、一般にミサを拝聴して蒙る功徳に就いて少し御話いたしましょう。第一ミサ聖祭は之に(あづ)()る人に特別の聖寵を蒙らしめるのである。この聖寵は我々の準備次第で多いことがあり、少ないことがある。すべて秘蹟を授かる時は、相当の準備さえあらば、必ず聖寵を蒙ることは蒙るのですが、然し信心が(あつ)ければ篤いほど、聖寵の蒙り方が多くなる。二合の信心を以って聖体を授かれば、二合だけ聖寵を戴き、五合の信心を以って拝領すれば五合程の聖寵を戴く。一升一杯の信心で拝領すれば亦それほどの聖寵を(かたじけな)うするのであります。ミサ聖祭も(ちょう)()れと同じく、之を拝寵する人の信心次第で()れだけでも聖寵が蒙られる。其の信心は何処迄も増されるのでありますから、ミサの功徳も殆んど限りない迄に蒙られる訳であります。そこで何人(たれ)にしてもミサを拝聴する時は、成るべく熱心に之を拝聴するように注意しなければなりません。第二、ミサの功徳は拝聴する人の数に応じて横に広く遠く延長(のび)る。百人居れば百人に、千人居れば千人に其の功徳が施されるのですから、唯一人でミサを拝聴するから、多く功徳を蒙る、百人や千人一緒に拝聴するから其の功徳が少なくなると云う気遣いはない、もし拝聴者の数の多くなるに随って功徳の減少を来たすものとすれば、ミサを拝聴する時は、聖堂の門を締め切り、自分一人で拝聴し、功徳を丸儲けに儲けるようにしますでしょうが、実際は其の反対で、聖会はなるべく多くの人にミサを拝聴させ、拝聴する人の多い時は、特別に蝋燭を多く(とも)したり、聖歌を歌ったりして、盛んに執行するのであります。第三、ミサ聖祭の功徳によって、如何なる恩恵でも請い受けることが出来る。実にミサ聖祭は十字架の祭と同じ祭である。随ってミサ聖祭に於いて御願いをするものは拙い我々でなく、天主の御子である。「是ぞ我が心を安ずる愛子なる」と天父に呼ばれ給いしイエズス・キリストである。御父は何うして其の御獨子(おんひとりご)の御願いを、十字架の上に死する迄も従い給うた其の御獨子御自分の光栄を計るが為に、身を無きものとされた其の御獨子、御自分の愛の為に犠牲となられた其の愛子の御願いを謝絶するを()(たま)うでございましょうか。聖パウロは曰いました「キリストは肉身に(ましま)しゝ時、祈祷と懇願とを献ぐるには、大いなる叫びと涙とを以ってし給いしかば、其の恭しさによりて(きき)()れられ給えり」(ヘブレオ五ノ七)実にイエズスは御受難の節に当って、神の貴きを持ちながら、唾に汚れ、血潮に塗れ、頭には茨を冠りて御父の御前に拝伏しなさいました、天地万物の御主たる身でありながら、口には酢と(にが)(きも)とを味はされ、喉は焼くが如く渇き、両眼には涙の瀧を溢らして、罪深い我々の身代わりとなりて、御父に謝罪して下さったのである。全能全知の神の御身に在しながら、手足は十字架に釘つけられ、脇腹は槍もて突き通され、其の罪一つない御体は一面に傷だらけとなり、我々に代わって罪の赦しをお願い下さったのであります。御覧なさい、其の御顔の唾を、其の御手足の釘を、其の御脇を刺し通せし槍を、其の十字架を、御傷を、御涙を、御血を、此等が皆声を揃えて我々の為に憐れみを叫んで居るのであります。何者か敢えて此声に心を動かさないで居られましょう。神殿の幕が二つに裂けたのは当然である、地が震動いたのは当然である、岩石が破れたのは当然である。天主の御怒りが宥まり、悪魔が其の折角(わし)(つか)みに(つか)んで、居たものを取り逃がし、地獄の門は閉ざされ反対に天国の門が大きく開かれたのも決して不思議ではありますまい

 

(4)−イエズスはこの十字架の聖祭が如何なる効果を有するかと云うことをよくよく御存知あそばすのでありますから、毎日祭壇の上に於いて、献げ方こそ異なるが、やはり同じ祭を献げ給うのである。やはり(むちう)たれ、茨を(かむら)せられ、唾を吐きかけられ、御血に(まみ)れた体になって、その(つらぬ)かれ給える御手を挙げ、御足を示し、その刺され給える御脇を開き、天父に向って叫び給う「憐れみの御父よ、この罪人を憐れんで下さい、彼等は盲者も同然で何をして可いか分からないで、悪事を働いたのでありますから、何うぞお赦し下さい、彼等が籠じ込められて居る牢獄の門を開き、彼等の繋がれて居る ()(さり)を断ち切って、折角私が()んな辛い目を見て、(あがな)ってやった霊魂でございますから、何うぞお救い下さいまし」と。この強いお叫びの声には、御父と(いえど)も何うして御耳を傾け給はぬはずがありますでしょうか。

(ロ)ミサは煉獄の霊魂を救うに最も有効にして且つ平易なる方法である。

(5)−ミサ聖祭は煉獄の霊魂を慰めるに最も有効な方法である。なぜならば他の祈祷や、善業や、贖宥(しょくゆう)やと云うようなものは、之を行う人が先づ(せい)(せい)の聖寵を()って居なければ格別の(かい)がない。断食をしても、施しをしても、其の他の善業を果たしましても、大罪を抱いて居るとすれば、煉獄の霊魂の為に大した慰安(なぐさめ)とはなりません。

所でミサは然うでない。何時でも有効である。拝聴者の心の状態が如何であるにせよ、之を献げる司祭の心の如何に拘わらず「(なにがし)の為に」と云う意向を以って之を献げさえすれば、必ず其の霊魂の為になる、なぜかと云うに、ミサはイエズス・キリストが、自ら御自分の名を以って献げ給う御祭である。随って何時でも限りなく天主の聖心に(かな)う、天主はミサを捧げる司祭の手が汚れて居るか、拝聴する信者の心が罪に黒ずんで居るか、それを顧み給はずして、ただ最愛の御子の汚れなき御手を顧み給う。そのミサに於いて犠牲、且つ司祭にて(ましま)す御子の(うる)はしき御心情を打ち眺め給うのであります。

尤も熱心な司祭、罪のない司祭が心を籠めて献げるミサと、不熱心で罪に汚れて居る司祭の献げるミサとの間には、少しの異なる所もないとは申しませんが、然しミサの(おも)なる効果は、其の犠牲たるイエズス様、第一の司祭たるイエズス様より来るのですから、司祭や信者の心の如何に関わらず、間違いなくその効果を生ずる。随って煉獄の霊魂を慰めるのに是れほど有効な方法はないのであります。

 

(6)其の上、ミサは最も平易な方法であるー皆さん、煉獄の関門を打ち破らうと思いなさいますか、天国の門を大きく推し開いてやろうと思いなさいますか。神の羔が献げられ給う時、その汚れなき御血に皆さんの指を染めて之を天に上げなさい。天国の門が如何ほど厳重に構えてあるにしても、この御血の力にだけは抵抗は出来ない、直ぐ「ギイ」と大きな音がして開いてしまいます、天使等は急いで煉獄の底に降り、そこに繋がれて居る霊魂をお救い上げ下さるのであります。

   ヘブライ人が、アラビアの荒野で天主に不平をならべた時、天火が降って(また)瞬間(たくま)に一万五千人を焼き殺しました。然し大司祭のアヽロンがモイゼにせき立てられ、急いで香炉に(にゆ)(こう)を入れて天主に献げますると、その恐ろしい天火は忽ち(きえ)()せたと云うことであります。

    ミサ聖祭を以って煉獄の火を消すのはより容易であります。皆さんの愛する人が恐ろしい火に焼けて居る、(しき)りに皆さんの救助を祈って居る、それも(むつ)()しいことを願うのではない、ただ「ミサを一つ献げて下さい」と願って居るのである。聴き容れて上げて下さい。さすればイエズス・キリストは必ず御血を(そそ)いで、その霊魂の焼けて居る火を消し、之をお救い上げ下さるに違いありません。

そうするが為には、そんなに沢山のお金を要する訳でもありません。少し晩酌を控えるか、お肴を節約するかすると、一円か二円かのお金は直ぐ出て来ましょう。考えても御覧なさい、天主の御子は彼等を救い上げんが為、御血を流し給うた、其の苦痛を免れしめんが為、自ら苦しみ給うた、罪のない御体に鞭を加えられ、茨を(かぶら)せられ、(かた)(くぎ)に打ち(つらぬ)かれ、(あら)ゆる責め苦に遭はされ給うたじゃありませんかそれに一杯の晩酌を。一皿のお肴を控える位が何でございましょうか。

斯う云う次第でございますから、煉獄の霊魂を救う為の最も有力な方法として、皆さんは成るべく(しばしば)ミサ聖祭を献げて戴く様にし、又出来れば毎日でもミサ聖祭に(あずか)って、祭壇上なるキリストと心を合わせ、声を合わせて、煉獄の霊魂の為に、天主のお憐れみを祈る様にお心掛け下さらんことを切にお勧め致して置きます。

 

(五)煉獄の霊魂の吾人に与ふる教訓

 

(1)−煉獄の苦罰は実に恐ろしい、思ったばかりでも身の毛も()()つと云うほどである。然し煉獄は地獄とは違って(まっ)暗黒(くら)ではない。幾分か希望の光が射し込んで居る。煉獄に苦しんで居る霊魂は、苦しい中にも希望を失って居ない、一度は必ず此処を出て、天国に昇れるものと頼母(たのも)しく思って居るのであります。加之(しかのみならず)、煉獄と現世とは全く縁が切れて居るのでない。我々は祈祷や善業や贖宥(しょくゆう)や、殊にミサ聖祭を以って、彼の霊魂(れいこん)(たち)を随分と慰めることが出来る、救い上げることも出来る。其の代わりに煉獄の霊魂も亦我々に教えもし、忠告もして呉れることが出来るのであります。

(2)−先ず煉獄の霊魂は小罪の(ゆる)(かせ)にすべからざることを教えます、我々は平生小罪を何とも思って居ない。成聖の聖寵を失う気遣いはなし、地獄え罰される心配はなしと思い、平気で毎日毎日小罪を重ねて居る。祈りの時に心を散らす、声を荒げて人と言い(あらそ)う、無駄話をして時間を潰す、癇癪も起す、一寸した嘘も吐く、虚栄に流れる、身を楽します、(ひと)(そしり)りをすると云うように、小罪を数々犯して居ながら、「何に、太したことではないよ。心配するには及ばぬ」と云って居るのであります。然し煉獄の霊魂に尋ねましたら、何と答えますでしょうか、「私も、何に、と云って小罪を犯しました平気で小罪を重ね、構わずに放ったらかして置きました。(あらた)めようなんて少しも心配しなかったのです所で天主様の法廷に出頭した時、初めて罪の恐ろしい次第が分かりました。やっと迷妄(まよい)の眼が醒めたのですけれども、早や後の祭、如何することも出来ません。其の為に幾年の久しき間、この恐ろしい煉獄に止らねばならぬことになりました」と。我々は今この霊魂等の訓戒(いましめ)をよくよく心に刻み付けて忘れないようにし、小罪だからとて、馬鹿にしない、平気で犯さないように務めなければならぬ。なるほど小罪を幾ら重ねても、成聖の聖寵を失い、天主と全く縁が切れてしまう訳ではない、然しながら小罪は天主に対する愛熱を冷却す、霊魂は次第に気力を失い、今迄のように悪に抵抗することが出来なくなる、罪と()れ合って、そんなに恐ろしくない様になる、大罪の淵に落ち込む坂を、ソロソロ下りかけるのであるから、(つい)には底知れぬ淵に落ち込んでしまう。諺に「千丈の堤も蟻の穴より壊る」とある。イエズス様も、「小事に悪しきものは大事にも()しい」と(のたま)うたでしょう。そしてその小罪の為に如何に恐ろしい煉獄の苦罰を蒙らなければならないでしょうか。

(3)−赦されたる罪の償いを現世に於いて果たすべきことを諭します。毎日毎日申上げます通り、

悔悛の秘蹟によって罪は赦されても、それで罪の償いまでが悉く赦される訳ではない。罪は如何に重くても、多くても、悔悛の秘蹟で立派に赦される、永遠の罰も消されてしまう。然し有限の罰はまだ跡に残り、現世で其の償いを果たし、其の負債を支払って置かなければ、是非とも煉獄に於いて厳しい罰を蒙らなければなりません。煉獄の霊魂等は、現世で償いを果たさなかったことを幾れほど口惜しく思って居ますでしょうか。「なぜ私は熱心に朝夕の祈りを誦えなかったのでしょう。なぜ出来る時に施しをしなかった?なぜ病や災難やを快く堪えなかった?切めては日々の労働を罪の償いに献げて行かなかった?さうして居たら決して煉獄なんかに下り、恐ろしい苦しみに悶え悩む筈ではなかったのに!」と口悔しがりながら、自分等の真似をして煉獄に落ちないようにしなさいと、我々にも注意して呉れるのであります。その注意を無にしないで、出来るだけ今の中から罪の償いを果たす様に務めましょう。

 

(4)−煉獄を恐れて之を遁れる工夫をして置くよう奨めますー「煉獄にさえ辿り付き得たら」と云う人は世に少なからずあるが、なるほど地獄に比べると煉獄は結構な所です、然し煉獄とてもそう馬鹿にされたものではありません。煉獄は苦罰の場です。霊魂に其の罪の汚点を洗い落させるが為に出来た処ですから、現世の如何なる苦痛を持って行っても、之を煉獄の苦罰に比べたら、足下(あしもと)にも寄り付けないのであります。我々は平生少しの寒さですら、僅かばかりの暑さですら堪え兼ねて、よく愚痴をならべ立てる位じゃありませんか。それに何うして()の恐ろしい煉獄の苦痛を堪えること出来ますでしょうか。煉獄の苦痛はそう云う恐ろしいものですから、成るべく今の中に之を遁れる工面をして置かなければならぬ。

(1)−屡、悔悛の秘蹟を授かって、僅かの小罪までも赦して戴くようにする。

(2)−罪の赦しを蒙った上では償いの業を怠らず勤める。聖会より定められた大齋をよく守るのは勿論日々の苦労艱難、病気、失敗、貧乏の辛さ、人の無理、寒さ、暑さ、饑さ等も小言いはずに、じっと我罪の償いとして堪え忍ぶ。

(3)−其の他よく祈りを誦え、ミサ聖祭に参与り、聖体を拝領し、慈善を為すと云う様にすれば、ただ夫れによりて功徳を蒙るのみならず、亦罪の償いを赦され、贖宥も蒙れるし、実に一挙両得と云うものであります。

(4)−聖女マルガリタ、マリアの居られた修道院の一童貞が、死後暫くを経て夢の中にマルガリタ、マリアに顕れて、自分が煉獄に於いて非常に苦しんで居ること、取り分け自分の近い親戚の一人が地獄に落ちて居るのを見せられた時は、実に何とも言えぬ苦しみを感じたことを物語り「私の為に天主様に祈って下さい、()(なた)の苦をイエズス様のに合わせて献げ、私の苦を慰めて下さい、五月の第一金曜日まで貴姉の為さることを皆私に与えて、私の為に聖体も拝領して下さい」と願いましたから、マルガリタは院長の許可を得てそうしてやりました。

    然かれどもその霊魂の苦痛が自分にも感じられ、何うしても堪えられない。終には我が身までが病の床に打ち臥してしまいました。すると(また)(その)霊魂が現れて来て、「貴姉はまあこんなに楽な臥床(ねどこ)(やす)んでいらっしゃいますが、私の()かされて居る床を見て下さい、もうもう堪ったものではありませんよ」と云うから、見れば、寝台の上にも下にも尖った釘が火になって並んで居る。彼の童貞はその上に臥されて居るのですから、その釘が肉に深く喰い入って如何にも苦しそうである、「是は私が(なま)けて規則を守るのを怠った罰であります。

其の他にも長上に対して心中に不平を鳴らし、その処置を(とが)めたりした代わりに、心は切り裂かれる思いがして、堪えるに堪えられないのです。友愛に逆らって(ひと)(そし)りをしたり、沈黙すべき時に物を言ったりした罰に、私の舌は始終虫に喰われて居る、絶えず引き抜かれて居る、ああ天主様に身を献げて居る人々が、私のこの恐ろしい責め苦に遭って居るのを見ましたら・・・己が天職を怠りて居る人の為に如何なる苦罰が煉獄に備えられてあるかを見ましたら、どんなに熱心になり、守るべき所を几帳面に守り、私の()めさされて居るような苦しみに遭わないよう、注意するでございましょうか」。

 

これを聞き、これを見た、マルガリタは、はらはらと涙を流しますと、その霊魂は猶続いて申します、「修道院の方々が一日だけ立派に沈黙を守って下さったら、私のこの渇きは止まるのです。

次の日も一日、愛徳を守って下さったら、私の舌の痛みは止まるのです。

又次の日も小言を云ったり、長上を非難したりしないで下さったら、心の痛みも無くなるのです、だが何人も然うして私を慰めようと考えて下さる御方はないのですよ」と。

マルガリタは其の霊魂の頼みのままに聖体を拝領して上げますと、その霊魂は再び現れて、「自分の苦痛が余程減ぜられたこと、然し自分はまだ長く煉獄に居て、冷淡な心もて天主様に仕えた人の蒙るべき苦罰を受けねばならぬ」、と言いましたとか。

是を以って見ても、煉獄の罰が如何に厳烈(げんれつ)であるか、我々が罪でも何でもない位に軽んじて居る小罪の為にすら、如何に烈しい、堪え難い苦罰を忍ばねばならぬかと云うことが、(おぼろ)げながら察せられるでございましょう。

で今からは小罪を恐れ、赦された罪に就いても全く安心してしまわず、出来るだけ、祈祷、苦行、慈善業を為し、贖宥(しょくゆう)を蒙って、之が償いを済まして置く様に務めましょう。

 

 

            

 

(1)−昔ユダア王サロモンは七ケ年半の日子(ひかず)を費やして都のエルザレムに世界七不思議の一つに数

えられるほどの荘厳な神殿を建てましたが、之に用いた石材は前以って石切り場で切って削って磨いたものでしたから、建築の間には、槌の音も、(のみ)の音も其の他銕器(かなもの)の音は一切聞こえなかったと云うことであります。(そもそも)このサロモン王はイエズス様の(かたどり)で、エルザレムの神殿はイエズス様が天国に建築し給う聖堂の(かたどり)であります。象ですから、到底実物には及びもつきません。サロモンの神殿が幾ら立派だと申しましても、之を天国の聖堂に比べましたら、雲と泥どころの話ではない。先ず建築師が違う。エルザレム神殿の建築師はサロモン王でした。天主様から特別の智慧を恵まれて居たとは云うものゝ、やはり人間であったのに、天国の聖堂の建築師は全智の神にて(ましま)すイエズス様である。次に材料が違う。サロモン王のは世界に存する木や石に過ぎなかったが、天国のは一点の罪の汚れもないばかりか、色々の徳の光を放てる聖人等の霊魂である。イエズス様は毎日毎日世界の四方から是等の見事な宝石を集めて、其の壁を築き、其の柱をつぎ、世の終迄には、之が建築を立派に済まし、天国に於いて、盛んな奉献式を執行(とりおこな)い給うのであります。

(2)−天国に築かれる聖堂の材料が聖人等の霊魂であると云う証拠は、聖パウロがエフエゾ人に送った書簡に明らかに出て居ます、「汝等は使徒と預言者との基礎の上に建てられ、其の隅石は即ちキリスト、イエズスに(ましま)して、全体の建物は之に建築せられ、漸次に築き上げられて、主に於いて(いつ)の聖なる神殿となり、汝等も之に於いて神の住処(すみか)として共に建てらるゝなり」(エフエゾ二ノ二 以下)と。是を以って之をみると、天国の聖堂の壁となり柱となるべき其の材料は、我々信者の霊魂であらねばならぬ。イエズス様が第一の(すみ)(いし)、十二使徒がそれにつげる基礎でありまして、其の上に世の初から終までの善人の霊魂が、次第次第に築き上げられるのであります。聖ペトロも同じく申されました「主は活ける石にて(ましま)せば、汝等之に近づき奉りて、己も亦活ける石の如く其の上に立てられて、霊的家屋となり云々」(ペトロ前二ノ四以下)と。(そもそも)も家を建築するには、先ず材料を集めます。石は何処の石、煉瓦は何製造所のもの、材木は何の木で、何尺角とそれぞれに定めて之を取り寄せる。決して何でも彼でも手当たり次第にかき集めて用いるものではありません。イエズス様も其の通りで、先ずこの広い世界から自分の建築に用うべき石を掘り出し給うのであります。して其の石を掘り出す山は、長くの間、立派な石を沢山出したのですが、今日ではもう取り尽くされて捨てられた所もないではない、ユデアの如きガ()うでした。或いは今頃漸く堀りかけられた処もあります。我日本などが実に其れで、我々は最初に掘り出された石、異教の山の中から掘り出されて聖会の石切り場に取り寄せられて居るのである。して見ると、我々は特に勝れた御恵み、多くの人には与えられない御恵みを(かたじけな)うして居る訳であります。家を建築するには、決して一様の石ばかりを用いません、(まる)いのもあり、角なのもあり、大きいの、小さいのと色々ありまして、みな夫々に使処(つかいところ)があります。天国の聖堂を建築する為の用材たる信者の中にも、大きい人、小さい人、学者、無学者、金満家、貧困者、司祭、修道者、夫婦、寡婦(やもめ)も居ります。徳の高い人、低い人、行いの勝れた人、平凡な人と色々ありますが、皆天国の聖堂に使用される生きた石であり、宝玉であります。

 

技師はただ材料を取り寄せるばかりでなく、更に図案を描き、雛形を作り、職人に命じて、隅石は隅石、柱石は柱石、壁の石は壁の石と、それぞれに切らせ、削らせ、磨かせるのであります。今イエズスもそれと同じく司教や司祭や伝道士と云った様な職人に命じて、聖会の石切り場に取り寄せられた信者の霊魂を切らせ、刻ませ、磨かせなさいます。そしていよいよ最期に及びますと、守護の天使は其の霊魂を受取って之を技師にて在すイエズス様の御前にさし出すのです。もし(この)石たる霊魂が、イエズス様の図案に(かな)い、雛形に当て()まるように出来て居るならば、それぞれの場所に据え附けられる、さもなくば、無用の石として投棄てられるのみでありましょう。

(3)−そこで誰しもよくよく考えて見なければなりません、司祭なり伝道士なりは、イエズス様が皆さんに与え給うた職人で、何れもイエズス様の御命令を受け、皆さんの霊魂を立派に切って削って磨き上げる役目を承って居るのであります。もしや自分等の(おこた)(ゆえ)に、過失の為に皆さんをイエズス様の御望み通りの石となすこと出来なかったら、其の責任を負い、厳しい御咎(おとが)めを蒙らねばならない。司祭や伝道士にそれだけの責任があるとすれば、皆さんにも亦それ相当の義務がありましょう。皆さんもその司祭や伝道士の言うことを聴かねばならぬ、其の(いし)(のみ)で削られる時、(やすり)で磨かれる時、じっと削られねばならぬ、磨かれねばならぬ。説教にいらっしゃい、公教要理の稽古に御出席なさい、と云はれる時には、オイソレと御出席なさらねばならぬ。告白をなさい、御聖体を拝領なさい、と勧められる時、多少の暇は潰しても、告白をし、御聖体も拝領して下さらねばなりません。「私は彼の人が厭でござる、そんな事は聞かれはしない、やれ告白、やれ聖体拝領と云って居た所で、人は食べねばならぬ、着ねばならぬ。まさか神父さんが食べさしても着せても下さるまじ」等と得手勝手なことを云って居ましては、何時迄たっても山から掘り出された儘の石、生れた儘の人間、角も潰れねば、面も磨かれぬ、到底天国の建築には用いられない、地獄に投棄てられるより外はありますまい。今日地獄に落ちて、終なく苦しんで居る霊魂を眺めて御覧なさい、如何にも可哀相ではありませんか。折角、聖会の石切場に取り寄せられて、天国の聖堂の壁となり、柱となり、屋根ともなるべき有難い身分にして戴いて居ながら、(いそ)()しいだの、身体の塩梅(あんばい)が良くないだの、借財あるので信心ばかりして居られないだのと、勝手なことを云って、司祭の槌も受けない、修道士の(やすり)も受けない、切っても削っても貰はない、堀り出されたままの石で、イエズス様の御前に差し出され、「こんなものは使い所がない」と云って地獄の底に投棄てられたのですから、何とも致方(いたしかた)はない、今は何んなに悔しがって居ましょう、切歯(はがみ)して居ましょうが、然し「後悔さきに立たず」で、もう何と思っても所詮駄目であります。然し彼等の為には駄目であるにせよ、皆さんの為にはまだ何とでもされます。「なぜ()んなことをしたろうか」と地獄の悪人が悲しみ嘆く所を、まだ皆さんは止めることが出来ます。「なぜ此んなことをしなかったのだろう!」血の涙を流して切歯(はがみ)して居る所を、皆さんはまだ()ることが出来ますから、何うぞ、止むべき所は唯今(ただいま)から断然(きっぱり)と止め、為すべき所は唯今からさっさとやって行くように決心して下さい。

 

 

 

(4)−聖堂には落成の上で奉献式があります。其の奉献式と云うは、先づ聖堂の外壁に聖水を振りかけ、祈祷を踊えて悪魔を逐出(おいだ)し、不浄を清める。それから諸聖人の連祷を歌いつゝ行列をして中に這入り、連祷が終ってから聖堂の内壁を祝別し、然る後始めて天主様に祭りを献げるのであります。天国の聖堂が落成して、奉献式の行われるのは世の終である、公審判の暁にイエズス様は善人と悪人とを裁判して、悪人を先ず地獄に投げ込み、不浄が一つもないように清め終り、それから善人を引きつれて天国に昇り、其の功に従い、其の徳に応じて、それぞれの場所に据え置き、以って壁とし、柱とし、天井となして、立派に聖堂を落成し、盛んな奉献式を挙行し給うのであります。

聖アウグスチヌスが()って居ます、「建築は辛いが、落成は嬉しい」と、実際然うでしょう、切られる時、削られる時、磨かれる時はそれこそ痛い、小言も云いたい、愚痴も(こぼ)したい、然し落成した時の嬉しさはまた如何でしょう、聖パウロも(おっ)しゃった如く、人がまだ目に見たこともない、耳に聞いたこともない、心に思ったこともないほどの楽しみを(ほしいまま)にするのじゃありませんか。其の時になったら熱心に祈り、まめまめしく信者の務めを果たしたことを悔しがるでしょうか、伝道事業に手伝い、慈善業に携はり、神の為、人の為に奔走したことを残念に思いますでしょうか。そこで皆さんは今篤と思案をして見なさらねばなりません、建築の苦労を甘んじて堪え忍び、以って後日の光栄を準備するか、或いは其れを嫌がって奉献式の喜びを棒に振るか、今切られたり、刻まれたり、磨かれたりして、有用の石材になりたいか、或いは夫れを嫌って、建築師から地獄の底に投げ込まれるのが好きか、二つに一つは何うせ免れ難い運命なのであります。

 

聖 マ リ ア の 奉 献

 

(1)−聖マリアは御年三歳の時エルザレムの神殿に詣で、天主様に一身を献げ、そのまゝ父母の手を離れて神殿内に起き臥し、聖ヨゼフに許婚されるまで十一年間と云うものは、神殿を離れ給うたことがない。是は偽経典(ぎきょうてん)に載せてある話で、(ことごと)くは信ずるに足りませんが、然し骨子だけは事実でありましょう。

幼少の頃より神に一身を献げ、童貞の願を立て給うたことは疑うべくもないのですが、然しそれが果たして三歳の時のことであったか、果たして神殿内にそのまゝ止まり、其処に十一年間も明し暮らし給うたか、その遍は何とも断言されないと云う人があります。何れにしても、聖母が幼い時に身も心も天主様に献げ給うたことは、今日の祝祭を以って見ても知られる通りで、それが我々の為に何よりも美しい御鑑(みかがみ)なのであります。

(2)−先ず聖母は幼い時に一身を献げ給うた 是が聖母の奉献の天主様に喜ばれた理由の一つであります。なるほど天主様は何時でも我々の霊魂を愛し給うので、たとえ頭には雪を戴き、腰は(あずさ)の弓を張るに至っても、否、死んで墓に入るまでも、我々に思われたい、愛されたいと欲し給うのであります。然しながら天主様の特に愛し給うのは、特に御要求になりますのは、我々の一生のお初穂、我々の幼年時代の(うぶ)な、天真爛漫な思い、(ひら)け初めた心の初愛、処女魂の(はつ)()であります。

聖母が天主様に献げ給うたのが、正しくそれでした。その幼い、生々(うぶうぶ)しい霊魂、その霊魂の(はつ)あこがれでした。聖母がお献げになったのは、決して壊れ落ちた身、断片になった魂、色々のものに使い余したその心ではなかったのであります。

    皆さん、我々の奉献は如何がでしょう。早くから天主様に一身を献げて居ますか。幾年月を無駄に過ごしたことはありませんか。無駄に過ごした(たけ)ならば、むしろ結構ですが、悪くすると、その幾年月を罪に(けが) して居ることはありませんでしょうか・・・早く起ち上がりましょう、急いで身も心も主に献げ、失った年月を回復すべく務めようではありませんか。

 

(3)−聖母の奉献は純潔でした。純潔なものほど美はしいもの、気持よく感ぜられるものはない。誰かが一枚の()()を贈ってくれたと致しなさい。もし夫が敗れて居るが、色が黄ばんで居るかするならば、たとえ如何ほど巧みに描いてあっても、格別有難いとは思いますまい。天が美しいと見えるのは何時でしょう、一点の雲すらなく、日本晴れに晴れ上がった時ではありませんか。水も清く水晶の如く澄みちぎったのは、見るから清々(すがすが)しくて、気持ちよく覚えられるじゃありませんか。

    天主様も霊魂に何等の曇り、何等の汚点をも見出し給はない時こそ、特に之を愛し給うのであります。所で聖母の御霊魂こそ正しく夫れでした。聖母は(もと)より原罪の傷を受け給はず、自罪の(あか)にも染み給はず。清い清い玉の如く(ましま)したので、それが如何ほど天主様の()(こころ)(かな)ったか知れないのであります。我々もこの身を汚さず、この心を傷けず、清く美はしく保ち、以って之を主の御手に献げましょう。汚れたもの、傷ついた物を献げては失礼に亘ります。せめては痛悔の涙に洗い清めた上で献げなくては、到底嘉納(かのう)して戴くに堪えないのであります。

(4)−(つい)に聖母の奉献は完全で、何一つ保留し給はぬのでした。身体も霊魂も、持つ所のものは一切残らず献げ給うた。

    完全なる(はん)(さい)として、天主様の御光栄(みさかえ)の為に焼き尽さるべく献げ給うた、而も一旦献げ奉った上は、二度と之を取り戻し給う様なことはなかったのであります。

   我々も洗礼や初聖体や堅振(けんしん)の時、天主様に身も心も献げたものでしょう。然しその献げは如何にも不完全で、(やや)もすると之を取り戻して居る、(あした)には立派な決心を立て、飽くまで忠誠を守り通すと云って居るが、夕べには、もうそろそろ決心の帯を緩め、少しの誘惑にでも、たじたじする、肉慾に声をかけられ、世間に手招きされると、忽ち其の方え走り出すと云う塩梅(あんばい)ではありませんか。この祝日に当って我々の学ぶべき点は、天主様の為に物惜しみをしない徳であります。

  聖母がその体、その精神、その感情を潔く献げ給うた如く、我々も一切を献げましょう

我々の思い、望み、(ことば)、行い、極めて平凡な行いまでも献げましょう、愛は一切を高く

(いき)()げる、霊魂が天主様の為に物惜しみをしないだけ、天主様もまた現世(このよ)から、己を之

(わた)し、後、天国に於いては全くその霊魂の有とさえなって下さるのであります。

 

 

雑輯(ざつしう)

聖フランシスコ・ザベリオに対する九日修行

(第一日)聖フランシスコ改心して全く世と絶ち給う

聖人は一五〇六年スペイン、パンペロナ付近のザベリオと云う処に生まれ、十八歳の時パリー大

学に遊び、秀才の誉れ高く、卒業後同大学の講壇に立つや、忽ち天下の耳目を聳動(しょうどう)せしめた

今や自己愛の念に心を奪われ、虚栄の光に(まなこ)(くら)まされ、功名利達の外、(また)(おも)う所ないのであ

りました。時にロヨラの聖イグナチオは耶蘇会の創立を思い立ち、フランシスコが神の光栄を計

るに屈強の人物たることを看破して、先ず之を帰服せしめんものと、機を見て之に近づき、説く

に救霊の(ゆる)(がせ)にすべからざる所以を以ってし「人たとえ全世界を儲け得とも、其の魂を失はば何

の益かあらん」と云う吾主の(みこ)(とば)を繰り返すのでありました。最初の程は格別の効も見えません

でしたが、なおも力を落さず、しばしば同じ聖言を繰り返し、次第に悟りを開かせ、終に聖寵の

助力を得て、フランシスコを世俗より救い出し、天主様に一身を犠牲に供すべく決心させること

が出来ました。斯くて聖人はイグナチオの指導を仰ぎ、退いて一ヶ月間の心霊修行をなしました

が、その時より心を全く天主様に満たされ、一変して新しき人となりました。是より後、世俗の

ことは一として聖人の眼を引くに足らず、之にパンペロナの広大なる采地(さいち)を献じても固辞して受

けない、之に困難なる聖地巡礼を勧めると、直ちに応じて誓願せられた。前には華美を好み、倨倣(きょほう)

に流れ、功名を(むさぼ)りしフランシスコが、今や自ら深く謙遜して他人に使役せらるるを喜び、ウ

エニス市では痼疾(こしっ)病院に入りて、患者の寝台を整え、其の傷を包帯するなど卑しい業務を執り、

(あまつさ)え其の自己愛を破り、賎しい職務を(いと)うの情を()がんが為め、故らに患者の腫物を注視し、

之に接吻し、なおも其の嫌悪の心を打ち破らんとて其の(うみ)(じる)を吸い出す迄に至りました。いよい

よ印度に向って出発し給うや、スペインなるザベリオ邸宅の傍を過ぎました。此時聖人は外に在

ること十七年の久しきに及んで居たのですけれども、入って其の家人にを見たらば、或は天主様

に対する愛熱を冷されんことを恐れ、僅かに数十歩の道を()げて、邸宅に立ち寄り、老母に別れ

を告げようとも致しなさいませんでした。聖人は斯くまで、潔く世俗を棄て給うた。其の改心の

誠実なることは察するに余りあるではございませんか。

反省― 一、私も果たして天主様の(もの)となりましたか。果たして聖フランシスコ・ザベリオの如

く、否な聖人よりも一層深く改心に意を用い、益々世俗に遠ざかる必要があるのじゃありません

か。

二、私が全く天主の(もの)となるのを妨げるものは何ですか。我が身です。私は我が身に()たねばな

りません。悪魔です。私は悪魔を退けねばなりません。世俗です。私は世俗を軽ぜねばなりませ

ん。

三、聖フランシスコは天主様の御招(おまね)きに応じて、其の身を聖ならしめ給うた。私も主の(おぼし)(めし)

奉じ、私の務めを忠実に果たして身を聖ならしめることが出来る。否な斯くしてこそ私の聖化を

計らなければならぬのであります。

祈願 ― あゝ主よ、私の心を征服すべきは主にて(ましま)す。主(ひと)りが私の心を世事より引き離し

得べきであります。全能の主よ、私を取り(まと)える覊絆を断ち、私をして全く主に帰服せしめ給え、

主の忠僕、聖フランシスコ・ザベリオの伝達に頼りて伏して請い願い奉る、アメン。

 

第二日 聖フランシスコ制慾を愛し給うこと

 

「夫れキリストのものたる人々は、己が肉身を其の悪徳、及び諸慾と共に十字架に()けたるなり」

(ガラチア五ノ二四)と聖パウロは()はれましたが、聖フランシスコ・ザベリオは改心の初めか

らこの(みこ)(とば)の真意を悟り、大いに其の力を制慾の業に用いられました。初めて断食し給うた時は、

三四日も飲食しないと云う位に驚くべき苦行を務め、後イグナチオの命に因りて、(やや)之を和げら

れたけれど、全く廃し給うことはないのでした。其の事務を執るのに、同僚よりも機敏で、且つ

風采は上品である所から、自負の念が起ったと見るや、それを罰せんが為め、細縄を以って(きび)

く其の腕と腿とを縛られた。所で其の縄が肉に食い入り、苦痛日を追うて(はげ)しく、息も絶えそう

になりましたが、僅かに奇蹟を以って免れることが出来ました。常に十字架上なる基督を宣伝し

給う時は、よく己に克ち、身を責め、苦行をなすべきことを説き身を以って之が模範を示し給う

のでありました。欧州では病院に起臥すし、布施を以って衣食に当て、印度に在っては其の国の

貧民の如く、米と水とを常食とし、それも甚だ少量で、其の同伴の某は、聖人が斯くても能く其

の生命を保ち得給うのは、是こそ一個の奇蹟だと言って居た程であります。

 日本に御布教の際には、日夜東奔西走しながら、肉も魚も全く絶ち、唯僅かに草の根や、野菜

の水煮にしたままのを食べて、生命を繋いで行かれた、当時、日本の道路は随分荒れ果て、凸凹

した難路でしたのに、駕にも乗らず、酷寒の候にも、(はだし)足のまゝ徒歩し給うのでした。夜は三

時間より長く眠り給うたことなく、怪しげな漁人(りょうし)(あば)(らや)、其の荒舎の土間にやすみ給うとか、船

中では網具の上、船板の上に臥し給うのでした。(ぶつ)(そう)輩が愚民を(あざむ)かんとて、陽に行う苦行を

ば、聖人はそのまゝ文字通り実践躬行(きゅうこう)して行かれました。之を要するに主の為、人々を感化せ

しめる為に千辛万苦を嘗めたいとの熱望は、聖人を駆りて十字架を楽しましめ、中心より之を抱

き絞めしむるに至ったのであります。

反省― 一、 私は罪を犯しました。尚を犯すことも有り得ます。だからこの肉身、何時滅び

とも計られないこの肉身に、苦行難行を加えなければならぬ。

二、 久しく懺悔、苦行を差し延べるのは甚だ危うい。臨終が迫って来ると、為さんと

欲しても能はないでしょう、煉獄に於ける苦罰は怖るべく、地獄に在りては終なく

して、而かも(いささ)かの希望さえないのではありませんか。

三、 然らば如何なる苦行を為し得ましょう?聖人等の実行された所、少なくも我が身に襲いかかる日々の十字架をば、主の十字架に合わせ、主を愛するが為に悦んで之を擔ぎましょう。

祈願―      あゝ主よ、私は罪人で、主に頼らざれば私の罪を償うことも出来ません。伏して願はくは全能の御腕を振るって私を助け、私をして自ら進んでこの身を懲らし、総て職務上の苦労をば、制慾の精神もて耐え忍ぶに至らしめ給え。今この苦労を救主の御受難に併せ奉り、聖フランシスコ・ザベリオの苦労と共に謹んで御前に献げ奉る。アメン。

 

(第三日) 聖フランシスコ神を愛し

其の光栄(みさかえ)を揚ぐるに熱中し給う

 

聖フランシスコ・ザベリオが、神に対する愛熱に胸は一杯となり・・・、時には満面赫々として宛然(さながら)火中に在るが如き観を呈せしは、(しばしば)、人の見る所でありました。其の愛熱の盛んなるや、炎々として外に迸り出で、抑えんとして抑うる能はず、眠った時ですら、大声を揚げて「嗚呼至聖なる三位一体よ、吾イエズスよ、嗚呼(わが)心の愛なるイエズスよ」と叫び給うのを聴くことも往々ありました。聖人は人が神に背くを見る時、それを何よりも痛ましく感じ給い、神の光栄の為には鮮血(ちしお)をも流したいと熱望し給うのでした。(かつ)て黙示を蒙り、他日、印度、日本に於いて(つぶさ)に辛酸を嘗め尽くすべきことを知り給うや、それだけに満足し能はず「増し給え、主よ、増し給え」と叫ばれた位であります。抑も聖人の愛徳はただに濃厚なる感情のみに止まるのでなく、その計画せし所、その断行せし所は、以って其の活動力の如何に大なりしかを示して余りあるのでした。初めイタリヤ、ポルトガルに伝道して効果大いに見るべきものがあり、後印度宣教の命を拝するや、直ちに去りて茫々たる大洋を横ぎり、万里の波濤を()えてアジアの邊陲(へんすい)を極め、当時なを世の人の知らなかった邦土(くに)え踏み入られました。其の行程は三たび地球を周るに余りある程で、終には我日本にまで福音を宣べ、四万に余る偶像を毀ち、手づから幾万の偶像教者に洗礼を施し、三百有余の州郡に真の神を礼拝せしめ給うた。其の間に嘗め給うた艱難苦労は筆舌の能く尽す所に非ず、危険を踏み、死地を冒し、如何なる困苦欠乏をも物ともせず、天主にたいする愛熱の快力もて万事を切り抜け給うた。実に何と云う大きい熱烈な奮発心でしょう?然し聖人はそれにも満足し給わず、更に支那に入り、韃靼(だったん)()え、道を北方に取り、先づヨーロッパに帰りて背教の徒を帰正せしめ、ヨーロッパ州の風俗を改良した上で、再びアフリカに渡り、アジアに進み、新しき邦土を発見して之を耶蘇基督に帰服せしめようとの一大計画を心中に立てゝ居られました。天主様を愛する人は、布教にも熱心なること実に斯くの如しであります。

反省 一、  −聖人の活動止むなき奮発心を以って、之を私の冷淡無関心に比べたら、如何して顔を(あか)らめずに居られましょう。

     二、   私は二者必ず其の一つを選ばねばならぬ、此の世で天主様を愛し、人にも愛せしめて、後日その御光栄(みさかえ)を歌い喜ぶか、或いは天主様を愛せず、人の為にも活動せず、後で永遠に天主様より厭嫌はれるかである、恐れて恐れずに居られましょうか。

   三、 されば今の中に熱く天主様を愛し、其の御光栄の為に働き、以って罪悪の増長を防ぎ、善徳の進歩を図りましょう。是れ取りも直さず愛徳行為で、誰しも果たさねばならぬ重大な義務であります。

祈願 ―  嗚呼吾が心の神なる主よ、私は主を愛することの薄くして、主に事え奉るに忠実ならざることを思い、慙愧(ざんき)の至りに堪えません。主は数限りなき御恩(おめぐみ)を浴びせ給い、なお此の後も浴びせんと約束し給うのに、私は何うしてその御志に感じないのでしょう。主よ、私は此の後いよいよ主を愛し、ただ主をのみ愛せんと決心しました。今日よりこの決心を実行いたします。何うぞ私の弱きを(たす)け給え、アメン。

 

(第四日) 聖フランシスコ人を愛し、救霊事業に熱中し給う

 

人に対する愛は聖フランシスコの胸中深く刻まれてありました。病める者、悩みに沈める者を憐

れむことは慈父の如く、己は教皇使節の栄職を帯ながら、ゴアの大道に乞者(こつじき)となって、貧困告ぐ

る所なきポルトガル人、印度人の急を救い給うこともありました。その行はれた奇蹟も、主とし

て公衆、若しくは個人の災難を済わんがためでした。聖人を迫害した者は、他の人々よりも一層

多く聖人の慈愛熱祷を(かたじけな)うしたものであります。マラカの知事が非常に聖人を虐待酷遇(こくぐう)した

時の如きは、其の間、聖人は知事の為にとて毎日ミサ聖祭を献げ給うたのでした。して聖人の慈

愛は人々の救霊に奔走し給う時には、特に烈しく燃え立つよと見えました。聖人は(あた)うべくは全

世界の人々を残らず帰正せしめんことを(こいねが)い、一人の改心に従事する時も、国民の感化に当る

時の如く、少しも其の労苦を惜しみ給うことなく、貧者、小児等が来たりて乞う所あると、万事

をさし措いて、之に満腔(まんこう)の愛情を注ぐのを常とし給うのでした。(かりそめ)の事が救霊問題に関する時

は、その飛び立てる御足を引き止め得る者は天下に一つもありません。()ってモルク島に渡ろう

とし給う時、人が皆聖人を引き留め「彼島は毒霧、瘴癘(しょうれい)閉じ込めて外国人の身に適せず、地は

割けて火焔や熱灰が渦を巻き、往々は人をも呑み、土人は野蛮獰猛(どうもう)で、(あい)毒殺(ころ)し、人肉を(たしな)み、

生みの父すらも容赦するを知らない位ですよ」と()うや、聖人は(おもむろ)に答えられた「でも彼島に

宝物が夥しく出たらば、金に目のなき輩は、その位の危険を物ともせず、先を争って彼の地に踏

み入りませんか・・・さてさて是は何事です?彼島人の霊魂は塵芥の如く(ねうち)無きものでしょう

か。慈愛の勇は貪婪(どんらん)の勇に()かないのですか」と。斯う云って彼島に押し渡り、親しく島人に教

を説かれました。実に聖人の驚くべき熱心は、背教者の目にすら赫々と照り輝いたもので、彼等

は其の一小部分に過ぎないながらも、之を書に記して今日に伝え、読む者をして(そい)ろに感涙に咽

ばしめるものがあるのであります。

反省― 一、凡そ基督教徒たらん者は、皆一家の使徒で、父母や主人は、子女なり(めしつ)(かい)なりの為、子女や婢僕は、亦父母なり主人なりの為、それぞれ熱心に救霊を計らなければなりません。

    二、人の救霊の為に応分の力を尽さないのは罪である。(いわん)や之が滅亡を来たすが如きことを為しては、その罪の重さは計り知られません。

    三、然し己が救霊の為に奮発しないならば、如何して人の為に活動することが出来ましょう。聖フランシスコは幾万の霊魂を救い給うたのに、私は自分一個の霊魂を救うことすら夢にも思わない是は、何うしたことでしょう。

祈願 ―  嗚呼基督様よ、主は(あたい)(たか)き御血を以って私の霊魂を贖い給いたれば、私も我同胞の霊魂を救はん為に、吾血をも流したいものであります。少なくも主の聖寵と聖フランシスコの聖範に(すが)り、力の限り我同胞を感化し、慰安し、教誨(きょうかい)し、聖化せんと決心いたします。アメン。

 

(第五日)聖フランシスコ深く天主に信頼し給うこと

 

すべての人が聖フランシスコ程に深く天主様に信頼したらば、何一つとして企て得ざることなく、

希望し得ざることもありますまい。この大使徒の如く、海に陸に数々の危難に遭遇した者は少な

いでしょう。暴風(たけ)り狂って、船(つい)に破れ、三日三夜波のまにまに漂い給うたこともありました。

再三蛮民の為に毒矢を以って狙撃せられ、或いは怒り狂える蛮族の手に陥り、或いは回教徒から

石を投げられ給うたことも(しばしば)で、ブラマンの徒輩は聖人を殺害せんとて、聖人の隠れ家と思う

家に火を放ったことすらありました。我国の佛僧等も幾度となく聖人を害しようと企て、嘗って

愈々最後の手段を取ろうと思い、多数相集って謀議を凝らしたこともありましたとか。

然し此等の危難は却って聖人の勇気を(いや)増すのみで、危難の数がいよいよ重なれば、天主様に依

り頼むことも、いよいよ深くなって行くのでした。その書簡中の一節に曰わく「假令(たとえ)我等、野蛮、

凶暴の民の中、否な悪魔の領土内に居るとも、天主様だに許し給わずば、如何に残忍なる蛮民の

暴行も、如何に激しい地獄の狂怒も決して我等を害すること能わぬ、我が(おそ)るゝ所はただ天主様

のみである」と。斯くまで深い其の(しもべ)の信頼に天主様も少なからず感動し給い、己が全能力を

聖人の掌に授け給うたかの如く思われ、その常に行われる奇蹟は実に神妙絶倫で、異教徒ですら

聖人を見て、奇蹟の人、天の友、自然界の主、地上の神となすに至りました。古の使徒時代に行

はれし奇蹟は一として行い給はざるなく、悪魔を追い払い、幾多の病者を癒し、二三の死者をも

復活せしめ、或いはただ一(にん)赤手(せきしゅ)空拳を以って蛮民の大軍を防ぎ、或いは信者に仇する敵の艦隊

を敗滅せしめ、船中に水が欠乏して人々が甚く渇きに苦しめる時、海水を変じて甘き清水となす

とか、暴風を鎮め、難船を救い、未来を予言し、人の心の隠れた秘密を()()くとか、それはそれ

は一々数えるに(いとま)ない程である。要するに奇蹟を行はないのが聖人の為には却って奇蹟であっ

たのであります。

反省 ― 一、 私の信頼の浅きは信仰の薄きに因るのである。天主様は私に幸福を与えんと欲し給い、又、与えるを得給うのです。私がもし之を堅く信ずるならば、何うして信頼心の起らざることがありましょう。

     二 、私は平素天主様に対して不忠なればこそ、(みだ)りに天主様を疑い(おそ)れるのです。天主様が私に満足し給はぬと知ればこそ、敢えて天主様に信頼し得ないのであります。

     三、 で是からは全善の天主様に喜ばれる様務めましょう、然らば聖フランシスコ・ザベリオの如く泰然自若として、主の感ずべき全能力に信頼することが出来るに違いありません。

祈願 ―    主よ、私は全く主に一切の希望を置き奉る、主は私の乏しきを御覧し給い、私を救うことも叶い給う。主は実に我父君に在す、たとえ地獄が総勢をくり出して来たらば来たれ、斯る鞏固(きょうこ)な御保護の下に在る私であれば、聖フランシスコの如く露程も恐れる所はない。嗚呼天主様、私はこの御保護を聖フランシスコの御伝達を以って願い奉る、アメン。

 

(第六日) 聖

 

聖フランシスコが一身をイエズス・キリスト様に献げ、之を模範と仰いで、第一に学び得たの

は柔和でありました。この美徳が聖人の胸中より道ならぬ情慾を駆除(かりだ)したので、聖人は激烈火の如き性質なりしにも拘わらず、以ってよく其の血気を制し、其の猛然と(ほとばし)り出る奮発心までも容易に和らげ得給うたのである。聖人の容貌は温乎(おんこ)として笑みを含み、挙動は朗らかで、少しの包み隠しもなく、快活に、親切に、何人に対してもその幸福を謀り給うので、心から聖人に帰服せざる者とては一人もありません。

 聖人が温厚にして善く人と交じり給うものですから、兵士も、商人も、野人も、紳士も、東よ

り西より南より北より争い来たりて親しみを結ばんことを(こいねが)うのでした。某国王の如きは、聖

人より(まこと)の道へ導かれた者でしたが、一日(あるひ)聖人の談話に心を奪われ、欣然として聖人に向かい

「フランシスコ神父さん私は天国に行った時、あなたのお傍に居たいものですね」と申しました

とか。(そもそ)も聖人が人に愛されんと努められたのは、其の人を導いて天主様を愛させたいと云う

純潔な意向からで、聖人の柔和温厚には誰一人抵抗し得るものはないのでした。()って不品行な

兵士三人と同宿し給うた。時は四旬節でしたが、如何にかして彼等の品行を矯正したいものと思

い、(ことさ)らに彼等と談笑、遊興して、四十日の久しきにも及ばれたことがありました。

 悪逆無道を以って聞こえたポルトガルの一紳士は、聖人の温和懇切に感じて到頭改心するに至

りました。斯の如く野蛮蒙昧(もうまい)の民、頑然(がんぜん)改むるを知らない罪人も、一たび聖人の温顔に接すると、

其の頑固も、其の粗野も(たちどこ)ろに(きえ)()せたものであります。(もと)より聖人と雖も然るべき時には

厳乎(げんこ)として犯すべからざる所、其の熱心の焔を迸発(ほとばしら)すべき時に際すれば、猛然(おそ)るべき所がき

にしもあらずでありました。彼のマラカの総督が利を(むさぼ)り、嫉妬心に駆られて、聖人の支那に

渡り、福音を宣伝せんとし給う計画を妨げた時の如きは、聖人も彼に対して(すこぶ)る強硬な処置を

取られました。それにしても、その使徒的威厳をば寛厚(かんこう)な態度を以って和らげ給い、彼の総督よ

り而かもポルトガル人なる総督より受けた虐待、罵詈(ばり)讒謗(ざんぼう)に対するに黙忍、謹慎を以ってし日々

祭壇に於いて彼が為に天主様に祈り給うのでありました。

反省 ― 一、 私は人が柔和(おん)(きょう)であるのを見ては之を喜ぶのですから、人も私の柔和温恭ならんことを(こいねが)はないはずがありましょうか。

     二、 私の血気を制し、正理に逆らう時はよく之を(ただ)し、奮発心さえも之を和らげることにいたしたい。すべて激動は悪である。悪は決して善たり(あた)わぬのです。

     三、柔和なる人はイエズス・キリストに似て居る。その御約束に与り、神とも人とも己とも和らいで一生を送ることが出来ます。

祈願 ― 愛すべきイエズス様、主は我等に柔和の徳をくれぐれも勧め給うた。願わくは私を助けて、如何なる屈辱を加えられるとも、能く之を耐忍し、過激な性情を抑え、假令(たとえ)騒がしい中に在っても、聖フランシスコの如く心に平和を保たしめ給え。アメン。

 

 

(第七日) 聖

 

聖人の孜々(しし)として務め給い、又その方に驚くべき進歩を遂げられたのは、謙遜の徳でした。

印度に向って発足せんとする時、ポルトガル国王は、旅行に必要な物品を記入した目録を差し出す様にと命じました。然るに聖人は陛下の御厚意を謝し、自分には何等の物品をも要しない旨を応えられた。「然しせめて従僕の一人なりとも伴いなさい」と王様が仰有っても、「私は自分にも人にも奉仕します」とお答えになりました。果たして航海中にも、印度滞在中にも、常に其の答を文字通りに実行されました。聖人の家柄を知って居るポルトガルの官吏や商人等は、聖人が最も微賤(いやし)い地位に安んじ、病人を看護し、何人に対しても従僕の如く仕え、行き届いてお世話をなさるのを見て、感嘆()(あた)はぬのでありました。

 然し聖人が自分について抱き給えるその謙遜の念はなお之に優って感ずべく、模範ともすべき

でありました。罪悪に溺れ、虚栄の中に彷徨(さまよ)える世間人が、聖人の赫々たる偉業を仰いで、感じ

もし、驚きもする其の間に、自分は却って深く自ら()じ、「私には果たして尊重さるべき点があ

るのですか」と(ひそか)に自ら疑い、左様な点があろうとは何うしても信じ得ないのでありました。

その行える奇蹟も、「これは病人の信仰に由るのです」と云い、或いは児童を用いて奇蹟を行い

給うた時は、「全く児童の清浄無垢の結果です」と避け、天主様が聖人の事業に降し給いし祝福

は、「これは人々が私のためにして下さった祈祷の力に由るのです」と曰い、又時として熱心に

伝道を試みても、其の結果が思わしくない時は、「これは私故です、私の罪の為です」と其の不

結果の原因を悉く己に帰し給うのでした。「私は日本に於いて、初めて我魂の欠点、短所の深淵、

その深淵の数多きを明らかに認めました。私は之を現に見て、私を監視し、制御する者の如何に

必要なるかを眼前に認めて居ます」と聖イグナチオ会長に申し送られたのを以っても、其の謙遜

の一(ぱん)を察することが出来るでありましょう。

 

反省― 一、 私が謙遜すべき理由は果たして幾何(いくばく)でしょう。私は何者ですか・・・如何に成り行くべきか計り難いのです。精神は暗み、心は弱り、罪は多い、嗚呼、何うして謙遜せずに居られましょう。

    二、 謙遜の重なる障碍は性来の傲慢で、この傲慢の為に私は基督の御誡めと御鑑とに背くのです。

    三、 この神聖なる御鑑を学び奉りて、私の思い、言、行の上に、聖人の謙遜の影を、せめて朧にでも描き出したいものであります。

祈願 ― あゝ主よ、主は謙遜の如何ばかり必要にして、而も之を実行するのは、自己愛に暗まされたる私の為には、如何ばかり難物なるかを知り給う。何卒私に我身の惨めさを悟らしめて、よく傲慢を制し、如何に厭らしい屈辱をも甘んじて堪え忍ぶに至らしめ給え。アメン。

 

(第八日) 聖

 

 聖フランシスコは聖イグナチオの指導の下に初めて心霊修業をなし給うた時、大いに敬虔(けいけん)の心

を汲み取り、(にわか)に聖徳の域に進まれました。そして天主様と頻繁に交わりを通じてこの精神を

養い、之を発育せしめ給うた。ゴアに在っては、人に妨げられない為、常に鐘楼に隠れて毎日二

時間づつ黙想し船中でも、夜半から日の出までは同じく黙想に(ふけ)り給うのでした。水夫等はそれ

を知りて、「あゝ少しも風波の患いなし、フランシスコ神父が天主様と物語って居るから」と互

いに語り合ったものでした。聖体の尊前に終夜(よもすがら)祈り、ただ暫くの間、祭壇の下に眠り給うこと

すら珍しくなかった。聴罪司祭さえあらば毎日告白をなし、ミサ聖祭を執行し給う時、其の態度

(うやうや)しく、熱心面に溢れ、拝聴者をして覚えず、熱情に燃え立たしめたものであります。感謝、

熱愛、喜悦の涙は常に両眼より滴り、天主様と物語り給う時は、恰も眼前に在すかの如く見えた。

至聖三位を厚く敬愛し給い「嗚呼至聖三位よ」と声を発して(しばしば)呼ばり給い、遂には異教人まで

が聴き覚えて、其の意を解せないながらも、之を口誦(くちずさ)むに至りました。

 主の御受難に殊の外、厚き信頼を置き、又聖母をば己が母君、己が保護者と仰ぎ尊び、新信者

にも聖母を尊敬し、之に依り頼むことをくれぐれも説き勧め、尚、天使等にも、聖ヨゼフにも依

りすがりて、己が伝道事業を其の御保護の下に(ゆだ)ね、イエズス会の規定は最も忠実に守り、聖イ

グナチオが欧州に於いて盛んに其の会員に吹き込み給える規律の精神をば、己はアジアえ在る会

友間に花咲かしめ給うのでありました。

 清貧を重んずること聖人の如き修道士は未だ嘗って見ざる所、其の貞潔なるは天使の如く、其

の従順に至っては驚くの外なく、「一たびイグナチオの名を以って召されたら、福音宣伝の大事

業を中止して、直ちに地球の端よりローマに向って出発するのを躊躇しない」と明言せられたの

を以っても察せられるでしょう。信心も斯くまで強い感化力を得るに至ると、人の魂に多大の効

果を生せずには()かぬものであります。

 

反省 − 一、私は信心が足りないと常に(なげ)いて居るが、それこそ外は世俗を慕い、内は私欲を(たくま)しうせんとするに急にして、天上の事を味う暇がないからじゃありませんでしょうか。

     二、然し一たび信徳の眼を開いて見たらば、霊魂の益になることは、如何に微少なことでも、全世界よりも重んずべきだと云うことを悟って来るはずであります。

     三、(しばしば)秘蹟を授かり、熱心に祈り、聖書を奉読し、我と我が身に警戒を加えること等は、信心を燃やす薪である。哀しい哉、世にはこの方法を用いる人が少ない、悪風の日に増長するのも亦(のべ)ならずやである。

 

祈願 − 我等の心に感ずべき賜を恵み給う聖霊、完全なる信心もて我等の心を固め、以って主の忠僕、聖フランシスコの如く潔白に熱心に主に奉仕するを得せしめ給え。

    アメン。

(第九日) 聖フランシスコ神の摂理に一身を(ゆだ)ね給う

 

聖フランシスコは一生涯神の摂理に身も心も全く委ねて居られました。聖人は(この)心もて印度宣教

大任を引き受けなさいました。して之を引き受けるにつけて、聖人は如何なる犠牲を払い給うたで

しょうか。故郷を去らねばならぬ、親兄弟に別れねばならぬ、欧州で受けられる慰安、便宜は悉く

(なげう)って遠く万里の波濤を超えねばならぬ、而も危険極まる暴風にも遭い、偶像教徒の間に生活して、

寒暑、飢渇、窮乏、虐待、残害等、有りと有ゆる艱難をも嘗めなければならないのに、聖人は是等

の艱難を(ごう)も意に介せず、之が上に超然として、「天主望み給う、天主命じ給う、是だけで沢山よ」

と云って、その御摂理に一身を委ね、(つゆ)程も先々のことなど顧慮(しんぱい)し給わぬのでした。聖人は実に聖パウロの云われし如く、「聖霊に迫られ、常に其の黙示に耳を傾け、己が行くべき道を喜びて全うせられました」(使徒行二十ノ二二)、モルク島に行き、日本に渡られた時等は、目睫(もくしょう)の間に迫れる危難をも顧みず、ただ己に命じ給える主の御声にのみ耳を傾け給うのでした。殊に聖人が天の明命に服し、神の御摂理に一身を委ね給える至誠の著しく現れたのは、幾百の障害物が襲い来るのを物ともせず、悉く之を打ち破りて支那渡航の決心をなし給える時でした。聖人は既に支那の大陸を眼下に眺め、其の希望も漸く遂げられるかと喜び踊って居られると、何ぞ(はか)らん船長は約を違うて聖人を上陸させない、通訳の支那人は逃げ出した。聖人自身も俄かに熱を(わずら)い、給うたので、今は是迄なりと(おもむ)ろに永遠の旅路の支度に取り掛られた。船の中では養生が出来ないと云うもので、浜辺に上陸されたけれど、宿るべき家もなく、風に吹かれ、波に打たれ、其の儘死んでしまうのではないかと思われて居たのでしたが、幸い一人のポルトガル人が聖人を()ある茅舎(くさや)に移してくれました。然し荒れに荒れた茅舎で、浜辺に在るのと(ごう)(ことな)らない、斯くて聖人は人に棄てられ、薬石もなく、食物もなく、人手もなく天主様を除き奉っては、天地間に一つとして頼るべきものもなく、人間の目から見ると、如何にも悲惨さ極まる中に臨終の時を()たねばならぬことゝなりました。それでも聖人は或いは天を仰ぎ、或いは手にせる十字架を眺め時には涙ぐめる双眼を支那の方に(めぐ)らして、この国民を偶像教の中に打ち棄ておくのを悲しみながらも、己が奮発心をも、生命をも神の御前に犠牲に供すること出来るかと思っては、言い知れぬ満足を覚えひとり自ら慰め給うのでありました。斯くて二日の間も、飲まず、食わず、刻一刻、弱り果て給い、(つい)安然(あんぜん)として世を去り給うた。

時は正に1552年12月2日にして、御年僅かに46歳、印度布教より十年半で、其の辞世の御

言に「主よ 我汝に()り頼めり、永遠に(はづかし)められじ」と云う詩篇の一句でありました。

反省 ― 一、斯の如くして身も魂も天主の御手に還し奉るのは、如何程楽しく、慰めに満ちたこ

でしょう、以後私の切に願う所は実に是のみでありたい。

     二、然しこの幸福を得るが為には、私の一生涯を摂理し給う主の御手に全く委ね奉らねば

ならぬ。

     三、然らばすべて我が身の上に来る福も禍も、吉も凶も、皆主の欲し給う所であるから、私も之に服従し奉る、この服従は天主の光栄となり、私にも豊かな聖寵を呼び降すに至るのである。

祈願 ― あゝ主よ、主の欲し給う所を、主の欲し給うが故に、私も之を欲し奉る。何とぞ一生涯、御旨のまゝにこの身を処置し給え。ただ臨終の時に私を見棄て給わず、主の栄福なる忠僕、聖フランシスコの如く、主の愛に燃え立ちつゝ死するを得せしめ給え。アメン。

 

聖 母 無 原 罪 の 御 や ど り

 

(1)−聖母マリアが原罪の汚れなくやどされ給うたは、唯一無二の特典であります。然し我々も聖寵によりて同じく汚れなきものとなることが出来る。聖母マリアは原罪に染まない様、予防され給うたのですが、我々は一旦原罪に染まってから、それを清めて戴く、聖母でも我々でも、キリスト様の御血の功徳によって罪を赦されるか、予防されるかして聖となるのであります。

原罪の汚れなくやどされ給うた聖母マリアを仰ぎ視ると、我々は聖寵によりて聖とせられし霊魂の言うべからざる美しさを感嘆せずに居られない。なお聖母を御鑑として我々の霊魂を汚れなく保ちたいと云う気にもなって来るのであります。

(2)−先ず御やどりの際に於ける聖母の霊魂の美しさを思いなさい。無原罪の御やどりを聖会が盛んに祝い奉るのは何の為でしょうか。その答は聖パウロの「我等は性来怒りの子なりき」(エフエゾ二ノ三)の一句に尽きて居ます。人祖は天主様の御誡めに背きました。

その不従順の恥がちょうど源を毒せられた河流(ながれ)の如く、後世(こうせい)子孫の上にまで及んだのであります。我々は母胎にやどるその最初の一刹那に、人間性に付随せるこの罪の垢に染まって、罪人となり、怒りの子となり、超自然的光と力とを失ったまゝ生れる様になるのであります。

    然し聖母マリアには、そうした不幸が無かったのです。聖母は人類全体の腐敗を免れなさいました。罪の汚れは、その魂を侵し得なかったのです。聖霊は始から之に住み、そのすべての賜を浴びせ給うたのであります。

    聖会が聖母マリアの無原罪の御やどりの光栄と幸福とを盛んに祝うのは之が為であります。然し我々の為に奇しき御業は洗礼の日に行はれる。イエズス・キリストがお求め置きになった聖寵、聖母マリアを原罪の汚れに染ましめなかったその聖寵が、我々の魂をも罪の汚れより清めてくれる。我々に反して認められ、我々を悪魔の手に付せる文書は破って棄てられ、その代わりに神の子の消えざる印象が捺され、それによって我々もマダムか失いました天国への資格と権利とを回復することが出来たのであります。

    是を以っても罪の汚れなき霊魂の美しさが悟られましょう。我々は洗礼の聖寵を重んじ、その聖寵を戴いたことを厚く厚く感謝し、之を失はない様、大いに努めなければなりません。   

 

(3)− 次に全生涯に於ける聖母の魂の美しさを思いなさい − 聖会は聖母を讃美して「マリアは全美に在して、一の汚点もなし」と歌って居ます。実に聖母は御やどりの当座のみならず、また一生の間、清く美しく在した。罪の汚れなくやどされ給うた聖母は、また罪の汚れなく、天主様の御許え立ち戻り給うたのであります。

     なるほど悪魔は聖母の上に何等の主権をも有しなかったが、それにしても御子にすら容赦なく()(つか)った彼は、御母にも遠慮なく襲撃を加えたに相違ありません。然うです、聖母も我々の如く試練に遭われました。ただ我々は不幸にして屡その試練に倒れますが、聖母は堅固に無原罪の御やどりの聖寵を保ち、一度でも之を失い給はぬのでありました。

    天主様に従はないこと、即ち罪のみが、我々に聖寵を失はせる、我々の霊魂を汚点に染ましめることを聖母は飽くまで承知して居られました。随って聖母は如何によく主の仰せに従はれたものでしょうか、一度たりとも(つぶや)き給うことなく、躊躇(ちゅうちょ)し給うことなく、何時でも「我に成れかし」と答え、飛び立って従い給うのでありました。固より聖母ほど豊かに聖寵を蒙った者はないが、然しまた聖母ほど順良(すなを)にその聖寵に従ったものも居ないのであります。

     皆さん、洗礼は我々の霊的やどりの秘蹟であります。この洗礼によって聖化せられた我々は、聖母のそれに類似せる宝物を戴いて居るのでありますが、ただ聖パウロにも()はれた通り、その宝物を(もろ)い器の中に携えて居ることを忘れてなりません。

    では罪の汚れをして、魂に侵入せしめない為め、絶えず警戒しましょう。智慧の汚点たる()(びゅう)を避けると共に、心の汚点たる悪習をも注意して避けましょう。聖母マリアの如く、(おそ)()と謙遜とを以って、世間に遠かるべく努めましょう。

     神の掟を忠実に守り、以って魂を汚れなく保つのは、救霊の為に唯一の必要物であ

されば汚れなき天の御家に入るを得んが為め、全美にます聖母、原罪の汚れなくやど

され給いし聖母の御助けを祈りましょう、熱心に厚い信頼を以って、(しき)りに祈りましょ

う。

 

 

(いえ)  (ずす)     

 

(1)− 天主様が大任を是人(このひと)に降さんとして、親ら之に特別の名を命じ給うことは、往々聖書に見受けられる所であります。例えばペトロは始め名をシモンと呼ぶのであったが、主はそれを改めてペトロと名付け、使徒の首領、聖会の基礎となし給うた。サムソン及び洗者ヨハネの如きも、未だ生れぬ前から其の名を命じて、之に大任を托し給うたことは人の知る所であります。今天主様は我々人類を救いたいと思召しになって、その御獨子(おんひとりご)を遣し給い、天にも地にも(くらべ)なき聖名(みな)を之に与えて、イエズスと呼ばしめなさいました。(そもそ)もイエズスとは救い主、人類を悪魔の手より救い出す者と云う(いみ)である。聖パウロも云った如く、イエズスの聖名は総ての名の上に高く超越し、天に在るもの、地に在るもの、地獄に在るものも一度イエズスの聖名を耳にするや、悉く膝を屈めて拝伏すのである。

世に勝れたる名は多くあり、尊まれる名も少なくはないが、然しイエズスの聖名に比ぶべきものは、一つもないのであります。

(2)−「孩児(おさなご)の割礼を授かるべき八日目に至って、名をイエズスと呼ばれ給えり」、割礼は人

をして、己は罪人なりと自覚せしめんが為に設けられた儀式である。今救主は全能、全智、全善の神にて在しながら、浅ましき罪人の姿になり、割礼さえもお授かりになりました。

神にして人と為り、君にして(しもべ)となり、聖の聖、義の義にして罪人とまでお成りに

    なりました。「自ら(へりくだ)る人は上げらるべし」(ルカ十四ノ十一)、天上のもの、地上のもの、地獄のものをして、悉く膝を屈めしめる程の聖名を得給うたのも、(あなが)ち偶然ではありますまい。

今我々はイエズスの弟子の名を(かたじけな)うして居る。是は我々に取って何よりの幸福である。然し我々は果たしてイエズス様の如く謙遜でしょうか、果たしてイエズス様の如く自ら(へりくだ)って居ますか。人の目には、極めて小さな埃の懸かって居るのでも見咎めながら、自分の目には(うつはり)(よこたわ)って居るのに気付かない傲慢人ではないでしょうか。それでも尚イエズスの弟子と称し得るのでしょうか。

(3)― 「孩児(おさなご)の割礼を授かるべき八日目に至りて名を耶蘇(いえずす)と呼ばれ給えり」、割礼を受け、鮮血を(したた)らして、然る後、イエズスとは呼ばれ給うた。今我々はイエズスの弟子と称して居るが、果たして如何なる覚悟をして居ますでしょうか、我々は往々胸に空想を画き、殉教者を夢み、私も三百年前に生れたらば、太閤の刃に触れ、徳川の水火を踏んで、天晴れの殉教者となったらうものにと思い、昭和の御代に生れたことを(こぼ)す様なことすら往々あります。

そうかと言えば、肉慾を(はびこ)らせ、自我心を(ほしいまま)にさせて、之を抑制(おさ)える所以を知らないのです。思わざるも亦、甚しいではありませんか。たとえ太閤の刃に触れなくとも、たとえ徳川の水火を踏まなくとも、肉慾を殺し、自我心に割礼を施したら、立派な殉教者です。

偽りなきイエズスの弟子です。さはなくて、口にこそイエズスの弟子よと誇りながら、身には肉慾を(ほしいまま)にし、自我心を増長さしては、名ありて実なきものではありませんか。

 

(4)−「孩児(おさなご)の割礼を授かるべき八日目に至りて名を耶蘇と呼ばれ給えり」割礼はモイゼの律法を悉く遵奉すると云う表微(しるし)でした。イエズスの聖名(みな)は実に立派です、偉大ですが、然し割礼を授かり、彼の窮屈極まるモーゼの律法を遵奉して、然る後この聖名を()(たま)うたことを忘れてなりません。

今我々は口にイエズスの聖名を称え、身はイエズスの弟子でござると誇って居るが、果たして天主の十誡は勿論、聖会の制令、長上の命令までも忠実に守って居ますでしょうか、窮屈だ、面倒だ、堪え難き重荷だ、と思って居ないでしょうか。聖パウロは曰いました「何事を為すも、或は(ことば)、或は行い、悉くイエズス・キリストの聖名によりて為すべし」(コロサイ三ノ十七)と。言い換えれば、我々の思い、言、行いは、皆以ってイエズスの聖名を尊び、他人にも尊ばせる為にせねばならぬと云うことである。そうなったら、如何に六ヶ敷い(いま)(しめ)でも、窮屈な制令(おきて)でも、是こそイエズスの御心を喜ばせ奉るのだ、是こそイエズスの聖名を尊び奉るのだと思いますから、忽ち平易な(いま)(しめ)となり、愉快な(おき)()とも変じ、正確に之を遵奉することが出来る。斯くしてこそ我々は始めてイエズスの弟子の名を戴くことが出来る。

さもなくばイエズスの弟子の名はあっても、其の実なしと言はなければなりますまい。聖ベルナルドは()いました「イエズスの聖名は口に之を唱うれば、蜜の如く、耳に之を聞けば()(のう)な音楽の如く、心に之を思えば、覚えず小躍りする」と、我々は平生俗事に(ふけ)り、俗の思いに心が一杯になって居るものですから、イエズスの聖名を口にしても、イエズスの聖名を耳にしても、何等感ずる所がない。ただに感ずる所がないのみならず、(しばしば)、罪を犯して、この尊き聖名を汚して居るのです。

今深く悔い悲しみ、是からはイエズスの聖名に対して大いに尊敬の意を表し、謙遜を行い、肉慾を抑えて、イエズスの弟子たるの実を挙げ奉るべく決心しましょう。尚イエズスの聖名が我国内に(あまね)(ひろま)るよう熱心に祈り、懸命に努力しましょう。

 

 

 

イエズス様が三十歳までナザレトの田舎町で送られた感ずべき御生活をば、福音史家はただ三節に約めて居る。其の二節は聖ルカにあり、一節は聖マテオにあります。聖ルカは曰いました「イエズス、彼等と共に下りて、ナザレトに至り、彼等に従い居給えり」(ルカ?ノ五一)。又曰く「イエズス、智慧も年齢も神と人とに於ける寵愛も次第に弥増(いやま)し居給えり」(ルカ?ノ五二)。聖マテオは曰って居る「彼は職人の子に非ずや」(マテオ十三ノ五五)と。

(1)− 「彼等に従い居給えり」― 諸王の王、諸主の主、神の御子にして、且つ全能の神なるイ

エズス様は、其の被造物なるマリアとヨゼフとに従い居られました。然らば塵芥に等しい我々は、造

主にて(ましま)す神様の御命令には勿論、神様より其の権威を受け、我々の長上となれる方々の命令に従

うのを拒むべきでありましょうか。

 なおイエズス様がお執りになった業務を観察し奉ると、如何に賎しい事、些細な事にも、例えば家

を掃除する、食卓を整理する、入っては御母に手伝い、出でては聖ヨゼフを助けるにも、敏捷(すばや)く、活

潑に、完全に、謙遜に振舞い、欣々(きんきん)(ぜん)として天の父に対する愛情と、両親に対する愛情とを内にたく

わえ、外に溢らして之を行い給うのでありました。然るに我々は却って賎しい業務を避けて、貴き事

務に就きたいと熱望し、又、之を執り行うにも怠慢に、不活発に、不完全に、傲慢(ごうまん)に振舞っては居ま

せんか。嗚呼我々の従順は主の従順を距ること甚だ遠しと謂わなければならぬ。今この不完全な従順

を恥じて、以後は主の聖寵の助けに依り、長上の命令には、心から、完全に、主の為にと思って従う

べしと決心したいものであります。

(2)−「智慧と年齢(よわい)(いや)()し給えり」イエズス様は神の御意(みこころ)にかなう道を人々に示さんが為、現世

に来たり給うたのですから、すべての年齢、すべての身分に模範たらんと欲し、それに相当した事を

行い、(ことば)を用い、徳を修め給い、随ってまた完全なる幼年、完全なる少年、完全なる青年として、

地上に現れなさいました。今我々には年齢と共に聖寵と智慧とが増して居ますか。聖ベルナルドは曰

いました、「進まざるは退くのだ、増すを欲せざるは欠けるのだ」と。思うに我々の行状は、恐らく

彼のナブコドノソル王が夢に見た像、頭部は金、胸は銀、その次は銅となり、鉄となり、脚部は陶器

となって居た像に似て居ないでしょうか、即ち初めは黄金の如く優れて居るが、だんだん銀となり、

銅となり、鉄となり、到頭おしまいには陶器の如く見劣りのするのじゃないでしょうか、「君子は其

の始めありて、終りなきを(にく)むものである」。イエズス様も「終りまで耐え忍ぶ人は救はるべし」(マ

テオ)と曰うたでしょう。

なお、イエズス様は神と人との寵愛も彌増(いやま)し給うた。我々も亦之に(のっと)り、世に我々の行状の完全なるを示し、以って天に在す御父を讃美せしむべく努めなければならぬ。ただ神の寵愛のみを増そうと力めて、人の寵愛を度外視するときは、未だ以って十分ではない、然し人の寵愛のみを思い、人々より尊重されたいとばかり志すならば、それは虚栄である。(いと)うべきの甚だしいものであります。茲に(いささ)かナザレトの聖家を追想して見ましょう。この聖家は外見こそ矮小、貧賎(ひんせん)であれ、其の実は天国であったと(おも)はれます。(けだ)しイエズス様の完全なる従順、秩序と祈祷とを以って聖とせられた労働、夫婦、親子の愛情と協和とが、この矮小、貧賎なる家をして、楽しい天国たらしめたのであります。斯る家にこそ真の幸福がある、斯る家にこそ真の慰安がある、斯る家にこそ心の自由もあり、天の祝福も豊かに(そそ)がれるのであります。

 

(3)− 「彼は職人の子に非ずや」− 全能全智の神に在して、御父の御光栄を揚げんが為、現世に降らせ給うたイエズス様は、何故三十年間もナザレトの陋屋(あばらや)に隠れて賎しい業務に従事せられたのでしょう。我々に隠れたる生活を愛し、賎しい業務をも(いと)うべからずと諭さんが為ではなかったでしょうか。イザヤは次にこのことを予言して「主は実に救い主たるイスラエルの神にして、隠れたる神なり」と云って居る。イエズス様は其の智慧すらも隠し給いたればこそ、御布教の初めに当りて、其の親戚は狂人として、之を繋ぎ留めようとしたり、その隣人等は「学問もしたことのない彼の職人の子が如何して文字を知って居るのだろう」と(いぶか)った位でありました。嗚呼我々も隠れて人に知られず、むしろ無きものと思われるまでに隠れたる生活を愛したいものであります。

なお、イエズス様が聖ヨゼフと共に大工の業を営み、職人の子と見られ、人々の軽蔑をお(いと)いにならなかったのは、深い訳があったからである。即ち人は其の職に安んずる時は、()()下賎(いやしい)しい職たりとも、以って能く己が責任を全うし、神様の御意(みこころ)にも適うものである。   

然し過分の望みを発するならば、種々の騒擾(さわぎ)を醸して、法の外に其の身を棄つるに至ることすら無いものでもない、是れイエズス様の聖寵に注意せずして、其の職に安んぜざる結果である、されば(かみ)たる者も、(しも)たる者もイエズス様の聖寵に注意して、各自の職責を果たす時は、よく上下、(あい)和合して、其の団体、其の住居は、ナザレトの聖家の如く、平和、安静を楽しむことが出来るのであります。

 

吾 主 御 昇 天 の 祝 日

 

(1)−御主イエズス・キリスト様は御復活後、四十日目に使徒等を伴い、カンラン山に登りて別れを告げ、やがて世の始より古聖所に(とらわ)れて居た善人等を率いて、静かに御昇天なさいました。

この時、天国よりは数知れぬ天使等が天国の門を推し開き、勝鬨を揚げ、凱歌(かちうた)を歌って、この光栄の大王を歓迎いたしました。今我々も亦天使等と心を合わせ、声を揃えて(うやうや)しく御主の御昇天を慶賀いたしましょう。(そもそ)も主が御昇天なさいましたのは、元祖アダムの罪の為に閉ざされてあった天国の門を開いて、我々の為に処を備えんが為でした。「我、汝等の為に処を備えんとす」(ヨハネ十四ノ二)、如何なる処を備え給うのですか、「目も之を見ず、耳も之を聞かず、人の心にも上らざりし処」(コリント前二ノ九)、我々を飽かしめる喜びの流れ、我々を酔はしめる楽しみの溢れる座席である。

この座席には幾多の階級がある、「日の輝きも、月の輝きも、星の輝きも異にして、星と星とは輝きによりて相異なって居る」(コリント前十五ノ四十一)のであります。

(2)−主が我々の為に備え給える処は実に大したものではありませんか、抑もこの世は仮の世である、旅の空である、我々の久しく止まるべき所ではない。

皆さん、(あした)()して地上の森羅万象を打ち眺めなさい、水は滾々(こんこん)として夜昼流れ下り、昨日の水は既に今日の水には非ず、花は(たちま)ち開き、(たちま)(しぼ)み、草木は乍ち栄え、又、乍ち衰う。空に飛ぶ鳥、野に走る獣、(くさむら)にすだく虫、一つとして無常ならざるはなく、一つとしてこの世の(はかな)(たの)み難きを告げざるなしであります。然し夕べに仰いで天上を眺めて御覧なさい、幾千万の星が大きい、小さい、(たま)でも砕いて蒔き散らしたかの如く輝いて居るのは、天主様が天上の楽しみを朧に描き出して、我々の心を天の上に引き給う所以のものではありませんか。

主は毎日毎日日暮れを()って、この美はしき座席を我々の前に展開させ、以って我々を差し招き給うのではないでしょうか・・・汝の今日の(ことば)は果たしてこの座席に昇るに足るべき言であったか、汝の今日の行いは果たしてこの座席に据わるに堪うべき行いであったか、と一々御尋ねになるのじゃありませんでしょうか。天国は我々の故郷である。主が我々の為に備え給う処はかくまで偉大である、主が我々を招き給うことは斯くまで痛切である。然るに我々は尚、恋々として、(はかな)い世物に心を奪われ居るとは()うしたことでしょうか。

 

(3)−「基督は此等の苦しみを受けて、而して己が光栄に入るべき者ならざりしか」(ルカ二十四ノ二十六)とは、基督御自身の御言(みことば)である。実に主は今日無量の名誉を帯びて御昇天なさいました。無限の光栄を(にな)って御凱旋なさいました。然し之が為に、かっては血の汗を流し給うた、唾せられ給うた、鞭打たれ給うた、茨を冠り、十字架を背負い、その十字架の上に死に給うたのです。基督様ですら斯くまで苦しんで、然る後その光栄に入り給うたとするならば、我々ばかり何うして遊び(たわむ)れつゝ天国に入ること出来ましょう?・・・(もと)より基督様のお備え下さった座席は大したものである。

美しさの限りである、其の楽しみは我々が想像することすら出来ない程である。光り輝ける玉の(うてな)に据って、主と共に永遠無窮に楽しむ、何の(さいわい)か之に()かんやです。然し主は無条件でこの楽しみを与え給はぬ、日夜十字架を担って己が後に随う忠臣、義僕にのみ之を与え給うのである。されば彼の極まりなき天の楽しみを得たいと思わば、また基督様の如く汗を流して働かねばならぬ。人に軽んじられ、唾せらるゝをも甘んじて堪えねばならぬ、我々の肉体を打ち(こら)さねばならぬ。日々の艱難苦労を背負って、死ぬまでも基督様の御後に随わねばならぬ。我々は果たして、そうした決心になって居ますでしょうか。

(4)−なるほど夫れは重い十字架である。然し天の楽しみを思うと、斯許(かばかり)の十字架がなんでしょうか。彼の青空を()じ、天国の門を(くぐ)り、主と共に、聖母マリアと共に、天使聖人等と共に、永遠窮まりなく楽しむのだと思いましたら、仮令(たとえ)、身は猛火に焼かるゝとも、白刃に裂かれ、血は川を成して流るゝとも夫が果たして何でしょう?・・・荒っぽい(やぶ)れた衣に寒さを堪え、(まづ)い食物に飢えを忍ぶとも夫が果たしてなんでしょう。

才は乏しく、学もなく、人に侮られ軽んぜらるゝとも、たとえ規律に縛られ、命令に(くく)られ、窮屈な、不自由極まる一生を送るとも、彼の楽しみだに手に入れること出来たら、それが果たして何の損になるでしょう、之に反して彼の極まりなき幸福を失い、地獄に堕落するようなことにでもなったら、たとえ世界を(たなごころ)にし、億兆に号令するを得とも、何の益がありますでしょう?たとえ身は無事息災であるとも、目には千巻の書を読み、心は万学の奥理に通じ、人に尊ばれ、先生と呼ばれ、博士と持て囃さるゝも、果して何の得る所がありますでしょうか。 

何うぞ皆さん、今日は(しばしば)心を天に揚げて、天国を思いましょう。十字架の重きを(おそ)れず、浮世の儚き幸福を望まず、ひたすら天上の栄福を渇望して、之に到るの道を辿るべく決心しましょう。なお、我国の同胞が一日も早く其の心の(まなこ)を見開いて、己が頭上に輝ける天の高座(たかみくら)を認め、之に馳せ登るに至る様、心から祈りましょう。

 

           

 

(1)−「彼、太陽の中に其の帷幄(とばり)を置けり」(詩篇十八ノ六)主の御入来を、かたじけなうし奉るには、心が極めて清浄潔白であらねばならぬことを()ったものであります。皆さん宜しく之を思いなさい、来たり給うべき御方は誰?・・・御入来を、かたじけなうせんとする私は何者であるかと・・・聖母マリアの御胎(ごたい)は、救い主のやどらせ給うべき宮殿として、至清至潔に造られ、あらゆる聖寵の花を咲かせ、百善百徳の芳香(かおり)馥郁(ふくいく)たらしめ給うたことを思ったら、同じ至尊の御主を受け奉ろうとする私も、亦、至清至潔ならざるを得ますでしょうか。諸徳の芳香もて飾られてこそ然るべきではないでしょうか。

今、皆さんの心は如何?果たして至清至潔でしょうか・・・罪の汚点がなきのみならず、罪えの傾向すら消え失せて、肉慾治まり、情念正しく、諸々(もろもろ)の徳の花は(におい)こぼるゝ(ばか)りでしょうか・・・或いは又、罪や、不足や、悪習やの為に、癪病患者のそれの如く腐り(ただ)れ、粉々(ふんふん)たる臭気を放って居るのではないでしょうか・・・深く(へりくだ)りなさい・・・悔やみ悲しみなさい・・・主の御足の下に拝伏して「主よ、思し召しならば我を潔くすることを得給う」と申しなさい。主は必ず御手を伸べて皆さんに触れ、「我意なり、潔くなれ」と(のたま)うに違いありません。

(2)−「渇ける人あらば、我許に来たりて飲め」(ヨハネ七ノ三十七)、聖体を拝領し奉るには、熱く之を望まねばならぬ、渇ける人が水を欲するが如く渇望するでないならば、この聖寵の泉は開かれないことを云ったものである、だから渇けるものは「活ける水の泉より飲め」とあり、聖母は「飢えたる者を佳物(よきもの)(あか)せ給えり」(ルカ一ノ五十三)と()い、ゼルソンも亦「飢えたるものにあらずば、飽くことなからん」と曰いました。我々が今日まで幾度も聖体を拝領しながら、一つの悪をも改め得ず、一つの善をも修め得ないのは、世俗や肉慾に飽満(ほうまん)して主を渇望しない為ではないでしょうか・・・さても我々は何と云う(なま)(ぬる)いものでしょうか・・・もし(かか)る至聖至尊の聖体を吐き出す人があったら、恐るべき(どく)(せい)の大罪人よと言うではありませんか、然し何等の渇望もなしに之を授かり奉るのは、吐き出すのにも類しないでしょうか・・・皆さん、信徳の(まなこ)を開きなさい・・・聖体の至聖至尊なることを思いなさい。

皆さんに対し給う主の愛の限りも(はてし)もないことを考えなさい。主が皆さんに賜うべき幸福や恩寵の如何に大にして、また皆さんの為に如何に必要なるかを(こまか)に黙想しなさい。烈しい渇望はムラムラと心に起り来るでありましょう。

 

(3)−「汝、(こん)(えん)に招かれたる時、往きて末席に着け」(ルカ十四ノ十)、今、皆さんは招かれて主の(しく)(えん)に列席しようとして居られるが、さて主の如何なる御方なるかを御存知ですか・・・して皆さんはまた何者?・・・あゝ皆さんは果たして何者ですか?・・・罪人・・・禽獣(とりけもの)にも劣れる罪人・・・恩に報いるに仇を以ってせし忘恩者(おんしらず)・・・如何してこの至尊の神にちかずき、天使のパンを食すること出来ましょう?然し失望するには及ばぬ「その御召使の賎しきを顧み給えり」と聖母は(のたま)うた。

実に聖母の謙遜を喜んで、主はその御胎(ごたい)に人となり給うたのである。皆さんも聖母の如く謙遜なさいましたら、主は必ず皆さんを顧みて下さる。慈愛(いつくしみ)(こぼ)るゝ御眼を開いて、皆さんを顧みて下さいます・・・今、皆さんは我と我心に問うて御覧なさい、「彼の御方は何方(どなた)ですか・・・私は何者ですか」・・・と、もし誠意(もごころ)から斯く自ら問い、皆さんの心の状態に御注目なさいましたら、容易に謙遜の情を起すことが出来ますでございましょう。

 

聖 体 拝 領 に 要 す る 四 行 為

 

聖体拝領に要する行為は、信仰、謙遜、痛悔、希望の四つであります。

(1)信仰 聖体を拝領する時は、その聖体の中に主が真に在すことを固く信じて疑って     

はならぬ。我々の肉眼に映る所は、パンの形色のみであっても、実は耶蘇基督の御肉、御血、御霊魂、天主性までも、この形色の下に隠れましますのである。()ってユデア国に生まれ、千難万苦を()め、十字架上に御死去なさいました耶蘇基督様・・・今、天国に於いて、無上の光栄を帯び、御父の右に座し給う耶蘇基督様・・・世の終には万民を裁かん為に、大なる御威光を輝かして来り給うべき耶蘇基督様が、今このパンの形色の下に隠れて、我々の心に臨み給はうとするのであると云うことを、(てつ)(せき)をも貫く信仰もて堅く之を信じ、(つゆ)(ばか)りも疑ってはならぬ、

「我はトマの如く御創(おんきず)()ざれども、主の我が神なるを公言して憚らず・・・」、

「主よ、我は信ず、されど我が信仰の弱きを助け給え」

(2)謙遜 来り給うべき主は如何なる御方・・・受け奉るべき私は何者?・・・彼の御方こそ、無上至尊の神様・・・その御前には赫灼(かくしゃく)たる太陽も其の光を失い、爛々たる月、星も其の美しさを失い、際涯(はてし)なき天地も広しとするに足りないのである・・・然るに私は何者?・・・塵、(あくた)にも等しきもの・・・恩に報いるに仇を以ってした罪人・・・如何してこの無上至尊の神様に、ちかづき奉ること出来ましょう!天地も容れ能はぬと云う広大無辺の神様を、この卑しい、汚らはしい私の心の家に宿し奉ることが出来ましょう・・・聖母マリアは其の心の清浄潔白なること、天使も遠く及ばざる程でしたが、それでも主が其の御胎(ごたい)にやどらせ給はうとするや、謙遜の情に()()えず、「我は主の御召使なり」と申されました。()して罪悪に充ち満てる我が身だもの、謙遜の上にも謙遜せずに居られますでしょうか。

 

3)−痛悔 犯した程の罪はその大小を問わず、軽重を論ぜず、すべて之を憎み嫌い、深く悔い悲まねばならぬ。

たとえ告白の秘蹟を以って、その罪は赦されて居るにせよ、一日罪に汚れたる身は、以って至聖至潔なる御主の御前に出るに堪えない。

(いわ)んやこの御主をば手に取り抱き、之と一致し、之と融合し、全く一つ身ともなり奉るに於いてをやです・・・()っては大罪小罪に汚れたるこの口に、如何して天使のパンを戴き奉ること出来ましょう、()っては悪魔を宿したこの胸に・・・世俗や肉慾の住所(すみか)たりしこの心に、如何して至尊の神様を案内し奉ること出来ましょう。斯う思って深く罪を痛悔しなければならぬ・・・主よ、私の罪を赦し給え、限りもなく愛すべき主をば愛し奉らずして、悪魔を愛し、世俗を楽しみ、主を打ち棄て奉ったことを、私は深く悔い悲しみます、何うぞお赦し下さいませ・・・。

(4)−希望 聖ヨハネ金口(きんこう)は曰いました

「赤子が母の乳房を握る時、如何なる熱心を(あら)わすかをみよ」と、聖体は実に我等の霊魂の乳、有ゆる美味を含める天来の食物である。

諸々の()しき(めぐ)()(なぐ)(さめ)、愛情の溢るゝ珍味であることを思はば、誰しも熱く熱く之を望むべきではありませんか、渇ける鹿が(たにがわ)の水を(あえ)ぎ慕うことの如く、旱天(ひでり)に農夫が雲を望むことの如く、飢えたる者が食を探し、病者が医師に依り頼み、乞食が富者(かねもち)の門を叩いて哀れみを請うことの如く、我々の霊魂の渇きを()やすこの甘露をば、我々の霊魂の飢えを飽かしめるこの珍味をば、我々の妙薬、我々の寶、我々の慰、楽しみなるこの耶蘇をば(あえ)ぎ慕い、願い求めずに居られますでしょうか。

 

 

 

(1)−聖アロイジオは聖体について黙想するのを何よりの楽しみとしたものであります。聖人は信徳の眼が鋭く、聖体に於ける主の驚くべき御恩(おめぐみ)を打ち眺め、その全能、全知、その仁愛、その(にん)(たい)を驚嘆し給うのでした・・・聖人は早やその当時より、我々が今日視るが如きイエズスの聖心、その聖心の流血淋漓(りんり)として荊棘(いばら)の冠を(めぐ)らし、炎々たる焔を発し給うのを観て、恭敬、感謝、信頼、熱愛の情に心は溶けて流れんばかり、顔色さえ変わりて、己に地上の人とは思われない位でありました。

聖人の愛が心に渦まき、(ことば)に発する時は、聴く者をして烈火の(ほとり)に居るが如く、自ずから基督様に対する愛熱に燃え立たざるを得ざらしめたと云うことであります。聖人は又、無学な児童に教理を説明する時は、彼等に勧むるに恭しく聖体を訪問し、熱心に聖体を拝領すべきことを以ってし、成るべく(しばしば)聖体に就いて御話するの機会を捜し、御話がいよいよ聖体に及ぶや、殊に雄弁滔々(とうとう)として(とど)()る所を知らないのでした。当時ローマの学校に学徳並び高き一人の神父が居まして、夕食後の運動時間には、聖人の御話を聴き、以って翌朝ミサ聖祭を執行(とりおこな)う為の準備を為すのでありましたとか。今、我々の聖体に対する愛を以って、聖アロイジオのそれと比べ見たら大いに()づる所がありませんでしょうか。

(2)−聖アロイジオは往いて聖体を訪問する毎に、必ず多少の力、光、慰めを得て帰ったもの

であります。

聖人は聖体を以って己が唯一の慰安と為し、聖櫃をば己が二つなき寄り所、安全にして愉快(たのしみ)()きざる避難所と為し給うのでしたから、規定の時間は勿論、少しの暇でもあると、直ぐ聖体の御前に到り宛然(さながら)愛児の慈父に向って物語るが如く、其の悲しみ、其の喜びを打ち開け給うのでした。

して其のイエズス様と交わし給う御話の如何に親密であったかは、彼が此の時の挙動を以って推測(おしはか)ることが出来ます。伝える所に由りますと、聖人は聖体の御前に在りて、(ことば)に余るの愉快を覚え、少しも時の移るのを知らない、聖堂を退かねばならぬ時は、(あたか)独子(ひとりこ)が父母に別れて、千里の遠きに旅するが如く、逡巡(しゅんじゅん)去るに忍びず、強いて御前を立ち去り給うのでありましたとか。今、退いて我々の聖体訪問を思いますと、聖人のそれに比べて大いに異なる所はないでしょうか。我々の聖体訪問は甚だ稀ではありませんか、表面的ではありませんか。

冷淡極って居るのではありませんか。聖人の為に唯一の慰安、無二の快楽であったこの聖体訪問も、我々の為には、何等の慰めもない、退屈極まる重荷ではないでしょうか。

 

(3)−聖アロイジオは聖体拝領の許可を得た時は、歓喜(よろこび)()く所を知らず、万事を(なげう)って、其の準備に取りかゝり、又、拝領し奉ってからは、恭しく(ひざまず)き、満面感謝の涙に溢れ、我と我が身を忘れて、専ら心中に宿り給えるイエズス様と物語るのでありました。

聖堂に参詣して之を視る人は何れも天から降り来れる天使ではないかと疑う(ばか)りでございました。

聖会が聖人の祝日に当って、司祭に(とな)えしめる聖体領後文は、「主よ、願わくば今、天使のパンを食せし我等をして、天使の品行を以って生活せしめ給え、且つ今日、祝う聖人の如く、絶えず感謝の中に止るを得せしめ給え」となって居ます。是こそ聖人を以って、聖体拝領後の感謝の最も良き模範となすのでなくて何でしょう?・・・

今我々の聖体拝領に於ける準備と感謝とは如何でしょう。

明日聖体を拝領すると云う時は、果たして歓喜の情に堪えない程ですか。

果たして前晩から心を世事に遠ざけて、万事を(なげう)って其の準備に取り掛かりますか。

拝領後の時間の極めて貴重なるを思いますか。

この貴重なる感謝の時間をば退屈を以って過ごしては居ませんか。

「聖体拝領後の時間は一生中の最も貴重な時間である」と聖テレジアは()って居るが、我々は果たして、この時間をそんなに(おも)()じて居ますでしょうか。

 

 

           

 

聖体の永久礼拝とは、年から年に夜も昼も聖体を祭壇上に奉置して、礼拝するの意味である。

そんな事が果たして実行し得られるかと云うに、成るほど一個の小教区では到底やりきれない、それは分かりきった話でありますが、然し幾個もの小教区が互いに申し合わせて、今日はこの聖堂で、明日は彼の聖堂で行うと云う様にすれば、決して実行し難いことではない。

現に九州各地では、一年中、毎日曜日、何個かで之を実行することになって居る。なるほど(それ)は昼夜(ぶつ)(とお)しではなく、ただ朝のミサから午後の聖体降福式まで六、七時間行うに過ぎませんが、やはり一種の永久礼拝であります。今日は当教会の番前になって居ますので、之が目的について(いささ)かお話し致して置きます。

(1)−目的―はと云えば、固より聖体の中に在す主を礼拝するが為でありまして、特に聖体御制定の御恵みを感謝するとか、聖体に加えられる侮辱を償い、罪の御詫びを申すとか、或いは何かの御恵みを請求めるが為とか云う様に色々あり、決して一定したものではありません。然らば九州各地で、この永久礼拝を行うことになったのは何を目的とするのかと云うに、夫は極東、即ち日本、支那、朝鮮、印度支那、等の改宗を求める為であります。今世界の人口は十六億万として、アジアの人口は六億万、その中で真の教を信じ、救いの恵みを(かたじけな)うして居るのは、僅かに四百万足らず、実に少数であります。殊に我国の如きは、八千万の人口に対して、信者は僅かに十万そこそこ、何と云っても情けない次第ではございませんか。彼等も同じく日本帝国に生れた我等の同胞である、彼等も同じ天主様に造られ、同じ救い主の御血を以って(あがな)はれ、同じ天国の福楽を()くべく定められたものである。彼等が相率いて救霊の道を踏み外し滅亡の穴え落ち込みつゝあるのを見ながら、幾ら何でも高所(たかみ)から見物して居られたものでしょうか。(そもそも)もキリスト様が聖体の中に(こも)(ましま)すのは、世の終まで我々とお留まり下さらんが為である。かってこの世に在す折に人々を憐れみ、助け、慰め給うた如く、何時までも我々を憐れみ、助け、慰めんが為である。かって十字架上に御身を犠牲として御父の怒りを宥め、人類の上に御憐れみを祈り給うた如く、今も相変わらずその犠牲をつづけて、御父の御怒りを宥め、我々の上に御憐れみを請い求めて下さらんが為である。

二千年前ユデアに於いて送り給うたその生活、その伝道、その奇蹟、その祈祷を、今日聖体の中に於いて続けたい思し召しからであります。さすれば本日祭壇上に聖体を奉置して之を礼拝し奉るのは、特にキリスト様が何かの教を聞かして下さるか、奇蹟を行い下さるか、十字架に()けられて在すかと云う場合に立ち合う様なものである。何時よりも我々の願いは聴かれ、望みは達せられる訳である。

キリスト様は諸々の町や村を巡回して教を説き、病を癒し、群衆を見て、彼等が悩んで居る、牧者なき羊の如く疲れて、打ち臥して居るのを憐れみ給うた。

弟子等に向かい「収穫は多いが働く者は少ない、働く者をその収穫に遣わされんことを願え」と(おっ)(しゃ)ったが、今日この祭壇の上から、我国を見廻はし給い、民衆が路にまよって居るのを憐れみ給はないでしょうか。

「働く者を遣はし給え」と御父に祈る様、我々にも仰有らないでしょうか。

「主よ、私の娘が悪魔に憑かれて居ります。

私の子が死に瀕して居ります。

私の友が、兄弟が死にました。憐れんで下さい、癒して下さい、蘇生(よみがえ)らして下さい」と願はれる毎に、主は喜んでその願いに応じ給うのでありました。今も我々が日本国民の為、我々の父母たり、兄弟、姉妹たり、親しい友たる日本国民の心から、悪魔を逐出(おいだ)して下さる様、その心の病を癒して下さる様、之を冷たい死の墓より蘇生らして下さる様に祈りましたら、喜んで応じ給はないでしょうか。

キリスト様は十字架上で「我は渇く」とお叫びになりました。それは身の渇きを訴え給うたのでしょうか。

如何なる苦しみも、痛みも、じっと堪え忍び給うたキリスト様が、ただ渇きばかりを訴え給う筈がありましょうか・・・是は必ず霊魂を渇く、霊魂の救いを渇くが如く望む、と告げさせ給うたものに相違ありません。今日も祭壇の上に犠牲となって居ながら、(しき)りに「渇く、我渇く」と叫んでいらっしゃらないでしょうか。

日本国民の霊魂を渇く、何うぞその霊魂を与えて貰いたい、何とかして彼等を救いたいと、(しき)りに叫んでいらっしゃるのじゃないでしょうか。

かってサマリアを御通行になる時、その町に一人の不品行な、罪に汚れ果てた婦人が居ました。

その婦人を救いたいと思召しになり、疲れ果てるまで歩き、井戸端に腰打ち掛けて彼の婦人が来るのをお()ちになりました。

弟子等が共に居ては話が出来ないと見て、彼等を町え買い物に遣わし、ただ一人居残って彼女を俟ち受け、話の(いとぐち)を見出すが為に「水を一杯頂戴」と(おつ)(しゃ)って、次第に彼女の好奇心を(そそ)り、彼女の魂の汚れを指差して痛悔せしめ、救霊に導きなさいました。

その御志は今日と雖も決して変りありません。

聖体を以って聖寵の井戸端となし、我々を俟ち受け、救霊の水を汲ましめ給うのであります。

でありますから皆さん、今日は(かわ)(かわ)る聖体の御前に平伏して、救霊の水を我、日本帝国を始め、朝鮮、支那、印度支那等の為に祈りましょう。熱心こめて祈りましょう・・・

十 字 架 の 道 行

 

(1)−十字架の道行が当天主堂に新設されることになりましたので、この道行の務めは如何なる性質のもので、是よりして如何なる益を蒙ること出来るかと云うことを、かい摘んで申上げることに致します。

抑も十字架の道行と云うのは、救い主イエズス様がピラトの総督府で、死刑の宣告をお受けになってから、十字架を(にな)うてカルワリオに登り、死して葬られ給う迄の出来事を、十四に分けて記念するように仕組んだものであります。

何時頃から始まったものでしょうか。口伝(つたえ)によりますと、御子御昇天の後、聖母マリアは度々御子の血汐に染まったカルワリオの路を辿って、其の御受難を追想し給うのであったと云うことである。

その御跡を()んでユデアあたりの信者は勿論、後では遠い他国の信者までが、聖地に参詣して十字架の道を辿るようになって参りました。

然るにこの聖地が回教徒の手に落ちてからは、此処に巡拝(じゅんれい)するのが、なかなか面倒になって参りましたので、せめてもの思い出にと(かんが)え出されたのが今の十字架の道行であります。

(2)−でこの十字架の道行を熱心に務めますと、身は何時しかカルワリオの道を辿って居るような心持になり、御主の痛ましい御受難が自づと沁みるが如く覚えられるのであります。

十字架の道行の益と云うは第一にそれである。即ちこの道行によって我々は御主の御受難をしみじみと身に感ずることが出来る、御主の御受難をしみじみと身に感じますと、自然犯した罪の(にく)むべきことも分かれば、天主の正義の怖ろしいことも分かる。

イエズス様の底知れぬ愛までが悟れる様になるのであります。

抑もイエズス様は罪一つない御方、神の御独子(おんひとりご)、全能、全知の神にて在しながら、ただ我々人間の罪に代わられた、我々人間の罪を御身に引受けられたと云うばかりで、(ああ)いう惨酷たらしい刑罰に処せられ給うたかと思いますと、誰しも天主の正義の怖ろしいことを(さと)らずに居られますまい・・・

罪一つなき神の御身にて在しながら、ただ罪人の姿になられたと云うばかりで、彼の様なえらい目を見られたと云うならば、自分の如き大罪人は、どんなに厳しい処罰を蒙るべきであるかと、我ながら怖ろしくなって来るはずであります。

 

(3)−其の上、十字架の道を辿りますと、一留ごとに自分の罪をありありと書きつけてあるのを読むかのような心持がしてなりません。

ピラトが死刑の宣告を下したのを見ましては、あゝ自分も悪魔の誘に負けて、罪を犯そうと承諾した時は、主に死刑を宣告したのだと思いつきます。

重い重い十字架を担いでカルワリオへと進み、途中で幾度も(たお)れなさったのを見ましては、是も自分が罪に落ちたからだ、自分の罪の重きが故だと(さと)って来ます、「我が為に悲しむ勿れ、汝等と汝等の子孫の為に悲しむべし云々」と婦人等に仰しゃつたのも、(ちょう)ど自分に曰はれるかの如き心地が致しましょう。

自分が手を以って悪い行いをしたから、主の御手は十字架に()けられ給うたのである。足を以って悪い所え行ったから、主の御足は動かぬよう、(かな)(くぎ)で打ちつけられ給うたのである。

飲食の度を過ごしたから、主の御口は焼くが如く渇いたり、苦いものを飲まされたりし給うたのである。御耳も破れんばかりの悪口雑言を浴びせられ給うたのは、是れ皆自分が人を悪言し、(ののし)り、(そし)った為である。斯う思いますと、痛悔の情はムラムラと(おこ)って参りまして、胸も張り裂けよとばかりに覚えるでございましょう。

霊魂の価も知られます。主は前晩より血の汗を流し、(むちう)たれ、裁判所より裁判所えと引廻され、非常に弱り込んで居られたにも拘わらず、十字架を見るや、飛び立って之を(にな)い、足取り勇ましくカルワリオえと進まれました。

然し精神は如何に逸っても、身は鉄石ではない、血はタラタラと流れ、膝はワナワナとふるひ、足はよろめきながら、重い十字架を担いで、カルワリオの路を辿らせ給うのですから、(つい)には力尽きて幾度となく倒れ給うた。

然し倒れてもまた必ず起ち上がり、再びよろめく足を踏みしめ踏みしめお登りになります。

起きては倒れ、倒れては起きして到頭カルワリオに登り、(かな)(くぎ)アラアラしく十字架に打ち附けられて御死去なさいました。

斯う云う所を(あおぎ)()ましては、ただ罪の恐ろしいことを(さと)るばかりではありますまい、自分の霊魂を救はんが為に神の御子が是ほどの苦しみを受け給うた、是ほどまで酷烈な苦しみを堪え忍んで自分の霊魂を(あがな)い下さったのである。

して見ると、自分の霊魂は千万金で以って買われたのでなく、実に神の貴い御血を以って贖はれたのである、神ほどの価があるのである。

粗末にしてはならぬ、僅かの目腐金や、煙のような果敢ない名誉や、夢のような快楽を買はんが為に、この魂を投棄(なげす)てはならぬ、そうしてはイエズス様に相済まぬ、申し訳がない、と云うことも分かるでございましょう。

 

(4)−終に我々の霊魂を救わんが為に、神の御子が何うしてそんな貴い価をお払い下さったのでしょうか?御生命を(なげう)ってまでも霊魂を救はねばならぬ必要が何処にあったのでしょう?我々の霊魂が何かに必要であったのですか、救はねばならぬ訳があったんですか、救わなければ御自分の幸福がそれだけ減ずると云う訳でもあったのですか。

否、決してそんな訳はありません。

主は限りなき幸福の天主様我々を救ったからとて、其の幸福が少しでも増すこともなければ、救わずに地獄に堕落さしたからとて、其の幸福が一分一厘でも減るのでもありません。それにも拘わらず、()れほどの苦しみを堪え忍んで我々をお救い下さった訳は、ただ我々を愛し給いたればこそです。我々はこの十字架の道行をする毎に、イエズス様が自分の為に是程の苦しみを堪え忍んで下さったかと思っては、甚くその御慈悲に感激せずには居られない、主が十字架を(かつ)いでカルワリオに進ませ給うのを見ては、自分も身に降りかゝる艱難苦労の十字架を喜んで担ぎたい心になって来るはずである。シレネオのシモンが十字架を厭がって仕方なしに担ぐのを見ては、歯痒(はがゆ)くて堪らない、自分が引き取って担ぎたくなる、ベロニカが主の御顔を(ぬぐ)って上げるのを見ては、自分も罪に汚され給える主の御顔をば、善行を以って、偽りなき愛を以って拭き参らせたい、共に十字架をかき抱き、何時迄も何時迄も離すまい、と云う心が(おこ)って参りませんでしょうか。斯の如く十字架の通行(みちゆき)を熱心に勤めますと、罪を恐れ、霊魂の価値を(さと)り、主の愛を想っては自分も一心に主を愛したい氣になるものであります。

で、ベネジクト十四世教皇も「十字架の道行によりて罪人は何時しか善に立ち帰り、冷淡な心は温まり、善人は益々善人になり行く」と仰せられました。

まだ他にも益があります。即ち少なくも痛悔の心もて十字架の道行を勤める人は、その度毎に(ぜん)贖宥(しょくゆう)を蒙る、同じくこの勤めを果たす其の日に聖体を拝領すると、今一つ全贖宥を蒙ることが出来る、もしこの勤めを始めてから、何かの故障が起って、夫を終まで勤め果せなかった時は、一留毎に十年と十四旬の分贖宥を蒙れます。(一九三二年六月十七日)

但し其の贖宥を蒙るが為には二の事を要する、先ず十四留とも続いて一留づつ巡らなければならぬ、唯向き直ったばかりでは足りない。然し信者が聖堂に多く集まって一緒に之を勤める時は、少なくも(からだ)を其の方に向けて、一留毎に立ったり(ひざまず)いたりすれば(それ)で宜しい。次に暫くの間、主の御受難について黙想しなければならぬ、黙想は一留毎に当る所ならば最もよいが、是非と云うことはない、御受難の所でさえあれば何処を黙想しても構わぬ、其の他の祈祷は必ず(とな)えなければならぬ必要がない、随って文字が読めても、読めなくても、御受難の所を暫く思いさえすれば夫で()い、そして自分にも人にもなかなか為になるのですから、出来るだけ、殊に金曜日にはこの務めに与るか、或いは自分(ひと)りで之を行うかする様にして欲しいものであります。

 

十 字 架 を 担 ぐ

 

「人もし我が後に()きて来たらんと欲せば、己を捨て、己が十字架を取りて我に随うべし」(マテオ十六ノ二十四)誰にしてもイエズス様の弟子となり、天に昇りたいと思わば、己を捨て十字架を担がねばならぬ、十字架は天国の門を開く鍵である。

此の鍵を持って行かなければ天国には這入れない、然らば

(1)十字架とは何ぞや、  

(2)何ぜ之を担がねばならぬか、

(3)如何様に之を担ぐべきであるか、この三点に就いて一言申し上げて置きます。

(1) 十字架とは何ぞや 十字架と云うはカルワリオの頂に()てられ、御主の()けられ給うた刑具を指すのみではなく、またこの涙の谷に於いて、我々の上に襲いかゝるすべての憂い悲しみ、病苦、災難等をも十字架と称するのである、未信者は真の信仰を持たないので、()()な目に出遭(でくわ)すると、よく「運が悪い」の、「何の因果だろう」のと呟くのであります。

然し我々信者は信仰の光に照らされて居ますから、如何なる災難、病苦、憂い、悲しみが襲いかゝって参りましても、決して自分の運が悪いと悲しむこともなければ、人が邪魔をしたと怨むのでもない、是は皆、慈愛深き天主様が自分の為を思い、自分の魂の益を(はか)ってお与え下さったものであると(わきま)えて、有り難く推し戴くのであります。

「神を愛する人には、万事共に働きて益あらざるはなし」(ローマ八ノ二八)、と聖パウロは申されたが、実際天主様を心から愛しさえするならば、幸福でも、災禍(わざわい)でも皆、益になります、罪より外に害になるものはありません。然し特に災禍は之を主の御受難に合わせて快く堪え忍びますならば、我々に天国の門を開けてくれる鍵、何よりも有り難い鍵ともなるのであります。

してこの種の十字架ならば世界到る処にある。身体の疾病、苦労、暑さ、寒さ、(うえ)(かわき)、貧乏に悩される、身の慾を(おさ)えること等は何れも立派な十字架である。心の方では、互いに愛し愛されて居る親子夫婦、朋友に死に訣れる、事業に失敗する、財産を倒す、気心の合わぬ六ケし屋と共に居らねばならぬ、と云うような事は、より勝れた十字架である。

外からは人に(はづかし)められる、無礼を加えられる、軽蔑される、荒々しく叱り飛ばされる、棄てられる、裏切られると云うようなのも同じく十字架で、此の種の十字架ですと、何処にでも見出される、如何(どん) な身分、家柄にあっても、全くこの種の十字架を避けることは出来ないのであります。

 

(2)−何故十字架を担がねばならぬか 十字架には何の益があるかと云うに、それは第一、我々の罪を償うが為に必要である。罪には必ず相当の罰があらねばならぬ、此の世で其の罰を受けなければ、何うせ煉獄に於いて其の償いを果たすより外はない、然し煉獄での償いは非常に激しくして、而も我々の為には一も功績とならない、よって天主様は此の世に於いて、成るべく()(やす)くて、しかも為になる償いを果たさせたいと思召しになって、斯うした十字架を与え給うのであります。

次に此の世で、余りにも気楽で、幸福に暮らせますと、人は何時しか天主様を忘れ、天国を忘れるものである。

之に反して災難に悩まされ、悲哀(かなしみ)に泣く様な目に遭いますと、自然此の世を(いと)い、天国にあこがれます、人が頼みにならぬと分かれば、それだけ天主様に(すが)りたい気になって来るものである。

御覧なさい、母親は子供に乳離れをさせようと思っても、子供が容易に離れない時、乳房に辛いものや、苦いものやを塗りつけませんか。

天主様も丁度そんな様にして、重い、苦しい十字架を与えて、我々の心を浮世の物より引き離そうとして下さるのであります。

終に天国に入るの幸福を忝うする為には、是非ともキリスト様に似る所があらねばなりません。

キリスト様の弟分と云う資格で、天国え這入らして戴くのですから、もし少しも弟らしい点がないならば、何うしても天国には這入れないのです。所でキリスト様の御一生は苦しみの御一生で、生まれてから死するまでも、十字架を担ぎ通しに担いで居られたと言っても可い位であります。

さすれば我々もキリスト様の弟分となって天国に這入るには、必ず十字架を担がねばならぬ。十字架を担ぐことが多ければ多いほど、キリスト様にますます似て来るのですから、昔からキリスト様に愛された聖人等は、よく重い十字架を担いだものであります。

幼きイエズスの聖テレジアや、福者ゼンマの伝記を一読しても知られましょう。

斯う云う理由を考えて見ますと、十字架は如何ほど(あたい)(たか)きもので、又、如何に之を尊重せねばならぬかと云うことが、自づと明らかになって来るでございましょう。

然し多くの人は聖パウロの(いわ)ゆる「キリストの十字架の敵」で、口にはキリスト信者でござる、と誇って居ながら、キリスト様の為に(ごく)、軽い十字架でも担ぎ得ない、少し悲しいことでも起ると、直ぐ呟きます。

クヨクヨと不平をならべます。為に折角、天主様が我々の為を思ってお与え下さった十字架も、一向益にはならないで、(さかさま)に害を来たす、罪を作る(もと)ともなると云うような始末に立ち至るのであります。

それでは何うしてキリスト様の弟分と認められ、天国に入るの幸福(さいわい)(かたじけな)うすることが出来ますでしょうか。

 

(3)−如何様に十字架を担ぐべきであるか 十字架は担ぎさえすれば、何うして担いでも差し支えないかと云うに、決して然うしたものではない、(つぶや)きながら、不平の百万遍をならべながら之を担いでは、丁度彼の悪い盗賊の十字架と同じく、天国の門を開ける鍵ともなる筈の十字架が、却って之を閉ざすに至るのであります。之はもう自分に約束された運命で、何うせ遁れること出来ないのだから、一層のこと、クヨクヨ言はずに、男らしく(こら)えると云うのは、未信者らしい担ぎ方で、天国の幸福を得るには足りません。

天主様を愛する心よりして、天主様の思召しにお托せして担いでこそ、始めてキリスト信者らしい担ぎ方で、それでなければ折角の十字架も全く(ねうち)がないのであります。

そこで真正(ほんとう)のキリスト信者らしく十字架を担ぐには

第一 敬意を以って之を担がねばまらぬ 我々の肩に加えられる艱難苦労は、主の御手より下される十字架、世の如何なる宝物よりも価値ある寶だと思って、有り難く推戴かねばならぬ、いくら世界の宝物を有って居たからとて、善人になれる訳でもなければ、天国の福楽が蒙れるはずでもありません。

然し十字架を能く(おし)(いただ)くと、神の御子に似たものとなり、御父には愛せられ、天国の門は開かれる、是ほど有難いものが何処にありますでしょうか。

第二 謙遜の心を以って之を担がねばならぬ 自分の罪を思い、自分は当然地獄にも投げ込まれ、終なき苦罰に泣かなければならぬのであったのだと思いましたならば、此の位の艱難苦労は何でもない、と悟る様になって来る筈でしょう。

其の上、十字架を快く堪え忍ぶのは、シレネオのシモンの如く、キリスト様を援けて、十字架を担いで上げる訳で、謂わば主の方から御頼みになる様なものだ。自分の如き罪人に何うしてそうした名誉をお与え下さるのだろうかと思い、感謝しつゝ之を担がねばならぬのであります。

第三 愛を以って担がねばならぬ キリスト様は自らその重い十字架を担ぎ、先に立って我々を差招くいて下さる、天国の(きわま)りなき福楽を約束して差招いて下さるのです。

「来たれ、我に従え、汝等は我が飲まんとする杯を飲むこと出来るか」と仰しゃるのに、

「厭でございます、私は到底飲めません」と云って可いでしょうか。

「ハイ、参ります、喜んで戴きます」と答える筈ではありませんか。

イエズス様の為に苦しむのは、つまりイエズス様を愛し奉る所以である、イエズス様は一日(あるひ)十字架を肩にして、十字架の聖ヨハネに(あら)われて、今まで沢山働いた代わりに、何んな報酬が欲しいか、とお尋ねになりました。

ヨハネは言下に「主の為に苦しみ、且つ侮られんことを」と答えました。

 

第四 喜悦(よろこび)を以って担がねばならぬ 苦痛は天主様に献げる犠牲である。

我が身の安楽を(なげう)ち、我心の望みに逆らい、辛いことや厭なことを天主様の為にじっと堪えるので、実に立派な犠牲である、所で「神は喜びて与うる人を()みし給うのである」(ロリント後七ノ四)苦情を言わないで、じっと歯を喰いしばって我慢するのは悪くない、然し喜んで之を耐え忍ぶ、そんな目に出遭(でくわ)するのを望む、いよいよ(それ)に出遭したら、心から天主様に感謝すると云うのは、最も勝れた十字架の担ぎ方でわありませんか。

聖フランシスコ・ザベリオが「増し給え、増し給え」と叫び、聖パウロが「一切の患難の中に於いて、我は慰に満ち、喜びに堪えず」(コリント後九ノ七)と()はれたのは、実にこの境地に達して居られたからであります。

今、我々の十字架の担ぎ方と、聖人等の夫れとを引き比べると如何にも恥ずかしい次第ではありませんか、我々は十字架を逃げよう逃げようとして居る、己を得ず之を担ぐにしても、不平だらだらである、斯の如きは十字架の価値を知らないからである。

半キリスト信者だからである。

考えても御覧なさい、我々は聖人の子孫であるというのに、是では祖先にたいして済まないじゃありませんか・・・(へりくだ)って赦しを願いましょう。

十字架上なる主の御前に平伏して、(ひとえ)に赦しを願いましょう。

併せてまた我々に光を賜い、心を照らし、強め給はんことを祈りましょう。

天 災 に 就 い て

 

(1)−天主様はその限りなき御力を以って天地万物を造り、その造ったものは、限りなき御智慧を以って之を司り、その天地万物中でも特に我々人間をば、その限りなき御仁慈(おんいつくしみ)を以って愛し給うのであります。随って天主様の許可(おゆるし)なしには、空に飛ぶ一羽の雀でも死ぬことはない、我々の頭髪、格別必要でもない、有っても無くても差支えない様な頭髪までも、天主様は一々数え上げて居て下さいまして、その御承諾なしには、一本でも抜けて洛ちない。イエズス様が然う仰しやったのですから、決して間違いはないはずであります。

それも尤もな話で、先ず天主様は全能である、全能である以上は、何一つ為し得給はぬことはない、斯うしよう、彼ならしめようと思召しになったら、必ずその通りになる。人がどんなに致しましても、それを防止めること出来るものではない。之に反して天主様がそうさせまいとお思いになりましたら、誰が何うしたからとて、決して然うならぬのである。次に天主様は限りなき智慧の持主で、我々の為に何が益になり、何が害になるか、明らかに御存知であります。終に天主様は限りなき御慈愛の持主で、我々を非常に可愛がって下さいます、「母たるものは自分の産んだ子を忘れ得るものでない。たとえ母にして其の子を忘れるものがあるにしても、我は決して汝等を忘れまいぞ」(イザヤ十三ノ四九)とまで仰しやった位でああります。  

斯くの如く天主様は我々を愛して下さる、愛して下さるから、必ず我々の為になるよう、我々の害にならないよう、万事を御計(おはから)い下さるはずであります。

(2)−要するに、天主様は限りなき御慈愛を以って我々を非常に愛し、何に由らず我々の為になるものを与えたいと一心に望んで居られます上に、亦、全能にして望む所は何でも之を全うし得給うのである、一方からは全智に(ましま)して、何が我々の為になるかと云うことも、一々御存知あそばすと云うのですから、我々は安心して天主様の御計(おはから)いに身を(まか)せ奉るべきではありませんでしょうか。

して見ると、現世に於いて我々の身の上に落ちかゝつて来ることは、嬉しいことも、悲しいことも、幸も不幸も、皆、天主様の御手より下って来るのである。天主様が其の全能を以ってお与え下さるのである、全智を以って我々に最も益になると見てお与え下さるのである、全善を以って我々を愛するの余りにお与え下さるのでありますから、有難く推し戴かねばなりません。

 

3)−然し天主様が我々の為を思ってお(はから)い下さると申しましても、それは霊魂を先にして、肉身を後にし給うのであります。たとえ肉身には益になっても、霊魂に害になると見給うたら、お与え下さらぬ、肉身には害になること、悲しいこと、禍になることであっても、もし夫れが霊魂に益になるならばお与え下さることが多い。

我々を真実に愛し、我々の霊魂を是非とも救い上げたい、永遠に幸福ならしめたいと欲し給うよりして、斯くはお計い下さるのであります。

親は子供が剃刀を持って遊んで居るのを見ると、是非それを取り上げます。泣いても狂っても取り上げます。怪我をしてはならないからです。病気をして居る時は、無理やりに口を開けて、苦い薬を注ぎ込みます。子供を可愛く思い、其の病を癒してやりたいと一心に望んで居るからであります。

天主様も同じく其の通りに致しなさる、我々がお金を持って居り、快楽や名誉に誇って居り、身の健康を喜んで居て、為に霊魂を傷つけそうだと見給うや、泣いても狂っても、我々のお金を取り上げて、無一文となし、快楽や名誉を取り上げ、身の健康を取り上げて苦しみを与え、名誉を失はせ、病に(かか)らせなさいます。

母親がその愛児の口に苦い薬を注ぎ込むが如く、次から次えと災難をお与えになることすらあるのであります。

して其の病を与えられた時、身代を潰されて無一文となりました時、人の前に大恥をかきました時は、実に苦しい、堪え難い思いがするのですが、然し其の為に(くら)んで居た目が開いて来ます、自分の罪を覚って痛悔し、誠意から天主様に仕え奉る決心になります。

即ち苦い薬の為に霊魂の病が立派に癒されるのであります。「良薬は口に苦けれども病に利あり」と申しますが、実際そうであります。世にはお金があり、人にわいわいと持て囃され、躰は健全である所から、過って罪を犯し、霊魂を滅ぼすに至るものが幾何(どれほど)御座いますでしょうか。其の反対に病人であるが為め、貧乏であるが為め、人に侮られ、辱められて居るが為に、悪いことをするにも()れず、そのお陰で救霊を全うするに至る人も幾程あるか知れません。して見ると、この世で幸福を楽しめるからとて喜ぶには足りません、却って小供の手に剃刀を握らされたのではあるまいかと恐れねばならぬ。之に反して重ね重ねの災禍に見舞はれたからとて悲しむには及びません。むしろ自分の霊魂の病を癒す為の苦い薬だと思って、有難く推し戴かねばなりません。

 

(4)−こう考えて見ると、皆さんの上に襲いかゝった天災や、不景気も、或いは天主様が皆さんを可愛がってお与え下さった賜であるかも(はか)られない。好景気は訪れ、お金はどしどし入って来る、体は健やかだ、入っても出ても幸運に恵まれて居ると云うならば、それに安心してしまって、霊魂を忘れ、天国を忘れて、ちっとも構わない様になる、罪を犯して天主様の聖心(みこころ)を傷つけるようなことを平気でやって居る。たとえ自分は正しい行いをして居ても、自分の子供が、弟や妹が、そんなことをするのを構わずに放って置く、どんな危険に臨んで居るかと云うことすら思わず、地獄の穴に片足はさし込んで、昼寝でもして居ると云う様にならぬにも限らない。そこで天主様は皆さんに(ねむり)(さま)させるが為、親の務めを怠って居る人に注意を促すが為に、色々の病やら、不名誉やら、天災やらの苦い薬を飲まして下さるのではないでしょうか。

然し私の家族には、一人でもそうした不心得の人間は居ない積もりですが、と仰しゃる方があるかも知れません。

なるほど御家族には居ないでも、隣近所にそんな人が居ますならば、やはりその為に天罰を蒙らないにも限りません。昔イスラエル人の中にアカンと云うものが居て、天主様の御命令に逆らい、取るな、取ってはならぬぞと、厳しく(いまし)めて置かれたものを密かに取って隠して置きました。其の為にイスラエル人は天罰を蒙り、敵と戦って、散々な敗北を見たことがあります。だからして自分は正人君子でありましても、自分が家族に、隣近所に、悪人が居ますならば、どうしても其の余抹を(かぶ)らずには済まぬものと覚悟しなければなりません。

でこの天災は皆さんの霊魂の病を癒すが為に、天主様のお与え下さった苦い薬だとすれ

ば、之を遁れるには、是非とも皆さんの霊魂病を取って除ける工夫をしなければならぬ、自分の霊魂にはどんな病があるか、どこが天主様の御気に召さぬのであるかと、よくよく取り調べて、之を改める、早速之を改める、自分の子供、自分の親、自分の夫や(つま)やに其の病があって、自分が勧めても戒めても癒させること出来なければ、せめて自分がその身代わりとなり、前にも倍して善事をなし、天主様にお詫びをするように務めなければなりません。

然うした上で、天主様の御憐れみを求め、聖母マリアの御助けを祈りましたら、必ずお聴入れ下さるに相違ありません。

 

(5)−さはなくて、ただ「悲しい時の神頼み」で、災難だけを遁して下さいと、お願い申しました所で、到底お聴き入れ下さるはずがありません。

守護の天使は皆さんの祈られる一方から、天主様に向い、

「否、天主様、決してお聴き入れ下さいますな、この人はまだ罪を改めません、お聴き入れ

下さいますと、それに安心して心を改めませんから、罪を止めませんから、この人の霊魂を

可愛いと思召しになりますならば、どうぞお聴き入れ下さいますな」と申し上げるでござい

ましょう。

悪魔は聴き入れて戴けばと思いましょうけれども、守護の天使は皆さんを愛していらっ

しゃいますから、皆さんが心を改めない限りは、却ってますます其の害が甚だしくなるようにお願いなさるでございましょう。

でこの災難を取り除いて戴きたいと思いなさいますならば、先づ心を改めて善良なる信者

とならなければなりません。

次に然う云う立派な心になって願いましたならば、それで沢山でしょうか、手を(こまぬ)いて

天主様の御憐れみが下るのを()って居るべきでしょうか。

否、天主様は怠けものをお助け下さいません。

「天は自ら助くる者を助く」、祈る一方から自分でも骨を惜しまずに、せっせと働いて、その災難を遁れる工夫を致さなければなりません。

(つい)に、そうしても猶この災難を遁れること出来ない時は、全く天主様の御摂理に身を(まか)せ、自分の為を(はか)って然うして下さるのだと信じ、自分を打ち給う慈父の御手に恭しく接吻する様に致しなさい。

 

 

(1)−今日は初めて皆様に御話し致しますのですから、御意見がましいことは後廻しと致しまして、ただ「ドミヌス・ヴォビスクム」と云う我々信者の身に取って最も芽出度く、有難い御言(おことば)を申し上げることに致しましょう「ドミヌス・ヴォビスクム」とは、「主、汝等と共に(ましま)さんことを」と云う意味で、(ことば)の上から申しますと、至極簡単でございますが、然し意義はなかなか深くて長い。すべての有難い、芽出度い事は此の短い一句に籠ってあると云っても可い位であります。一体人は自分独立(ひとりたち)で、少しも他の助力を()らずに世渡りをすると云うことは、六ケしいものであります。

そこで天主様が初めてアダムを造り、之を楽園に置き給うた時も、「人(ひとり)なるは()からず」と曰うて、エワを造り、之を配偶としてアダムにお与えになりました。

アダムの如き福楽、円満な身でありながら、なを其の通りだとするならば、()して其の他のものに於いてをやであります。

思わぬ疾病に取つかれるとか、不時の災難に襲われるとか、はては盗賊に付け狙われる、仇敵に悩まされるとか云うのは、毎日のことで、何うしても「人獨なるは善からず」であります。

是は肉体上に起る危険、災難に過ぎませんが、霊魂上に至っては猶更であります。現世は戦いの場面かも我々に向って攻め寄せる敵は所謂(いわゆる)「此の世を徘徊するサタン及び其の他の悪魔」でありますから、愈々「人獨なるは善からず」であります。

抑も宗教と云うものは世人の考えて居る様に決して厭世(えんせい)主義でもなければ、消極的でもない、人性の弱点ばかりを指摘して、悲観的思想を注ぎ込むと云う様なことは大いに非とする所でありますが、然し事実が今申しましたような事実である以上は、何とも致方はございません。実際、霊魂の此の世に於ける有様と云うものは、幼子が途中で守を失ったか、盲目が杖を奪い取られたかの様な塩梅で、誠に以って剣呑(けんのん)至極であります。その心細い、不安な、何うなることかと案じ煩って居る所に「主、汝と共に在さんことを」と曰って戴くのは、何よりも有難い、芽出度い、力強いことではありますまいか。

天主様が御自分で、この身に付き添って下さる、(わが)杖となり、吾守りとなり、吾親とまでなって下さるとは、是ほど喜ばしい、安心なことがありますでしょうか。

天主様さえ私に付き添うて下さらば、天主様さえ(わが)(もの)となって下さらば、何が別に不足がありましょう。天主様の内には(すべ)ての善が、万ての福がちゃんと備わってあるのじゃございませんか。

天主様は実に我々の家督である、我々の敵に対する強大な武器、此の世の旅の親切な案内者である。

斯う云う天主様が我等と共に在し給うとするならば、何が一つとして不足に思うことがありますでしょう、之に就いて有難いお話があります。

 

(2)−修院長の聖アントニオが(かつ)って終夜魔群(まぐん)と戦い非常に疲れ、弱り込んだ眼を挙げて天を眺めますと忽ち不思議な光がパッと閃いて修院の棟を貫き、暗黒を破って輝きましたので、魔群は怖れて逃げ去り、聖人の身に負わされし無数の深手浅手も(たちどころ)平癒(いえ)ました。聖人は漸く安堵して声を挙げ、イエズス様を呼ばゝりて「主よ、敵は斯くまで私を苦しめて居ましたのに、主は何処に(ましま)したのですか、何故早く彼等の乱暴狼藉を差し止め、私をお救い下さらなかったのですか」と申しますと、御返答の声が朗らかに聞こえました、「アントニオ、私は戦いの初めから汝の傍に居て、仔細を見て居たのです。汝はよくも勇ましく戦いました。是からも汝の傍を離れず、汝の名を世に高くなして上げましょうよ」と。有難いことではございませんか、「私は戦いの初めから汝の傍に居て、仔細を見て居たのです」と、実に天主様は我々の戦い振りを御覧になって居る、天主様の為にと思って、人知れず色々の艱難苦労を堪え忍ぶのを一々御照覧あって、力を付けて下さる、(すす)めて下さる、励まして下さるのであります。聖書に「主の御目は義人等の上を顧み、御耳は彼等の祈りに傾き」(ペトロ前三ノ一二)とありますのは、此の辺の道理を述べたものではありますまいか。

聖アントニオに限らず、すべて天主様に一身を献げた人々は、天主様と共に居る、と云うのを此の世に於ける唯一の(たのしみ)としたものでありますが、又、実際これよりも大きな幸福は此の世に有られぬのであります。聖書を見ますと、天主様の特別の御恩や御保護を指して「天主様が共に在し給う」と云うように書いてある、例えば天主様はアブラハムに其の特別の御保護を約束して「我、汝と共に()らん」と(のたま)い、ヨゼフがエジプトの宰相となってエジプト全国が祝福を蒙った理由を述べて「(けだ)し主、彼と共に在しければなり」(創世記三九ノ二三)と(かきしる)してある。大天使ガブリエルも聖母に向って「主、汝と共に在す」(ルカ一ノ三八)と挨拶を述べました。終にイエズス様はいよいよ此の世を去ると云う時、何時になっても聖会を保護して(かわ)るまじきことを約束して「()よ、我は世の終まで日々汝等と共に居るなり」(マテオ二八ノ一九)と曰うたでございましょう。斯様な訳で、旧約時代よりユデア人は互いに挨拶を交わす時「主、汝と共に在さんことを」と云う言を用いたものであります。後で聖会はそれを受け継いで凡百(すべて)の祈祷の中に之を用いて居ます。

特にミサ聖祭の中には四回までも信者の方を向いて之を繰り返し、天主様が何時も信者の身に付き添って下さるように、天主様と共に凡百(すべて)の幸福が其の身の上に雨降されるように、聖会の名を以って(こい)願うと云う意味を表して居ります。

しかもこの御言(みことば)(とな)える時の儀式を御覧なさい。先づ祭壇に接吻します。祭壇はキリスト様の(かたどり)ですから、之に接吻するのは、取りも直さずキリスト様に接吻するので、キリスト様より凡百の幸福を汲み取って、之を信者に分配(わけあた)える、と云う意味を示すのであります。それから信者の方に向って、両手を拡げますのは、キリスト様より汲み取った御恵みをば広い心で以って豊かに分配すると云う意味を表すのであります。

 

(3)−「ドミヌス・ヴォビスクム」とは斯うした有難い御言(みことば)でありますから、私は只今之を皆様の上に(とな)え、天主様が何時も皆様に付き添い、その凡百(すべて)の幸福を恵んで下さいますようにお願い致したいのであります。

皆様、心を広くして、この大きな賜を受取って、之を大切に保存して下さい。

もし自分の心の器が小さくて、この無限の寶を容れるに足りない、とお思いになる御方は、何うぞ聖母マリアに御願いなさいませ。

聖母マリアは連祷(れんとう)にもあります通り、「霊妙なる器」、「(あが)むべき器」、「信心の優れたる器」であらせられますから、この器に盛りますと決して(こぼ)れる気遣はありません。

何うぞ皆様聖母に御願いして、その(こぼ)れぬ、不思議な器を貸して戴き、この無限の寶をそれに貯える様に致しなさい。

天主様さえ(わが)(もの)にすることが出来ましたら、此の世ながらの天国でございましょう。

もし一家が天主様を(わが)(もの)としましたら、其の一家は天国、もし一国が(わが)(もの)としましたら、其の一国が天国、全世界が(わが)(もの)としましたら、全世界が天国でございましょう。

そうなって参りますと、此の世も実に楽しいもので、決して味気ない涙の谷ではありますまい。

そこで私は此処にお集まりの皆様に、幾度(いくたび)も幾度も「主、汝等と共に(ましま)さんことを」と申し上げて、そうした楽しい天国が皆様からボツボツ始まって、次第に日本全国に及んで行く様に、それを一心に希望いたす次第であります。

 

 

          生

 

(1)−人生とは何ぞや?聖書には人生の甚だ短く、頼むに足らざることを種々の物に比較してある。()わく「人生は影の如く過ぎ、使者の如く走り、船の海を渡るが如く、鳥の空を(かけ)るが如く、矢の的に向って飛ぶが如く、泡の水に消え、煙の風に散るが如く、又一泊して過ぐる旅人の如し」と。某、詩人は更に簡単なる一句を以って、人生の果敢(はかな)さを描き、「人生とは何ぞや、緑樹の花なり、太陽、生じて(しか)して生じ、太陽落ちて而して落つ」と。

人生の果敢(はか)なきことは斯くの如しである。

我々は決して永く現世(このよ)に留まるものでない、やがて影の如く過ぎ、使者の如く往き、船の如く渡り、鳥の如く飛び、泡の如く消え、煙の如く(さん)じ、矢の如く去り、花の如く落つべき者である。然らば何うして過ぎ易い現世の事に執着して居られましょうか。

(2)−人生とは何ぞや?ヨブは()いました「地上に於ける人の生涯は戦なり」(ヨブ一ノ七)と。聖パウロは曰いました「吾等は主に離れて流浪するなり」(コリント後五ノ六)と。

聖会は教えて()います「人生は逐謫(ちくたく)の場なり」と告げてくれる。

実に我々は富を欲しても、現世(このよ)は唯だ過ぎ易い、虚偽の富を与うるのみである。

名誉を欲しても、唯だ不完全なる、空しい、頼み甲斐もない名誉を与うるのみである。

楽しみを欲しても、唯だ短い、偽りの楽しみを与うるのみである。

人生の斯くまで果敢(はか)なきを見て、ダウイドは絶叫しました「誰か我に鳩の如き翼を与えん者ぞ、我は飛び去りて平和を得ん」(詩篇五四ノ七)と。

聖パウロは「誰かこの死の肉体より我を救うべきぞ」(ローマ七ノ二四)と曰いました、イグナチオも亦、之に和して「吾、天を仰ぐ時、地は如何に醜きよ」と申しました。

これ皆、現世を(にく)むの声に外ならぬ。

然らば我々もこの過ぎ易い、この(にく)むべき現世に執着せず、「人、全世界をもうくとも、若し其の生命を失はば何の益かあらん」と(のたま)うた主の御言(みことば)を想いましょう、詩人ダウイドと共に「神に愛着し、主たる神に吾が希望を置き奉るは()し」(詩篇七二ノ二八)と申しましょう。

(3)−人生の目的は何ぞや?貪欲人(どんよくじん)()います「人の現世(このよ)に在るのは、多くの富を貯えんが為である」、而して彼はこの富を求めん為に、其の生命を使い尽くして後、手を空うして現世を去るのであります。愚も亦、甚だしいと()うものではありませんか。逸楽家(いつらくか)は曰います「人の現世に在るのは快楽を極めんが為である」と。して彼は身体の慾を(ほしいまま)にして、後、身体は憔悴(やつ)れはて、心は憂いの雲にとざされ魂は罪悪に満ちて、墳墓に入るのである。愚も亦た更に甚だしいと謂うものではありませんか。

名聞者(みようもんしゃ)はいいます、人は其の名を高くし、世の誉れを買い、己と名を争う者をして、後に(だう)(ちゃく)たらしめんが為に現世に在るのだ」と、彼はその為に夜を日に継ぎ、畢生(ひっせい)の力を奮い、東奔西走、骨を砕き、身を粉にして居る。

して臨終の時に至ると、その為した所は「(くう)(くう)にして、又、すべて空なる哉」と悟り、(ほぞ)を噛むも及ばない、早や後の御祭(おまつり)、何ともされないのであります。学者は曰います「人の現世に在るのは、千巻の書を読み破り、万学の奥義に通じ、博士と持て囃され、先生と尊敬せられ、一世の耳目を聳動(しょうどう)せんが為である」と、彼は之が為に寝食を忘れ、吃々(こつこつ)として勉め励みて、(また)、他を顧みるの暇なきが如しである。而して其の学、其の名声はやがて北邙(ほくぼう)一片の煙と共に消え失せて、跡だに止めない、愚も亦、いよいよ甚だしいと謂うものではありませんか。

人生の目的は富貴にもあらず、逸楽にもあらず、名声、学識にもあらざることは明らかである。故に道と生命と真理なるキリスト様は吾々に教えて「汝等、先ず神の国と其の義とを求めよ」と(のたも)うた。

是れぞ之れ人生本来の目的である、神の国、幸福(さいわい)の国、永遠の国を求める、是れぞ之れ人生の唯一真正の目的である。

そして此の国を求めんと欲せば、神の御光栄を顕わし、霊魂を救うべく努めなければならぬ。神の御光栄(みさかえ)を顕わし、霊魂を救わんと欲せば、神を()め、神を敬い、神を万事に越えて愛しなければならぬ。

善く己が魂を修め、之をして永遠の国を得るに相応(ふさわ)しからしめ、此の目的より遠からしむる(すべ)ての妨害物(じゃまもの)(のぞき)去らなければならぬのであります。