第383号 2006/12/02
アヴェ・マリア! 愛する兄弟姉妹の皆様、お元気ですか? 仙台司教の浦川和三郎司教様の『祝祭日の説教集』の中に掲載されていた「聖フランシスコ、ザベリオに対する九日修行」第九日最終日をご紹介します。 祝祭日の説教集 浦川和三郎(1876~1955)著 (仙台教区司教、長崎神学校長 歴任) 聖フランシスコ、ザベリオに対する九日修行 (第九日) 聖フランシスコ神の摂理に一身を委(ゆだ)ね給う 聖フランシスコは一生涯神の摂理に身も心も全く委ねて居られました。聖人は斯(この)心もて印度宣教大任を引き受けなさいました。して之を引き受けるにつけて、聖人は如何なる犠牲を払い給うたでしょうか。故郷を去らねばならぬ、親兄弟に別れねばならぬ、欧州で受けられる慰安、便宜は悉く擲(なげう)って遠く万里の波濤を超えねばならぬ、而も危険極まる暴風にも遭い、偶像教徒の間に生活して、寒暑,飢渇、窮乏、虐待、残害等、有りと有ゆる艱難をも嘗めなければならないのに、聖人は是等の艱難を亳(ごう)も意に介せず、之が上に超然として、「天主望み給う、天主命じ給う、是だけで沢山よ」と云って、その御摂理に一身を委ね、露(つゆ)程も先々のことなど顧慮(しんぱい)し給わぬのでした。聖人は実に聖パウロの云われし如く、「聖霊に迫られ、常に其の黙示に耳を傾け、己が行くべき道を喜びて全うせられました」(使徒行二十ノ二二)、モルク島に行き、日本に渡られた時等は、目睫(もくしょう)の間に迫れる危難をも顧みず、ただ己に命じ給える主の御声にのみ耳を傾け給うのでした。殊に聖人が天の明命に服し、神の御摂理に一身を委ね給える至誠の著しく現れたのは、幾百の障害物が襲い来るのを物ともせず、悉く之を打ち破りて支那渡航の決心をなし給える時でした。聖人は既に支那の大陸を眼下に眺め、其の希望も漸く遂げられるかと喜び踊って居られると、何ぞ図(はか)らん船長は約を違うて聖人を上陸させない、通訳の支那人は逃げ出した。聖人自身も俄かに熱を痛(わずら)い、給うたので、今は是迄なりと徐(おもむ)ろに永遠の旅路の支度に取り掛られた。船の中では養生が出来ないと云うもので、浜辺に上陸されたけれど、宿るべき家もなく、風に吹かれ、波に打たれ,其の儘死んでしまうのではないかと思われて居たのでしたが、幸い一人のポルトガル人が聖人を唯(と)ある茅舎(くさや)に移してくれました。然し荒れに荒れた茅舎で、浜辺に在るのと毫(ごう)も異(ことな)らない、斯くて聖人は人に棄てられ、薬石もなく、食物もなく、人手もなく天主様を除き奉っては、天地間に一つとして頼るべきものもなく、人間の目から見ると、如何にも悲惨さ極まる中に臨終の時を竢(ま)たねばならぬことゝなりました。それでも聖人は或いは天を仰ぎ、或いは手にせる十字架を眺め時には涙ぐめる双眼を支那の方に回(めぐ)らして、この国民を偶像教の中に打ち棄ておくのを悲しみながらも、己が奮発心をも、生命をも神の御前に犠牲に供すること出来るかと思っては、言い知れぬ満足を覚えひとり自ら慰め給うのでありました。斯くて二日の間も、飲まず、食わず、刻一刻、弱り果て給い、終(つい)に安然(あんぜん)として世を去り給うた。 時は正に1552年12月2日にして、御年僅かに46歳、印度布教より十年半で、其の辞世の御言に「主よ 我汝に倚(よ)り頼めり、永遠に耻(はづかし)められじ」と云う詩篇の一句でありました。 反省 ― 一、斯の如くして身も魂も天主の御手に還し奉るのは、如何程楽しく、慰めに満ちたこでしょう、以後私の切に願う所は実に是のみでありたい。 二、然しこの幸福を得るが為には、私の一生涯を摂理し給う主の御手に全く委ね奉らねばならぬ。 三、然らばすべて我が身の上に来る福も禍も、吉も凶も、皆主の欲し給う所であるから、私も之に服従し奉る、この服従は天主の光栄となり、私にも豊かな聖寵を呼び降すに至るのである。 祈願 ― あゝ主よ、主の欲し給う所を、主の欲し給うが故に、私も之を欲し奉る。何とぞ一生涯、御旨のまゝにこの身を処置し給え。ただ臨終の時に私を見棄て給わず、主の栄福なる忠僕、聖フランシスコの如く、主の愛に燃え立ちつゝ死するを得せしめ給え。アメン。 (続く) |