マニラのeそよ風

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第394号 2007/07/09

聖ピオ十世会・米国、叙階式 2008 (ミズーリ州、カンザスシティ)
聖ピオ十世会・米国、叙階式 2008 (ミズーリ州、カンザスシティ)

アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、お元気ですか?

 天主に感謝!聖母マリアに感謝!教皇様に感謝!兄弟姉妹の皆様に感謝! そしてルフェーブル大司教様に感謝!

 7月の初土曜日である7日に、ベネディクト十六世教皇様が自発使徒書簡『スンモールム・ポンティフィクム』を発表しました。それに伴い、聖ピオ十世会総長フェレー司教様の報道発表と信徒の兄弟姉妹の皆様へのお手紙を発表されましたので、日本語で兄弟姉妹の皆様のもとにお届け致します。

 フェレー司教様は、もっとも都合の良い早い時期に兄弟姉妹の皆様と天主に感謝する讃歌である「テ・デウム」を歌うことをお望みになっておられますので、日本では東京で7月22日にミサ聖祭の直後、司祭の退場の前にテ・デウムを歌いたいと思っています。


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聖ピオ十世会総長の報道発表

 自発使徒書簡『スンモールム・ポンティフィクム』によって教皇ベネディクト十六世はトリエント・ミサの権利を再度述べ、聖ピオ五世によって発布されたローマ・ミサ典書が一度も廃止されたことがないことを明らかに断言した。教会がこうして自分の典礼の聖伝を持ち直し、天主の栄光のため、教会の善のため、霊魂の救いのために、聖伝のミサの宝をいままで奪われてきた司祭や信徒がそれに自由に近づくことができるようになったことを聖ピオ十世司祭兄弟会は見て喜ぶ。聖ピオ十世司祭兄弟会は、この偉大なる霊的利益のために教皇様に深い感謝を表明する。

 自発書簡に伴われている手紙は、しかしながら、まだ残っている困難について隠そうとしていない。聖ピオ十世会は、聖座の新しい態度によって好ましい雰囲気が確立され、さらに同会の司教たちに関する破門の教書が撤回された後、より落ち着いて論議の的となっている教義の問題点を考察することを期待する。

 Lex orandi, lex credindi 典礼の法は、信仰の法である。私たちの創立者であるマルセル・ルフェーブル大司教の精神に忠実に従い、聖ピオ十世会が聖伝の典礼に執着し続けることは、「常にどこでも全てによって」宣言されてきた信仰と、切り離され得ずに一致している。

メンツィンゲンにて、2007年7月7日
+ベルナール・フェレー



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聖ピオ十世会総長の手紙

愛する信徒の皆様、

 2007年7月7日の自発使徒書簡『スンモールム・ポンティフィクム』は、トリエント・ミサの権利を再度述べています。その文書の中で、聖伝のミサが一度も廃止されたことがないことが認められています。このミサに対して忠実であったがために多くの司祭や平信徒たちがほとんど四十年の間迫害され処罰されてきたのですが、この忠実さは不従順では決してなかったのです。真の従順の名によって、権力の濫用に反対して、永遠のミサに対するこの忠誠において私たちを保って下さったマルセル・ルフェーブル大司教に感謝するのは、今日全く当然のことであります。またローマがこの聖伝のミサの権利を再確認したことは、昨年十月の私たちのロザリオの祈りの十字軍の間、聖母マリア様に捧げられた極めて多くのロザリオの実りであることは疑いの余地がありません。聖母マリア様にどのように感謝を申し上げたらいいかを私たちは知らなければなりません。

 聖ピオ五世のミサをその正当な権利において再確立することを超えて、自発書簡によって出された具体的な手段とこの文書に伴う手紙においてベネディクト十六世が提示している正当化を研究することが重要なこととなってきます。

--- 法により、教皇によって取られた実践的配備は、ミサのみならず秘蹟をも、普通に聖伝の典礼で捧げられることを可能にするはずです。このことは、全教会にとって、今まで司教たちの不当な権威によって麻痺されてきた司祭や信徒らにとって、巨大な霊的利益です。しかしながら、将来実際にこれらの手段が司教や小教区の司祭たちによってどのように適応されるかを観察するのが良いことでしょう。この理由のために、教皇がなさった勇気ある行為の後で、聖下がそれをしっかり保つことができるように私たちは教皇様のために祈り続けます。

--- 自発書簡に伴う手紙が教皇様の理由を説明しています。等しい権利の通常形式と特別形式との二つの形式のもとで、ただ一つの典礼様式が存在すること、また特に聖伝の典礼だけを執行することを拒否すること、これらは確かにトリエント・ミサの自由化にあからさまに反対している様々な司教評議会に立ち向かいたくないという政治的配慮の表現であると解釈され得ます。しかし私たちはここに、教皇様ご自身が望んでいた「改革の改革」ということの一表明であることをも見ることができるかもしれません。何故なら、教皇様自身がこの手紙の中で書いている通り、聖ピオ五世のミサとパウロ六世のミサとは互いに相互を肥沃にするだろうとあるからです。

 いずれにせよベネディクト十六世には、第二バチカン公会議とそこからでたミサと、二千年の聖伝との間に継続性があるということを再断言したいという明らかな望みがあります。第二バチカン公会議によって断絶が生じたと言うことを否定することは、2005年12月22日にローマ・クリアへの教皇様の講話において既に明らかにされましたが、その断絶の否定は、ローマと聖ピオ十世司祭兄弟会との間の討論において核心点となっていることが本質的に教義に関わることであるということを明らかにしています。この理由により、自発書簡により、否定できない前進の第一歩が典礼の分野でなされましたが、その後は、破門教書の撤回の後に、神学的議論がその続きとならなければなりません。

 同伴の手紙には、ルフェーブル大司教と聖ピオ十世司祭兄弟会とについての言及、更に聖伝のたいまつを取る若い世代によってなされた証言についての確認があります。これはローマが私たちの lex orandi(祈りの法)を擁護し続けたことを認めたということを明らかに指し示しています。天主の御助けと共に、私たちは lex credendi(信仰の法)のための闘い、信仰のための闘いを同じ堅固さで続けていかなければなりません。

メンツィンゲンにて、2007年7月7日
+ベルナール・フェレー


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