第398号 2007/08/22 聖母の汚れ無き御心の祝日
アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、 さて今日の八月二十二日は1962年の聖伝のミサの典礼暦によると聖母の汚れ無き御心の祝日ですね。聖母の汚れ無き御心は、日本の最上位の守護の聖人、日本公教会の擁護者です。 いと潔きあわれみの御母、平和の元后なる聖マリアよ、われらは聖なる教会の導きに従い、今日、日本および日本国民を御身の汚れなき御心に奉献し、そのすべてを御身の保護に委ね奉らんと欲す。願わくは聖母、慈しみの御まなざしもてわれらの心をみそなわし給え。 われら日本国民は、ひたすらに光をしたい、平和をこいねがうものなれば、願わくは聖母、御あわれみの御心をひらきて、われらの願いを聞き給え。 われら今、この世のすべての苦しみ、悩みを雄々しく堪え忍び、そを世の罪の償いとして、天主に捧げ、その御怒りをなだめ奉り、わけても御身の汚れなき御心にならいて、主の御旨を重んじ、身を清く持して、聖なる一生を送らんと決心す。願わくは聖母、力ある御手をのべて、われらの弱きを助け給え。
聖母の汚れ無き御心よ、罪に汚れし我々を憐れみ給え。 元仙台司教の浦川和三郎司教様の『祝祭日の説教集』の中に掲載されている「聖母の最(いと)潔(いさぎよ)き 聖心(みこころ)」のお説教をご紹介します。(注:聖母の汚れ無き御心は以前は「聖母マリアのいと潔き聖心」と呼ばれていました。ここではそのままを掲載致します。) 祝祭日の説教集 浦川和三郎(1876~1955)著 (仙台教区司教、長崎神学校長 歴任)
聖母の
(一) 日本公教会の擁護者 (1)- 聖母の最(いと)潔(いさぎよ)き聖心(みこころ)を日本公教会の擁護者と定めたのは、十九世紀に於ける最初の日本宣教師フオルカド師であります。 師は一八四四年(弘化元年)四月二十八日、フランスの軍艦に送られて琉球の那覇に入港されたのですが、越えて五月一日の朝のことでした。軍艦内でミサ聖祭を執行した上で、この琉球の新伝地を聖母の最(いと)潔(いさぎよ)き聖心(みこころ)に献げ、いよいよこゝに布教を開始して、幾人かの島人を真の信仰に引き入れ、一軒の小聖堂でも建設することが出来たらば、直ちにローマに請願して、この国を残らず聖母の御保護に委(ゆだ)ね奉るべし、と宣誓されました。 尤(もっと)もフオルカド師はこの宣誓を実現し得られなかったのですが、然し一八六二年(文久二年)始めて日本の土を踏まれたジラル宣教師は、フオルカド師の志を空(むな)しうせず、ローマに申請して聖母の最(いと)潔(いさぎよ)き聖心をば、日本公教会の擁護者と定められたのであります。 (2)- 然しフオルカド師が特に聖母の最(いと)潔(いさぎよ)き聖心に日本公教会をお頼みになったのは何の為でございましたでしょうか。その理由(わけ)は何とも書き遺してありませんから、確(しか)と断言は出来ませんが、多分その少し前に「勝利の聖母堂」に起った出来事に、暗示を得られたものではあるまいかと思はれてなりません。 勝利の聖母堂とは、仏国パリーの真直中(まっただなか)に在る有名な聖堂ですが、其処(そこ)の信者は一時極度の不熱心に陥り、大祝日にでも聖堂は全くのがらんどうで、死ぬ時にすら、司祭のお世話になろうと云う者は余り多くない位、主任司祭デジユネト師は、四年の間もあらん限りの力を絞りて働いて見たのですが、何の効果も現れません。然るに一八三六年十二月不図(ふと)感ずる所あって、聖母の最(いと)潔(いさぎよ)き聖心を尊ぶが為(た)め、「勝利の聖母会」と云うのを組織し、罪人の改心を求めることに致しますと、信者は急に深い深い睡(ねむり)から醒めたかの如く,邪を去り正(せい)に帰するものが引きもきらずあり、数年ならずして、其(その)教会の面目は全く一新するに至りました。 フオルカド師は多分この事を見聞して居られたので、我国民(わがこくみん)を帰依(きえ)せしめる、二百有余年(ゆうよねん)の久しきに亘(わた)って、迫害の恐ろしさに慄(ちじ)み上って居る我国民を基督教に帰依せしめることは容易からぬ難事業で、聖母マリアの力ある御保護に頼るより外はないと見て取られたからではなかったでしょうか。 (3)- 然(しか)し罪人の改心、異教者の感化の為、殊に聖母マリアの最(いと)潔(いさぎよ)き聖心(みこころ)を頼むのは如何(どう)した訳でしょう?他ではありません。マリア様が原罪の汚れに染まず、自罪の傷をも被らず、玲瓏玉(れいろうたま)の如き潔さを保つの特典を忝(かたじけな)うされたのは、救主(すくいぬし)の御母(おんはは)たるべく選まれ給うたからであります。そして救主がこの世に生まれ給うたのは、憐れな罪人(ざいにん)を救い上げて、之(これ)に救霊(たすかり)を得せしめん為でしたから、随(したが)って救主(すくいぬし)の御母にて在(ましま)すマリア様も、救主(すくいぬし)の愛し給うた罪人(ざいにん)や迷える人を愛し、救主(すくいぬし)に手伝いして、彼等に救霊(たすかり)を得せしめたいと一心に冀(ねが)い給うのは、当然の事ではありませんでしょうか。 その上、マリア様はカルワリオに於いて救主(すくいぬし)より人類を御手(おんて)に托(あづ)けられ、何とかして彼等に救主の御血(おんち)の功徳(くどく)を蒙(こうむ)らせたいと熱望して居られます。しかもマリア様は「憐れみの御母」とさえ称(たた)えられ給うほどあって、憐れな人、罪に溺れた人、異教の暗(やみ)に彷徨(さまよ)える人を憐れみ、彼等を正しき道に引き上げたい、真理の光を仰がせたいものと、熱く熱く望み給うのであります。 一體(いったい)罪に汚(けが)れた人ですと、邪欲に煩(わづら)はされますので、動(やや)もすると心があられぬ方面へ走りますので、天主様を愛し、人を愛し、天主様の御光栄(みさかえ)を挙(あ)げ、人の救霊(たすかり)を謀(はか)ると云う方(ほう)に専(もっぱ)らなり得ない憾(うらみ)があります。然(しか)しマリア様は罪もなく、邪欲も知り給はぬのでしたから、それだけ一心を傾けて天主様を愛し、その御光栄(みさかえ)を揚(あ)げ奉り、人を憐れみ、彼等を助けて罪を離れ、迷いを去り、真理の途(みち)へ引き返して、救霊(たすかり)の彼岸に到達せしめたいと念願し給うのであります。 (4)- 右様(みぎよう)な理由(わけ)により、我(わが)日本公教会は、聖母の最(いと)潔(いさぎよ)き聖心(みこころ)に依頼され、その御保護を忝(かたじけな)うすることになって居るのですから、我々は平生(へいぜい)より聖母の最(いと)潔(いさぎよ)き聖心、一点の罪の汚れもなく、ただ清く潔く照り輝き給うこの聖心を感嘆もし、讃美もし、出来るだけこの聖心の如く罪の汚れに遠(とおざ)かるべく務めると共に、世の憐れなる罪人(ざいにん)、暗(やみ)と死の陰とに坐(ざ)せる人々を一人でも多く改心に導き給えと、祈らなければなりません。 (二) 聖母の最(いと)潔(いさぎよ)き聖心(みこころ)とは? (1)- 聖母の聖心(みこころ)をそれ自体に就(つ)いて観察いたしますと - 是(これ)は全能なる天主様の傑作であります。天主様は聖母を御子(おんこ)の御母(おんはは)たるべく造り、之(これ)にあらゆる優れた聖寵(せいちょう)、感ずべき賜(たまもの)を与え、神の御子の御住所(おんすみか)に相応(ふさはし)からしめんと欲し給うたのであります。 随(したが)ってこの汚(けが)れなき聖心は、蒼天(おほそら)よりも清く、太陽よりも美しく、邪慾に傾く憂(うれい)すらなく、我々の胸を騒がし、心を乱す悪念、そんなものは露ばかりも知り給はぬのでありました・・・実にマリア様は原罪の汚れなくやどされ、その魂の清さを曇(くも)らす過失(あやまち)、その美しさを汚すべき欠点とては一つもなかったのであります。 超自然的光(ちょうしぜんてきひかり)にその智(ちゑ)を照らされて、天主様の偉大さと、己(おの)が虚無(きょむ)とをよく弁(わきま)えて居られましたから、聖母の聖心は完全に謙遜でした。天主様の御稜威(みいつ)の前に己(おのれ)を空(むな)しうし、我身(わがみ)に備(そなは)れる長所美点、自分の為し得る善業、其等(それら)は皆天主様に帰(き)し奉り、少しでも之(これ)を私(わたくし)し給う様なことはなかったのであります。 この同じ光によって、聖母は世物(せぶつ)の空しく、虚無に等しいことをよくよく悟って居られました・・・その心は一切の世物を解脱(げだつ)し、すべての道ならぬ感情、その感情の絆(ほだし)を解かれて自由となり、ただ仰ぐ所は天主様、ただ求める所はその天主様の聖意(みこころ)で、「汝等(なんじら)は死したるものにして、その生命(せいめい)はキリストと共に神に於いて隠れたるなり」(コロサイ三ノ三)と云った聖パウロの言(ことば)を、そのまま実現されて居るのでありました。 (2)- 聖母の聖心(みこころ)をその天主様との関係に於いて観察いたしますと - この清い、聖寵に充満(みちみ)てる聖心は、天主様にたいして感謝の念に躍(おど)り、愛熱に燃え、御光栄(みさかえ)を一心に冀(こいねが)い、為(ため)に骨を惜しまず身を抛(なげう)って尽くし給うのでありました。実際聖母はただイエズス様のことのみを思い、ただイエズス様の為のみに生き、その言(ことば)もその行(おこない)も、その心臓の鼓動も、一々完全なる愛の行為(おこない)であったのであります。 何事(なにごと)に於いても天主様の思召(おぼしめし)に従い、之(これ)を以(も)って己(おの)が進退挙動の唯一の法則とし給い、「我(われ)は主の婢(つかひめ)なり、仰せの如く我に成れかし」と始終くりかえして居られました。御子(おんこ)の御托身(ごたくしん)の際のみならず、エリザベトを訪問するにも、ベトレヘムへ行き、エジプトへ走り、ナザレトに住み、十字架の下(もと)に停(たたず)むにも、「我は主の婢なり・・・」と云い、天主様の思召(おぼしめし)の法則に外れ給う様なことは決してなかったのであります。 天主様にたいする愛、その骨を惜しまず、身を抛(なげう)って尽すと云う精神よりして、何時(いつ)でも、何事にも、己(おのれ)を清い、聖なる、神の聖意(みこころ)に適(かな)へる供物(そなえもの)とし給うのでした。その犠牲(ぎせい)は早くより、しかも心から、少しの制限もなく、勇ましく、間断(たえま)なく、イエズス様の犠牲(ぎせい)に合わせて献げ給うのでありました・・・ 天主様が世に尊ばれ給い、イエズス様が人々に認められ、愛され給うのを見たいと云う熱烈な望みに、聖母の聖心(みこころ)は燃(もえ)切れんばかりでした・・・随(したが)ってこの愛の聖心はユデア国民か聖寵の勧めに背(そむ)き、数知れぬ異教徒、悪にこびりついた罪人(ざいにん)が何時(いつ)になっても心を改めないのを見て、如何なる悲痛(かなしみ)に沈み入り給うたでしょうか・・・人類救贖(あがない)の大事業の首尾よく全うせられん為に、如何ほど嘆きもし、涙も溢(こぼ)し給うたでしょうか、「マリアの心はイエズスの心だ」と申しますが、実によく穿(うが)った語(ことば)であると云はなければなりません。 (3)- 聖母の聖心(みこころ)を我々との関係に於いて観察いたしますと - 聖母の聖心は何(ど)の方面から観ても、イエズスの聖心と一致し、その生き写しとも謂(い)はれ給うまでに一致して居られましたから、またイエズスの聖心の如く、柔和、哀憐(あいれん)、親切、博愛に漲(みなぎ)って居られたことは申す迄もない所であります・・・イエズス様は人類の為に御托身(ごたくしん)なさいました。その御血(おんち)も、その御生命(おんいのち)も、彼等の為に抛(なげ)棄(す)てなさいました・・・マリア様はまたマリア様で、彼等の為に己が生命(いのち)以上のものを、即ち最愛の御子(おんこ)をお与えになりました。さればこそ御子の代りに彼等を残らず与えられ、全人類の母となられたのであります。 だから聖母の聖心は絶えず我々の上に注意し、我々を護(まも)り助け、恵みを施し給うのである。十字架の下(もと)に於いて言い知れぬ苦痛(くるしみ)の中に我々を産み給うただけ、それだけ熱く我々を愛し給うのである・・・御子の養育を担当されたその刹那より、そのすべての思い、そのすべての熱誠(ねっせい)、そのすべての活動を残らずイエズス様の為に傾け尽し給うのであったことが知られます。ベトレヘムでも然(さ)うでした。エジプトでも然うでした。ナザレトでも同じく然うでした。是(これ)こそ聖ヨゼフの生活を双(なら)びなきまでに偉大ならしめた所以(ゆえん)のものではなかったでしょうか。 凡(およ)そ我々の行為(おこない)の価値を決定するのは、その結果の如何(いかん)に在(あら)ずして、我々がその行為に持たする目的に在(あ)るのであります。自分の為(な)す所が、大小軽重(だいしょうけいじゅう)の別なく、すべて天国の報いに値するよと見る時、胸は如何(いか)なる歓喜(よろこび)に躍り立って来るでしょうか・・・その為に何を要しますか・・・ただすべてをイエズス様のために為(す)る、ただ聖ヨゼフの如く、イエズス様を愛する心で一切を果たす様にすれば、それで沢山なのであります・・・。 (4)- 聖ヨゼフはイエズス様の御眼(おんめ)の前に活(い)きて行かれた - 右(みぎ)申しました様な生活様式、そのプログラムを実現するが為め、天主様は我々に必要な御援助(みたすけ)をお与え下さいました。その御援助は、始終天主様の御眼の前を思うこと、言い換えれば、絶えず天主様の御眼の前に活きて行くことであります。 聖ヨゼフを御覧なさい、己が意のままにしたいと思う様なことが万に一つも出て来たにせよ、一目神なる御子(おんこ)を仰視(あふぎみ)ると、忽(たちま)ち己(おの)が天職を思い出し、一切不純な念は跡もなく消え失せるのでありました。 自分の愛し敬える御方(おかた)の眼前(めのまへ)に居ると、自ら勇み立ち、腕打ちさすり、力(ちから)足ふみ鳴らすに至るものでありました。 すべて真実な美しさ、紛(まが)いなき功績(いさを)は、心に在(あ)って存(そん)する。心(こころ)即(すなは)ち人で、其人(そのひと)の一切は心に約(つぼ)まると謂(い)っても可(よ)い位。随(したが)って聖母の偉大さを十分に会得(ゑとく)するには、何(ど)うしてもその聖心(みこころ)を研究して見なければなりません。その聖心の奥へ這入(はい)って、如何(いか)なる天使、聖人にも見られない程の美しきその御徳(おんとく)を仰視(あふぎみ)なければなりません。 実(じつ)に聖母の聖心(みこころ)は聖三位の傑作でありました。御父(おんちち)は之(これ)をいとしの姫君(ひめぎみ)とし、御子(おんこ)は之を最愛の御母(おんはは)とし、聖霊は之を最も適(ふさ)はしき神殿として、成るべく完全に作り、なるべく見事に飾り立てゝ下さいました。 斯(か)くて聖母は原罪の傷に悩まされず、自罪(じざい)の汚(けがれ)にも染まず、邪慾の騒ぎすら知り給はず、曇りなき明鏡(かがみ)の如く、立派に主の御姿(みすがた)を写し給うと共に、また夜昼(よるひる)務め励みて、ますます善を修め、徳を研(みが)き、終(つい)には、「萬(よろず)の徳の淵(ふち)なるイエズスの聖心(みこころ)」を生き写しにでもしたかの如く、仰(あふ)がれ給うようになったのであります。 何と云っても人は心が第一であります。財産があろうと、身分が高かろうと、容姿(みめすがた)が優れて居ましょうと、心が汚れ、品性が卑しくては全くお話になりません。で我々も主の聖心(みこころ)に適(かな)い、その御目(おんめ)を惹(ひ)き奉るには、何はさて措(を)き、聖母に倣(なら)って心を修め、徳を研(みが)くよう務めなければなりません。 (5)- 聖母の聖心(みこころ)は曇りなき明鏡(かがみ)の如く、一点の汚(けが)れにも染み給はぬのでありましたから、天主様の御姿(おすがた)がよく之(これ)に写りました。聖母は絶えず之(これ)を眼前(めのまへ)に打ち眺めて深く敬い、篤(あつ)く愛し、一身を抛(なげう)って天主様の為に尽し給うのでありました。天主様の為とあらば、如何(いか)なる犠牲(ぎせい)をもお断りになりません。最愛の御独子(おんひとりご)をさえ喜んで十字架壇上(だんぜう)にお献げになりました。実に聖母は一生の間、ただ天主様を思い、ただ天主様を愛し、ただ天主様の為に生きて行かれました。その御言(みことば)も、御行(みおこない)も、御胸(おんむね)の動悸までも、すべて天主様に対する愛情の発露であったのであります。 誰にしても、聖母の如く心が潔くなると、また必ず天主様の愛熱に燃え立って来る。心の潔い人は天主様の思いに胸が一杯になって居ます。全く単一であります。二つにも三つにも分かれて居ません。随(したが)って何時も天主様を思って居ます。天主様に憧憬(あこが)れて居ます。天主様の為に喜んで苦痛(くるしみ)を堪え忍び、身を犠牲に供(けう)します。少しでも天主様の御光栄(みさかえ)を揚げ、その聖心(みこころ)を喜ばせ奉ることが出来れば、我が身は如何(どう)なろうと、全く頓着しないのであります。 我々が今日までそんな気になり得ないのは、まだ身に罪の曇りがある為ではないでしょうか。心が二つにも三つにも分かれて居て、天主様の愛に専(もつぱ)らなり能(あた)はぬからじゃありますまいか。 (6)- 聖母の聖心(みこころ)は剣(つるぎ)に刺し貫(つらぬ)かれ、白百合や赤薔薇(あかばら)を組合せて作った冠(かんむり)を戴いたまゝ描かれてあります。是こそ聖母の聖心の感ずべき御徳(おんとく)を示したもので、白百合は一点の汚(けがれ)なき潔(いさぎよ)さを見せ、赤薔薇はその燃ゆるが如き愛徳を象微(かたど)り、剣は人類の救贖(あがない)の為に死なんばかりの悲痛(かなしみ)に御胸(おんむね)を破られ給うたことを意味するのです。実に聖母は白百合の如く清い聖心(みこころ)に、火の如き熱愛を燃(もえ)立たして、神を愛し、人を愛し、為(ため)に彼(か)の様な悲痛(かなしみ)の剣に御胸(おんむね)を貫かれ給うたのであります。 すべて人は罪悪に心が汚れると、殊に邪淫(じゃいん)の虜(とりこ)にでもなると、夫(それ)につれて我利(がり)一天張りとなる、他(た)に無理を言う、辛く当り散らす、同情なんか薬にしたくも無い様になるものであります。之(これ)に反して心が潔くて、主の愛に燃え立って参りますと、亦(また)他(た)に対しても親切となり、同情に富み、己(おのれ)を抛(なげう)って人の為に尽すものであります。白百合と赤薔薇!潔さと親愛とは、常に相(あい)離れないものであります。 兎に角(とにかく)、聖母の潔き聖心(みこころ)は、主を愛すると共に、また人を憐れむの情(じょう)に漲(みなぎ)り給うのでした。ですから皆さん、厚き信頼を以(もっ)て聖母の御前(みまえ)に近付き、罪に汚れし我々を憐れみ給え、一日も早く痛悔(つうかい)の涙にその汚點(けがれ)を洗い去って、専ら御子(おんこ)を愛し奉るに至らしめ給え、と祈りましょう -- 又聖母は日本公教会の擁護者(ようごしゃ)にて在(ましま)すのですから、一日も早く我国民(わがこくみん)の心より罪の雲霧(くもきり)を払い去って、御子の御光(みひかり)を仰がしめ給う様、今日はことさら熱心に嘆願いたしましょう。
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