マニラのeそよ風

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第392号 2007/06/29 使徒聖ペトロとパウロの祝日

アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、お元気ですか?

 今日は使徒聖ペトロとパウロの祝日ですね。報道によると7月7日にはベネディクト十六世教皇様が聖伝のミサに関する自発教令を発表されるそうです。既にローマでは6月27日に世界中からの30名の司教様たちには世界中の司教たちの代表として内容が伝えられたそうです。

 この自発教令に関して世界中のマスメディアはニュースを流していました。私たちは「マニラの eそよ風」ではとりわけ最新ニュースやローマでの噂話の後を追いかけようとはしませんでした。何故なら、聖伝のミサが私たちの全てではありませんし、私たちの闘いの場はマスメディアではないからです。

 私たちの主イエズス・キリストこそ私たちの全てであるからです。

Tu es Christus Filius Dei vivi. イエズス様こそ、生ける天主の御一人子、私たちの救い主キリストだからです。全ての人々が私たちの主イエズス・キリストを信じ、愛し、礼拝し、賛美し、感謝すること、私たちの主イエズス・キリストが日本の全ての兄弟姉妹を祝福して、王として統治することを願うからです。従って、私たちの闘いは、祈ること・犠牲を捧げること・信仰を守り信仰を生き抜くこと・イエズス・キリストに忠実であることだからです。聖パウロが言ったように「我にとりて生くるはキリストなり」だからです。「信仰なくしては天主の聖意に適うこと能はず」だからです。

 今回は、使徒聖ペトロとパウロの祝日に因み、元仙台司教の浦川和三郎司教様の『祝祭日の説教集』の中に掲載されている「使徒聖ペトロとパウロ」のお説教をご紹介します。


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祝祭日の説教集

浦川和三郎(1876~1955)著

(仙台教区司教、長崎神学校長 歴任)

六月二十九日

(一)聖ペトロと聖パウロの祝日

(1)信仰の使徒なる聖ペトロ

 聖ペトロは信仰の人でした。彼は到る処にその信仰を表白(あらは)して居る。初めから一切を抛(なげう)って主に従いました。他の使徒に先じて主の神性を宣言しました。しかも彼の信仰は熱烈でした。何(ど)んなことがあっても、主を棄てない、死すとも御後(おんあと)に従って離れまいと決心し、悪党が主を捕へんとするや、剣を引き抜いて之を防ごうとしました。なるほど彼の信仰にもまだ物足りない点がないではなかった。水の上を歩いて居る時、大きな波がザアと打ちかゝるや、恐れて肝を潰しました。カイフアの舘では三たびも主を否(いな)みました。

 然し主を三たび否んだ代りに、亦(また)三たび主を愛すると繰り返し、波を恐れて疑いました所は、主の神性を公に宣言して、立派に罪滅ぼしをしました。

 彼はその信ずる所をただ自分の胸中に藏(かく)して置いたのではありません。聖霊降臨の日には、使徒等の先頭に立って、その信仰を宣べ伝えました。使徒等の心を堅め、動かざること山の如くならしめました。エルサレムに会議を召集し、モイゼの律法にたいして如何なる態度を採るべきかと云うことを決定し、終には信仰の為め、十字架に釘づけられて天晴れな殉教を遂げました。信仰は救霊の基である。「信仰なくしては神の聖(み)意(こころ)に適(かな)うこと能(あた)はず」(ヘブレオ二ノ六)でありますから、我々も信仰を重んじ、信仰を何よりの誇りとしましょう。信仰によって生き、聖ペトロの如く信仰の人となりましょう。食べるのも飲むにも、祈るにも、働くにも、苦しむにも、楽しむにも、必ず信仰を以ってすると云う迄に至りたいものであります。

(2)活動の人なる聖パウロ

 聖パウロは初め名をサウロと云い、猛烈に聖会を迫害したものでした。信者を捕らえるが為め、ダマスコへ出かけて行ったその途中、不思議な天の光に打たれて地上に倒れ、「サウロ、サウロ何ぞ我を迫害する」と云う声を聞くや忽ち改心し、「主よ、我に何を為さしめんと思召し給うぞ」と云って起ち上がりました。それからと云うものは、広大なるローマ帝国内を縦に横に駈け廻って、主の御教を宣伝し、ユデア人にも、異邦人にも、学者にも、無学者にも、帝王にも、匹夫(ひっぷ)匹婦(ひっぷ)にも福音を宣伝しました。石を投げられようと、笞(むち)うたれようと、反対されようと、罵られようと、会堂でも、巷でも、海岸でも、獄内でも、聴く人さえあれば、屈せず弛(たゆ)まず主の御教を宣伝しました。彼は実に雄弁なる説教家、該博(がいはく)なる著作家、奮発心に燃えた使徒、大胆なる旅行者、敵を恐れず、疲れを知らず、骨をも身をも惜しまぬ活動家でありました。彼は終にその活動の報いとして、聖ペトロと共に捕らえられ、主の為に首を刎ねられて、殉教の栄冠を戴くことが出来ました。

 我々も聖パウロの如く活動の人でありたい。ただ洗礼を授かり、心に信仰を抱き、朝夕の祈祷を誦え、日曜日のミサに与るだけでは物足りない、信ずるままに之を行う、その信仰を直ちに日常生活の上に顕す、書を読む時、物を学ぶ時、人と話しをする時、商をする間にも、工場に働く中にも、信仰に物を言はせましょう、信仰をそのまま行為となしましょう。そうした上で、猶、聖パウロの如く、我々の信仰を他に伝うべく懸命に働きたいものであります。


(二)聖ペトロ、聖パウロの如く過失を利用する

 聖ペトロにせよ、聖パウロにせよ,罪人でございました、然し両人とも己にたいし、人にたいし、神にたいして、その罪を甘く利用された所は、我々の為に又なき鑑であります。

(1)己を恃(たの)みとしない

 甞(かつ)ては両人とも随分自惚れの強い人でした。聖ペトロは飽くまで己が力を恃(たの)みとし「人は皆躓(つまづ)くとも、私は何時までも躓(つまづ)きません」と断言しました。「今夜鶏の鳴く前に三たび我を否(いな)むであろう」とイエズス様から言はれるや、「たとえ主と共に死すべくも、私は決して否みませんよ」と強く強く言い張りました。

 然し浅間(あさま)しいのは人間の力です。それから間もなく、下女風情のものに声を掛けられ、「お前さんも、彼の人の弟子でしょう」と言われるや、彼を恐れて色を失い、「否々(いえいえ)、私は彼の人を知りません」と、三度もくりかえして否みました。然しイエズス様が一目顧み給うや、彼は忽ち己が過失(あやまち)を悟り、その場を飛び出して甚(ひど)く悲しみ嘆きました。

 聖パウロも同じく自惚れの強い人でした。基督教が如何なる宗教なるか、それを自ら調べて見ようともしないで、頭から之を排斥し、聖ステフアヌスが石殺しにされた時も之に立会い、それからは自ら迫害者となり、男女老若の別なく、引捕えて監獄に?ぎ、少しも容赦しないのでありました。

 然るに一たび己が非を悟って改心するや、今までとは打って変って謙遜深い人となり、自ら恃(たの)まず、始終機会ある毎に己が罪を訴えて止みません。自分は他の使徒よりも勝れた働きをなしたと言いながらも、「我わが体を打ちて之を奴隷たらしむ、是は他人を教えて自ら棄てられんことを懼(おそ)るればなり」(コリント前九ノ二七)とまで謙遜して居ます。

(2)人を懇(ねんごろ)に取扱う

 聖ペトロも倒れる前には随分と気象の荒い、少しも他に容赦する道を知らぬ人でした。最終晩餐の席で、裏切り者の名を知らうとしたのは、之に痛棒(つうぼう)を喰はしてやろうと思ったからじゃなかったでしょうか。ゲッセマニーの園では、剣を抜いてマルクスと云う者の耳を殺(そ)ぎ落しました。

 聖パウロが改心前に如何に猛烈虎の如き人であったかは、使徒行録によく描き出してあります。ステフアヌスが石殺しにされる時、彼は皆の衣服を番し、それからは自ら率先して信者の捕縛に当り、縄をかけて容赦なくエルザレムに引き出し、監獄に打込んだものであります。

 然し改心後は両人とも如何に温和親切の人となりましたか、聖ペトロは主を十字架につけたユデア人を兄弟と呼び、彼等が過(あやま)ったのは、知らざるに出たのだ、と言い訳をして居ります。

 聖パウロは自分を迫害し、自分の伝道を妨害して止まないユデア人をば「小子(しょうし)」と呼び、「彼等の為に殆んど自ら棄てられんことをすら望まんとす」(ローマ 九ノ十一)とまで断言しました。人を救うが為に嘗(な)め尽くすあらゆる艱難苦労を数え挙げた上で、「弱れるものあるに、我も弱らざらんや、躓(つまづ)く者あるに、我も心(こころ)燬(や)けざらんや」(コリント後十一ノ二九)と叫んで居る位であります。

(3)神を愛する

 聖ペトロでも、聖パウロでも、その罪を償うが為に、熱く熱く神様を愛しました。聖ペトロは三たび「主を愛する」と宣言して、三たび主を否(いな)んだ罪を滅ぼしました。

 聖パウロは信者を迫害した代りに、遠く広く主の御名(みな)を宣伝すべく、一身を抛(なげう)ち、大車輪になって活動しました。

 両人(ふたり)とも主の仰せを承るや、飛び立つて之に応(したが)いました。彼等が主の御名の為に堪え忍んだ所、全うした所は如何ばかりでございましたでしょう・・・彼等が熱烈な奮発心、火の如き愛は何処から来たのでしたか、自分の罪を思い、それに刺戟された結果ではなかったでしょうか。

 終に両人とも天晴れな殉教を遂げ、その愛の最も著しき証拠を示しました。

 我々も罪人であります。両使徒の罪なんか到底比較にならないほど大きな大きな罪を数重ねて居ます。で我々もこの両使徒に則(のっと)り、犯した罪を思って、人の前にも天主様の、前にも自ら謙遜しましょう。他にたいしては寛容の心、同情の念を抱き、神を一心に愛し、是まで罪を犯して、その大御心を傷つけ奉っただけ、熱く熱く之を愛して、謝罪の実を挙げる様に務めましょう。そう致しますると、過去の罪は何等の害をも招かないのみならず、むしろ大きな益を来たすのみでありましょう、「神を愛する者には、万事共に働きて其の為に益あらざるはなし」(ローマ八ノ二八)


(三) 聖ペトロと聖パウロの改心

(1) 人として過ちなき能(あた)わずだが、然し過っても聖ペトロ聖パウロの如く立派に改心したらば、其の過ちは決して瑾(きず)にはならない、聖ペトロは使徒の首領(かしら)、教会の基礎(いしずえ)と建てられ、海の上でも歩くと云う程の堅い信仰を抱き、「人はたとえ皆、躓(つまづ)いても、私は断じて躓(つまづ)きません」と堅く言い放った位でありました。然るに其のペトロが祈祷(いのり)を怠ったが為か、余り自分の力に恃(たの)みを置いて、危険の中え飛び込んで行ったが為か、如何にも哀れな倒れ方をしました。下女風情の者に「お前さんは彼の人の弟子でしょう」と問われて、「否々私は彼の人を知りません」と三度も否(いな)みました。しかも三度目には誓いを以って否(いな)みました。実に人間ほど浅間(あさま)しい者はありません。イエズス様から「厳(いは)」と呼ばれ、「聖会の基礎(いしずえ)」と建てられた聖ペトロでさえ、下女の一言に倒れたことを思いますと、誰しも用心せずには居られません。たとえ幾(ど)れほど高い徳に進んで居るに致しましても、少しも油断はなりません。「立って居る者は倒れはしないか注意せよ」と聖パウロの仰しやったのは、千(ち)古(こ)不磨(ふま)の名言であります。自分を恃(たの)み、祈祷(いのり)を怠り、必要もなしに、危(あや)うい罪の機会(たより)の中に飛び込んで行っては、倒れずに居ること出来るものではありません。

(2) 然しペトロの改心の立派なことを思いなさい、ペトロは悪かったと悟るや、直ぐその危うい罪の機会(たより)の中を飛び出しました。今、此処を出ると、人から何とか思われはしないか、笑われはしまいか等と得手勝手な理屈を附けないで、直ぐ其の場を逃げ出しました。ユダ見たように失望しないで、飽くまでイエズス様の御憐(おんあわ)れみに依(より)頼(たの)み、心の底から罪を悔い悲しんで大いに泣きました。ただ其の当座ばかりでなく、一生涯泣きの涙で世を渡りました。ただ徒に泣き暮らすばかりでなく、今迄に倍してイエズス様を愛し、大いにイエズス様の為に活動して、其の罪を償いました。

 聖パウロも同じく罪人でした、猛烈な迫害者でした、信者を引捕らえる目的でダマスコの町え急ぐ途中「何ぞ我を迫害する?」とイエズス様に御声を掛けられて、忽ち改心し、「主よ、我に何を為さしめんと思召し給うぞ」と曰(い)って起ち上がりました。夫(それ)から死する迄の間と云うものは、主の思召しを遂行(はた)すが為に、働いて働いて根限り働きました。「自分は罪人だ、聖会を迫害した罪人だ、使徒と呼ばれるにも堪えないのだ」と謙遜して、其の罪を償うが為に、いよいよ猛烈に活動し、終(つい)にはペトロと共に其の生命までも、潔くイエズス様に献げたのであります。

 我々も今まで随分と罪を犯しました。数々の罪を重ねましたが、夫(そ)れはもう出来た上の事で、何とも致し方はありません。ただこの両使徒に倣(なら)い、早く罪の機会(たより)の中を飛び出して、泣きの涙でその罪を悲しみましょう。大いに主の聖心を痛み、その御光栄を汚しましたから、今からは反対に主を一心に愛し、其の思召しを遂行し、その御光栄(みさかえ)を揚げ奉るべく務めましょう。・・・「なぜ其の様に苦行を行うのです?、何故一刻の休息もなしに活動するのです?」と問はれましたら、「私は人に優った罪人ですから、少しなりとも償いをしなければならぬからです」と答える位になりたいものであります。

(3) ペトロとパウロはローマで殉教し、茲に教会の基礎を固められました、で今日は両聖の御徳を黙想すると共に、我々の教会に対する義務をも思って見たいものであります。教会はノエの方(はこ)船(ふね)の如く、滔々たる罪悪の濁浪(だくろう)の中から我々を救って、永遠の滅亡を遁(のが)して呉れる救助(たすけ)船(ふね)であります。この船に乗り込んだお蔭で、我々は誤謬(あやまり)の暗黒(くらやみ)を払って、真理の光を仰ぐようになりました。罪悪の渦の中を遁(のが)れて、静かな善徳の港に安着される様になりました。この船には七つの秘蹟が備わって居て、霊魂は夫れに養われ、強められ、慰められるから、飢え渇きに苦しむような憂いがありません。此の船は主の御約束によって針路を謬(あやま)ること出来ませんから、あられぬ方向え迷い込みはしまいか、と心配する必要もありません。始終、聖徳の旗を翻(ひるがえ)して進んで居るので、之に乗り込んで居るのは、非常な名誉であります。

 斯(かか)る幸福を忝(かたじけな)うすること出来ましたのは、一方ならぬ主の御恵みであります。深く感謝すると共に、また此の船に乗り込んだ上は、固くその規律を守り、船頭なる教皇様、水夫たる司教、司祭等を尊び、万事その指揮に従はねばなりません。船の勝手は船客に分るものではありません、何(ど)うの斯(こ)うのと差出がましい事を言わないで、ただ水夫の為すが儘に安心して従うこそ賢い道であります。

 猶(なほ)教会は我々の「慈母(じぼ)」であります。子として、その母を愛しないものはありません。何うにかして母の心を喜ばせたい、その名誉を高くしたい、其の光栄を輝かしたいと務めるのが、子たるの道でありましょう。

 然らば我々も教会の温かい懐に人となった以上は、出来るだけ善を修め、徳を積んで、この慈母の心を喜ばせねばなりません。我国の如く異教国では教会を悪様に言いなし、怖ろしい悪言、暴語を投げ付けて教会の名を堕(おと)そう、其の光を曇らそうと悪魔は始終働くのでありますから、せめて我々なりとも教会を深く愛し、平素、熱心に之が為に祈り、その長所、美点を称(ほめ)揚(あ)げて、この慈母の懐に飛び込む者が一人でも多くなる様、運動しなければなりません。