マニラのeそよ風

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第384号 2007/02/04

聖ピオ十世会ドイツ管区の黙想の家「天の門」(Porta Caeli)
聖ピオ十世会ドイツ管区、黙想の家「天の門」(Porta Caeli)

アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、お元気ですか?

 「愛と喜びと」の本による黙想の続きです。「全能の天主、天主の御言葉は、幼子となり、私たちのうちに住み給うた。」何故なら、天主は私たちも、幼子のように、天主のみまえに小さき者となることをお望みだったからです。そしてこの霊的な小ささから天主に対する聖なる委託・信頼が生まれるのです。

 幼きイエズスの聖テレジアはこの雄々しい大胆な委託を歌っています。


Mon Ciel a Moi !...

4 Mon Ciel est de sentir en moi la ressemblance
Du Dieu qui me crea de son Souffle Puissant
Mon Ciel est de rester toujours en sa presence
De l'appeler mon Pere et d'etre son enfant
Entre ses bras Divins, je ne crains pas l'orage
Le total abandon voila ma seule loi.
Sommeiller sur son Coeur, tout pres de son Visage
Voila mon Ciel a moi !...

外国語サイト リンク http://www.jesusmarie.com/therese_de_lisieux_poesies.html


 わが天国とはわがうちに
 その全能のいぶきもて我を創り給いし
 御身と
 似奉るところあるを感ずることなり
 わが天国とは常にその尊舞えに侍り
 主をわが父と呼び奉りその子たることなり
 その聖き御腕の中にあればわれは嵐を恐れじ
 全き委託こそはわが唯一の掟なれば
 その御顔のいと近く
 その聖心の上にまどろみ奉らん
 これぞわが天国。


 幼きイエズスの聖テレジアは、御摂理を試みることはありませんでした。聖寵に頼りながらも、聖寵に全力を尽くして協力していたのでした。自分のなすべき義務を寛大に最善を尽くして果たし、そして聖なる委託に身を渡しきっていたのでした。


Jesus Seul.

3 C'est a toi seul, Jesus, que je m'attache
C'est en tes bras que j'accours et me cache,
Je veux t'aimer comme un petit enfant
Je veux lutter comme un guerrier vaillant
Comme un enfant plein de delicatesses
Je veux, Seigneur, te combler de caresses
Et dans le champ de mon apostolat
Comme un guerrier je m'elance au combat !

外国語サイト リンク http://www.jesusmarie.com/therese_de_lisieux_poesies.html


 ああイエズス御身のみにこそ
 われはつき奉る
 われが走り行き身をばかくさん
 われは御身を幼児のごと愛し
 武士(もののふ)のごとく戦わん
 愛に満てる幼子のごと
 われは御身を愛撫もておおい
 布教の場(にわ)にては武士のごと
 戦いに走り行かん。


Jesus Seul.

1 Mon coeur ardent veut se donner sans cesse
Il a besoin de prouver sa tendresse
Ah ! qui pourra comprendre mon amour ?
Quel coeur voudra me payer de retour ?.....
Mais ce retour, en vain je le reclame
Jesus, toi seul peux contenter mon ame
Rien ne saurait me charmer ici-bas
Le vrai bonheur ne s'y rencontre pas.....

Ma seule paix, mon seul bonheur
Mon seul Amour, c'est toi Seigneur !...

2 O toi qui sus creer le coeur des meres
Je trouve en toi le plus tendre des Peres !
Mon seul Amour, Jesus, Verbe Eternel
Pour moi ton coeur est plus que maternel
A chaque instant, tu me suis, tu me gardes
Quand je t'appelle, ah ! jamais tu ne tardes
Et si parfois tu sembles te cacher
C'est toi qui viens m'aider a te chercher.

Ma seule paix, mon seul bonheur
Mon seul Amour, c'est toi Seigneur !...

3 C'est a toi seul, Jesus, que je m'attache
C'est en tes bras que j'accours et me cache,
Je veux t'aimer comme un petit enfant
Je veux lutter comme un guerrier vaillant
Comme un enfant plein de delicatesses
Je veux, Seigneur, te combler de caresses
Et dans le champ de mon apostolat
Comme un guerrier je m'elance au combat !

Ma seule paix, mon seul bonheur
Mon seul Amour, c'est toi Seigneur !...

4 Ton Coeur qui garde et qui rend l'innocence
Ne saurait pas tromper ma confiance !
En toi, Seigneur, repose mon espoir
Apres l'exil, au Ciel j'irai te voir....
Lorsqu'en mon coeur s'eleve la tempete
Vers toi, Jesus, je releve la tete
En ton regard misericordieux
Je lis : ≪ Enfant, pour toi, j'ai fait les Cieux. ≫

Ma seule paix, mon seul bonheur
Mon seul Amour, c'est toi Seigneur !...

5 Je le sais bien, mes soupirs et mes larmes
Sont devant toi, tout rayonnants de charmes.
Les seraphins au Ciel forment ta cour
Et cependant, tu mendies mon amour !....
Tu veux mon coeur, Jesus, je te le donne
Tous mes desirs, je te les abandonne
Et ceux que j'aime, o mon Epoux, mon Roi
Je ne veux plus les aimer que pour toi.

Ma seule paix, mon seul bonheur
Mon seul Amour, c'est toi Seigneur !...

外国語サイト リンク http://www.jesusmarie.com/therese_de_lisieux_poesies.html


おおイエズスよ、御身こそ

わが心 全てを捧げ 尽くしたい。
燃え立つ愛を 見せてあげたい。

わが愛を、誰が分かって くれるのか
誰が私に、愛返すのか。

イエズスよ、わが魂を 満たすのは
御身の他に 誰もあり得ぬ。

この世では 何一つとて わが心
引き寄せるもの 見いだせぬから。

御身こそ、おおイエズスよ、御身こそ
わが平安よ、わが幸せよ。

イエズスよ、私を全て 捧げたい。
御身の腕に 走り寄り添う。

幼子が 愛するように われもまた
御身を愛す かわいらしくも。

勇敢な 戦士の如く われもまた
勇ましき使徒、戦いに出る。

罪知らぬ 清さを保つ 聖心(みこころ)は
わが信頼を 裏切り得ない。

御身こそ、おおイエズスよ、御身こそ
わが平安よ、わが幸せよ。

御身こそ ちくたくの身の わが希望
天の国にて ま見ゆる日まで。

台風が 心の中に 起こるとも
われ眼差しを 御身に向ける。

イエズスは、われを見つめて、言い給う、
「おまえのために 天を作れり。」

御身こそ、おおイエズスよ、御身こそ
わが平安よ、わが幸せよ。


 そして幼きイエズスの聖テレジアが使う「武器」「剣」は、愛の剣だったのでした。「私は愛の剣を持って、御国より他国人を追い出し、人々の霊魂のうちにイエズス様を王と宣言させましょう。」


Jeter des Fleurs.

2 Seigneur, de ta beaute mon ame s'est eprise,
Je veux te prodiguer mes parfums et mes fleurs
En les jetant pour toi sur l'aile de la brise
Je voudrais enflammer les coeurs !....

Jeter des Fleurs, Jesus, voila mon arme
Lorsque je veux lutter pour sauver les pecheurs
La victoire est a moi.... toujours je te desarme
Avec mes fleurs ! ! !...

外国語サイト リンク http://www.jesusmarie.com/therese_de_lisieux_poesies.html


 花びらを撒き散らすこそ
 イエズスよ、わが武器なり
 罪人を救わんとて戦う時
 勝利は常にわがものなり
 わはわが花びらもて
 主の武器を奪い奉れば・・・


 今年の私の決意と念願は、ルフェーブル大司教様の伝記を第二バチカン公会議の部分まで日本語に翻訳し終えることです。伝記の翻訳のためには、他の小さな仕事と違って私には、時間のゆとりと体力のゆとりが必要です。まず天主のお恵みによってまとまった時間が与えられますように。時間が与えられても体が疲れていては仕事にならないので、天主の御憐れみによって、翻訳をするに必要な体力のゆとりも与えられますように。そしてこの仕事を聖母の汚れ無き御心に全てお捧げしたいと思います。

 2月11日はルルドの聖母マリア様の祝日ですね。ルルドでの第17回目の御出現(3月25日)で、天主の御母聖マリア様は「Que soy vera l'Immaculada Conceptiou. 私は実に汚れなき御宿りです。」と言われました。「無原罪の御やどり」それこそ聖母マリア様のお名前だったのです。そこで元仙台司教の浦川和三郎司教様の『祝祭日の説教集』の中に掲載されていた「聖母無原罪の御やどり」のお説教をご紹介したいと思います。


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祝祭日の説教集

浦川和三郎(1876~1955)著

(仙台教区司教、長崎神学校長 歴任)

聖母無原罪の御やどり

罪の汚れなき霊魂の清さ

(1)-聖母マリアが原罪の汚れなくやどされ給うたは、唯一無二の特典であります。然し我々も聖寵によりて同じく汚れなきものとなることが出来る。聖母マリアは原罪に染まない様、予防され給うたのですが、我々は一旦原罪に染まってから、それを清めて戴く、聖母でも我々でも、キリスト様の御血の功徳によって罪を赦されるか、予防されるかして聖となるのであります。
 原罪の汚れなくやどされ給うた聖母マリアを仰ぎ視ると、我々は聖寵によりて聖とせられし霊魂の言うべからざる美しさを感嘆せずに居られない。なお聖母を御鑑として我々の霊魂を汚れなく保ちたいと云う気にもなって来るのであります。

(2)-先ず御やどりの際に於ける聖母の霊魂の美しさを思いなさい。無原罪の御やどりを聖会が盛んに祝い奉るのは何の為でしょうか。その答は聖パウロの「我等は性来怒りの子なりき」(エフエゾ二ノ三)の一句に尽きて居ます。人祖は天主様の御誡めに背きました。
 その不従順の恥がちょうど源を毒せられた河流(ながれ)の如く、後世(こうせい)子孫の上にまで及んだのであります。我々は母胎にやどるその最初の一刹那に、人間性に付随せるこの罪の垢に染まって、罪人となり、怒りの子となり、超自然的光と力とを失ったまゝ生れる様になるのであります。  然し聖母マリアには、そうした不幸が無かったのです。聖母は人類全体の腐敗を免れなさいました。罪の汚れは、その魂を侵し得なかったのです。聖霊は始から之に住み、そのすべての賜を浴びせ給うたのであります。
 聖会が聖母マリアの無原罪の御やどりの光栄と幸福とを盛んに祝うのは之が為であります。然し我々の為に奇しき御業は洗礼の日に行はれる。イエズス、キリストがお求め置きになった聖寵、聖母マリアを原罪の汚れに染ましめなかったその聖寵が、我々の魂をも罪の汚れより清めてくれる。我々に反して認められ、我々を悪魔の手に付せる文書は破って棄てられ、その代わりに神の子の消えざる印象が捺され、それによって我々もマダムか失いました天国への資格と権利とを回復することが出来たのであります。
 是を以っても罪の汚れなき霊魂の美しさが悟られましょう。我々は洗礼の聖寵を重んじ、その聖寵を戴いたことを厚く厚く感謝し、之を失はない様、大いに努めなければなりません。

(3)- 次に全生涯に於ける聖母の魂の美しさを思いなさい - 聖会は聖母を讃美して「マリアは全美に在して、一の汚点もなし」と歌って居ます。実に聖母は御やどりの当座のみならず、また一生の間、清く美しく在した。罪の汚れなくやどされ給うた聖母は、また罪の汚れなく、天主様の御許え立ち戻り給うたのであります。
 なるほど悪魔は聖母の上に何等の主権をも有しなかったが、それにしても御子にすら容赦なく打(ぶ)つ突(つか)った彼は、御母にも遠慮なく襲撃を加えたに相違ありません。然うです、聖母も我々の如く試練に遭われました。ただ我々は不幸にして屡その試練に倒れますが、聖母は堅固に無原罪の御やどりの聖寵を保ち、一度でも之を失い給はぬのでありました。
 天主様に従はないこと、即ち罪のみが、我々に聖寵を失はせる、我々の霊魂を汚点に染ましめることを聖母は飽くまで承知して居られました。随って聖母は如何によく主の仰せに従はれたものでしょうか、一度たりとも呟(つぶや)き給うことなく、躊躇(ちゅうちょ)し給うことなく、何時でも「我に成れかし」と答え、飛び立って従い給うのでありました。固より聖母ほど豊かに聖寵を蒙った者はないが、然しまた聖母ほど順良(すなを)にその聖寵に従ったものも居ないのであります。
 皆さん、洗礼は我々の霊的やどりの秘蹟であります。この洗礼によって聖化せられた我々は、聖母のそれに類似せる宝物を戴いて居るのでありますが、ただ聖パウロにも曰(い)はれた通り、その宝物を脆(もろ)い器の中に携えて居ることを忘れてなりません。
 では罪の汚れをして、魂に侵入せしめない為め、絶えず警戒しましょう。智慧の汚点たる誤(ご)謬(びゅう)を避けると共に、心の汚点たる悪習をも注意して避けましょう。聖母マリアの如く、恐(おそ)懼(れ)と謙遜とを以って、世間に遠かるべく努めましょう。
 神の掟を忠実に守り、以って魂を汚れなく保つのは、救霊の為に唯一の必要物であされば汚れなき天の御家に入るを得んが為め、全美にます聖母、原罪の汚れなくやどされ給いし聖母の御助けを祈りましょう、熱心に厚い信頼を以って、連(しき)りに祈りましょう。

(続く)