マニラのeそよ風

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第385号 2007/03/06 四旬節第二主日後の火曜日

アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、お元気ですか?

 四旬節ですね。兄弟姉妹の皆様におかれてはますます聖なる時節をお過ごしでおられることだと思います。ガブリエル神父様の『神との親しさ(3)心の浄化』には、私たちがどのような心構えでこの聖なる季節を過ごすべきかについて黙想を提供してくれています。

 「天主との一致をあこがれる者にとって、苦業は単に、肉を精神に従わせるための一手段だけではない。それはまた、十字架に着けられた主と一つになり、自分の体にキリストの苦難を再現し、延長するための手段でもあるのだ。・・・真実に愛する者は、自然に愛人と苦しみを分かち合いたいと望むものである。」(121ページ)

 さて嬉しいニュースですが、「四国新聞社」の
日本語サイト リンク 「江戸期の188人列福へ/ローマ法王、4月上旬にも」の記事によると、

江戸期の188人列福へ/ローマ法王、4月上旬にも 2007/03/03 22:43

 【ローマ3日共同】ローマ法王ベネディクト16世は、江戸初期に日本各地で殉教した188人の日本人カトリック信者を、4月上旬にも福者(ふくしゃ)に列する。バチカン外交筋が3日までに明らかにした。列福式は11月、バチカンから枢機卿が出席し、長崎で行われる予定。

 福者とは、聖人に準じた存在として、カトリック信者から公的な崇敬を受ける人。最近では修道女マザー・テレサが認められた。現在、日本関係では「日本26聖人」をはじめ計247人の聖人、福者がいる。

 これまで日本の聖人、福者は長崎関係の聖職者が多かったが、今回は(1)米沢(山形県)、京都、広島、山口、九州各地などに殉教地が拡散(2)一般信者が大半(3)約3分の1(60人前後)が女性-という点が特色だ。老若男女を含む一家全員が殉教した例もある。


 毎日新聞の日本語サイト リンク http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070304k0000m040026000c.html 「バチカン:日本人殉教者188人を栄誉ある「福者」に」の記事には詳しい報道がありました。

バチカン:日本人殉教者188人を栄誉ある「福者」に

ジュリアン中浦=「ローマを夢みた美少年」展(長崎歴史文化博物館)の図録から。京都大付属図書館蔵

 【ローマ海保真人】江戸時代初期の17世紀前半、キリスト教徒の迫害で処刑された日本人殉教者188人を、ローマ法王庁(バチカン)が近く、栄誉ある「福者」に列する見通しとなった。対象者は九州、京都、米沢などで非業の死を遂げた司祭、一般教徒らで、これだけ多くの日本人が同時に列福されるのは140年ぶりとなる。

 バチカン外交筋によると、4月上旬に正式発表され、列福式は11月に長崎で行われる見通し。

 代表格のペトロ岐部は豊後(現・大分県)生まれで、江戸幕府がキリスト教を禁止する中、日本人として初めてエルサレムを聖地巡礼、さらにローマに渡り司祭となった。帰国後、長崎と東北地方に潜伏し布教したが捕まり1639年、江戸で拷問を受け死亡した。遠藤周作著「銃と十字架」の主人公になっている。

 また司祭のジュリアン中浦は、16世紀末に九州の大名によってローマに派遣された「天正遣欧少年使節」の1人で、1633年、長崎で逆さづりの刑で死亡した。

 4人の司祭以外は一般教徒で、うち女性は61人、1~8歳までの子供が22人。母子らが十字架に縛られ火あぶりの刑に処された京都の殉教者52人(1619年)、武士の家族が主に処刑された米沢の殉教者53人(1629年)が含まれる。

 1630年前後は江戸幕府がキリスト教国の植民地政策や教徒の勢力拡大を恐れ、弾圧を強めた時期だった。日本カトリック司教協議会は当時の殉教者に焦点を当て、前法王ヨハネ・パウロ2世の1981年の来日を機に列福を要請した。27年越しの調査と審査を経て、バチカン列聖省が列福方針を固めた。

 ◇立派な生き方誇り

 ジュリアン中浦の叔父の14代目の子孫にあたる小佐々(こざさ)学さん(67)=さいたま市=は、約30年前からジュリアンの研究に携わっている。「ジュリアンは当時の国際交流に努め、立派な生き方をしたと誇りに思ってきた。(列福で)苦労が報われる」と喜びを語った。

 ◇京都で52人処刑 全員が一般教徒

 京都では1619年10月、2、3歳の幼児を含む52人が鴨川の六条河原で処刑された。全員が一般教徒だった。

 1994年、現場に殉教碑が建立された。同年、52人がキリスト教に殉じたことをバチカンに対して歴史的・宗教的に証言した、河原町教会(京都市中京区)広報部長、嶋崎賢児さん(71)は2月6日にローマの枢機卿会議で列福が決まったと聞いた。「94年はカトリック京都教区から5人が証言に立ったが、私たちが生きている間には列福はかなわないかもと互いに言っていた。列福を聞き感無量だ」と話した。

 カトリック京都教区は来秋、河原町教会内に52人の列福記念碑を建てる予定という。【奥野敦史】

 ▽ 福者 カトリック教会が生前の聖性を認めた人に死後、与える称号。最高位である「聖人」に次ぐ。日本では外国人宣教師を含む205人が1867年、列福された。外国の著名人ではインドの修道女、マザー・テレサが03年に列福。前法王ヨハネ・パウロ2世は現在、列福調査中。

◇殉教の地・時期別の殉教者一覧◇

殉教地時期(1600年代)殉教者
熊本・八代03・12・8~09・2・4ヨハネ南五郎左衛門ほか10人
萩・山口05・8・16~8・19メルキオール熊谷豊前守元直ほか1人
川内平佐08・11・17レオ税所七右衛門
生月09・11・14ガスパル西玄可ほか2人
有馬13・10・7アドリアノ高橋主水ほか7人
富岡14・6・5アダム荒川
京都19・10・6ヨハネ橋本太兵衛ほか51人
小倉・豊後日出・
熊本(加賀山一族)
19・10・15~36・1・30ディエゴ加賀山隼人ほか17人
江戸23・12・4ヨハネ原主水
広島24・2・16~3・8フランシスコ遠山甚太郎ほか2人
島原・雲仙27・2・21~5・17バルタザル内堀ほか28人
米沢29・1・12ルイス甘糟右衛門ほか52人
長崎西坂33・7・28~10・21ジュリアン中浦(司祭)ほか2人
大阪36・2・25ディオゴ結城了雪(司祭)
長崎西坂37・11・6トマス金鍔次兵衛(司祭)
江戸39・7ペトロ岐部(司祭)

毎日新聞 2007年3月3日 18時11分 (最終更新時間 3月4日 2時00分)

 とのことです。天主に感謝!

 私たちも、イエズス・キリストが真の天主であるという真理のために殉教した私たちの祖先に倣うお恵みを乞い求めましょう!聖母マリアよ、我らのために祈り給え!聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!

 2月18日、聖ピオ十世会の司祭ブルノ・イゼンマン神父様が、交通事故で亡くなられました(享年50歳)。イゼンマン神父様は、ディーシュテーデのドンボスコ校の卒業生の婚姻を祝福するためにナミビア(アフリカ)で休暇を取っているところでした。やはりドンボスコ校の教授であるフイゼゲムス神父様が運転する車で、イゼンマン神父様が移動中に事故があり、運転手は軽い傷を負っただけでしたが、イゼンマン神父様は事故の直後に息を引き取られました。

 イゼンマン神父様は1956年8月27日生まれ、1989年7月1日にドイツのツァイツコーフェン神学校で司祭の叙品を受けました。

 聖ピオ十世会の全ての会員司祭は、私たちの愛する同僚であるイゼンマン神父様の霊魂の安息のために最低1度の聖伝のミサを捧げます。兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願い致します。


 さて、3月には私たちの愛する兄弟である、マクシミリアノ・コルベ岡村さんがオーストラリアにある聖十字架神学校に入学の予定です。また、私たちの愛する兄弟ペトロ小林さんが、フランスにある聖伝のドミニコ会の修練者として他の4名の青年達と共に着衣式を受けます(3月17日)。どうぞ、これらの聖なる召命のために兄弟姉妹の皆様、寛大なお祈りをお願い致します。兄弟姉妹の皆様からの霊的花束を呼びかけたいと思います。

 5月の予定ですが、東京では5月20日(主日)に加えて、5月6日(主日)にもミサ聖祭がある予定です。5月6日には、アジア管区長のクチュール神父様、オーストラリアのブリスベーンの修道院長ワリエ神父様(そして兄弟姉妹の皆様の僕である私が)が来られます。午後は、クチュール神父様からの霊的講話を予定しております。多くの兄弟姉妹の皆様のお越しをお待ちしております。

 私たちカトリック信者の義務として、一年に一度、御復活祭の頃に聖体拝領をする、というのがあります。ですから、今回は、元仙台司教の浦川和三郎司教様の『祝祭日の説教集』の中に掲載されている「聖体拝領の準備」のお説教をご紹介したいと思います。


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祝祭日の説教集

浦川和三郎(1876~1955)著

(仙台教区司教、長崎神学校長 歴任)

聖体拝領の準備

(1)-「彼,太陽の中に其の帷幄(とばり)を置けり」(詩篇十八ノ六)主の御入来を,かたじけなうし奉るには、心が極めて清浄潔白であらねばならぬことを曰(い)ったものであります。皆さん宜しく之を思いなさい、来たり給うべき御方は誰?・・・御入来を,かたじけなうせんとする私は何者であるかと・・・聖母マリアの御胎(ごたい)は、救い主のやどらせ給うべき宮殿として、至清至潔に造られ、あらゆる聖寵の花を咲かせ、百善百徳の芳香(かおり)を馥郁(ふくいく)たらしめ給うたことを思ったら、同じ至尊の御主を受け奉ろうとする私も、亦、至清至潔ならざるを得ますでしょうか。諸徳の芳香もて飾られてこそ然るべきではないでしょうか。

 今、皆さんの心は如何?果たして至清至潔でしょうか・・・罪の汚点がなきのみならず、罪えの傾向すら消え失せて、肉慾治まり、情念正しく、諸々(もろもろ)の徳の花は香(におい)こぼるゝ許(ばか)りでしょうか・・・或いは又、罪や、不足や、悪習やの為に、癪病患者のそれの如く腐り爛(ただ)れ、粉々(ふんふん)たる臭気を放って居るのではないでしょうか・・・深く謙(へりくだ)りなさい・・・悔やみ悲しみなさい・・・主の御足の下に拝伏して「主よ、思し召しならば我を潔くすることを得給う」と申しなさい。主は必ず御手を伸べて皆さんに触れ、「我意なり、潔くなれ」と曰(のたま)うに違いありません。

(2)-「渇ける人あらば、我許に来たりて飲め」(ヨハネ七ノ三十七)、聖体を拝領し奉るには、熱く之を望まねばならぬ、渇ける人が水を欲するが如く渇望するでないならば、この聖寵の泉は開かれないことを云ったものである、だから渇けるものは「活ける水の泉より飲め」とあり、聖母は「飢えたる者を佳物(よきもの)に飽(あか)せ給えり」(ルカ一ノ五十三)と曰(い)い、ゼルソンも亦「飢えたるものにあらずば、飽くことなからん」と曰いました。我々が今日まで幾度も聖体を拝領しながら、一つの悪をも改め得ず、一つの善をも修め得ないのは、世俗や肉慾に飽満(ほうまん)して主を渇望しない為ではないでしょうか・・・さても我々は何と云う微(なま)温(ぬる)いものでしょうか・・・もし斯(かか)る至聖至尊の聖体を吐き出す人があったら、恐るべき涜(どく)聖(せい)の大罪人よと言うではありませんか、然し何等の渇望もなしに之を授かり奉るのは、吐き出すのにも類しないでしょうか・・・皆さん、信徳の眼(まなこ)を開きなさい・・・聖体の至聖至尊なることを思いなさい。

 皆さんに対し給う主の愛の限りも涯(はてし)もないことを考えなさい。主が皆さんに賜うべき幸福や恩寵の如何に大にして、また皆さんの為に如何に必要なるかを細(こまか)に黙想しなさい。烈しい渇望はムラムラと心に起り来るでありましょう。

(3)-「汝、婚(こん)筵(えん)に招かれたる時、往きて末席に着け」(ルカ十四ノ十)、今、皆さんは招かれて主の祝(しく)筵(えん)に列席しようとして居られるが、さて主の如何なる御方なるかを御存知ですか・・・して皆さんはまた何者?・・・あゝ皆さんは果たして何者ですか?・・・罪人・・・禽獣(とりけもの)にも劣れる罪人・・・恩に報いるに仇を以ってせし忘恩者(おんしらず)・・・如何してこの至尊の神にちかずき、天使のパンを食すること出来ましょう? 然し失望するには及ばぬ「その御召使の賎しきを顧み給えり」と聖母は曰(のたま)うた。

 実に聖母の謙遜を喜んで、主はその御胎(ごたい)に人となり給うたのである。皆さんも聖母の如く謙遜なさいましたら、主は必ず皆さんを顧みて下さる。慈愛(いつくしみ)溢(こぼ)るゝ御眼を開いて、皆さんを顧みて下さいます・・・今、皆さんは我と我心に問うて御覧なさい、「彼の御方は何方(どなた)ですか・・・私は何者ですか」・・・と、もし誠意(もごころ)から斯く自ら問い、皆さんの心の状態に御注目なさいましたら、容易に謙遜の情を起すことが出来ますでございましょう。

(続く)