第387号 2007/06/07 御聖体の祝日
アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、お元気ですか? さて、五月は三日間、クチュール神父様やワリエ神父様、また兄弟姉妹の皆様、計二十名(宿泊組十三名、一部参加七名)の方々と共に秋田の聖体奉仕会にある秋田の聖母のところまで巡礼に行って来たことは大変なお恵みでありました。 五月三日には関東、関西、外国から秋田に現地集合しました。さとみ温泉さんには大変お世話になりました。 四日(初金)には、早朝にさとみ温泉の綺麗なホールで聖伝のミサ(歌ミサ)を捧げたあと、温泉から聖体奉仕会までロザリオの祈りと聖歌とで歩き、秋田の聖母マリア様の御像の前で皆でロザリオの祈りを五連唱えました。クチュール神父様は、中途参加の兄弟姉妹の皆様を待って、ミサ聖祭を捧げて下さいました。 私たちはロザリオの祈りの後(そのころには中途参加の兄弟姉妹の方々も修道院の方に到着されておりました)、ワリエ神父様の霊的講話をマリア庭園で聞きました。飛び入りで参加された方々もおられ、大変うれしく思いました。午後には、昼食後に天主の御母聖マリア様の御像の前でしばらく個人的に祈った後、十字架の道行きを皆でしました。道行きの後、さとみ温泉に戻り、ミサのために使ったホールでクチュール神父様の霊的講話を伺いました。 五日は、朝にやはり3回のミサ聖祭のあと(そのうち一回は歌ミサでした)、もう一度天主の童貞母のもとに行き、ロザリオの祈りを皆で五連捧げ、聖母の連祷をラテン語で歌って、それぞれ帰途に就きました。天主に感謝! 天主の童貞母に感謝! 六日の東京の聖伝のミサのあとでは、中共の強制収容所で二十六年間苦しみを受けた、ローズ胡美玉さんのお話しを直接聞くことができたのも大変興味深く思いました。 クチュール神父様やワリエ神父様たちとはその後、長崎と京都に巡礼に行きました。クチュール神父様は永井博士の著作と生涯に興味を持たれ、長崎は最初の日から特に永井博士のお墓や如己堂、浦上天主堂に行き、そこで祈りました。 長崎第二日目には、枢機卿二名と司祭三十余名、修道者三百余名を輩出したド・ロ神父様の外海(そとめ)の教会(出津教会、黒崎教会、大野教会)で、ド・ロ神父様のお墓で、日本からの多くの聖なる召命を祈り求めました。またこの度列福される予定の中浦ジュリアンの出生地にも訪問し、召命を祈り求めました。外海ではカクレ・キリシタンの水方という方にもお会いしました。(洗礼を授ける時の祈りの記憶が曖昧で、途中までしか覚えておられなかったのはちょっと心配に思いましたけれど・・・。) 中浦ジュリアンは、4名の使節の中でも副使であり、病気で教皇様とも個人的にしか会えず、他の3名が受けた王侯並みの謁見は受けられずでした。しかし、残念ながら背教してしまった正史の千々石ミゲル、優秀でマカオで活躍してそこでそのまま亡くなった原マルチノを見ると、マカオから戻り、日本ではたらき、穴吊りの計というとても残酷な計で65歳の老体で苦しみを耐えて殉教し、今年天主がお望みになれば、福者として列福されます。 これを見ると、人間の目で見た見方と天主様の見方がどれだけ違うかが、表れているようです。今回の列福で、天主は殉教者の祈りを聞き入れ給うこと、天主はいつまでも『沈黙』を守るのではないこと、殉教者の栄光を天主は燦然と輝かす日がくるということ、を示していると思います。 第三日目は、日本二十六聖人を生み約五十年という短い間に六百余名もの聖なる殉教者たちを生み出した西坂の丘に行ってロザリオの祈りを捧げました。元記念館館長の結城神父様からくわしい説明を受け、今回、長崎という町が有馬家からイエズス会に寄進されて最初からカトリックの町として創設された特別の土地であるということの認識を新たにしました。その後は、信徒発見の大浦天主堂に行き、そこでカトリック聖伝を信じるより多くの信徒・召命「発見」の恵みを信徒発見の聖母マリアに祈りました。観光案内のテープがひっきりなしに大きな声で流れてくるので、祈るには不向きでいつ行っても残念に思います。ワリエ神父様は、旧羅典神学校(キリスト教資料館)に展示されてあった、フランス語の資料(日本語訳付き)を教えてくれ、今まで気が付かなかったピオ九世の与えた全贖宥について教えてくれました。それによると、こうあります。 長崎二十六人致命の聖堂の贖宥(日本二十六聖殉教者教会の贖宥) 千八百六十五年三月十七日に当たり長崎二十六人致命の聖堂において日本キリシタンの現れ出でたるを追憶し、教皇ピオ九世は、当該に煉獄の霊魂にも施しうべき全贖宥を与え給いしものなり。 この全贖宥を蒙らんためには真の痛悔をもって告解し聖体を受け、当該聖堂に参詣して教皇の御旨に従ってオラショ(祈り)を申し、聖母マリアの祭壇の前にて次のオラショを唱うべし。
日本の聖母、原罪の汚れなく宿され給いし聖マリア、我らのために祈り給え。
在長崎 長崎を後にした私たちは、その翌日、京都に巡礼に行きました。列福される予定の百八十八名のうち五十二名は京の都で殉教しているのです。京都駅から、鴨川のほとりの火あぶりの殉教地にロザリオの祈りを唱えながら歩いて行き、祈りました。今ではそこには石碑が建てられています。次に、やはりロザリオの祈りを唱えながら二十六聖人の西坂への出発点となったフランシスコ資料館へと歩きました。資料館で見学、短い祈りを捧げた後、日本からの召命を求めて、二十六聖人が耳をそがれた処刑地(お戻り橋)まで聖母マリアや聖ヨゼフの連祷を歌いながら歩きました。(その後、余った時間で御所や二条城を見学しました。) クチュール神父様は大変お喜ばれ、2008年に同じような巡礼を計画しようとさえ言って下さいました。巡礼の恵みが日本の多くの兄弟姉妹の皆様に行き渡りますように! 今回は、殉教者のことに思いを馳せ、また病気で苦しむ兄弟姉妹の皆様の苦しみを思い、元仙台司教の浦川和三郎司教様の『祝祭日の説教集』の中に掲載されている「天災について」のお説教をご紹介します。
日本の聖母、原罪の汚れなく宿され給いし聖マリア、我らのために祈り給え。 祝祭日の説教集 浦川和三郎(1876~1955)著 (仙台教区司教、長崎神学校長 歴任) 天災について (1)-天主様はその限りなき御力を以って天地万物を造り、その造ったものは、限りなき御智慧を以って之を司り、その天地万物中でも特に我々人間をば、その限りなき御仁慈(おんいつくしみ)を以って愛し給うのであります。随って天主様の許可(おゆるし)なしには、空に飛ぶ一羽の雀でも死ぬことはない、我々の頭髪、格別必要でもない、有っても無くても差支えない様な頭髪までも、天主様は一々数え上げて居て下さいまして、その御承諾なしには、一本でも抜けて洛ちない。イエズス様が然う仰しやったのですから、決して間違いはないはずであります。 それも尤もな話で、先ず天主様は全能である、全能である以上は、何一つ為し得給はぬことはない、斯うしよう、彼ならしめようと思召しになったら、必ずその通りになる。人がどんなに致しましても、それを防止めること出来るものではない。之に反して天主様がそうさせまいとお思いになりましたら、誰が何うしたからとて、決して然うならぬのである。次に天主様は限りなき智慧の持主で、我々の為に何が益になり、何が害になるか、明らかに御存知であります。終に天主様は限りなき御慈愛の持主で、我々を非常に可愛がって下さいます、「母たるものは自分の産んだ子を忘れ得るものでない。たとえ母にして其の子を忘れるものがあるにしても、我は決して汝等を忘れまいぞ」(イザヤ十三ノ四九)とまで仰しやった位でああります。 斯くの如く天主様は我々を愛して下さる、愛して下さるから、必ず我々の為になるよう、我々の害にならないよう、万事を御計(おはから)い下さるはずであります。 (2)-要するに、天主様は限りなき御慈愛を以って我々を非常に愛し、何に由らず我々の為になるものを与えたいと一心に望んで居られます上に、亦、全能にして望む所は何でも之を全うし得給うのである、一方からは全智に在(ましま)して、何が我々の為になるかと云うことも、一々御存知あそばすと云うのですから、我々は安心して天主様の御計(おはから)いに身を托(まか)せ奉るべきではありませんでしょうか。 して見ると、現世に於いて我々の身の上に落ちかゝつて来ることは、嬉しいことも、悲しいことも、幸も不幸も、皆,天主様の御手より下って来るのである。天主様が其の全能を以ってお与え下さるのである、全智を以って我々に最も益になると見てお与え下さるのである、全善を以って我々を愛するの余りにお与え下さるのでありますから、有難く推し戴かねばなりません。 (3)-然し天主様が我々の為を思ってお計(はから)い下さると申しましても、それは霊魂を先にして、肉身を後にし給うのであります。たとえ肉身には益になっても、霊魂に害になると見給うたら、お与え下さらぬ、肉身には害になること、悲しいこと、禍になることであっても、もし夫れが霊魂に益になるならばお与え下さることが多い。 我々を真実に愛し、我々の霊魂を是非とも救い上げたい、永遠に幸福ならしめたいと欲し給うよりして、斯くはお計い下さるのであります。 親は子供が剃刀を持って遊んで居るのを見ると、是非それを取り上げます。泣いても狂っても取り上げます。怪我をしてはならないからです。病気をして居る時は、無理やりに口を開けて、苦い薬を注ぎ込みます。子供を可愛く思い、其の病を癒してやりたいと一心に望んで居るからであります。 天主様も同じく其の通りに致しなさる、我々がお金を持って居り、快楽や名誉に誇って居り、身の健康を喜んで居て、為に霊魂を傷つけそうだと見給うや、泣いても狂っても、我々のお金を取り上げて、無一文となし、快楽や名誉を取り上げ、身の健康を取り上げて苦しみを与え、名誉を失はせ、病に罹(かか)らせなさいます。 母親がその愛児の口に苦い薬を注ぎ込むが如く、次から次えと災難をお与えになることすらあるのであります。そして其の病を与えられた時、身代を潰されて無一文となりました時、人の前に大恥をかきました時は、実に苦しい、堪え難い思いがするのですが、然し其の為に眩(くら)んで居た目が開いて来ます、自分の罪を覚って痛悔し、誠意から天主様に仕え奉る決心になります。 即ち苦い薬の為に霊魂の病が立派に癒されるのであります。「良薬は口に苦けれども病に利あり」と申しますが、実際そうであります。世にはお金があり、人にわいわいと持て囃され、躰は健全である所から、過って罪を犯し、霊魂を滅ぼすに至るものが幾何(どれほど)御座いますでしょうか。其の反対に病人であるが為め、貧乏であるが為め、人に侮られ、辱められて居るが為に、悪いことをするにも為(さ)れず、そのお陰で救霊を全うするに至る人も幾程あるか知れません。して見ると、この世で幸福を楽しめるからとて喜ぶには足りません、却って小供の手に剃刀を握らされたのではあるまいかと恐れねばならぬ。之に反して重ね重ねの災禍に見舞はれたからとて悲しむには及びません。むしろ自分の霊魂の病を癒す為の苦い薬だと思って、有難く推し戴かねばなりません。 (4)-こう考えて見ると、皆さんの上に襲いかゝった天災や、不景気も、或いは天主様が皆さんを可愛がってお与え下さった賜であるかも計(はか)られない。好景気は訪れ、お金はどしどし入って来る、体は健やかだ、入っても出ても幸運に恵まれて居ると云うならば、それに安心してしまって、霊魂を忘れ、天国を忘れて、ちっとも構わない様になる、罪を犯して天主様の聖心(みこころ)を傷つけるようなことを平気でやって居る。たとえ自分は正しい行いをして居ても、自分の子供が、弟や妹が、そんなことをするのを構わずに放って置く、どんな危険に臨んで居るかと云うことすら思わず、地獄の穴に片足はさし込んで、昼寝でもして居ると云う様にならぬにも限らない。そこで天主様は皆さんに睡(ねむり) を醒(さま)させるが為、親の務めを怠って居る人に注意を促すが為に、色々の病やら、不名誉やら、天災やらの苦い薬を飲まして下さるのではないでしょうか。 然し私の家族には、一人でもそうした不心得の人間は居ない積もりですが、と仰しゃる方があるかも知れません。 なるほど御家族には居ないでも、隣近所にそんな人が居ますならば、やはりその為に天罰を蒙らないにも限りません。昔イスラエル人の中にアカンと云うものが居て、天主様の御命令に逆らい、取るな、取ってはならぬぞと、厳しく禁(いまし)めて置かれたものを密かに取って隠して置きました。其の為にイスラエル人は天罰を蒙り、敵と戦って、散々な敗北を見たことがあります。だからして自分は正人君子でありましても、自分が家族に、隣近所に、悪人が居ますならば、どうしても其の余抹を被(かぶ)らずには済まぬものと覚悟しなければなりません。 でこの天災は皆さんの霊魂の病を癒すが為に、天主様のお与え下さった苦い薬だとすれば、之を遁れるには、是非とも皆さんの霊魂病を取って除ける工夫をしなければならぬ、自分の霊魂にはどんな病があるか、どこが天主様の御気に召さぬのであるかと、よくよく取り調べて、之を改める、早速之を改める、自分の子供、自分の親、自分の夫や婦(つま)やに其の病があって、自分が勧めても戒めても癒させること出来なければ、せめて自分がその身代わりとなり、前にも倍して善事をなし、天主様にお詫びをするように務めなければなりません。 然うした上で、天主様の御憐れみを求め、聖母マリアの御助けを祈りましたら、必ずお聴入れ下さるに相違ありません。 (5)-さはなくて、ただ「悲しい時の神頼み」で、災難だけを遁して下さいと、お願い申しました所で、到底お聴き入れ下さるはずがありません。 守護の天使は皆さんの祈られる一方から、天主様に向い、「否、天主様、決してお聴き入れ下さいますな、この人はまだ罪を改めません、お聴き入れ下さいますと、それに安心して心を改めませんから、罪を止めませんから、この人の霊魂を可愛いと思召しになりますならば、どうぞお聴き入れ下さいますな」と申し上げるでございましょう。 悪魔は聴き入れて戴けばと思いましょうけれども、守護の天使は皆さんを愛していらっしゃいますから、皆さんが心を改めない限りは、却ってますます其の害が甚だしくなるようにお願いなさるでございましょう。 でこの災難を取り除いて戴きたいと思いなさいますならば、先づ心を改めて善良なる信者とならなければなりません。 次に然う云う立派な心になって願いましたならば、それで沢山でしょうか、手を拱(こまぬ)いて天主様の御憐れみが下るのを俟(ま)って居るべきでしょうか。
否、天主様は怠けものをお助け下さいません。 終(つい)に、そうしても猶この災難を遁れること出来ない時は、全く天主様の御摂理に身を托(まか)せ、自分の為を謀(はか)って然うして下さるのだと信じ、自分を打ち給う慈父の御手に恭しく接吻する様に致しなさい。 (続く) |