マニラのeそよ風

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第381号 2006/11/30 使徒聖アンドレアの祝日

聖アンドレア

アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、お元気ですか?

 教皇様のためのロザリオの祈りの霊的花束は、全世界から250万環集まったそうです。天主に感謝! 兄弟姉妹の皆様の寛大なお祈りに感謝します。

 カトリック司祭の偉大さは、まさに聖伝の典礼様式に従って天主・教会・霊魂を思い、十字架のいけにえを捧げること。司祭の苦しみは、この十字架のいけにえから遠ざかること。全世界のカトリック司祭たちが、カトリック教会の宝である聖伝のミサをもう一度、自分の手に取り、天主に「汚れなきホスチア」「救いのカリス」を捧げることができますように!

 聖ピオ5世教皇様の荘厳な大勅令(Bulla) である『クォー・プリームム』を骨抜き・死文化させず、その真理をありのまま、ローマが発表しますように! 全てのカトリック司祭は、聖伝のミサを捧げる義務があること、聖伝のミサを捧げる自由があることを!

 聖ピオ十世会は、もうすぐこの霊的花束をベネディクト十六世教皇様のもとにお届けするでしょう。

 私たちは、カトリック教会のため、私たちの教皇様のため、カトリック司祭、司教たちのため、霊魂の救いのため、祈り続けましょう。

 それでは、浦川和三郎司教様の『祝祭日の説教集』の中に掲載されていた「聖フランシスコ、ザベリオに対する九日修行」第七日をご紹介します。


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祝祭日の説教集

浦川和三郎(1876~1955)著

(仙台教区司教、長崎神学校長 歴任)

聖フランシスコ、ザベリオに対する九日修行

(第七日) 聖人フランシスコの謙遜

 聖人の孜々(しし)として務め給い、又その方に驚くべき進歩を遂げられたのは、謙遜の徳でした。

 印度に向って発足せんとする時、ポルトガル国王は、旅行に必要な物品を記入した目録を差し出す様にと命じました。然るに聖人は陛下の御厚意を謝し、自分には何等の物品をも要しない旨を応えられた。「然しせめて従僕の一人なりとも伴いなさい」と王様が仰有っても、「私は自分にも人にも奉仕します」とお答えになりました。果たして航海中にも、印度滞在中にも、常に其の答を文字通りに実行されました。聖人の家柄を知って居るポルトガルの官吏や商人等は、聖人が最も微賤(いやし)い地位に安んじ、病人を看護し、何人に対しても従僕の如く仕え、行き届いてお世話をなさるのを見て、感嘆措(お)く能(あた)はぬのでありました。

 然し聖人が自分について抱き給えるその謙遜の念はなお之に優って感ずべく、模範ともすべきでありました。罪悪に溺れ、虚栄の中に彷徨(さまよ)える世間人が、聖人の赫々たる偉業を仰いで、感じもし、驚きもする其の間に、自分は却って深く自ら愧(は)じ、「私には果たして尊重さるべき点があるのですか」と窃(ひそか)に自ら疑い、左様な点があろうとは何うしても信じ得ないのでありました。

 その行える奇蹟も、「これは病人の信仰に由るのです」と云い、或いは児童を用いて奇蹟を行い給うた時は、「全く児童の清浄無垢の結果です」と避け、天主様が聖人の事業に降し給いし祝福は、「これは人々が私のためにして下さった祈祷の力に由るのです」と曰い、又時として熱心に伝道を試みても、其の結果が思わしくない時は、「これは私故です、私の罪の為です」と其の不結果の原因を悉く己に帰し給うのでした。「私は日本に於いて、初めて我魂の欠点、短所の深淵、その深淵の数多きを明らかに認めました。私は之を現に見て、私を監視し、制御する者の如何に必要なるかを眼前に認めて居ます」と聖イグナチオ会長に申し送られたのを以っても、其の謙遜の一班(ぱん)を察することが出来るでありましょう。


反省 ―

一、 私が謙遜すべき理由は果たして幾何(いくばく)でしょう。私は何者ですか・・・如何に成り行くべきか計り難いのです。精神は暗み、心は弱り、罪は多い、嗚呼、何うして謙遜せずに居られましょう。

二、 謙遜の重なる障碍は性来の傲慢で、この傲慢の為に私は基督の御誡めと御鑑とに背くのです。

三、 この神聖なる御鑑を学び奉りて、私の思い、言、行の上に、聖人の謙遜の影を、せめて朧にでも描き出したいものであります。


祈願 ―

 あゝ主よ、主は謙遜の如何ばかり必要にして、而も之を実行するのは、自己愛に暗まされたる私の為には、如何ばかり難物なるかを知り給う。何卒私に我身の惨めさを悟らしめて、よく傲慢を制し、如何に厭らしい屈辱をも甘んじて堪え忍ぶに至らしめ給え。アメン。

(続く)